17世紀に入ると急速に「フランス宮廷料理」が成立。
その背景にある種のナショナリズムの様なものが垣間見えます。
当時は絶対王政樹立に向かう時代。「臣民」創造の第一歩は「(公式辞書刊行による)フランス語の標準化」とか「宮廷料理革命」だったという次第。
でも、そういうのってどうやらフランスに限らない様なのです。しかも「ナショナリズムを縦軸に、科学技術発展を横軸に取る」応用パターンまで…
続きを読む最近、今更ながら五味川純平「戦争と人間(1965年〜1982年)」を読んでます。
*「五代家の家長」由介(滝沢修)と軍国主義に染まった長男英介(高橋悦史)の喧嘩の場面に遭遇するにつれ「ああ五代家ってクルップ家がモデルだな」と思わざるを得ない。戦後の戦争裁判では両者の戦争責任分担が問題となり、しかも連合軍側の対応は準備不足が祟って滅茶苦茶で、クルップ家は最終的に無罪放免を勝ち取る。まだ最後まで読み切ってないけど「戦争と人間」はそういう部分まで描いているんだろうか?
山本監督の構想では第四部はその耕平が東京裁判に参加する中国代表にくっついて帰国するところから始まり、東京裁判を描くことでそれまでの経緯をふりかえって描くものになっていたらしい。原作者の五味川純平も東京裁判で小説を締めくくる構想を持っていたので、それと連動したものだろう。
しかし原作者自身、妻を失い病で声を失うなど苦難が続き、東京裁判については天皇の責任を問わなかったことを理由として最終的に小説では描かず、当初の構想とはだいぶ異なる結末となっている。
僕も原作を最後まで読んでみたが、小説の後半、とくに太平洋戦争の展開あたりから物語のメリハリがなくなって史実の羅列みたいになってゆき、敗戦と共に唐突に終わってしまった感が否めなかった。あるいは映画の中途半端な「完結」が原作者の意欲にも影響を与えたのではないか、と推測してしまうのだ。
当時の統計的数字に立脚して「ファシストや軍国主義者は、やっていい事と悪い事の区別もつかなくなるのか?」 と果敢に斬り込んでいくスタンス、存外現代性がありますね。「生き延びてこそ立つ瀬もあるのに、彼らはそれを敗北主義として退けた。馬鹿か?」なる切り口自体には、思想の左右を問わず現代日本人の心の奥底に訴える力がある様に思われますが、いかがでしょうか?
*「企画院だって結局、騙されて利用されただけだったじゃないか」なんて鋭敏極まる突っ込みには返す刀もない。それに比べて映画版(1970年〜1973年)ときたら…(以下自粛)。
シャルル・ペローが散文童話集「寓意のある昔話、またはコント集〜がちょうおばさんの話(Histoires ou contes du temps passé. Avec de moralités : Contes de ma mère l'Oye.、1697年)」を発表したのはこんな時代。
ナポリ語説話を集めたジャンバティスタ・バジーレ「物語の物語、または小さき者たちのための楽しみ/ペンタメローネ(五日物語)(Lo cunto de li cunti overo lo trattenemiento de peccerille、1634年〜1636年)」から採択された物語が多いのですが、それはイタリアの方が貴族制度解体の先進国で、成金(Nouveau Riche=ヌーヴォー・リッシュ)を容認する空気も強かったからとされています。
そして物語はユグノー亡命を通じてドイツにも伝わり、ヘッセンでグリム兄弟に伝承として採択される展開に。
大英帝国は「政党政治の発祥国」でもあり「ジェントリー階層の形成史」がそのまま臣民意識の形成史となり、その延長線上において選挙権拡大運動が保守主義派主導で進んでいきます。
一方(中世的貴族意識が強く残存する)フランスにおいては、「新旧論争」の仕掛け人でもあったシャルル・ペローがまず動いたのです。「ペローの散文童話集」は、そういう観点からも読めるという話。
続きを読む*1945年9月7日に行われた琉球方面の日本軍の降伏式典、戦場には投入されなかったアメリカ軍重戦車M26パーシングが整列している。岡本喜八監督映画「激動の昭和史 沖縄決戦(1971年)」のクライマックスにはパットン戦車隊らしきものが登場するが、その直系の先祖筋。
沖縄戦 - Wikipedia
私自身の基本スタンスはあくまで「2016年度大統領選において「とりあえず」トランプ候補に投票した人間も「とりあえず」クリントン候補に投票した人間も出した国際SNS上の関心空間上において(分裂を回避したい心理に基づいて)自ら中道派を自認し極右も極左も切り捨てていこうとする動きが見られる」なる観測結果に基づいて「これからあるべき国際的メインストリームって、こういうもんじゃないの?」というもの。
付和雷同と罵られても、これだけは変えるつもりはありません。なにしろ気付けば自分のアカウントも「中道派」に分類されてしまってる以上、極左や極右との喧嘩には否応なく動員されてしまうのです。ここで躊躇う様なら、逆に日和見主義者として粛清される覚悟を決めないといけないのです。
うーん。。。なんとも感想が言いにくいな。。→ 「これまでの記事を撤回したい…」沖縄で私はモノカキ廃業を覚悟した https://t.co/CLKkHZsrnT #現代ビジネス
— 東浩紀@ゲンロン0完成しました (@hazuma) 2017年3月10日
沖縄についてはぼくも昨年行ってもう発言するのよそうと思ったけど、それはぼく自身が覚悟足りないから(より残酷にいえば他の仕事で忙しいから)なのであって、それをこう書くのは自己満足にすぎないし、それこそ沖縄を孤立化させる気がするな。これが津田さんがやりたかったことなのだろうか。
— 東浩紀@ゲンロン0完成しました (@hazuma) 2017年3月10日
そういう立場から「早期離脱」を歓迎します。「ノンポリ(政治的ニヒリズム)派」として政治問題関与を極力避けてきた私が言うのも何ですが、この問題、これ以上迂闊に関わると、間違いなく大変な事になるでしょう…
続きを読むゲンロンβ11 渡邉大輔「マーティン・スコセッシ 監督『 沈黙 -サイレンス-』 」
すなわち、『沈黙-サイレンス-』とは、ひとりのポルトガル人司祭の信仰の物語が、全体の構成として、鬱蒼とした「日本的自然」の内部へと囲まれ、吸いこまれてゆく仕組みになっていると見立てることができる。このスコセッシの演出が意識的か無意識かはわからない。だが、遠藤が描いた『沈黙』の物語は、いみじくもまさにこうした日本の外側から伝来した文物や思想が、入ってきたさきから奥深い日本的自然の内部へと呑みこまれ、「日本的」に変形させられるという認識を明快に語っていた。
ここで思い出すのが、福井藩のお雇い外国人として明治維新を経験したW.E.グリフィスが「The Mikado's Empire(1876年)」の中で描いている「日本人独特の宗教観」です。あくまでうろ憶えですが…
*ウィリアム・グリフィス(William Elliot Griffis, 1843年〜1928年)…アメリカ合衆国出身のお雇い外国人、理科教師、牧師、著述家、日本学者、東洋学者。
かつては自身も信者の一員だった長崎奉行の井上筑後守(イッセー尾形)。
神学校で学び洗礼を受けた過去を持ちながら、宣教師の傲慢で日本人への侮蔑意識に満ちた態度に失望して棄教した通詞(浅野忠信)。
ある意味彼らは「より確かな考え方を得ると、かえって内面から届く良心の声が自分に届かなくなり、狂った様な状態に陥ってしまう」日本人の病理を知り尽くし、それを防いでいる立場の人間といえるのかもしれません。まずはこれが私なりの出発点。
続きを読む岡本喜八監督映画「激動の昭和史 沖縄決戦(1971年、東宝)」を鑑賞しました。
それでふと思ったんですが、山本薩夫監督映画「戦争と人間第3部完結編(1973年、松竹)」って、この大作のパロディだったんじゃないですかね?
続きを読む戦争の残酷さ、軍隊の理不尽さが描かれているが、そのエピソードの多くは、同じ原作者で小林正樹監督が描いた大作「人間の條件」(1959)の内容とだぶっている。
出来の悪い初年兵小島正一が行軍で遅れをとったり、週番や古参兵達から徹底的にいじめ抜かれ、それに主人公が理屈で対抗しようとする部分などは、ほとんど一緒と言って良い。田中邦衛と仲代達矢コンビが、小島と耕平に代わっただけ。メガネをかけた弱々しいキャラクターと言う見た目も、田中邦衛と小島は瓜二つである。原作者が、同じアイデアを使ったと言うことだろう。
*原作にそんな描写はない。あくまで過去の成功体験に基づく映画オリジナル。全編を観終わって感じたことは、この手の大河ドラマと言うのは、「幕の内弁当」のようなものではないかと言うこと。一品一品は特別おいしい訳でもまずい訳でもないが、あれこれ盛りだくさん並んでいるので、一見豪華に感じさせ、大衆に一時の贅沢感を与えてくれるもの…と言う感じがする。この作品も、一つ一つのエピソードを思い返してみると、そんなに感動的とか、格段に面白かった訳でもなかったような気がするが、全部を一挙に思い出してみると、さすがに圧倒されるものがある。
*これ自体は案外、岡本喜八監督映画「沖縄決戦」にも共通する観点とも。この作品を一言で言ってしまうと、共産主義者側の視点から描いた戦争の話である。彼らは戦前から労働者や貧しい民衆の為に戦い、侵略戦争に反対し、特高の拷問に耐えながら民衆の為に戦った正義と真実の人…みたいな描き方である。「人間の條件」にしても、この「戦争と人間」にしても、主人公が「アカ」呼ばわりされている人物、ないしは、その理解者と設定してあることから、必然的に読者や観客はその主人公の考えに共鳴するよう描かれている。敗戦後、戦争に反省の気持ちと疑問を持っていた当時の庶民が、こうした反戦思想に熱狂するのは当然だったと思う。
*最終的に好意的観点からまとめられているのが興味深い。確かに1970年代から1980年代にかけては「左翼黄金期」として語られる事が多い。これほどの大作の製作費を、当時一体どこが出したのだろうか?と言うのも気になる所である。
*当時永井豪原作映画「ハレンチ学園4作(1970年〜1971年)」が大ヒットを飛ばしており、その売上が流用されたと考えられている。