何か神山健治監督映画「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜(2017年)」の感想投稿で「Over Drive感に欠ける」を連呼してしまいました。
そもそも「Over Drive感」って、一体何でしょう?
判定基準としては、例えば「距離のパトス(Pathos der Distanz)」理念を基準をに「スノビズム」や「エキゾチシズム」の展開を見ればよさそうです。
ニーチェの用語。彼によれば人間類型は,強さと弱さ,偉大と卑小,高貴と低劣などに応じて2分されるが,前者が後者に身を引下げるのではなく,あくまでも後者に距離をおき,わが身を保持しようとするパトスのこと。人類の向上もこれによってのみ期すことができるとされ,したがって同情をきびしく退ける貴族主義的思想が展開されることになる。
*日本には「関東風VS関西風」とか「御当地グルメ対決」みたいな「水平方向のパトス」と「太平天下が続いた江戸時代、(軍事訓練を兼ねた)狩猟から遠ざかった大名達がせめて野趣を味わおうと焼き目の入った雉焼きを好んだ」「この精神を(肉食を封じられた)精進料理の世界が取り込む形で「雉焼き豆腐」や「しぎ焼き」が誕生した」みたいな「垂直方向(?)のパトス」が複合したさらに複雑な展開が存在する。
一般的には貴族の真似事をする…貴族趣味の俗物根性の事を指す。「知識・教養をひけらかす見栄張りの気取り屋」「上位の者に取り入り、下の者を見下す嫌味な人物」。
俗物根性。社会的地位や財産などのステータスを崇拝し、教養があるように上品ぶって振る舞おうとする態度。学問や知識を鼻にかける気取る態度。また、流行を追いかけること。
「他人との差別化、差異化だけを意識した教養主義、貴族趣味の態度」というのが現代でよく見られる消費社会的スノビズム。
*だが、これだけ一方的に罵られてるにも関わらず、フランスにおける「シック(Chic)」の概念は「王当諸派とブルジョワ階層の何らかの形での合意によって成立した」としか思えない。日本におけるそれが「(伝統主義者で復古主義者の)白足袋族と(第一次世界大戦特需が産んだ新興成金階層たる)黒足袋族の何らかの形での合意」によって成立したとしか思えない様に。
*そもそも「日本最大の古都」京都は、その成立史からして謎めいている。
異国情趣。異国情緒。遠い未知の国にあこがれ,異国の風物,情趣の表現に基調を置き,文学的・芸術的効果を上げようとする傾向。ヨーロッパでは植民地政策による大航海時代から顕著となった。
反動として逆に異国情趣を蔑もうとするエスノセントリズム(ethnocentrism)を生み出したりもする。
エスノセントリズム - Wikipedia
社会進化論者ウィリアム・サムナー (William Graham Sumner) の造語で、自分の育ってきたエスニック集団(族群)、民族、人種の文化を基準として他の文化を否定的に判断したり、低く評価したりする態度や思想のこと。自民族中心主義、自文化中心主義とも呼ばれる。
*でも日本の三味線の様に「当初は異国情緒溢れる楽器としてもてはやされたのに、気づいたら伝統文化の一部になってた」ケースもあるので要注意。
この評価軸そのものが現実に引き摺られてズルズルと変動していく感じ…日本語で一言で表すなら「駄菓子ノリ」?
元祖ヨーグルは、昭和36年(1961年)に大阪のサンヨー製菓株式会社が発売した『モロッコ・ヨーグル』だ。なんで「モロッコ」なのかというと、ヨーグルト→地中海→モロッコと先代の社長がイメージしたことによるらしい。
で、この「模倣が全然成功してない」 違和感こそが独特のOver Drive感に結びついていく訳です。「常識の範囲内に止まって無難に振舞ってる限り、決して到達出来ない境地」と言い換えても構わないかもしれません。
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