諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

ナショナリズムの歴史⑨ 果たして「和食ナショナリズム」は成立し得る概念か?

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むしろ私達はある意味、フランス大衆食文化が伝わった「デミグラ・ソース」と「ホワイト・ソース」、およびその影響を受けて発明された「濃厚・中濃ソース」をこそ「日本料理の三大ソース」と呼ぶべきなのかもしれません。
*フランス料理の世界はその後、味が画一的過ぎた「デミグラ・ソース」や「ホワイト・ソース」と縁を切ってしまったし、「濃厚・中濃ソース」はもはや英国で開発されたウースターソーストは完全なる別物へと変貌してしまった。その意味でこれらはもはや「日本固有の食文化」といわざるを得ない状態にあるのである。

高尚な伝統的和食文化と対峙する形で育ってきた「街の洋食屋さん」文化。そのエスニックな響が受けて日本全土を席巻した「蛇皮線」が、伝統楽器「三味線」として日本文化に取り込まれていった景色と重なります。これこそがロックだ?

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ところでこうした要素、そももそも大元となった欧州の食文化(特にフランスのそれ)自体に埋め込まれていたとも。

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ナショナリズムの歴史⑦ 「ポテトは何で食べる?」を巡る国際紛争

日本でいう「駄菓子ノリ」、国際的には「大航海時代がもたらした新世界作物(ジャガイモ、トウモロコシ、エンドウマメ、トマト、etc)の旧世界への伝来」や「食品産業の工業化」と切っても切れない関係にある様です。

食文化の面白さは、こういう流れがグローバル・スタンダードに還元されるとは限らない辺り。むしろ、どんなに国際的に広まってもあくまで泥臭い地域的個別性(ナショナリズムの素)から脱しない方がメインストリームというべきかもしれません。
*その典型例の一つが各国の「焼肉文化」とも。

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日本における「目玉焼きには何を掛けて食べるか」論争の背景にあるのも以下。
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*意外と「オーロラソース派」は少ない? 欧米で卵料理へのこだわりといったら「ゆで卵(半熟あるいはハードボイルド)、サニーサイドアップ、ターンオーバー、オムレツ、あるいはスクランブル・エッグ」といった次元なのと対照的展開といえる。

  • 「生鮮食品ナショナリズム」あるいは「朝食ナショナリズム流通革命(輸送手段の機械化と冷蔵技術の発展)によって新鮮な卵や納豆が誰にでも食べられる様になって国民食化。各国においてナショナリズム(民族的自尊心)の一貫を担う展開となる。
    *「ナショナリズム(民族的自尊心)の一貫を担う」…むしろ平準化より多様化を望むという点で、その正反対の感情とする意見も存在する。まぁあくまで「ナショナリズムの素材」に過ぎず「ナショナリズムそのもの」ではない。

  • 調味料の「(工業製品化による供給安定を背景とする)味の平準化」と「(商業主義的展開がもたらす)選択肢の多様性」…そもそも近代以前には「醬油味味噌味」「ソース味」なんて固定概念そのものが存在しなかった。

    朝鮮半島でも「キムチの味が平準化」が始まったのは白飯食が普及して「おかず」としての地位が確定した1930年代以降とされる。それまではインドのマサラ(混合香辛料)文化同様に「その味は家庭ごとに異なり、コンセンサスなど一切存在しない」状態が延々と続いてきたのだった。

欧米でこれに該当するのが「ポテトは何で食べる?」論争となりますが、こちらもこちらで同じくらい根深い歴史があったりするのです。

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ナショナリズムの歴史⑥ 駄菓子ノリこそ「食文化におけるOver Drive感」?

何か神山健治監督映画「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜(2017年)」の感想投稿で「Over Drive感に欠ける」を連呼してしまいました。

そもそも「Over Drive感」って、一体何でしょう?

判定基準としては、例えば「距離のパトス(Pathos der Distanz)」理念を基準をに「スノビズム」や「エキゾチシズム」の展開を見ればよさそうです。

ニーチェの用語。彼によれば人間類型は,強さと弱さ,偉大と卑小,高貴と低劣などに応じて2分されるが,前者が後者に身を引下げるのではなく,あくまでも後者に距離をおき,わが身を保持しようとするパトスのこと。人類の向上もこれによってのみ期すことができるとされ,したがって同情をきびしく退ける貴族主義的思想が展開されることになる。
*日本には「関東風VS関西風」とか「御当地グルメ対決」みたいな「水平方向のパトス」と「太平天下が続いた江戸時代、(軍事訓練を兼ねた)狩猟から遠ざかった大名達がせめて野趣を味わおうと焼き目の入った雉焼きを好んだ」「この精神を(肉食を封じられた)精進料理の世界が取り込む形で「雉焼き豆腐」や「しぎ焼き」が誕生した」みたいな「垂直方向(?)のパトス」が複合したさらに複雑な展開が存在する。

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一般的には貴族の真似事をする…貴族趣味の俗物根性の事を指す。「知識・教養をひけらかす見栄張りの気取り屋」「上位の者に取り入り、下の者を見下す嫌味な人物」。

俗物根性。社会的地位や財産などのステータスを崇拝し、教養があるように上品ぶって振る舞おうとする態度。学問や知識を鼻にかける気取る態度。また、流行を追いかけること。

「他人との差別化、差異化だけを意識した教養主義、貴族趣味の態度」というのが現代でよく見られる消費社会的スノビズム
*だが、これだけ一方的に罵られてるにも関わらず、フランスにおける「シック(Chic)」の概念は「王当諸派ブルジョワ階層の何らかの形での合意によって成立した」としか思えない。日本におけるそれが「(伝統主義者で復古主義者の)白足袋族と(第一次世界大戦特需が産んだ新興成金階層たる)黒足袋族の何らかの形での合意」によって成立したとしか思えない様に。

*そもそも「日本最大の古都」京都は、その成立史からして謎めいている。

異国情趣。異国情緒。遠い未知の国にあこがれ,異国の風物,情趣の表現に基調を置き,文学的・芸術的効果を上げようとする傾向。ヨーロッパでは植民地政策による大航海時代から顕著となった。

反動として逆に異国情趣を蔑もうとするエスノセントリズム(ethnocentrism)を生み出したりもする。

エスノセントリズム - Wikipedia

社会進化論者ウィリアム・サムナー (William Graham Sumner) の造語で、自分の育ってきたエスニック集団(族群)、民族、人種の文化を基準として他の文化を否定的に判断したり、低く評価したりする態度や思想のこと。自民族中心主義、自文化中心主義とも呼ばれる。

*でも日本の三味線の様に「当初は異国情緒溢れる楽器としてもてはやされたのに、気づいたら伝統文化の一部になってた」ケースもあるので要注意。

この評価軸そのものが現実に引き摺られてズルズルと変動していく感じ…日本語で一言で表すなら「駄菓子ノリ」?

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元祖ヨーグルは、昭和36年(1961年)に大阪のサンヨー製菓株式会社が発売した『モロッコ・ヨーグル』だ。なんで「モロッコ」なのかというと、ヨーグルト→地中海→モロッコと先代の社長がイメージしたことによるらしい。

で、この「模倣が全然成功してない」 違和感こそが独特のOver Drive感に結びついていく訳です。「常識の範囲内に止まって無難に振舞ってる限り、決して到達出来ない境地」と言い換えても構わないかもしれません。

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ナショナリズムの歴史⑤ 「日本料理のさしすせそ」の歴史

一時期、国際SNS上の関心空間でしばしば見掛けた画像。

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i was god once

「どうしてSa-Shi-Su-Se-SoのSeは醤油でSoは味噌なんですか?」

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「Soはソースじゃダメなんですか?」

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さらに困った事に「噌」一文字では「醤」と同意語であるらしい。そもそもこの「日本料理のさしすせそ」って、一体いつ頃から使われてきた言い回しなんでしょうか?

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【ネタバレなし】「ひるね姫」観てきました③ 「エンジェルウォーズ話法」とは何か?

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神山健治監督映画「ひるね姫(2017年)」に対する評価において興味深いグループが存在します。

映画「Sucker Punch(エンジェル・ウォーズ)」感想〜”カルト映画”と言うよりは”不思議な集合体” | THE MAINSTREAM

しかしまさにこの部分にこそ、この作品の「絶対矛盾」が存在したとも。何故なら「エンジェル・ウォーズ話法」とは現実直視が不可能なほど悲惨な状況下で展開する「親殺し自分殺し」文法に他ならず「親世代の挑戦を子世代が引き継いでいく第二次産業アニメ」とは水と油の関係にあるからです。

いうなれば「史上最悪の食い合わせに対する無謀な挑戦」、困った事にそれこそが「ひるね姫」という作品の本質だったのかもしれません。

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ナショナリズムの歴史④ 「照り焼き」とTeriyaki、「焼肉」とBBQの世界

最近世界各国で「ナショナリズムとインターナショナリズム、グローバリゼーションとローカリゼーションの二分法を見直す試み」があちこちで為されています。

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日本の場合は過去に遡ると簡単にヒントが見つかる様です。

日本が「前方後円墳国家(3世紀〜5世紀)」だった時代には(中央集権への警戒心の高まりを象徴する)環濠(環壕)集落や高地性集落の築造と(中央集権への帰順を象徴しつつ、複数の集落をそれから独立した居館に住まう在地首長が統治する地方行政体制整備を暗示する)古墳の築造は思わぬ関連性を帯びていたとされている。

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  • 九州北部や纏向に中央集権的部族連合が台頭すると、その近隣に一斉に環濠(環壕)集落や高地性集落が築造される(警戒心の高まり)。

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  • そうした環濠(環壕)集落や高地性集落は、物見櫓の狼煙などで連絡を取り合ううちに一体感を増して交易を盛んに行う様になる(孤立主義の放棄)。
    *2世紀頃、瀬戸内海沿岸や機内に無数の弥生都市が登場したのはこのメカニズムによる。同時に銅鐸・銅戈・銅矛・銅剣を用いた近隣同士の呪術合戦も盛んとなって呪具の巨大化が進行するが、実はそれらの供給を担ってきたのは(仮想敵の筈だった)中央集権化された地域(要するに九州北部や出雲地方や近江沿岸部)だったとも。

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  • そして「環濠(環壕)集落や高地性集落が集中的に築造された地域」が、次の歴史的タイミングでは「古墳を争って築造する地域」へと変貌。この連鎖が延々と繰り返されていく(情報/経験蓄積が進んだ結果としての警戒心の放棄)。
    *こうして日本列島において順調に中央集権化が進行したのは(砂鉄を精錬する技術が広まる6世紀頃まで)国内では(開拓や耕作の効率を劇的に向上させる)鉄具の調達が難しく、それを中央集権の対大陸交易に頼らなければいけなかったからともいわれている。

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とどのつまり、当時日本にあった伝統的共同体においては「対立勢力への警戒心と自衛意識の上昇」と「孤立主義の放棄と外部との交流活発化」が表裏一体の関係にあり、そうした「境界線の放棄」の連鎖が最終的にヤマト王権を誕生させたという次第。この考え方が広まった結果「騎馬民族征服王朝説」はすっかり勢いをなくす展開となった。

騎馬民族征服王朝説 - Wikipedia

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 こうした「ナショナリズム文法の大源流」にあった思考様式を最も原型に近い形で今日に伝えているのは食文化展開かもしれません。

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