諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「悪いのは全て外国人」と決めつける大陸的流儀と「カミュの義憤」

f:id:ochimusha01:20170616062905j:plain

朝鮮半島には「良いものは全て北(中国、特に北京)から来る。悪いものは全て南(日本・東南アジア)から来る」という諺があるそうです。「韓国人は全員善人。悪をもたらすのは全て外国人(中国朝鮮族、東南アジア人、日本人、アメリカ人)」なる韓国エンターテイメント業界を牛耳る暗黙の了解も、要するにこの伝統に迎合したもの。

*韓国の映画監督ナ・ホンジンがハリウッドで高い評価を受けているのは、まさにこうした「大陸的伝統」に対する反逆的姿勢ゆえ。そもそも「韓国人は全員善人。悪をもたらすのは全て外国人(中国朝鮮族、東南アジア人、日本人、アメリカ人)」なる韓国エンターテイメント業界の「お約束」を世界に知らしめたのは、この人のニューズィークにおけるインタビューだったりする。かくして中国朝鮮族古代ギリシャ・ローマ風の悲劇的英雄に見立てた逆転劇「哀しき獣(황해、2010年)」や、ユダヤ人がイエス・キリストに向けたであろう「猜疑心に満ちた他者への眼差し」を「韓国人が日本人に抱く複雑な感情」と重ねた「哭声/コクソン(2016年)」などが製作される展開に。

*韓国では実際「人類平等の理念を達成する為、一刻も早く日本人や黒人や東南アジア人の様な劣等民族や心身障害者を一人残らず地上から撲滅しなければならない」と主張する「健康至上主義者」の放置が社会問題となっている。それはまさしくナチスの行動原理そのものなのだが、当事者はこれを達成する事が「ナチスを撲滅する事」で、それに反対する人間も全てナチスだと本気で信じ込んでいるから本当に始末におえない。なぜ放置されているかというと従北派や民族左派や宗教右派にとって(プロパガンダによる大量動員を可能とするという点において)利用価値があるからで、本当の問題は「(儒教時代まで遡る)党争における勝利を最優先課題と考える」伝統的思考様式にある様である。日本のリベラリズムも「韓国人の方が日本人より人道的に優れている」と主張し続けた結果、末端の若者達が感化されて点字ブロックを塞ぐ様にデモしたり、障害者トイレに「安倍政権のシンパめ!!」と落書きして「そもそも健康な若者より障害者が優遇される社会の方がナチス」と主張するのを容認せざるを得なくなる形でこれに巻き込まれた。実はアメリカのリベラリズムも「黒人デモに便乗して近隣の商店街で略奪を働くストリート・ギャング」や「フェイスブックLive拷問実況事件」を「人道的に十分許される範囲」と擁護せざるを得なくなったし、別に日本だけの問題でもなかったりする。

*実は最近ネットを賑わせた「安倍を吊るせ」「奇妙な果実にしちまえ」事件も「(一般黒人の信用を完全に失った)黒人公民権運動の残党」が今や「白人全員を奇妙な果実にしちまえ!!」と連呼する様になったのを模倣したに過ぎないと考えれば十分納得がいく。1970年代には本多勝一が「アメリカはインディアンと黒人が白人を皆殺しにするまで正常な国には戻らない(そしてその日はほどなくやってくる)」と主張していたのを思い出す。ある意味種は既に当時から撒かれていたのである。

とはいえ日本においてもまた「日本における悪事は全て在日か北朝鮮か中国の工作員が関与している」などと連呼している連中については同類の誹りを免れ得ません。アメリカ人なら「フランス人の同類かよ?」と言い出しかねない有様。そうフランスにもまた、すぐ「悪人は全てアフリカの元植民地から渡ってくる」と言い出す「大陸的悪癖」がしっかり根付いているのですね。「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー(Captain America: The Winter Soldier、2014年)」においても、とある海賊/国際的テロリストがフランス国籍である指摘がなされると、フランスのエージェントが即座に「そいつはアルジェリア人に決まってる!!」と決めつける場面がありました。あまり見習いたくないステロタイプではあります。

続きを読む

【北朝鮮】【韓国】「ブロイラーの赤眼鏡」とナショナリズム

f:id:ochimusha01:20170517113933j:plain

以前の投稿で「(「隔壁さえ落とせば民族的純度は保てる」と考える)半島・孤島型排外主義」と「(負けを認めたら確実に滅ぼされるので、敵対した相手は手段を選ばず敵を滅ぼし尽くそうとする)大陸型排外主義」について触れました。

概ね前者のケースにおいては「対話の成立」が、後者のケースにおいては「勢力の均衡」が無用な衝突を避ける鍵となります。しかしながら、ネット上での振る舞いに限るなら、不思議にしばしば真逆の展開を辿る事も。

*「対話の成立」の基調をなす国際協調路線も人道主義も貨幣数量説も、その起源はスペイン帝国サラマンカ大学まで遡る。派遣したコンキスタドール(Conquistador、征服者)がインディオを虐殺し、植民地から収奪した金銀の持ち込みによって欧州に価格革命を引き起こした当事国こそがまず真っ先にこの問題について悩まざるを得なかったし、その結果到達した「国際協調体制(ヴェストファーレン体制)」は、むしろその枠内に収められなかったフランス、スウェーデン(後にその座を帝政ロシアに譲る)、大英帝国プロイセンといった諸国に翻弄される羽目に陥ってしまうのだが。

勢力均衡(Balance of power) - Wikipedia

19世紀以降、欧州の国際秩序を維持するために各国間の軍事力に一定の等質性(パリティ)を与えることにより、突出した脅威が生み出されることを抑制し、地域不安や紛争の誘因を低下させることを目的として考案されたバランス型の秩序モデル。

  • これを特に国家戦略として用いたのが「大英帝国」と呼ばれた時期のイギリスであり、イギリスの基本的国益である独立と貿易の安定化のために、交易国たる小国の独立維持に積極的関心を強めた。イギリスは小国の独立を脅かす国はすべて敵国であるという姿勢で臨み、そのため、勢力均衡のためには自国の軍事力を高く維持するという独特な勢力均衡政策がとられたのである。

  • 19世紀のイギリス外相であったジョン・ラッセル勢力均衡について、ヨーロッパでは要するに数か国の独立を意味すると述べている。均衡関係とは必ずしも友好関係の有無やその程度を示すものではないが、このラッセルの認識は自国の存立や国益の確保のみならず、近隣諸国との相互に等質性そのものに意義を置いていることがわかる。

こうした考え方が安全保障の主流であった時代においては、世界における安全保障の中心はあくまで自国の国家、国民、領土、そして国益の確保を主な使命とする個別安全保障にあった。

勢力均衡の特徴として、一国ないしそれ以上の国々が革命的であれば逆に均衡維持が困難となる。何故ならそれは本来的には対立関係があることを前提として、対立が力関係を崩壊させることで戦争を発生させるシステムだからである。

国家間の勢力均衡が成立する要件としては、顕在的であれ、潜在的であれ敵対する国があることが第一の要件といえよう。

  • 国際的な協調体制のある地域では存在しない概念といってよく、このことから民族的・文化的・歴史的対立がそれを派生される可能性が指摘されている。

  • 不当な国に制裁を加えられる体制さえあれば勢力均衡の状態は生まれないといわれる。

戦前の歴史を見れば明らかな通り、勢力均衡は結局、戦争を食い止められなかった。こうしたことから、集団安全保障や協調安全保障といった新たな秩序体系が形成され、国際連合による集団安全保障体制が国際秩序の主流になっている。

  • 日本のネット上において「日本人が奪い尽くされ皆殺しにされ尽くすまで人類平等の理念は回復されない」式のプロパガンダに邂逅した日本人は、概ね多くが「対話は不可能。そして人道的に間違ってる相手に容赦はいらない」みたいな覚悟を決めて全面闘争モードにシフトしてしまう。
    *「半島・孤島型」は常にあらゆる状況において「一所懸命」であり「パーソナル・スペースの侵犯」に敏感だからそうなるとも。そして、それが分かってるから、こうしたプロパガンダは日本では表立っては行われない。

    f:id:ochimusha01:20170615032820j:plain

  • 国際SNS上の関心空間においては、上掲の様なタイプのプロパガンダに邂逅しても、割と「植民地出身者が宗主国について考えてる事なんて大体一緒。まぁ、だからずっと野蛮人のままな訳だけど(笑)」みたいな冷やかしを入れてあっさり流してしまうケースが大半。
    *「大陸型」は「不愉快な対象には最初から意識を傾けない(立ち去れる時は立ち去る)」が基本的態度なのでそうなるとも。アメリカ人は思うより「南米諸国の反米プロパガンダ」や「急進派黒人の白人皆殺し宣言」などで、こういう論調に慣れているのである。おそらくそれは「例え肉親や友人でもゾンビに変貌したら躊躇なく殺せる」乾いたメンタリティと表裏一体の関係にある。
    :: 3/22:ヒューマニズムの居場所 | HoneyDipped ::

こうした振る舞いは、コンラート・ローレンツ「攻撃(1970年)」「ソロモンの指環 動物行動学入門(1987年)」における「狼は狭い檻の中に一緒に閉じ込めておいても互いに殺しあわない。だが鳩はどちらか一方が死ぬまで殺し合う」という逸話を思い出させます。

続きを読む

【雑想】ますます「政治先進国化」が加速する韓国新政権が羨ましい?

f:id:ochimusha01:20170613054359j:plain

今でも日本には「韓国こそ日本よりはるかに先を行く政治的先進国」と絶賛し続けている人達がいます。

どうして「反安倍こそナチス」なのか。

f:id:ochimusha01:20170614045748j:plain

それは「あらゆる政治的経済的成果より(国民全体を統治下に置く為の大義名分を獲得する為の)党争における勝利」としたカール・シュミット政治哲学の「礼儀状態」理論や儒教的伝統に基づく「愚民に対する政治的エリート集団の独裁」を肯定した福本イズムの伝統に連なっているからである。
福本イズムが説いた「理論闘争によって,労働者の外部からマルクス主義意識を注入する必要性」の源流は「革命理論を教養として身につけた政治的エリートが、それを理解しない愚民を全面統治下に置くべき」とした民主集中制そのもの。そのさらなる起源はロシアやドイツの家父長的権威主義にあり、今日なおこれが日本のインテリ階層における「反知性主義は滅ぼすべき」理論の根底にあり続けている。

要するに、これらは全て「具体的な形で外交的経済的課題の解決を志向する政策政治が崩壊し、党争における勝利が最優先課題となった末期的状況」の産物だったのであり「今や日本は親安倍勢力と反安倍勢力に二分された。中間的立場は許されない」と扇動する「反安倍勢力」が志向するのもまた、こうした時代の再来なのである。

 確かに科学的マルクス主義の観点からすれば、韓国は「日本より何周も先に進んだ国」なのかもしれません。要するにそれは「より資本主義的矛盾の限界に近付いて崩壊が間近な国」という事。どうやら一部日本人にとってはそうした韓国の状況が羨ましくて仕方がないらしい模様。安倍政権に爪の垢を煎じて飲ませたい?

続きを読む

【ジェントルマン資本主義】イギリスの帝国主義化と大日本帝国の軍国主義化の思わぬ相似点

f:id:ochimusha01:20170611233516j:plain

はてなブログアクセス解析によれば、私のこれまでの投稿のうち「ジェントルマン資本主義(gentlemanly capitalism)」関連のものが安定して検索されている様です。そもそも、それは一体何だったのでしょう? 

本記事では、最初に「自由貿易帝国主義論」と「ジェントルマン資本主義論」のそれぞれの概要に関して記述した上で、それぞれの理論とその相違について言及してゆきたい。

それでは、まず「自由貿易帝国主義論」の概要に関して説明したい。「自由貿易帝国主義論」とは、20世紀半ばにロビンソン、ギャラハーの二人によって打ち立てられた理論であり、19世紀を貫いて存在した「自由貿易」による帝国主義(非公式な支配を多様した)という一連の連続性論である。ロビンソン、ギャラハーの二人は、その理論の中で、当時イギリス帝国が進めた自由貿易を通じた、東インド会社の統治によるインドや、19世紀の南アメリカ統治を事例として挙げ、「非公式帝国」という概念を用いて、イギリスの帝国主義の膨張について説明した。

この理論は、レーニンが提唱した「帝国主義」の理論を覆す内容であった。レーニンは、産業資本が蓄積(集積)されて、独占化した産業資本が生まれ、その独占化した産業資本と銀行資本が融合した金融資本が国内よりも高い利潤率を求めて植民地に資本輸出され、そこから超過利潤を獲得するという仕組みを説明し、1880年代から資本主義は、その最高の発展段階として帝国主義に移行していったと主張した。またそのさらに発展段階として、金融資本は国家と結びつき、国家に対して、資本輸出された地域を政治的に併合していったものとして、帝国主義を捉えた。そのような点で、ロビンソン、ギャラハー自由貿易帝国主義論は、「資本主義」が「帝国主義」を生み出すと捉えたレーニンの古典的帝国主義論を、覆すような内容であった。

彼らの理論の背景には、前述してきたような、これまでの伝統的な帝国主義論、とりわけマスクシストによる「帝国主義・19世紀末段階論」、また「帝国主義・経済要因(資本輸出)論」への強い不信感があった。彼らはまた、19世紀を「反帝国主義的な自由貿易主義の時代」と「帝国主義の時代」に2分する捉え方を批判し、そこに連続性を求めた。彼らは、そうした段階論の批判という文脈の中で、彼らは「19世紀末のアフリカの分割」に焦点をあて、「戦略論」、「現地の危機論」を生み出し、イギリス帝国は、周辺(現地の危機)に中心部(本国)の政治が巻き込まれていったとう解釈を展開した。また、ロビンソンはこれに関連し、帝国主義支配が可能かどうかは周辺側に現地協力者(コラボレーター)がいるかどうかであるという、周辺理論も展開させた。これに関して、具体的な事例を挙げるとすると、アフリカにおける植民地支配が争いの元となるボーア戦争や、インド統治が挙げられる。特に、19世紀後半から20世紀前半においてイギリスが推進した世界政策である3C政策の際の、3都市、カイロ(Cairo)、ケープタウン(Capetown)、カルカッタ(Calcutta 現コルカタKolkata)のうちの一つである、ケープタウン(Capetown)におけるオランダとのケープ植民地をめぐるボーア戦争は、まさに、周辺に中心部が巻き込まれていったという状況を指ししめていると言えよう。そのような理論の展開から、彼らは「自由貿易帝国主義論」として「自由貿易」と「帝国主義」の膨張の関係性を説明した。

次に扱う「ジェントルマン資本主義論」はケイン、ホプキンズによって打ち立てられた理論である。彼らはその理論の中で大きく以下二点について、強く言及している。一点目は、1699年の名誉革命の時から1850年までの次期においてイギリス政治経済の中で重要だったのは、資産資本家、いわゆる中産階級またはブルジョワジーと呼ばれる層ではなく、ジェントルマン(土地貴族階級)であったという点である。そして、二点目は、そのジェントルマン(土地貴族階級)たちは、1850年以降に、ロンドンのシティの金融サーヴィス部門の人々と結びつき、イギリスの政治経済をコントロールしたという点である。そのような文脈で、彼らは19世紀末でのイギリス経済構造の変化(金融・サーヴィスへの)と帝国膨張の間に強い因果関係があることを主張した。

彼らもまた、これまで構築された、イギリス帝国史観における「資本主義」「産業資本主義」「余剰資本」等の概念を払いのけ、理論の展開していった。彼らはインガムが主張したシティは単なる金融の中心地ではなくなり、商業・サーヴィスを中核とする、いわゆる「国際商業資本主義」の活動拠点であり、「帝国」と「シティ」の関係性を、より広域な世界的な商業的諸関係の一部としてみなす考え方をとった。

また彼らの理論の中で登場する、1850年以降の、ロンドンのシティの金融サーヴィス部門の成長については、C.リーが、その点の説明をしている。リーは英国の成長地域を3つのタイプに分類する。第一は、産業革命が始まったとマンチェスターランカシャーを中心とする繊維産業地域である。第二はウェールズと北部を中心とした鉱山業・金属加工業地域であり、第三は、ロンドンを中心としたイングランド南東部のサーヴィス産業地域である。リーが、成長の最も急速であったと注目したのは、第三の首都圏サーヴィス地域であった。こうしたイギリス経済は、非常に大きな統一セクターとしてのサーヴィス経済の存在と、他のいくつかの地域的なかつ、規模の小さい製造業経済の存在との、対極的かつ多元的な様相みせてゆくこととなる。彼の捉えたイギリス経済のシティと、他の周辺地域との関係性、「地域性」というのは、まさにケイン、ホプキンズが主張した「ジェントルマン資本主義論」の根底に根ざしている考え方と言えるであろう。

これまで、述べてきたロビンソン、ギャラハーらによる「自由貿易帝国主義論」とケイン、ホプキンズらによる「ジェントルマン資本主義論」の理論を比較して捉えると、後者である「ジェントルマン資本主義論」は、ロビンソン、ギャラハーが、「自由貿易帝国主義論」の中で主張した「非公式帝国」を発展させたものと言えるが、ロビンソン、ギャラハーが「周辺」にイギリス帝国拡大の要因を見出したのに対し、ケンズ、ホプキンズは「シティ」というイギリス帝国中枢にその要因を求めた点で、大きく異なると言えよう。ジェントルマン資本主義論では、そのジェントルマン(土地貴族階級)たちのシティにおける経済的、政治的活動を、その要因として捉えている。

以上をもって「自由貿易帝国主義論」と「ジェントルマン資本主義論」の概要及び、それぞれの理論の違いとしたい。

これまでの投稿内容と重ね合わせてみましょう。
大英帝国の功罪 Empire

f:id:ochimusha01:20170612002028j:plain

  • そもそも英国ジェントルマン階層の経済基盤は伝統的に羊毛輸出産業であり、17世紀以降は(砂糖成金)やネイボッブ(nabob、インド成金)がそれに加わった。16世紀と18世紀にピークを迎えた囲い込み(enclosure)も含め、ここまでが「英国式農本主義」の時代だったといえる。

    *英国政治史の興味深い点は、歴史のこの時点において既に責任内閣制の萌芽が見て取れる辺り。それは「国王元気で留守がいい」伝統の産物でもあった?

  • こうした「国保守勢力」に反旗を翻したのがマンチェスターやランカスターを中心とする(機械式工場制に基づく綿織物の大量生産に成功した)新興産業階層で「1850年以降のジェントルマン階層の金融シフト」は、自由貿易を志向する彼らに対する「保護貿易既得権益として甘受してきた地主層の政治的敗北」を契機としている。
    *ここで興味深いのが「マンチェスターが歴史的経緯からオランダ系移民を大量に迎えた地域」だったという事。そこに最初から「発想の差異」が派生したという考え方。

    *(東インド会社がもたらす)キャラコの禁輸は、むしろマンチェスターの「キャプテン・オブ・インダストリー」達に勝機を与えたといわれている。

    *フランス絶対王政下における宮廷料理改革(地中海沿岸地方から輸入される高級香辛料からの脱却)、および江戸幕藩体制化下における木綿・生糸/絹織物・砂糖の国産化に対応するプロセスとも。

    *ただし、こうした軽産業の黄金期がそのまま続いた訳ではない。

  • そして大英帝国は「ロンドンのシティの金融サーヴィス部門の成長」を中心とする「国際商業資本主義時代(19世紀後半〜20世紀初頭)」に突入する。ユーラシア大陸全体を舞台にロシアとの間に「グレート・ゲーム」が展開した時代。自由党アイルランド独立問題に振り回されて自滅する一方、英国保守党が南アフリカボーア戦争1880年〜1902年)を泥沼化させ、大英帝国そのものを衰退させていった時代。

    *ここまでの英国史を「スペインを商業上の仮想敵と設定しつつ、オランダとの関係清算を図ってきた」と要約する向きもある。

    ボーア戦争に取材したホブスンの「帝国主義論(Imperialism: A Study、190年)」は、そこに「(帝国の介入を待望する)植民地の冒険商人や現地入植者と(内政面の行き詰まりを華やかな海外進出によって隠蔽したがる)内地政治家の不誠実な同盟が帝国のリソースを恣意的利用によって食い潰していく政治的犯罪行為」を見出した。その現実に根差したリアリズムと異なり、何の根拠もなく「資本はその基本的な性質に基づいて拡大再生産を繰り返しながら膨張する。それが集中と独占をもたらし、金融資本が産業資本と融合した寡頭的支配、すなわち帝国主義的段階に入ると腐敗が加速し最終的には死滅する」と決めつけたレーニンの「資本主義の最高段階としての帝国主義(1917年)」は、まさしく総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)の徒花に終わる事になった。

    *やがて国際金融の中心地はロンドンからニューヨークに推移。日英同盟(1902年〜1923年)に基づいて日露戦争(1904年〜1905年)を戦った大日本帝国が、その一方でロンドンにおいて戦争借款を断られ、ニューヨークでそれを獲得した時期が一つの転回期に当たっている。

こうして見返すと「関東軍革新官僚に引き摺られる形で戦争の泥沼へと突入していった)大日本帝国末期の軍国主義」って、実は「東インド会社や「アフリカのナポレオン」セシル・ローズに牽引される形で本国を衰退に向かわせた)英国型帝国主義」と数多くの共通点を抱えている気がしてきます。

*この見立てにおいては「(フランス革命を途中から乗っ取って恐怖政治を敷いた)ロベス・ピエール率いるジャコバン派=(ロシア革命を途中から乗っ取って民主集中制を完成させた)レーニン率いるヴォルシェビキ=(ヴァイマル共和制が独裁化し強権体制化していく過程を途中から乗っ取った)ヒトラー率いるナチス=(昭和維新を途中から乗っ取って総力戦体制を完成させようとした)大日本帝国革新官僚」といった重ね合わせが成立する。ただし大日本帝国におけるそれは、他と比べて恐ろしく「完成度」が低かったとも。

案外重要なのは戦中期の1943年時点において、食糧増産計画が一向に進まない事に業を煮やした軍部が「農地国有化」計画を打ち出したところ、「聖戦(日中戦争と太平洋戦争)遂行は、自らの既得権益を守り抜く為の戦い」と認識していた農民層の猛反発を食って即日撤回と謝罪に追い込まれたエピソードかもしれない。

  • 当時の日本には確実に戦争の泥沼化を(満州国で着実に成功を収めつつあった)ソ連型経済に移行する好機と見て取った人間もいた。

  • しかしながら、そうした発想は開拓民や兵士の供給階層だった当時の日本農民の逆鱗に触れ、決して遂行を許されなかったのである。

ちなみに戦間期に日本を訪れたナチズムを熱狂的に支持するオーストリア人ジャーナリストは、日本がまだまだ自由主義経済の痕跡を完全に払拭出来ないでいる事に衝撃を受けている。大日本帝国は「ナチス・ドイツ基準において全体主義国家のあるべき姿を全くといってよいほど体現していなかったのであった。
*この事実が現代日本人にもたらすのは「希望」なのか「絶望」なのか…

そういえば戦時下の大日本帝国においては、英国東インド会社に関する研究書が禁書扱いにされました。当時の大本営が最も恐れていたのは、このファクターからの批判だったのかもしれません。

グローバリズム・リージョナリズム・ナショナリズム⑦ 「グルメ漫画」の起源について

f:id:ochimusha01:20170611095812j:plain

グルメ漫画」の起源は、一般に以下とされています。

ある意味、それは総力戦時代(1915年代後半〜1970年代)に進行した「食の工業化の進行」に対する(総力戦時代における「国家間の競争」構図の衣鉢を継承した)産業至上主義時代(1980年代〜1990年代)なりの反動として始まったのかもしれません。

同時期にはフランス料理の世界があえて(差別化の難しい)ドミグラスソース(sauce demi-glace)を捨て、フォン・ド・ヴォーから多種多彩なブラウン・ソースを生み出す道を選んでいます。また(慢性的食糧不足に苦しめられた第二次世界大戦下における「量感とこってり感以外の満足感」の追求に端を発する)ヌーベル・キュイジーヌが「素材の味を最大限に生かす」原点回帰の発想から日本の寿司に国際的評価を付与しています。

フランス料理におけるこうした志向性は明らかに「距離のパトス(Pathos der Distanz)の回復」すなわち「伝統的高級感回復の為の常食との差別化」を目指す内容だったのですが、それなら日本の「グルメ漫画」の目指した方向とは一体どういうものだったのでしょうか? 単純に「和食ナショナリズム」に収斂していく流れではなさそうな辺りが興味深いのです。

続きを読む

グローバリズム・リージョナリズム・ナショナリズム⑥ 「反安倍こそナチス」なる冷徹な現実

実は、調べ込めばれ調べ込むほど「ジャコバン派の恐怖政治がフランス革命を乗っ取っていったプロセス」と「ロシア革命ボルシェビキが乗っ取り民主集中制を確立していったプロセス」と「ナチスヴァイマル共和制を乗っ取っていったプロセス」と「大日本帝国軍国主義一色に染まっていったプロセス」の共通項を意識せざるを得なくなっていくものなのです。

f:id:ochimusha01:20170601000850j:plain

それもその筈。これらの歴史展開は、それを型抜きした外的状況そのものがかなり似通っていたのでした。

続きを読む

グローバリズム・リージョナリズム・ナショナリズム⑤ 日本人と肉食の関係史

f:id:ochimusha01:20170608081535j:plain

食の世界における「距離のパトス(Pathos der Distanz)問題」、あるいは「格式問題」。その重要な鍵の一つは「肉食」の扱いだったりします。

  • 王侯貴族は(軍事訓練を兼ねた)狩猟や(その成果物たる)狩猟肉の配分権を独占したがるものである。古代中国においても「貴族(王侯階層や士大夫階層)」の原義の一つは「肉の常食者」、「礼」の原義の一つは「臣民に対する適切な肉の配分」であった。

    Zorac歴史サイト - 狩猟
    貴族の必須科目:狩猟 : ルネサンスのセレブたち

    f:id:ochimusha01:20170608075103j:plain

    *一方「菜食主義者」の生活を強要される前近代の領民は国際的に、老いるのが早かったという。畜産が盛んだとハムやソーセージやチーズといった加工品の流通、(ブリテン島における)週に一度のローストビーフ供給、家禽料理などによって補われるケースも出てくるが、その場合でも最高級は(王侯貴族が常食し、祝祭の場で臣民に下賜する)ジビエ(狩猟肉)というイメージは保たれた。

    *ここで興味深いのが「(地産地消形態でないと鮮度確保が難しかった)田舎の食材」牛乳と玉子に対する近世以前の「格式」の低さで、実際「市場で買ったら腐ってた」ネタが大量に残っている。この問題を最終的に解決したのは産業革命導入期における冷蔵技術の飛躍的発展であった。

    *ここでいう「生鮮品ナショナリズム」と中央秩序浸透の関係については、名優スティーブ・マックイーンの遺作「トム・ホーン(Tom Horn、1980年)」が実に巧みに描いていた。西部開拓時代の終焉期に実在した賞金稼ぎの物語。鉄道網が発達し開拓地でも「新鮮なロブスター」が食べられる様になると「無法者」と一緒に「(それを狩る)賞金稼ぎ」も社会に居場所をなくしていくのである。戦後日本においても生卵が「闇市で取引される高級品」から「庶民の常食」に変貌していく過程は「裏社会の流通網からの駆逐」と軸足を一つにしていた。

  • その一方でインド文化圏においては(下層階層に高潔さをアピールする為)まずはバラモン階層(聖職者)、次いでクシャトリア階層(為政者としての王侯貴族)が「肉断ち」をステイタス・シンボルとした。

    *こうした意味での菜食主義は仏教ヒンドゥーにも継承されていく。またジャイナ教徒はジャイナ教徒で独特の「アヒンサー(非殺)文化」を発展させてきた。
    インドベジタリアンワールド(印度野菜主義)
    テイスト・オブ・インディア13 インドのベジタリアンについて

    *さらには徳川幕藩体制化における江戸の様に(スノビズムから精進料理を受容した)新興産業階層ばかりか(鮮魚流通網が確保され、醤油というこれにピッタリ合う調味料が大量生産された事により)庶民まで肉食を捨てたケースも見受けられる。そして、いずれにせよこうした志向性は「肉断ち」と無縁な「粗野な田舎者」への軽蔑に向かったのだった。

    f:id:ochimusha01:20170608075746j:plain

  • 大日本帝国が遂行した「富国強兵政策の一環としての肉食奨励
    *欧州啓蒙君主達が飢饉回避と人口増加を企図して遂行した「馬鈴薯食推奨」の流れに連なる。

    福澤諭吉 肉食之説(1870年)

    古來我日本國は農業をつとめ、人の常食五穀を用ひ肉類を喰ふこと稀にして、人身の榮養一方に偏り自から病弱の者多ければ、今より大に牧牛羊の法を開き、其肉を用ひ其乳汁を飮み滋養の缺を補ふべき筈なれども、數千百年の久しき、一國の風俗を成し、肉食を穢たるものゝ如く云ひなし、妄に之を嫌ふ者多し。畢竟人の天性を知らず人身の窮理を辨へざる無學文盲の空論なり。

    抑も其肉食を嫌ふは豚牛の大なるを殺すに忍びざる乎。牛と鯨と何れか大なる。鯨を捕て其肉を喰へば人これを怪まず。抑も生物を殺すときの有樣を見て無殘なりと思ふ故乎。生た鰻の背を割き泥龜の首を切落すも亦痛々しからずや。或は牛肉牛乳を穢きものといはん乎。牛羊の食物は五穀草木を喰ひ水を飮むのみ。其肉の清潔なること論を俟ず。

    よく事物の始末を詮索すれば世の食物に穢き物こそ多からん。日本橋の蒲鉾は溺死人を喰ひし鱶の肉にて製したるなり。黒鯛の潮汁旨しと雖ども、大船の艫に附て人の糞を喰ひし魚なり。春の青菜香しと雖ども、一昨日かけし小便は深く其葉に浸込たらん。

    或は牛肉牛乳に臭氣あるといはん乎。松魚の鹽辛くさからざるにあらず、くさやの干物最も甚し。先祖傳來の糠味噌樽へ螂蛆(うじ)と一處にかきまぜたる茄子大根の新漬は如何。皆是人の耳目鼻口に慣るゝと慣れざるとに由て然るのみ。

    慣れたる物を善といひ、慣れざる物を惡しといふ。自分勝手の手前味噌だに嘗る其口へ、肉の「ソップ」が通らぬとは、あまり不通の論ならずや。或は又肉食の利害損失を問はず、只管我國の風にてこれを用ひずとの説なきにあらざれども、今我國民肉食を缺て不養生を爲し、其生力を落す者少なからず。即ち一國の損亡なり。 
    *おそらく国際的に見ても「食のグローバリズム」を擁護した最も過激な檄文の一つであろう。しかもそれは「菜食主義」や「和食至上主義」を切り捨てる内容だった。

    f:id:ochimusha01:20170608081001g:plain

    *そして「肉」と「馬鈴薯」が合体すると「肉じゃが」「カレー」「シチュー」に。限りなくグローバリズムに接近したナショナリズムの産物。

    f:id:ochimusha01:20170608083012j:plainf:id:ochimusha01:20170608083046j:plain

    f:id:ochimusha01:20170608083200j:plain

日本料理の歴史が複雑怪奇な展開を辿ったのも当然。なにしろ「ナショナリズム(中央文化至上主義)とリージョナリズム(地域文化至上主義)の対峙」を背景に「近代以前に国民統合と身分制維持の役割を担ってきた食習慣」から「近代以降、国民国家間の競争を支えてきた食習慣」への乗り換えが遂行されてきたのですから。

続きを読む