諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【産業至上主義時代】「夜を越えていく流星のサドル」から「決して超えられない夜」へ。

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実際にはコラ画像だったらしいですが、Twitter界隈が大いに盛り上がったので多めに見られている様です。時速18万キロ、マッハ147、光速の50%…

とっさに思い出したのがこの曲。「傷つく勇気があればいい、ゴールなんてなくてもいいのさ。風を掴もう」「風や夜のDestination(目的地)、変わる景色の誘惑は生まれたばかり、空の道に落ちて消える星はその胸に」「抱きしめたい君を惑わせるもの。誰かの神話なんて信じないのさ、自分の夢だけあればいい」といったパワーワードが連呼されます。ある意味1980年代を席巻した「青春搾取(Youth Exploitation)コンテンツ」の代表作の一つ。

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【思考実験】科学実証主義からトンデモ理念が派生する流れ

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ざっくり要約すると、実証科学の一分野としての社会学の世界においては原則としてあくまでそれぞれ「方法論的集団主義」も「方法論的個人主義」も仮に選んだ前提に過ぎず、双方の立場ともそこから導出された分析結果を自分の立場から再構築して取り込んでいきます。これは心理学の分野における「自我心理学」と「対象心理学」の関係と同じで「信頼出来るデータは共有」「解釈はそれぞれ異なるが論争に耐えるだけの理論武装は互いに欠かさない」といった感じ。まぁ実際にどれだけ上手くいってるかはともかくとして、理想としてはそうものなのです。

例えば私のこの考え方。

  • コールバック制御による空ループの連鎖」による水平展開と「空ループ内に記述された他ループとの関係定義の垂直展開」の二軸構成。
    ES2015 の機能を使用したイベントフローの制御 – monoe's blog

  • ここで「垂直展開」というのは、その振る舞いが空ループ自身の「外部認識の解像度」に著しく左右されるからである。低解像度過ぎると入出力も挙動も御伽噺めいた極端な形を取る事が多くなって実用性を欠き、その逆に高解像度過ぎると処理限界を超えてオーバーフローを起こしてしまう。そういったファクター。

    識別と認識 - 必要な解像度 | Axis Communications

  • つまり「適切な内部構造」「適切な入出力」「適切な解像度」が揃ってはじめてここでいう「空ループ」は正常動作する。

    ならば誰が如何なる基準に基づいて「適切」と判断を下すのか? この辺りから問題が急速にメタ性を帯びてくるのである。

ちなみにここでいう「空ループ」は全て実体としては「メモリ上に置かれCPU(群)によってハンドリングされるオブジェクトの集合」に過ぎず「実際の入出力(HDDや通信機器を含む外部デバイスとの交信)」は全てそれぞれの空ループがインターフェース経由で行うものとする。こうすれば既存のコンピューターのアーキテクチャーがほとんどそのまま流用可能となるのである。

システム全体を「ある特定の人物の認識空間」と想定すれば「(対象心理学寄りの)個人心理モデル」。各空ループを個人に割り振れば「心理社会学モデル」、社会学的諸概念に割り振れば「社会学モデル」となりどの立場からでもそれなりの形で利用可能。まぁ事実上、一般的コンピューターの動作概念を、ほぼそのまま転用してきただけですから汎用性が高いのも当たり前。
*このモデルの最大の特徴は「解像度」概念導入によって「知人とは温厚な会話が成立するのに、ネット上のアカウントに対してはつい荒い反応をしてしまう人」が理論上扱えそうな辺り。しかもそのノウハウは「方法論的個人主義」の分野だけでなく「個人心理分析」「方法論的集団主義」といった異分野とも共用されていく可能性を秘めている。逆を言えばこの部分のインプリメントこそがシュミレーターとしての質を決定する。

*その一方で「(外部からの特定の刺激に対して脳の特定の部位が活性化するという)クオリア仮説」や、これに立脚する生理学的象徴主義仮説は専用のソフトとハードのアーキテクチャーの設計が不可欠でこうした汎用性がありませんし、実際に稼働する現実的モデルを構築する為のデータ蓄積も十分に行われているとはいえない。この違いはどうして生まれたのだろう?

そして問題はこうした「仮説に基づく解釈」がしばしば流出して「科学的裏付けがある強固な理念」として世に流布してしまう事だったりするのです。

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【一神教と多神教】「真の境界線」は一般に思われてるのと随分違う?

諸般の事情により、日本において唯一神的神格を付与された「ムスビの神」。

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日本神話への誘い~日本の神々に出会う物語~【オオクニヌシの国造りと国譲り】

しかし実はこうした展開は何も日本でだけ起こった訳ではない様なのです。

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ハチ「砂漠の惑星」が示唆する2010年代後半のサバイバル術③ 「夜は超えられるものでも、超えるものでもない」 ?

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以下の投稿では「幼女化した眠り姫」と「ドアを外からノックする現実」を対比させてみました。国際SNS上の関心空間に滞留する女子アカウントが「選考」し「発展」させてきた2010年代独特の世界観。
*古典的物語文法においては、この種の「眠り」は死の暗喩でもあった。だが彼女達のイメージする「惰眠」にそうした暗さは一切存在しない。

実は「アナと雪の女王(Frozen、2013年)」における壮大な引き籠り賛歌「ありのままに(Let it go)」と「ドアを外からノックする現実のプレゼンテーション」ともいうべき「雪だるま作ろう(Do You Wanna Build a Snowman?)」の対比もこの構造と相似形にあったりするのですね。
*ただし呼び掛ける当人こそが「日常の裂け目=全てのトラブルの原因」なのに無自覚というかなりの特殊例。まぁ事態をさらに悪化させたハンス王子を連れてきたのもアナだし。彼女達は「米国製コンテンツより和製コンテンツの方が私達の気持ち分かってる」というが、日本は「ハローワークいこう」みたいな替え歌も流行しちゃう国だったりして決して単なる「楽園」ではない。



*こんな酷い替え歌まであったんだ…

ところで元話の「眠り姫」は①無理矢理起こされて②目を醒ますと後は放っておいてもずっと起きている、といった具合。だけど彼女達は①ちゃんと説得されて自分でも納得がいかないと絶対に目を醒まさない。②安眠を妨げる「日常の裂け目」を繕い終えるとまた寝に戻ってしまう、を基本ルーチンとしています。日本の様に「ニート叩き」に陥らないのは「幼女化して本当に心地よいものだけに囲まれて眠る眠り姫」なるファンタジーが「現実の世界においてはそれなりにきっちり現実に対応出来ているし、体が勝手に動いてそうしちゃう自分への自己嫌悪」と表裏一体の関係にあるからとも。
*そういえば河原礫「ソードアート・オンライン」はシリーズ化して以降、キリトやアスナが交代に「眠り姫」役をつとめ「クリスハイト」菊岡誠二郎が「ドアをノックする役」を一貫して努めてきたという分析もある。このせいで「ハイト×キリト」みたいなBLジャンルも誕生?

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*もしかしたら「眠り姫VS現実」なる図式、並列処理を可能とする「(コールバック制御によって連鎖する)割り込み処理の最中以外はアイドリング状態を続ける無数の空ループ集合」なる概念とも相似形にあるのかもしれない。そして
この世界観なら特別に「外側」や「絶対他者」といった概念を新たに定義する必要はない。原則地して全ての空ループにとって他の空ループ全てが「他者」なのだから。まぁ実際にはさらにその「外側」も存在する訳だが…

ただしどうやら世界をこういった具合に「自分(インナースペース)」と「他者(現実)」を対比させる図式で描かない米津玄師(ハチ)のアプローチはまた異なる様なのです。

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【距離のパトス】「ジャスミンの香り」の挑戦。

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これまでの投稿で述べてきた様な「距離のパトス(Pathos der Distanz)の再建」とは商品市場レベル、それも「縦方向」においてはぶっちゃけ「飛ぶ様に売れる高級品の開発」の事を指します。

最近の中国もようやくこういう話に混ざってこれる様になりました。

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【インフルエンサー・マーケティング】その国際的流行が中国に波及?

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これ米国産SNSで実施され「(スコア上位を独占すべく)WASP層や男性優位主義者がネット上で自警団を組織して非WASP層や女性のハイランカーを襲撃して回る様になった」最悪の展開の前轍を踏む流れになりそうな予感がしてなりません。

しかしどうやら日本のマスコミは「中国の試みなら間違いない」なる姿勢を崩さない模様。皮肉にも現在の中国は「共産主義の見本」どころかむしろ(良い意味でも悪い意味でも)資本主義圏を超える勢いで「剥き出しの資本主義」が荒れ狂ってる国。だからこそ、こうした展開の評価は慎重に行わねばならない筈なのですが「共産主義は正しいことしか実践しない」なる共同幻想に今日なお執着し続ける彼らに、そういう観点からのアプローチは全く期待出来ない様です。

*「剥き出しの資本主義」…産業革命導入が進んでいた19世紀後半のロンドンにおいて「フレーバーティーの一種であるアールグレイ紅茶の流通量が実際の輸入量の倍にも達している(安物では混ぜ物の方が多い)」「白パンの価格競争が原料に石灰まで混ぜる文化を生んだ」恐るべき現実に直面したカール・マルクスは「こんな節操のない競争に興じる経済体制なんて間も無く自滅する!!」と断言した。今や高度成長期独特のこうした猥雑な雰囲気は欧州よりアメリカ、日本より中国が体現しているという話。

 

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【雑想】21世紀の「退廃芸術展」?

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ああ、この感じ既視感があると思ったらナチス・ドイツ時代の「退廃芸術(Entartete Kunst)展覧会(1937年)」かぁ。

退廃芸術 - Wikipedia

なぁにスローガンやキャプションの併記によって印象などどうでも操作出来るもんさ」みたいな考え方なんですかね?

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