この当時の「エロ担当」辻真先といえば、「ウイグル無頼(1972年〜1973年)」の横山光輝とタッグを組んだ「戦国獅子伝(1972年〜1973年)」も思い出すべきでしょう。
揃って背景に新左翼的ニヒリズムを感じるし、そういうのが格好良いとされていた時代なんですね。その幻想が政治的には「山岳ベース事件(1971年〜1972年)」や「あさま山荘事件(1972年)」で跡形もなく木っ端微塵に吹き飛ばされてしまった訳です。
以前から1970年代前半の日本アニメ「キューティーハニー(1973年)」「魔女っ子メグちゃん(1974年〜1975年)」が醸す独特の時代的雰囲気の起源が把握出来ずモヤモヤしてきました。例えば音楽面に目を向けても「グループ・サウンズの完成形」という側面、ゴーゴーや海外におけるローズ・ピアノ&ロータリー・スピーカー・システムの流行の大胆な導入…「これまで誰も見た事がない様な新しい作品を創る」という当時のスタッフの意気込みだけはひしひしと伝わってくるのですが…
魔女っ子メグちゃん(1974年〜1975年) - Wikipedia
当時を知る重要なキーマンの一人は「キューティーハニー」にも「魔女っ子メグちゃん」を含む東映魔女っ子シリーズにも脚本家として参加している辻真先大先生かも。
続きを読む「1970年代と1980年代の狭間」というと、以下についての言及が避けられません。
西遊記 (1978年のテレビドラマ) - Wikipedia
厳密には『西遊記(1978年)』と『西遊記II(1979年)』はシリーズ番組ではなく、それぞれ別番組であり、パート1とパート2は、第1シーズンと第2シーズンであるというわけではない。放送当時、シリーズ化も検討されたが、製作費の高さとキャストの多忙により実現しなかった。
製作は日本テレビと国際放映。特撮はパート1では円谷プロダクションが、パート2では東宝映像が協力した。1978年から全26話が放送され、好評をうけて1979年にパート2(全26話)が製作された。いずれも日曜日の20時から放送。
タイトルの通り、中国で16世紀前後に書かれた古典小説『西遊記』を題材としており、芥川隆行が各話の結びで語る「それはまた次回の講釈で」は原作の文言をもじったものであるが、大半の内容は『西遊記』や『平妖伝』などの複数の古典から翻案したもので、オリジナルドラマである。
国内・国外にて何度も再放送が行われ、音楽を担当したゴダイゴとともに人気を博した。2006年9月27日に『西遊記 DVD-BOX 1』、同年11月22日に『同 DVD-BOX 2』が発売された。イギリスでは英語版DVDがリリースされている。
Youtubeから翻訳版OPのリコメンドを受けて思い出しました。
*今日聞き直すと、想像以上に「黒い」。確かにアース・ウィンド・アンド・ファイアー(Earth, Wind & Fire、1969年〜)と同時代の音楽という手応えを感じる。
そしてこのED曲…
長い間「They say it was in India(それはかつてインドにあったといわれている)」を「It may be in only Idea(「それは理念上にしか存在していないのかも」あるいは「それが唯一の選択肢であっても良い」)」と空耳してました。実際、そういう内容でもありますし。
そのうち詳しく論じてみたいと思います…
ネットで関連情報を検索してたら執拗に引っ掛かってくるので紹介。
堀越耕平「僕のヒーローアカデミア(2014年〜)」に登場する「インビジブルガール(透明少女)」葉隠透(はがくれとおる)ですね。日本のフェミニズム勢はこれについて、どんな反応を示しなさるやら…
私は「おまえを夫にー、貰う前にー、読ませておきたいー、漫画があるー」つって萩尾望都『ポーの一族』を与えたのだけど、まるきり読んでもらえず、先日、宝塚歌劇でようやく修了させました。理解されるとかされないとかでなく「結婚生活と天秤にかけるものではないのだ」という認識が大事なのだよね。 https://t.co/xJLvVTvjAg
— 岡田育10.17大阪 / Iku Okada (@okadaic) September 27, 2018
続)この話もう五億回くらい書いてますけど、私が『ポーの一族』を読んだのは、親戚のおねえさんたちが「私たちはもうお嫁に行くから、あげるわ」と蔵書をごっそり譲ってくれたからなんですよね。美しい話でしょ。でも私は次の世代だから、譲られたものを全部持って行ける結婚がしたいと思っていたよ。
— 岡田育10.17大阪 / Iku Okada (@okadaic) September 27, 2018
続)ちなみにその親戚のおねえさんたち、テレビアニメ見せて子育てしながら、ばっちりオタクに出戻っていたので、まるで不幸な話ではないです、ご安心めされよ。
— 岡田育10.17大阪 / Iku Okada (@okadaic) September 27, 2018
自分から強請ったわけではないのですが、大叔父の別荘に遊びに行って、滞在期間中ずっと24年組ずらりと揃えた本棚のある部屋から出て来なかったんですよね私……オタク女はみな菅原孝標女……。今ちょうどこの女同士の「何かを奉らむ」継承についての原稿を書いております。https://t.co/UmuJxaMLRD
— 岡田育10.17大阪 / Iku Okada (@okadaic) September 27, 2018
続)母は娘に実用的な金品や知識を授ける。同じ階段のさらに一段上を指し示す。では「母ではない」我々は、次世代の自分によく似た娘たちに、何を遺せるのか……? というような長い長い原稿をうんうん唸りながら書いております。多分それは「ハジの多い人生」の、ハジ。ちゃんと形にできるとよいな。
— 岡田育10.17大阪 / Iku Okada (@okadaic) September 28, 2018
すると親戚の叔父さんからエドモンド・ハミルトン「スターウルフ(Starwolf)シリーズ(1967年〜1971年)」やニール・R・ジョーンズ「ジェムスン教授シリーズ(1931年〜1951年)」やハル・クレメント「20億の針(Needle、1950年)」「重力の使命(Mission of Gravity、1954年)」「テネブラ探検隊(Close to Critical、1964年)」、要するに早川SF文庫最初期ラインナップを継承した私は後世に何を伝えればいいんでしょう?
スターウルフ(Starwolf)シリーズ(1967年〜1971年) - Wikipedia
SF作家エドモンド・ハミルトンによるスペースオペラ小説のシリーズ。
*歴史上はパルプマガジン衰退期(1940年代〜1950年代)の粗製乱造によってすっかり読者が離れてしまったスペースオペラ世界の再建を試みた「異色作」の一つと位置付けられる。
- The Weapon from Beyond (1967年)…日本語訳『さすらいのスターウルフ』(野田昌宏訳、ハヤカワ文庫 SF1、1970年8月31日)
- The Closed Worlds(1968年)…日本語訳『さいはてのスターウルフ』(野田昌宏訳、ハヤカワ文庫 SF29、1971年6月30日)
- World of the Starwolves(1968年)……日本語訳『望郷のスターウルフ』(野田昌宏訳、ハヤカワ文庫 SF46、1971年12月31日)
日本語版の表紙イラストは旧版は斎藤和明、新版は横山宏。第4巻『Run Starwolf 』は、ハミルトンが1977年2月1日に執筆途中で死去したために未完の絶筆となってしまった。
原作版ストーリー
高重力惑星ヴァルナで生まれたヴァルナ人はすべて、驚異的な敏捷性と怪力、強靭な肉体をもち、凶悪無比の略奪行為を生業としていた。彼らは「スターウルフ」(宇宙の狼)と呼ばれ、全宇宙で忌み嫌われ、恐れられていた。地球人でありながらヴァルナで生まれ育ったモーガン・ケインは、スターウルフの一員として悪徳の限りを尽くしていた。だが、分け前をめぐるいざこざから、仲間の一人を殺してしまう。かつての仲間は、ケインを裏切り者と呼び、彼を殺そうとする敵となった。
傷を負いながらも、宇宙船で辛くも逃走したケイン。だがその宇宙船も破壊され、ケインは宇宙服を着込み、単身で船から脱出する。
宇宙空間を漂流するケインを拾ったのは貧しき惑星、地球の外人部隊の宇宙船だった。外人部隊のリーダー、ジョン・ディルロは、一目でケインの正体をスターウルフであると見抜いた。だが、ディルロはケインを殺さず、そのまま連れて行くことにした。ウルフの手口を知っているケインが傭兵の仕事に役に立つと考えたのだ。
こうしてケインは、ディルロ以外には素性を隠したままで外人部隊の一員となった。そしてスターウルフたちも、仇であるケインを追い続けているのだ。
特撮テレビ番組「スターウルフ(1978年)」
英語版が作られ「逆輸出」された。
Star Wolf (TV series) - Wikipedia
エドモンド・ハミルトンの小説を原案として、1978年(昭和53年)4月2日から同年9月24日まで読売テレビ制作、日本テレビ系で毎週日曜日19:00 - 19:30に全24話が放送された、円谷プロダクション製作、三洋電機グループ(現・パナソニックグループ)提供の特撮テレビ番組。
円谷プロ創立15周年を記念して製作された本作品は、映画『未知との遭遇』や『スター・ウォーズ』のヒットをはじめとするSF映画ブームを反映して企画された。特撮監督佐川和夫、視覚効果中野稔らによる宇宙戦の描写は当時のテレビ特撮としては最高の映像とされる。
監修に宇宙ロケット工学の糸川英夫を迎え、対象年齢を高めに設定、1クールごと完結の連続ドラマの体裁をとり、映像表現やストーリー展開に数々の新機軸を盛り込むというそれまで日本になかったタイプの本格SFドラマとしてスタートしたものの人気は低迷。
第14話より『宇宙の勇者 スターウルフ』に改題し、コメディーリリーフとしてロボット(コンパチ)を登場させたり、18話以降は一話完結のわかりやすいストーリーにするなど、対象年齢を下げた路線変更を行ったものの奏功せず、当初の予定(4クール)を大幅に下回る全24話で終了した。
“SFという言葉は古い”という糸川によって、宇宙飛行士を意味する「アストロノート」にちなんだ「アストロノーティカドラマ」という新語が作られ、「アストロノーティカシリーズ」と謳った。
TV版ストーリー
宇宙の略奪集団ヴァルナ星の戦闘部隊ウルフアタッカーが地球を襲撃した。その作戦行動中、アタッカーのエースで「スターウルフ」の異名を持つモーガン・ケンは、僚友であり恋人の兄でもあるスサンダーを己の逡巡が招いたトラブルから過って射殺してしまう。これによりケンは裏切り者としてウルフアタッカーから追われる立場に一転する。かつては恋人であったリージャも兄の仇としてケンの命を狙う。
間一髪で脱出には成功したものの、宇宙服一つで宇宙空間を漂うこととなったケンは、地球の傭兵集団スペース・コマンドの宇宙船、バッカスIII世号に救助される。だが、ケンの不審な態度にスペース・コマンドの面々は疑惑の目を向けはじめる。しかしキャプテン・ジョウはウルフアタッカーの地球襲撃によって妻子を喪ってしまった中、ケンの正体を察しながらも彼をかばい、スペースコマンドの一員として迎え入れる。
ジェムスン教授シリーズ(1931年〜1951年) - Wikipedia
第1作はアメージング・ストーリーズ 1931年7月号に掲載された "The Jameson Satellite"(日本語題「機械人21MM-392誕生! ジェイムスン衛星顛末記」)。ニール・R・ジョーンズの名が知られるようになった出世作でもある。
*パルプマガジン黄金期(〜1930年代)に登場し、衰退期(1940年代〜1950年代)を経て「単行本の時代(1960年代〜)」にはアンソロジー集として復活。まさしくラブクラフトの「コスミック・ホラー短編小説」が「クトゥルー神話アンソロジー集」へと変遷していった流れに合致。ジェイムスン(機械人としての名前は 21MM-392)は、1931年から 1951年までの21作品の主人公として登場し、ジョーンズが執筆活動をやめたとき、未発表の作品が9本存在していた。1960年代後半、エース・ブックスの編集者ドナルド・A・ウォルハイムは、ジェイムスン教授シリーズを5冊の単行本として出版した。これには未発表の2作品が含まれている。日本では、このうち4冊が野田昌宏によって翻訳されており、それがジョーンズの日本語訳の全てとなっている。ジョーンズの作品は、ジェイムスン教授シリーズが30作品(うち6作品は未発表)で、他に21作品がある。
◎二重太陽系死の呼び声(The Plannet of the Double Sun、1967年) 野田昌宏訳の日本語版1972年
- 機械人21MM-392誕生! ジェイムスン衛星顛末記 (The Jameson Satellite、アメージング・ストーリーズ、1931年7月、1956年4月にも再掲載)
- 奇怪! 二重太陽系死の呼び声(The Planet of the Double Sun、アメージング・ストーリーズ、1932年2月、1962年11月にも再掲載)
- 仇討ち! 怪鳥征伐団出撃す! (The Return of the Tripeds、アメージング・ストーリーズ、1932年3月)
◎放浪惑星骸骨の洞窟(The Sunless World、1967年) 野田昌宏訳1973年
- 水球惑星義勇軍出撃の巻 Into Hydrosphere (アメージング・ストーリーズ、1933年10月)
- 教授なつかしの四千万年昔へ戻るの巻 Time's Mausoleum (アメージング・ストーリーズ、1933年12月)
- 放浪惑星骸骨の洞窟の怪の巻 The Sunless World (アメージング・ストーリーズ、1934年12月)
◎惑星ゾルの王女 Space War: 野田昌宏訳 1967年(日本語訳 1974年)
- 悲恋! 惑星ゾルの王女の巻 Zora of the Zoromes (アメージング・ストーリーズ、1935年3月)
- 弔合戦-惑星ミュムへ出撃! の巻 Space War (アメージング・ストーリーズ、1935年7月)
- 教授危うし! 金属喰い怪物あらわる! の巻 Labyrinth (アメージング・ストーリーズ、1936年4月)
◎双子惑星恐怖の遠心宇宙船 Twin Worlds: 野田昌宏訳 1967年(日本語訳 1977年)
- 双子惑星恐怖の遠心宇宙船の巻 Twin Worlds (アメージングストーリーズ、1937年4月)
- 箱型惑星光球生物の怪の巻 On the Planet Fragment (アメージングストーリーズ、1937年10月)
- 音楽怪人はギャンブルが大好きの巻 The Music-Monsters (アメージングストーリーズ、1938年4月)
◎Doomsday on Ajiat(未訳の単行本、1968年)
- Doomsday of Ajiat (Astonishing Stories 1942年10月)
- The Metal Moon (Super Science Stories、1949年9月)
- In the Meteoric Cloud (雑誌未掲載)
- The Accelerated World (雑誌未掲載)
米国で雑誌掲載されたが、単行本化されず、邦訳されていないもの
- The Cat-Men of Aemt (Astonishing Stories、1940年8月)
- Cosmic Derelict (Astonishing Stories、1941年2月)
- Slaves of the Unknown (Astonishing Stories、1942年3月)
- Parasite Planet (Super Science Stories、1949年11月)
- World without Darkness (Super Science Stories、1950年3月)
- The Mind Masters (Super Science Stories、1950年9月)
- The Star Killers (Super Science Stories、1951年8月)
- Exiles from Below (Astro-Adventures、1989年4月)
未発表作品
- The Voice Across Space
- Battle Moon
- The Lost Nation
- The Satellite Sun
- Hidden World
- The Sun Dwellers
連載時のイラストは、前半が主にレオ・モーリー、後半がヴァン・ドンゲン。ハネス・ボクも一部を担当した。日本語版のイラストは藤子・F・不二雄で、訳者の野田昌宏は藤子の絵を既存の画家のものと比較して絶賛している。
ストーリー
主人公ジェイムスン教授は最後の地球人類であり、ゾル人(Zoromes)の科学によって不死となった。ジェイムスンは死後もその肉体を完全な状態に保ちたいと考え、小型カプセルに遺体を載せて宇宙に打ち上げさせた。ジェイムスンの肉体は4000万年の間維持され、ゾル人の探検船が死の惑星となった地球の近くまで来たときに、それを発見した。ゾル人はサイボーグ化しており、自らを機械人とも呼ぶ。彼らは脳を機械の身体に移植することで不死を獲得していた。彼らは、時には他の種族もサイボーグ化させてやり、数百年単位の探検旅行に同行させる。スタートレックのボーグに非常によく似ていて、ゾル人の宇宙船には様々な種族がサイボーグ化されて乗っている。ゾル人がジェイムスンの身体を発見したとき、その組織が奇跡的によい状態で保存されていたため、脳を治療し、ゾル人の機械の身体に移植して再生させることができた。教授はその宇宙船の乗組員となり、数々の冒険に参加し、ゾル星にも行き、機械化されていないゾル人にも会った。このシリーズは非常に人気を呼び、アメージング・ストーリーズの表紙の絵にも描かれた。
人体冷凍保存はSFにはよく出てくるアイデアの1つである。低温学(cryogenics)の父と呼ばれるロバート・エッチンガーは、ジェイムスン教授シリーズの1作目を読んで人体冷凍保存のアイデアを得たという。また、ゾル人はアイザック・アシモフのロボットものにも影響を与えた。日本でも、士郎正宗の『攻殻機動隊』中で、脳のみと人型でないボディから成るサイボーグを「ジェイムスン型」と作中人物が呼んでいるなど(邦訳の書籍自体の入手性のわりには)割とポピュラーである。
ハル・クレメント(Harry Clement、1922年〜2003年) - Wikipedia
アメリカ合衆国の小説家、SF作家。本名は、ハリー・クレメント・スタッブス (Harry Clement Stubbs) 。ハードSFの先駆者である。緻密な計算に基づいたハードSFを得意とし、単に新規な異星人だけではなく、生態系まるごとや惑星そのものまでデザインする手法は、後のハードSFに大きな影響を与えた。
「20億の針(Needles、1950年)」における人間と共生する異星人というアイデアは特撮TVドラマ『ウルトラマン(Ultraman 、1966年〜1967年)』や映画『ヒドゥン(The Hidden、1987年)』や岩明均の漫画『寄生獣(1988年〜1995年)』といった数々のSF作品の大源流となった。「重力の使命(Mission of Gravity、1954年)」は、木星型惑星メスクリンで故障して動けなくなった科学調査船を調査しに行く冒険譚である。メスクリンの原住民は長さ50センチほどのムカデ型の知的生物である。メスクリンは極めて自転速度が速く、そのために極では重力が700Gもあるが、赤道では約3Gになっており、この設定から様々な話が生み出される。
(「宇宙飛行士」や「人体冷凍保存」といった概念の提唱者ながらパルプマガジン衰退により一旦忘れ去られたニール・R・ジョーンズと異なり)1960年代に入ってもハル・クレメントは重要な作家として現役で意識されていた。クレメント自身は "Whirligig World" という記事で彼のSF作法を次のように説明している。「SFを書くのは楽しいからで、仕事ではない。……その楽しさは……あらゆることをゲームのように扱うことから生じ……そのルールは極めて単純だ。それは、SFの読者にとっては彼らが科学として理解している事実から外れている文や含意を可能な限り見つけることである。作者にとっては、そのような誤りを可能な限り犯さないことがルールである。……(例えば、超光速の移動手段があるなどの)例外的設定もあるが、フェアプレーを重んじるならそのような問題は物語の中で可能な限り早く明かしておくことが要求される。……」
*想像以上にこの「ハードSFの父」は「本格推理小説っぽい制約」に強い執着心を抱いていたのだった。
扱いに困るのが「テネブラ探検隊(Close to Critical、1964年)」なる無名作品。しかも今日なお割と好きな一作であり続けているのです。
16歳の誕生日に両親から小型宇宙船をプレゼントされた少女コーティーは、こっそり宇宙船を改造し、両親にも内緒で旅立ってしまう。
連邦基地で行方不明になった人々がいる星系の噂を聞いたコーティーは好奇心から、その星系へと向かう。途中、その星系からのメッセージパイプを拾う。冷凍睡眠から目覚めたコーティーは違和感を覚えた。コーティーの脳にイーアという生命体が寄生してしまっていたのだ。個体名としてシロベーンを名乗ったイーアとコーティーは意気投合し、目的の星系へと向かう。
実は、イーアは胞子を飛ばして増える生物であり、寄生主の脳内での行動を年長のイーアから教えられて共存していく方法を学ぶのだが、共存方法を学んでないイーアは感情も行動も制御出来ずに宿主の脳を食い荒らすことになる。シロベーンは最低の教育は受けていたがまだ子供で、メッセージパイプにくっついて宇宙を彷徨っていたところをコーティーに拾われたのだった。
やがて、シロベーンは自分に繁殖期が訪れ、胞子を飛ばすことを自覚する。そして、シロベーン自身には新たに胞子から産まれる若いイーアを教育するだけの能力は育っていなかった。このまま連邦基地に帰ると、脳を食い荒らすイーアを巻き散らかすことになってしまう。
イーアの胞子が熱に弱い事を知ったコーティーは冷凍睡眠に入る前に宇宙船が恒星の至近距離を横切るようにコースをセットし、これまでの経緯を全てメッセージパイプに記録して、連邦基地に送った。
「これがたったひとつの冴えたやりかた。」
作者(女性)は自分がバイセクシャルであった事に悩んでいた様で、この作品における「(それしか相手を喜ばせる方法を知らないので)事あるごとにヒロインを内面から性的興奮状態に追いやろうとする寄生生物」なんて薄い本めいた設定(およびそれに付帯するねっとりとしたエロティズム)と最終的破滅はセットである種のアンヴィバレント的感情の投影とされている。
同様のエロティズムと破壊衝動の密かなリンクはL・M・モンゴメリ「赤毛のアン(Anne of Green Gables、1908年)のヒロインが、深夜ルー・ウォーレス「ベン・ハー:キリストの物語(Ben-Hur: A Tale of the Christ、原作1880年、映画化1907年、1925年、1959年、2003年)」における「半裸の男達が互いに鞭打ち合う場面」に異様に興奮してそっと栞を挟んだり、「シャンブロウ(Shambleau、1933年)」で有名なC・L・ムーアの「ノースウェスト・スミスシリーズ(1933年〜1940年)」において「美女だが野獣」のヒロインが「無頼だが総受け」の主人公を組しく都度「無駄にイケメンで危険察知能力が驚異的に高い」相棒に次々と射殺されていく場面にも見て取れる。
最近の研究によると女性の性欲は男性のそれより遥かにプログラマブル(ただし発達過程に応じて多様化するだけで、当人の望むまま書き換えられる箇所はあくまで限定的)とされる。とはいえ「必ずしも裸を見たい訳じゃない。筋肉が照覧したいだけ(指先や脇の下や盆の窪見に目が引き寄せられる場合と異なり、その時点で必ず性欲が付帯するとは限らない)」とか「脊髄反射的に(筋肉の結節点たる)尻に目を奪われるが、その時点においてすら必ず性欲が付帯するとは限らない。ただその直後、自分が同性の裸と異性の裸のどちらにより興奮するかで自らの性癖が明らかとなる」とか「エロティズムを楽しむのもあくまでコミニュケーションの一種であり、相応のトレーニングを積み重ねないと上達しない」といった情報がSNS上に寄せ集められ共有される様になったのはつい最近の事。かくして女性監督の手によって「ヒステリア(Hysteria、2011年)」が映画化され、グレタ・ガーウィグ監督の青春映画「レディ・バード(Lady Bird、2017年)」では女子高生があっけらかんとオナニー談義にいそしみ、(妻と娘から「セクシーな半魚人は眼と尻が命」と説教され続けた)ギレルモ・デル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター(The Shape of Water、2017年)」では女性のオナニーそのものが日常風景の一部として自然に描写される展開を迎える訳である。
想像以上に「SF小説の歴史」に肉薄するラインナップだった事実を再発見…