諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

2016-04-26から1日間の記事一覧

知識についての知識

ウィキペディアの記述があまりにカオスだったので少しまとめてみた。 知識 - Wikipedia また新しいカオスを生み出しただけに過ぎないのかもしれないのだけれど…

「科学実証主義」以前

欧州の科学実証主義は15世紀末から16世紀初頭にかけてパドヴァ大学やボローニャ大学の解剖学部中心に広まった新アリストテレス主義哲学、すなわち「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識…

「上からの自由主義」が日本にもたらしたもの

それは「自由のあるところには秩序はない」とする立場と「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」とする立場の究極の意味での中庸… こういう歴史的展開の裏側には「人間にしか感動出来ない」欧米的人間中心主義(Humanism)が存在しているのか…

「上からの自由主義」がフランスにもたらしたもの

フランスでは以下の様な人物が「上からの自由主義を目指した冒険者達」として語り継がれる。 ホイジンガ「中世の秋(1919年)」においても多くのページが割かれた公益同盟戦争(1465年~1483年)の盟主ブルゴーニュ公シャルル(Charles le Téméraire/シャル…

「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」?

恋愛と贅沢と資本主義 (講談社学術文庫) posted with ヨメレバ ヴェルナー・ゾンバルト 講談社 2000-08-09 Amazon Kindle 個人が個人を超えて持続する共同体から一人抜け出した時、初めてその個人の生涯がおのれの享楽の尺度となった。個人はおのれ自信が、…

イタリア・ルネサンスとフランス史

しかしもちろん、実際の歴史の歩みはそう単純ではない。カエサルは「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」と言ったという。フランス人もまた例外ではなかった。

イタリア・ルネサンスとフランス人

以下はあくまで小説だが着想自体が興味深い。 「ダ・ヴィンチ〜ミステリアスな生涯」は最高! - Apple/Macテクノロジー研究所 チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (塩野七生ルネサンス著作集) posted with ヨメレバ 塩野 七生 新潮社 2001-07 Amazon…

「陸の国」と「海の国」の境界線

「21世紀は陸と海のたたかい」~400年ぶりの歴史的大転換の始まり~(2010年02月16日) 陸と海と―世界史的一考察 posted with ヨメレバ カール・シュミット 慈学社出版 2006-11 Amazon Kindle こういう粗雑な歴史観が成立しにくいのは、そもそも「陸の…

「陸と海と」と「世界最終戦論」

欧米的合理主義はイタリアから始まった。 しかし19世紀スイスの文化史学者ブルクハルトは「イタリア・ルネサンスの文化(Die Kultur der Renaissance in Italien, ein Versuch、1860年)」の結語で、こうした考え方の登場は、当初むしろ当時の信仰深い人々を…