諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「陸の国」と「海の国」の境界線

「21世紀は陸と海のたたかい」~400年ぶりの歴史的大転換の始まり~(2010年02月16日)

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 科学実証主義の確立以前、例えば古代ローマ帝国モンゴル帝国といった「世界帝国」を成功に導いたのは以下の様な(やはり粗雑な)方法論だった。

  1. 統治側が「繁栄に至るビジョン」をしっかりイメージする…国家の特徴なんて「現地権力者の立国イメージ」で簡単に変わるものだ。15世紀まで羊毛輸出国に過ぎず、貿易も外国人商人に任せっきりだったイングランドは「陸の国」そのものだったが、一方ウェールズ海商が仕切ったチューダー朝は「海の国」そのものだった。スペインはカスティーリャ王国こそ典型的な「陸の国」だけどアラゴン王国は微妙でカタルーニャバレンシアを併合して以降「海の国」としての体裁が整いナポリシチリアを獲得してる。ピサを獲得して以降のフィレンツェも同様。一方「海の国」の典型だったヴェネツィア共和国は、オスマン帝国に主要交易拠点を奪われて以降農業立国に路線を切り替え「陸の国」へと変貌する事で生き残りを図る。
    *同様にオスマン帝国に主要交易拠点を奪われ「海の国」としての存続が不可能となったジェノヴァ共和国は、さりとて新たな輸出作物を開発出来るほどの耕作面積もなかったので詰んだ。金融立国を目指したとする説もあるが、ジェノヴァ略奪(Sacco di Genova、1522年)以降主要融資先となったスペインが幾度も債務不履行状態に陥った上、さらに血迷って当時の主要交易港だったアントウェルペン/アントワープオランダ語: Antwerpen、 フランス語: Anvers、 英語: Antwerp)を1576年に1585年に完全屈服させてしまう。さりとて以降新たに主要交易港として栄える様になったアムステルダム(Amsterdam)やハンブルグ(Hamburg)にも食い込めず、こうして「金融の国」としても詰んだ。水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」は、当時のジェノヴァが今の日本が置かれている状況にそっくりとするが、むしろ「追い詰められた中国共産党に軍事占領されたら日本や台湾や韓国を待ってるであろう未来」とでも考える方がしっくりくる様である。

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  2. 「繁栄に至るビジョン」が確立したら、それに従って自領内に存在する「諸族」の管轄をかっちり定めるローマ帝国ではギリシャ人やシリア人といったヘレニズム系諸族が活躍。イスラム王朝においては商業をハドラマウト商人やユダヤ人が仕切り、テュルク系支配階層の為にタジーク(Tajik)の在地有力者が官僚を供出し地方行政を担ってきた。スペインが海に強くなったのもフランドルから直臣を沢山連れてやってきたハプスブルグ帝国皇帝カール五世が(それまでポルトガル海上帝国の繁栄を支えてきた)ジェノヴァ人を強引に味方に引き入れて以降となる(そもそもスペイン国王の後援を受けてアメリカ大陸を「発見」したコロンブスジェノヴァ人だった)。また神聖ローマ/オーストリア帝国も時期によってはフランドルやハンブルグナポリシチリア島などを領土に編入し、現地領民を最大限活用してきた。ポーランド=リトワニア連合国ほど終始ひたむきに「陸の国」状態を続けてきた訳ではない。
    *また(領主が領土と領民を全人格的に代表する)農本主義的伝統が根強かった欧州では、貨幣市場経済導入の為に司教がユダヤ人高利貸しを、君主が宮廷ユダヤ人を誘致したケースが目立つ。要するにネットワーク構築能力を含む「諸族」の固有スキルを抽出してノウハウ化して完全習得する技術不在だったので、権威主義的立場からそれぞれに仕切りをOutsourcing/Empowermentせざるを得なかったという訳である。

 とはいえ「帝国を囲む外的環境」や「帝国を構成する諸族とそれぞれの特徴」などが常に変動を続ける為、そのままでは必ずや対応の限界が来て崩壊に追い込まれてしまう。別に「陸の国」だけの話ではない。ヴェネツィア海上帝国やジェノヴァ海上帝国はオスマン帝国の台頭によって崩壊したし、ポルトガル海上帝国に至っては各交易拠点を仕切る外国商人の裏切りによって自壊に追い込まれた。

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  • 「陸の国」独特の特徴として(領主が領土と領民を全人格的に代表する)農本主義的伝統の延長線上において「領土と領民は少しでも多い方が経営的に安定する」なる血迷った発想から侵略戦争を開始するケースがある。とはいえ無論「領土と領民は少しでも多い方が経営的に安定する」という前提自体が間違ってるし、強敵と隣接する羽目に陥って停滞するケースも少なくない。*領土拡大の結果シンセローマ帝国と国境を接する様になった上、ギリシャ人やアルバニア人といった併呑した筈の東ローマ帝国遺民に商業や軍事や官僚制度を牛耳られてしまったオスマン帝国とか。ちなみにスイス連邦やネーデルランド共和国(およびオランダ王国)も一度はこれをやらかしてる。前者はルネサンス期のミラノでフランス軍に叩き潰され、後者はベルギー革命(1830年)に発展した。

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  • 皮肉にも繁栄に至るビジョンなんて途中で投げ捨てちゃったり、最初から持たなかった「存続そのものを目的とする帝国」の方が長続きしたりする。ただしそうなると概ね守旧派が主流となり繁栄に向かうための制度改革そのものを否定する様になるから停滞する。*中華王朝とか、神聖ローマ帝国とか、オスマン帝国とか。ちなみに産業革命期のスイス連邦は総力を挙げてチーズやチョコレートや時計の国外輸出に励んでおり「停滞」には程遠い状態にあった。

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  • こうして訪れた停滞状況を無理矢理打破しようとしたのがドナウ帝国のの異名を得たほどドナウ川流域開に傾注したオーストリア=ハンガリー二重帝国(1867年~1918年)や、フランスに投資先に選ばれて強引に産業革命に邁進した19世紀末から20世紀初頭にかけてのロシア帝国などである。
    *しかし急速すぎる経済的発展は必ずや貧富の格差を許容範囲以上に拡大してしまうもので、だから両国とも当時のアメリカへの移民ラッシュが凄かったし、ロシア帝国に至ってはさらに革命まで起こってしまった。

まぁ多くが近代国家以降にも応用出来そうな内容なのだけど、とりあえず「帝国論」として流布してる内容をまとめるとこんな感じ?