諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

イタリア・ルネサンスとフランス史

しかしもちろん、実際の歴史の歩みはそう単純ではない。カエサルは「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」と言ったという。フランス人もまた例外ではなかった。

 なにしろフランス人が信じたがるイタリア・ルネサンス伝播史には微妙な「時差」が存在するのである。

①欧州の科学実証主義15世紀末から16世紀初頭にかけてパドヴァ大学ボローニャ大学の解剖学部中心に広まった新アリストテレス主義哲学、すなわち「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」に始まるとされる。
*実はトマス・ホッブスの法実証主義ガリレオ・ガリレイの天動説もこれに由来。


②ただし、こうした流れ自体はフランスで「檄文事件(affaire des placards,1534年)」が発生してユグノー弾圧が開始され(この時パリから亡命したジャン・カルヴァンジュネーヴに迎えられ1541年から1564年にかけて神権政治を実現する)、イタリアでもイエズス会創設(1541年)やトリエント宗教会議の開催(1545年)を契機に反宗教革命運動が始まってキリスト教権威主義回復の試みが本格化すると中断を余儀なくされてしまう。1592年にパドヴァ大学教授となってから天文学や物理学の歴史に残る研究を積極敵に推し進めてきたガリレオ・ガリレイ1610年頃にはパドヴァに居づらくなってフィレンツェに戻り、なおかつ異端審問の対象にされて有罪判決(1616年)と拘束(1633年)を受けた際には欧州中の有識者が衝撃を受けた。
*ルネ・デカルトの「方法序説Discours de la méthode,1637年)やトマス・ホッブスの「リヴァイアサンLeviathan,1651年)」が、私文書では(天動説に至る)新アリストテレス主義こそがそうした発想の出発点なのが明白であるにも関わらず、公刊された書物の中では一切それについて触れていないのはその為とされている。


③それでも(キリスト教的普遍論主義が暴走状態に陥った当時、本当に「個人の発展がもたらす利己主義の暴走」を抑え込める唯一の希望となった)科学実証主義の発展が緩やかに進んで行く。

だが当時あった動きはそれだけではない。フロンドの乱La Fronde 1648年~1653年)やマザリナード(Mazarinades)乱発に向けられた帯剣貴族や法服貴族の情熱は敗北後暴走し、リベルタンLibertin=自由人、虚無的感情に呑まれ、あらゆる既存秩序への反逆と刹那的快楽のみを求める様になった放蕩貴族への蔑称)への変貌を余儀なくされたり、モンフォーコン・ド・ヴィラール「ガバリス伯爵 或いは隠秘学(オカルト)をめぐる対話(1670年)」やジャック・カゾット(Jacques Cazotte 1719年~1792年)の「恋する悪魔(Le Diable amoureux1772)」などを乱読し、集まって降霊会を開くといった隠秘学(オカルト)への傾倒を強める。その一方ではオラトリオ会修道士ニコラ・ド・マルブランシュ(Nicolas de Malebranche,1638年~1715年、奇しくもルイ14世と生没年が一緒)がアウグスティヌスの神秘思想やガザーリー著作なども研究しながら主著「真理の探究(1674年~1675年)」を発表し、ライプニッツモナド(単子)論やスピノザの汎神的宇宙論が乱れ飛ぶ。
*こうした(世界の構造自体を俯瞰的に把握しようとする)17世紀的集中主義(17th century centralism)のうち少なくとも一部は流体力学エントロピー理論で有名な統計力学に回収されたが、その一方で多くがフランス絶対王制を支えつつそれを崩壊に導いた18世紀啓蒙主義フランシス・ベーコンの経験哲学の影響を受けた百科全書派を経て図書館学に継承される「尽くし」の世界)へと吸収されていったのだった。

④そして(ポーランドSF作家スタニスワフ・レムによれば)こうして欧州資本主義社会では近代以降御役御免となった「神人同形論(Anthropomorphism/アントロポモルフィズム)」が、皮肉にも共産主義圏の継承され(サイバネティック工学といった)科学実証主義の新しい潮流の導入を妨げる役割を果たしてきたのだという。
*最近中国の有識者達が「フランス革命の足音が聞こえる」と言い出したが、それは中国共産党が「良心の声に忠実たるべきSF小説が、共産主義が全世界を善導している未来以外を描く事は許されない」などと言い出した事とおそらく無関係ではない。

しかし現代の観点から見たらどうか。今日なおフランス人は自分達が偉大な民族であるという信念を捨て去ってないが、アナール派史学の影響もあって最近は自負心の拠り所が「ジャコバン派独裁のポル・ポト派的蛮行( vandalism)そのもの」というより「その被害を最大限に被りながら自発的再建に取り組んで近代化の潮流に再合流を果たした克己心」に推移しつつあるという話もある。

もっとも既に当時からヴィクトル・ユーゴーが「レ・ミゼラブルLes Misérables1862年)」の中で「どっちもやり遂げたフランスは偉い! どっちもやらなかったイギリスなんてくだらない!」と連呼しまくってるのだけれど。

まぁ自負心なる単語が現れるところに多様性は付き物だし、第三者がそれを認めるかもまた別問題なのだけど。