諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

欧米的合理主義はイタリアから始まった?

現時点における私の立ち位置。思うよりウィリアム・H. マクニール「ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797(Venice: the Hinge of Europe, 1081-1797、1974年)」に負う部分が大きい。

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レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた大量の解剖図デッサン画 : カラパイア

  1. レオナルド・ダ・ヴィンチは手記の中で「自由のあるところには秩序はない」と述べ、故郷フレンツェを後にした(レオナルド・ダ・ヴィンチは数多くの人体解剖図を残したが当時人体解剖を許されていたのはパドヴァ大学ボローニャ大学だけだった。果たしてどうしてたのか?)。

  2. ボローニャ出身のパゾリーニ監督は遺作「サロ、またはソドムの120日(Salo, or the 120 Days of Sodom 1975年、邦題『ソドムの市』)」において「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」なるジレンマに直面した(この指摘で怒った誰かに殺されちゃったから遺作となった。その誰かは今日なお特定されてない。容疑者が多過ぎるせい)。
    このジレンマは強者と弱者の立場を逆転しただけでは解決しない。

    最適解の一つは「確かに現実世界の本質は互いに偏見を抱えた多様な集団同士の殲滅戦に過ぎないのかもしれない。でも、だからといってそれを克服しようという努力まで放棄したら滅びへの道が不可避となるだけだ」というものである。

  3. アリストテレスの「中庸(Mesote)」理論は、実践知の正解はこうした極論の中間状態に現れる(勇気が臆病と蛮勇の中間状態として現れるように)とする。実際、ボードレール坂口安吾の様に既存の価値体系の危機に直面した人物は「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」と口にした。「自由のあるところには秩序はない」とする立場と「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」とする立場のどちらを選ぶかコイントスで決める様なもの?

  4. そしてイタリア・ルネサンス期にパドヴァ大学ボローニャ大学で流行した新アリストテレス主義は「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」という立場に立つ。

 ところで新アリストテレス主義は不可知論の一種で、知識不足から地上の人間の誰も魂の不滅や死後の世界の存在といった神学的問題について正解に到達し得ない、あるいは例え正解に到達していたとしても、それを検証する手段がないとする。そして19世紀スイスの文化史学者ブルクハルトは「イタリア・ルネサンスの文化(Die Kultur der Renaissance in Italien, ein Versuch、1860年)」結語)」の中で、むしろこうした考え方の登場は当時の信仰深い人々を「理神論(deisms/ディスムス)」や「人格神論(theisms/ティスムス)」に走らせたとした。これが西ヨーロッパにおけるルネサンスの出発地点になったのだという。

その意味では歴史とはまさしく「認識上のパラダイムシフトが社会そのものを変質させていくプロセスの積み重ね」に他ならない。

また附則として以下の配慮を追加。匙加減が難しい…

  • 人間には、特定のイデオロギーから脱却する為に、それと正反対のベクトルを有するイデオロギーに熱狂的に没入しないといけない時期もある。

  • モチベーションの獲得と維持の為に誰かを恨んだり憎んだりする事自体は責めない。

間違いなくこのあたりが全ての発想の重心。出発点にして到達点。