諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「最終戦争不可避」史観の残滓

カール・シュミットの敵友理論は以下の様な応用も効くのか…

カールシュミットは、マキャベリの系譜を引いています。

マキャベリと言っても、彼が主張したのは、目的のためなら手段を選ばず何でもやっていい、ということが一番意義深いことではなくて、政治を担う能力ある共和国エリートと一般市民を分けたことが重要ですです。当時のイタリアは、都市国家が乱立していましたが、ルネッサンスが勃興して、高度な文化の爛熟を迎えていました。ところが、文化的に遅れていたフランスの野蛮な人間たちと戦争して、負けてしまいます。その時、マキャベリが主張したのは、国民に軍事訓練を施して、防衛意識を高めましょうなどという発想ではありませんでした。イタリアの文化的に高度な一般市民が、いきなり軍事訓練に「目覚め」るなどということは現実的に困難だし、むしろ一般市民を戦争に駆り出すことは、国家が守るべき「文化」を制約してしまうことになりますからね。

そこで、マキャベリが主張したのは、市民が法律を守ることで暴力を行使しなくて済むような社会秩序を守るためには、共和国エリートである政治家が、価値ある文化や社会を守る使命を自覚して、汚い手段を使ってでも、外国との争いから自国を守るべきだと主張しました。目的のために手段を選ばなくていいのは、エリートである政治家なんですね。なぜ、政治家であるべきなのかと言うと、当時は君主主権でしたが、君主が国内の価値ある存在に気がつくとは限らないし、文化を享受している市民には、そこまでの能力はないからでしょう。このような議論を背景にして、カール・シュミットが友敵理論を主張します。

我々の共同体の存続の脅威となる敵対関係への対処こそ、本当の意味における「政治」の目的なんだと。エリートは、市民が守らなければならない法に超然として、汚い手段を行使してでも、共同体を守る責務があると。だから、例外状態においては、非常大権を行使して、戦争してでも他国の脅威を排除すべきなんだと言うわけです。

なるほど。敵友理論は「政治的エリートなら戦争回避の為にどんな汚い手段を用いる事だって辞すべきじゃない」という考え方も正当化するから最近再流行の兆しを見せてるという訳か。

 ちなみにマキャベリは(イタリア統一を試みた)チェザーレ・ボルジアが(内乱の都度各勢力が外国軍を呼び込む悪弊を断つべく)ロマーニャ市民軍を編成する現場に立ち会い、かつ故郷フィレンツェでも同じ発想から同じ事を試みてる。「敵友理論」におけるプロパガンダは強度だけが重要で事実性はあまり重要されない様だが、さすがに正反対に偽装するのは無理があるんじゃなかろうか。

  •  18世紀欧州では啓蒙主義の浸透もあって「理神論(ブルクハルト言う所の「キリスト教から”キリスト教的なるもの”を排除しようという試み」)」が盛んとなった。しかし実際に欧州外に影響を与えたのは、むしろフランスの社会学者コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte、1798年〜1857年)の実証哲学(Philosophie Positive)に基づく科学者独裁構想の方だったのである。アメリカにおける「科学万能主義(Scientism)」の起源だし、ブラジルも国旗にオーギュスト・コントの言葉を刻印するほど傾倒している。

    ただしオーギュスト・コント科学者独裁構想には、現代人の観点からすれば根本的欠陥が存在した。彼は数学者でもあったコンドルセから出発しながら「人類を統制するのはあくまで数理ではなく、哲学でなければならない」という立場に執着し続け、自らの学問体系からも数学の排除に努めたのだった。

    一方欧州では19世紀に入ると合理主義強要の反動で「理屈じゃない。俺を内側から突き動かすこの衝動がそれをやれ(やるな)と言っている」式思考で有名なロマン主義が台頭したが、何故か米国人小説家エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年〜1849年)がその始祖の一人として崇められる展開に。

  • 産業革命(Industrial Revolution)を学術用語として広めた英国人経済学者アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee、1852年〜1883年)の甥に歴史学者あたるアーノルド・J・トインビー(Arnold Joseph Toynbee、1889年〜1975年)は、欧米の大陸側はアレキサンダー大王に対する英雄崇拝(ヘレニズム(Hellenism)を学術用語として広めたプロイセン王国歴史学者ドロイゼン(Johann Gustav Droysen、1808年〜1884年)に端を発する)や「人間にしか感動しない」ルネサンス期イタリア人への憧憬(ルネサンス (Renaissance)を学術用語として広めたスイス人文化史学者ブルクハルト(Carl Jacob Christoph Burckhardt、1818年〜1897年)に端を発する)といった人間中心主義(Humanism)に蝕まれてきたとし、その総決算としてヒトラーが現れたとした。無論大陸側がその様な非人間中心主義的な考え方を認める筈もなく、両者の立場は今日なお平行線を辿り続けている。

欧米で友敵理論が復活の兆しも見せないのは、おそらくこうした立場の錯綜が酷過ぎて「人類にとって幸福は明確に敵味方に別れ、どちらか一方が滅ぶまで戦い続ける生存競争の繰り返しを通じてのみもたらされる」なる発想が完全に想定外となってしまったせい。その点、カール・シュミットの生きた時代から冷戦にかけての時代は「最終戦争は不可避」という脅迫概念が人類を支配していたから話が単純だった。

今更戻ろうとして戻れる筈がないじゃありませんか。