諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「悪」すら存在しない世界

スイスの文化史学者ブルクハルト(Carl Jacob Christoph Burckhardt,1818年~1897年)は、ルネサンス期イタリアを分析して「権力は、何者がそれを行使するにしても、それ自体においては悪である」という結論に到達した。ここで断罪されているのは概ね「(領主が領土と領民を全人格的に代表する)農本主義的伝統」の事である。そして当時は間違いなく再版農奴制の被害と同一視されていた筈である。

しかし上には上がある。アフリカ後進地帯には「(領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的伝統)」すら存在せず、従って開発独裁すら実践出来ず途方に暮れているという。

Hakuna Matata — 🐘

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ホメロスイーリアス(希: Iλιάς, 羅: Ilias, 英: Iliad)」に登場するアカイア勢の振る舞いは海賊そのものだが「(フェニキア都市の一つ)シドン産の銀食器や武具や捕虜とした美女を目の色を変えて奪い合う」だけ人間味に溢れている。紀元前1200年のカタストロフを引き起こした「海の民」や歴史上に現れた最初期のゲルマン諸族は「部族のタブーに触れた」という理由で黙々と相手を殺し尽くし、破壊し尽くすだけだった。穢れた対象を地上から消し去るのが目的である以上、略奪を伴う筈もない。ヴァイキング(北欧諸族による略奪遠征)も最初期にはおそらくそんな感じだったと推測されている。

完全に先進国におけるビジネス慣習が通用しない世界?

先進国目線の人道主義的同情も通用しない世界?