諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「銃による抑止力」とは何か熟知してるはずの日本人

And yet that is not enough. For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale. We must change our mind-set about war itself. 
それだけでは十分ではありません。この世界では、たとえどんなに原始的な武器であっても、非常に大きな破壊をもたらすことが出来ます。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。

どうやらオバマ政権に「最後の試練」が訪れたようです。
いや本当にこれが最後だといいのですが…

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米国では銃乱射事件のたびに銃規制強化が争点となるが、反対派は逆にこうした事件こそ「人民の武器保有の権利」を認めた合衆国憲法修正第2条の正しさを証明していると主張。抜本的な規制を難しくしている。

在マイアミ日本総領事館によると、日本人が被害を受けたとの情報はない。

 なんたる皮肉な展開でしょう。

  • 戦国時代日本はオスマン帝国に匹敵する銃保有国で、それゆえに内紛が絶えず、危うくポルトガル商人に西アフリカ諸国同様、格好の奴隷供給元にされかけていました。

  • 当時の日本の権力者は「我々が売るから、彼らが買うのだ。それを予防するには戦争奴隷を根絶やしにするしかなく、戦争奴隷を根絶やしにするには、戦争そのものを根絶やしにするしかないのだ」と考え、とりあえず太平の世を実現し、ポルトガル商人を国外に追放する事に成功しました。しかし実は全国に分散して蓄積されている銃の回収にまで成功した訳ではなかったのです。江戸幕藩期には沢山の農民一揆がありましたが、その全てにおいて鎮圧側が万一の為に用意した鉄砲の数が、一揆側が蔵から持ち出してくる鉄砲の数を上回った事はなかったとされています。その一方で彼らは景気付けに空砲を宙に放つばかりで、実際に弾を込める事もありませんでした。一度でも超えてはならない一線を超えてしまうと、如何なる秩序が崩壊するか十分承知していたからでしょう。これが本当の「銃の抑止力」って奴です。鎮圧側も鎮圧側で一旦鉄砲の引き金を引けば何が起こるか十分に承知していた様です。まず全滅するのは自分たちであり、全く割に合う話じゃないという計算も働いた事でしょう。

  • 幕末が近づくと「何じゃ。民間の火力を向けさせる事に成功すれば幕府など一瞬にして滅ぶではないか」とコロンブスの卵的発想に行き当たる大塩平八郎の様な人物も現れました。中国有識者の間では英雄視されているそうです。「既に軍国主義ファシズムに回帰し、中国再征服の準備を着々と進めている日本政府を打倒するには、大塩平八郎的英雄が再び現れて彼らを皆殺しにし、その後内紛状態に突入して果てしなく殺し合い、日本を近代国家として終焉させるのが最も望ましい。国際正義もそれを望んでいる」という訳ですね。民主集中制の大義名分を墨守する為に地方農民に選挙権すら与えず、それで今日なお銃と手製の大砲やロケット砲で武装した彼らが「民意」を示す為に蜂起し続けている国が何を言ってるかという感じですが、そういう日本でも今回の大量虐殺事件について「ザマァみろ。やっぱりこれがアメリカだ!!」などと快哉の声を上げる人達をネット上でちらほらと見かけます。まぁどっちが上でどっちが下という話でもないという事ですね。 

とりあえず犠牲者の冥福をお祈りさせていただきます…

それにしても私たちは一体何処へ向けて漂流しているのでしょうか?