「匕首伝説(Dolchstoßlegende)」…「タンネンベルクの英雄」にして大統領内閣時代のワイマール体制下で大統領に就任したヒンデンブルグが当時のドイツに広めた流行語。「背後の一突き伝説」ともいう。ドイツが第一次世界大戦で敗北したのは、その勝利阻止する為に共産主義者やブルジョワ階層やユダヤ人が動いた結果とする。敗戦を認めたくないドイツ人にアピールし、熱狂的なまでの大衆的支持を勝ち取った。
これ、少なくとも「共産主義者」に関してだけは決して濡れ衣じゃないのです。
- 「フランス革命なくてジャコバン派独裁政権なし」…さらにそのジャコバン派独裁独裁を踏み台にフランス人バブーフ(François Noël Babeuf、1760年〜1797年)やイタリア人ブオナローティ(Filippo Giuseppe Maria Ludovico Buonarroti, 1761年〜1837年)が蜂起し(いわゆる「バブーフの陰謀(1897年)」)。その精神を継承した秘密結社カルボナリ(炭焼党)のメンバーだったオーギュスト・ブランキ(Louis Auguste Blanqui、1805年〜1881年)の「熱狂的行動主義」が周囲に感染する形で共産主義イデオロギーが樹立。
*「熱狂的行動主義」…革命前だろうが革命後だろうが「ただただ蜂起し続ける」。オーギュスト・ブランキは7月革命(1830年)や二月/三月革命(1848年〜1849年)では「最初に動いた側」に属したが、その後も蜂起を止める事はなかった。もはや禅の只管打坐、つまり「ただただ座り続ける」精神に近い。
*魯迅は「奴隷が主人に成り代わっただけでは奴隷制は無くせない」と断言している。そしてこの話は、多くの子供達の心にトラウマを残した「日本漫画昔話」の「カチカチ山」回において、泥船が溶けて惨めに溺死していく狸を兎が憎悪を込めて見守る場面で流れた「兎はどうしても狸を許す事が出来なかったのです」なるナレーションへと繋がっていく。復讐の達成が憎悪の終わりでなく始まりにすぎないのだとしたら、人間は最後どこまで行き着く事になるのだろう?
- 「普仏戦争(1870年〜1871年)なくしてパリ・コミューン(Commune de Paris)なし」…フランス第二帝政(1852年〜1870年)下で繰り広げられた、いわゆる「ボナパルティズム(Bonapartisme)との戦い」に急進派共和主義者は参加してない。むしろ6月暴動(1832年)、6月蜂起(1848年)、6月事件(1849年)を通じてフランス国民に「赤旗への恐怖」を刻印し、ボナパルティストによる政権奪取(1851年)を後援したとすら言われている。フランス急進派共和主義者は、本当にただ単に普仏戦争敗戦に伴う第二帝政崩壊に便乗してパリを乗っ取っただけ。
*ちなみにその間ずっと「共産主義の父」にして「ヨーロッパで最も危険な男」オーギュスト・ブランキは投獄されたままだった。
- 「第一次世界大戦(1914年〜1918年)なくしてロシア革命(1917年)なし」…そもそもロシアにおけるソビエト(労兵協議会)樹立は日露戦争(1904年〜1905年)まで遡る。そして「祖国が強要する無謀な総力戦、これこそ革命業界にとっての御褒美です」とうそぶいたレーニンがロシア革命を乗っ取る形でヴォルシェビキ独裁を達成し、次いでスターリンが全権掌握に成功する。
*考えてみれば中国共産党も①第一次世界大戦勃発に伴う欧州資金引き上げがもたらした中華民国の崩壊と軍閥割拠状態の出現②国民党と日本軍の陣取り合戦③国共内戦、の三段階を経て最終的覇者となったのではあるまいか?
- 「スターリン批判(1956年、1961年)なくして新左翼運動なし」…ついに共産主義そのものが赤旗(急進共和派)の便乗乗っ取りの対象に。とはいえフランスの五月革命(1968年)はドゴールの選挙圧勝に、米国の60年代ヒッピー運動は「シャロン・テート惨殺事件(1969年)」と「ガイアナ人民寺院(Peoples Temple)集団自殺事件(1978年)」に、日本の学生運動は「山岳ベース事件(1971年〜1972年)」と「あさま山荘事件(1972年)」に行き着いただけだった。ベトナム戦争(1955年〜1975年)が終焉した途端に「文化大革命(1966年〜1976年)」批判が始まり、「ポル・ポト派(クメール・ルージュ)大虐殺(1975年〜1978年)」「カンボジア・ベトナム戦争(1975年〜1986年、最も激化したのは1978年〜1979年)」「中越戦争(1789年)」と共産主義国家内の暴政や共産主義国間の戦争が相次いだ事が最後の止めに。
*この件に関して個人的には「(近代実証主義の起源にしてブルジョワ階層とプロレタリアート階層が対峙してきた歴史も長い)ボローニャ出身のパゾリーニ監督の遺作「ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma、制作1975年、公開1976年)で提示された「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」なるテーゼが最終調達地点となったと考えている。ロマン主義運動に対する大衆的想像力の限界がUniversal Monstersに行き着いた様に、ある種の極限状態への到達が見て取れる。
ochimusha01.hatenablog.com
*当時の日本のマスコミはこうした時流に逆らって、かえって「共産主義こそ究極の平和主義」と主張する政治的プロパガンダに力を入れた。こうした努力の結果として「共産主義こそ究極の平和主義」なる共同幻想は、確かに一応は少なくともソ連崩壊(1991年12月)までは保たれる事に。
皮肉にもこの次元において共産主義者達が確かに「国家が国民を(不毛な総力戦への注力などによって)生存不可能なレベルまで徹底して弾圧し抜くディストピア」を理想視し続けた事実は動きません。
*確かに大衆の忍耐の限界は、多くの場合「それまでの日常の維持が不可能となった」時点で切れる。これを利用して全権を握ろうとする動きの多い事多い事…無論大半は失敗に終わるだけですが、まさにこのタイミングこそハイエナの稼ぎ時。「敵の敵は味方」なのだから、大衆的支持を獲得しての圧勝が確約されている?
それでも「共産主義こそ究極の平和主義である」と主張する人は未だに根強く生き延びており、最近ネット上でこんな本音を漏らしてしまいました。「本物の平和主義者たる俺達が殺せと命じた相手も殺せない様な似非平和主義者は、まず俺達から殺される(発言削除済み)」「資本主義圏に真の意味での自由など一切存在しない。それはむしろ中国や北朝鮮において達成されたのである。国際正義遂行を何人からも妨げられない自由、これこそ至高の自由。それに抗う者は全て滅ぼし尽くされる(発言削除済み)」。まさにポーランドのSF作家スタニスワフ・レムが検閲を免れる為に迂遠な表現で指摘してきた「共産主義とは所詮、欧州社会が放棄した欧州中心史観を拾って焼き直したパロディに過ぎない」なるテーゼそのもの。これこそまさに「赤旗組(伝統的共産主義の精神の継承者というより19世紀急進共和派の衣鉢を継ぐ新左翼の残党)」が本当に理想視し実現を目指してる社会という次第。
*エンターテイメントの世界では「狂った反逆者やマッドサイエンティストの妄想」としてしか残り得なかった何か?
最大の皮肉は、こうした歴史について最も自覚的なのが中国有識者層という点かもしれません。中国共産党内部における水面下での党争は不明点が多いですが、彼らはそれを以下の以下の三勢力の三つ巴の戦いと掌握しています。
- 鄧小平を始祖と仰ぐ(中国高度成長期の継続を最優先課題とする)走資派残党
- (ポル・ポト派に手本とされた文化大革命を今日なお理想視し続ける)毛沢東派
*薄熙来の逮捕と無期懲役で苦境に
- 北朝鮮の様にコンパクトかつ効率的な政体(すなわち独裁)実現を目指す周近平ら社会主義ファシスト集団
*「中国共産党は自ら核開発に着手した途端にソ連の核開発を攻撃し始めた。そして今は日本のファシズム化を攻撃している」は至言。ただし中国経済はいまだ本格的破綻をきたしておらず、また周近平にムッソリーニやヒトラーやスターリンや毛沢東の様なカリスマ性が備わっていない為に苦戦中。というか、これだけメディアとネットが発達した時代に当時の様なカリスマ性の復活なんて可能なの?
中国有識者層自らが「トラとライオンと狼のどれに喰われるのが嬉しいかなんて、聞かれても返答に困る(むしろ三つ巴の喧嘩に決着が着かない現状の維持こそ最良の選択肢?)」と嘆く惨状。しかし少なくとも彼らは現実を直視しています。日本人も彼らの冷静沈着なスタンスを見習うべきかも?