諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「知性主義と反知性主義の歴史的対峙」なる虚構

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最近「知性主義と反知性主義の歴史的対峙」みたいな言説が飛び交っています。大元は1950年代米国。リチャード・ホフスタッター「アメリカの反知性主義(Anti-intellectualism in American Life、1963年)」あたり。要するに新左翼運動やヒッピー運動前夜、そうした動きの胎動を抑え込む為に放たれた言説だったのですね。

この文脈における知性主義と反知性主義の歴史的対峙図式化の範囲は、例えば以下。

ぼくの知っている「反知性主義」というのは、決して悪いものではない。それはむしろ「反インテリ主義」とも言うべきものだったはずだ。

大学いって勉強した博士様や学士様がえらいわけじゃない、いやむしろ、そういう人たちは象牙の塔に閉じこもり、現実との接点を失った空理空論にはしり、それなのに下々の連中を見下す。でもそんなのには価値はない。一般の人々にだって、いやかれらのほうがずっと知恵を持っている、という考え方だ。

これはもちろん、フリーソフトの発想であり、インターネットの発想でもある。そしてそれは、ベトナム戦争の頃に体制擁護に堕した「知識人」に対する草の根的な反発の根拠でもあったはずだ。

そしてそれはもっともっと広い、反エリート思想の流れでもある。ぼくは、エリート主義者ではある。そしてちゃんとした知性に深い敬意を抱いている。その一方で、ぼくはこういう反知性主義的な嗜好も持っている。知識も技能もエリートが独占する必要はないし、また独占させればエリートは堕落するし、そこらの素人がそれを蹴倒す可能性だってある。矛盾するようだけれど、ぼくはそれを信じている。またインターネットの各種動きは、集合知的なものを通じてそれを実現した面もあると思っている。知性主義というべきものと、反知性主義とのバランスはどうあるべきか、というのが、ぼくにとっては重要な課題だ。

アメリカにおいては、教会の権威や貴族文化により知性というかインテリの地位が確立していたわけではない。ヨーロッパでは伝統的に、知性や知識・教養は行政的、宗教的な権威と不可分だった。でもアメリカはまさに、そうしたヨーロッパ的な権威への反抗から生まれた、それが嫌な人たちが逃れてきた国だ。むずかしいお勉強しなくても、ご立派な学校にいかなくても、高尚な文化がわからなくても、人生や世界の真理は十分にわかるはずだ、いやむしろそういう余計な知恵を身につけないほうが、本質的な知恵を獲得できるはずだ、という発想がそこには根強くある。役にたたない空理空論より、実践を通じた実学、ビジネス、技術が重要なんだという発想がある。それが反知性主義の基盤だ。

つまり、浮き世離れしたなまっちろいエリートの机上の空論より、現実に根ざした一般庶民の身体感覚に根ざす直観こそが貴いという考え、それこそが反知性主義の基盤だ。しかもそれはアメリカにおいては、建国の理念の一部ですらあり、その後のアメリカの世界支配の足がかりでさえある。
そして、ホフスタッターもアメリカ人として、この発想自体はかなり認めている。それは民主主義の思想だし、トックヴィルを驚愕させた陪審員制の思想だ。かれはそれを、よい衝動と呼ぶ。

それなのに、そのよい衝動から始まった反知性主義は、アメリカの歴史上で常に粗野で偏狭で下品で抑圧的な動きにつながる。マッカーシズムがその典型だ。かれは、清教徒の到来からその歴史をずっと描き出す。エリートが強くなると、反知性の動きが盛り上がり、それが知識人排斥の嵐となって、最低の衆愚がやってくる。

到底単純で普遍的な二項定理になんて落とし込めなさそうな複雑怪奇な状況。問題整理には以下の様な考え方がツールとして役立ちそうです。

  • 生の哲学」的アプローチ…蟻の行動オプションはごくごく限られているが、それでも生きていくには十分だし、複雑な地形を走破する過程で複雑な足跡を残す。

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  • 「支配者(Ruler)交代劇」的アプローチ…原則として支配側は統制(Controlling)を、被支配側は解放(liberating)を志向。ただし「現在の解放者(liberator)が次世代の統制者(Controller)として新たな抵抗者(Protester)の標的となる」あるいは「時代遅れだったり急進的過ぎたりする抵抗者(Protester)が社旗秩序維持の敵として排除される」といった状況変化を伴う。

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  • 「敵友理論」的アプローチ…戦争や政争に際して国内意見をまとめようとする時、インテリは空気を読まず過度に好戦的過ぎたり、過度に敗北主義的過ぎたりする。
    *しかしそもそも時流に迎合するばかりで多様性を欠いたインテリなんて、そもそも存続価値あるの?

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実際、米国では19世紀末より台頭した進歩主義は、20世紀後半までに保守主義へと変貌してしまいます。「(世界恐慌を経験した)1930年代が契機となった」とも「第二次世界大戦(1939年〜1945年)後の米国一強状態が生んだ変化」ともいわれていますが、要するにこのタイミングにおいて知識人が経験した存続危機こそが重要なのですね。

1950年代を懐かしむアメリカ人(日本では昭和30年代(1955年〜1965年)を懐かしむ昭和懐古主義に該当)は「あの頃は何が正義か誰もが分かってた素晴らしい時代だった」 みたいな言い方をします。しかし実際に美化のベールを剥ぎ取ってみると、こんな時代だったのでした。

  • アメリカだと赤狩りによってハメットが社会的に抹殺され、黄金時代のアメコミ文化が潰された時代。
    ハメット「血の報酬(Red Harvest、1929年)」の翻案という側面が強い黒澤明監督「用心棒(1961年)」が国際的ヒットを飾ったのも、後に日本の漫画アニメGAME文化が米国進出を果たすのも、この時期本国では抹殺された当時の米国文化が日本にはしっかり根付き、さらなる発展まで遂げていたからとされる事がある。

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  • 日本だと「悪書追放運動」によって、手塚治虫が袋叩きにされた時代。
    *これが1965年には「三ない運動(読まない、見せない、売らない)」に発展し、1960年代末から1970年代初頭には永井豪ハレンチ学園(1968年〜1972年)」が壮絶なバッシングを喰らう展開に。

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中央の権威がそれぞれの伝統的地方共同体内部に全く及んでいなかった」中世的分権状態から「国王や教会の権威に裏打ちされた領主が領土と領民を全人格的に代表する」近世的農本主義に推移する過程においては「魔女狩り」の扇動こそが知性主義だったのを思い出します。

*そういえば当時執筆された横溝正史の「金田一耕助シリーズ(1946年〜1980年)」も(戦前やり放題だったり因習に凝り固まった)名家や華族の旧悪を暴く内容が多かった。GHQに迎合した? また1970年代に入ってエリック・シーガル「ある愛の詩(Love Story、1970年)」の翻訳を自ら手がけた角川春樹がリヴァイヴァルしたのも、そこに(「ある愛の詩」同様に)「(世代差を背景とする)親子の葛藤」描き込まれていたからとも。

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そしてまさに、こうした正義感の度重なる暴走こそが日本における太陽族映画や(本格派推理小説を席巻する形での)社会派ミステリーの流行、および国際的レベルでの新左翼運動やヒッピー運動の波及という反動を引き起こしてしまったとも。そういう意味ではこうした一連の動きは「反知性主義」としてカテゴライズされるとも。
*日本ではさらに同時進行で戦後教育解放運動による「少数精鋭の大卒者によるエリート寡占体制」の破壊が進んだので、より複雑な展開に。

この当時の「反知性主義」は以下の様な特徴を備えていました。

  • 知性が命じる相手も殺せない反知性主義者は、まず本物の知性主義者たる我々が殺す」と脅迫する立場。
    フランス革命当時の「理性」を「知性」に置き換えただけのスローガン。まさしく革命戦争遂行の為に国内でホロコーストを繰り返したジャコバン独裁政権の思考様式そのもの。ただフランスには「右側に気をつけろ(Soigne ta droite)」なる言い回しもある。

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    これは元来はボクシング用語でルネ・クレマン監督の短編映画の題名であった「左側に気をつけろ(Soigne ta gauche)」に由来する表現。政治キャンペーンにおいては保守陣営側がこれを「革新派陣営は信用ならない」というニュアンスで使ってきたが、ある時に革新派陣営側がそれを逆転させて「(正統主義を気取る)保守陣営だって同じくらい信用ならない」というニュアンスで用いたのが最初という。1986年のゴダール映画の題名としても有名だが、これはさらに捻って「王道映画が本当に正解?」というニュアンス。フランス政治史的には「三色旗を(急進共和主義を象徴する)赤一色に染め抜こうとする動きと同じくらい(王党派を意味する)白一色に染め抜こうとする動きは危険だった」実体験に基づく。

  • 究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」なるジレンマを、ジレンマとしてでなく達成すべき使命として受容する立場。
    ファシストの英雄を父に持つ共産主義者だったボローニャ出身のパゾリーニ監督が遺作「サロ、またはソドムの120日(Salo、 or the 120 Days of Sodom 1975年、邦題『ソドムの市』)」で辿り着いた結論。新左翼運動やヒッピー運動がどうして「シャロン・テート惨殺事件(1969年)」や「山岳ベース事件(1971年〜1972年)」や「あさま山荘事件1972年)」や「ガイアナ人民寺院集団自殺事件(1978年)」に行き着く形で終焉を迎えた理由を端的に表しているとも。

    *社会派ミステリーを引っ提げて時代を席巻した松本清張も、全盛期には「もはや日本人は菊地寛以外の日本文学を読み返す必要は無くなった。それが分かってない文学は全て私の作品が駆逐する」と豪語していたという。おそらくその発想の起源は2つ。ルーゴン=マッカール叢書(Les Rougon-Macquart、1870年〜1893年)発表によって「自然科学主義文学」を提唱したエミール・ゾラ(自分の作品の様に「科学化」されてない文学は後世全て滅ぶと予言)。そして戦前から虎視眈々と「変格推理小説派」殲滅の機会を狙ってきた「本格推理小説派」の執念。しかしながら(エミール・ゾラが去った後のフランス文壇同様に)社会派ミステリー・ブームが去った後の日本推理小説界は廃墟同然となり「翻訳ミステリー・ブーム」「江戸川乱歩横溝正史夢野久作リヴァイヴァル」によって支えられる展開に。
    *そういえばTV放送開始にタイアップしてプロレス興行を成功させた力道山は「相撲業界を出奔した異端児」だったし、「巨人の星(1966年〜1971年)」「タイガーマスク(1968年〜1971年)」「あしたのジョー(1968年〜1973年)」といったスポ根漫画で歴史に名前を残した梶原一騎も「挫折した文学少年」だった。松本清張の日本文壇やアカデミズムに対する挑発的態度を含め、この時代の文化展開には「既存秩序に対するルサンチマン」という要素が欠かせない。

結局のところこの時代には「知性主義側」も「反知性主義側」も(民主集中制とか密教主義とか罵倒された)宗教的権威主義から脱却出来ず、その自壊は双方を退潮に追い込んだとも。まだまだ世界中が第二次世界大戦中の総力戦体制の余韻から抜け出し切れていなかった時代。そうこうするうちに冷戦が始まってしまった時代。いっその事そう要約してしまった方が早いとも。

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どうやら発想のパラダイムシフト(paradigm shift)が必要な様です。そもそも「知性主義と反知性主義のどちらが正解か?」という問い掛けは「19世紀フランスにおいて急進共和主義と王党派のどちらが正解に近かったか?」 という設問と同じくらい無意味。「どちらにも偏り過ぎないのが処方箋」なんてケースだってあるからです。ましてや「(フランスの政治的浪漫主義運動みたいに)標的が倒れると自らも一緒に消え去る抵抗運動」に至っては、単独で論じる意味すらないとも。

おそらく進歩主義と伝統主義の対立はエネルギー切れと妥協点の成立によって完全対消滅するその日まで相互を活性化し合うものなのである。

そもそも科学実証主義の起源はイタリア・ルネサンス時代も後期に入った16世紀、人体解剖学の発展によって古典的医学知識を次々と塗り替えていったボローニャ大学パドヴァ大学で流行した新アリストテレス主義、すなわち「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」に由来すると考えられています。

なにしろ常に反証可能性を内包するのが、科学であり本当の意味での純粋知性。そう簡単には宗教や伝統を支える信念の完全代替物とはなり得ないのです。この次元では元来なら「論争では常に迷いの少ない馬鹿が、迷いの多い賢者に勝つ」みたいなジレンマこそが反知性主義を代表する筈なんですが…

こうした「(宗教的権威性と不可分の関係にあり、パラダイムシフトを決して認めない)旧世代の知性主義」との関係が何かと厄介です。ある意味科学実証主義そのものといって良い米国実用主義ですら、危うげな側面が皆無とは言えません。

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*「(宗教的権威性と不可分の関係にあり、パラダイムシフトを決して認めない)旧世代の知性主義」‥ちゃんと相応のパラダイムシフトは受容してるのに、何故かスペインの急進左派ポデモスがそう言われる事も。カタルーニャ独立運動に反対したり、親露発言を繰り返したりしてるせい?

*米国実用主義pragmatismプラグマティズム…英国経験論から「経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」という理念を継承し「最も効率的で最適な唯一解」の発見に血道を挙げた。1870年代に博学な論理学者、数学者、哲学者および科学者として知られるチャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce、1839年〜1914年、1886年に論理演算が電子的スイッチング回路によって実行される事を予言した人物でもある)が、ドイツ語の「pragmatisch(実際的)」にちなんで提唱。主著の一つ「信念の固定(The Fixation of Belief、1877年)」では「人は特に積極的理由がない限り疑い得ない常識の世界に生きている」「その疑い得ない常識に疑念が生じた時には、可及速やかに新たな命題や推論に辿り着き、信念の再固定を遂行しなければならない」とした。最も興味深いのは(可謬主義に立ち「真理には実際に複数の正しい答えがある」と考える多元論者の立場に立ちながら)カントやデカルトの提唱した「経験的認識によって到達可能な識別範囲」と「世界そのもの」を分けて考える主客二元論の継承を拒絶した事。おそらく理性の機能を特別視する「先見論(a priori)」の泥沼に巻き込まれたくなかったからで、哲学者および心理学者として知られるウィリアム・ジェームズ(William James、1842年〜1910年)は、これを説明する為に「(19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州に広まった)生の哲学(独: Lebensphilosophie、仏: philosophie de la vie、 英: philosophy of life)」同様に真理有用説(認識可能な範囲で必要なだけの実利は満たされ得るとする立場)を導入した。まさしく「WysWyg(What You See Is What You Get)」の世界。

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ニーチェの真理有用説…大陸合理論におけるヘーゲル批判という文脈から導出。「生とは、すべてを我がものとし、支配し、超え出て、より強くならんとする権力への意志である」とする立場から真理も理性も「権力への意志」ととし、従来の真理の概念をひっくり返し真理は一種の誤謬であるとする。ただし、それはそれなしではある種の生物である人間が生きてはいけないという厳しい条件のついた誤謬であるとして、真理を理性と共に生に従属させ、人の生に有用であるか否かをもって真理の基準としたのである。「敵を特定して対峙する一方で、味方の同化を図るのが政治である」と断言したカール・シュミットの政治哲学を準備したとも。

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*こうした全体構造は、いわゆる「ABCD層分析」を思わせる。そのオリジナルは1990年代に内閣府が広告会社「スリード」に発注した「郵政民営化を進めるための企画書」における国民各層分類。ここでは、そもそも構造改革にPositiveかNegativeかはその思想的立場に寄らない。

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 ニーチェ研究家の適菜収「ゲーテの警告 日本を滅ぼすB層の正体(2012年)」は「権力の意思」論に基づいてこれを以下の様にアレンジする。

  • 普通に考えると「普遍的(伝統的)価値観に基づいた集団行動によって選挙戦を有利に運ぶ」のが保守層で「反普遍的(自由主義的・個人的)価値観に基づいて私利を最優先とする事が多いので選挙戦で苦戦を強いられる」のがインテリ層となる。実際の歴史上も(リチャード・ホフスタッターが「アメリカの反知性主義」の中で詳細に吟味している様に)概ねこの基準に沿って展開してきた。

  • しかしニーチェの「権力の意思」論はあくまで「自らの生存の為に周囲を服属させる」力の働きのみに注目する。そこで普遍的価値観の位置付けを逆転させて「何を行うのが正しいか常に知ってるインテリ層(当然毎回選挙で勝つべき)」が「私利私慾まみれで間違った判断しか犯さない愚民層(当然毎回選挙で負けるべき)」を従属させる枠組みを創造し、これを自らの哲学における真理と定めたのである。全体構造としては概ね(共産主義やナチズムを「野蛮状態への後退」と嫌悪する立場から一刻も早く愚民より選挙権を取り上げ、エリート独裁体制の復帰を果たす必要があると説いた)オルテガ「大衆の反逆(La rebelión de las masas、1929年)」の系譜に位置付けられる。おそらく最近飛び交っている「国際正義と人道主義反知性主義の勝利を絶対に許さない」的言説も同様。

ちなみにオルテガを生んだスペインでは現在、急進左派のポデモス(Podemos)が「政治は何が正しいかということとは関係ない。成功することが全てだ」とする立場から「インテリが選挙で勝つには保守派の疑心暗鬼の克服が最優先課題」なる選択を下して選挙戦を次々と制している。この「生の哲学」をも採り入れるた新展開を視野に入れると「牧民思想(全愚民を完全統制下に置くインテリ=ブルジョワ階層独裁体制)の実現」そのものが目的化してしまった後者はどうしても周回遅れの感が否めない。

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ところで実際の論争の多くがどちらかの勝利でなく「対消滅」という形で終わるとはいえ、後に何も残さないとは限りません。いやむしろ、その結果として残る「幻痛(体感幻覚)の様なもの」こそが権力と権威を分けて管理する場合の「権威」の源泉とする立場すらあります。何しろ「根拠ある自信」はパラダイムシフトによって前提条件を覆されたらそれまでですが「根拠なき自信」にそんな死角は存在しないので、ある意味無敵の存在ともなり得るのです。
*そういえばレジティミスム(Légitimisme=ブルボン朝復興を願う正統王朝主義)からも、オルレアニスム(Orléanisme=オルレアン朝復興を願う立場)からも、ボナパルティズム(Bonapartisme=ナポレオン家再興を願う立場)からも、ウルトラモンタニズム(ultramontanism、教皇至上主義)からも、ガリカニスム(Gallicanisme、フランス教会自立主義)からも距離を置く事を宣言したフランスの新王党派(La Nouvelle Action Royaliste)辺りもまた、こんな理屈をこねてた様な。

そもそも過去に生きられない人類は「完全に過ぎ去った過去」に対しては郷愁すら抱く事が出来ないはずなのです。それでも生じのが郷愁なのだとしたら、人類をどこに導いていくのでしょうか?

それでは「特定の根拠に依存しない自信」とは? 真っ先に念頭に浮かぶのはフランスにおけるシック(chic)とビザール(bizarre)を分ける境界線、さらにはその発展形としてのエフォートレス・シック(Effortless Chic=自然体)の概念。英国における「ダンディ(dandy)」の概念。日本における「と無粋の境界線」の概念あたり。
*日本のエンターテイメントの世界になら、さらに捻った「仕事を選ばないHello!! Kittyさんと初音ミク」なんて概念も存在する。「本体はあくまでEmptyなので、どんな汚れ仕事を手掛けても決して本体は汚れない」のが最大の特徴。これこそがまさしく「究極の純粋権威そのもの」。般若心経における「色即是空、空即是色」の世界?

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政治の世界ではこれに該当するのが「理性」や「知性」とする向きもありますが、まさにその立場こそが「インテリ=ブルジョワ層にとっては常に公私混同による既得権益死守と蓄財が全て」という疑惑の源泉だったりする次第。また「理性」や「知性」はただでさえ人への押し付けを伴う野暮で無粋な思考様式なのに、それを当人がシックとかダンディとか粋とか信じ込み出したら弊害が極限まで達します。どんなにオシャレな服だって、全国民がその着用を義務付けられたら人民服化するだけですね。

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こういう立場に立つと、まさに「対立が対消滅していく瞬間」に立ち会ったフローベールが残した「制度虚構論」は全然過去のものではありません。
*ただしサルトルは全面否定。オルテガ同様、アンガージュマン(Engagement、有識者の政治参加)こそがファシズムやナチズムに対する最大の防壁と確信していたからで、日本の有識者も多くがその立場を継承する。

*ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム、遅れてきた国民(Die verspätete Nation. Über die politische Verführbarkeit bürgerlichen Geistes、1935年)」もまた、そもそもナチスが台頭するはるか以前の段階において既にインテリ=ブルジョワ層は大衆に語りかけて通用する言葉を完全に喪失していたとする。マルクスの「上部構造論」や吉本隆明の「共同幻想論」の様な思考様式だって、内包する対立軸が現実と一致しなくなった時点であぼーん。その空白を埋める形でカール・シュミットの例外理論や友敵理論は広まり、ナチスの指導者原理理論に組み込まれていったのである。

それはもしかしたら「権力に到達したブルジョワジー(bougeoisie au pouvoir)」あるいは「二百家」と呼ばれるフランス支配階層の基本的態度そのものでもあるかもしれません。一言で要約すると「手のひらは何度返しても減らない」?

*フランスで醒め切っているのは別に新王党派(La Nouvelle Action Royaliste)だけではないし、そもそも両者の間に絶対境界線を設ける事の方が難しいし、それが他人の目には時としてシック(chic)に見えたり、奇妙(bizarre)に見えたりするだけなのかもしれない。そしてフランスのファッション誌「ELLE」によれば、その完成型が「自然体(Effortless Chic)」なのだという…そもそも何で英語なの?

*故・森瑤子女子がエッセイの中で「パリで実物を目にして思い知らされた。ジェーン・バーキンがTシャツGパンにロレックスの腕時計という姿でも自然なのは、彼女がジェーン・バーキンだからなのだ。胸もないくせに!!」と叫んでいたのを思い出す。そもそも「自然体」って一体何?

フローベールによれば、実際に「現実的対立が対消滅していく瞬間」に一般人が目にするのは「ちびくろサンボ(The Story of Little Black Sambo、1899年)に登場するトラの様に超高速で回転しながら融合して原型も失ってバターへと変貌していく凡人の群れ」という事になります。この辺りの展開はヘルムート・プレスナーナチス台頭期前夜に目撃した「ドイツでインテリ=ブルジョワ層が失語症に罹患していく展開」と重なる?
*そういえば「本物の審美眼を持たず、真っ当な価値判断など一切出来ないのに自信たっぷりで、自らの浅薄な価値観を社会全体に押し付ける恥知らず」「所詮はマスメディアに踊らされやすい知的弱者」「天才ニーチェは大衆など何を言っても聞かない畜群に過ぎないと考えており、その存在自体に耐えられず発狂して死んでいったのである」といった罵詈雑言の連続で形成されている適菜収のB層理論は、ナチス台頭期前夜のドイツ・インテリ層に共通して見られた「ビーダーメイヤー(Biedermeier、1815年〜1848年)的小市民(官僚や軍人には盲目的に依存しつつ関心をし的享楽に集中させる個人主義者)」への侮蔑的態度とも連なる部分がある。共通するのは「下賤な輩に黙殺される事に対するインテリとしての憎悪」。相手の耳に届く言葉を失ったのは自分の方なのに、全ての責任を相手側に転嫁して自尊心を守ろうとする。「真っ当な価値判断など一切出来ないのに自信たっぷりで、自らの浅薄な価値観を社会全体に押し付ける恥知らず」は果たしてどっちの側なのか? しかも追い払われたユダヤ人以外は、その多くが「ナチスという権威」に認められるとあっけなく御用学者に転向してしまうのである。

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そして19世紀中旬のフランスは、第一次世界大戦に敗戦した直後のドイツよりさらなる混乱状態にあったのです。

久保田斉也「ギュスターヴ・フローベール『感情教育』におけるフィクションとしての制度と言説について」

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二月革命が起こる前、革命を求める気運に押されてか、保守派から進歩派・共和派へと境界をまたぐ人が増えた。

(……)ひとりの経営者が言った。

「社会の転覆を夢みているのが、世間の一階層をなしているんですよ!」
「そいつらが労働の組織化を要求しているんです」と別の同類。「あきれた話だ!」
「何を望んでいるのですか」ともうひとり「なにしろジュヌード氏が『世紀』に手を貸すご時世なんだ」
「そう、保守派たちまでが進歩派を名乗るご時世なんです。われわれを導くためというが、要するにそれは、共和制なんだ! あたかもフランスに共和制が可能であるかのようにね!」

②ところが、二月革命が起こり、民衆・労働者たちは、自分たち自らの開放という夢の実現を希求していたのだが、実情はそのように進展することはなく、民衆・労働者の間に不満が形成されることになり、やがてその不満が噴出し、二月革命が勃発したその年の六月に、六月暴動が起きる。そして、この六月暴動を境に、またしても保守派と共和派という二つの陣営が流動的となり、共和派の唱える言説と保守派の唱える言説とが通底するという事態がおこる。

(……)セネカルは権力に味方すると宣言した。そしてフレデリックは、セネカルの言葉のなかに自分がデローリエに言ったことが誇張されていると気づいた。この共和主義者は大衆の無能を激しく非難さえした。
ロベスピエールは少数者の権利を擁護して、ルイ16世国民公会の前に連れて行き、そして民衆を救った。目的が手段を正当化する。独裁が絶対に必要なときだってあるんだ。独裁者が善いことをなすなら、独裁制も万歳だ!」

③物語中に登場する教条的共和主義者のセネカルは、ついには、ルイ・ボナパルト第二帝政の権力そのものとしての警官となり、友人のデュサルディエを殺害するに至る。

帝政を望む者もいれば、オルレアン家を望む者も、シャンボール伯を望む者もいる。しかし、地方分権化の体制を緊急に進めなければならないと認める点では、誰の意見も一致していたし、その方策もいくつか提案されていた。(……)憎しみの感情が蔓延していた。小学校教師に対する憎しみ、酒屋に、哲学者に、歴史の授業に、小説に、赤いチョッキに、長いひげに、すべての独立不羈なものにたいする憎しみ、あらゆる個性の表明に対する憎しみである。というのも「権力というものの原則を立てなおす」必要があったからであり、それがどんな名において行使されようと、どこから下されようとかまわない、「力」であり「権威」でありさえすればいいのだ! 保守主義者たちが今やセネカルと同じようなことを話していた。フレデリックは、もはや理解できなかった。
*赤いチョッキは政治的浪漫主義者の象徴。「長い髭」はおそらくユダヤ人のラビを暗喩している。戦間期ドイツ同様に、当時のフランスでも「反知性主義」なら猛威を振るっていたという次第。

④制度は、それ自体において、自らを根拠づける正当性などどこにも存在しないのであり、制度は制度として機能しはするものの、自らを根拠づける正当性の不在による、一抹のフィクション性を免れることはできないのではないか。フローベールはその点において「制度というものの自明性」が疑問符をつけ、制度の「虚構」性が常に意識されることになるのである。

「(……)しかしその政府はといえば、切りのない原則を唱えはするが、正当性をもつものではない。しかし「プランシップ」は同時に「根源」の意味でもあるのだから、根源に立ち返るためにはつねに革命を、暴力行為を、過渡的現象を参照しなければならない。そうすると、わが国の政府にとってのプランシップは、議会制の形態において理解された国民主権だろう。もっとも議会はそんなことは認めないと思うけどね! それはそうと、国民主権が神権よりも神聖不可侵なるべき理由はどこにある? どちらにしたって虚構だよ! 形而上学はもうたくさんだ、幻想はやめにしてくれ! 街路清掃させるのにドグマはいらない! 僕が社会を覆すというのか!それでどうした? 覆して何が悪い? まったく、現在の社会なんてそれに適しているよ!」

⑤共和制というひとつの原則のもとでの平等というスローガンについて、そして平等という言葉の現実におけるたち現われについて、フローベールは、ルイーズ・コレに宛てた手紙のなかで、次のように語っている。

僕が話している貶めることへのこの偏執は、根底的にフランス的なもの、平等と反自由の国のものです。というのも、わが祖国では自由は嫌われているのですから。国家の理想とは、社会主義者たちに言わせれば、あらゆる個人的な行動、すべての人格、すべての思想をみずからのうちに吸収してしまい、そしてすべてを指導し、すべてを執り行う一種の巨大な怪物なのではないのだろうか? 司教のような専制がこれらの狭い心の奥底にはある「すべてを規制しなければならない、他の基盤に基づいていっさいを作り直し、再建しなければならないのだ」云々。(……)人間が今やこれほど狂信的であったことはないと思います。が、この狂信は人間自身に向けられているのです。(……)普通選挙の絶対無謬性は、ひとつの教義(ドグマ)となり、教皇の絶対無謬性の教義(ドグマ)の後に続こうとしています。働くものの力、多数の権利、大衆への敬意が、家柄の権威や神権、精神の至高性の後を継ごうとしています。(……)平等があらゆる自由や卓越したものの否定、自然そのものを否定するものではないとしたら、いったい平等とは何なのでしょうか? 平等、それは隷属のことです。だからこそ、ぼくは芸術を愛するのです。

⑥この引用において窺われるように「平等」というスローガンからたち現われてくる「普通選挙の絶対無謬性」というものは「教皇の絶対無謬性」と同じように、フィクション性を忘れ去られたひとつの制度、つまり「教義(ドグマ)」にすぎないということを、フローベールは指摘している。一方、二月革命が起こり、普通選挙が施行されることになると、主人公フレデリックは、周囲からの促しもあり、進歩的共和派という立場から、議員に立候補しようとする。そのため、立候補の承認を得ようと、さまざまな政治クラブに立ちよっては、自分にふさわしい政治クラブを探していた。それら政治クラブには、いったいどのようなクラブが存在していたのか、それらクラブを、フローベールは記述している。

ふたりは、すべて、およそクラブを、ほとんど全部見てまわり、それらは、赤いクラブ、青いクラブ、怒り狂ったクラブ、穏健なクラブ、清教徒的なクラブ、だらしのないクラブ、神秘的なクラブ、酔っぱらいのクラブ、あるいは王の死を宣告しているクラブ、あるいは食料品業者のいんちきを告発しているクラブ、といった具合である。
*「フランス三色旗のうち赤が急伸共和派の色、白が王政復古派の色だったとしたら、青が象徴しているのは一体どんな党派か?」なる問答がある。実際の三色旗はパリの旗章(赤と青)に正統王朝主義(Légitimisme)の奉ずるブルボン家旗章(白)を重ねたものとされているので正解はない。ただ当時「青=保守派」というイメージがあった事実は揺るがない。穏便派共和主義者から国王や教会の復権までは求めない王党派まで含む幅広い中間層で、まさにその雑居性こそが「ぐるぐる回るうちにバターが出来上がる」母体となっていく。

⑦ここに列挙されたクラブを見てみると、片方の極からもう片方の極までと、上下左右を覆うかたちでクラブが乱立しているさまを窺うことができるのだが、それほど事態は流動的であった。ところで、これら乱立している政治クラブにおいて、いったい何が語られ、行われていたのか。フローベールは、このように続ける。

そして、いたるところで、借地借家人は地主家主を呪い、仕事着は燕尾服を責め、金持ちは貧乏人を倒そうと共謀していた。警官による昔のひどい仕打ちの代償として賠償金を要求している者がいるかと思うと、もろもろの発明を実際に移すために資金を懇願している者もいたし、あるいはまた、ファランステールの計画だとか、郡市場の計画、大衆福祉の制度などが持ち出されることもあった。──そして、そこかしこで、こういう愚かさの霞をぬって機知のきらめきが走り、荒々しい言葉が突然ほとばしりでたり、ののしりの言葉で法律が口にされたり、シャツを着ない裸の胸にサーベルの肩革をじかにかけた無礼者の口から、雄弁の花が咲いたりした。またときには、へりくだった物腰の貴族である紳士が現われ、庶民のひとりであるかのようなことを口にしたのだが、この紳士は、たこができているように見せかけるため、手を洗わずにいたのである。ひとりの愛国者が彼をみやぶり、道義感にあふれた連中が彼を激しく非難した。そして紳士は憤怒を胸に、その場を立ち去った。良識が持ち合わせる熱意にうながされて、弁護士たちを中傷しなければならなかったり、「社会という建造物に自分の石を寄与する──社会的問題──作業場」などといった言い回しをできるだけ口にしなければならない雰囲気だった。

⑧さまざまな政治クラブが乱立し、そこにおいてそれぞれの主張がなされているかと思えば、「いたるところで」なされるのは、「借地借家人」の「地主家主」への、「仕事着」の「燕尾服」への、「金持ち」の「貧乏人」への、階級的齟齬感にともなう不満であり、さらには、「警官」への賠償金請求、発明の実用化に向けての資金要求、また、「ファランステール」や「郡市場」や「大衆福祉」の計画といった、当時流通していた社会主義的理想の現実化へ向けての話題であり、どこにおいても、さまざまな政治クラブの立場の個別性が際立つということとは程遠く、繰り返されるのは、「いたるところ」で繰り返される紋切型ばかりなのである。実際、こうした紋切型が繰り返される「愚かさ」のなかにあって、人々は、良識の徒らしく装おうとし、こぞって弁護士の批判を繰り返し、「社会という建造物に自分の石を寄与する──社会的問題──作業場」という紋切型を連呼しなければならなかった、そして、そうした紋切型を口にしなければならない「雰囲気」が蔓延していたのである。そしてフレデリックは友人のデュサルディエの導きで、「知性クラブ」と名付けられた政治クラブたどり着く。そこの参加者たちは、簿記係を務めている男、葡萄酒の仲買人、建築家、芸術家、復習教師、司祭にして農学者、石工、無名の文士など多種多様であり、やがて、このクラブのなかにおいて、クラブ独自の議員への立候補者を選出することになるのだが、この場面において、紋切型の蔓延と言説のインフレーションとを窺うことができる。

スータンを着、ちじれ毛で意気込んだ顔をした男が、すでに手を挙げていた。彼は早口で、自分はデュクルトという名で司祭にして農学者、『肥料』という本の著者であると明言した。園芸サークルに、この男は追い払われてしまった。
カール・シュミットの例外状態理論ではないが、当時のフランスにおいても「砂糖大根農園の利権代表者とかを当選させて議会に送り込んで、それで政治が成立するはずはない」といった認識なら存在したのである。

それから、仕事着を着けた愛国者が壇上にはい上がった。これは庶民のひとり、肩幅はひろく、大きな顔が非常に柔和で、長い黒髪だ。彼は、官能的ともいえそうな視線で一同を見渡し、頭をのけぞらせ、それから両腕を広げると「兄弟たち、諸君はデュクルトを追い払った!君たちは善いことをした、けれどもこれは無信仰のためではない、なぜならわれわれはみな、信心深いからだ!」

多くの者は口をぽかんとあけ、公教要理の受講者めいて、うっとりとしたかたちで聞きいっていた。

「というのも、彼が聖職者であるためでもないはずだ、なぜなら、われわれ、われらもまた司祭だからだ!労働者は司祭である、社会主義の創始者、われわれみんなの主、イエス・キリストがそうであったように!」神の支配が始まるべき時が来たのだ!福音書はまっすぐ89年へつながっている!奴隷廃止のつぎはプロレタリアの廃止だ。かつては憎しみの時代であった、これから愛の時代が始まろうとしている。

キリスト教は、新しい建物の穹窿のかなめ石でありそして土台である……」

「おれたちをばかにする気か?」と葡萄酒仲買人が叫んだ、「だれが、こんな坊主をよこしたんだ!」

この妨害で、ひどい騒ぎが起こった。ほとんど全員がベンチの上にあがり、そして、拳を突き出してわめきだした。

*葡萄酒仲買人による「坊主」への批判のあと、葡萄酒仲買人は、信仰をなくしてしまえば経済はうまく行くという言説を唱えることになるのだが、その見解はすぐさま、行き過ぎだと、別の誰かに批判され、その批判の際に石工の比喩が持ち出されると、今度はその場に居合わせた石工が叫び散らす。「坊主」であるところの労働者は、依然、壇上を降りようとはせず、「諸君におれの叫びを止めることはできないぞ。わが愛するフランスに永遠の愛を!そして、共和国に永遠の愛を!」と叫ぶ。そのとき、ルジャンバールの知り合いであるコンパンが、「市民諸君!」という言葉を何度も繰り返し、謎の言葉である「子牛の頭」を連呼する。が、だれにも理解されず抱腹絶倒され、身を引かざるを得ないところに、ペルランが芸術関係の立候補を求めたところ、他の誰かが、芸術なんてものは関係ない、問題なのは、「政府はとっくに政令を出して、売春と貧困を根絶していて然るべきではなかったのか?」と口にし、税金の話しから役者に支払われる高給について話題が及ぶと、役者のデルマールは、こう叫ぶ。

「ここは、わたしに言わせて欲しい!」とデルマールが叫んだ。彼は演壇に飛び上がり、みんなを押しのけて、お決まりのポーズをとった。そして、いま聞いたような浅薄な議論は無視すると表明しながら、俳優の文化的使命について長々と述べた。劇場は国民教化の中心だから、劇場の改革について賛成である、で、まず、さまざまな指揮管理、さまざまな特権を廃止すべきだ!

「そうだ、どんな類のものだって廃止だ!」

役者の演技が聴衆を興奮させ、破壊を唱える動議が行き交った。

「アカデミー廃止!学士院廃止!」
「布教伝道の廃止だ!」
「大学入試の廃止!」
「大学の学位なんて、やめちまえ!」

「そいつは残しておこう」とセネカルがいった、「ただし、普通選挙によって、唯一の真なる裁き手である人民によって授けられるようにしなければ!」それに、いちばん有効なのはそんなことではない。まず、金持ちの頭を打って平均化してしまわなけりゃならない!そして、彼は、黄金張りの天井の下で犯罪的行為を満喫している金持ちの姿を描いてみせ、その一方、貧乏人は、屋根裏部屋で飢えに身をよじらせながら、あらゆる美徳をまもり育てているとした。

 ⑨セネカルが「金持ちの頭を打って平均化してしまわなけりゃならない」と述べているが、それぞれの言説そのものがインフレーションによって平均化されてしまっている。ただでさえモデルを欠いたコピー(実体を伴なわない集団的イメージとしてのみ流通する虚構)の大量流通は同化を煽る紋切型化の磁力にさらされる。かくして全てが「平均化=紋切型」なる現象の重心に向かって転げ落ちていく。

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『感情教育』の舞台となったこの虚構性に満ちた時代を、フローベールは友人への手紙のなかで「ほら話の時代(le temps de la blague)」と呼んでいます。それでは、当時一見確固たる正当性をもつものとみなされたものが、実はフィクショナルなものだったとするなら、そのフィクショナルなものと対比すべき当時のリアルとは何だったのか?

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「感情教育(L'Éducation sentimentale、1864年〜1869年)」におけるフローベールはあえて当時の正解を描かなかった事で、この作品に時代を超越した寿命を与えたのかもしれません。

 ところでこの迷路には本当に脱出口など存在しないのでしょうか?

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経済人類学の祖ポランニーは「大転換(The Great Transformation、1944年)」では16世紀と18世紀に流行した英国囲い込み(enclosure)運動を分析し「後世の人間にとってどちらが正義だったのかなど問題とならない。変化の必要性を全員が受容するのに必要なだけ時間が費やされたかどうかだけが正義なのである」と述べています。全体像を俯瞰した上での達観と申せましょう。ある意味「英国流議会制民主主義の理念」そのものとも。

「遅れてきた国民(Die verspätete Nation. Über die politische Verführbarkeit bürgerlichen Geistes、1935年)」の著者ヘルムート・プレスナーは英国についてこういう評価を下しています。 「ドイツ人の視点からすれば国家権力が国家を超えた理想を標榜するのは偽善と映る。大英帝国の問題は人類の問題などと英国人に涼しい顔で告げられたり、正義・平等・友愛といった美辞麗句を並べて上から目線で説教するフレンチ・エゴイズムに直面すると、それだけで虫唾が走ってしまうのである。しかし現実路線と国家理念に基づく正当化を並行させるやり方には、むしろ「誠実な」側面がある。仮面が仮面である必要がなくなるからで、実際アングロ・サクソン系国家においては政治上の対立構造と経済上の対立構造の不一致に苦しむという事がない。ある意味経済支配こそが政治支配であり、かつ経済力そのものが人道的な力、道徳的な力、民族結集力、政党脱却力と信じて日々の問題解決に取り組んでいるのである。」と。

 まぁ「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマを回避しながら正義を追求するにはこの路線しかなくて、近道なんて存在しないという事なのかもしれませんね。で、これは「知性主義的処方箋」? それとも「反知性主義的処方箋」?