諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに処方箋はあるか?

ネットで「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」を検索すると…
究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される - Google 検索

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マクニール「ヴェネツィア――東西ヨーロッパのかなめ、1081-1797(Venice: the Hinge of Europe, 1081-1797、1974)」によれば、科学実証主義の源流となったのは16世紀イタリア・ルネサンス期に人体解剖学を主導したパドヴァ大学ボローニャ大学で流行した新アレストテレス主義。すなわち「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」という考え方とされています。当時を扱った文献ではフィレンツェ中心に栄えた新プラトン主義ばかりが注目される傾向が見受けられますが、こちらはこちらで英国のフランシス・ベーコン(Francis Bacon, Baron Verulam and Viscount St. Albans、1561年〜1626年)経由でフランスに伝わって啓蒙運動の起源になったともいわれています。そういえば米国プラグマティズムも「新アリストテレス主義」にカウントされる事がある様ですね。
新アリストテレス主義 - Google 検索
新アリストテレス主義(neoaristotelianism)

その後ボローニャには遺作「ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma、1975年)」において「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」なるジレンマを提示したパゾリーニ監督(ファシストの英雄を父に持つ共産主義者)が、パドヴァには「マルチチュード(Multitude)理論」を発表して世間を沸かせたアントニオ・ネグリ(先祖の代から革命に携わってきた筋金入りの革命家)が現れました。「発想の差異者」を生み出し続ける伝統は現在なお続いている?
1029夜『構成的権力』アントニオ・ネグリ|松岡正剛の千夜千冊

ところで、ネット上で「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」で検索すると、こんなページも引っ掛かってきます。
冨田宏治 「欲望」「権力」「自由」の思想史
第七章 知性の文化

こうした歴史観に沿って考えていけば「人類はそのジレンマとどうやって対峙してきたか」比較的容易に俯瞰出来るかもしれません。

https://keisukekirita.files.wordpress.com/2016/01/5a04c-leviathan_by_thomas_hobbes.jpg

 「裁定者としての国王の推戴」

清教徒革命(Puritan Revolution または Wars of the Three Kingdoms、1638年〜1660年)において法源の目紛しい入れ替わりを経験したトマス・ホッブスは「自然状態における万人の万人に対する戦い」を解消する為の処方箋としてこれと「法実定主義(legal positivism)」を提言した。
*スイスの文化史学者ブルクハルトによれば、元来「裁定者」の立場はローマ教会が保持していた。しかし教皇庁は14世紀から15世紀にかけて君主国家化してしまい、その立場を失ったという。そして英国における国教会の発足、フランスにおけるガリカニスム (Gallicanisme)、神聖ローマ帝国における領邦国家化の進行が止めに。 
ピューリタン革命 - 世界史の窓

トマス・ホッブズリヴァイアサン(Leviathan、1651年)」

「人間の本性のなかに、われわれは、争いの三つの主要な原因をみいだすのである。第一は競争であり、第二は不信であり、第三は誇りである。・・・・すなわち、人びとは、すべての人を威圧しておく共通の力をもたずに生活しているあいだは、かれらは戦争と呼ばれる状態にあるのであり、そして、かかる戦争は、各人の各人にたいする戦争なのである」

「人びとを平和に向かわせる諸情念は、死への恐怖であり、快適な生活に必要なものごとを求める意欲であり、かれらの勤労によってそれらを獲得しようとする希望である。そして理性は、人びとが同意する気になれるような都合のよい平和の諸条項を示唆する」
*まさしく「正当な国家による暴力装置法源の独占だけが国民に平和をもたらす」とする法実定主義(legal positivism)の理念そのもの。そして当時「正当な国家」を構築には国王の権威が不可欠と考えられていた。

②サン=シモンは「産業,または有益で自主的な仕事にたずさわっているすべての人々のための政治的・道徳的・哲学的議論(L'industrie, ou Discussions politiquee, morales et philosophhiques, dans l'intérêt de tous les hommes livrés à des traveaux et indépendans、1816年〜1823年)」と「産業者の教理問答(catechisme des Industriels、1823年〜1824年)」によって「王侯や貴族,聖職者ではなく,実際に有益な労働に従事する産業者(les indutriels)こそが社会のにない手である」なる信念を表明。その一方で王権については「産業者達の裁定者として君臨する用意があるなら迎え入れても良い」という立場をとった。フランス7月革命(1830年)のイデオロギーとして採用されたのは、この考え方が王権交代を狙うオルレアン家にとって都合が良かったからとも。
*ただし7月革命によって政権を掌握したオルレアン家と大ブルジョワ階層はその実践に失敗して2月/3月革命によって追放の憂き目に遭う。そして「馬上のサン=シモン」と呼ばれた皇帝ナポレオン三世の時代になってやっとフランスに産業革命が定着する。
サン・シモンと産業主義の思想
ルイ=ナポレオン/ナポレオン3世 - 世界史の窓

『産業』の趣意書 (1816年) 

すべては産業によって,すべては産業のために

18世紀は破壊しかおこなわなかった。われわれはその作業を続けるべきではない。 反対に,われわれが企てるべきは,新しい建設のための基礎を築くこと,これまでい わば手つかずのままに放置されていた公共利益の問題をそれ自体として提起し論じること,政治,道徳,哲学をして無益で,実用的でない思弁にいつまでも気をとられずに,社会的幸福を築きあげるというその真の仕事に立ち返らせること,要するに,自由がもはや観念的抽象物でなく,社会が架空のロマンでないようにさせることである。 


すべての社会は産業に基礎をおく。産業は社会存立の唯一の保障であり,あらゆる 富とあらゆる繁栄の唯一の源泉である。それゆえ,産業にとって最も好都合な事態は,ただそれだけで,社会にとって最も好都合な事態である。これこそ,われわれの一切 の努力の出発点であると同時に目的である。


産業の重要性,産業が行使できる,産業にそなわっている政治的影響力をはっきり 産業にわからせ,産業の利益を産業自身に知らせ,産業の力と能力との性質をもっと もっと産業に認識させ,産業が克服しなければならないもろもろの障害を産業に教え,産業の事業に手を貸し支援し,一方では専制を抑えるために,他方では革命を予防するために,産業とともに絶えず監視をし,産業を強化することによって本質的に産業的な政体を強化すること。これがわれわれの任務である。
*「自由が単なる観念的抽象物ではなく、社会が架空のロマンではなくなる為には実際に産業社会を発展させねばならない」という強烈な宣言。おそらくプロイセン宰相ビスマルクの模倣を経由して米国プラグマティズムの源流となる切れ味の鋭さ。

「ある種の国家主義を巡る論争」

①王政復復古期(1815年〜1848年)を生きたヘーゲルは「教会や国王の権威に裏付けられた領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的伝統」から一歩も外に踏み出す事が出来なかった。そして、その背景には「理想は永遠に理想であって決して実現される事はないのに、その実現に向けて永遠に努力し続けなければならないという過酷な要求に人間は耐え切れない」という諦念が存在した。

*こうした「理想と現実の乖離を嫌悪する志向性」なら米国プラグマティズムの「WYSWYG(What You See Is What You Get)精神」にも見て取れるのが興味深い。「我々は生きていくのに必要な情報には全てアクセス可能となっている筈なのだ」なる強い信念の背景に「生の哲学」の流入を感じずにはいられない。
生の哲学(独: Lebensphilosophie、仏: philosophie de la vie、 英: philosophy of life)- Wikipedia

ヘーゲル「歴史哲学講義(講義を聞いた教え子達のノートに基づく没後出版)」

「精神の実体ないしは本質は自由であるといわねばなりません。・・・・精神のすべての性質は自由なくしては存在せず、すべては自由のための手段であり、すべてはひたすら自由をもとめ、自由をうみだすものです」

「国家とは、個人が共同の世界を知り、信じ、意思するかぎりで、自由を所有し享受するような現実の場です。…共同意思としてあるのは、むしろ、法、道徳、国家であって、それこそが自由をなりたたせる積極的現実です。限定された自由は、特殊な欲望に関係する恣意なのです。国家こそが、絶対の究極的目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は、国家をとおしてしかあたえられないからです。というのも、法律とは精神の客観的なあらわれであり、意思の真実のすがたであって、法律にしたがう意思だけが自由だからです。意思が法律にしたがうことは、自分自身にしたがうこと、自分のもとにあって自由であることです」

「直接の自然なありかたの理想形態としての自由は、直接に自然に存在するものではなく、知と意思の無限の訓練過程を経て獲得達成されるものです。だから、自然状態とは、むしろ、不法と暴力と手に負えない自然衝動と非人間的な行為と感情の状態です。・・・・特定の個人にしか属さない衝動や欲望や情熱の制限、ないし、恣意や我意の制限が自由の制限とみなされてしまう。そのような制限は、むしろ、自由をうみだす条件と見なされるべきで、社会と国家こそが自由を実現する場なのです」

「国家こそ、自分を客観的に知る、理性的で自立した自由な存在といえるのです。自由が客観的に存在するというのは、国家の各要素が全体・・・・の魂である個としての統一体を結実させるような力にもなることだからです」
*「国家こそが政治と経済の主体である」という考え方を打ち出してフランスの新コルベール主義やドイツの官房学に大きな影響を与えた18世紀ナポリ政治経済哲学を想起させる。それは絶対王政を正当化する理念として、王権神授説などより遥かに優れていたのであった。そして現在なおイタリア経済学は「納税額を縦軸、公共サービスへの国民の満足度を横軸に取って国家経営の健全度を測る尺度」が重視され続けている。

マルクスヘーゲルを批判し「我々が個性や自由と信じているものは、国家や社会の同調圧力によって型抜きされた既製品に過ぎない」とした上で(上部構造論)、「各人の自由な発達が万人の自由な発達の条件となるような社会」へと移行するには、まずこれを暴力革命によって破壊し尽くす必要があるとした。

*理論家としてのマルクスの特徴は、マルキ・ド・サド同様に(サディズムや暴力革命といった)人をドン引きさせてしまう要素を読者に無理なく嚥下させるべく当時流行していた思考様式でコーディングを施そうとした事。「各人の自由な発達が万人の自由な発達の条件となるような社会」とはサン=シモンの産業者同盟そのものに他ならないが、いざ実践してみると貧富の差の拡大といった資本主義的問題が噴出したので「正解は他にある」とした。皮肉にも現実の歴史の世界ではマルクスパトロンでもあったラッサールがその「別解」に辿り着く。プロイセン宰相ビスマルクと手を組んで推進した国家福祉主義がそれで「キャンディの中身」をこれに取り替えたものが「修正主義(Revisionism)」あるいはベルンシュタイン主義と呼ばれ広まる事に。
フェルディナント・ラッサール - Wikipedia

③「遅れてきた国民(Die verspätete Nation. Über die politische Verführbarkeit bürgerlichen Geistes、1935年)」の著者ヘルムート・プレスナーは英国についてこういう評価を下している。

「ドイツ人の視点からすれば国家権力が国家を超えた理想を標榜するのは偽善と映る。大英帝国の問題は人類の問題などと英国人に涼しい顔で告げられたり、正義・平等・友愛といった美辞麗句を並べて上から目線で説教するフレンチ・エゴイズムに直面すると、それだけで虫唾が走ってしまうのである。しかし現実路線と国家理念に基づく正当化を並行させるやり方には、むしろ「誠実な」側面がある。仮面が仮面である必要がなくなるからで、実際アングロ・サクソン系国家においては政治上の対立構造と経済上の対立構造の不一致に苦しむという事がない。ある意味経済支配こそが政治支配であり、かつ経済力そのものが人道的な力、道徳的な力、民族結集力、政党脱却力と信じて日々の問題解決に取り組んでいるのである。」
*これぞまさにまさにカール・シュミット流政治哲学における「例外状態理論(有権者の利権を代表して当選した議員の寄せ集めに政治は出来ない)」や「敵友理論(理性の声に導かれるまま敵味方を確実に峻別し、敵側とは徹底して対峙しながら、味方側には同化のみを選択肢として与え続けるのが政治)」に対する最も鮮烈な反論といえそう。

議会制民主主義に至る道

①18世紀スコットランド啓蒙主義の集大成者でもあったアダム・スミスは、スコットランド有識者の間で長年論じられてきた「功利主義は道徳的か?」という問題に決着をつけるべく様々な議論を展開した。

  • 道徳感情論(The Theory of Moral Sentiments、1759年)」「(人と人の競争と挫折の経験が産み出し、お互いの関係を適切に測ろうとする)適切さの感覚」を習得していく過程で各人のなかに沈澱する「公平なる観察者(内面の倫理的「裁判官」)」や「共感倫理(他人の立場に立つ想像力としてのシムパシー(共感)の原理)」こそが良心の源とした。
  • 国富論(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations、1766年〜1776年)」…その様な具合に個々人が自分の中に倫理的内面世界を持つ事を前提として「神の見えざる手(人びとが「自己関心(Self Intarest)=利己心」によってのみ行動するとしても、調和ある社会が形成される)」の概念を提唱。

エドモンド・バークは「フランス革命省察(Reflections on the Revolution in France、1790年)」の中で、どの世代も自らの知力において改変することが容易には許されない「時効の憲法(prescriptive Constitution)」の概念を提唱した。
1250夜『崇高と美の観念の起原』エドマンド・バーク|松岡正剛の千夜千冊

*実際「名誉革命(Glorious Revolution、1688年〜1689年)」移行の英国政治史は対立勢力同士が正義を名乗る権利を争うというより、論争そのものが変化に必要な時間を稼ぐ展開を辿る事が多くなる。ハンガリー出身の経済学者カール・ポランニー「大転換(The Great Transformation、1944年)」によれば、こうした傾向は16世紀と18世紀にピークを迎えた囲い込み(enclosure)運動において既に見て取れるという。

ハーバーマスは「主体の哲学」とか「主観の哲学」とも呼ばれている近代哲学を超克すべく「目的を達成するために何より大切なものは、相手を説得することではなく、胸襟を開き相手の話を聞くことであり、共に何かを作りあげようとする態度である」とし「対話的理性(Communication Reason)」の概念を提唱。それを可能にする3つの原則として、①相手に自然な言語で話すこと、②信じることのみを話し擁護すること、③全ての当事者が対等な立場で参加すること、を挙げている。
*なんとなく(魯迅が「奴隷と主人が入れ替わっても奴隷制はなくならない」と嘆いた)「歴史の最初からブルジョワに奴隷奉仕を強要されてきた労働者にとっては、全ブルジョワが喜んで自ら全労働者に奴隷奉仕する状況だけが真の平等社会である」とするマルクス主義「歴史の最初から男性に奴隷奉仕を強要されてきた女性にとっては、全男性が喜んで自ら全女性に奴隷奉仕する状況だけが真の平等社会である」とするウルトラ・フェミニズムの様な逆転志向を想起させるのが玉に瑕。「極端な思想の横行は正反対の方向に極端な思想を同時に横行させる事がある(消え去る時は一緒)」というルールを思い出す。

思うより短くまとまって吃驚。途中いろいろあったけど、現在まで最終的に候補として残ったオプションは割とシンプル極まりない?
*「国内の暴力装置法源を独占し、国民に対して超越的に君臨する裁定者」にして「決して実現されない理想の為に永遠に努力し続ける偽善的苦行者」。「勝利し続ける事でしか生き延びられず、勝利の副作用への適切な対処も押し付けられる立場」「速度と内容の適切性を保った持続的変化」「必要に応じた対話による調整」といった列記がトートロジーに過ぎなくなるのが現代という時代の特徴? そこにはもう「正義と悪(あるいは別の正義)との対峙」という概念そのものが存在しない。中世まで遡る「教会や国王の権威に裏付けられた領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的伝統」とか、カール・シュミット流政治哲学から完全に脱却するとは、そういう事だった?

結局最後に行き着くのは、英国映画「アメージング・グレース(Amazing Grace、2006年)」や、スティーブン・スピルバーグ監督作品「リンカーン(Lincoln、2012年)」で掲示される様な泥臭い議会制民主主義の世界こそ現在の最良の選択という事みたいなのです。


18世紀まで続いてきた「奴隷貿易システム」という悪弊を終わらせた19世紀の決断。その背景には人道的理由だけでなく「 (近世に樹立された)農本主義的産業システムの残滓が(近代到来に不可欠な)産業革命推進の邪魔をしている」という現実に対処する必然性も存在しました。

しかも皮肉にもこの時実際に進行したのは「奴隷貿易システム」なる生産手段そのものの廃絶というより、英国における砂糖農園領主や米国における南部農園領主などの関税障壁への執着心や(家父長制度や奴隷制を継続する為に政府介入に断固抵抗する)ジェファーソン流民主主義の中央政界に対する影響力排除だったのです。従ってその展開も「暴力革命による領主の打倒」なる展開ではなく、例えば英国においては「ジェントリー階層の金融業界進出によるブルジョワ階層化」という穏便な体裁をとる事になり、その後の普通選挙を履行しても労働者達の多くが(元来は地主達の既得権益を守る利益者団体に過ぎなかった)保守党を選ぶという展開になったのでした。

米国におけるその後の展開は英国より不透明で、だからそうした問題と比較的無縁だった共和党進歩主義時代(Progressive Era、1890年代〜1920年代)には政権を担う展開となります。

まぁ立憲政友会(1900年〜1939年)が「我田引鉄」路線で在地有力者を懐柔して普通選挙を制した日本も分類上はこちら。とはいえ明治維新に際して「版籍奉還(1969年)」「廃藩置県と藩債処分(1871年)」「秩禄処分(1876年)」といった一連の政策をあっけなく成功させてきた日本に英米の様な「産業革命推進に際し、近世に樹立されたおぞましい農本主義システムと決死の決別を迫られた歴史」なんて存在しません。むしろ日本を苦しめてきたのは産業革命導入にあたって(軍部と官僚の集団指導体制が国家を導く)プロイセン方式を採用した副作用。太平洋戦争(1941年〜1945年)敗戦によって「軍部」の影響自体は排除されたものの(以降、自衛隊はシビリアン・コントロール下における軍事サービスのスペシャリストとして再建される事になる)「官僚主義の君臨」の方はその後も続き、経済小説の名手たる堺屋太一をして「まず(国会の議事進行を官僚が上から目線で見下す構造だった)プロイセン方式の残滓の象徴ともいうべき国会議事堂を建て直せ(終戦後ドイツは真っ先にそれに着手した)」と言わしめた状況を現出させる結果となりました。

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かくして我田引鉄」路線を継承した自民党政権と官主導体制にNoを突きつける国民判断が成立し、民主党政権(2009年〜2012年)が成立した訳ですが、結果は思わしくなく政権を担う党は再び自民党に戻り、今に至る訳です。

だが他に選択肢などあっただろうか?」という観点から制作されたのが庵野秀明監督作品「シン・ゴジラ(Shin Godzilla、2016年)」とも。なにせ、日本で有事が発生した際、国家総動員体制を主導可能なのは官僚体制だけで、だからこそGHQも潰せなかったという曰く付きの存在。

Kaijusaurus - Godzilla’s third form (“Shinagawa-kun”) appears...

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産業革命推進に際し、近世に樹立されたおぞましい農本主義システムと決死の決別を迫られた歴史」を持たない日本人。だからこれで我慢しなくちゃいけないのが現状?

die Pause ‐人間の顔をした社会主義に関する若干の考察‐

現代ドイツの政党制はサルトーリの分類に従えば穏健な多党制である。ワイマール期においては小党が乱立し典型的な分極的多党性であったこの国でなぜこのようなシステムが可能となったのか。その答えは憲法にある。ドイツにおいては「自由な民主的秩序」に反対する政党は違憲となる。この憲法の条項によってドイツの政党政治はワイマール期に比べてその両端が切りつめられイデオロギー距離が全体的に短縮されているのである。これと5%条項により政党の数が削られることによってドイツにおける穏健な多党制は維持されている。いわばドイツにおける穏健な多党制は人工的な産物なのである。

そもそも、こういう観点から世論の審議がなされてないし。ところで実は我田引鉄」の話自体は「君の名は」スピンオフ小説にも出てきます。

より良いシステム構築を目指すのは2017年以降という事になっちゃう?