諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「ポスト・ニューアカ時代」なる大っぴらには語られない歴史区分

「現実的なコンピューター解析技術が物語展開に決定的な役割を果たした最初のSF小説」とされるマイケル・クライトン「アンドロメダ病原体(The Andromeda Strain、原作1969年、映画化1971年)」。そこに登場する「菌株」にとって実は「病原体」である事は本質ではなく、その生態をコロコロと変貌させていきます。

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ところで経済人類学の創始者カール・ポランニー(ハンガリー語: Polányi,Károly、英: Karl Polanyi、1886年〜1964年)は英国政治経済史を注意深く分析し「保守派の行動原理」について、こんな結論に到達しています。

  • その根幹にあるのは究極的のは存続し続け様とする意志のみ。(臆病さや自信のなさの表れとも見て取れる慎重さから)ありとあらゆる可能性を想定して対策を用意しようとするばかりか、必要に迫られれば大胆な変化(伝統の放棄と新概念の需要)も遂げる。例えそれまでの行動と一貫性が保てなくなっても気にしない。

  • 彼らの間に存在する「衝突」は概ね「誰が正義か決める為の論争や党争」ではない。それどころか変化が必要以上に早く進み過ぎない為の時間稼ぎに過ぎない場合すらある。また外敵が現れれると、たちまち対立を中断して一致団結する。

  • それゆえにその言動に一貫性がなく、発言内容が支離滅裂だったとしても甘く見てはならない。むしろ自らの多様性を平気で放置してそう振る舞える事自体が彼らの恐ろしさの根源なのである。
    *例えばシック(chic)の概念を打ち立てた「フランス保守主義」の起源は、正統王朝主義者(Légitimiste:ブルボン家支持者)、オルレアニスト(Orléaniste:オルレアン家支持者)、ボナパルティスト(Bonapartiste:ボナパルト家支持者)、ウルトラモンタニズム(ultramontanism、教皇至上主義)、ガリカニスム (Gallicanisme、フランス教会自律主義)、(王侯貴族や教会の権威を笠に着た)旧ブルジョワ階層、(産業革命の落とし子たる)新ブルジョワ階層の寄せ集め。あまりの共通点のなさに「融合の過程で不立文字の哲学に到達した」としか思えない感すらある。

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まさしく「アンドロメダ・ストレイン(2008年にリドリー・スコットトニー・スコットが製作総指揮したTVドラマ版はこう呼ばれている )」の概念の上位互換。その一方で「革新派の弱点」についてこう分析します。

  • たった今、目の前で展開中の問題への処方箋しか思い浮かべない事が多い。「自分は正しい理論に従っているから無謬だ」という思い込みのせいで「他の場所では無効かもしれない」とか「明日には無効になってるかもしれない」と想像して対応する柔軟性に欠ける事が多い。

  • その立場ゆえに「理論的正当性の維持」と「一貫性の維持」こそが行動目的となり、敵との対決より党争における勝利を優先する。

  • その立場ゆえに「言動に一貫性がなく、発言内容も支離滅裂な」保守派を頭から見下し、最初から打倒対象として研究しない。それで既に克服済みの弱点や、見当違いのポイントを執拗に攻撃し続け、それによって自己満足に浸ったり、勝利の確信に至ったりする。
    *ワイマール政権期、ナチスは果てしなく続く社会民主党極左勢力と共産党内ゲバの漁夫の利を得る形で政権奪取に成功。そもそもナチスの軍事的圧力の起源は社会民主党極左勢力殲滅の為に招聘したフライコール(Freikorps、ドイツ義勇兵)で、ナチスが左翼陣営を支えるプロイセンの様な独立性の高い地方政府を次々と各戸撃破出来たのも内輪揉めのせい。おそらくそう言った先例の分析を重ねた上での反省。

あくまでこれ自体は左翼陣営側内における内輪向け告発に過ぎませんが、右翼側にも「存続そのものが目的と割り切ったフットワークの軽い保守派」と「伝統的思考様式に凝り固まって敵を侮る守旧派」の対立なら存在します。応用範囲は思うより広いとも。そして何より「アンドロメダ病原体(The Andromeda Strain)」の世界においては「既成概念とセクト主義によってアンドロメダ病原体に振り回され続ける科学者」の姿と重なってくる訳です。今回の投稿の出発点はまずここ。

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ところで日本の1980年代は「TV系サイバーパンク・ムーブメント」の流行期だっただけでなく「左翼イデオロギー大勝利」の時代であり「現代社会は究極的には帝国主義全体主義の延長線上にある国民弾圧社会である」とする立場から、それよりの「軽やかで知的な脱出」を志向するニュー・アカデミズム(New Academism)の全盛期でもありました。またYMOの時代でもありました。

ポスト構造主義(Post-structuralism、1970年代後半〜1994年)

はやしのブログ 「ニューアカ」とは何だったのか(前編)

 ポストモダンに病んで/夢は枯れ野をかけめぐる。

ニューアカ New Acadenism

軽みこそが、ニューアカの特質でありますが、ものごとを正面から捉えずに、わざとずらして行くことは、結局は何ものも生み出すことはなかったと言ってよいのではないかと思います。既存のジャンルの破壊といいますが、彼らは破壊できたでしょうか。 本人達は破壊し過ぎたと言っていますが、何かが変わった感じがしません。むしろ彼ら自身が壊れたのです。発想や切り口の面白さだけでは学問にはなることはありえず、浅田さんにしろ、中沢さんにしろ、後世に残る論文がない、と私のような者が言い切るのは僭越ではありますが、あれほど若くして高名を得て、周囲の期待もまた(嫉妬もあって足を引っ張る輩も多かったでしょうが)、大きかったのにも関わらず残念なことです。

ところが1950年代アメリカの様に「大勝利」は「敵と対峙し続ける緊張感の喪失」をも意味するものです。さらに当時の日本で流行した「帝国主義全体主義からの軽やかで知的な脱出」は想像以上にスマートでない歴史的背景が背負わされていたのです。

オールド左翼の誕生の背景

終戦直後、多くの日本人、特に若い人達は、これまで信じ込んできた事の多くが全くの嘘だったと知らされ、心の拠り所を失って茫然自失した。日本で絶大な力を握ったマッカーサー元帥は、この機会に日本にキリスト教を広めようと張り切ったが、これは殆ど成功せず、都市部に住む学生や労働者(普通の会社員を含む)の多くは、むしろ米国が毛嫌いする社会主義共産主義に期待した。

戦争で疲弊した欧州を尻目に、ソ連の第一次五カ年計画は大きな成功を収めた。中国大陸では、農民の支持を失った国民党があっけなく台湾に追い落とされた。植民地支配の象徴だったフランス軍は、戦略・戦術に秀でたホーチーミンによってベトナムから駆逐された。南北に分裂した韓半島では、腐敗して混迷していた李承晩の韓国よりも、建国の意気に燃える金日成北朝鮮の方が、万事が整然としている様に見えた。この様に、どこを見ても、こういった期待を裏付ける様な萌芽が見られた。

それ故に、一流大学を出て官僚になったり、旧財閥系の大企業に就職したりした友人達を横目に見て、共産党に入党した若者達は、「まあ、頑張ってくれよな。そのうちに、どうせ歴史の必然で、日本も俺達の天下になるんだから」と嘯いていた。(これに飽きたらなかった当時の「意識高い」系の若者達は、より過激な暴力革命路線に走った。)

終戦後、「商工業」は焼け跡の中からしぶとく立ち上がって行ったが、「教育」は国の財政で賄われなければならなかった為に、教員の給料はとんでもなく安かった。こういう背景があったので、マッカーサー司令部が全般的に組合運動を大いに奨励した事もあり、早々と設立された日教組は、最も活動的な組合となった。こうなると、そこに属する教員が中学生や高校生を教えるのだから、教育も全般的に左翼思想を広める場となるのは当然だった。

こういう背景の中で、所謂「進歩的文化人」が、日本の思想の流れをほぼ支配するに至った。万事を米国に大きく依存しつつ、経済再建に忙しかった保守政治家や、官僚、企業経営者が、人文科学や社会科学、ジャーナリズムの世界にかまけている余裕がない間に、この世界は左翼的な思想を持つ人達にほぼ埋め尽くされる状況となっていたのである。

こうして、左翼的な思想が一括して「革新的」「進歩的」と見做され、これと逆方向の思想(一つは「逆コース」と呼ばれた「誇り高かった古き良き日本への回帰志向」、もう一つは「向米一辺倒の経済合理主義」)は「反動的」として攻撃され、或いは「卑しい金儲け主義」として軽蔑された。

時を遡ると、天皇神格化と軍国主義が日本を支配している間、公然とこれに反抗して刑務所にぶち込まれたのは一握りの共産党員だけで、あまたの学者やジャーナリスト、文学者や芸術家は、唯々諾々として体制に協力していた。

従って、彼等は戦後、この贖罪意識故にか、必要以上に自虐的な立場を徹底し、殊更に反体制の姿勢、即ち左翼的な姿勢をとらざるを得なかったのだと思う。中には「どうせ将来は共産主義体制になる可能性が強い」と踏んで、その時に追放の憂き目を得ない様に、あらかじめ点数稼ぎをしておこうと考えた人達もいなかったとは言えまい。

安保闘争の背景

米国は、戦果の見込めない「バンザイ攻撃」や「特攻」を繰り返す日本軍を「狂信的」と考えて恐れ、彼等が草案を作った新しい日本国憲法の条項にも見られる通り、徹底的にその牙を抜くことに腐心していたが、東西冷戦が顕在化した朝鮮動乱が起こると、今度は一転して「日本軍を再建して共産主義陣営に対抗する最前線に立たせる」事を考えるに至った。

こうして、日米安保条約が結ばれ、自衛隊(当初は警察予備隊)が創設された。食うや食わずで、必死になって産業経済の再建に奔走していた経済界は、「朝鮮特需」に救われた事もあり、この動きを歓迎したが、「進歩的文化人」達にサポートされた学生や労働者などの「革新的な人達」は、当然の事ながらこの様な動きに猛反発した。「何故米国の走狗となって、東西の争いの最前線に立たされなければならないのか?」というわけで、これが史上空前の規模に膨れ上がった「安保闘争」の背景となった。

彼等が表向き標榜したのは「非武装中立」だったが、賢い彼等がそんな事が可能だと無邪気に信じたわけはない。その背景には「力の空白が生まれて、そこに共産勢力が入ってきても、社会主義共産主義の方が最終的には経済が発展して生活もよくなる筈だから、それで良いではないか」という考えがあったのは、当時の状況下では当然の事だった。

そもそも、国際共産主義は「世界中でプロレタリア独裁政権が生まれれば、強欲な資本家が自らの利益の極大化のために起こす帝国主義戦争は無くなり、世界は平和になる」という事を信じていたわけだから、「資本主義国の戦争は悪い戦争だが、共産主義国の戦争は良い戦争だ」という考えが水面下で広がっていたのも、無理からぬ事だった。

しかし前提が根底から覆った

「人は、それで豊かになれるという思いがなければ、全力で働きもしないし、創意工夫もしない」「独裁権力は必ず腐敗し、自らの利権を守る為に全体の利益を害する」という「二つの抗し難い事実」の為に、その後共産主義政権は世界各地で崩壊し、或いは崩壊の危機に瀕している。

その一方で、資本主義者はマルクスが予測したよりは理性的で、「独禁法」や「社会保障制度」を導入し、瀬戸際のところで民主主義体制を支えている。

戦争の危機はなお世界に充満しているが、かつての帝国主義的な理由によるものは最早殆どなく、一時は核戦争による人類絶滅の危機をも招きかねなかったイデオロギー対立(東西対立)も今はなくなっている。

これに代わって、今、全世界が直面しているのは、以下の二つである。

  1. 「宗教」「民族」「納得できない貧富の差」「社会的疎外感」の四つを要因とする「感情の爆発」が招く「無差別テロの脅威」
  2. 国内の政情不安定を解消する為に各国の為政者が陥る「対外膨張策の罠」

要するに、こういった大きな変化が世界規模で起こっているにもかかわらず、日本のジャーナリストの多くや、現実離れした学者の世界に閉じこもった「進歩的文化人」の残党は、この現実から目を背け、イデオロギー対立や東西冷戦が尾を引いた「対立軸」をベースとした、旧態依然たる「思考パターン」や「行動パターン」を踏襲している。

言論の自由が保障された民主主義体制下では、その時々の政権は、基本的に「人民から与えられた権力」だと解釈されるべきなのに、これを根拠もなく「人民の敵である権力」と言い換え、「打倒されねばならない」と主張するが如きは、この最たるものであるが、彼等は何ら深く考える事もなく、自分達がずっと以前から慣れ親しんできた古色蒼然たる言辞を繰り返し、これが多くの「遅れている人達」を目覚めさせるのに役立つと、今なお信じているかの様である。

米国における進歩主義の場合は「黄金の1950年代」を経てヒッピー運動や公民権運動からの挑戦を受けました。気がつくと大人達は先代の残した遺産を食い潰しながら威張り散らす寄生虫の如き存在に堕しており、子供達の信頼を完全に喪失していたのです。その隙を突く形で黒人達も権利獲得の為に動き始めた訳です。
*「社会進化論の時代(金鍍金時代)」「古典的自由主義の時代(進歩主義時代)」「社会的自由主義の時代(ニューディール政策履行期)」と異なり「黄金の1950年代」を生きた米国人達は特定のイデオロギーに拘束されない、ある種の自由落下状態を生きた。その結果が未曾有の消費文化繁栄と表裏一体の関係にあった「赤狩り」や「コミック・コード履行に伴うアメコミ文化の一時的凋落」。そして「反知性主義(Anti-intellectualism)の旗手」アイゼンハワー大統領の退任演説(1961年1月)における「軍産複合体(Military-industrial complex, MIC)」の告発。

日本における帝国主義全体主義からの軽やかで知的な脱出志向」の場合は、むしろ国民間にじわじわと存在不安を広げる役割を果たしました。物理的(Pysical)というより化学的(Chemical)にその影響が浸透していったのです。バブル景気(bubble boom、1986年〜1991年2月)に呼応したかの様な荒俣宏帝都物語(1985年〜)」の流行やオウム真理教の密かなる浸透が一つのバロメーター。おそらく共通の背景として存在していたのは「こんな根拠もない出鱈目な好景気が何時までも続くはずがない」という現実に対する不信感。

そして1990年代に入ると「日本における帝国主義全体主義からの軽やかで知的な脱出志向」は大いなる転換期を迎えます。バブル崩壊1991年2月)。ソ連崩壊(1991年12月)。角川春樹逮捕( 1993年8月29日)による角川商法の終焉。
角川春樹逮捕一説によれば、バブル崩壊後も独裁者として採算度外視のイケイケ路線を続ける彼を葬る為の内部からの密告だったとも。


そしてニューアカデミズムが根拠としてきたポスト構造主義運動やポストモダン運動の根を欧米においては一気に薙ぎはらったソーカル事件(1994年)。ただし最後の事件については日本国内において徹底的なまでの箝口令が敷かれます。もしそれが可能だったらソ連崩壊(1991年12月)だって日本国内では完全に秘密にしておきたかった事でしょう。

きみはソーカル事件を知っているか?

こうした混乱に阪神・淡路大震災(1995年1月17日)が拍車を掛けます。

*そもそもポストモダン運動の根幹には(ノーバート・ウィーナーのサイバネティックス理論の様に)線形数学で全ての現象を説明しようとする姿勢に非線形数学導入によって対抗しようとする姿勢が存在した。

*しかし非線形数学導の難解さを隠れ蓑に「似非数学者」がブイブイいわす様になり、海外ではそうした輩がソーカル事件によって一掃された訳である。特に凋落が著しかったのが「ジャック・ラカン派」と「ジョルジュ・バタイユ派」。原典の難解さにかこつけて勝手な擬似科学的解釈が横溢していたせいだった。東浩紀らはゼロ年代中盤以降、ジャック・ラカンを援用して「セカイ系」の概念を定義したが、その頃にはもうジャック・ラカンのそうした用例は近代医学の世界における瀉血と同じくらい時代遅れとなっていたという次第。

同時期には松本サリン事件(1994年6月27日)/地下鉄サリン事件(1995年3月20日)もありました。これを契機にテロリズムに関する(左翼陣営側も含めた)日本人の態度そのものが大きく変わり果ててしまいます。

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海外に進出した新左翼運動家が日本人を代表する英雄として世界中で大活躍する船戸与一の冒険小説が人気だったのもこの時期まで。
*「全日本人民の希望の星」日本赤軍ソビエト連邦が崩壊し冷戦が終結して以降は資金協力も活動提携もほぼ完全に途絶えてしまう。それまでは確かに存在し続けた「日本国内における熱狂的支持層」も一気に霧散。そのせいもあって主要メンバーがあえなく次々と捕縛され続け、2000年11月には「最高指導者」重信房子も潜伏先の大阪府高槻市で逮捕されてしまうのである。

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同時期のアメリカでは、ヒッピー運動の延長線上に登場したTV系サイバーパンク運動ばかりか、同様の起源を有する米国ファンタジー運動の世界にもまで衰退の影が迫っていました。一言で要約するなら「中年危機」。ヒッピー運動当時の若者達が遂に中年期を迎え、様々な現実的問題に直面させられた時期に該当します。

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アメリカにおけるニューシネマ(New Hollywood)の時代がそうであった様に、こうした「衰退した覇者が、それでも全体統制に執着し続ける時期」における本当の世相はその完全視野外、日本の場合はエロゲーエロマンガの世界などに残されるものです。 エロゲーの場合はエルフソフト興亡の歴史…

そしてエロマンガの場合にはこういう貴重な時代的証言が残っていたりします。

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榎本ナリコセンチメントの季節(1997年〜2001年)」

ビッグコミックスピリッツ』(小学館発行)に1997年45号から2001年18号まで連載された漫画(ただし一時休載期間あり)。現代の女子高生(性的にだらしない・自意識過剰)の生活や実態を描いた作品で、女性の視点で社会的問題や、売春、性行為などがリアルに描かれている。作品は季節ごとにまとめた構成となっており、秋、春、夏、冬の順番になっている。1巡目の「第1シリーズ」は、1話完結のオムニバス、「2度目の-」と冠がある2巡目の「第2シリーズ」は、季節ごとにストーリーや登場人物を設定しているシリーズ方式のオムニバスとなっている。1999年にWOWOWでテレビドラマとして放送された(全8話)。

こういう時代の渦中にあって、どうして「セカイ系論」や「空気系論」はああいう形でしか語られ得なかったのでしょうか? 問題はむしろ「語られる側」より、その変遷に憎みながら依存してきた「語りたがる側」にこそあったのかもしれません。
979夜『対称性人類学』中沢新一|松岡正剛の千夜千冊
私のモノガタリの登場人物
セカイ系 - Wikipedia
空気系 - Wikipedia

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とはいえ若者達の「若さ」に憎みながら依存する日本における帝国主義全体主義からの軽やかで知的な脱出志向」はまだまだ終わりを迎えていない様です。最前列以外は老人達が占めたSIEALDsのデモ。ピースマークを掲げ「尊敬するのはマーチン・ルーサー・キング牧師やチェ・ゲバラ」と熱狂的に語る「若者達」に望まれたのは「警察や機動隊の理不尽な暴力によって蹂躙され重傷を負ったり殉死していく事で全国規模の暴動が勃発する発端となる事」だったと言われています。まさしく生者の生命を啜り続ける事で永遠に生き永らえようとする「Living Dead=吸血鬼」の世界。「究極の自由主義は専制によってのみ達成される」ジレンマの体現。

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実際、韓国の反政府デモは本当に「国家権力の理不尽な暴力」によって重傷者を出す事に成功しました。こうして獲得した待望の悲劇の英雄を韓国フェリー転覆事故(2014年)の延長線上において「悪を倒す正義の象徴」に祭り上げようという機運が国際的に盛り上がりました。しかしどの国の一般国民も一切蜂起しようとはしなかったのです。世界は既に新左翼運動が世界中を揺り動かした時代とは決定的に変わってしまっていたのでした。いや当時でさえ「世界中における一般国民の一斉蜂起」なんて夢のまた夢だったというのが通説な訳ですが。

そう思ってたら、さらに斜め上の展開に。

*考えてみれば欧州においては既に極右テロリストと極左テロリストが互いに助け合う関係を樹立済み。民族主義が入り混じってイデオロギー上の境界線も曖昧となり、まとめて「現状懐疑派」と総称される風潮すら存在する。

どうなっちゃうの、これ?