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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【君の名は】「女子は可愛いものと同じくらい猟奇が好き」?

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こうした「セカイ系評論」が抱える最大の問題点、それは全ての問題を「日本国内固有の展開」としてのみ掌握しようとする点にあるのかもしれません。で、海外にまで視野を広げると急浮上してくるのは、実は「何がどこまでどうやって商業化されてきたか」が違うだけで、日本の文化展開は海外の文化展開とそんなに違いはないんじゃないかという疑惑。
*ただし「1970年代アメリカにおけるハリウッド映画及び大手コミック出版社の低迷とインデーズ・レーベルの活況」とか「2000年代前半におけるWeb小説、自主制作アニメ、同人ゲームの活況」といった各国独自の展開を除く。そして「日本は神国だから全ての文化展開は日本独自のものである」なる守旧主義から離れない限りそれに気付けない事は、既に「源氏物語(10世紀頃成立) 」の時代にはもう警告されていたとも。

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源氏物語 第二十一帖 乙女 第二章 夕霧の物語 光る源氏の子息教育の物語

光源氏の息子夕霧に対する教育方針。朝廷におけるトレンドはすっかり和歌や和文に移行してるのに、あえて「大学の学問(漢文や漢詩」を学ばせる理由について。

「私は宮中に育ちまして、世間知らずに御前で教養されたものでございますから、陛下おみずから師になってくだすったのですが、やはり刻苦精励を体験いたしませんでしたから、詩を作りますことにも素養の不足を感じたり、音楽をいたしますにも音足らずな気持ちを痛感したりいたしました」

「つまらぬ親にまさった子は自然に任せておきましてはできようのないことかと思います。まして孫以下になりましたなら、どうなるかと不安に思われてなりませんことから、そう計らうのでございます。」

「貴族の子に生まれまして、官爵が思いのままに進んでまいり、自家の勢力に慢心した青年になりましては、学問などに身を苦しめたりいたしますことはきっとばかばかしいことに思われるでしょう。遊び事の中に浸っていながら、位だけはずんずん上がるようなことがありましても、家に権勢のあります間は、心で嘲笑はしながらも追従をして機嫌を人がそこねまいとしてくれますから、ちょっと見はそれでりっぱにも見えましょうが、家の権力が失墜するとか、保護者に死に別れるとかしました際に、人から軽蔑されましても、なんらみずから恃むところのないみじめな者になります」

「やはり学問が第一でございます。日本魂(やまとだましい)をいかに活いかせて使うかは学問の根底があってできることと存じます。ただ今目前に六位しか持たないのを見まして、たよりない気はいたしましても、将来の国家の重鎮たる教養を受けておきますほうが、死後までも私の安心できることかと存じます。ただ今のところは、とにかく私がいるのですから、窮迫した大学生と指さす者もなかろうと思います」

*おそらく「(物差しとなる)漢意(からごころ)を知らずして、日本魂(やまとだましい)とは何かなど知りえない」なる発想の日本における初出例。悔しいが光源氏はパパになっても時代を超越して超イケメン。当時はまさに国風文化形成期であり、この「源氏物語」ですら前半は「渤海から輸入した毛皮や、秘色の青磁器や、瑠璃の器や、孔雀の羽といった)漢意(からごころ=絢爛豪華な輸入品)ばかりありがたがる浅ましさ」を揶揄するばかり。しかし後半に入ると次第にこうした深い考察が増えていく。まさに過渡期。

*そもそも「源氏物語」も「将門記」も「平家物語」も「義経記」も、その背景には判官贔屓の感情があったとされる。こうした「滅びゆく者への同情心」こそが欧州ロマン主義と日本の接点であり小泉八雲耳なし芳一(1904年)」の海外発信により、世界もようやくそれを意識する様になる。

*「ニューアカ系学者もこうした話は十分承知していたからこそ、ポスト構造主義ポストモダンといった海外思想の導入に邁進したのだ」とする意見もあるが、それなら「(唐心との相対化によって照明される)大和魂の基準」をどれだけ後世に残したといえるんだろうか? 谷譲次「めりけんじゃっぷ」流のハッタリでなかったと胸を張っていえるだろうか?

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そもそも「源氏物語」は最初「中国古典に対するパロディ(すなわち二時創作)」として始まった感が強いです(初期の多くのエピソードが「唐国ではこう、それが日本ではこう」という構造になっている)。そして次第に末摘花の様に毛皮の衣装や秘色の青磁器を有り難がる「時代遅れの俗物」が揶揄される様になり、最後は「日本人とは何か」という問題に踏み込む事に。「その立ち位置が曖昧で不安定だからこそ二時創作の世界は時代精神の推移に敏感にならざるを得なくなり、本物志向を強める」という観点すら存在します。

  • 欧米ではトワイライト二次創作起源のE・L・ジェイムズ「Fifty Shades of Grey(書籍化2011年〜)」が流出しただけで一般社会が蜂の巣を突いた様な騒ぎとなったが、流出元の二次創作愛好者達の反応はあくまで冷淡だった。
    *皮肉にも「世界観の中心にしっかりタナトス(Thanatos、死の誘惑)が居座るが、それが巧みにキャンディ・コーティングされているせいで奇跡的に成立しているラブストーリー」とし見た場合、原作における自分は人間なのに自ら吸血鬼として生きていくべきか狼人間として生きていくべきかの二択に飛び込んでいくメインヒロインの墜落志向」に立脚する二次創作作品の方が本物で、「Fifty Shades of Grey」は「それを安直にSMに置き換えただけ(しかもSM作品としての完成度もイマイチ)の偽物」という判断が下されたのだった。そもそも「流出」が起こった原因からして「原作のメインヒロインが吸血鬼として生きる道を選んで子供とかバンバン産んでしまい、支持者が激減してコミュニティが壊滅してしまったから」というものだった。
    フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ - Wikipedia

  • 欧米における二次創作愛好者集団、それもロマンス小説方面の執筆陣/ファン層の恐ろしさは、その頂点に「60歳未満は全て小娘扱いされて加入すら許されない」ジェーン・オスティンのファン層が君臨している点にこそある
    *日本でいえば宝塚ファンが二次創作界の始祖にして現在なお影響力を行使し続けているようなもの。欧米におけるロマンス小説の歴史の長さと深みを思えば意外でも何でもない。

逆に日本には、こうした動きに鈍感であればあるほど至高とされる「私小説の伝統」なるものが存在しています。これはエミール・ゾラの「自然科学主義文学」のとんでもない曲解から生まれた系譜で、皮肉にもそれ故に日本独自性が高い(そして輸出不可能)という特徴が備わっていたりします。

なぜ私小説は勝利したか?-3分でわかる身も蓋もない近代日本文学史 読書猿Classic: between / beyond readers

それまで日本文学界を権威主義的に牛耳ってきた尾崎紅葉(1868年〜1903年)が亡くなると、作家が自由業になる時代がやってきました。師弟関係からも労使関係からも〈解放〉された彼らに残ったのは(意識の上では)自分の家族関係だけとなったのです。そこで彼らは社会についてではなく、自分の家族(年長の者は自分の妻子や愛人との関係、年少の者は自分の親との関係)についてだけ書くようになりました。

困ったことに、自分や自分の家族についてだけ書いた私小説は売れてしまいました。私小説の登場が、ちょうど工業化が進んだり学校が増えたりして読書人口が増加するタイミングとマッチしていたせいです。

  • かつては上の学校へ進むのは、人口全体から見ればごく一部のエリートであり、本を書くのも読むのももっぱらこの人たちでした。

  • しかし新しく読書人に加わったのは、学校は出たもののエリートにはなれないインテリたちでした。学校が増えたおかげで増加したインテリでしたが、働き口はそれに見合って増えた訳ではありません。学校は出たけれど、思ったほど恵まれた職業につけない人が大部分であり、こうした不満階層が新しい読書人の中心となったのです。そして不本意な職業につき、生活のためには節を曲げていかねばならない不満なインテリたちは、師弟関係からも労使関係からも〈解放〉されて筆一本で生活できるようになった作家というものに、自分の果たせなかった理想の生活を見い出したのでした(今でもこうしたイメージを抱いて作家を目指す人がいますね)。

こうして作家の生活を綴った私小説の読者層が成立。彼らが買い支えることで、自由業としての私小説作家の生活は維持されたのでした。

かくして新聞社に勤めて給料をもらわなくても作品が売れて食っていけるようになった作家たちは、自分たち同業者の小社会、すなわち文壇をつくります。文壇では、自分たちプロの作家が書くような私小説こそが文学なりという認識が高まりました。

赤裸々告白系の私小説は、志向として反=技巧的でした。節を曲げて生きなければならない不満インテリである読者は、作家の〈嘘をつかなくても生きられる生活〉にあこがれたので、文章の技巧より〈ありのまま〉に実際の生活が書いてあることを求めました。しかし読者は残酷なもので、ただ赤裸々であることに飽きると、より強い刺激を求めていきます。徳田秋声(この人もかつて紅葉に冷や飯を食わされた一人)のように、あとで波乱万丈の私小説を書くために、実験としてヤバい恋愛をして、わざわざ人生をメチャクチャにする人まで現れました。

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*そして1920年代から1930年代にかけて(大正時代の後半〜昭和初期)マルクスボーイやエンゲルスガールが世に溢れると、彼らの中からさえ、その立場からロマン・ロランの「ジャン・クリストフ(Jean-Christophe、1904年〜1912年)」よろしく「破滅から世界を救済せんとするアジテーション」を作中に込める者達が現れた。宮沢賢治の様な児童文学作家でさえ、棺桶に片足突っ込んだ様な作品を残している。マルクスのいう「我々が自らの自由意志や個性であると信じて疑わないそれは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」とはまさにこれ。こうして「私小説か社会小説の二択」の伝統が始まる。ある意味この状況こそが(これまた曲解から始まったが故に日本独自性が強く輸出不可能だった)ニューアカ文化や「セカイ系作品」や「なろう系作品」の真の原風景とも。
西田幾多郎「マルクスボーイと人格的自由

とりあえず時計の針を1960年代末まで巻き戻してみます。日本では東大安田講堂陥落(1969年1月)に続いてエンターテイメント業界から学生運動支援色が一掃されると同時にアニメ版「サザエさん」や映画版「男はつらいよ」や漫画「ドラえもん」といった長寿コンテンツが出揃った時期。

①欧米ではヒッピー運動が「オルタモントの悲劇(1969年)」や「シャロン・テート虐殺事件(1969年)」や「ベトナム戦争からの米軍撤退(1973年)」などによって次第に終焉に向かっていった時代という事になります。
*日本の文化史には明らかに、そもそもマスコミが「ヒッピー運動の政治的終焉」自体を隠蔽してきた為、この時代を起点とする文化展開についていけなくなっていく流れが存在する。それはベトナム戦争を取材した「戦場の村 ベトナムー戦争と民衆(1968年)」などで時代の寵児となった本多勝一記者が(皮肉にも頑固な反米主義者で反資本主義者だったが故に)ベトナム政府から切り捨てられ、大虐殺を行ったクメール・ルージュポル・ポト政権)を全面擁護して記者生命も使い果たしていく時代でもあった。もちろん日本のマスコミはこうした歴史の抹殺にも手を染めてきている。おそらく「究極の言論の自由は、情報統制の徹底によってのみ達成される」という事なのだろう。そして21世紀に入ると遂に「キング牧師チェ・ゲバラ毛沢東を崇拝しピースマークを掲げる現代日本の若者代表」までもが登場してくるのである。

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  • 英国のSF作家マイケル・ムアコック(Michael John Moorcock, 1939年〜)は、1961年にイギリスのSF雑誌『Science Fantasy』誌6月号に、エルリックを主人公とする中篇「夢見る都」を発表して以降多元宇宙、永遠の戦士といった概念によって繋がれた英雄達の物語(エターナル・チャンピオンシリーズ)で人気を馳せた。この物語に登場する英雄や神々は(所詮は人界の基準に過ぎない)善悪の彼岸を超越した振る舞いを繰り返し「アンチ・ヒーロー」や「ダーク・ファンタジー」の概念を広めた。また1964年には25歳の若さで、雑誌『New Worlds』の編集長となる。ムアコックは編集長就任後、「ニュー・ウェーブSF」と呼ばれることになる作品を多く掲載するようになり、その過激な編集方針で、カリスマ的な地位を占めた。
    SFにおけるニュー・ウェーブ運動…1960年代後半に世界的に広がっていた反体制運動に強く影響されている。その主張は「SFは外宇宙より内宇宙をめざすべきだ」というもので、まずイギリスでJ・G・バラード「結晶世界(The Crystal World、1966年)」、 トマス・M・ディッシュ「リスの檻(The Squirrel Cage)」「虚像のエコー(Echo Round His Bone、1967年)」ブライアン・オールディス「地球の長い午後」などを経てアメリカのハーラン・エリスンサミュエル・R・ディレイニーロジャー・ゼラズニイらに伝播。日本でも山野浩一が専門誌『季刊NW-SF』を主宰して、自らも作品を執筆。筒井康隆荒巻義雄野阿梓飛浩隆などが意欲的に作品を発表。1970年代に入ると沈静化したが性描写タブーの打破などにより「SFを12歳の子供の願望表現以上のものとする」なる目標は確実に達成され、沈滞していたSF界に再び自由と活気をもたらした。「(内世界とも外世界ともいえる)サイバー空間へのダイブ」を扱うサイバーパンク、人間の内世界をそれに擬えたサイコダイバー物はここから派生した動きともいえる。1970年代マーベルを支えた「アンチヒーロー」英雄コナンやウルヴァリンんもそうした時代の産物だった。

  • イーグルスホテル・カリフォルニア(Hotel California、1976年)」においては、いわゆる ウッドストック・フェスティバル(1969年)以降大規模なコンサートが以来行われるようになり商業至上主義に立脚する産業ロック時代に入った事が「(あなたがお気に召す様な)酒はこちらにはご用意しておりません、1969年以来…(We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine…)」と皮肉られ、ジミ・ヘンドリックスJimi Hendrix/James Marshall Hendrix、1942年〜1970年)と同年に亡くなったジャニス・ジョプリンJanis Lyn Joplin、1943年〜1970年)めいた女が「冥界の女王」とも「働き蜂や雄蜂を従えた女王蜂」とも「カルトの教祖」ともつかない状態で君臨する世界が描かれる。「前いた場所に戻る道筋を探さなければならなかった…(I had to find the passage back to the place I was before…)」「しょせんみんなここの囚人だ、自分の意思で囚われた…(We are all just prisoners here, of our own device…)」「我々は客を受け入れるように仕向けられているんだ。好きなときにチェックアウトはできるが、決して立ち去ることは出来ないんだ!(We are programmed to receive. You can checkout any time you like, but you can never leave!)」といった印象的な歌詞への解釈は様々だが、そこの漂う退廃的雰囲気とヒッピー世代がその磁場に惹きつけられずにはいられない事実は動かない。
    ホテル・カリフォルニア (曲) - Wikipedia
    ホテルカリフォルニア(歌詞和訳と意味)イーグルス:Eagles – Hotel California – マジックトレイン ブログ

  • なまじ新左翼運動に連動したばっかりに政治動向に飲み込まれ瓦解したヌーヴェルヴァーグ運動と異なり、ヒッピー文化に連動したアメリカン・ニューシネマ(New Horrywood)運動に引導を渡したのは、マーティン・スコセッシ監督「タクシー・ドライバー(Taxi Driver、1976年)」やシルヴェスター・スタローン「ロッキー(Rocky、1976年)」といった南イタリア系映画人だった。公民権運動ともヒッピー運動と無縁の底辺でギャング達と共生する毎日を送ってきた彼らが世に送った「この社会が不平等で絶対的に矛盾しているからこそ、人間がその枠組みの中でどう生きるかが問われるのだ」というメッセージには、それだけの破壊力があったのだった。サイバーパンク・ムーブメントに連動したブルース・スターリング流ポスト・ヒューマニズムの原点となったとも。
    ヌーヴェルヴァーグ運動(Nouvelle Vague、1950年代末〜1967年)発端はゴダールが「太陽族映画(1955年)」における手持ちカメラの乱用に感動したせいとも。ストラスブール大学の学生運動(1966年〜1968年)を応援する形でフランス映画人が「カンヌ国際映画祭粉砕事件(1967年5月19日)」を引き起こし、それに鼓舞される形で学生運動ゼネストが過熱化し「五月革命(1968年5月10日)」に結実すると却ってイニチアシブを奪われ内ゲバが発生して瓦解した。

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    南イタリア映画人作品の破壊力…その最大の武器は主人公の行動原理からのタナトス(Thanatos、死の誘惑)の徹底的排除だったとも。1930年代を代表するフランク・キャプラ監督(シチリア島出身)もそういう作風だった。ジャーロ映画の連続殺人犯からすらそれを感じさせないのが、良い意味でも悪い意味でも「イタリア風」? ならばマカロニ・ウェスタンとは、一体何だったのか?

  • こうした一連の流れがSFとハードボイルドを近親ジャンルに近づけたとも。そうやって次第に「タナトス(Thanatos、死の誘惑)に対する2つの態度」は相対化され同居可能となって「単なる戦略や解釈の問題」に過ぎなくなっていく。
    *「タナトス(Thanatos、死の誘惑)に対する2つの態度」…オーストリア映画人起源の「フィルム・ノワール的宿命観」と南イタリア系の「死の誘惑に駆られる余裕もない生活感覚」。代表作はリドリー・スコット監督「ブレード・ランナーBlade Runner、1982年)」辺り? 興味深い事にその「フィルム・ノワール」寄りの統括は封切り年時点では極めて不評に終わっている。

②そして「ヒッピー運動の最果て」といわれた「ガイアナ人民寺院集団自殺事件(1978年)」以降、アメリカでは「カルト教団への嫌悪感」が強まります。

③こうした流れの反動もあってか1980年代前半のアメリカは未曾有の「青春ロック映画」ブームを迎える事になりました。そもそもハリウッド映画界が「世界観の中心にしっかりタナトス(Thanatos、死の誘惑)が居座るが、それが巧みにキャンディ・コーティングされているせいで奇跡的に成立しているラブストーリー」の供給に手を染めたのはこの時期以降とも。代表作としては「タイムズ・スクェア(Times Square、1980年)」「愛と青春の旅だち(An Officer and a Gentleman、1982年)」「ストリート・オブ・ファイヤー(Streets of Fire、1984年)」あたり。それはまさに1970年代までは恐怖の対象に過ぎなかった「商業主義/大衆消費文化の勝利」に塗りつぶされt時代でもあったのです。

*まさしく科学実証主義の源流となった16世紀新アレストテレス主義の世界。すなわち「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」という流れ。

*「エクソシスト(The Exorcist、1973年)」の段階では「思春期に入った少女が見せる奇矯な振る舞い」を「悪魔憑き」として描けなかったのに比べると大した進歩。そしてこの流れがマドンナの「ライク・ア・ヴァージン(Like a Virgin、1984年)」やシンディ・ローパーの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン(Girls Just Want to Have Fun、1984年)」の大ヒットにつながっていく。同年の日本では「風の谷のナウシカ」がヒットし「ピーターパン・シンドロームPeter Pan Syndrome、1981年)」が翻訳されて未曾有のフェミニズム・ブームが勃発している。こうした流れが「美少女戦士セーラームーン(1992年〜1997年)」に結実し海外にまで拡散していく。それはそれとして山岸凉子日出処の天子(1980年〜1984年)」「馬屋古女王(1984年〜1985年)」や吉田秋生吉祥天女(1983年〜1984年)」は今読み返しても怖い。

*この時期「タナトスが描けない(そしておそらくフェミニズムにも関心がない)」イタリア系映画人は「サタデー・ナイト・フィーバー(Saturday Night Fever、1977年)」や、その続編「ステイン・アライブ(Staying Alive、1983年)」を成功させている。マイケル・ジャクソン「スリラー(Thriller、1982年)」もあったし中々荒削りな時代だった。

④しかしこうした動きは反動も伴い、1980年代後半には次第に表面化してきます。

  • 実は歌舞伎の歴史を見ても同種の展開がある。江戸時代中期以降は町娘が観客としての重要性を増し、この系譜からは「娘道成寺(1753年初演)」「色彩間苅豆(1823年初演、累物)」「松竹梅雪曙(1856年、「人形振り」で有名な八百屋お七物)」が生まれているが揃って怪談や女凶悪犯を題材とした明るいミュージカル仕立て。「女子は可愛いものと猟奇が好きだから混ぜるとこうなる」という実例とされるが、それは反動も伴い曲亭馬琴滝沢馬琴)「南総里見八犬伝(1814年〜1842年)」、歌舞伎「東海道四谷怪談(1825年)」、落語「真景累ヶ淵(1859年)」といった「本格派」の誕生を 促したという。ただ「ミュージカル」ファン層が育って「本格派」を志向する様になったという側面もあって、単に「反動」といえない側面も。
    恐ろしいのはお前の心:「色彩間苅豆」(かさね)

  • ニューアカ文脈的にはこうした流れ、ロラン・バルトの「テキストの快楽(1973年)」において既に予告されていた展開だったと勝ち誇る場面かもしれない。「映画に狂気そのものは描けない。何故なら映像はそこに表現される狂気を全て飼いならしてしまうから」とした彼が例外に選んだのが「フェリーニカサノバ(Il Casanova di Federico Fellini、1976年)」。何故ならこの作品には、本当に「若者特有の若さへの耽溺と、老人特有の老いてなおそれが手元に留まり続けていると信じ込んでいる愚かさ」だけしか描かれておらず、それが何を意味するかについて逆に観客に考え込ませてしまうからである。そしてロラン・バルトもまた、その罠だけは潜り抜けられなかったからである。
    flowerwild.net - あなたの心はカメラなの──『秘密の子供』

  • そもそも欧米においてカウンター・カルチャーは別に滅びた訳ではなかった。グレイトフル・デッド (Grateful Dead、活動期間1965年〜1995年) やボブ・ディランBob Dylan、活動期間1959年〜)はまだまだ現役であり続けていたし、イエス (Yes、1968年〜)やキング・クリムゾンKing Crimson、1969年〜)の様なプログレッシブ・ロック(Progressive rock)は原則として(アングラ演劇の様に)メインストリームを目指さず「外縁から中央を伺い続けるノマド的立場」に留まり続けてきた。デビッド・ボーイの様にナイル・ロジャースをプロデューサーに起用した「レッツ・ダンス(Let's Dance、1983年)」でカルトスターの立場を脱却したミュージシャンもいる。また英国にYMOを最初に紹介した一人とされるスティーヴ・ストレンジが結成したヴィサージ、デュラン・デュランカルチャー・クラブといった「ニューロマ(ニューロマンティック)」もシンセサイザーを多用したエレクトロ・ポップと巧みなビジュアル戦略によって1980年代前半のアメリカを席巻したが、その本質はグラムロックのサバイバル戦略だったりした。
    *男性同性愛を主題にした「さぶ」創刊編集長が1978年に創刊されたJUNE(ジュネ)の耽美路線は、竹宮恵子萩尾望都の「少年愛」路線に加え、デビッド・ボウイやニューロマのビジュアル戦略を色濃く受けながら独自性を確立していった。また日本のビジュアル系バンドに与えた影響も無視出来ない。

  • 日本では1980年代後半にブルーハーツ漫画原作者狩撫麻礼が現れ「一般人の生きている世界とその外縁との関係」について真摯に取り組もうという動きが現れた。ただ当時の熱狂の一部が「オウム真理教サリン事件(1994年〜1995年)」という結末を迎えた事実もまた真摯に受け止めねばならない。

  • *その狩撫麻礼がどうしても理解できなかったのが「なぜOLはトレンディドラマ (Trendy Drama、1988年〜1990年)に夢中になったか」だったという。「キャンディ・コーティング越しにタナトス(Thanatos、死の誘惑)を味わいたい気持ちまではまだ分かる」だが「キャンディに中身などあってはならないとする信念」にまで至るとは? それが暗喩したのはウィーン世紀末文化運動同様「存続不安が臨界点を超え、死の影を身近から一切遠ざけずにはいられなくなる」危険信号だったのではあるまいか?

    *ウィーン世紀末文化運動…今日ではクリムト(Gustav Klimt)の様な「(エロス(Eros、性の誘惑)」「タナトス(Thanatos、死の誘惑)」「ファム・ファタール(Femme fatale、運命の女)」「オム・ファタール(homme fatale)」で彩られた退廃主義的(décadentisme)な世紀末芸術こそが当時の文化運動の本質だった様に語られているが、実際にはそれを「退廃主義」と弾劾した「良識派」こそが本命で、彼らもまた「キャンディに中身などあってはならない派」だったのである。まぁエロスとタナトスの横溢までは認めたフロイト自身が「息子が父親に反対するのはその立場を全面的に受容する為の通過儀礼」と豪語する父権主義者だった事を思えば、後は推して知るべし。

  • 一方、アメコミ史的にはモダンエイジの時代に突入する。すなわち英国人作家アラン・ムーアAlan Moore)の手になる「ウオッチメン(Watchmen、1986年〜1987年)」や「リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン(The League of Extraordinary Gentlemen、1999年)」。アイルランドカソリック教徒作家フランク・ミラー(Frank Miller)の手になる「バットマンダークナイト・リターンズ(Batman:The Dark Knight Returns、1986年)」や「バットマン:イヤーワン(Batman:Year One、1987年)」や「シン・シティ(Sin City、1991年〜2000年)」や「300(1998年)」や「バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲイン(Batman:The Dark Knight Strikes Again、2001年〜2002年)」。両者に共通するのは社会の理不尽な社会のあり方に対する、善悪二元論放棄に至るしかないまでの激しい怒り。
    *アメコミファンはこれを、1970年代マーベルを支えた英雄コナンやウルヴァリンの延長線上に「本物の怒り」が現れたと見做した。

    アラン・ムーア「ウオッチメン(Watchmen、1986年〜1987年)」

    ロールシャッハ(本名コバックス。ヒーロー活動を禁止するキーン条例が制定された世界で、違法に活動している唯一のヒーロー)の独白 

    「世界は天を見上げてこう叫ぶだろう。“助けてくれ!”と。
     見下ろして俺はこう答える。“ノー”だ」

    「セックスや殺ししか頭にないクソ共、
     自分の罪でがんじがらめになった政治家やマスコミの連中は、
     天に向かってこう叫ぶだろう。“助けてくれ!”
     俺は答える。 いやなこった 」

    フランク・ミラー「300(1998年)」

    彼らはエフェロイ。古代の神々に仕え、レオニダス王でさえ頭を下げねばならない絶対権威。スパルタが建国される以前の闇の時代より蔓延ってきた無価値な存在。人より獣に近い汚れた豚。事あるごとに高額の貢ぎ物を要求し、スパルタの美女を宣託者として次々と使い潰し「美は神から与えられた呪い」と豪語する。だがこのスパルタでは彼らの祝福なしには何も進まない。

    エフェロイ神官「今は8月。古代から続く聖なるカルネイア祭の時期に戦争など神が許さぬ」

    レオニダス王「スパルタが滅ぼされ、男達は焼き尽くされ、女子供には奴隷以下の運命が待っているというのにか? だからペルシャ軍の攻撃を海岸沿いで防ぐのだ」

    エフェロイ神官「何事も全て神の言葉次第。それがスパルタの法律だ。神を信じ全て委ねよ」

    レオニダス王「余はむしろ自分の理性を信じたい」
    エフェロイ神官「なんて不敬な男だ。神への冒涜ぞ。これまで散々手を焼かされてきたが、ついに引導を渡す時が来たようじゃな。何事も全て神の言葉次第。まずはこの現実を心のそこから受け入れねば、何事も始まらぬのだ」

    レオニダス王「この病んで老いた神官め…」

    だがスパルタの栄えある伝統を前にしては、王も奴隷同様に一切あがらえぬ。
    *結局この神官達が下した「神託」は「300人の出征のみ許可する」というものだった。明らかにレオニダス王の厄介払いが主目的であり、実際その目論見は成功する。

    *こうしたアメコミ世界に横溢するニヒリズムと、例えばゼロ年代日本のWeb小説の狭間などをどう埋めるべきか。それは「日本におけるアンチヒーロー概念の形成過程」などの鍵となってくる。元来は素戔嗚の様な神話上が選ばれてしかるべきなのだが(実際芥川龍之介はそういう小説も残している)そう一筋縄でいかないのが日本コンテンツの展開なのだった。
    芥川龍之介 素戔嗚尊
    芥川龍之介 老いたる素戔嗚尊

     柳内たくみゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり(第1巻Web連載2006年〜2009年、刊行2010年)」

    戦いの神エムロイの使徒、戦闘魔法の達人たるリンドン派魔術師、精霊魔術を得意とするエルフ。この組み合わせが本当に敵ならばさっさと抵抗を諦めて逃げ出す方が得策。皇女のピニャは本気でそう思ってしまった。
    「だけどエムロイの使徒が盗賊なんぞに与すますかね
    グレイの問いを、ピニャは首を振って否定する。
    「あの方達なら考えられなくもないのだ」
    使徒に人間の物差しは通用しない。皇帝や元老院の権威、法、正義といった類には無関心。いや逆に軽蔑してるといっても過言ではない。
    「神という存在は、正しく生きようが悪徳に生きようが関係なく、祟る時は祟るし悪しき事を起こす時は起こす。善良に生きても病にかかるし、悪逆の限りをつくす暴君が長生きしたりする。誰が祭ろうが、なにを祈ろうが、それはあまり関係がないのだ。結局の所、人の理解の及ばない存在という事だな。ヒトに理解出来ない独自の価値観があると主張する者もいれば、ただの気まぐれと言い張る者もいる。」
    ピニャの感想を聞化されて、グレイは呻きながら額に流れる汗をぬぐった。
    「神官連中の耳に入ったら大変な事になりますぞ。」
    「そうだろうな。何しろ連中は神の御心の代弁者として神殿にいるのだ。その神の御心がまるで理解出来ない、出鱈目としか思えないなどと言い出したらその存在意義に関わる。そりゃ反発されるだろう。」
    多神教の世界では信仰の世界に正邪はない。異端審問の概念もない。特定の神が嫌いになれば他の神に帰依すればいいだけとされる。だが神官団という宗教組織は政治と結びついて様々な力を備えている。徒らに神を貶せば、それを理由に攻撃してきたり、嫌がらせを受けることになる。結局それは人がする事だが、信仰と結びついているから「これぞまさに教敵に下される神槌」と詐称される事になる。
    「し、小官は、何も聞きませんでした」
    結構信心深いグレイは、ぶるぶると首を振って背を向け、両手を上げてしまう。そんなグレイの背中を一瞥してピニャは面白そうに笑う。

     *ここでいう「多神教」は、日本の神道やインドのヒンドゥー教の様な「神々が全体的体系の中にそれぞれ定位置を得ている様な一神教」とは異なる。そういうものなら「(それぞれ職掌を備えた天使達への信仰も信徒の義務とされる)キリスト教イスラム教」と決定的な違いがある訳でもない。例えば日本史でいうと大臣蘇我馬子が大連物部守屋を滅ぼした丁未の変(587年)。仏教の国教化を巡る争いとされるが、実は蘇我馬子の一族同様、物部守屋の一族も熱心な仏教徒だった。要するに両者を衝突させたのは「仏教を尊ぶが故に国教化を目指す立場」と「なまじ氏族宗教として受容したが故に国教化が許せない立場」の対立。コーランによれば、この様な傾向は多神教だけでなくユダヤ教を信奉する部族にも見られたという。古事記や日本書記に登場する「土蜘蛛」「羽白熊鷲」「両面宿儺」などもまた恐らくそうした部族あるいは彼らが信奉した部族神ではなかったと推測されている。偽書東日流外三郡誌」によって遮光器土偶の外観を与えられた「荒脛巾神」と合わせ日本の伝奇系コンテンツにおいてアンチ・ヒーロー的役割を与えられる事に。いわゆる「飛騨女(ひだにょ)物」の源流にあるのもこれ。
    坂口安吾 飛騨の顔
    96年春号 〜岐阜県を百倍面白く〜

⑤そしてハリウッド映画界の「タナトス(Thanatos、死の誘惑)をキャンディ・コーティングする路線」は次第にキャステング次元へと推移していきます。

 世界初のフル3DCG長編アニメーション映画「トイ・ストーリー(Toy Story 1995年)」およびその続編「トイ・ストーリー2(1999年)」が登場したののもこの時期。

米国の評論家が「遂にスターウォーズ型ブロック・バスターばかり制作される時代になった」と嘆いていている時期でもありますね。

⑥同時期の日本はそうした米国の商業展開と無関係に大きな激震に見舞われていたのです。1989年頃より共産圏諸国の崩壊が始まり、1991年12月にはソ連も崩壊。そしてバブル崩壊(1991年3月〜1993年10月)。五島勉ノストラダムスの大予言(1973年〜1998年)」の世界が遂に到来すると危ぶんだ人も少なからずいたのです。

  • 「山猫の夏(1984年)」に始まる「海外に脱出した新左翼運動家が日本人代表として世界中で冒険を繰り広げる活劇」が「砂のクロニクル(1991年)」で幕を閉じる。ただし「蝦夷地別件(1995年)」まではアイヌ独立戦争を舞台に選んだりとテーマに連続性が見られた。
    *まさに日本人の日本赤軍に対する同情心が本格的に消え失せていく時期に該当。そしてオウム真理教サリン事件(1994年〜1995年)によって過激派への同情心は完全に消え失せ、後援者を失った日本赤軍は一気に壊滅へと向かう。ちなみに最近は日本中の若者の支持を回復したとされ、SEALDsの口座も日本赤軍のそれが流用されていたという。

    http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ooidoya/20071105/20071105180030.jpg

  •  1980年代後半を代表する漫画原作者狩撫麻礼の代表作は、普通の人とそうでない人の境界線上を生きる人々を描いた「迷走王ボーダー(1985年〜1986年)」および「天使派リョウ(1990年〜1992年)」。後者の連載終了は一つの時代の終わりを示す事になった。
    *タイトルに現れている通り「タナトス(Thanatos、死の誘惑)に対する接近欲求と回避欲求のアンビバレントな同居」が主要テーマとなった群像劇だった。

    http://p.twpl.jp/show/large/tBZ4v

  • エロゲー業界最大手」エルフの手になる「同級生(1992年)」「同級生2(1995年)」、コンシューマーゲーム大手コナミの手になる「ときめきメモリアル(1994年)」「ときめきメモリアル2(1999年)」、カクテルソフト「Pia♥キャロットへようこそ!!シリーズ(1996年〜)」などの相乗効果により美少女ゲーム/恋愛アドベンチャー・ゲーム市場が立ち上がる。
    *エルフやミンクの様なエロゲー大手はむしろ競合を避けて陵辱物に向かうが「月姫(2000年)」「ひぐらしのなく頃に(2002年〜2006年)」といった同人ゲームの大ヒットに打ちのめされ「Fate/stay night(2004年)」「空の境界(2004年)」によって引導を渡される。当時のエロゲー・ユーザーにとっては後者の提供するタナトス(Thanatos、死の誘惑)の方が「本物」と映った様である。

    http://yaz1966.tumblr.com/post/150217640962/ゼロ年代エロゲ文化の集大成たるまどか-マギカのおかげでなんで年長世代がエヴァはイデ

    yaz1966.tumblr.com

  • 1993年8月29日、角川春樹がコカイン密輸事件で麻薬取締法違反・関税法違反・業務上横領被疑事件で逮捕される。1970年代〜1980年代の栄光を取り戻そうと経営的に無理をしており、内通されたとも。
    *最後の「仕事」は日本国民に「REX 恐竜物語(1993年)」を「ジュラシック・パーク(Jurassic Park、原作1990年、映画化1993年)」と同格の作品と信じ込ませる事。今日では信じられないかもしれないが「角川商法」の余波で相応の成功は収めたのである。



  • 宮崎駿監督の「転向」問題。

    『風が帰る場所』1990年11月時点のインタビュー

    僕はコミュニズムが掲げた理想というのは、やっぱり現実の社会主義が上手くいってなくても、要するに人間はより高くありたいとかより高貴でありたいっていう、人から屈辱を受けたくないとか、そういうことでね、その価値は少しも消えてないと思うんです!
    *聞き手の渋谷陽一に「宮崎さんにとってはやっぱり左翼的な理想主義みたいなものは、いまだに非常に重要な要素を持ってますか」と問われた時の答え。ちなみに『ナウシカ』本篇では5巻の後半あたりを描いている時期。

    『時代の風音』1992年時点のインタビュー

    自分自身がものを考えるようになったときに、左翼になろうかと心情的に思いました。実際は『資本論』も読めなかった人間ですが。いまでもちょっとそうです。

    伝統的なものすべてが戦争に日本人を運びこんだ犯人であって、それを「古い上着よさようなら」と脱ぐしかないんだと。だから礼儀作法も敬語もあえて覚えない。そうするしか、残念ながら自分を確認するよりどころが見つからなかったんです。
    *『ナウシカ』を6巻まで描き上げて中断中、『紅の豚』を制作している時期。

    「よむ」岩波書店 1994年6月号

    ナウシカ」を終わらせようという時期に、ある人間にとっては転向と見えるのじゃないかというような考え方を僕はしました。マルクス主義ははっきり捨てましたからね。捨てざるをえなかったというか、これは間違いだ、唯物史観も間違いだ、それでものを見ていてはいけないというふうに決めましたから、これはちょっとしんどいんです。前のままの方が楽だって、今でも時々思います。
    *「ナウシカ」を最終回まで完結させて以降の 時期。

  • 新世紀エヴァンゲリオンNeon Genesis EVANGELION、TV版1995年、旧劇場版1996年〜1998年)」。日本のアニメーション業界に、それまでアングラ演劇などで培われてきた「本物らしさを誇示するノウハウ」が投入された初例とも。この動きにソーカル事件(1994年)で絶体絶命の危機に立たされたニューアカ業界が食いついた。
    *「本物らしさを誇示するノウハウが投入された初例」…ただし「魔術的リアリズム」技法が投入された宮崎駿監督「On Your Mark(1995年)」を除く。

  • 1998年、五島勉ノストラダムスの大予言(1973年〜1998年)」の最終巻が発売されるも既に旬は過ぎていた。そして21世紀に入ると完全に省みられなくなってしまう。

こうして様々な要因によって既存のタナトス(Thanatos、死の誘惑)表現が崩壊。美少女ゲーム/恋愛アドベンチャーゲームを除いてほぼ壊滅。その焼け跡状態から「五感で感じられる官能しか信じられない身体性の時代」「死の危険に直面する事でしか生きている実感が回復出来ないデスゲームの時代」を経てWeb小説、自主制作アニメ、同人ゲームの既存エンターテイメント業界への進出が始まった2000年代前半が始まる事に。
*どうして美少女ゲーム/恋愛アドベンチャーゲームは残ったのか?…最初から物語文法の世界に「ハーレムエンド」という形で足跡を残すほど、既存のタナトス(Thanatos、死の誘惑)表現を作中から完全排斥する傾向が強かったせいとも。この次元においては「泣きゲー(ハッピーエンド前提の南イタリア式)」「鬱ゲー(バットエンド前提のオーストリア式)」という対立軸が成立する?

こうして全体像を俯瞰してみると「美少女ゲーム/恋愛アドベンチャーゲーム」が深みを獲得する為に「泣きゲー」とか「鬱ゲー」といったジャンルに向けて拡大を続けたのは歴史的必然だったとも。

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恋愛アドベンチャーゲーム

1990年代後半から「泣きゲー」と呼ばれるジャンルが拡大。そして2000年代に入ると正反対に、愛憎・嫉妬・すれ違い・失恋・修羅場といった恋愛における「負」の部分を描いた作品が出始める。女性向けの昼ドラもさながらのドロドロの三角関係を描き出した『君が望む永遠』(2001年、 アージュ)は「鬱ゲー」というジャンルを開拓し、すたじおみりす teamL←→R「神無ノ鳥(2002年)などが続く。

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また純愛系ではソフ倫の規制強化を逆手に取るように、義妹・幼馴染・いとこ(主に従兄妹)をメインヒロインに据えた作品で多くの話題作が出た。その中でねこねこソフト「みずいろ(2001年)」、CIRCUS「D.C.ダ・カーポ〜(2002年)」が相次いでヒットした。

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そしてアージュが「君が望む永遠」の世界観を継承する形で送り出した並行世界物「マブラヴ・シリーズ(2003年〜)」は、諫山創さん「進撃の巨人(2009年〜)」に影響を与えたとも。

マブラヴ』(Muv-Luv

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âgeが製作した青春恋愛アドベンチャーゲーム、およびこれを原作とするメディアミックス作品群の総称。 本作CD版はアージュメディア倫理協会メディ倫、現コンテンツ・ソフト協同組合)に加盟後初の作品であり、メディ倫におけるアダルトゲーム審査第1号作品でもある。

アージュの第4作目にあたる作品で、当初は2001年秋発売と発表されたが、諸般の事情から2002年4月、同年7月と発売日の延期が相次ぎ最終的に2003年2月28日に発売となった。

âgeの前作『君が望む永遠』(君のぞ)とストーリー的には直接的な関係はないが、共通する舞台として白陵大付属柊学園や欅町、柊町、総合病院が登場し、更には『君のぞ』ヒロインの一人である「涼宮茜」の登場、他の『君のぞ』のキャラクター達の存在を匂わせる演出が多数存在することから『君のぞ』の間接的な続編と位置付けられている。また、本作は『君のぞ』と同じ時期にプロジェクトが旗揚げされ、同じコンセプトのもとに製作されている。ゲーム内時期設定では『君が望む永遠』のエンディング時期から数週間後の設定になっており、この間を繋ぐ作品として『アカネマニアックス』が位置付けられている。

全年齢対象版が2006年9月22日に発売。俗に「全年齢版マブラヴ」と呼ばれているが、正式タイトルは18禁版同様『マブラヴ』である。âgeでは「限定解除版」と呼んでいる。

2011年10月27日には、Xbox 360にて続編「オルタネイティヴ」ともども家庭用機移植版が発売された。発売元はMAGES.の5pb.Gamesレーベル。PC版の発売から移植まで年数が開いたため、冒頭の断り書きで作品の内容が2001年を想定していることが述べられる。2012年10月25日にはPlayStation 3の移植版が発売。PS3版のみ通常版と限定版が2種類存在する。そして、PS Vita版から2016年1月21日に発売予定。

マブラヴ オルタネイティヴ』(英: Muv-Luv Alternative

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アダルトゲームメーカー âgeアージュ)の恋愛アドベンチャーゲーム、およびこれを原作とするメディアミックス作品群の総称である。『マブラヴ』の続編にあたる。作中では『君が望む永遠』の涼宮遙速瀬水月、『君がいた季節』の伊隅みちるなど、âgeの歴代作品のヒロインが登場するスター・システムを採用。

当初は『マブラヴ』と一体のものとして開発が進められていたものの、製作に膨大な時間がかかってしまうことから、『マブラヴ』発売時に『マブラヴ オルタネイティヴ』として分割して発売されることが発表されたとも(アージュ側の発表では分割は当初の予定通りで、CD枚数が6枚から4枚+CD-DA1枚への変更もデータ圧縮技術の進展のためとしている)。

前作『マブラヴ』同様発売日に関しては延期が繰り返された。当初は「2004年中」と発表されたが数回にわたって延期され、最終的にDVD-ROM版は2006年2月24日、CD-ROM版は2006年3月3日に発売された。

全年齢対象版が2006年9月22日に発売された。俗に「全年齢版マブラヴ オルタネイティヴ」などと呼ばれているが、正式には18禁版同様『マブラヴ オルタネイティヴ』である。âgeでは「限定解除版」と呼んでいる。

2011年10月27日に『マブラヴ』とともにXbox 360で移植版が発売された。発売元はMAGES.(5pb.Games)だが、移植そのものはアージュが行っている。本作および『マブラヴ』に加えfigmaも同梱した「ツインパック」も発売された。2012年10月25日にはプレイステーション3版も発売。『マブラヴ』と同様にPS3版は通常版と限定版の2種類が存在する。PS Vita版『マブラヴ』の発売日と同じ、2016年1月21日に発売予定。

ああ「女子は可愛いものと同じくらい猟奇が好き」というだけでなく「女子は可愛いのとおなじくらい猟奇(被害者でもあり、加害者でもある)」というイメージ複合になってるのか…しかも国際常識ときたもんだ。

http://yaz1966.tumblr.com/post/150217433662/女女の子ってのはいっつも優しい男の人よりも20回に1回ぐらい優しい男の人の方が好きになりやすいんだ

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http://yaz1966.tumblr.com/post/150216551827/ちなみにコミックマーケットにおけるエロの割合は全体の二割です少ないなと感じた貴方これが現実なのです

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国際SNS上の百戦錬磨の女子達は「私達は男子が非実在女子に何を求めようが別に攻め立てはしない。私達が非実在男子に何をしても責め立てられない限り」と平然と口にする。彼女達の「本物のタナトス(Thanatos、死の誘惑)への渇望」は、最近ではその攻撃性が原則として外面に向けられる十代前半のうちは岸本斉史NARUTO -ナルト-(1999年〜2014年)」や「アバター 伝説の少年アン(Avatar: The Legend of Aang、2005年〜2008年)」や「アバター 伝説の少女コラ(The Legend of Korra、2012年〜2014年)」、その攻撃性が原則として内側に向けられる様になる十代後半以降は石田スイ「東京喰種(Tokyo Ghou、第1部2011年〜2014年、第2部l2014年〜)などに向けられる様に。まぁ羽を好きなだけ伸ばせてこその空想の世界だし?

まさしくアンドロメダ病原体…というよりまさに「シンゴジラ」のゴジラ

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http://yaz1966.tumblr.com/post/150247589702/202-ななしのよっしん-20160822月

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その「シンゴジラ」の米国封切り後の反応も予想通り。

でも思い返してみれば女子の自己認識って「蜻蛉日記(10世紀成立)」や「更級日記(11世紀成立)」の時代からこんなものだったとも。