諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「エヴァンゲリオンの赤い海」は何を表していたの?

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ぐるっと一周して改めて「なぜ戦後日本はマックス・ウェーバー吉本隆明が人気となったのか?」が気になり始めました。

今から思えば「新世紀エヴァンゲリオンNeon Genesis EVANGELION、TV版1995年、旧劇場版1996年〜1997年)」における旧劇場版の結末「みんな融けて一つになってしまう(LCL化)」「だがそれがハッピーエンドとは思えずリブート」「庵野秀明監督自身もリブートして実写「ラブ&ポップ(1998年)」制作」という流れって一体何だったんでしょうね?

 そもそもの始まりは産業革命が欧州全域に広がって既存社会が崩壊し、この事態に対応する為に社会学(Sociology)という学問分野が創始された事。

ただし第一次世界大戦(1914年〜1918年)に向かう世相の流れに歯止めを掛ける事は出来ませんでした。戦時下において研究は停滞。社会学はあらためて再出発を強いられる事に。

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1920年代から1930年代にかけてのドイツ、1960年代以降のフランスなどではマルクスの「上部構造/下部構造」論とフロイト精神分析理論がジンメル的形式社会学(独Formale Soziologie, 英Formal Sociology)に仲介される形で融合し「マルクスフロイト主義とでも呼べそうな何か」が次第に形成されていきました。
*ドイツではマックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年〜1920年)やゾンバルト(Werner Sombart、1863年〜1941年)が主導。

  • とはいえ「(方法論的関係主義の代表格たる)ジンメル的形式社会学の仲立ちを受けた」時点で「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(本物の自由意思や個性が獲得したければ、まずこうしたシステムそのものを破壊しなければならない」なるマルクス(Karl Heinrich Marx、1818年〜1883年)のフォイエルバッハ的人間解放論はたちまち切り離されてしまう。

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  • フロイト精神分析理論」にしたって、別に彼の発見した象徴体系そのものが持ち込まれた訳ではない。
    ◎信頼に足る「厳密な根拠を有する論理体系」構築に当たってデカルト(René Descartes、1596年〜1650年)は幾何学や代数といった数学の世界のみに注目。
    ◎「近代史学の父」ジャンバッティスタ・ヴィーコ(Giambattista Vico, 1668年〜1744年)は「歴史もまた人間の行為事実の無からの積み重ねで構築されてきた」とし年表編纂に新しい意味をもたせた。
    フロイト(Sigmund Freud、1856年〜1939年)はこれに「自由連想法」という第三のアプローチを追加。

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  • もしも科学の使命が「未来を予測し、これを必要なだけ制御下に置く計画を策定し、その進行状況を評価する」点にあるのだとしたら、まず最初に為すべきは「二点間を結ぶ最短距離が直線にならない時は、空間の側が歪んでる」といった検証が可能な環境の準備という事になる。そして幾何学が体系を、史学が年表を構築する様に、自由連想法は(本来はフラットたるべき)主観世界の歪みそのものを白日の下に曝し出す。
    幾何学は体系構築に成功した時点で完成だが、年表や自由連想結果に対する解釈はその内容の推移に従って変遷していく。この次元では論理など単にこうしたインフラ(Hardware)上を走る上物(Software)の一種に過ぎない。
    ウラジーミル・プロップ(Vladimir IAkovlevich Propp, 1895年〜1970年)の研究も「フィールドワークによって集めた莫大な量の伝承のパターン分析から編み出した物語文法体系」が本体(Hardware)で、個々の物語の個別的展開が上物(Software)という考え方。
    ◎1960年代フランスにおける構造主義(仏structuralisme)樹立の背景にあったのもこの流れ。そう考える事によって欧州社会学者達は実証主義(Positivism)と反実証主義(Antipositivism)の間に横たわる深い亀裂を埋め様としたのだった。

 

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②これに対し、ある種の「WYSWIG(What You See is What You Get)」理念から出発した米国社会学は、やがて完全合理性仮説を脱却して限定合理仮説に移行。特に最近流行のカーネギー・メロン学派にこの傾向が強く、この次元においては欧州社会学とそう変わらないものとなっていきます。
アメリカ経営学会上の学派: 菊澤研宗のブログ ダブルKのブログ

  • そもそも実はプラグマティズムPragmatism)的に「(到達難易度はともかく)神は我々の行動に必要な情報は全てアクセス可能としてくださる」と考えても限定合理性仮説に従って「限られたアクセス範囲でどれだけ最適解に迫れるかこそが学問の本懐である」と考えても、それは所詮解釈の問題に過ぎない。当然「完全客観視可能な評価空間」の構築方法自体は変わってくるが、その素材となるデータ自体はそんなに変わらない。

  • 発想の飛躍はむしろ情報処理システム体系そのものの見直し。全てを列記し尽くす事で死角を潰し尽くそうとするルソー「ジュリまたは新エロイーズ(Julie ou la Nouvelle Héloïse、1761年)」の啓蒙学的自然観から、情報量に限りのある状況下、少しでも有用な世界観を構築しようとするゲーテ「若きウェルテルの悩み(Die Leiden des jungen Werthers、1774年)」の個人有機体説(Organistic theory of the person)の世界へ。そして後者からはやがてコント(Auguste Comte、1798年〜1857年)やスペンサー(Herbert Spencer 1820年〜1903年)の社会有機体論(The Organic Theory of Society)が派生する。社会有機体説のさらなる源流に位置するエドモンド・バークは社会契約論(仏contrat social、英Social Contract)に対抗して「(ある世代が自分たちの知力において改変することが容易には許されない)時効の憲法(prescriptive Constitution)」の概念を提唱したが、これは次第にホメオスタシス(Homeostasis、生物学的恒常性)の概念に置き換えられていく。

    *実は唯物史観へのフロイト主義導入は、元来は社会有機体論や社会分業論に非対応だったマルクスの理論を生物学的比喩に対応させる役割を担ったという考え方もある。しかしその結果かえって「マルクス主義ヒューマニズムスターリン主義の様な全体主義的独裁体制の礼賛」という図式が出来上がってしまい、フルシチョフスターリン批判(1956年、1961年)によって完全破綻。1960年代に入るとアルチュセール(Louis Pierre Althusser、1918年〜 1990年)やプーランザス(Nicos Poulantzas: 1936年〜1979年)を代表とする構造主義マルクス主義(Structural Marxism)の形式社会学的な重層的決定論に乗り換えたとも考えられている。

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  • リチャード・ホフスタッター(Richard Hofstadter、1916年〜1970年)は「南北戦争の原因として産業基盤の相違よりは奴隷解放論者達の宗教観を強調する一方で、北西部に「黒人恐怖」が行き渡っていたという逆説的な状況も忘れずに書く」式の与論史学(Consensus-History、一人の人間に矛盾した動機が共存する様に、民主主義的伝統を持つアメリカ史を動かしてきたのは諸動機の対立によって形成された「与論」とする立場)で一世を風靡した。しかし1960年代に入ると「多数派の「与論」から斥けられた主張が忘れ去られる事なく鬱積し、マッカーシズムの様な暴力や言論弾圧を伴う病理として現れる」現実に直面。自らの歴史観の再建を図ろうとするも、さらに黒人公民権運動やヒッピー運動に直面して結局果たせずに終わってしまった。その結果現在では「研究テーマが限定され散漫であり、壮大で一貫した展望も持たない歴史家」と評価されている。
    *与論史学(Consensus-History)…一人の人間に矛盾した動機が共存する様に、民主主義的伝統を持つアメリカ史を動かしてきたのは諸動機の対立によって形成された「与論」とする立場。それは少なくともマルクス唯物史観にアメリカで起こった出来事を強引に流し込んだだけのチャールズ・ビアード「合衆国憲法の経済学的解釈(An Economic Interpretation of the Constitution of the United States、1913年)」などの歴史年表よりははるかに出来が良いと考えられたのだった。

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③こうした欧米における流れは概ね「科学実証主義(Scientific Positivism)と反実証主義(Antipositivism)はいかなる関係を築くべきか?」を巡る試行錯誤の流れといってよいでしょう。一方、周回遅れとして出発した日本は当時どうなってたかというと‥

  • エミール・フランソワ・ゾラ(Émile François Zola、1840年〜1902年)のルーゴン=マッカール叢書(Les Rougon-Macquart 、1870年〜1893年)やトーマス・ハーディ「ダーバヴィル家のテス(Tess of the d'Urbervilles、1891年)といった欧州自然科学主義文学は「綿密な社会調査に基づいて遺伝と社会環境の因果律の影響下にある人間の自然状態を明らかにする」事を目標としていた。ダーウィン種の起源(On the Origin of Species、初版1859年)」やフランス人生理学者クロード・ベルナール「実験医学序説(Introduction a L'etude De la Medecine Experimentale、初版1865年)」の薫陶を受けた結果。しかしこれが日本に伝わると田山花袋「蒲団(1907年)」の様な「作者が乱れた生活が生み出す内心のドロドロをただ吐露するだけの私小説」に化けてしまうのである。この運動の背景にあった「厳密な根拠を有する論理体系構築を目指す指向性」が完全に抜け落ちた結果生じた喜劇だった。
    田山花袋 蒲団
    なぜ私小説は勝利したか?-3分でわかる身も蓋もない近代日本文学史 読書猿Classic: between / beyond readers

    http://tn-skr2.smilevideo.jp/smile?i=21698353.L

  • 大正期の1912年から1915年にかけてはベルクソン哲学が大流行。唯心論の興隆の波に乗って〈直観〉をしきりに喧伝したが、行き過ぎて〈知性〉と〈他者〉を排除する傾向が強くなり、これが流行を終焉に導く結果を生んだ。
    *あくまで大衆を侮蔑しつつ相手側には絶対服従を要求し、さらに外敵との戦争より党争における勝利を優先する福本イズムの独善性の源流をここに見る向きもある。

  • 1920年代日本の共産主義運動を主導した福本イズムとは要するに「大衆は政治的エリートの善導によってのみ救済される」「正統性保全の為の党争は外敵との戦争より優先される」といった内容。まさしく歴代中華王朝を滅ぼしてきた儒教観念そのもので、それ故に当時の日本のインテリ層に受容されやすかった。戦後の新左翼運動では中核派がこの立場に立つ。「もはやマルクスの思想と何ら関係ない」という点を除けばさしかる欠陥も見当たらなかったが、そんな代物コミンテルンが認める筈もなく、全面否定され一転して粛清対象に。
    中核派…もしかしたら出発点はオーギュスト・ブランキの一揆主義(putchism)だったのかもしれないが、到達点はほぼ同じだった。要するに日本のリベラル派の行動原理の基底をなしているのは徹底的なまでの大衆侮蔑と内ゲバ指向なのかもしれない。
    福本理論の眼目と歴史的意義
    福本和夫と27年テーゼ | TAMO2ちんの日常

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  • 1930年代日本における唯物論研究では元物理学専攻で西田幾多郎に師事して哲学を学んだ事もある戸坂潤(1900年〜1945年8月9日)の名が知られている。
    戸坂潤 イデオロギーの論理学
    戸坂潤 日本イデオロギー論 ――現代日本に於ける日本主義・ファシズム・自由主義・思想の批判(1935年)
    戸坂潤年譜・著作一覧

    ◎全体的立場はヘーゲル寄りだが、しばしば(社会が人間の道徳的判断を規定しているとする)デュルケームの「社会的事実(le faits sociaux)」が援用される。またロンプローゾ学派の「生来的犯罪者説」に「模倣説」で対抗した犯罪学者にして社会思想家学者だったガブリエル・タルド(Jean‐Gabriel de Tarde、1843年〜1904年)についても(マルクス同様に)社会の全的再構成を指向した悲観主義者としてまとまった言及があったりする。
    ガブリエル・タルドの社会学とその現代的意義について
    ◎まず自然運動と歴史的運動を峻別し、後者を国民国家の根幹とし、これに寄与しない個別の自由意志に基づく振る舞いは全て等しく無価値とする。人格は元来時代精神だけが備え得るもので、個人はその一環に組み込まれ行為の実践を担当する形でのみ個性を獲得するとする。そして眼前の歴史的現実に対応可能な論理が政治的に選ばれるとする。
    *まさしく「 絶対精神(absoluter Geist)に帰依しない者はすべからず人間扱いする必要はない」と豪語したヘーゲル哲学そのもの? 英米で忌避されたドイツ民族史学の影響が濃厚。当時のドイツ思想はナチスの指導者原理とかカール・シュミットの「例外処理」みたいな極端な例を除いても、こんな具合に軒並み独特の全体主義臭を漂わせていたものである。

    ◎政治上の意思決定の舞台となる認識空間は、物理学などの自然科学が想定する科学実証主義的空間とは無関係。それはむしろ歴史的事象を並べた年表上における各時代精神の解釈空間として形成される
    ジンメルやデュルタイの解釈学かと思いきや(当時は現象学の立場からその欠陥を克服した一人と目されていた)マルティン・ハイデッガーMartin Heidegger、1889年〜1976年)の名前が挙げられている。あの独特の主観的時空間認識論が日本思想にも独特の影響を?
    ◎私がしばしばパゾリーニ 監督の遺作「ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma 、1975年)」の言葉として引用する「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」なるジレンマについても既に「自由主義はあまりにも容易に絶対主義へと転化してしまう」という言い回しで触れられている。ただし「自由主義はその多様性と不安定性ゆえに眼前の歴史的事実に対応すべく政治的に選ばれる可能性のある論理候補には残れない」とも述べている。
    *まぁここでいう自由主義は、しばしば植民地拡大政策などと結びついてきた古典的自由主義の事なので評価が辛いのは仕方ないとも。アメリカでも1930年代といえば(それまでアメリカの繁栄を牽引してきた)古典的自由主義者達が世界恐慌への対応策を思いつけず(ニューディール政策を支持する)社会自由主義者に圧倒されていった時代として知られている。またアメリカ共産党の黄金期でもあった。

    ◎民主主義が無力なのは大衆が訓練を受け一枚板に組織されていないから。彼らが力を得るにはさらにその組織が特定の時代精神の体現者として編纂される必要があり、この段階に至って初めて民主主義は本来の力を発揮する。
    *「もはやそれは民主主義でも何でもない(というかまさに当時ドイツで流行していた全体主義そのもの)」なる発想が綺麗さっぱり抜け落ちている。ついでに指摘しておくとフォイエルバッハマルクスが拘泥した「人間解放論」は歴史のこの段階において既に跡形すら残ってない。

    ◎その一方で眼前の歴史的現実への対応能力に欠ける論理の強要は無意識的虚偽を蔓延させるという。この事実が唯物論者の関心を精神分析に向けさせるがフロイトの構築した象徴体系はこの用途に全く適さない。しかし精神分析の世界には他にもいくらでも別の象徴体系が存在するし、唯物論者もしかるべき手順を踏めば自らの象徴体系が構築可能とする。
    *根は理系だからか基本は押さえている。むしろ「欧州にも変な引っ張られ方をして迷走した学者が沢山いた」実例がずらりと列記されてるのが壮観。「マルクスフロイト主義」は1日にして成らず?

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    佐渡おけさ - Wikipedia

    2-5-c7マルクスボーイと人格的自由

    琴>耳学問ですが、キルケゴールが単独者の実存の立場を強調したとうかがったことがあります。罪を背負ったまま、神の御前にただ一人立つ単独者の実存ですね。
    幾多郎>そうなんです。悪に染まり、罪を犯すのも覚悟の上なんです。自由意志を貫くためには、神の掟にも逆らい、親に逢えば親を殺し、師に逢えば師を殺さなければならないかもしれません。無門慧開の『無門関』という禅書にそういう思想が書かれているんです。本当に殺せというのではなくて、全ての既成の考えや、決まりや体制に囚われないで、生きないかぎり仏法は悟れないということです。本当に人格的な自由というものがあり、自由意志によって生きるということなら、正義を貫くために監獄や軍隊を恐れていては何もできません。

    琴>あら幾多郎さんまで主義者のような事をおっしゃって、そういえば先生のお弟子さんにはマルクスボーイがおられるとか聞きましたわ。

    幾多郎>マルクスボーイもいれば、近衛文麿のような将来の首相候補もいます。マルクス主義者たちはむしろ、経済的な生産力や生産関係に人間の観念形態は限定されてしまっていると説く決定論の立場に立っています。自由意志とか人格の自立の立場を見失っています。だから彼等が起こす革命で出来る権力は、人間の人格的自由を容認するとは思えませんね。

一方、第二次大戦敗戦後の日本で真っ先に声をあげた文学者は坂口安吾でした。“進歩”という幻影を生きる進歩主義者が揃って沈黙したタイミングで「現にある日本の姿を、日本人の現実を、あるがままの姿で受容する態度」を示したのです。
坂口安吾 堕落論(1946年)

そして…

マックス・ヴェーバーの日本における受容 - Wikipedia

日本においては、丸山眞男大塚久雄をはじめとして、多くの社会学者に強い影響を与えた。ヴェーバーの日本における受容は、日本が太平洋戦争で敗北したのは「合理主義」が欠けていたためであるという問題意識と、社会科学におけるマルクス主義との対置という文脈、という2つの理由が大きかった。

吉本隆明の「共同幻想論(1968年)」とエヴァンゲリオンの「赤い海」 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)

共同幻想論(1968年)」出版当時の状況

  • 当時の左翼陣営には国家論として「集団生活を成立させる機能として国家を作ったという社会契約説」「国家とはブルジョワジーが自分の既得権益を守るために作った暴力装置であるというレーニン的な国家論」くらいしかなかった。つまり「国家とはルール体系であり、機能性を重視したシステムである」という考えに囚われていたのである。

  • しかし、吉本はマルクスの上部構造概念を参照し「国家とは共同の幻想である」と説く。詩や文学同様に国家と言うフィクションもまた人間が空想し、創造した産物に過ぎないという事であり、これはアルチュセールイデオロギー装置に似た考え方である。そして人間は元来フィクションに過ぎない筈の共同幻想に対して、時に敬意を、時に親和を、そして時には恐怖すら覚える。飲み込まれ過ぎると自分が幽霊の如き存在に堕してしまうからである。
    *「アルチュセールイデオロギー装置に似た考え方」という事は「マルクスフロイト主義」系譜に位置付けられる動きだったという事に。

  • これは特に原始的な宗教国家で顕著に見られる現象であり、その共同体においては触れたら死ぬと言い伝えられている呪術的な物体に触れたら、自分で本当に死ぬと思い込み、心的に自殺すると言う現象も起こりうる。個人主義の発達した現代でにおいてすら、自己幻想が愛国心ナショナリズムと言う形で共同幻想に侵食されている。

そして共同幻想の解体、自己幻想の共同幻想からの自立は、現在でもラジカルな本質的課題であるとまとめた。当時の教条主義マルクス・レーニン主義に辟易し、そこからの脱却を求めていた全共闘世代に熱狂して読まれる事になった。

 完全なる断絶に見えて、そうでもない側面も?

  • 英国人政治家エドモンド・バークの「時効の憲法(prescriptive Constitution)」…ある世代が自分たちの知力において改変することが容易には許されない。

  • フランス人生理学者クロード・ベルナールの「ホメオスタシス(Homeostasis)」…生物や鉱物における「その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向」の事。

  • ドイツ人思想家ラッサールの「普遍精神(Allgemeine Geist)」…特定時における特定の民族精神の表現としての法律制度。この次元における権利は全国民のを唯一の源泉としており、その普遍的精神が変化すれば奴隷制、賦役、租税、世襲財産、相続などの制度が禁止されたとしても既得権が侵害された事にはならないが、変化には相応の歳月を必要とする。

  • ユダヤ系フランス人社会学デュルケームの「社会的事実(le faits sociaux)」…社会がその成員に強要する道徳や規範の類。

  • マックス・ウェーバーの「鉄の檻(Gehäuse)」…少なくともばらばらな個人の寄せ集めとしての個々人の眼には改変の余地などない用に見える。

日本の左翼陣営はフォイエルバッハマルクスの人間解放主義に従ってこうした「急進主義への歯止め」概念全ての破壊を人間が幸福になる前提条件としてきた感があります。自らも1970年代後半以降、旧左翼運動と新左翼運動の融合を達成。これにより「自浄能力を全く持たない烏合の衆化が加速した」と指摘する向きもありますが…

ある意味それって「民主主義が無力なのは大衆が訓練を受け一枚板に組織されていないから。彼らが力を得るにはさらにその組織が特定の時代精神の体現者として編纂される必要があり、この段階に至って初めて民主主義は本来の力を発揮する」なる戦前のマルクス理解の延長線上に現れた動きだったのかもしれません。

1930年代に全体主義思想の本場ドイツから産地直送でやってきた生物学的民族史観…ドイツ本国では1960年代後半から1970年代前半にかけて一掃されたとされてますが、日本ではソ連崩壊(1991年12月)以降も生き延びて「エヴァンゲリオンの赤い海(LCL化した人類の成れの果て)」として映像化される展開に?

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ちなみにインターネット史上においてもこの時代、利用者の拡大が始まる一方で「みんなネットに繋がったら、一つの人格に融合しちゃうんじゃね?」なる不安感が高まっていった時期に該当。まぁ世紀末だったり、五島勉ノストラダムスの大予言シリーズ(1973年〜1998年)」のタイムリミットが迫っていたせいもあったんです。

もしかしたら1990年代中旬というのは「全人類が一斉にATフィールドを放棄したら一つに融合出来るかもしれない」なんて共同幻想が無碍に否定できない雰囲気が漂ってた最後の時代だったのかもしれません。そういえば同時期には宮崎駿監督「On Your Mark(1995年)」が制作されています。ガチで「魔術的リアリズム」の世界。そして主題に選ばれたのは怪しい宗教団体…

植芝理一ディスコミュニケーション(Discommunication、1992〜2000年)」「夢使い(2001年〜2004年)」が連載されてたのもこの時期。

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しかし現実は既に‥オウム真理教が選挙に出馬して大敗し、絶望感からサリン・テロ(1994年〜1995年)に走ったのがこの時期だったのも決して偶然ではなかった筈。

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後はもう転げ落ちる様に…それまで一世を風靡してきた左翼陣営の凋落もこの頃から。そもそも上部構造こそ「1930年代における国際的な全体主義流行の残滓」でも、中の人がすっかり入れ替わっちゃってるから、詰めても詰めても「ゴブリン軍団みたいな自浄能力のない烏合の衆」が出来上がるばかり。

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同様に様々な意味で世紀末不安から遠ざかった今日では「エヴァンゲリオンの赤い海」が視聴者に当時の様なピクチャレスク感(Picturesque、美と戦慄の有り得ない形での同居)をもたらすとは考えにくくなりました。

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全体像を俯瞰してみると案外そんな話に過ぎないのかもしれません。