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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「レッドタートル」見てきました。①どうしてこの作品、海外の「セカイ系大戦」に巻き込まれた?

作品内容そのものについての考察は次回以降(未視聴者厳禁の激しいネタバレあり)。とりあえず伝えておかないといけないのは …

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【悲報】ジブリ最新作『レッドタートル ある島の物語』は一切セリフがないことが判明!! 売れるのこれ? | やらおん!

評論家はきっとこの作品もセカイ系と結びつけて論じてくる
セカイ系が~って言えば評論感出せるから

どうやら「国内では」そういう動きは全く見られず終わりそうだという事。実はそれはそれでいいんだろうかという気持ちも結構あったりして。

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日本の社会科学が国際化できないわけ | NEXT MEDIA "Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

先日、筆者は、日本の大学の世界大学ランキング低迷の理由のひとつとして、社会科学の評価の低さを指摘した。手元に、日本学術振興会平成23年(2011年)にまとめた「人文学・社会科学の国際化について」という報告書がある。東洋史学、社会学、政治学の3つについてそれぞれの分野の研究者が討論を重ねてまとめたもので、なかなか興味深い。

たとえば、日本の社会学者は3600人、世界の10パーセントと推測されるが、研究の重要性の指標とされる引用率(ほかの論文で研究が引用される率)は1%をはるかに割っているという。本稿ではこれに関連して、この「引用」に焦点を当てて日本の社会科学の国際化について考えてみようと思う。少々専門的な話になることを最初にお断りしておく。

以前も触れたとおり明治期に高等教育機関を設立して以来、日本の学問は「翻訳主義」を取ってきた。報告書も指摘するが戦後、日本の社会科学はフィールドワークを重んじる実証主義的傾向が強まった。このため独自の理論はほとんど生み出さず、外国からの借り物に頼ってきた。

あまり指摘されない肝心な点は、これらの「輸入」理論は日本語に翻訳され咀嚼されてきたため、実は、欧米での議論とはズレたものになりやすい。つまり、理論とは社会科学における共通言語だが、この共通言語は気づかぬうちにいわば「ジャパングリッシュ」化しており、共通言語の役目を果たさないことがある。言い換えれば、日本で語られるミッシェル・フーコーは、英語圏の学者が理解するフーコーとは微妙にずれている。報告書の中に「日本の中で最先端にいると考えていた者の研究も、外国に出てみたら、共感の得られない裸の王様であったということがある」とあるが、これはおそらくその例であろう。

また、ガラパゴス化は、日本人が海外の議論に応じないことでさらに促進される。報告書では、過去に、土居健郎の「甘えの研究」について、国際的に注目され海外から反論を含めたさまざまな意見が出てきても、当の研究者がその誘いに応じないため、議論に発展しなかった例を指摘している。これは「甘え」という概念は日本特有ではなく韓国にもある、という議論だったというが、肝心なのは、この反論に応じることにより「甘えの構造」がほかの研究者により練られ、ある程度の普遍性を有する日本発の理論となりえたことである。結果、報告書の指摘する通り、日本の社会学は「国際マーケット」の「バイヤー」であるばかりで、「生産者」になりきれずに近年まで至った。

それでも日本の社会科学がある種の光を放ってこれたのは、日本が最初の非欧米近代国家であったからだ。つまりそこは、国際的には、実証研究の実に豊かなフィールドであり、理論を生産しなくてもJapan modelという「実証」を売っていればよかった。だから日本は注目され、たくさんの日本研究者に愛されてきた。しかしとっくに日本は「唯一」の国ではなくなった。

一方で、海外にフィールド研究の場を求めたところで、日本独自に発展を遂げた欧米理論による分析では、国際的な議論には参加しにくい。すると既存の研究を翻訳することが、本当に問題の解決となり得るだろうか。こう考えると、実は日本の社会科学の問題は、日本という国の国際社会での生き方の問題と重なってくるのである。

問題の本質は同じ。せっかくジブリが海外でゴジラを召喚し、しかも巧みに対立を煽って「第2次セカイ系大戦」を引き起こそうと画策してるのに、どうしてこのビッグウェーブに乗らないの?

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【背景その1】「召喚されたゴジラが徘徊開始」

  • そもそも海外のジブリ・ファンのコア層(自発的に円盤を買い揃えてくれたりする 客単価の高い層)はディズニー・ファンと同じで「Love Story好き女子」だったりする。
    *ちなみに日本の観客層ともそんなに大きくはズレはないとも。そもそも歴代興行成績自体「男女ダブルス戦」の様相を呈してるし。ちなみに真っ先に倒されたのは(「風立ちぬ」主人公の中の人としての)庵野秀明だったという。せめておっぱいさえ揉んでたら…
  • ちなみにこの層、最近日本のアニメ「など」に浮気気味。ディズニーが妙にウルトラ・フェミニズムに振り回されてLove Storyを提供しなくなったせいである。
    *「ズートピア」で多少は巻き返しを図った感も見て取れるが、まだまだ予断を許さない状況。というか、おそらく少なくとも「ベイマックス(Big Hero 6、2014年)」について「これはタダシとヒロのLove Storyとして鑑賞してOK?」、「メイズ・ランナー(The Maze Runner、2014年)」について「少年達が性欲処理をどうしてるのか気になって仕方がなかった」とか呟くようになった「元ファン」は既に手遅れ。もはや完全に元通りになる事はないだろう。またLove Storyを求めてて新海誠監督「秒速5センチメートル(2007年)」や「言の葉の森(1913年)」に飛びついて「桜!!、桜!!、桜!!」とか「あ〜この雨が私を癒す」とか呟くようになった「環境系」女子とか。

  • こうした層を「ジブリが新作を制作」と発表して呼び寄せ「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge)」なんて差し出してたって、当然召喚されたゴジラはおとなしく帰ってくれない。
    *そこまで彼女達に強い影響力が発揮出来るのってアニメ会社っておそらくディズニーとジブリぐらいだけど、 まさにそのジブリが動いたという次第。 

ただそれだけで「セカイ系大戦」が勃発する筈もありません。ここに第二の要因がからんでくるのです。

 この指摘、案外するどい。

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【背景その2】世界中の「セカイを破滅から救わんと立ち上がった正義の戦士達」に「出動命令」が届いてしまった。 

  •  この問題、実はトム・ムーア監督の前作「The Secret Kells(2008年)」にまで遡る。「ディズニー作品やジブリ作品の影響があちこちに散見される」とし、多くの評論家がこの作品を袋叩きにしたのだった。いうなればこれがある意味「第1次セカイ系大戦」。
    The Secret of Kells - Wikipedia, the free encyclopedia

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  • いわく「物語中に登場するヴァイキングはムーランが登場する蛮族のパクリ、狼はもののけ姫のパクリ」。いわく主人公とヒロインの関係はもののけ姫におけるアシタカとサンの関係のパクリ」。いわく主人公の受ける試練もその筆記が重要な意味を持つのも、全部千と千尋の神隠しからのパクリ」。最後に到達した結論が「今や世界中のアニメーションがディズニー作品や日本のアニメ作品に飲み込まれつつある。こんな状況を許しておいてよいものか!!

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  • こうした歴史を背景に①「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge)」封切られる。②宮崎駿監督が「レッドタートルは日本のアニメの影響を全く受けないように見えるのが良い。今は内外問わず日本のアニメに影響されたものばかりだから」とコメントする。といった状況を追い風としてこの流れに次のビックウェーブを見た「セカイを破滅から救わんと立ち上がった正義の戦士達」の活動が活発化。状況はまさに「第2次セカイ系大戦」前夜? そういえば気のせいか「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた(Song of the sea、2014年)」の日本語版パンフレットに掲載されてたトム・ムーア監督へのインタビューも、この作品について掲載された映画評も、とにかく彼の作品のオリジナリティを全面否定しようとするスタンスで貫かれていた気がする。

    ソング・オブ・ザ・シー うみのうた」パンフレット トム・ムーア監督

    ジブリをはじめとした日本のアニメ作品に大きく影響を受けているそうですが、宮崎駿高畑勲山村浩二細田守など日本には偉大なアニメーション監督が沢山います。彼らのどういった点が作品に影響を与えたのですか?
    まずは自分の文化に根付いた映画を作っている点です。どこにもない架空の場所を舞台にするのではなく、特にジブリ映画はとても日本的です。そうすることで世界中の観客が日本文間を発見する楽しみが出来ます。僕もアイルランド文化で同様の事がしたいと考えています。

    日本とアイルランドのアニメーションで似ている点、異なる点はありますか?
    日本のアニメは独自のスタイルを持っています。各作家が異なる作風ですが、世界から見ると「日本のアニメ」とすぐ分かります。一方アイルランドのアニメはまだ独自の個性を見出していません。一般的にはアメリカのアニメーションの影響が強いのですが、よりインディペンデントなものも出ています。コマ撮りなど多様なスタイルが試みられていますが、日本の様に普遍的に知られるアイデンティティは確立されていません。アイルランドのアニメはまだ若々しく道を探っているところですが、日本の豊かなアニメ史から今の作家による再生産が広がっている感じです。

    本作はアイルランド製のアニメでありながら、ジブリ作品および、宮崎駿作品の影響を多分に感じることが魅力のひとつ。なんと『となりのトトロ』をはじめ、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』、『崖の上のポニョ』、『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』にそっくりなシーンがあるのです!

    具体的なジブリに似ているシーンを詳しく書くとネタバレになってしまうのですが、ひとつだけあげるとしたら魔女の“マカ”のキャラクターですね。彼女は『千と千尋の神隠し』の“湯婆婆”、もしくは『ハウルの動く城』の“荒地の魔女”にそっくりな、“不気味さ”と“憎めなさ”が共存している見た目と性格をしているのです。

    本作で連想した映画はジブリ作品だけではありません。宮沢賢治の名作をアニメ化した『銀河鉄道の夜』と、ピクサー映画の『インサイド・ヘッド』をも思わせました。

    銀河鉄道の夜』は、よくある子ども向け映画では体感できない、“不安”“幻想的”“孤独”といったさまざまな感情を与えてくれる映画で、自分にとって一生忘れられない作品でした。『銀河鉄道の夜』と『ソング・オブ・ザ・シー』は、“ふたりの旅路”という要素、“相棒がいなくなってしまう恐怖”があることも共通しています

    インサイド・ヘッド』と『ソング・オブ・ザ・シー』は、“感情の大切さ”というテーマが共通していました。どちらの作品も“考えなくなる”“感情を失う”ことは成長をしないこととイコールであること、“たとえ悲しみであっても、すべての感情は大切なものである”という明確かつ尊いメッセージが込められていました。

    個人的には、トム・ムーア監督作品で最も注目に値するのは「(日本人やアメリカ人を筆頭とする)外国人がそれまで勝手にそういうものだと決めつけてきたアイルランド神話」を、それと全く関係ない次元で再構築しようとしてる点にあると考えている。サッカーでいうとキーパーがオフサイド狙いでセンターラインを超えて攻めのぼってくる恐怖感。だからこうした必死になって「あんたがやってる事なんて所詮はジブリやディズニーのパクリでしょ?」と決めつけようとする態度にも、ついそれを未然に防ごうとしてヒステリックになってる雰囲気を感じ取ってしまうのである。
    *日本人ってケルト文化を後背に負った時のアイルランド人の怖さを知らな過ぎ。小泉八雲はどの国出身? 芥川龍之介が翻訳したダンセイニ卿ってどの国の人? オリジナリティに関する議論を始めたければ、まずそこからなんだぜ?

    そもそもジブリ作品って本当に「純粋なる日本独自文化の産物」なの? 逆に海外作品の伝統の良い部分を巧みに取り込んだハイブリッド作品だからこそ海外にも受けてるんじゃないの?*アメリカじゃ普通に「ジブリ作品の原点はホビットの冒険とラスト・ユニコーン」とかいわれてる事実…

    この観点から新たな着眼点が浮上してくる。

    ジブリの前身はハンナ・バーベラ・プロダクションやランキン・バス・プロダクションの下請けとして実績を積んだトップクラフト

    ②そしてハンナ・バーベラ・プロダクションやランキン・バス・プロダクションといったら(労使問題でディズニーから離脱した元ディズニー・アニメーターが中心となって創建した)UPAと並ぶ「反ディズニー連合」の筆頭格。

    「反ディズニー連合」とは何か。すなわちディズニーが「芸術映画」制作に執着し続けた時期、逆にTV進出を積極的に目指してこれをシノギにまで育て上げる事に成功したアニメーション・スタジオの一群の事である。その多くは1980年代までに日本からの特撮映画やアニメ作品の輸入業者兼今日不動プロデューサーへと変貌していった。

    そういえば「B級映画の帝王」ロジャー・コーマンも最後の動きには便乗。1983年にコンコード・ニュー・ホライズン・ピクチャーズ(Concorde New Horizons Pictures)を設立して荒稼ぎ。もしかして「セカイを破滅から救わんと立ち上がった正義の戦士達」の背後には、そうした時代を懐かしむ声もあったりして?
    *つまり海外における「セカイ系大戦」を煽る動きの背後では「ディズニーがジブリ作品やスターウォーズやマーベルの配給権まで一手に握ってしまった事」に不満を持つ層が暗躍してる可能性が出てきたという事。まぁここまで来ると流石に憶測の域を出ないけど。

    これは実に困った展開。ここまで宮崎駿監督が繰り返し主張してる「日本の萌えアニメが世界中のアニメーション業界を駄目にしつつある。世界中のアニメーターよ団結して戦え!!」と、実際に「セカイ系大戦」の大義名分として掲げられている「世界中のアニメーション業界がディズニー作品とジブリ作品のデッドコピーに変貌しつつある。世界中のアニメーターよ団結して戦え!!」のギャップが大きいとは…またジブリ側はジブリ側で別の問題を気に掛けている模様。

    こうして全体像を俯瞰してみると、まさしく宮崎駿こそ「反ディズニー闘争の英雄」。そしてその監督作品こそある意味「反ディズニー作品の集大成」。これとディズニー作品に同時宣戦布告なんて、制作側にとっちゃ、ある意味完全なる自殺行為になっちゃうんじゃ?

その一方で再召喚された「セカイを破滅から救わんと立ち上がった正義の戦士達」はさらに危険な領域に足を踏み込む事に。何と彼らは召喚され不機嫌極まりない状態で放置されているゴジラへの攻撃を始めてしまったのです。

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【背景その3】「セカイを破滅から救わんと立ち上がった正義の戦士達」VSゴジラ

①先に「(彼女達は)ディズニーがLove Storyを供給しなくなったので日本のアニメなどに浮気した」と書いた。実はここでいう「など」にはトム・ムーア監督の「Secret of the Kells」や「Song of the Sea」も含まれていたのである。
*という事はこの2作は彼女達の求めるLove Storyの条件、すなわち「平坦化(fraternize)」「コミュニケーション・オリエンテッド」「環境オリエンテッド」の3点を満たしたという事である。この辺りの分析を掘り下げると長くなるので割愛するが、とりあえず彼女達は「Secret of the Kells」における主人公とヒロインの関係を「(「もののけ姫」における)アシタカとサンの関係」でなく「(「化物語」における)阿良々木暦忍野忍の関係」と重ねる道を選んだのである。
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*まったくもって彼女達にとってのLove Storyのレンジは思わぬ方向に広く、思わぬ方向に狭い。「Song of the Sea」で兄弟のイニチアシブ争いを楽しむかと思えば、恋愛要素が「姉貴と彼氏の関係をヒロインがからかう」場面くらいしかない「リロ・アンド・スティッチLilo & Stitch、2002年)」も無問題。そもそも基準そのものが絶えず揺らぎ続けている。「アンドロメダ病原体」とか「ゴジラ細胞」と呼びたくなるのはそのせい。
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②とはいえ実はこの投稿を執筆している間にも状況は刻々と推移していく。

 

  • ここへきて本命ディズニーが動き「モアナと伝説の海(Moana、2017年)」で漁夫の利を総取りする可能性が急速に強まりつつあるのである。
    *鍵を握ってるのは日本では(全身の刺青のせいで)ポスターから排除された「伝説の英雄」マウリさんがどういう存在か。日本人は未だに女子が「可愛いもの」と同じくらいオドロオドロしいものが好きって事実を認めたがらない?
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  • また想像以上に宮崎駿監督やジブリ・スタッフの発言の国際的影響力が衰えている事も明らかとなった。「風立ちぬ(2013年)」はそれなりにLove Storyとして受容されたけど、既に「かぐや姫の物語(2013年)」の評価が微妙だったのが響いている。
    *日本国内よりむしろ真剣にそのテーマについて「生きることそのものが罪ってどういう事? 人類は一刻も早く全滅すべきって事?」みたいな議論が活発に交わされた事が仇になったとも。https://67.media.tumblr.com/0f6888e6a6bce0bdba8d9248fbe076ef/tumblr_o8nongH6fr1tp4szso1_540.gif
  • さらにここへきて「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge)」がフランス語圏において日本以上の壮絶な爆死を遂げた可能性が浮上してきた。
    *とにかく国際SNS上の反応がそうとしか思えない有様になってる。国際SNS上を流通する情報が「いよいよ9月29日公開」で途絶えている。どういう事? 一体何があった、フランス?http://s1.dmcdn.net/XL3oQ.jpg

このままだと「第2次セカイ系大戦」は勃発しないまま未然に収束してしまう?
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まぁ対峙状態そのものはずっと継続してるので、トム・ムーア監督が次回作を発表したタイミングとかでまた再燃するんでしょうが…

流行としてのセカイ系からは、ほとんどの場合「幻魔大戦」は連想されないだろう。

さて「幻魔大戦」等が破綻した訳は、「世界」という抽象概念は、結局、描写できないというところにある。期待を盛り上げるだけ盛り上げといて、ボスが登場しないわけで、破綻が運命づけられている、と言ってもいい。

さらに遡ると尾崎紅葉金色夜叉(1897年〜1902年)」からしてそういう作品でした。浜の真砂は尽きるとも、世に「セカイ系大戦」の種は尽きまじ?

それはそれとして、ここまで本当に「岸辺のふたり(Father and Daughter、2000年)」を制作したマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督の新作「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge)」の内容に踏み込んだ話は一切なし。

岸辺のふたり〜缶詰の映画

まぁ「戦争」自体が案外そんなもの?