諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「レッドタートル」見てきました。②そもそもこれって「フランス映画」なの?

作品内容そのものについての考察は次回以降(未視聴者厳禁の激しいネタバレあり)。日本の評論家がサボり過ぎてるせいで、その前に語っておかないといけない事があまりに多過ぎる(責任転嫁)。まぁサボってるのは日本の評論家だけじゃないとも。

https://66.media.tumblr.com/20ba19c3895de5bb14727d15c081bda7/tumblr_o79qyfC7KN1qe4mifo1_540.gif

そもそも私はこれまで「ジブリが仕掛けてるセカイ系大戦」と「ディズニーとジブリの圧倒的優位に抗議するセカイ系大戦」を一緒くたにしてました。

この認識のままでは一歩も先に進めなくなってしまったのです。ご了承おば。

 「助けて! フランス産アニメが日本で売れないの!」フランスの反応 – 10000km.com

annonymous 24/06/2013 :
記事読む限りでは作品は素晴らしいと。ということは少なくともフランス映画にありがちな自己満系のしょーもない作品ではないんだろう。

annonymous 24/06/2013 :
そりゃフランス国内だって日本製やアメリカ製アニメが優勢なんだもん。外国でがんがん売れるとか思わんほうがいいわな。

annonymous 24/06/2013 :
宮崎駿氏はフランス作品(ポール・グリモーなんか)に影響受けたりもした。

ジブリシルヴァン・ショメの作品などを紹介してくれたこともある。

annonymous 24/06/2013 :
原宿にタンタンのお店だってあるんやw

*「タンタンの冒険(仏Les Aventures de Tintin、1929年〜)」って、ベルギーの漫画家エルジェの作品じゃないの? と思ったけど、主要発表場所はバンド・デシネだからフランス人の感覚では「フランス漫画」以外の何物でもない? そういえば、そもそも19世紀後半の象徴主義運動でだってフランスとベルギーの芸術家が一体となって動いていた。
バンド・デシネ - Wikipedia

http://www.tintin.co.jp/shop/img/shop_tokyo_201504.jpg

annonymous 24/06/2013 :
フランスアニメというより世界のコミックが日本じゃ流行ってないんだよな。アメコミでさえ映画化されたものくらいしか普通の日本人は知らんだろ。

annonymous 25/06/2013 :
フランスのアニメ学校についてのドキュメンタリー番組をWowowでやってたな。番組では授業のクオリティの高さと…卒業後フランスでは仕事が無く海外脱出するしかない件について触れていた。

http://10000km.com/wp-content/uploads/2013/07/ecole2-s.jpghttp://10000km.com/wp-content/uploads/2013/07/ecole3-s.jpg
メビウスだって90年代セガのために仕事したりしていたね。
*それ以前に「バンドデシネ作家」メビウス(ジャン・・ジロー)といったら1980年代の国際覇者。日本だって宮崎駿大友克洋松本大洋などが大きな影響を受けた。

annonymous 29/06/2013 :
フランスアニメ界ってフランスサッカー界みたいな状況というか。育成システムは世界に知られるくらい立派。育った人々は世界の色んなとこで仕事する。

annonymous 29/06/2013 :
フランスの学校はけっこう最先端やってる。ただ優秀な生徒は国外流出しますよと。映画だって俺らがどんだけハリウッドwwwダッセwwwwwみたいに言ってもベッソンルイ・レテリエはフランスには帰ってきーへんやろ。

annonymous 29/06/2013 :
あんまアニメとか詳しくないんだけど。ドラゴンボールとかキャプテン翼がフランスでテレビ放映って時マスコミ総出で反対してたよね。でも1チャンネルで放送始まったらなんか大成功ーみたいな。ベルギー・バンドデシネ専門店とかも一緒。「日本の漫画とか売らねえってw アーティスティックじゃねーんだよww」とか言ってたけど結局みんな取り扱い始めたもんだ。

annonymous 29/06/2013 :
↑ 北斗の拳放送開始の時すげー問題になってたっけw

annonymous 29/06/2013 :
日本のドラマはフランスで放映されないのな。低予算、輸出向けマーケティング無し。でも面白い番組もあるんだけども。宮崎駿の映画が知られてきた辺りでマスコミの日本アニメに対する姿勢が変わった感もある。昔バカにしてた日本アニメの中に実はいいもんがあったんじゃないかって見なおしたり、再放送してみたり。

annonymous 02/07/2013 :
ここ数週間日本にあるアニメ/漫画専門店に通ってます。というか実はそこの駐車場に車停めてるんでいちおう店行って買い物するふりしてるんですがw。海外のアニメ/漫画も若干置いてましたよ。

annonymous 29/06/2013 :
2012年にグランレックスで魔法少女まどか☆マギカ特別上映があった件

http://10000km.com/wp-content/uploads/2013/07/grandrex-s.jpghttp://10000km.com/wp-content/uploads/2013/07/Madoka-REX-s.jpghttp://10000km.com/wp-content/uploads/2013/07/madoka-REX2-s.jpg

*ル・グラン・レックス: パリ市内2区にある映画館。1988年にはヨーロッパ最大スクリーン(300㎡)を備えた。館内には7番シアターまである(座席数2702、500、262、210、155、125、100)wikipedia

日本では劇場公開アニメってTVシリーズの劇場版ばっかだけどあんま見に行ってない。俺的にはヨーロッパアニメや「おおかみこどもの雨と雪」みたいのが好きだな。アニメ「Wakfu」の会社は~クール単位で作りたいんだけど放送してる3チャンネル側が(単発扱いのが放送枠決めるときラクチンだからという理由で)ダメ出ししてるらしい・

http://10000km.com/wp-content/uploads/2013/07/wakfu-s.jpg
日本では安い深夜枠を買ってアニメ放映→収益化はDVD販売のみに頼る、というやり方がある。これだと視聴率取んなきゃーとか大衆受けしなきゃーみたいな制約が少なくて済むのがいい。中世では本というのは美しく芸術的な形で筆写されるもんだったよね。んでグーテンベルグ以来個性のない活字というものになった。アニメも似たような流れなんでしょうか

annonymous 30/06/2013 :
まどか☆マギカはフランス公開1週間前にネットで無料視聴ストリーミングやってたぞw。北斗の拳はNT1がちょうど学校の授業終わる時間に合わせて放送したっけ。「10歳未満視聴非推奨」マーク付きでwww。ドラゴンボールZは20時とかからだった。その後NT1は1チャンネル(TF1)に買収されて…日本アニメを放送しなくなった.。

annonymous 29/06/2013 :
フランスアニメで多少成功してんのは児童向けだけという。少年/青年向けのは皆無。最初に大手局が輸入した日本アニメはグレンダイザーとキャンディキャンディで1978年(2チャンネル)。ハイジは1チャンネル。リモコンの無い時代。ご家庭では激しいチャンネル闘いが繰り広げられたというw。

annonymous 30/06/2013 :
キャプテン・ハーロックも78年やったですし。

annonymous 30/06/2013 :
5チャンネルは毎晩少なくとも5番組は日本アニメ放送してたしw。朝は朝でやってた。学校休みの期間なったらもう一日中アニメ放送ww

annonymous 30/06/2013 :
70年代ってテレビ局3つしか無くて全部カラーでもなかったし一日中番組やってるわけでもなかったろ。チャンネル3は夕方以降だけの放送だった時代。

annonymous 29/06/2013 :
日本アニメを初めて大量に輸入したのはベルルスコーニだって知ってる? その後のアニメ熱もDBZ聖闘士星矢だけで語るわけにわいかん。当時は小公女セーラみたいな古典からなんから文字通りあらゆる日本アニメが巷に溢れていた。みんな楽しみに見てたし。っつーか親たちも喜んで見てたよねw
*こういう話になると必ず「欧州のメディア王」ベルルスコーニの話が必ず出てくる。良い意味でも悪い意味でも1970年代から1980年代にかけて「角川商法」で君臨した角川春樹が1990年代初頭に逮捕されて忘れ去られた事が日本文化に与えた影響は大きい。

annonymous 01/07/2013 :
日本で販売される殆どの漫画に使われてる紙の低品質っぷりがヤベエw。大量生産/消費される漫画にふさわしいといえばふさわしいが。

annonymous 01/07/2013 :
↑ くしゃくしゃに汚れた紙にだって偉大な作品は書ける。つーか紙質によってその偉大さが減ったりすることはない。
*というかフランスに最初に「浮世絵」が伝わったのも「宣伝を兼ねた焼き物の包装」が最初だった訳で。

annonymous 01/07/2013 :
読書の楽しみと読書環境の優劣と作品自体のクオリティをごっちゃに語ってはいかんぞ。

 ここで興味深いのが、こうしたやり取りの狭間に「日本政府の関税障壁の壁は強大で、一切の外国文化の流入を拒むんだ」という指摘がなされるあたり。これも構造的には「日本では「日本の作品には五体満足の日本人だけが登場すべきである」と主張するナチス並みの優生主義団体が幅を利かせている」なる海外の俗説と同じだったりします。

  • 実は「海外文化の一切を拒絶しようとする文化障壁」が実在するのはフランスだし、「映像に登場する人種比に介入する放送コード」は欧米各国に普遍的に存在している。「ナチス優生学」にしたって、実は貴族主義や社会進化論を背景として理論整備を行ってきたのは英国で、パンチカードシステム導入による国民の状態の統計的把握なる実践手段を確立したのはアメリカでナチスドイツはこれを援用したに過ぎない。要するに背後にあるのは「外国はもっとひどい」と信じたがる投射心理の一種とも。

    *またインターネット解析におけるMeme(文化遺伝子)理論の優勢はタルド犯罪学やHays Codeを先例とする新たな種類の優生学を誕生させた。いわく「あらゆる映像化作品から煙草を吸う場面を抹消すれば、人は煙草を吸わなくなるのではないか?」「あらゆる映像化作品から汚い言葉を排除すれば、人は汚い言葉を使わなくなるのではないか?」。とはいえこの理論には新聞や映画やTV といった上意下達型メディアの独占による情報統制が可能だった時代の遺物という側面もあり、むしろ今日においてはホフスタッターが「アメリカの反知性主義(Anti-intellectualism in American Life、1963年)」の中で提示した「作用はそれに完全に成功しない限り必ず反作用を伴う」なる観点の方が重要になっている。ここでいう「完全なる成功」が「ナチスのユダヤ民族絶滅が絶対悪と認定されたのは、その完遂に失敗したから(せめてインディアンやインディオくらい減らすのに成功していたら評価は随分と違ってた)」というニュアンスを伴う点も含めて。

  • もちろん日本も「何の問題もない」状態にはほど遠いが(逆に基準がちゃんと精査されてない「非公式の自主検閲」が幅を利かせているのが問題だったりする。また「物凄いイチャモンをつけてくる市民団体」自体はどの国にも存在するが、その要求に簡単に屈してしまうのが日本的問題とも)皮肉にも欧米社会が途方に暮れているPC(Political Correctness)問題についてシステム的見直しを伴う事なく色々とチャレンジが可能な状況にあるとはいえる。

また「フランス映画にありがちな自己満系のしょーもない作品」なる認識は実はバンド・デシネ(bande dessinée)にも及ぶもので、その背景にはこんな問題もある様です。

  • 芸術家優遇プログラムに選ばれると、それだけで相応には食べていけてしまうので、商業的成功より「芸術家としての個性の確立と維持」に重きが置かれる傾向が強い。

    http://www.actuabd.com/local/cache-vignettes/L450xH240/comix-creatrix-laura-callaghan-comica-london-s-4f790.jpg?1468930959

  • ブックフェアにバンド・デシネ(bande dessinée)の拡販に来たフランス大使館職員は「もし彼らが日本の漫画家の様に週刊漫画誌での連載を強要され、しかも読者人気でアニメ化など次の展開が決まる環境に置かれたら、必ずや「それは芸術の精神に反する大衆ファシズム」「国際正義はそんな非人道的行為を決っして許さない」と言い出しゼネストを起こすでしょう」と説明していた「Miraculous Ladybug」や「Life is Strange」といった海外で成功しているフランス発プロダクトに対する国内評価が異様に低いのも、あるいは「商業主義に魂を売った裏切者」という認識があるせいかもしれない。

  • そういえば「その収益の1/3を海外に依存していたディズニーは、ナチス台頭によって市場の大部分を失い(ドイツ系移民の多い)南米での新市場開拓に向かわざるを得なかった」という話がある。逆をいえばディズニーは戦前からフランス市場には食い込めていなかったとも。戦後に入ってからもフランスの知識人達はマスコミを総動員して「ユーロディズニーは文化侵略」というキャンペーンを張り続けている。

    フランスとディズニーランド

  • こうした議論は最後には「フランスにおいては、そもそも商業主義を主導してきたのがフランス人インテリ層ではなかった(それどころか自然科学主義文学によって資本主義の暗黒面を暴き立て様としたエミール・ゾラエッフェル塔建築反対運動を組織したモーパッサンの様に終始反対し続けてきただけだった)」という話にまで行き着いてしまう。

とにかくフランスという国は「作品における需要側と供給側の利害不一致」が著しい。

ブルネ氏が生まれた1976年の日本といえば、南原コネクションが超電磁ロボを開発し、キャンディがアンソニー様に恋をし、マルコが三千里を旅していた年。日本生まれなら、昭和50年代のアニメ、ガンプラキン消しゲームウォッチファミコンなどのブームを経て、立派なオタクに成長できる時代である。

一方、当時のフランスのテレビ局は「国営放送」のみで、実質的には、国営第一放送(現・TF1)と国営第二放送(現・フランス2)の独占状態。将来の民営化を見据え、互いに熾烈な視聴率争いを繰り広げていた中、TF1が75年にキッズ向け番組『水曜日の訪問者』を開始した。学校が休みだった毎週水曜日の午後、13:30から約5時間も、教育的な内容やアメリカのアニメを流し、大いに視聴率を稼いだ。


すると1978年7月、フランス2(ドゥ)は『レクレ・ア・ドゥ』で逆襲に出る。TF1との差別化を狙い、フランス2が投入したのが、日本のロボットアニメ『ゴルドラック』(邦題 『UFOロボ・グレンダイザー』)だ。その夏は雨がちで、子どもたちがテレビを見る機会が多かったという偶然も重なって、瞬く間に『ゴルドラック』は人気爆発。ピーク時には視聴率100%を叩き出したといわれている。TF1もすぐさま日本アニメに手を伸ばし、『アルプスの少女ハイジ』『科学忍者隊ガッチャマン』『キャプテン・フューチャー』といったラインナップで対抗していった。


当時、フランス国内でのアニメ制作費は「1分間=約3万5000フラン(70万円)」で、日本からの輸入だと「1話=1万フラン(20万円)」。フランス製アニメ20分=1400万円の値段で、日本の作品が70本も買えるのだから、吹替や字幕の費用を上乗せしても、そのコストパフォーマンスの良さは破格だ。人気のみならず、「安さ」も日本アニメの大量投入を加速させた。


熾烈な視聴率争いの「安牌」となった日本アニメは、80年代のテレビ民営化を経て、拡大し続けた。ジャンルも、SFだけではなく、『きまぐれオレンジロード』や『ハイスクール奇面組』といった「学園もの」や「恋愛もの」にまで広がり、ブルネ少年は「踏切の音」を幼少の記憶に刻み、フランスの少年少女たちは日本をより親しいものと感じるようになった。


だが、若年層を中心に広がり続ける日本文化を、フランスの独自性の危機だと捉える人々も存在した。80年代後半から90年代にかけて起こったフランスのジャパンバッシングの中で、反日の槍玉に挙げられた日本アニメは、「暴力シーンが多い」「質が低い」などの理由で、戦闘シーンの削除や放送中止に追い込まれた。


果てには、国会議員が著書で日本の特撮ヒーロー『超電子バイオマン』を取り上げ、「敵を倒す=殺すこと」が幼児教育に悪影響があると槍玉に挙げた。さらに、宮崎勤事件を引き合いに出し、あたかも「アニメを見ていると犯罪者になる」と言わんばかりの暴論を展開した。


アニメと犯罪の因果関係を論じることの無意味さや愚かさは語るまでもないが、結果として、フランスでの日本アニメブームは収束し、テレビから消えた。

ところが、その「消失」は逆にフランスの若年層に「日本の存在」が自分たちの中にあることを認識させてしまった。「テレビが流さないなら、自分たちで手に入れる」と、ファン同士がネットワークを作り、独自に日本アニメを輸入する専門店や出版社が現れた。93年に出版された『ドラゴンボール』を機に「日本マンガブーム」が起こり、ゲーム雑誌で紹介される日本の最新アニメ情報なども相まって、ファンの内なるアニメ愛を再燃させる要因となったのである。


こうして、フランスのファンにとってアニメは「買って見るもの」となり、それは「受け身」だったファンを「積極的な消費者」に変え、同時に「作品を見極める厳しい目」を育てた。積極的なファンは、リアルなつながりを求め、部屋を出た。ファンイベントが各地で開催されるようになり、日本からクリエイターを招待してトークショーが行われたり、コスプレが普及したりと、フランスのオタク文化は息を吹き返し、ついには1999年の「ジャパンエキスポ」開催へとつながっていく。

フランスで、ここまで日本文化が受ける理由というのは何だとお考えですか?
デュフール いま、日本のマンガに出てくるサムライや忍者の話は、フランスの若者にかなり人気があります。古くからあるフランスのマンガ「バンド・デシネ」などには、若者に受ける作品があまりありません。なぜか、なかなか作れなかった。そんなところに、日本のマンガでアクション性の高いものが出てきました。


日本のマンガやアニメには、「友情」とか「成長」とか「努力」とか、いずれも自分もヒーローになるというポジティブ志向があります。また、日本のマンガやアニメはシナリオにしてもデザイン的なものにしてもグレードが高い。だから、受け入れられているのだと思います。


バンド・デシネは確かにフルカラーで美しいのですが、値段が高く、同じシリーズでも2~3年に1回しか出ないので、忘れられてしまいます。日本のマンガは、モノクロで200ページくらいのものが3ヵ月おきに出てきます。頻繁に出てきて、それが読者の生活のサイクルのなかにうまく入ってくるんです。そして、最終的には1000ページ以上に相当する十分な楽しみを得られ、そうした中で、主人公に共感できるようになります。それが、日本のマンガの人気の理由ではないでしょうか。

―― アメリカンコミックより、日本のマンガのほうが親和性が高いのですか?
デュフール アメコミと比較していえば、いま、フランスのバンド・デシネを含めたマンガ市場全体のうち、だいたい40%を日本のマンガが占めるまでになっています。アメコミをもとにした実写映画もヒットしていますが、映画ではそうでも、マンガに関してはそこまでの人気はないんです。やはり、フランスの若者に対するメッセージにはなっていない。ズレがあるのですね。

―― ご自身が、日本のマンガやアニメに興味をお持ちになったきっかけは?

デュフール わたしの世代は、『グレンダイザー』を見て育った世代なんです。画期的なアニメだったわけで、学校で、みんなで話題にしていたものです。その後は、『コブラ』や『キャンディ・キャンディ』などを見て、ファンとして目覚めていきました(1978~79年頃にかけて、フランスの公共放送にて放送された)。


―― 当時から、日本のアニメの魅力というものを感じていたんですね。
デュフール 1988年に、日本アニメの第2波がやってきます。「クラブ・ドロテ」という番組が毎週日曜日にあって、そこで『ドラゴンボール』や『聖闘士星矢』、『北斗の拳』などが放送され、日本アニメに目覚めた世代もいるわけです。


わたし自身についていえば、もともとバンド・デシネが好きで、たくさん読んでいたのですが、テレビで放送されていたアニメが日本から来たものだと知ったときは、ものすごいショックを受けました。それはポジティブなショックで、それから『アキラ』や『ドラゴンボール』などのマンガもフランス国内で売られるようになり、それを読んで日本に対する興味がわいてきたのです。それから、『めぞん一刻』に日本の日常的な生活が描かれていることを面白いと感じ、惹かれるようになりました。マンガは、日本文化のひとつの窓のようなものではないでしょうか。

そもそも「フランス製アニメーション」や「バンド・デシネ(bande dessinée)」の起源からして日本人の想像を絶しています。しかも、彼らこそが「反ディズニーの急先鋒」だったかというと、それもまた違うときているのです。

それでは本当にマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督の新作「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge)」はそもそもこうした意味合いにおいて「フランス映画」なんでしょうか?

  • そもそもマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督はユトレヒト州出身のオランダ人でスイスのジュネーブの美術学校でイラストレーションの基礎を学び、英国UCA芸術大学 (University for the Creative Arts)でアニメーションの基礎を学んでロンドンを活動拠点としているアーティストである。
    *ただしバンド・デシネ系の漫画家やアニメーターはその多くがこうした経歴のディアスポラ系外国人なので、その事自体は問題とならない。
    マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット - Wikipedia
    『第2回 日仏アニメーションの出会い』4日目

    http://contents.oricon.co.jp/upimg/news/20160901/2077732_201609010215576001472721034c.jpg

  • そもそも彼の出世作岸辺のふたり(Father and Daughter、2000年)」とは(堤防が延々と続く)故郷ユトレヒトへのノスタルジーを基盤として構築された「フランス文化と無関係の物語」ではなかったか?
    *ただし、そもそもフランス文化の出発点は古代ギリシャ・ローマ文明だし、イスラム圏や中国や日本の様な異国情緒はかえって大好物だし、その事自体は問題とならない。それに「レッドタートル ある島の物語」は(UPA的線画の面白さへの傾倒が見受けられないでもない)この作品よりバンド・デシネ的、すなわちベルギー的線画の伝統に回帰してる様に見受けられる。

  • どうやらフランスで封切りしたところ、日本に負けず劣らぬ爆死を遂げた様だが、それでも「フランス映画=フランス人の趣向を満たす事を目指して制作された映画」という条件を満たしているといえるのか?
    *そもそもフランス文化人的には「Miraculous Ladybug」や「Life is Strange」と同様、日本の資本が入ってる時点で駄目だったとも。なおフランス人全般の趣向に関しては…(以下自粛)。

しかし、それにしては「ディズニー作品やジブリ作品をLovestoryとして楽しんできたのに、梯子を外されてご機嫌斜めの海外女子層(通称「ゴジラ」)」はこの作品を何の躊躇もなく「フランス的」と決めつけて一斉に叩きました。そう、この問題まだまだもっと根深い裏があるんです。実はもう上掲の様な一連の「フランス的反応」の中に既にその片鱗は現れちゃってるのですが…