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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「レッドタートル」見てきました。③欧米女子は何を察知して反感を覚えたのか?

 作品内容そのものについての考察は次回(未視聴者厳禁の激しいネタバレあり)。

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とりあえず前回までで「セカイ系大戦を巡る動き」の大半は振り切りました。残るのは「ディズニー作品やジブリ作品をLovestoryとして楽しんできたのに、梯子を外されてご機嫌斜めの海外女子層(通称「ゴジラ」)」の追撃のみ。

これでやっと話が振り出しに戻ります。そもそも彼女達には「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge)」という作品はどう映ったのか?

ジブリが新作を制作」と発表して呼び寄せ「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge)」なんて差し出しても、当然召喚されたゴジラはおとなしく帰ってくれたりはしない。

何故そうなるかについて、これまでの投稿では「オリジナリティなんて片鱗もないのに、自分こそがセカイの中心のつもりでいる気障で芸術かぶれなフランス男の自惚れ」が鼻につくからとしてきました。

  • 「フランス人にオリジナリティなどない」…これ割と「(アイルランド人や日本人などと違って)ローマ帝国統治時代に先史文化を切り捨ててしまった。すなわち遡るべきオリジンが存在しない」なんて歴史に根拠付けた言い回し。

  • 「自分こそがセカイの中心のつもりでいる気障で芸術かぶれ」…「遡るべきオリジンが存在しない」事と表裏一体の関係にあるフランス文化の特徴。何かにつけゼロベースで完璧な理論やら人工物やらマナーやらを構築して文化的優位に立とうとします。一方、自分がその完全支配下に組み敷かれるのは真っ平御免で、そういう状況に追い込まれそうになると必死で抵抗します。
    *欧州中のロマネスク建築を統合した「ゴシック建築」も、欧州中のルネサンス芸術を統合した「バロック文化」や「ロココ文化」もこうして次々と「発明」されては捨てられていった。啓蒙主義運動だって同様の発想の産物。なにしろその本質は「世界中の知識をフランス知識人の手によつて統合し、パラダイム・シフトを引き起こす不可知の領域を消滅させる」なる壮大なセカイ補完計画。しかし作用は必ず反作用を生む。「革命に勝利などない。例え勝っても勝者に対する新たな徹底抗戦が始まるのみ」と豪語したオーギュスト・ブランキ一揆主義(putchism)。それもまたフランス文化の別側面という次第。これではまとまるべき話もまとまらない?

  • 「フランス男の自惚れ」…ある意味「自分こそが常にセカイの中心のつもりでいる」という表現のトートロジー。悪い事は何もかも人のせいにして決して謝らない。言い訳が酷い。自分が優位で会話が終わらないと気が済まない、いくら待たせても気に病まない、など。

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まぁ、細部はどうでもよろしい。状況次第であっけなく「だがそれがいい」と変貌しちゃうのも事実な訳で。

  • 平均的に外貌(appearance)が良い…とりあえず長身でイケメン、常にレディーファーストで、耳元で「I Love You」とささやいてくれるタイプが見つけやすい。ただ街角でナンパしてくる様なタイプは見てくれが良いほど「フランス人を装ったモロッコ人のジゴロ(女を物としてしか見ない)」だったりするから要注意らしい。

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  • 自分をしっかり持っている…幼少時からの教育の賜物もあって相応の弁論術と理論武装力が備わっているケースが多い。行動指針を兼ねた「理論武装」の部分さえ間違ってなければ頼りになる。ただ頑固でイニチアシブを手放したがらないので「気に入らない数カ所にだけ微修正を施す」みたいな訳にはいかない。

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  • 時としてサバイバビリティー(survivability)が高い…徹底して自己中心的であるが故に状況変化に気分が左右されない帯剣貴族タイプだったりもする。ただしインテリ・タイプだと「口ばっかりでいざという時になっても言い訳ばかりで頼りにはならない」と、はなから望みのないケースも。

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またフランス人なる存在、確かに自分でそう信じ込んでるほど「統合」の天才ではないかもしれません。しかしその一方で「アレンジ」方面に関しては天才的才能を見せてきたのもまた事実だったりするのです。

こういう部分は日本における文化の発展プロセスと重なってたりして。

まぁ勘所を間違うと「エイリアンVSバネッサ・パラディ(2004年)」みたいな奇怪な失敗作も生まれますが。どうして「全く関連のない3本の脚本をランダムにシャッフルして撮影し商業映画として発表する」なんて発想にたどり着いた?

もちろん大半は思い込みの産物。ジェーン・オスティンのラブコメ三原則の第2条にも「絶えず自らの高慢と偏見に用心し続けよ」とあります。そもそもマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督、フランス人じゃないし。あと「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge)」が「フランス人に受容されたフランス映画」といえるかが問題。

  • La Tortue rouge — Wikipédia

    この数字を信じるなら、6月29日から8月28日にかけての興行成績が約2億円。フランス芸術映画って、これで十分アリなの?

いずれにせよ彼女達は作品を鑑賞するまでもなく匙を投げ、悪態を吐いてます。つまりざっとネットで情報を拾っただけで「フラグが立つ」条件が揃ってしまったみたいなんですね。

  • 前回発表の短編岸辺のふたり(Father and Daughter、2000年)」
  • 「レッドタートル (英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge)」予告

そういえばフランス語版Wikipediaにも気になる記述がありました。鑑賞前なら普通見逃してしまうレベルですが…ああ、なるほどそういう事?La Tortue rouge — Wikipédia

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ネタバレ回避の為、今回はいきなり結論だけ述べる事にしますが、要するにこの条項に引っ掛かったという言い方が出来そうなんです。

  • 1980年代、ル・グインの薫陶を受けた様なフェミニズム私欲の強いSF漫画を次々と発表していた当時の萩尾望都がこう豪語している。「女性と対等な恋愛が出来るのは精神的に成熟した男性だけ。男性英雄が地母神を討伐する様な物語を思いつくのは女を母親か処女か娼婦に峻別するタイプ」。

Wikipediaによれば、さすがに高畑プロデューサーの突っ込みが入って可能な限りフォローがなされたって話ですが…まぁ結論からいえば「見る人が見れば分かっちゃうレベル」だった事になるんでしょう。

欧米女子って、日本人が想像する以上に欧州系マチズモ(machismo、男権主義)に敏感なんですね。起源が何処かが押し付け合いになってて、サン=シモン辺りは「ノルマン貴族起源説」を提唱してましたが。

おそらくは欧州にはギリシャ・ローマ古典経由で持ち込まれたのでしょう。するとイタリア的マチズモが源流の一つとなりますが、余人に両者を区別するのは極めて困難。1158夜『イタリア的』ファビオ・ランベッリ|松岡正剛の千夜千冊

①そもそも「異性(opposite sex)」に関する概念が出発点からして違う。フレーザー神父の「金枝篇(The Golden Bough、1890年〜1936年)」というよりバーバラ・ウォーカーの「失われた女神たちの復権(The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets、1983年)」によれば、まず実存したのは「地母神に配偶者として選ばれた英雄が地上の支配者となり(天変地異や不作といった自然現象も含む)失政があると寵愛を失ったとみなされスケープゴートとして処刑される」土俗的伝統だったという。そしてこれに反旗を翻す形で「あえて地母神の求愛を拒絶する求愛を拒絶する英雄」が登場してきたという。

  • 地母神的伝統」…どこが起源が見定めるのも不可能なほど極めて広域に広がっているが、地中海や黒海の沿岸に関しては(旧約聖書にも活写されている様に)フェニキア商人(紀元前10世紀頃〜紀元前7世紀頃)が交易地確保の為にローラー式で在地有力者と政略結婚し、現地に神官団を派遣して土俗信仰を再編し「バール(男主人)/バーラト(女主人)夫婦神信仰」の体裁を整えていった可能性が指摘されている。やがてギリシア系の航洋民族ポカイア人がアケメネス朝ペルシャによる統制を嫌ってアナトリア半島から逃げ込んでくる。そして紀元前600年頃、植民市マッサリア(マッシリア)を建設する。これがフランスでは"cité phocéenne(ポカイア人の街)"とも呼ばれる国際港マルセイユの由来で、東地中海を分捕ったギリシャ商圏と紀元前146年にカルタゴがローマに滅ぼされるまで西地中海を守り抜いたフェニキア商圏の緩衝地帯として栄え続ける。
    *ローマに征服されて以降は「各地の地母神がそれぞれローマの男神を配偶者を迎える」体裁で支配者の宗教を受容したという。

    *サン・シモンの歴史段階説では「ゴール人の起源」という事になりそう。

  • 「あえて地母神の求愛を拒絶する求愛を拒絶する英雄達」…紀元前三千年紀頃に成立した「自尊心を守り抜く為に(シュメールを併呑した)アッカド地母神イシュタルからの求愛を跳ね除けたウルクの英雄王ギルガメッシュGilgamesh)」を讃える叙事詩、「地母神モリガンからの求愛を跳ね除け戦士としてその生涯を全うした英雄クー・フーリン(Cu Chulainn)」の物語などが有名。

    *見ての通りびっくりするほど「日本の進出」が酷い。

  • 「主体的立場を奪い合う夫婦神」…「死者の書」に由来する冥府神オシリスへの信仰は女神イシスが妻神の座を射止め「地上における名代」として君臨した事によって傀儡化を余儀なくされる。逆にメソポタミアでは、紀元前1200年のカタストロフによって(イナンナ=イシュタルを守護神とする)ウルクや(マルドゥクを主神と仰ぐ)バビロニアといった主要都市国家が衰退を余儀なくされたのを受けて冥界の女神エレキシュガルの地上における名代」の立場を勝ち取った破壊神ネルガルが在野で崇められた。当時の農業暦では毎年豊穣祈願の為に生贄に捧げられてきた牧畜神ドゥムジ/タンムーズより発祥したと考えられている。

  • 「家母長の転落」…同じギリシャ系に分類されるもドナウ川流域よりボイオティアに流入したアイオリス人の間に伝わる伝承は陰鬱で肉親同士が殺し合う悲劇が多い。中でもハルモニアの首飾りに目が眩んで「テーバイ攻めの7将」の足を引っ張り、さらにハルモニアの花嫁衣装に目が眩んでエピノゴイ(後継者達)の足まで引っ張って最後息子に殺されるエリピューレーは「家母長制の崩壊」を暗喩しているとされる事が多い。またケルト神話においてもアルスター物語群における「アルスター王コノール・マクネッサの策略で若き恋人ノイシュ(Naoise)との仲を引き裂かれた美女デアドラ(Deirdre)」、フィン物語群における「フィオナ騎士団のフィン・マックール(Fionn mac Cumhaill)団長と若き戦士ディルムッド(Diarmuid)を振り回す妖妃グラーニア(Grainne)」などが存在し、この類型はアーサー王物語におけるトリスタンとイゾルデランスロットと王妃グィネヴィアのロマンスに継承される事になったと目されている。

    *ここでも「日本の進出」が酷い。

  • 先に述べた萩尾望都の発言は、まさにこういう状況を指したもの。時代的にバーバラ・ウォーカーや米国心理学者ダン・カイリー「ピーター・パン・シンドローム:なぜ、彼らは大人になれないのか(The Peter Pan Syndrome: Men Who Have Never Grown Up, Dodd Mead, 1983)」「ウェンディ・ジレンマ:"愛の罠"から抜け出すために(1984年)」の影響を色濃く感じるが「偏執的なまでにイニチアシブを握りたがる欧米男性の内面的臆病さ」みたいなものが国際的に暴かれる契機となったのもまた事実。

 ③こうした意味合いにおける「異性(opposite sex)」の概念、儒教や西洋思想の形で日本に流入し続けてきたが思うほど定着の気配を見せてない。
*海外ではしばしば「日本女性はオランダ女性の様に十分「解放」されている」という言い方をされる。そのオランダ女性が国際的にどう思われているかというとこんな感じ。これはこれでどうなのかなぁ…

  • もし本気でその受容を検討するなら、日本人はその歴史上における公家(朝廷=権威)と武家(幕府=権力)とか軍事的主体(男性的)と政略結婚(女性的)の関係史と重ね合わせる必要があった。実際そういう試みはなかったでもない。
    *あえて探すと平安時代初期に平城上皇の愛妾にして尚侍だった藤原薬子の不審な動きを引き金に勃発した薬子の変(810年)とかが浮上してくる。ただこの事件も「劣等種たる女性を政治に近づけてはいけない」といった具合に一般化される事はなく、単なるシステム上の欠陥とされ「蔵人所の設置」によって解決されている。
    薬子の変 - Wikipedia
    *むしろ日本史は欧米人の観点からすれば「アンチ・ヒロイン」の豊富な金脈だったりする。「粗暴な美男貴公子」木曾義仲(1154年〜1184年)に終始女戦士として随行し続けた巴御前(自らも美貌の持ち主だったとされる)、幕府執権を源氏から乗っ取った「女将軍」北条 政子(1157年〜1225年、そもそも敗軍の将として幽閉されていた源頼朝に将来性を見出して押し掛け女房となった生粋の投機家)、軍事力でなく政略結婚によって神聖ローマ帝国皇統の立場を獲得したハプスブルグ家の如き暗躍によってその血統を後世に残した「織田信長の妹」お市の方とその娘達といった存在が海外歴女(詳細は不明だが母系を重視するユダヤ人インテリ女性が中枢にいるっぽい)の垂涎の的になっている。女性が目立つとすぐ「悪女」や「魔女」のレッテルを貼られてしまう中華王朝や欧州王侯貴族社会とは精神的土壌そのものが異なっているのである。

    *「オーストリア女帝」マリア・テレジア (Maria Theresia、1717年〜1780年)もこの偏見に散々苦しめられたし、次々と「スカート姿のツァーリ」を輩出してきたロシア帝国が野蛮しされ続けてきた一因ともなっている。18世紀フランス宮廷が「女天下」となったのも状況をますますこじらせる一因となった。

    西洋哲学と東洋哲学の統合を試みた西田幾多郎は西洋近代哲学の本質を「(神や教会や王権の如き超越的存在に対し)個人が主体の確立を試みる物語(失敗すると主体の意図に操られるがままの客体への転落を余儀なくされる)」を見て取った。「異性(opposite sex)」の概念をすっ飛ばして対象を人間全体に一般化する道を選んだ訳である。
    西田幾多郎の近代的東洋哲学…この考え方によってカントの物(独Ding、英Thing)と物自体(独Ding an sich、英Thing-in-itself)に関する議論と仏教の空論、ヘーゲル時代精神Zeitgeist)とヒンドゥー聖典バガヴァッド・ギーターの宿命論、フィエルバッハやマルクスの掲げた人間解放論と禅哲学の融合などが試みられた。

    その一方で日本の最初期フェミニスト達は、あえて欧米からこの問題を男女関係に投影する伝統の輸入を試みた。特に平塚らいてうは「青鞜(1911年〜1916年)」 刊行に際して「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。 今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である 」と書いている。
    元始女性は太陽であった

    *とはいえ日本男性にも「毒婦と貞女」みたいな二分法なら存在し、その克服には相応の歳月を必要としている。

    *その後平塚らいてうの関心は社会福祉の充実に向かい「女性の経済的自立」に尽力する与謝野晶子と激しい論争を繰り広げる。掲げた大義名分の抽象性に比べ、あくまで現実に即した着実な展開であったが、その一方で平塚らいてう伊藤野枝の思想に後の日本ウルトラ・フェミニズムの源流を見る動きも存在する。そもそも彼女達が主張する「社会福祉の充実」は「既存の結婚制度の否定」と表裏一体の関係にあって、今日のシングルマザー問題の嚆矢という側面も持っていたりする。
    1206夜『元始、女性は太陽であった』平塚らいてう|松岡正剛の千夜千冊

 ③そもそも欧米ですら20世紀後半以降にLGBTQ概念が急発展。その過程で和製コンテンツが重要な役割を果たした事から日本の方が「先進国」という 事になってしまった側面がある。「政治的に肩肘を張ってない」ところが受けたのだがそれもその筈、日本のそれは純粋にエンターテイメント的観点から始まったものだったからである。

【歴史的背景】新井詳「中性風呂へようこそ(2007年)」より

どうして父親は娘から嫌われるのか?

①昭和型マチズモ
*1970年年代の子供達の憧れはTVや漫画の不良で、みんな真似してた。子供にとって大人とは「何をしても痛がらない存在」で、虐め方も「言葉・力・人数の統合芸術的虐め」。「今の方が精神を傷付ける言葉を使うので昔より過酷」というが、当時は至る所で喧嘩が行われて鋳たので目立たなかっただけ。「子供は喧嘩するもの」と思われていた。

  • 男も女も「(不潔さ、ペチャパイといった)性別的弱点」をモロ出しにするのが「人間味溢れる演出」として流行。
  • 中性的な人やオカマを酷く嫌う。オカマは大抵不細工に描かれ、迫られて「ギャー」というギャグが頻発。
  • 美形でお洒落な男は大抵気障で鼻持ちならない役。


②バブル世代特有の(トレンディドラマ的)「男の幸せ」「女の幸せ」のくっきりしたキャラ分け。
*「そんなに男が女より強くて偉くて選ぶ権利がある世界の女ってすっごくつまらない」「なら男になった方がマシ」とか言い出す

  • 恋愛決め付け論「女の人生は男で決まる。御前も何時かいい男をみつけて可愛がってもらうんだぞ」
  • 美男に否定的「ヒョロクテ弱そうな男だ。女みたい」
  • 処女崇拝「(飯島愛を指して)こんな風になったらオシマイだぞ! 傷モノになるなよ!」
  • 母づてに聞かされる「新婚早々、浮気されて苦労したのよ。お父さんもなかなかやるでしょ?」
  • ホモやオカマを極端に嫌う(これ男? 気持ち悪っ!!)
  • 役割決定論「ボタンつける練習するか? 将来彼氏につける練習に…」


要するにどちらも1960年代までは確実に全国規模で根を張っていた(家父長権威主義を含む)戦前既存秩序の残滓。1990年代以降完全に通用しなくなる。
*「LGBTQ概念の急速な進化に寄与した和製コンテンツ」は「強い社会意識」などとは無関係にこの狭間を突いた「新機軸」として発展を遂げてきたのだった。

江口寿史「ストップ!! ひばりくん!(最初期連載1981年~1983年)」

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当時、少年誌でラブコメディが全盛を誇っている事を憂いた江口がラブコメのヒロインを「女装した男の子」にする事によってギャグとし、ちゃかす事によってラブコメのアンチテーゼとして描いたギャグ漫画。当初はオカマキャラを前面に出したギャグ漫画として考えていたが、ひばりくんを可愛く描けば描く程ギャグとなる事に気付き、出来る限りの可愛さでひばりくんを描くようになる。

大林宣彦監督作「転校生(1982年)」

この映画が製作された当時、監督をつとめた大林宣彦はCMディレクターから映画に進出して5年目、すでに5本の劇場映画を監督してヒット作も多かったものの、映像の遊びが多い作風は評論家受けが芳しくなく、名声が十分に確立されていたとはいえなかった。また、主演の尾美としのり小林聡美もほとんど無名の俳優であり、さらに「男と女の身体が入れ替わる」という内容が、当初は出資を決めていたサンリオの当時の社長が「破廉恥。わが社の社風に合わない」という社長判断を下し撮影開始の二週間前に出資が中止されるなど制作費の調達は極めて厳しい状況だった。前2作で大林がタッグを組んでいた角川春樹にも打診したが、原作本が角川書店ではなく旺文社から出ていたことで断念。大林は「一時期はクランクアップが危ぶまれるところまで追い込まれた」と述べている。大林はこの他「尾道の中田貞雄商工会議所会頭(当時)の個人的な資金援助の協力があった」と話している。

吉田秋生「吉祥天女(1983年~1984年)」https://31.media.tumblr.com/tumblr_m91fl96lSv1r8j9yro1_1280.png

浅井由比子「その点小夜子なんて偉いと思うわ。あの人絶対負けてないもの。あたしたちならしょーがないやってあきらめちゃうこと、あの人絶対許さないもの。あんなにきれいで、女らしくて、ふだんはすっごくやさしいのに、いざって時になると相手が男でも絶対に尻込みしないもの。あの人みたいに毅然とした態度とれたらどんなにいいだろって思っちゃう」
遠野凉「そうか…御前達の目にはそう映るのか…」

小川雪政「(彼女が7人もの人間を死に追いやったという推理を)誰かに話しましたか? 私以外に。例えば警察とか。」
浅井鷹志「いいえ。立証できませんからね」
小川雪政「そのほうがいい。貴方は賢明だ」
浅井鷹志「それは警告ですか?」
小川雪政「警告? とんでもない。あなたが警察に話したければご自由に。ただ、誰が信じますか? ごらんなさい彼女を。まだ子供なのですよ。あなたの妹さんと同じ制服を着たまだ17歳の少女なんですよ。その少女が男を誘惑し平然と人を殺す。そんなことを一体誰が信じるんですか? 探偵ごっこもほどほどにしておかないとね…」

浅井由比子「あの人ねぇ、あたしの理想だったんだ。きれいで、やさしくて、女らしくて、なのに賢くて強くて、男の人にも負けなくて。あんなふうになれたらなぁって思ってた。」
浅井鷹志「そうか。なるほどなぁ…」
浅井由比子「? なによお兄ちゃん1人でナットクして」
浅井鷹志「いや…」

叶小夜子「(浅井鷹志の描き上げた絵を見せられて)すてきだわ」
浅井鷹志「以前、この家に伝わる天女の話をしてくれましたね。それと古い吉祥天の話をヒントにしたんです(「日本異霊記」に画像の吉祥天女に僧侶が懸想する話が出てくる)」
叶小夜子「吉祥天…」
浅井鷹志「人々に至福を与えるという愛の女神です…あなたはあの時(絵のモデルにさせて欲しいと依頼した時)、ぼくにいいましたよね。”天女を妻にした男は幸福だったろうか。それとも不幸だったろうか”って。ぼくはきっと幸福だったんだろう思いますよ。きっと後悔はしなかったんだろうと」
浅井鷹志「(独白)あんな奇蹟みたいな女がいるのか…」
浅井鷹志「あなたには幸福なんでしょうね、小川さん。」
小川雪政「そう、わたしにはね。」
浅井鷹志「ちょっぴり羨ましい気もしますよ。お元気で。」
山岸凉子日出処の天子(1980年〜1984年)」「馬屋古女王(1984年)」と連載時期が重なる。夢枕獏は「河よりも長くゆるやかに」後書きにおいてこの作品の描かれた「フェミニズムの暗黒面」に衝撃を受け「陰陽師(1986年〜)」の執筆に着手したと告白している。ル・グィンなどの影響を色濃く受けた萩尾望都フェミニズム系SFの全盛期でもあった。

「河よりも長くゆるやかに(1983年~1985年)」 

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高橋留美子らんま1/2(1987年~1996年)」の早乙女らんま…皮肉にも「人間になりたければまず女であることを捨てなさい」と演説す海外のウルトラ・フェミニスト達にとって最大の難敵は「肩肘を張らず女の姿の時は女であるメリットちゃっかり甘受する」らんまの存在だったとも。

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ディズニー映画「ムーラン(木蘭、Mulan、1998年)」「ムーラン2(Mulan2、2004年」…「父に代わって男装して出兵」「舞台はアジア」という設定で国内マチズモ(男権主義者)の追及をかわす。

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白泉社葉鳥ビスコ「桜蘭学ホスト部(2002年~2010年)」の藤岡ハルヒ坂本真綾…父がニューハーフで性別や容姿に無頓着という設定。

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志村貴子放浪息子(2002年~2013年)」トランスヴェスタイト(transvestite, TV、異性装者)とも性同一性障害ともつかない少年と少女を中心とする物語。
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パイレーツ・オブ・カリビアン(Pirates of the Caribbean、2003年〜)」のジャック・スパロー船長ジョニー・デップが男性的でもあり、かつ女性的でもあるロックスターらの身体の動きを研究して生み出した「性別超越キャラ」。

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「シャーロック・ホームjズ」及び「アイアン・マン」でトニー・スタークを演じるロバート・ダウニー・Jr…麻薬治療に専念した後、「スキャナー・ダークリー(2006年)」のテロリスト容疑者役辺りから演技が切れ始めた。

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ダークナイト(2008年)」でジョーカー役を演じたヒース・レンジャー…やはり演技が神がかってる。残念ながらこれが遺作に。

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ジョーカー「人間にはみんな後ろ暗い側面がある。俺の場合はそれが一寸ばかしあからさま過ぎただけさ」

講談社東村アキコ海月姫(2008年~)」の鯉淵蔵之介女装男子すなわちトランスヴェスタイト(transvestite, TV、異性装者)。当初は幼くして実母と引き離された事を恨み、男性なら家業を継いで政治家になる家風なのに反発してそういう振る舞いに出た。ファッション業界で生きていきたいと考えている。

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講談社あだちとかノラガミ(2011年〜)」…禍津神ヤトは元来「人口爆発を抑える為に間引を遂行する」神格として生まれたが、神器雪音と氏子ひよりを得て現在「福の神」へジョブ・チェンジ中。そうした精神的紐帯の強さと離魂症が相まって、しばしばひよりの肉体をヤトが乗っ取る事態が発生。しかも長年生きてるだけあって当人より女子スキルが高い。

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「東京喰種」の鈴屋什造(2011年〜)…幼少時に去勢されてるせいで中性的容貌に成長。サイコパスの殺人鬼的側面を備えるが、それは子供時代の虐待によって人間性を奪われ、「怪物」として育った境遇故にスケープゴート的に押し付けられてきた偏見の産物。モデルは「十三日の金曜日」シリーズのジェイソンで、人間から拷問を受けて凶暴化した喰種ヤモリ(ジェイソン、最終的にジューゾーに狩られその武器クインケに加工される)と表裏一体の関係にある。

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「学園少女野崎くん(2011年〜)」の鹿島遊…大勢の女生徒からちやほやさる演劇部の花形で男子生徒から「王子様」と呼ばれている。気障な台詞で応じたりすることを心から楽しんでおり、男性扱いされることへの抵抗感やコンプレックスを一切持たない。唯一彼女に気後れしない演劇部長の堀政行との関係はSMめいていが、それも「自分が選ばれた特別な存在である証拠」と肯定的に受け止めている。

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私が「ディズニー作品やジブリ作品をLovestoryとして楽しんできたのに、梯子を外されてご機嫌斜めの海外女子層(通称「ゴジラ」)」と呼んできた国際SNS上のグループの形成過程とも案外重なります。「同性婚合法化」以降、全般的に片意地を張らないマイルドな方向に向かっているとはいえ、まさしく古くは「アンドロメダ病原体」新しくは「G細胞(ゴジラ細胞)」の世界。

宮崎駿監督はこうした流れ全てを「間違っていた」と否定する事で、かえって強烈なMeme(インターネット遺伝子)を残してしまった訳です。

こうした歴史に鑑みながら「岸辺のふたり(Father and Daughter、2000年)」や「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge)」を鑑賞すると、確かに「あれ? これトリミングの具合がちょっとよろしくないんじゃね?」とか感じてしまうんですよね。そう、案外内容そのものというより、あくまで「トリミングの問題」。物語類型そのものは万人に周知済みだからこそ、それに対する触れ方が問題となるのです。