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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

古代日本の息吹④古代光通信網の謎を解け?

古代遺跡が妙に方位に厳格だった」話自体はよく聞きます。実際、日本でも纒向遺跡や「三輪山=宗方沖ノ島三重信仰」関連遺跡などからそうした痕跡がどんどん発見されてますね。

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太陽信仰や星辰信仰は天体観測の繰り返しを伴うのでその精度が思わぬ領域まで到達する事がありました。確かに当時の人々がそれについて極めて重要な宗教的意義を見出していたとしても何ら不思議はない状況ではあったのです。

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しかし私はむしろ現代文明がそうした神政一致体制でなく、そういう事に無頓着な泥臭い豪族連合の延長線上において発祥した事に意義を感じてしまう口なのですね。

  • カルデラ鬼界の大噴火は九州北部に連合王国を成立させたが、それ自体は終始インディアン社会の様に「絶対に大王を出さない」族長連合段階に留まり続けた。

  • 一方、かえってこれに対抗意識を燃やした瀬戸内海から畿内にかけての豪族連合の方が、寄せ集めの烏合の衆であるが故の試行錯誤を経て「前方後円墳国家(3世紀〜5世紀)」の樹立に成功し、逆に彼らを併合してしまう。

  • しかし、こうして樹立した「前方後円墳国家(3世紀〜5世紀)」もまた、ヤマト王権の台頭、地方豪族の壊滅、渡来人の参政といった新しい動きに翻弄される形で壊滅。やっと古事記(713年完成)や日本書紀(720年)や古風土記(713年編纂官令発布)や新撰姓氏録(815年)に収録された氏族伝承の断片がその一端を後世に伝える「有史古代」の幕が開く。
    『新撰姓氏録』氏族一覧

あるいはこれは、オーギュスト・コントの提唱した科学者独裁主義や共産主義圏が挑戦した計画経済が理論上は最高の選択肢なのに必ず破綻するのと無関係ではないのかもしれません。

バベルの塔伝承じゃないですが、こうしたタイプの人類統合の試みは、必ず最後は破綻する点にこそ救済があるのかもしれないのです。

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タロットカードの意味・解説【塔】

そういう立場からすると「古代文明光通信網で結ばれてた」なんて仮説についてはついつい危うさを感じてしまいます。はてなブログのアクセス解説によれば、私の投稿はそうした記事と一緒くたに読まれてるらしいのですが。

イギリス本土の古代巨石遺構とアイルランドの古代巨石遺構の間に、何か関連性があるかどうか、という問題ですが、もちろんストーンサークルや立石、ドルメン、ヘンジなどほぼ同時期に建造された巨石遺構がブリテン諸島全体に広がっていますから、関連性がないわけはありませんね。

たとえば、アイルランドのタラの丘の円形構造の中に二つのヘンジ・サークルがあるという構造は、イギリス本土のエイヴベリーの巨大ヘンジの中にあったことがわかっている二つのストーンサークルと構造は全く同じです。大きなサークルの中に二つのサークルが作られています。それがいったいどういう意味があったかどうかは不明ですが、少なくとも共通の知識なり技術、あるいは文化があったことがうかがえますね。

ただし私がここで問題にしようとしているのは、アイルランドケルト神話にダーナ神族として伝わっているような高度な科学技術を持った古代人がいたのだとしたら、イギリス本土とアイルランドの間に通信網をもっていたのではないか、と考えられることです。今週(31日)発売される新著(「竹内文書平安京の謎」)で私は、約5000年前の縄文時代において、北東北の拠点と北海道の拠点を結びつけるような光通信網があった痕跡があることを指摘、縄文人(古代人)が北海道と北東北の間に巨大な共同体、巨大な共通文化圏を形成していたとする仮説を打ち立てています。

私は5000年前のアイルランドイングランド本土の間にも、巨大な共同体が存在したと考えています。

それはアイルランドにあるとされるレイラインと、イギリス本土に存在するレイラインの関係を調べると、はっきりしてきます。

アイルランドには、既に指摘されていますが、タラの丘、ニューグレンジ、ロウクルー遺跡群、キャロウキール遺跡群、キャロウモア遺跡といった5000年前にはあったとみられる遺跡群と、ケルト神話にたびたび登場する聖なる山ベン・バルベンは、すべてほぼ同じ直線上に位置しているんですね。これはいわば、ベン・バルベンのレイライン、あるいはタラの丘のレイラインと呼べるものです。

で、その直線をそのまま南東方向に延ばして行くと、ウェールズのカーディガンやラドノールのストーンサークルなどを通って、エイヴベリーの大ヘンジに至ります。

一部にはこのラインをさらに延ばしていくとギザのピラミッドに至るのだという説を主張する人もいますが、ここではそれは置いておいて、ここで重要なのは、エイヴベリーの大ヘンジもまた、イギリス本土にある別のレイライン上にある5000年前の遺跡であるということです。

実際、1世紀から2世紀にかけて瀬戸内海から畿内にかけて集中的に築造された環濠集落や弥生都市は高地性集落の狼煙網で結ばれていた様です。そしてそれは武器(黒曜石製の鏃や石斧)備蓄や(おそらく銅鐸の巨大化に対応する)呪術合戦を伴う(朝鮮半島に拠点を有する中華王朝と親しい関係にある九州北部連合王国に対する)軍事同盟として出発しながら、次第に当該地域の中継貿易網へと発展を遂げていきました。
*そういえばトールキン指輪物語The Lord of the Rings、原作1937年〜1955年、映画化2001年〜2003年)」にも狼煙網が「中津国(Middle-earth)」じゅうにモルドール軍進発を知らせる場面があった。ただしこの物語は(元来自給自足により孤立主義を保ってきた)各地域が、かかる「太古に締結された軍事同盟」によって如何なる変化を遂げてきたかあえて描かない。その結果(伝統的孤立主義の象徴たる)エルフやドワーフホビットが消失し(誰とでも仲良くやれる)人間族だけが残る過程については暗喩しかしない。

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ただし、あくまで「連続性の樹立」と「共同体としての全体統合完了」を履き違えてはいけないのです。歴史のこの段階で既に後者に成功していたなら、3世紀初旬に吉備や伊勢沿岸の豪族達が中心となってあたかも「弥生都市」唐古・鍵遺跡に挑戦するがごとく、それに隣接する形で「倭国最初の首府纒向遺跡が建設された歴史的意義が消し飛んでしまいます。これは、どうしてこの時期に銅鐸や銅矛や銅剣といった青銅製祭器の大量埋設が流行してきたかとも関わってくる問題なのですが。
*とにかく2世紀末の倭国族長達が、何らかの理由で一斉に伝統的孤立主義を放棄する道を選んだ事実は揺るがない。どうしてそうなったかについては諸説ある。私は一応「中華王朝が三国時代に突入して青銅供給が途絶えた結果、それまで呪術合戦を煽って青銅製祭器の巨大化合戦を煽ってきた九州北部連合王国や出雲首長連合が存続の危機に立たされたのが契機」という立場に立っている。

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その一方で古代ケルト史も、古代日本史も同じ問題を抱えていたりします。なまじ間近で古代ローマ帝国や中華王朝の様な文字文明の先輩が栄えていたせいで、無文字時代の記録が思わぬ形で残っていたりするんですね。

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ケルト神話 - Wikipedia

ローマ時代前後にガリアやブリタンニアなどの現地社会で崇拝されていた神々に関する自らの伝承の類は一切残されておらず、当時のギリシア人・ローマ人の記録や考古学資料によってその存在が推定されるのみとなっている。例えばルキアノスによると、ガリア人のパンテオンではテウタテス(Teutates)、タラニス(Taranis)、エスス(Esus)などが重要視されていた。カエサルはこれらのほかにベレヌス(Belenus)を挙げているが、それらの神々の役割ははっきりとはわかっていない。また、かれらの性質は地域によって入れ替わることがあった。

  • ルゴス(Lugos、ルグLugとも)…おそらく印欧祖語 *leuk(光)に由来する。ガリアでは崇拝の形跡が見つかっていない神だが、地名学の見地から崇拝されていたことが証明可能とされる(リヨンの古名ルグドゥヌムLugdunumの由来とされる)。カエサルがメルクリウスと同一視した神とも考えられるが、メルクリウスはトータティスにも、エススにも対応しうる。

  • テウタテス(Teutates、トータティス、トティオウリクス、テウタヌスとも)…おそらくケルト祖語の*teuta(3つの)と*tato(父)から来ており、ルキアノスは状況に応じてメルクリウス、あるときはマールスと同一視している。おそらくカエサルがローマの冥府の神ディス(Dis Pater)に対応するとした神と思われるが、はっきりとした証拠は何も残っていない。

  • ラニ(Taranis)…おそらくゴール語のtaran(雷鳴)が由来とされるが、はっきりしていない。太陽と天上の神であり、さらにその職能から、雷鳴、戦争、炎、死、そして空の神でもあったらしい。

  • エスス(Esus)…その名はエーススだとすればヴェネト語の「神」、エススだとすれば「主人、支配者」が語源とも考えられるがはっきりしない。ルカヌスが同時に挙げたテウタテス、タラニスに比べ考古学上の証拠となるような遺物の発見に乏しく、その信仰の実態は他の神以上に不明瞭。

  • スケッルス(Sucellus)…槌(死と復活の象徴)と盃(富の象徴)を持つ、森と農業の神。アイルランド神話のダグザに対応すると考えられる。

  • エポナ (Epona)…馬、驢馬、騾馬、豊穣を司る女神。騎乗した女性、あるいは馬を従えた女性で表される。

  • ケルヌンノス(Cernunnos または Kernunnos)…ガリアで広く信仰されていた狩猟神にして冥府神。獣王・動物王であったとも、また多産と豊作に関係があったとも推定されている。有角の男性の姿で表される。

ゴール語で書かれた史料が少ないことから、一般のケルト人は読み書きができなかったと考えられているが、ギリシャ文字ラテン文字、古イタリア文字を使用してゲール語を書き記した形跡がわずかながら見られる
*これらでゴール語が刻まれた神々への奉納品やコリニー・カレンダー(Coligny calendar)が見つかっている。

  • ユリウス・カエサルはガリア人が読み書きができたとしているが、ガリアの聖職者たるドルイドは宗教秘儀を散文で書き記すことが禁じられていたとも書いている。その一方で南ドイツからスイスにかけて割拠していたヘルウェティイ族は文字による人口調査を実施したともしている。

  • ローマ人はより広範囲な公共の読み書きの習慣をケルト人にもたらし、征服した地域でドルイドの持っていた力を打ち砕いた。実際、ガリア(現代のフランス、北イタリア)、ブリテン、それにほかの当時の(あるいは現在も)ケルト語話者が暮らしていた地域で見つかった神々に関する碑文のほとんどが、ローマの征服以後のものである。

  • 現代のウェールズの一部とアイルランドの初期ゲール人はオガム文字を用いて短い記録(主に個人名)を残しているが、より精巧な読み書き技術はゲール人の非ローマ征服地域にはキリスト教の到来までもたらされなかった。ゲール語の神話は、もともとの教義をほとんど知らないキリスト教の修道士によって最初に記録されたのである。

アイルランドの特異性は4世紀に布教の為に訪れた聖パトリックが土俗的異教秘技を頭から否定せず、それとキリスト教の共存を確信する「ケルト人修道士」を大量に育てた点にあった。

まぁ古代日本史もずっと所謂 「魏志倭人伝三国志魏書第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条)」における「倭国大戦」や「邪馬台国卑弥呼」といった記述に振り回されてきたし、仕方のない感はあります。
*ほんの少し前まで日本では「騎馬民族征服王朝仮説」なんてのが幅を利かせてました。卑弥呼一族率いる「海洋民族にして騎馬民族だった」好戦的な弥生人は稲作を伝える平和主義者の農耕民族でもあって「狩猟民族」縄文人を大量虐殺(The Holocaust)によって日本列島から駆逐した。それが倭国大戦」の真実!! なんて主張がコンセンサスを得ていたのでる。この辺りの混乱は実は欧米にもあって「エルフは森と共存する菜食主義者なのか、それとも弓を得意とする狩猟民族なのか?」なんて議論を定期的に誘発したりしている。

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ここで興味深いのはアイルランドには「ダロウの書(Book of Durrow、7世紀)」「リンディスファーンの福音書(The Lindisfarne Gospels、7世紀末から8世紀初頭)」「ケルズの書(The Book of Kells、8世紀)」といった所謂「ケルト装飾写本」について「それは宣教師にとって象徴大系としての圧倒性をもって原住民を従える最大の武器だった」という考え方が存在する事。ケルト人修道士が急速に増大しキリスト教圏が広がっていったのは、キリスト教の威光というよりまさしくそうした呪術レベルの闘争において洗練された装飾美で土俗的ドルイドを屈服させていったからという訳ですね。
【聖書/装飾写本】ダロウの書・ケルズの書

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これってもしかしたら(古代倭国では銅鐸鋳造合戦や前方後円墳築造合戦という形をとった)呪術合戦の次元で認識すべき展開なのでは?