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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【アイルランド神話】【マルクス史観】どうして「アイルランド人によるアイルランド神話の見直し」に断固反対する人達がいるのか?

麦の穂をゆらす風 アイルランド

「その筋の人達」が「アイルランド人によるアイルランド神話そのももの見直し」を断固阻止しようとしてるのは、それによってマルクス史観が大ダメージを受けるからかもしれません。

ヴォルテールをして「われわれは文明に関するアイデアのすべてについて、スコットランドに頼っている」と言わしめたスコットランド啓蒙主義の雄アダム・スミスは、4 つの経済段階を通って進歩するものとして歴史を見て政治や社会構造はそれに伴うものとした。その4段階とは、狩猟採集段階、田園遊牧民段階、農業封建主義段階、そして最後の製造業段階(そしてスコットランドはいまやこの最後の段階に入ろうとしていた)だ。ファーガソンと同じく、スミスは分業と商業拡大こそが歴史を根本的に動かすものだとしたのである。

ところで、あるアイルランド神話系列では「狩猟・採集民族」ネミディア族(Namidea)を追放した「遊牧民族」フォモール族(Fomoire)が、その後色々あって最終的には「封建的農耕民族」ミレー族(Milesians)に駆逐されたとする。上掲の様な発展段階説は、これが実際にあった歴史の足跡とする思考様式から生み出されたものだが、実は各段階の登場順序は伝承によってまちまちだし(アイルランド人の直接の先祖に当たるミレー族が最後にくるのだけは一緒)、そもそも考古学的編年期との対応付けが完全になされている訳でもない。そのせいか19世紀後半のいわゆる「ケルティックルネサンスCeltic Revival/Scottish Renaissance)」においてさえ、この思考様式が復活を遂げる事はなかったのだが、カール・マルクスは「これこそ歴史的真実」と確信し、世界中に布教していったのだった。

カール・マルクス「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」序言

大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア生活様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。

なんとこれでは、ブルジョワ概念の起源はアイルランド神話における「妖精族の始祖」トゥアハ・デ・ダナーン(Tuatha Dé Danann)ことダーナ神族で、 プロレタアリアート概念の起源は、彼らを地下世界に追放したミレー族(Milesians)ことマイリージャ族とぴったり重なり合う事に。そんな展開、アイルランド人やスコットランド人も完全想定外だったに違いありません。
*このコンテンツ搾取(Exploitation of Contents)感こそマルクスレーニン主義に継承されたフランス中心主義の真骨頂とも。

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現代ではアイルランド神話のこの部分、例えばトーマス・フランシス・オラヒリー(Tomás Proinsias Ó Rathaile; 1883年〜1953年)によって提案された歴史案では「紀元前1~2世紀頃アイルランドに侵入したゲール族に現地人同様の古代性を与えアイルランド統治の合法性を訴える為に創造されたフィクション」と規定されたりします。あくまで本場においてはイデオロギー的思い入れなんて皆無なんですな。
ミレー族 - Wikipedia

これまでずっと「マルクス史観はプロレタアリアート階層は必ず最後には、ブルジョワ階層を打倒する事を保証してくれる」と連呼してきた「その筋の人達」にとっては、二階に上げられて梯子を外されて火を掛けられた心境?

 そもそも「歴史学者としてのカール・マルクス」は社会学者としてのカール・マルクス」に比べると偉大でもなんでもない様です。

カール・マルクス「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」序言

人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。

社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。

このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とを常に区別しなければならない。ある個人を判断するのに、かれが自分自身をどう考えているのかということにはたよれないのと同様、このような変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識を、物質的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならないのである。

一つの社会構成は、すべての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる問題だけである、というのは、もしさらに、くわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生するものだ、ということがつねにわかるであろうから。

①この指摘「民族精神(Volksgeist)ないしは時代精神Zeitgeist)のみが人間精神の唯一の実体であり、個人にとって自己実現とはそれに完全に同化し、自らの役割を得る事のみを意味する」としたヘーゲル史学の亡霊がまだまだ元気に闊歩していた1859年時点において、それに止めを刺したという点では「カントに帰れ(Zurück zu Kant!)」のスローガンでお馴染みの新カント派 (Neukantianismus)同様の歴史的画期だったのです。

②そして、この提言のうち(歴史への言及といった)余分な部分が削ぎ落とされて「我々が個性や自由意志と信じ込んでいるものは、その実社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」といった普遍的テーゼにまとめられ(ヘーゲル史学の亡霊同様、当時はまだまだ元気に闊歩していた)政治的ロマン主義を歴史の掃き溜めに追いやって、社会学勃興の土壌を生んだとされています。

*ただ上掲記事に見られる様な「尊皇攘夷思想=現在まで日本保守層に継承され続けてきた長州史観」といった単純化には要注意。尊皇攘夷思想には神道ルネサンスという側面もあったが、長州藩は実は浄土真宗の本場でもあり明治維新後は「神道による日本精神の統合」なる試みの挫折に一役買ったりしているからである。

*その後、新カント主義がヘーゲル哲学同様にある種の迷宮へと嵌まり込んでいったので、後世の学者ほどそういう歴史観を受容する様になっていったとも。

③その一方で皮肉にもエンゲレスによって整備された「マルクス史観」は「複雑化の一途をたどる資本主義社会は、やがてそれに耐え切れなくなり自壊する」なり新たなる視座に到達。「真の人間解放はコンピューターに全ての管理を任せる事によってのみ実現する」なる主体性放棄論や「いや全てを管理下に置こうとするコンピューター社会からの脱出こそが真の人間解放」なる抵抗論がアンビヴァレントに渦巻いた末に自らの方が先に自滅してしまいました。

皮肉にもマルクス当人が「暴力論(Reflexions sur la Violence, 1908年)」のソレルや「マルチチュード(Multitude)論」のネグリなどによる再評価によって21世紀に入った今もその革新性を保ち続けているのに対し、その部分を切り捨ててむしろヘーゲル史学に接近したマルクス・レーニン主義は切り捨てられてしまった訳です。この辺りの展開って「ヒッピー時代の福音伝道者」ティモシー・リアリーの当時の主張のうち、現代でも通じるごく一部だけが21世紀に入った今も敬われ続けているのに似てるとも。
暴力論の系譜
1029夜『構成的権力』アントニオ・ネグリ|松岡正剛の千夜千冊
936夜『神経政治学』ティモシー・リアリー|松岡正剛の千夜千冊

まぁ誰かがちゃんとこうした線引きを続けてくれてる限り、大半の人間は安心して何も考えず安全圏に留まり続ける事が出来るという次第?

ここでも「1859年以降」という表現が出てくるのが興味深い辺り。

多くの国がまさに「不可逆的な価値観の変遷」を経験してる最中だったんですね。で、このうち近代国家化が本質的に遅れていた日独伊が、やがて「三国同盟(1940年)」を締結する展開に…