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ハリー・ポッターシリーズ(1997年〜2007年、映画化2001年〜2011年)は、(クライマックスとなる後半は除き)、基本は現実世界で冴えないハリーが、年に1回異世界である魔法世界へ旅立ち、そこで「選ばれし勇者」が主人公だけの特殊能力を使って悪者を倒し、そしてまた現実へと戻っていく冒険活劇でした。いわば「異世界転生」「学園モノ」でチート的な無双をするライトノベル的な王道パターンのストーリーなのです。(※ただしハーレムではない)
本作も、イギリスから単身ニューヨークへ来たニュートが、地元のエース魔法使い達をさしおいて、彼だけが使える幻獣たちを駆使して謎を解き、敵を追い詰め、問題を解決します。そして、問題が解決したら女を置いてニューヨークを去って物語が完結する展開は、ハリー・ポッターシリーズ同様、「勇者がどこからか来て、活躍して、またどこかへ去る」という使い古されたパターンに当てはまっています。
でも、それがわかっていても決してしらけるわけじゃないのがこの映画の底力です。王道的なストーリー構成が決して嫌味ではなく「良い意味で」老若男女に幅広くアピールできたのは、原作に縛られずスピード感あふれるムダのない脚本と華やかな映像美、それらを支える詳細な設定や伏線がしっかりしていたからなのかなと思いました。
なんとなく「大友克洋や手塚治虫のどこが天才? 全部どこかで見たことある様な場面ばっかりじゃないか」という指摘を思い出しました。
- そもそも「ラブコメ」の元祖は一般に英国女流作家ジェーン・オスティンとされている。戦争でフランスからゴシック小説が入荷しなくなったので自分で書き始め、これが英語口語文学の起源ともなった。明治維新後、日本で最初に開設された英文学科でも小泉八雲や夏目漱石が教えている。ある意味「格が違う」としか言い様がない。
*日本では「きんモザの聖地」として知られるコッツウォルズ(Cotswolds、羊ヶ丘)も実はジェーン・オスティン所縁の地の一つ(1801年から1806年にかけてバースで暮らし、生涯一度きりの恋をした)。そもそも「ブルトン島で最初に牧羊が始まった地」と比定する説まであるほど古くから牧羊地や保養地として栄えてきた土地だったりする。
- 「勇者がどこからか来て、活躍して、またどこかへ去る王道展開」に至っては物語文法的には古代神話の時代にまで遡るので、どの国が起源とさえいえません。古代ギリシャ神話だとヘラクレス放浪譚やデメテル放浪譚、日本だと例えば「出雲国風土記(713年〜733年)」に放浪の男神や女神が現地で冒険して子供を残して去っていく物語のバリエーションが多数収録されています。まぁ重要なのは「その末裔が伝承者の先祖」という箔付けで、そういう伝承なら何処にでも…
*そして子孫を残すといったら、ラノベというより…そもそもポケットモンスター・シリーズ(1996年〜)だって「パパは世界中に子種を撒き散らしてきた放浪のポケモンマスターで、その子供もこれから…」なんておそるべき設定。
そして、そもそも「ラノベ」には、どこからそう呼ぶかという問題が…
- 筒井康隆「時をかける少女(1967年)」「火田七瀬三部作(1972年〜1977年)」や眉村卓「ねらわれた学園(1973年)」といったジュブナイルSF小説からカウントする立場。SF作家平井和正と漫画家石森章太郎の共作「幻魔大戦シリーズ(1967年〜未完)」を含める立場も。「学園物」の伝統はこの時代に定着した?
*ちなみに海外に「時をかける少女」の名が知れ渡ったのは映画「The girl who leapt through time(2006年)」公開以降。
- 「クラッシャー・ジョー・シリーズ(1977年〜)」や「ダーティー・ペア・シリーズ」で知られる高千穂遙の「美獣(ハリーディール)シリーズ(1978年〜1985年)」に刺激されて執筆が始まった栗本薫「グイン・サーガ(1979年〜)」、夢枕獏「キマイラ・吼シリーズ(1982年〜)」「闇狩師シリーズ(1984年〜)」、菊地秀行「吸血鬼ハンター"D"シリーズ(1983年〜)」、ロー・ファンタジーホラー小説「魔性の子(1991年)」を第1作とする小野不由美のハイ・ファンタジー小説「十二国記シリーズ」、栗本薫「魔界水滸伝(1981年〜1991年)」「新・魔界水滸伝(1995年〜未完)」を含める立場も。
*ちなみに海外にヴァンパイア・ハンターDシリーズの名が知れ渡ったのは映画「Vampire Hunter D: Bloodlust(2000年)」公開以降。
- 神坂一「スレイヤーズ(Slayers、1989年〜2000年、アニメ化1995年、1996年、1997年、2008年、2009年、劇場版1995年、1996年、1997年、1998年、2001年)」 、「爆れつハンター(1993年〜、アニメ化1993年〜1998年)」などのあかほりさとる作品からカウントする立場。長編系列と短編系列の混合、メディアミックス展開などの基本的枠組みが出来上がるのはこれ以降。アニメ中心展開の「天地無用! 魎皇鬼シリーズ(1992年〜)」を含める立場も。
*アメリカ人Nerdの日本オタク文化への関心は1990年代から高まり始め、4cham(2003年10月1日〜)が開設されるまでに。
日米オタク文化に見る「ジェネレーションY」と「団塊ジュニア」
さらにもう一つの分け方として…ところで最近このサイトの投稿は「 2000年代前半の壁」というキーワードを中心に堂々巡りしてる感があります。2010年代後半にはいってなお完全克服には程遠い状態にあるせいですね。
今から思えば、この時期に何が大きな動きがあったというより、前後に大きな時代変遷があったので「超えられない壁」みたいなものが生まれてしまった感があります。
- 1990年代後半の若者は国際的に自分の五感で感じられるものしか信じられなくなったり、デスゲームに投入される形でしか生きてる実感を回復出来ないといった、荒涼とした精神状態にあった。要するにFalloutシリーズ(1997年〜)、Serial experiments lain(1998年)、庵野秀明監督作品「ラブ&ポップ(原作村上龍1996年、映画化1998年)」、上遠野浩平「ブギーポップは笑わない(1998年)」がリリースされた時代。まさしくiモードが登場し、ケータイ小説が人気を博する時代の前夜。そしてその延長線上において高見広春「バトル・ロワイアル(BATTLE ROYALE、原作1999年、映画化2000年〜、漫画化2000年〜2005年)」や、Yoshiのケータイ小説「Deep Loveシリーズ(2000年〜)」が大ヒットとなる。
このうち「日本における帝国主義や全体主義からの軽やかで知的な脱出志向」なる20世紀左翼的発想から最後まで脱却出来なかった「バトル・ロワイアル(BATTLE ROYALE)」、その正体は大人の著者が「少年少女の代弁者」の仮面を被っていたに過ぎない「少年少女搾取作品(Boys&Girls Exploitation Contents)」だった「Deep Loveシリーズ」などは自然淘汰されていく。
- 2005年前後にインターネット上で技術革新が起こり、サイトのリッチコンテンツ(静止画、GIF、音声データ、動画)対応が始まると同時に運用に必要とされるスキルも飛躍的に向上。この流れが次第に(エロゲーといった)PC用CD-ROMタイトル、iモード、テキストベースの匿名掲示板などを時代遅れとし、SNS上を流れるリッチコンテンツ投稿が直接ユーザーを動かす様になり、既存の世界認識方法そのものを変貌させ始める。「涼宮ハルヒ・シリーズ(2003年〜)」に関する情報の主体が内容考察からアニメ版EDテーマ「ハレ晴レユカイ」の回覧に推移したのも、クリプトン・フューチャー・メディアが初音ミク(Hatune Miku、2007年〜)をリリースしたのもこの時期。おそらくバーチャル・アイドル(virtual idol)活躍の条件が整った事と「異類婚や彼岸と此岸の交流は必ず不幸に終わるとする物語文法の崩壊」が同時進行した事は決して偶然ではない。
*もしかしたら主としてテキストベースで語られた2000年代前半までの物語が原則として視聴者の耳目を惹きつける為に「登場人物に襲いかかる理不尽な悲劇」を必要とした様に、主としてメディアリッチな環境で語られる様になった2000年代後半以降の物語では「登場人物に襲いかかる理不尽な悲劇」が原則として視聴者の登場人物に対する意識投影の阻害要因へと変わっていったのかもしれず、そうした変化の背景には視聴者の物語中の登場人物に対する心的距離の変化が関係していたのかもしれない。これは映画が短編から長編に、サイレントからトーキーに、モノクロからカラーへと変化していくにつれ視聴者が体験した事とも部分的に重なってくる。江戸時代において妖怪が「読本において伝聞記録として語られる恐ろしげな存在」から「絵草紙中心にマルチメディア展開する楽しげな存在」へと変貌していった歴史とも重なる。
で、まさにこの「二重の障害」を乗り越えながら、日本のラノベは遂に念願の世界進出を果たした訳です。そしてこの定義だと、どうしても「ハリー・ポッター・シリーズ」の世界的大ヒットの方が先だった事を認めざるを得ないんですね。「まずはそこから出発しましょうよ」という話です。
*ちなみにアメリカに渡るとまとめて「Graphic Novel」と呼ばれたりします。
「セカイ系」という言葉を活字メディアに導入した最初期の人物の一人たるゲーム・ライター元長柾木は、清涼院流水の小説「カーニバル・イヴ(1997年)」の中の「社会派ではなく世界派として小説とは異なる大説を目指す」という言葉を「セカイ系宣言」とみなし、翌年に発表された上遠野浩平の「ブギーポップは笑わない」と合わせ「世界をコントロールしようという意志」と「成長という観念への拒絶の意志」という二つの根幹概念をもつセカイ系作品群の代表的存在とした。元長によれば、それまでのジュブナイル小説からライトノベルが枝分かれしたのは、ここで示された「セカイ系的なもの」の有無であり、これに従えばライトノベルはすべてセカイ系となる。
*2010年代には「成長という観念への拒絶の意志」が「何も考えず既存世界の用意したレールに乗せられる展開の拒絶」、「世界をコントロールしようという意志」が「世界を実際にコントロールしている意思と対峙して自分の立ち位置を見つける」に進化したとも。ターニングポイントとなったのが、このキャラの登場とも?
こうした「セカイ系作品」の定義もあるんですね。「面白ければなんでもあり発行累計6000万部――とある編集の仕事目録(ライフワーク)」でも「ブギーポップは笑わない(1998年)」の登場こそがラノベ界に新風をもたらしたと主張しています。
- それまで理系一筋だった新米編集者三木一馬が「生まれて初めて本気で精読した小説」、それが「ブギーポップは笑わない(1998年)」だった。
*国際SNS上の関心空間では「君に夢がないのは、自分の夢を生きてないからだ」なる台詞が引用され、回覧された。まさしく「我々が自由意思や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」なる原点への回帰。
- その感動を出発点として三木一馬は高橋弥七郎「灼眼のシャナ(2002年〜2012年、アニメ化2005年)」、おかゆまさき「撲殺天使ドクロちゃん(2003年〜2007年、アニメ化2005年、2007年)」、鎌池和馬「とある魔術の禁書目録(2004年〜、アニメ化2008年〜2009年)」「とある科学の超電磁砲(2007年〜、アニメ化2009年、2013年)」、伏見つかさ「俺の妹がこんなに可愛いわけがない(2008年〜2013年、アニメ化2010年、2013年)」、川原礫「アクセル・ワールド(2008年〜、アニメ化2012年、劇場版2016年)」入間人間「電波女と青春男(2009年〜2011年、アニメ化2011年)」を次々と編集。日本のアニメの海外展開(国際SNS上の関心空間における作品受容)において大きな役割を果たす。
*改めて一覧に目を通すと、どの物語でも異世界と現実世界の境界線が吹き飛んでいる。
- さらに川原礫「ソードアート・オンライン(Web連載2002年〜2008年、 刊行2009年〜2016年、アニメ化2012年、2014年)や佐島勤「魔法科高校の劣等生(Web連載2008年〜2013年、刊行2011年〜、アニメ化2014年)」を発掘してWeb小説のメジャー進出に先鞭をつける。
*Webに連載される「なろう系小説」は、異世界転生系が多い。J・K・ローリング「ハリー・ポッターシリーズ(Harry Potter Series、1997年〜2016年)」もそうだが「(実世界の常識の通じなさを楽しむ)ハイ・ファンタジー(Hig Fantasy)」と「(現実世界と密着した)ロー・ファンタジー(Low Fantasy)」をゲーム・プレイヤーの立場から「ええとこどり」した感じ? この「手口」でもハリー・ポッター・シリーズは明らかに先行しているのである。
ほとんど独力で「ゼロ年代の壁」すなわち、1990年代後半と2010年代前半の狭間に横たわるギャップを走破する橋頭堡を築造し、しかもその流れを海外にまで通用させてしまった観がありますね。
ただし「主人公が十代の少年少女に固定されていく時代の一翼を担った」という批判もある様です。
ラノベの三戒の話。
— 新木伸@自重勇者1巻即重!! うぇーぃ (@araki_shin) 2016年12月1日
・主人公は少年であること。(性経験なし)
・主人公は善良であること。
・成長物であること。
――と、上記の三つを、ラノベで守らなきゃならない「三戒」と、新木は勝手に、そう称してます。
でも、いちばん大きな掟である「主人公は少年であること」あたりも、ほんの25~30年ぐらい前には、なかったことなのですよね。
— 新木伸@自重勇者1巻即重!! うぇーぃ (@araki_shin) 2016年12月1日
たとえばラノベ黎明期以前。犬神明は成人だし(ヤングは少年だけど)。Dは数百歳。八頭大は18歳。ユリとケイは19歳。十六夜京夜は17歳。ジョウは19歳。ラノベ黎明期のほうでは。オーフェンたしか20歳近辺。リナは17歳だが老成してる天才なので少年少女年齢に該当せず。
— 新木伸@自重勇者1巻即重!! うぇーぃ (@araki_shin) 2016年12月1日
新木の1992年のデビュー作、ヴァーズ/ヴァルツアーでも、主人公は16歳だったり19歳ぐらいだったり。電撃文庫が始まった直後の1996年の星くず英雄伝では、主人公は17歳の少年社長。でも「ジークは若干17歳の少年社長」なんてあって、「なんと17歳」というニュアンス。
— 新木伸@自重勇者1巻即重!! うぇーぃ (@araki_shin) 2016年12月1日
で、当時のラノベは、ティーンエイジャー率は、そんなに高くない。「べつに少年でもいい」し「二十歳くらいでもいい」し、せいぜい「若者縛り」があった程度。ブラックロッドあたりなどは若者でさえないですし。
— 新木伸@自重勇者1巻即重!! うぇーぃ (@araki_shin) 2016年12月1日
ラノベ史において、一体、いつ頃から、「ティーンエイジャーであること」は、三戒の一つとなったのかしらん。
— 新木伸@自重勇者1巻即重!! うぇーぃ (@araki_shin) 2016年12月1日
そして、これまでの戦略の延長で2010年代後半が乗り切れるかは全くの未知数?
まだ海外公開時期未定の状態なので、国際SNS上の関心空間でこれらの作品への反応を計り知る事は出来ません。そもそも、国際SNS上ではどんな具合にこの方面のジャンルが形成されてきたかというと…
RedInkedWolf Art — Updated the fandom trash logo!! It’s been a few...
- 高橋留美子「らんま1/2(Ranma 1/2、1987年〜1996年)」…ディズニー映画「ムーラン(Mulan、1998年)」「ムーラン2(Mulan2、2005年)」と並んで今日までLGBTQA層からカルト的支持され続けている。同じ作者の手になる「犬夜叉(1996年〜2008年)」ファンも多い。
*結構重要なのが「女に変身してる時のらんまは女の武器を使いまくること」。これがウルトラ・フェミニスト勢の押し付けてくる倫理観への反撃として効く。
- 武内直子「美少女戦士セーラームーン(1992年〜1997年)」…CLAMP「カードキャプターさくら(原作1996年〜2000年、アニメ化1998年〜2000年)」「少女革命ウテナ(1997年)」「プリンセスチュチュ(Princess Tutu、2002年〜2003年)」と並んでバトル・プリンセス物として女性層に絶大な人気を獲得。
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*またこの層はステファニー・メイヤー著のティーン向け小説シリーズ「トワイライト(Twilight、原作2003年〜、映画化2008年〜2012年)」も好み、E・L・ジェイムズ「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ(Fifty Shades of Grey、原作書籍化2011年〜、映画化2015年)」のBDSM小説もここから派生したが、それまで読者を引っ張ってきた「人間のヒロインと吸血鬼及び狼男のイケメンとの三角関係」が解決すると途端に人気が凋落。「バフィー 〜恋する十字架〜(Buffy the Vampire Slayer、1997年〜2003年)」の人気が再燃する展開に。バフィー 〜恋する十字架〜 - Wikipedia
トワイライト (小説) - Wikipedia
フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ - Wikipedia - 岸本斉史「NARUTO -ナルト-(本編1999年〜2014年、外伝 2015年、続編2016年〜)」…「アバター・シリーズ(The Last Airbender、第1期「The Legend of Aang」編2005年〜2009年、第2期「The Legend of Korra」編2012年〜2014年)」をこよなく愛する「肉体派」少女に圧倒的人気を誇る。
*「殴り合いを通じてしか自分が生きてる実感を得られない」と豪語する「マーベル・ヒーローズ(Marvel Heroes)」ファンと共通点が多い。
Clever Henshin : “I have watched adversity turn into purpose.”
- CLAMP「ちょびっツ(講談社,2000年〜2002年)」…CLAMP人気に支えられる形で女性ファンが自らを「(セカイ系ヒロインながら)受動的な人工美少女」に重ねた。イケメン人工美男子も登場してくる世界観にも関わらず…そういえばこの作品のアニメ版(2002年)において絵コンテを手掛けた片渕須直は「アリーテ姫(Princess Arete、2000年)」の監督でもある。
- 竹宮ゆゆこ「とらドラ!(2006年〜2009年、アニメ化2008年〜2009年)」…女性ホームドラマ・ファン層の間に今日なお絶大な人気を誇る。
まぁ国際SNS上の関心空間では女子アカウントが「集票力」を握ってるのでこうなります。でもそんなに男子アカウントの趣向とズレてる訳でもない不思議…
そして彼女らから選ばれたからこそ「SAO」や「とあるシリーズ」や「俺妹」も国際的大ヒットを飾ったという側面が。特に「SAO」に関してはWeb小説掲載時点から既に「全文翻訳プロジェクト」が稼働してたほど前評判が高かったのです。
*そして「特定パートを朗読する」奇妙な流行が世界中に伝播…
で、最近の彼女らのお気に入りは「僕のヒーローアカデミア(2014年〜)」の 蛙吹梅雨。アメリカに存在しない「優等生タイプ(しかも皆から嫌われる要素がないタイプ)の女性ヒーロー」という辺りが人気の秘訣な様です。
She was trying so hard to turn everything back to normal.
*国際SNS上の関心区間に常駐する様になって散々思い知った事。「眠れる森の美女(Sleeping Beauty、1959年)」のオーロラ姫みたいに「裕福な名家に生まれ、何の自助努力もせず幸福になる」展開なんて、まず女子アカウント自身が許さない…まぁ実際には解釈の違いによる小競り合いならあちことで見られたりもするんだけど。そして海外で選考される日本の作品って、こういう感情へもちゃんと対策が施されてる事が多い。どういうマーケティングがそれを可能としてるんですかね?
一方、「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(Fantastic Beasts & Where to Find Them、2016年)」についてが現在「削除シーン推測」がトレンドに。全体的に説明不足のシーンが多い理由について「伏線があからさま過ぎて削除された場面が多いから」とか「上映館側の要請で急に上映時間短縮を命じられたから」とか、いろいろな憶測と冗談が出回っている様です。
【J.K.ローリング
— ミーハーな海外映画News (@miha_news_wd) 2016年11月29日
日本人のアートをRT!】@kirikawa_juu. さんが描いた
『#ファンタビ 』のニュートと
『ハリポタ』のハリーが
バトンタッチしている姿の絵を
J.K.ローリングさんが絶賛&RT!
同じ日本人として
嬉しい出来事ですね✨ pic.twitter.com/ug2gZxMgSd
それにしても、オブスキュリアル(Obscurial)を最初に「ダーク水まんじゅう」と呼んだ人天才すぎる…