諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【クリスチャン・ラデフさんによる『この世界の片隅に』レビュー】「世界の片隅を描いた」という事。

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あっという間に英国発の映画評がネットを席巻?

この世界の片隅に』が描き出そうとするのは第二次世界大戦のために起きたことではなく、戦争にもかかわらず起きているできごとである。

最終的に打ちのめされたすずは「報われるはずだったのに!勝つはずだったのに!」という政治よりも実際の生活に根ざした慟哭を漏らす。そのとき我々観客は日本を枢軸国として知っていてもなお胸の潰れる思いがする(In spite of our awareness of Japan as an Axis power, it’s no less soul crushing for us as an audience)。悲劇は登場人物たちが最初からそのような運命を背負っていることを我々が映画の始まる以前から知っている、という点にある。だが話は戦争のなりゆきについてだったろうか? 我々にとってそうではないし、結局、すずやその家族にとってもそうではない。この映画が戦争についての映画ではなく単に戦中に設定されたのとちょうど同じように、すずの人生はその前の、あるいはずっとさかのぼった環境によって決められていたのだ。

爆撃はたしかにすずがそれまでずっと親しんできた風景を描く能力を奪ったかもしれない。だからといってその風景がもうないわけでもなければ,そこになかったことになるわけでもない。戦争に苛まれたからといって、すずが人生をまっとうしなかったということにはならない。タイトルが予言するように、この世界の片隅に見つけてもらえたのだ。結局「戦争しているというだけでセミが鳴くのをやめるわけではない」(訳注:Uri Avnryの小説「1948. A Soldier's Tale」 の表現を引用しているらしい)。

結局、この映画が思い起こさせるのはこういうことだ:人生とは我々がその悲劇にかまけている間におこるできごとの数々だ、と。

なるほど「悲劇は登場人物たちが最初からそのような運命を背負っていることを我々が映画の始まる以前から知っている、という点にある」ですか…「アラビアのロレンス(Lawrence of Arabia、1962年)」や「戦場にかける橋(The Bridge on The River Kwai、1957年)」や「太陽の帝国(Empire of the Sun、原作1984年、映画化1987年)」の映画評であってもおかしくないくらい冷徹な俯瞰視点。

しかし、まさにこうしたスタンスこそが片渕須直監督が全力で用意した「この世界の片隅に」という作品を真正面から受け止めた結果なのかもしれません。

片渕:そういえば、映画の台詞に晴美ちゃんが「今日は航空母艦はおらんね」と言うところもありますが、あれはマリアナ沖海戦で負けて帰ってきた艦隊が呉に入港しているところだからです。

G:そういうことが分かるものなんですね。

片渕:だから逆に、彼らは片隅にいて世界が見えていないんだけど、その向こうには大戦争をしている本物の世界があって、それをあの段々畑から眺めているという風に描こうと思ったんです。

G:コラムで目立ったのは「本で調べた」ということで、インターネットを活用して調べ尽くして、全然出てこなかったんだなというのが読んでいて分かります。

片渕:インターネットではあまり出てこないですね。インターネットは誰かの興味が入っているので、興味の抱き方がそんなに真正面からではない感じがします。呉の空襲に遭った当事者の手記を読むと「当日の対空砲火の煙は色とりどりだった」と書いてあるんですよ。これは、その日やってきたアメリカ軍のパイロットの手記でも同じように「色とりどりだった」と書いてあるんです。ただし、どちらも「色とりどり」なんですが、何色と何色だったというのは合致しないんですよ。しかもそれが二人ではなくもっと何人もいて、茶色と書いている人もいるし紫と書いている人もいるし、赤もピンクもいました。本当は何色なのかということで調べを進めたところ、日本がどれぐらいの技術水準を持っていたのかということを戦後にアメリカ海軍の人が来て調査をするんですが、その英文レポートの中に「カラーバーストプロタクタイル」についてのレポートがあって、「空中で爆発して色を染めるための染料が5種類ある」と書いてあるんですよ。白黒も合わせると、全体で6色の対空砲火があったというわけです。

G:色とりどりにする理由は何だったのですか?

片渕:これは、軍艦がどの対空砲火が自分の撃ったものかを識別するためです。呉の軍港には多数の軍艦がいて密集しているので、色を分けないと自分がどこへ撃ったかわからないので、色とりどりになるんです。ところが、陸上砲台は白と黒しか持っていないんです。つまり、日本の他のところでは色とりどりにはならず、呉だからこそ色とりどりだったというわけです。

G:いろいろと分かるものなんですね。

片渕:それがわかったときに、一つ腑に落ちた感じがします。

G:理由があるものなんですね。

片渕:腑に落ちてくると、色とりどりの煙を見ているすずさんの心情がそこで初めて分かるんですよ。空襲に実際に遭った人は「敵機が綺麗じゃった」と言うんです。銀色でピカピカして美しかったと。恐ろしいものが来たという意識はもちろんあるけれど、非日常がやってきた感じなんですよね。我々は今、日常を描こうとしているわけなので、そこに非日常がやって来たのだとしたら、非日常がどんな姿を取っているかが大事じゃないですか。「あぁ、6色の煙という姿なんだ」と分かったら、この場合は「じゃあそれを見た時にすずさんはどう思うのだろう」という風になっていきます。すずさんの中の、日常を営んでいる部分ではない何かが引き出されるとしたら、それは何なんだろうという風に、それをもう一度「すずさん」というものの上に絡めてあげる感じです。

G:それがないと心情が描けないということになってきますね、何を考えているのか分からないと。

片渕:状況を描けたとしても、それは「世界」を描いているだけで、その片隅に立っているすずさんを描いたことにはならないです。

岡田:冒頭森永チョコレートとかああいう豊かな昭和19年のクリスマスを描くことによって全く別の世界に連れて行かれるんだけど、導入なんかはすごくうまい。びっくりしました。

山本:その分克明にビルのひとつひとつ、民家のひとつひとつを片渕監督が調べ上げて、可能な限り……。

岡田:あんなのやりたい?

山本:やりたかったけど……。

岡田:自分もアニメ化したかったんでしょ?

山本:でもあの取材量には勝てないし、本当に執念ですね。ほぼ週1回くらい夜行バス使って。夜行バスも調べたんですよ、こっちも調べてやれと思って。呉まで12時間夜行バスに乗るんですよ。それをほぼ日帰りで毎週やってたっていうね。もう大変ですよ。

岡田:さすが片渕監督、世界で唯一、宮﨑駿に口で勝つ男(笑)。

山本:(笑)

岡田:宮﨑駿がミリタリーの話をしだしたら「それは観念論です」って言って、資料を見せながら翌日反論するという恐怖の監督(笑)。

山本:だから焼夷弾の描写ひとつにしても新しいっていうか本当に史実通りって言われていますよね。

岡田:空中でバンバンする対空砲火も5色の色が本当に史実通りというか、すごいです。

山本:色まで調べるかー。

岡田:ああいうのをやりたかった? 自分としても。

山本:そうですね。

クリスチャン・ラデフさんのレビュー、どうせならすずさんの義母が昭和5年(1930年)のロンドン軍縮条約締結で呉海軍工廠の工員大量解雇で、昭和12年(1937年)にそれが失効するまで失業者達が大変辛い目に遭ったと嘆くエピソードにも触れてほしかったです。「大事じゃ思っとった、あの頃は。大事じゃ思えた頃が懐かしいわい」。これもまた子供の頃の瀬戸内海のスケッチ同様にすずさんの日常を構成した「庶民目線の体験」の重要な一つだった訳で。
*記憶が正しければ「瀬戸内海もアメリカの海になっちまうんかい」は原作にないセリフ。

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最近「この世界の片隅に」が反戦映画か否かが話題になってますが、同じ事が「アラビアのロレンス」や「戦場にかける橋」や「太陽の帝国」にもいえそうです。そういえば四作品とも「悲劇はあらかじめ結末を知る観客の心の中だけに存在する」構造は同じ。敗戦の日のすずさんの叫びこの国から正義が飛び去っていく。暴力で従えとったという事か。じゃけぇ暴力に屈するいう事かね。それがこの国の正体かね」は、まさにこういう立場から発せられた言葉として拝聴すべきなのかもしれません。

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山本:それで、どうしても戦後世代と言うのは、僕らの世代もそうなんだけど、『戦争』がだんだんと教訓めいた神話みたいに形作られている。「戦争は僕らの日常とは、ぜんぜん違う世界のものだ」みたいな認識が、ちょっと僕も感覚的にあったんですけど、違うと。「すずさんも、その時にちゃんと生きていたんだ」っていうのを、日常を丹念に描くことによって「戦争は本当にあったんだ」という事がちゃんと伝わってくる。

まず 「これが本当の戦争なんだ」と謙虚に受け止めるところから入らない限り、いずれにせよ地に足がついた発想にはならない気がしてなりません。

alone / with you.

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ところで、ふと気になって国際SNS上の関心空間を覗いたら、実写ドラマ版「この世界の片隅に(2011年)」のGIFが流れてました。こんなのあったんだぁ…