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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

現実的なコンピューター解析技術が物語展開に決定的な役割を果たした最初のSF小説「アンドロメダ病原体(The Andromeda Strain、1969年)」

テクノロジー小説の嚆矢とされるマイケル・クライトンSF小説「アンドロメダ病原体(The Andromeda Strain、原作1969年、映画化1971年)」。実はその日本語題名には大きな問題があります。

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「strain」は直訳すると「病原体」ではなく「菌株」。そして「アンドロメダ病原体」にとって「病原体」である事は本質ではなく、その生態はコロコロと変貌していきます。その過程の追跡こそが最大の主題で「現実的なコンピューター解析技術が物語展開に決定的な役割を果たした最初のSF小説」とされるのもその為。
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 もちろんコンピュータは既にそれ以前からSF小説の中に登場していました。

  • スタニスワフ・レム惑星ソラリスSolaris、原作1961年、映画化1971年/2003年)」の原作における役割は、要するに「軌道計算専用関数電卓」。これは当時の共産圏におけるコンピューターの性能の限界の反映でもある。その一方で物語展開に決定的な役割を果す「ソラリス学」が収納されているのは「マニュピレーター技術によって完全自動化された紙ベースの図書館」だったりする。しかしまぁ、この発想自体はVOD(Video on Demmand)最初期においても「マニュピレーター技術によって完全自動化されたビデオテープのライブラリー」は大活躍。「TV系サイバーパンク小説」の草分け的存在とされるK.W.ジーター「ドクター・アダー(Dr. Adder、執筆1974年、刊行1984年)」においても、完全電脳化されたTV配信網における「役者」が番組開始前にビデオテープによってロードされ、番組開始後にセーブされる存在に過ぎない存在である事を示唆する場面が存在する(日本語に翻訳されるのは1990年以降)。

  • 人工知能(AI)の存在が決定的役割を果たすロバート・ハイライン「月は無慈悲な夜の女王(The Moon Is a Harsh Mistress、1965年〜1966年、1967年ヒューゴー賞長編小説部門受賞)」において、それを収納している「本体」は広域に散らばる巨大な建物群である。その一方、300万人が暮らす月世界人の全通信情報を保存用に割り当てられるメモリ総量はたったの「10の八乗バイト(すなわち約12.5MB)」。それでも全てテキストデータに置換したら大図書館の全蔵書の文字情報でも軽々と収録可能な「大容量」ではあり、当時の現実世界におけるコンピューターが使用可能なメモリ容量と比べると驚異的なまでの発想の飛躍を必要としたのである。

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  • とはいえ「10の八乗バイト(すなわち約12.5MB)」なるメモリ単位の登場は「マニュピレーター技術によって完全自動化された紙ベースの図書館」から卒業する契機としては十分なだった。だからアーサー・C・クラーク「前哨(Expedition to Earth、1948年)」を原作とし人工知能(AI)HAL9000IBMの一字ズレ)が活躍する「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey、映画公開1968年4月、小説版刊行同年7月)」においても、「惑星ソラリス」の映画版(1971年)においても、それが映像化される事はなかったのである。

    http://www.wakingtimes.com/wp-content/uploads/2015/10/hal-9000-1.jpg

  • 「アンドロメダ病原体(The Andromeda Strain、原作1969年、映画化1971年)」原作者のマイケル・クライトンは作品発表年に医学博士号を取得してハーバード大学を卒業している。当時ニューズウィークはこの作品を「現実的なコンピューター解析技術が物語展開に決定的な役割を果たした最初のSF小説」と激賞したが、ここに思わぬ番狂わせが発生した。当時既に現在のインターネットの直系の先祖となるARPANETが早くも実用段階に到達しようとしていたがその中心地はあくまで西海岸。UCLAで「Log in」の最初の2文字の転送に成功したのが1969年10月29日で、その回線網がマサチューセッツ州ケンブリッジまで届いて東海岸初進出を果たしたのが1970年3月。以降ARPANETはアメリカ全土に広がり、1975年には「実験段階を抜けた」と判断した(本来は高度な実験的研究への出資が仕事である)ARPA(Advanced Research Projects Agency)が手を引く。しかしこうした最新の技術をエンターテイメント界に還元しようとする動きはすぐには現れなかったのだった。

    http://www.fibel.org/linux/lfo-0.6.0/arpanet.png

  • ここからのパソコン躍進の歴史は世に知られている。1970年代中旬から大幅に小型化され、安価となった8bitマイクロプロセッサーの普及開始(このプロセスには日本の電卓メーカーも大きく関与している)。そして1974年に発表されたばかりの8080マイクロプロセッサーを採用したMITSのAltair 8800が1975年1月にPopular Electronics誌で紹介され、その互換機としてIMSAIのIMSAI(8080)も発売される。歴史のこの時点における最大の画期は後にIEEE-696として標準化される事になる通称S-100 バス搭載で、ここに拡張ボードを挿入する事で柔軟に入出力装置や記憶装置の増設が可能となった事だった(挿入するROMカセットによって遊べるゲームを取り替えるTVゲーム機の発想の起源でもある)。そして1976年にはアップルコンピュータを興したスティーブ・ジョブズが、ガレージで製造したワンボードマイコンApple I(スティーブ・ウォズニアックによる設計)を販売。それ自体はごく少数の販売に留まったが、翌年発売したApple IIは大成功を収め同社の基礎を作るとともにパーソナルコンピューターの普及を促したのである。これは整数型BASICインタプリターをROMで搭載し、キーボードを一体化、カラービデオディスプレイ出力機能を内蔵したもので、今日のパーソナルコンピューターとしての基本的要件をほぼ満たしている。オープンアーキテクチャであった為に数多くの互換機が登場し、1980年前後になるとタンディ・ラジオシャック、コモドールといった「御三家」に加えアタリやシンクレア・リサーチ(イギリス)など多くのメーカーが参入。そして1981年は遂にIBMが16bitCPUを搭載したIBM Personal Computer model 5150(通称IBM PC。あるいは単に「PC」、のちの互換機と区別して「Original PC」とも)を引き下げて参入し、IBM PC互換機市場が急速に拡大。オフィスで用いるタイプのパーソナルコンピュータの業界標準になる。「TV系サイバーパンク」で活躍する「時代遅れになりつつあるコンソール・カーボーイ達(Console Cowboys)」というイメージはまさにこの時代の産物。
    マイコンを入手したヒッピー達が(IBMに象徴される)巨大コンピューター群への無条件憎悪から脱却しつつも、現実世界におけるコンピューター・ネットワークはイメージ出来なかった時代にそのイメージは成立したのだった。

    ちなみに1980年代には既にUNIXの世界における覇権を巡って「ネットワークこそがコンピュータ(The Network is the Computer)」というモットーを掲げたスコット・マクネリ、BSD開発チームの初期まとめ役にしてviテキストエディタや機種依存性のないスクリプト言語Javaの開発者として知られるビル・ジョイ(来日時には法被を着て「美流上位」とサインする事で有名。アルゴリズム解析分野の開拓者ドナルド・クヌースも「高徳納」と名乗っている)といったスコット・スタンフォード大学バークレー大学出身の「本物のハッカーの始祖達」の活躍が始まっている。

    http://www.z80.eu/altair_ad_pe.jpghttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ac/Micromodem_II_in_Apple_II.jpghttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a6/Bundesarchiv_B_145_Bild-F077869-0042,_Jugend-Computerschule_mit_IBM-PC.jpg

  • こうした混迷の時代にコンピューターとエンターテイメント業界の間を結んだのはむしろ1979年にルーカスフィルム社が創立したコンピュータ・アニメーション会社ピクサーPixar)社だった。その後にApple社から追放されたスティーブ・ジョブズに買収され、レンダリング用ソフトRenderManを開発して短編CG「Luxo Jr.(1986年、SIGGRAPHで公開)」「Tin Toy(1988年)」を発表。これが「トイ・ストーリー(Toy Story、1995年)」「トイ・ストーリー2(Toy Story 2、1999年)」につながっていく。

そして世紀末にはいよいよ(後に性転換手術で姉妹に変貌する)ウォシャウスキー兄弟の手によりサイバーパンク運動とニュー・アカデミー運動(ウォシャウスキー兄弟はジャン・ボードリヤールの大ファンで出演者は全てが記号化していく商業社会を揶揄した「消費社会の神話と構造(La Sociétéde Consommation、1970年)」「シミュラークルとシミュレーション (Simulacres et simulation、1981年)」を読まされたという)の統合を狙った「マトリックス(Matrix、1999年)」「マトリックス リローデッド(The Matrix Reloaded、2003年)」「マトリックス レボリューションズ(The Matrix Revolutions、2003年)」の三部作が公開されるも、かえって意識革命の不可能性を印象付ける結果に終わってしまう。

*映画「X-Men Apocalypse(2016年)」の中に「超能力者」アポカリプスがTV受像機経由で世界中の情報にアクセスする場面があった。これも「TV系サイバーパンク」へのオマージュと言えなくもないが、それが長い眠りから覚めた悪者の情報入手手段として描かれる辺りに時代の流れを感じる。

1990年代に入ると次第に「テクノロジー小説としても成立していない限りSF小説として認められない」風潮が強まっていく事に。