諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【この世界の片隅で】【サザエさん】丁寧に排除された父権主義の痕跡。そもそもそれは当時の庶民の生活の中に根付いていたの?

「この世界の片隅で」という作品には原作にも長編アニメにも20世紀に絶滅した「家父長的な父親や夫」が一切登場しません。まぁこの点は新海誠監督作品「君の名は」もそうなんですが。

そこが聞きたい「君の名は。」大ヒット 新海誠氏

新海 私の作品に父性主義、父権主義はないと思います。そんな意味で、女性作家の小説の方が好きな ものが多いのかもしれません。父が権威を大事にする人で、男はこうあるべき、人生はこうあるべき、 と「あるべき」を言う親で、良い影響も、良くない影響も受けているかと思いますが、それに対する 反発もずっとあり、説教されるのが嫌いです。ですから批評家に映画はこうあるべき、と言われるのが 大変腹立たしい(笑い)。ある種の映画は強い主張で作られて、そういった作品もあるべきですが、 「少年少女はこう育つべき、こんな環境が人間にいい」といった誰かに価値観を強く言う映画は作り たくありません。どんな選択肢があるか、選択肢で迷うような存在を描きたいと思います。

そもそもそんな存在、長谷川町子サザエさん(1946年〜1974年)」はおろか、その原型に当たる「翼賛漫畫 進メ大和一家(1940年〜1945年?)」でも見かけません。

翼賛漫畫 進メ大和一家(1940年〜1945年?)

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「翼賛一家」とは、戦時中に組織された漫画家の団体である新日本漫畫家協會が1940年に創作したキャラクターで、大政翼賛会マスコットキャラクターともいえる。戦時中の模範的な家族像として「大和家」が設定され、多くの雑誌にこの一家の物語が掲載されたり単行本が発表されたりした。

「翼賛一家」は一種のシェアード・ワールドであり、使用料を払えば誰でも自由に使ってよいということで、長谷川町子の他にも、多数の人が翼賛一家の漫画を作っている。そのため長谷川町子が一人で描いていた作品ではない。執筆陣は秋好馨、井崎かずを、近藤日出造、筑摩鐵平、中村篤九、那須良輔長谷川町子松下井知夫、村山しげる、矢沢茂四、山川哲、山崎善一、山本一郎などなど有名無名多岐にわたっている。

 「今度の戦争はノビノビと明るい気持ちで建設的にやろう」? そういえば「この世界の片隅に」にも、昭和5年(1930年)のロンドン軍縮条約締結で呉海軍工廠が工員を大量に解雇し、昭和12年(1937年)にそれが失効するまで失業者達が大変辛い目に遭ったという話が出てきます。「大事じゃ思っとった、あの頃は。大事じゃ思えた頃が懐かしいわい」。まぁ庶民目線とはそういうもの。

長谷川町子 幻の作品『翼賛漫画 進メ大和一家』おわりに

以前、私が年配の方と話をしていたとき、サザエさんの話題になりました。その時、次のようなやり取りをした覚えがあります。

私「サザエとカツオって13歳も年が離れているけれど、これって不思議だと思いませんか?」
年配の方「いや、思わなかったな。当時はそういう構成の家族は少なくなかったから」

年配の方がいうことには、サザエさんが連載開始した昭和21年当時、姉と年の離れた弟、妹という構成の家族は珍しくなかったそうなのです。なぜかといえば、年配の方の言葉を使わさせていただきますが「間にあと1人か2人、男の子がいて、戦争で死んでしまったから」なのです。

磯野家の謎などではサザエとカツオの年齢差から、連れ子説を取っていますがそんな複雑な問題ではなく、ただ単純に「サザエとカツオの間にも男の子がいたけれど、徴兵されて戦争に行き、死んでしまった」のだと考えれば何らおかしくないのです。

この年代は、大和一家でいうと、イサムとジロウのポジションです。大和一家が書かれたのが昭和17年。サザエさんが連載開始したのが昭和21年。たった4年の間に、日本の状況は大きく変貌しました。その中でも一番大きかったのは、やはり敗戦でしょう。

そして、学徒出陣。サザエとカツオの間にいた、大和一家で言うイサムとジロウに相当する男の子は南洋で玉砕していたのでしょう。

また、連載初期のサザエさんには赤ん坊に相当するキャラもいません。これははだしのゲンを見ればわかると思いますが生まれてもすぐ死んでしまう確率が高く、リアリティに欠けると作者が判断したのでしょう。

大和一家は現在の歴史からは完全に葬り去られている作品ですが、その存在を完全に無視するのは、日本の歴史と言うものを考える時には妨げの一つになるのではないでしょうか。

①「サザエさん」は諸般の事情で1969年よりアニメ化され、現在も放映が続いている。一応は「家父長」の立場の波平さん…

②一方、高度成長期における「サラリーマン家庭での父親不在」が、1960年代までは確実に実在した伝統的家父長制を壊したとするのが以下の作品群。

  • 梶原一騎原作の「巨人の星(1966年〜1971年)」「タイガーマスク(1968年〜1971年)」「あしたのジョー(1968年〜1973年)」といったスポ根物…フランスロマン主義文学のロマン・ロラン「ジャン・クリストフ(1903年〜1912年)」や、江戸時代における勧善懲悪観からの脱却を企図した吉川英治宮本武蔵(1935年〜1939年)」の世界における「(ベートーベンを理想視する)苦悩する修行者としての英雄像」の復活を狙った。その出発点が「巨人の星」における星一徹だった訳だが、以降の作品ではむしろ「主人公は孤児(父親は不在)」とされる様になっていく。

    宮本武蔵」は当初朝日新聞社内では歓迎されなかったらしい。それ以前の「立川文庫」等の講談筆記本や、大衆向け時代小説では、主人公は邪気のない武闘派の英勇豪傑、ただし艱難辛苦のプロセスをたどって、ついには父親の仇を討つ懲悪的義人だった。そのパターンが確立して典型化していたので、「また武蔵か」という感がだれしもあったのである。

    これに対して、吉川版「武蔵」は、つまり我々の云う「吉川武蔵」は、そうした旧態依然の講談本風武蔵像を完全に一新してしまう、いわば斬新なものだったようである。

    どこが斬新だったかといえば、一般に評論で述べられているのは、武蔵をだれにも共通の等身大の個人として、人生に苦悩し剣の道を探究する「求道的人物」として描いたことだという。しかし、それでは踏込みが足りない。

    吉川武蔵のどこが斬新だったか。まず第一は、敵討〔かたきうち〕、父の仇討ちという江戸時代以来の武蔵物文芸のテーマを抹消したことだ。このテーマはパターン化された勧善懲悪として、近代に入って貶められてきたが、大衆文化の領域ではまだまだ人気があった。それを吉川版「武蔵」は一掃した。

    しかし、そうなると、主人公のアグレッシヴな闘争性向には理由がなくなってしまう。懲悪敵討というテーマは、主人公の殺人的暴力に社会的「理由」を与え、報復行為として承認できるものだった。そして主人公の殺害行為に同一化することによって、読者もしくは観客は自身の暴力欲動を発散することができた。この報復的懲悪的殺害というパターンは、周知のごとく、現代の大衆文芸でも延命している。

    懲悪敵討というテーマを欠く殺害行為は、いわゆる「理由なき殺人」に等しい。誤解の沸立つことを承知の上で云えば、吉川武蔵は、そうした「理由なき殺人」、理由もなく他人を殺害したいというスリリングな欲動を、時代小説に持ち込んだ。それが斬新なところ、近代小説たるゆえんである。

    ただし、いわゆる「純文学」ならそれもありうるが、「理由なき殺人」そのままでは、大衆小説にならない。そこで、大衆が主人公に同一化できるモチーフが必要である。

    それが、旧態依然の武蔵物語が必ず具備していたモチーフ、つまり「主人公が艱難辛苦して目的を達成する」というプロセスである。この艱難辛苦して目的を達成するというプロセス・モチーフがあれば、読者大衆は主人公に同一化できる。そして、この「努力」のプロセスが、「求道」と呼ばれ、「理由なき殺人」さえも合理化する。手段が目的を正当化するというより、手段が目的と化すのである。

    吉川武蔵において特徴的なのは、「艱難辛苦して目的を達成する」というモチーフが、精神修養のプロセスへ変換されたことである。いわば、懲悪敵討の等価代理物が、精神修養である。懲悪敵討の報復的暴力を受け入れない者でも、精神的求道なら受け入れるという奇妙な合理化が可能になった。それは、プロセスが内面化したからである。かくして主人公=読者の「理由なき殺人」は「理由」(reason)ではなく、大義(cause)を獲得する。ただし、それは社会的理由ではなく、個人的大義である。この内面化した構造の意味で、吉川武蔵はモダンなのである。
    *こうした「モダンな剣豪」像は、中里介山大菩薩峠(1913年~1941年)」や、柴田錬三郎眠狂四郎(1956年〜1975年)」のニヒリズムとも重なってくる。

    *そう、実際に時代を遡ると表面化してくる過去は、あくまで「江戸時代の勧善懲悪観」。元来それは「有事に際して戦闘者となる武家は、天下泰平期には庶民に倫理的規範を示すべく君臨する」なる江戸幕藩体制下の身分制を肯定する為に言い広められた政治的プロパガンダに過ぎず、庶民はおろか武家の間にすら、どこまで実在したか判らない。そして歴史のこの時点におけるダンの代償の一つが「厨二病の発症リスク」なのだった。

    *もしこの種の感傷主義的ロマンティズムが近代以降の西洋化に伴う欧米からの輸入品だったとしたら劣化コピーも良いところ。何故なら欧米のそれはジョン・スチュアート・ミル「自由論(On Liberty、1859年)」における「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならないが、他人に実害を与える場合は権力の討伐対象となる」なる絶対基準に準拠し、その成立以降、それまで存在を許されてきたロマン主義的英雄像は(欧州における「教会と国王の権威に裏打ちされてきた領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的伝統」の崩壊を受けて)まとめてユニバーサル・モンスターズ(Universal Monsters)のポジション送りにされてしまった。それは「国際SNS上の関心空間」上の若者達の間ですら「ハリーポッター・シリーズ(1997年〜2007年、2016年)」への感慨が「ヴォルデモート卿は私達がなっていたかもしれない存在(だからこそ殺せ)」、「シン・ゴジラ(2016年)」への感慨が「鎌田君は私達がなっていたかもしれない存在(だからこそ殺せ)」という方向にしか集約しないくらい徹底している。

    *一方、江戸時代の庶民の間にも「伝統的家長制度」自体は存在した事そのものは出島に来日した外国人達の証言によって明らか。ただしそれが「家父長制」の形態をとるか「家母長制」の形態をとるかは地域や職業や家庭次第で、その伝統自体は地域によっては現在なお存続し続けているという。その地域におけるLGBTQA許容度などを決定してるのも、この種の在地有力者だという。新海誠監督作品「君の名は」もまた、一応作品世界そのものに「現地に実質的領主として君臨してきた宮水神社の家母長制」といった要素を含むが、映像化された部分からは丁寧に取り除かれていた。この辺りが細田守監督作品「サマーウォーズSUMMER WARS、2009年)」との最大の違いとも。

  • 古谷三敏「ダメおやじ(1970年〜1982年)」…「時代遅れとなった父権主義」に対するパロディとして始まったが、やがて父権主義そのものが衰退してそれを揶揄うギャグが成立しなくなり、むしろ「お父さん頑張れ」漫画へと変貌。同時期の「週刊少年チャンピオン」では「暴力に満ちた暴走族漫画」として始まった石井いさみ750ライダー(1975年〜1985年)」や「怨念の暴走するオカルト漫画」として始まった古賀新一エコエコアザラク(1975年〜1979年)」がともに明るい学園ラブコメ漫画へと変貌を遂げている。
    古谷三敏は元赤塚不二夫のアシスタントで、「ダメおやじ」も最初期の段階では赤塚不二夫が代筆していた。その赤塚不二夫の原点は1950年代アメリカで流行した「愉快な家族/一ダースなら安くなる あるマネジメントパイオニアの生涯 (Cheaper by the Dozen,原作1948年〜1950年、映画化1950年〜 1952年) 」「パパは何でも知っている(Father Knows Best、ラジオドラマ1949年〜1954年、TVドラマ1954年〜1960年)」「ザ・ハネムーナーズ(The Honemooners、1950年代TV放映)」といった父権主義的ホームドラマに反旗を翻した米国内反主流派作品群で、「おそまつ君( 1962年〜1969年)」における父親不在感、「天才バカボン(1962年〜1978年)」における「権威主義の象徴とは程遠い父親像」はこれに由来するとも。

    *ちなみに日本の魔法少女物の原点とされる赤塚不二夫ひみつのアッコちゃん(1962年〜1965年、アニメ化1969年〜1970年)」は米国映画「奥様は魔女(I Married a Witch、1942年)」の影響を、横山光輝魔法使いサリー(1966年〜1967年、アニメ化1966年〜1968年)は「奥さまは魔女(Bewitched、TVドラマ1964年〜1972年)」の影響を認めているが、どちらも系譜的には「反父権主義的ホームドラマ」の系譜に位置づけられるので父親の影が薄い。


    *ところで全てのムーブメントの大本となった映画版「奥様は魔女」は「セイラムの魔女狩り」に取材した作品。その意味ではイタリア人ダリオ・アルジェント監督作品「魔女三部作」すなわちドイツのバレエ名門校を舞台とした「サスペリア(Suspiria、1977年)」、ニュヨークの古アパートを舞台とした「インフェルノ(Inferno、1980年)」、ローマが舞台となる「サスペリア・テルザ 最後の魔女(伊: La Terza madre、英: The Mother of Tears、2007年)」と並行進化関係にあるが「反父権主義的ホームドラマ」なる背景が存在しない為、魔女は「世界じゅうを悪意で満たそうととする、ただひたすら恐ろしい存在」としてのみ描かれた。「魔法少女まどか☆マギカ(2011年〜)」やその意味では映画「パラノーマン ブライス・ホローの謎(ParaNorman、2012年)」はさらに両者を表裏一体の存在として描き、国際的に女子の共感を獲得。実はこの流れもあって「ハリーポッター・シリーズ(1997年〜2007年、2016年)」への感慨が「ヴォルデモート卿は私達がなっていたかもしれない存在(だからこそ殺せ)」となったり、「シン・ゴジラ(2016年)」への感慨が「鎌田君は私達がなっていたかもしれない存在(だからこそ殺せ)」となった側面も。

  • さだまさし「関白宣言(1979年)」…この曲が発表された頃には既に「亭主関白」は、ある種のファンタジーとしてしか日本に存在しなくなっていた。
    関白宣言 - Wikipedia

    さだが当時山本直純に紹介されて通っていた京都・先斗町のスナック「鳩」のママ(さだは母親と歳が近かったので「お母さん」と呼んでいた)に、「最近の男は駄目になった。だから若い娘も駄目になった。男はん、しっかりしとくれやっしゃ。お師匠はん、そういう歌を作っとくれやっしゃ」と言われたことがきっかけで作られた作品である。そのためあえて男が強気な内容の歌詩を書いたものであり、これを以ってさだの思想であると解釈するのは間違いである。そもそもさだ自身「こんなのが売れるとは思ってなかった」と述べているし、近年では「男は女の付属品です」とも言っている。ちなみに、「関白宣言」を聴いた鳩のママは「お師匠はん、まだ甘おすな」と言っていたという。

③以降の時代にはさらなる衰退が進行。

新井詳「中性風呂へようこそ(2007年)」より

どうして父親は娘から嫌われるのか?

①昭和型マチズモ
*1978年当時の子供達の憧れはTVや漫画の不良で、みんな真似してた。子供にとって大人とは「何をしても痛がらない存在」で、虐め方も「言葉・力・人数の統合芸術的虐め」。「今の方が精神を傷付ける言葉を使うので昔より過酷」というが、当時は至る所で喧嘩が行われて鋳たので目立たなかっただけ。「子供は喧嘩するもの」と思われていた。

  • 男も女も「(不潔さ、ペチャパイといった)性別的弱点」をモロ出しにするのが「人間味溢れる演出」として流行。
  • 中性的な人やオカマを酷く嫌う。オカマは大抵不細工に描かれ、迫られて「ギャー」というギャグが頻発。
  • 美形でお洒落な男は大抵気障で鼻持ちならない役。

②バブル世代特有の(トレンディドラマ的)「男の幸せ」「女の幸せ」のくっきりしたキャラ分け。
*「そんなに男が女より強くて偉くて選ぶ権利がある世界の女ってすっごくつまらない」「なら男になった方がマシ」とか言い出す

  • 恋愛決め付け論「女の人生は男で決まる。御前も何時かいい男をみつけて可愛がってもらうんだぞ」
  • 美男に否定的「ヒョロクテ弱そうな男だ。女みたい」
  • 処女崇拝「(飯島愛を指して)こんな風になったらオシマイだぞ! 傷モノになるなよ!」
  • 母づてに聞かされる「新婚早々、浮気されて苦労したのよ。お父さんもなかなかやるでしょ?」
  • ホモやオカマを極端に嫌う(これ男? 気持ち悪っ!!)
  • 役割決定論「ボタンつける練習するか? 将来彼氏につける練習に…」

要するにどちらも1960年代までは確実に全国規模で根を張っていた(家父長権威主義を含む)戦前既存秩序の残滓。1990年代以降には通用しない。

④そもそもペロポネソス戦争(Peloponnesian War、紀元前431年〜紀元前404年)に敗戦していく過程のアテナイで執筆されたギリシャ悲劇は(夫や息子を戦争で失った)女性に我慢を懇願する内容が急増。ニーチェはこれを「敗北主義」と罵ったが、凄惨な総力戦となった第二次世界大戦にもまた「女性や植民地の本国男性社会への影響力増大」という側面を伴った。戦争はむしろ「父権主義」を破壊するのである。

ましてや敗戦国側の男権主義や植民地侮蔑は、それを振りかざした分だけ女性や植民地人から見下されるという泥沼的ジレンマを伴いました。「この世界の片隅で」の作中で主人公すずが敗戦の日に呟く「この国から正義が飛び去っていく。暴力で従えとったという事か。じゃけぇ暴力に屈するいう事かね。それがこの国の正体かね」の一言にはそうした展開全体を俯瞰する普遍的凄みがあります。世界が輪郭を喪失した一瞬だけ垣間見える景色…

ジョージ・オーウェルが「象を撃つ(Shooting an Elephant、1936年)」に描いた醜悪極まりない世界の実像。当時を憲兵として過ごした森本賢吉に取材した三宅一志「憲兵物語―ある憲兵の見た昭和の戦争(1997年)」に収録された「守り切れない相手の裏切りを責めてはいかん」なる一言とも重なります。

ジョージ・オーウェル「象を撃つ(Shooting an Elephant、1936年)」

 結局のところ、第二次世界大戦に参加した国のうち、終始一方的に勝ち続け、伝統的価値観を守り抜けた国など一つも存在しませんでした。あえて例外を挙げるなら戦勝国側として「黄金の1950年代」を迎えた米国や、以降ますます科学的マルクス主義に没入していったソ連くらいですが、どちらもそうした時代は長続きしなかったのです。
*もちろん生物は、その身体が巨大であるほど致命傷を負ってから完全な死に至るまでが長いとも。

 

ところで朝日新聞社臨時特派員として戦時下ベトナムの最前線で反政府ゲリラの機銃掃射を浴びた事もある(従軍したベトナム共和国南ベトナム)軍200名のうち生還者17名)小説家開高健は上掲の短編「象を撃つ」を「支配スルモノハ支配サレルモノニヨッテ支配サレテイルノダ」の一言で要約。またマルクスも「資本論(Das Kapital:Kritik der politischen Oekonomie 、第1部1867年、第2部1885年、第3部1894年)の中で「この人が王であるのは、ただ、他の人びとが彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。ところが、彼らは、反対に、かれが王だから自分たちは臣下なのだとおもうのである」と述べています。

「夢が人間を導く」と信じる 片渕須直監督はさすが「アレーテ姫(Princess Arete、2001年)」で女性の成長譚を描き切って国際的評価を獲得しただけあって「この世界の片隅で」でも、こういう部分を原作者と協業でしっかりと誰にでも納得がいく様な形で作り込み、さらなる高みを目指への到達を目指した感じがします。
*そのテーマの起源は角野栄子原作・宮崎駿監督作品「魔女の宅急便(Kiki's delivery service、原作1985年〜2009年、映画化1989年)」まで遡るとも。

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