諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ベルサイユのばら】【ブギーポップ】人類は「世界の終わり」を何回迎えてきたか?

上遠野浩平ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王」あとがき

世界に終わりは来るのか? という疑問であるが、しかしながらこの疑問、ちょっと調べればすぐに答えなんぞ出てしまうのである。「え?」とびっくりした人、はい認識不足。人間というもんがこの世に生まれてきてからン万年、もーいっくらでも世界なんて 何度も何度も終わっちゃってます。もっと正確に言うなら「この世の終わりだ」と思っ てしまった人は過去とんでもない数にのぼり、実際にそういう人にとっては世界は確か に終わっているのである。

「それは世界の終わりじゃなくて、ひとつの国とか文化体系が無効化するってことじゃ ないの?」 と思わ れた聡明なあなた。しかし人にとって世界というのは結局「自分が 生きているそこ」ではないのか?  だ としたらそこがひっくら返っちまうってのは、 つまり世界が終わるってことと同じじゃないのか? 

「しかし、それなら再出発とかあるし」とか思ったとしたら、つまりそれは「 世界の 終わり」が来たところでやり直しが きく、ということではないのか。「歴史は繰り返す」という言葉の本当の意味は「なる よーになるさ。どーせやり直せんだし」という ことではないのか。つーか、そういうことにでもしないと、あの歴史の中で「 終わってしまった世界たち」は、ほんとーにただ終わっちまっただけで、それじゃああいつら、何のために苦労して世界をつくってたわけ? まさか怪獣映画のセットみたいに「 壊すためにのみその存在意義がある」とか思ってたわけじゃないんだろう?

どんな ものにでも終わりは来る。それはどうしようもないことだ。そこで問題なのは「 その 上で次に何をするか」ということを見究めることなのだろうと、おそらくは今まさに終わりつつあるはずの世界のまっただ中で、そう思う。しかしあいにく僕らには「都合よく街を壊しに 来てくれる」怪獣はいないようで、ひょっとすると「 終わらせる」のも「 壊す」のも自分たちでやらなければならないらしい。

この種の「世界の終わり」の話を聞くと、真っ先にユダヤ系オーストリア人著作シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig、1881年〜1942年)の最後を思い出します。

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  • ナチスドイツにおけるユダヤ人迫害を逃れるべく1934年に英国へと亡命。バースとロンドンに滞在した後、1940年には米国、1941年にはブラジルへと移住。
    *何と日本では「きんモザの聖地」といわれてるコッツウォルズ (Cotswolds) 地方って「ラブコメ元祖」ジェーン・オスチィン(Jane Austen 1775年〜1817年)だけでなく「ベルばらの聖地」でもあったという驚愕の事実…まぁ「英国随一の保養地」だからそうなるべくしてなる訳とも。

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  • 1942年2月22日、ブラジルのペトロポリスで妻(1939年に再婚したロッテ)ともに、バルビツール製剤の過量摂取によって自殺。死の一週間前には、旧日本軍によるシンガポール陥落の報とリオデジャネイロのカーニバルに接っしており「(貴族文化をその根幹とする)欧州中心主義の終焉」を感じ取り、ひどく悲観的になっていたという。
    *2009年3月になって「アメリカ海軍が新型駆逐艦に彼の名前を付けようとしていると知ってますます絶望した」とする新説が登場。実際には抗議の手紙(手紙の主は、ツヴァイクと親交があった作家トーマス・マンであったと推測されている)によって、アメリカ海軍作戦部長アーネスト・キングがこれを取りやめている。

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  • 遺著となった回想録「昨日の世界(Die Welt von gestern、1942年)」は、著者が「既に失われた」と考えたヨーロッパ文明への賛歌でもあり、今日では20世紀の証言としても読まれている。

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しかし実は、彼が敬愛してやまなかった「昨日の世界=ハプスブルグ帝国中心史観」の崩壊なんて、とっくの昔から始まっていたのです。
岩倉使節団(1871年〜1873年)が残した「特命全権大使米欧回覧実記(1878年)」は、その最後の光芒を捉えた屈指の歴史証言として、国際的に尊重されている。

  • 最初の大きな発端は「東禍(ロシア帝国や東欧諸国の飢餓輸出)」や「米禍(産業革命がもたらした南北アメリカの安価で高品質な農畜産物の大量流入)」が引き起こした「大不況時代(1873年〜1896年) 」だったとされる事が多い。

    産業革命の影響を受けて「大量生産・大量消費」の時代となり、経済消費の主体も王侯貴族や聖職者などからブルジョワ階層や庶民に推移。この変化を受けて衣食住ばかりか「好んで読まれる物語」の内容も大きく変貌を遂げる事に。

  • この流れを決定的なものとしたのが、第一次世界大戦(1914年〜1918年)を契機として起こった「ロシア革命(1917年)」と「敗戦に伴うハプスブルグ帝国とオスマン帝国の解体」。歴史のこの時点においてハプスブルグ帝国中心史観は事実上その歴史を閉じる事に。

    *「基本的に喪失した…宮廷料理史に目を向けると「在野に下る事を良しとしなかった、宮廷料理人達はスペインやイタリアの宮廷に逃げ込んだ」なんて記述も出てくる。もしかしたら「ロシア風ポテト・サラダ(Ensaladilla rusa)がスペインのバルで定番料理となってる」理由とも?
    スペイン料理」とは何か?

    *ここでややこしいのはハプスブルグ帝国から独立したイタリア王国ドイツ帝国の位置付け。カール・マルクスもハプスブルグ家中心史観は無条件に受け入れており、さらにフランス皇帝ナポレオン3世を憎んでもいたので、両国のハプスブルグ帝国からの独立を「国際正義への裏切り」としか考えられない思考様式に凝り固まっていた。その立場からすればドイツ帝国の崩壊とヒトラーの台頭、イタリアにおけるムッソリーニの台頭などは果たしてどう映ったやら。

実は、池田理代子ベルサイユのばら(1972年〜1973年、アニメ化1979年〜1980年)」の原案となった評伝「マリー・アントワネット(Marie Antoinette、1932年)」 も、シュテファン・ツヴァイクの手掛けた作品で、マリー・アントワネット王妃に「傾国の外国人毒婦」のレッテルを貼ってスケープゴートとした近代以降のフランス人に対して、こうした「昨日の世界」の歴史観から反駁するのが主目的だったのでした。

当時のTV番組で、アニメ版「ベルサイユのばら」をフランス人に見せたら「どの国の歴史観」と逆に聞き返されたなんてエピソードが放映されてました。「マリー・アントワネットの愛人」フェルゼン伯爵だって、スウェーデン史観における評価でも「1810年に群衆に撲殺された絶対君主グスタフ3世の寵臣にして冷酷な領主」と散々。それもそのはず。我々日本人がベルサイユのばら」を通じて「フランス史」と信じてきたものは、要するに(外交革命(1756年)の証としてマリー・アントワネットを輿入れさせた)ハプスブルグ帝国中心史観に基づく内容だった訳ですから。
*ただし20世紀後半のフランスを席巻したアナール学派(仏: L'école des Annales、英: Annales School)の歴史観は割とこちらの立場に近く、最近ではフランス人もあまり「フランス革命(1789年〜1794年)がなければ近代は始まらなかった」などと大上段に主張しなくなってきた。

  • 実はツヴァイクマリー・アントワネット」には「妖怪絵師」ダヴィット(Jacques-Louis David, 1748年〜1825年)と双璧をなす「フランス革命期から王政復古期までを生き延びた政治的化物」 オトラント公爵に取材した評伝 「ジョゼフ・フーシェ(Joseph Fouché、1929年)」の前日譚に当たる側面もある。

  • その「マリー・アントワネット」の中でツヴァイクが描いたのはロココ文化の絶望的なまでの軽さ」と、そうした御伽噺めいた風景を背景に水面下で展開するアルトワ伯爵やオルレアン公の間で繰り広げられる王位継承争い。

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    ①アルトワ伯爵は復古王政時代にシャルル10世(Charles X、在位1824年〜1830年)として即位すると絶対王政復活を志向して7月革命(1830年)を引き起こす。陰謀の陰では「炭焼党(伊Carbonari、仏Charbonnerie、1806年〜1832年)」が動いていた。

    ②オルレアン公は「バスティーユ襲撃(prise de la Bastille、1789年7月14日)」と「ヴェルサイユ行進(La Marche des Femmes sur Versailles、1789年10月5日)」の黒幕と目されている。しかし革命運動のイニチアシブを握るどころか、自らもギロチンの露と消えてていく。
    バスティーユ牢獄襲撃
    ヴェルサイユ行進
    *アニメ版「ベルサイユのばら」におけるオルレアン公の扱いはダースベーダー卿もかくやという有様で、任務に失敗した工作員は口封じの為、男でも女でも容赦なく自らの手で殺してしまう。逆にフランス史観では完全なる人格者(何しろ王統に連なる人だから悪く書けない)。ちなみにツヴァイク版での描かれ方は「金だけは腐るほど持っていた働き者の馬鹿」という感じで、これが最も当人に近いと考えられている。

    その末裔が念願通りブルボン家後継王統となったが、やはり2月革命(1948年)によって放逐されてしまう。しかし王統派が完全に政権奪還を諦めるのは皇帝ナポレオン三世が失脚した1870年以降。

  • 今日なお「皇帝ナポレオン三世は無能過ぎて何一つ成し遂げる事が出来なかった」なるマルクスの主張を頑なに信じ続けている守旧派マルクス主義者勢を除き、最近のフランス人は概ね近代フランスの産業インフラが第二帝政時代(1851年〜1870年)に構築された事、その事業を主導したのが「馬上のサン=シモン」こと皇帝ナポレオン三世および彼の集めたサン=シモン主義者達だった事を事実として認めている。

    しかし「フランス近代文学の父」フローベール同様、シュテファン・ツヴァイクもまたこうした産業発展史面にはあえて目を背けていた感がある。カール・マルクスもそうであった様に、おそらくハプスブルグ帝国中心史観なるもの、そもそも皇帝ナポレオン三世については徹底的に冷たいのである。

それでは、 ここでいう「昨日の世界」は実際にはどういう内容だったんでしょうか。 

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  • 神中心主義」…「あらゆる学問の存在意義は神学への奉仕にある」と規定され、明るい未来を保証してくれる「神による人類救済計画」の盛り込まれた普遍史観を供給。リスボン地震(1755年)を契機に揺らぎ始め、科学実証主義の発展によりこうした考え方が時代遅れになると「人間の幸福とは時代精神Zeitgeist)ないしは民族主義(Volksgeist)との完全合一を果たして自らの役割を得る事」とするヘーゲル哲学がそれに代わって欧州を席巻。

  • 啓蒙主義」…フランス知識人が中心となって世界中の知識を統合し、思わぬ形でパラダイムシフトが発生するのを防ごうとした。第二帝政時代(1852年〜1870年)には皇帝ナポレオン三世とサン=シモン主義者が産業分野において同様の試みに挑戦している。

  • (国王や教会の権威的裏付けに基づく)領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的伝統」…理論上は1948年の2月/3月革命で欧州中心部から撤廃された筈だったが、その時代まで農奴制が履行されていた様な地域に限って、それに代わる新しい体制が生み出される事はなかった。解放された農奴達がアメリカに移住したり、他所に働き口を求めて去っていった穴は、代わってより後進的な地域から流入してくる外国人小作人達によって容易く埋める事が出来たからである。

こうした内容はそっくりそのまま共産主義にスライドしたという意見もあります。そもそも「全てに神を見る」立場と「一切に神を見ない」立場は表裏一体。何もかも単一の体系下に編纂し尽くそうという基本姿勢が相似するシステムを生み出してしまうとも。

  • 唯物史観 …明るい未来を保証してくれる「マルクス主義による人類救済計画」の盛り込まれた歴史観を供給。しかし一向に実績が上がらず、次第に形骸化していき、誰も信じなくなっていく。

    マクグラスは、マルクスの宗教批判について、こうまとめます。「希望についてのキリスト教の教理に対するさらに持続的な批判が見られるのは、カール・マルクス著作においてである。マルクスの主張によれば、宗教一般は現在において苦痛に耐えている人々を、死後の生の歓びを説くことによって慰めようとする。そのようにすることで、 人々は苦難を終わらせられるように現在の世界を変革するという課題から関心を失ってしまう。多くの点でマルクス主義は世俗化されたキリスト教の終末論であると見做され得る。そこでは「革命」が世俗化された「天」の対応物なのである。」

    マルクス自身にも確かに希望の理念はありましたが、徐々に資本主義社会の内在的論理の解明に関心が移っていきました。マルクスの希望の理念を甦らせたのは、マルクス主義哲学者のエルンスト・ブロッホです。ブロッホの『希望の原理』は、ユルゲン・モルトマンの『希望の神学』に強い影響を与えました。モルトマンの神学的解析によって、ユダヤ教キリスト教が想定する天を180度前に倒して、地上の未来の希望としたのがマルクスの終末論であることが明らかになりました。超越性が、形而上的な上から、歴史的な未来に転換したのです。

  • マルクス主義科学」…「あらゆる学問の存在意義はマルクス主義の証明にある」と規定した結果、1960年代以降次第に停滞状態に陥っていく。ある種の暗黒時代の再来とも。

  • 計画経済…「人民の幸福とはマルクス主義との完全合一を果たして自らの役割を得る事」なるイデオロギーはまさしくヘーゲル哲学の復古版。自由労働市場が存在しない為、職を得るには権力者の慈悲に縋るしかないという点において「領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的伝統」を事実上継承。

 確かにシュテファン・ツヴァイクが愛した様な「優雅な装飾」は一切排除されてしまいましたが、基本構造はそのまま。しかしそれすらもフルシチョフによるスターリン批判(1956年、1961年)、これを契機とする自由経済圏における新左翼運動の盛り上がり(1960年代)を経て完全に信頼性を喪失。こうした結果を受けて自由経済圏の共産主義者達は1970年代以降、拠り所をマルクス主義から環境運動、反戦運動、人権運動、女性解放運動といった「人が後ろ指を指すのが困難な絶対正義」にシフトさせていきます。
*「優雅な装飾」…とはいえ自由経済圏においては、経済効率の悪さから王侯貴族や教会といったランティエ(Rentier、地税生活者)が全権を握る体制なんてもっと率先して放棄されている。ハプスブルグ帝国やオスマン帝国でも先進的地域においては割と対応が進んでいた。

  • ソ連崩壊(1991年12月)はまるで朽木が倒れる様にあっけなく進行したが、それもその筈。歴史のその時点ではもう上掲の様な「内容」なんて跡形も残存していなかったからである。

    海外の論調

  • その後、旧共産圏では「共産主義は瘡蓋(かさぶた)」理論が広まる。①共産主義を受容した国の多くは自由主義経済圏にそのままでは加われないほど産業基盤整備が遅れている後進国だった。②それらの国々では共産主義体制下において、その整備が黙々と進められた。③1990年代までに一通り準備が終わり、連鎖的に共産主義体制放棄が進行した。開発独裁体制から民主主義体制に移行した台湾や韓国の例も同様の理論で説明された。
    ベトナムキューバについてどう考えるべきなのかは正直難しい。

  • もちろん中国共産党北朝鮮労働党などは、現在なおこうした解釈を一切認めてない。日本のリベラル層の価値判断基準もこれに準じている?

さて、この間に「世界の終わり」はどのタイミングで何回訪れたのでしょうか?

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ドラえもん のび太の世界の終わり。 : yt-online Blog

全体像を改めて俯瞰してみると、この年表の範囲では都合2回?

  • 日本の江戸幕藩体制下において、戦国時代の楽市楽座が生み出した大名と御用商人の癒着体制が元禄時代(1688年〜1704年)までに株仲間(参勤交代の為の交通網整備に便乗して全国規模で結びついた富農や富商の連合体)によってほぼ駆逐される。
    *欧州史にこの節目が存在しないのは、地域ごとの経済格差が著しく20世紀に入ってなおその段階まで到達してない国さえ存在していたせい。「共産主義瘡蓋(かさぶた)論」では、そうした後進国共産主義導入を必要としたとされる。

  • シュテファン・ツヴァイクいうところの「昨日の世界」の実質的終焉が(ハプスブルグ帝国やオスマン帝国が解体された)1918年頃。
    フランス革命期(1789年〜1794年)をカウントしないのが最近の流行。

  • その残滓を継承した「マルクス主義」の実質的終焉が1960年代末頃。
    ソ連崩壊(1991年12月)時点では既に守るべきものなど何も残っていなかった。

そのさらなる残滓を継承した「環境左翼」「反戦左翼」「人権左翼」などは半世紀を経た今も現存しています。
*ただし「普遍的イデオロギー」を手放した代償は大きく、最近は国際的にその急進派が「現状懐疑派」として右翼急進派と一緒くたに扱われる局面も。実際欧州では組織として規模が小さくなり過ぎ、双方とも一般市民から毛嫌いされている極左テロリストと極右テロリストが共闘してきた歴史がある。

一方、気づくと「ラッサール(Ferdinand Johann Gottlieb Lassalle、1825年〜1864年)の弟子達とプロイセン宰相ビスマルクの提携」とか「レーニン(Влади́мир Ильи́ч Ле́нин、1870年〜1924年)による米国産業界からのテイラー主義採用」といった歴史とも関係してくる「数値化された世界を(常に見落としがないかチェックしながら)とりあえず基本的には信頼する態度」が、かつてのハプスブルグ帝国中心史観の位置付けになってました。無論「数値の解釈(および見逃してるファクター)をめぐる議論」なら幾らでも喧々諤々と続くのでしょうが「数値化された世界」そのものに「次」があるとは思えません。

ラサール

*一応「数値化された世界」導入自体は16世紀まで遡るが、国王の都合が全てに優先される絶対王政期の管理は今よりはるかに粗雑な内容だったのである。

ところで冒頭の引用が指摘する様に、確かに1990年代後半にも「この世界はおそらく、今まさに終わりつつある」という空気の充満ならあったのです。

  • フランスの医師・占星術ノストラダムスが著した「予言集(初版1555年)」に「1999年7の月に人類が滅亡する」と書かれているとした五島勉ノストラダムスの大予言(1973年〜1998年)」の大流行。

    *まずはこれについて触れざるを得ない。当時に触れた著作物では、この時代独特の閉塞感に耐えかねて「いっそ本当に滅んでしまえば良かったのに」という言及のされ方をしている点も含めて。選挙に敗れたオウム真理教サリン散布事件(1994年〜1995年)も、「新世紀エヴァンゲリオン(TV版1995年、旧劇場版1996年〜1997年)」の大ブームも、この問題と切り離しては語れない。

  •  米国ヒッピー世代の中年危機。およびソ連崩壊(1991年12月)を契機とする共産主義の連鎖的放棄現象にショックを受けた日本左翼の沈鬱。
    *90年代に入ると1960年代後半のニュー・ウェーブ運動の薫陶を受けたハイ・ファンタジー文学やTV系サイバーパンク文学が「中年危機」を前面に押し出す様になった。

    *日本では明らかに1970年代後半に始まる「左派合作」に伴うイデオロギー面の崩壊のツケが回ってきた側面もあった。

    八二年の反核運動が明らかにした左翼陣営の退廃

    八二年の反核運動には一面としては----というより主として何よりも、戦後左翼運動の断末魔の叫びであり、終焉の合図であった。この運動には、社会党共産党のいわゆる「旧左翼」から、六〇年代以降に誕生した「新」左翼諸党派や全共闘の流れを汲む無党派市民運動まで、日本に現存するほぼすべての左翼が大同団結し、最終的には二千万だか三千万だかの署名を集めるほどの反核世論の高揚を生み出したという。東京や大阪では、五十万だかの反核集会を実現した。量的には全共闘以来といえる左翼運動のこの突然の高揚は、実は最低の質と表裏をなしていた。

    戦後一貫して革命的左翼とともにあった思想家・吉本隆明は、このとき反核運動を徹底批判する挙に出て、以後少なくとも左翼運動の実践の場からは吉本派の姿は一掃されたと云ってよい。吉本隆明反核運動に敵対した反動思想家であるというレッテルは、現在に至るも左翼運動の世界で一般的に流通している。

    吉本隆明が云ったのは、簡単に云えば以下のようなことだ。「反核」などという、誰も表立っては反対できないような「わかりやすい正義」をふりかざすようになったら、もはや左翼もおしまいだ。

    共産党新左翼諸党派はそもそも単純な正義をふりかざすのがアイデンティティのようになっているのだから仕方ないとしても、あのラジカルな全共闘直系の無党派市民運動までもが、吉本隆明によるこのそれこそあまりにも単純でわかりやすい批判を、まったく理解できないまでに頽廃を極めていたのである。もっとも、その程度の感性あるいは思想的誠実さを持ち合わせているようなまともな人間は、この十年前の連合赤軍事件に深刻な衝撃を受けてとっくに左翼の実践運動とは一線をおくようになっていたということかもしれない

    「85年の断絶」

    世界中どこでも、革命的なムーブメントにおいて通常は「政治、芸術、思想」の運動は一体である。日本においても、そうであった。そしてその上で「五〇年」「六〇年」「七〇年」と、戦後の運動史はつねに、新しい世代が前の世代を批判的に乗り越える、という形で展開してきた。これは「八〇年」に関しても同じである。サブカルチャー運動は、全共闘運動を「左から」批判する運動である。しかし何度もくりかえすようにそれは「政治」の領域を欠落させた不完全な革命運動であった。その欠落していた「八〇年」的な政治運動は、数年の時差をおいて現れ、しかもそれは同世代の芸術・思想運動と反目し、むしろ「七〇年」の政治運動と結びついたばかりか、そのまま次の「九〇年」の運動の源流となった。結論から云えば、このとき歴史が混乱したのである。

    「八〇年」までは、批判という形であれ、前の世代の試みは次の世代に継承されていた。それゆえ「八〇年」のムーブメントの当事者たちは、「六〇年」や「七〇年」の運動についてよく知っているし、同時にそれらに対する批判的な視点をしっかり持っている。しかし、出遅れた「八〇年」的政治運動は、いわば孤児になってしまった。それは前世代の政治運動と、結びついてはいるが本当の意味で継承はしていない。なぜならそれは、前の世代を批判的に自身の世代に結びつける「脈絡」の自覚、要するに思想運動を欠いている(切り離されている)からである。彼らは「七〇年」を継承しているのではなく、単に引用しているのである。重要なのは、その引用は、脈絡を「無視して」おこなわれるのではなく「理解せずに」おこなわれていることである。前者ならばそれはむしろ「八〇年」の芸術運動の典型的な手法であるが、彼らの引用は後者なのである。

    八二年の反核運動が明らかにした左翼陣営の退廃

    八二年の反核運動には一面としては----というより主として何よりも、戦後左翼運動の断末魔の叫びであり、終焉の合図であった。この運動には、社会党共産党のいわゆる「旧左翼」から、六〇年代以降に誕生した「新」左翼諸党派や全共闘の流れを汲む無党派市民運動まで、日本に現存するほぼすべての左翼が大同団結し、最終的には二千万だか三千万だかの署名を集めるほどの反核世論の高揚を生み出したという。東京や大阪では、五十万だかの反核集会を実現した。量的には全共闘以来といえる左翼運動のこの突然の高揚は、実は最低の質と表裏をなしていた。

    戦後一貫して革命的左翼とともにあった思想家・吉本隆明は、このとき反核運動を徹底批判する挙に出て、以後少なくとも左翼運動の実践の場からは吉本派の姿は一掃されたと云ってよい。吉本隆明反核運動に敵対した反動思想家であるというレッテルは、現在に至るも左翼運動の世界で一般的に流通している。

    吉本隆明が云ったのは、簡単に云えば以下のようなことだ。「反核」などという、誰も表立っては反対できないような「わかりやすい正義」をふりかざすようになったら、もはや左翼もおしまいだ。
    *逆を言えばこれ以降「誰も表立っては反対できないような、わかりやすい正義をふりかざして人を支配しようとするのが左翼」という定式が成立する事に。これは別に日本だけでなく国際的に「マルクス主義」なる普遍的イデオロギーを喪失した左翼陣営全般にいえる事であり、その独善性ゆえにますます国民感情からの乖離が進行し、苛立った左翼陣営側が「貴様ら全員一刻も早く全員絶滅収容所送りにすべきナチス」と反駁せずにはいられないほど煮詰まっていく主要因となっていく。そして同時進行で「同類相憐れむ」の例えの如く同様に国民感情から乖離した極右急進派に接近し、「そもそも身障者やユダヤ人や黒人や東南アジア人を同じ人間と認めるほうがレイシスト」といった辺りにコンセンサスを見出していく。そう、絶対悪たるナチスを倒す為には、手段なんて選んでいられないのである!!
    共産党新左翼諸党派はそもそも単純な正義をふりかざすのがアイデンティティのようになっているのだから仕方ないとしても、あのラジカルな全共闘直系の無党派市民運動までもが、吉本隆明によるこのそれこそあまりにも単純でわかりやすい批判を、まったく理解できないまでに頽廃を極めていたのである。もっとも、その程度の感性あるいは思想的誠実さを持ち合わせているようなまともな人間は、この十年前の連合赤軍事件に深刻な衝撃を受けてとっくに左翼の実践運動とは一線をおくようになっていたということかもしれない

    そもそもポストモダン運動の根幹には(「反マルクス主義的」のレッテルを貼られたノーバート・ウィーナーのサイバネティックス理論の様に)線形数学で全ての現象を説明しようとする姿勢に非線形数学導入によって対抗しようとする姿勢が存在した。

    867夜『サイバネティックス』ノーバート・ウィーナー|松岡正剛の千夜千冊

    しかし非線形数学導の難解さを隠れ蓑に「似非数学者」がブイブイいわす様になり、海外ではそうした輩がソーカル事件(1994年)によって一掃される事になった訳である。特に凋落が著しかったのが原典の難解さにかこつけて勝手な擬似科学的解釈が横溢していた「ジャック・ラカン派」と「ジョルジュ・バタイユ派」。

    911夜『テレヴィジオン』ジャック・ラカン|松岡正剛の千夜千冊

    東浩紀らはゼロ年代中盤以降、ジャック・ラカンを援用して「セカイ系」の概念を規定したが、その頃にはもうジャック・ラカンのそうした用例は近代医学の世界における瀉血と同じくらい時代遅れとなっていたのだった。
    *メラニー・クライン(Melanie Klein, 1882年〜1960年)が引き起こした「(全てを人格間の関係に還元しようとする)自我心理学から(外界へのイメージ投影能力の発達過程そのものに注目する)対象関係論へ」のパラダイム・シフトにより、自我心理学の立場から同様の現象について語ろうとしたレインやラカンの韜晦な表現は不要となった。後者はGAMEジャンルでいうFPS(First Person Shooting)的な認知空間で、前者とは逆に「他者」には直接認識対象としている「セカイ」を通じて間接的に繋がってるだけという立場に立つ。

  • バブル崩壊(1991年3月〜1993年10月)を契機とする「失われた20年」の始まり。そしてタイを発端とするアジア通貨危機(1997年7月〜)、ロシア通貨危機(1998年8月17日〜)、ブラジル通貨危機(1999年1月〜)。
    角川春樹逮捕(1993年8月29日)と角川商法の終焉についても「バブル時代のイケイケ商法を止めない独裁者を排除する為の内部密告だった」とする説がある。アジア金融危機を招いた韓国でも、金大中大統領が同様に「バブル時代のイケイケ商法を止めない」大宇財閥をグループ解体に追い込んでいる。

 まぁこれだけ不安要素が重なれば大人が自信を失い何も語らなくなったのは仕方のない事だったのかもしれません。かくして放置状態で個々が自らの存在不安と向き合わざるを得なくなった子供達は試行錯誤しながら「自分の五感で感じられるものしか信じられない時代」「デスゲームを通じてしか生きてる時代を回復できない時代」を手探りで進めていく事に。

*「自分の五感で感じられるものしか信じられない時代」…ここに「金銭で売り買いする(数値化する)」が含まれるのが一つの突破口。援助交際の流行やそれと表裏一体の関係にある「分不相応なブランド志向」、さらにはSNS上における回覧数や「いいね」獲得もこれ。「自己承認欲求」というより「数値化」そのものに習慣性があると考えるべき。そう単純化する事によって初めて「オルタナ右翼(Alt-Right)=4chanや8chanやReggitに匿名アカウントで潜んでファクトチェックの甘いFacebook上の保守層を扇動して喜んでる層」も「国際SNS上の男子アカウント」も「絶えずJokeを連発し続ける事で自らを無理矢理Highに保ってるが、実際には何も信じてないニヒリスト」という意味では等価である事の意味が見えてくる。

かくして上遠野浩平ブギーポップ・シリーズ(1998年〜)」や「Serial experiments lain(1998年)」が時代の顔となる展開に。日本が「国際的に通用するラノベ作品」を次々と発表する様になるのはこれ以降。ただこの展開自体に「世界の終わり」や「世界の始まり」が絡む事はなかった様です。

  • よく「セカイ系作品の特徴は、国家や国際機関、社会やそれに関わる人々がほとんど描写されることなく、主人公たちの行為や危機感がそのまま世界の危機にシンクロして描かれる事」とされるが、そういう展開の作品自体は尾崎紅葉金色夜叉(1897年〜1902年未完)」とか平井和正石森章太郎共作「幻魔大戦(1967年〜未完)」とかこの時代のはるか以前から無数に書かれてきた。

  • そもそも、それをいうなら独立戦争を自警団で戦い抜き、学校の教科書にまで「この国は無名の人々が必要な時に立ち上がる事で支えられてきたのです」と書かれているMasked Heroの国アメリカは「セカイ系の総本山」になってしまう。

  • むしろ以降の作品が国際的に認められていった鍵は、そうした「動員」に対して「面白く斜に構える」様になった点が大きいとも。確かに中二病も国際SNS上の関心空間も、どちらかというと社会貢献とは無縁なつまらないものばかり次々と生み出す傾向が顕著だが、実は「アンガージュマン(Engagement)」なる言葉が、主に(普遍的イデオロギーを放棄した)環境運動や反戦運動や人権運動を仮面をかぶった政治運動に利用される事や、ファクトチェックの甘いファクトチェックの甘いFacebook上の保守層を政治的に扇動したりする事を意味する様になった時代には、読者を「そういう活動に魅力を感じない」方向に導くだけで十分社会貢献してるともいえるのかもしれない。
    *「社会貢献とは無縁なつまらないものばかり次々と生み出す」…大人をただ喜ばせる事なんてしたくない年頃だというのも確実にある。そしてその対価として彼らを政治動員出来ない事を悔しがる層から国際的に「引き篭もりの社会不適合者集団」とか「猫を崇める悪魔主義に精神汚染された精神病患者達(一刻も早く治療が必要)」とか様々なレッテルを貼られる事になる。

まぁこの「面白く斜に構える」って辺りが意外と簡単に出来そうで出来ない訳で…さて、ここで質問。この年表範囲に「世界の始まり」は幾つ含まれていたと考えます?