日本人にとって「赤穂浪士」は冬の風物詩…
赤穂浪士の討ち入りの発端となった江戸城「松の廊下」の刃傷(にんじょう)事件直後の吉良上野介の様子を記した文書が京都の西本願寺で見つかり、当時の様子をうかがうことのできる貴重な史料として注目を集めています。
見つかったのは、吉良上野介と関わりが深かった京都の西本願寺から江戸の築地御坊、現在の築地本願寺に宛てて書かれた書状の控えです。京都市下京区の本願寺史料研究所が西本願寺が保存している資料の中から見つけました。
書状は、江戸城「松の廊下」で上野介が浅野内匠頭に斬りつけられた刃傷事件からおよそ3週間後の日付で、「吉良殿の傷が比較的浅く、ふだんどおりに食事をとっていると聞いたので、お見舞いにうかがうように」という内容が記されています。そのうえで、浅野内匠頭が斬りつけた理由について、「乱心した」という情報しかないのでさらに調べるよう、築地本願寺に求めています。
本願寺史料研究所の大喜直彦上級研究員は「西本願寺の情報収集でも、刃傷事件の詳しい理由がわからなかったということから、当時、理由が明らかにされていなかったことがうかがえる。これまで事件直後の史料はほとんど見つかっていないので大変貴重だ」と話しています。
現存する当時の武家日記の大半は、この出来事について「山鹿流兵法師範が、どうして刀を振り上げた? そこは、問答無用で突くだろ、普通」と記していたりします。要するに当時の「乱心」は、まずこの領域で把握しないといけないのです。そして以外とこの種の話題には国際性が…
ところで、こんなところで何やってるんですか、Stingさん…しかも物凄く楽しそう…
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短剣の一種で、中世期後半、チェインメイル(鎖帷子)が普及し、それまでの剣等ではなかなか相手にダメージを与えられなくなった時代に発明されたと言われる武器。イタリアの北ヴェネト(Veneto)州で作られたものはフセット(fusetto)と呼ばれる。
*フセット(fusetto)…その最大の特徴は剣身に目盛りが刻んである事。数字も刻まれており見た目通り定規の役割を果たす。 イタリア砲兵はこれを砲腔や砲弾を測定して大砲の口径を測ったり、火門を掃除したり、火薬袋の穴あけ等にも用いていたとされる。瀕死の重傷を負った騎士にとどめを刺すことから、「慈悲」(羅misericordia、英mercy)の一撃を与えるという意味でミセリコルデ(misericorde)と呼ばれた。
十字架の様な形状で、先端が尖っている。また、短剣の部類としては長身で、大概は全長30cm程である。先端は鋭利だが、両側に刃は付いていない。用途的にも日本の「鎧通し」に似る。
針の部分が四角、三角、あるいは平たい形状のものもあるが、使い方は一緒である。殺傷を目的として、鎖帷子や鎧の隙間を狙って敵を突き刺すのに使うために作られた武器である。達人は鎧ごと貫く事も出来たと言われるが、他の武器に比べリーチが余りに短いため、メインの武器ではなく、とどめ専用として携帯されていたとされる。12世紀以降にドイツやイングランドで武器として使用された。
イギリスの作家ケン・フォレットが1978年に発表し、1981年に映画化もされたスパイ小説『針の眼』では、携行性の便利さから暗殺者が愛用する武器として設定されている。
「短剣の刃に目盛り」…これが「ヴェネツィア流リアリズム」?
状況によって必要な長さは違うはずです。騎兵として敵にぶつかるばあいは長ければ長いほど有利でしょう。しかし、打撃で敵を倒さず、相手を確実に殺したい場合はある程度短いほうが有利です。敵の鎧の隙間を突くには、短いほうが狙いを的確にできたはずです。
ちなみに、源平合戦以前から存在する武士の最終決戦方法である組打ちは、脇刺と呼ばれる短い刀で行われます。お互いがお互いの鎧を手でつかみ、鎧の隙間に刃を差し入れる戦闘では長い刀など役に立たないのです。
まさにこの感覚自体が「兵法者(どれだけ効率的に殺せるか競い合う殺人芸人)集団」から「(軍人や警察官を含む秩序の守護者としての)官僚集団」へと推移していく過渡期にあった元禄時代(1688年〜1704年)の武家心理に関する貴重な同時代証言とも。
- 「官僚」にとっては「(戦線を維持する為の)兵站線」と「(その信頼性を維持する為の)偵察」こそが戦争の主役で「戦場」なんてその末端に過ぎない。
- 一方「兵法者」にとっては「戦場」こそが戦争の主役でなければならず(絶えざる情報不足の環境下で的確に動き続ける為に)練り上げてきた「天才の直感」が物をいう世界。
第二次世界大戦(1939年〜1945年)の戦記ファンなら「野武士の如きパットン大戦車軍団の大暴れ」とか「アフリカ戦線におけるモンゴメリー将軍の勝利とロンメル将軍の悲劇」辺りを想起したかもしれません。
「第六感」と「輪廻転生」を信じていたアメリカ陸軍の猛将パットン将軍
壮絶なジレンマですが、もちろん両者がバランス良く「戦争」を分担せねば最終的勝利なんておぼつかない訳で「常在戦場の心理」なるモットーもこれに由来します。庵野秀明監督作品「シンゴジラ」は、まさにこのジレンマを目の当たりにさせてくれた娯楽作品でした。
それでは果たして「侍(Samurai)」とは一体何者たるべき存在だったのか?
*「侍(Samurai)」の原義は「侍従」で、こうしたジレンマは欧州騎士道にもつきまとう。所詮は浅ましい人間集団に過ぎないローマ教会も(国王までをも含めた)領主家臣団内部で繰り広げられる立身出世争いもおぞましい。ならば我々は誰にこそ自らの剣を捧げるべきなのだろうか? まぁ生物学的には性差より個人差の方が大きいとされる。男なら必ず騎士や侍になれて、女なら必ず国主や姫様になれるというものでもないらしいのである。
まぁ確かに「数値主義」も「官僚主義」も「自分達だけの勝利=他を圧倒しての存続・拡大」のみを目的としてきたなら「世界の敵(Public Enemy)」認定は不可避。そしてだからこその「絶対王政期における官房学(Kameralwissenschaft、独Kameralismus、英Cameralism)」や「国民の為の国家福祉主義」だったという次第。ここを履き違えると「暴力と福祉の権利の独占を志向してきた国家こそ絶対悪」「それの打倒を目指す我々こそ絶対正義」なんて革命優越主義に陥ってしまう訳で。
まさしく安倍吉俊「灰羽連盟(Ailes Grises、2002年)」で提言された「罪を知る者に罪はない。ならばお前にとっての罪とは何か?」の世界?
村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(1995年)」 - Wikipedia
東浩紀は、本作が1990年代後半以降の「セカイ系」の基本フォーマットになったと語っている。
本作品をモチーフとしたアニメーションに『灰羽連盟』が挙げられる。原作者の安倍吉俊はこの作品(特に「世界の終り」の章)から非常に影響を受けたと『Animerica』のインタビューに対し語っている。実際に(街に入ったときに記憶を失うこと、鳥だけが越えられる意思を持つ壁に囲まれた街、森へ立ち入ることへの禁忌など。)など様々な共通点が確認できる。
とりあえず上遠野浩平「ブギーポップ・シリーズ(1998年〜)」のさらなる源流まで遡ろうとしても、この辺りまでしか遡れませんね。
それ以前の時代まで遡ろうとすると「ソ連崩壊(1991年12月)」とか「バブル崩壊(1991年3月〜1993年10月)」とか「角川春樹逮捕(1993年8月29日)に伴う角川商法の終焉」とか「選挙に敗れて捨て鉢になったオウム真理教のサリン散布事件(1994年〜1995年)」とか「旧世代の繰り言」にどうしても付き合わされる事になってしまいます。