諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【エドガー・アラン・ポー】【年表】E.T.A.ホフマンと並ぶ前近代と近代の架け橋?

エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe,1809年~1849年)

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Patrick was here..., Looking at your notes and mentions when it’s taken...

「奥様の名前はヴァージニア。そして旦那様の名前はエドガー。ごく普通の二人はごく普通に恋をして、ごく普通に結婚しました。でも唯一違っていたのは、奥様は少女だったのです…」

 

1833年9月 ボルティモアの郡裁判所から従姉妹ヴァージニア("sissy")との結婚許可を受ける。当時ポーは26歳、ヴァージニアはまだ結婚不可能な13歳1ヶ月であったが、結婚誓約書には21歳と記されていた。

1835年 幼女が成長して大人の女性になる事に憎悪と恐怖しか感じられない切実な心情を盛り込んだロリコン譚「ベレニス (Berenice)」「モレラ (Morella)」を発表(ヴァージニア15歳)。

 

「ベレニス (Berenice、 1835年)」

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— I’ll be unveiling some new Poe-inspired art at the...

ある街にその地方で一番古い屋敷に住む由緒正しき一族があった。ただしその屋敷はとても複雑な構造をしており、大居間の壁画、寝室の壁掛、武器部屋の彫刻、どれをとっても何もかもが古めかしく陰気なので、街の住人は陰で「幻視者の血統」と呼んでいた。

主人公のエグスはこの一族の一員であり、その家の図書館で生まれ、その場で母が死んでいる。それ以降は少年時代の全てと青春の殆どを図書館で思索する事に費やしてきた。その結果、想像の世界の方が現実で、現実はむしろ夢か幻の様にしか感じなくなってしまっう。またその辺に転がってるようなつまらないものに異常に興味を惹かれる事があり、いったん関心を持つと何時迄もそれに執着し続ける心の病も抱えていた。例えば、ある本のちょっとした図にすっかり魅入られてしまい、それについて果てしなく思いを巡らせ続けたり。床に落ちる影やランプの炎を延々と眺め続けたり。1つの花の匂いについて毎日毎日考えこんだり。所謂「偏執狂(一つのことに異常な執着をもち、常軌を逸した行動をする人)」というやつである。

ただ彼は孤独ではなかった。先祖代同じ屋根の下で一緒にに暮らしてきたベレニスという従兄妹がいたのである。エグスと違って美しく活気にあふれ、毎日無邪気に元気に丘で遊んでいたが、ある時以降とても重い病気に罹って外見も精神も別人のように変貌し、しばしば癲癇の発作を起こして仮死状態となる様になる。

今や愛すべき対象から恐れるべき対象に変貌したベレニス。しかしエグスは彼女が以前からずっと自分を愛していたことを思い出し、すっかり痩せ衰えて骨と皮ばかりとなった彼女に結婚を申し込む。そして結婚式が近づきつつあったある冬の午後、図書室で本を読むエグスの前に、ふと気づくと亡者のようなベレニスがぼうっと立っていた。その時には玉の様だった黒髪が明るい黄色に見えた。

「唇は開いた。そして意味ありげな微笑のうちに、変わり果てたベレニスの歯が、ゆっくりとあらわれた。その歯を見なければよかったのだ。見た以上、死んでしまえばよかった!(大岡昇平:訳)」
 
ベレニスが出ていった後、エグスの頭にはもう彼女に歯のことしかなかった。斑点が浮かびギザギザになった白い歯…激変し滅び行くベレニスの肉体の中で唯一変わらない身体部位。そして、式の当日…またもや癲癇の発作を起こし、ベレニスは死んでしまう。

その後エグスの意識は朦朧としてしまい、恐ろしい悲鳴を耳にしたような記憶がある他は、何も覚えていない。気が付きうと図書室に座っており、漠然とした恐怖に包まれていた。目の前のテーブルの上に医者が使う様な小箱が置かれているが、なぜそんなものがここにあるのかも判らない。

蒼ざめた召使が飛び込んできて、震える声で報告する。恐ろしい女の叫び声がした事。ベレニスの墓が暴かれていた事、そしてベレニスがまだ死んではいなかった事。

召使が上衣を指し示すのでエグスも目を向けると血と泥がついている。そして手には爪の痕が残っており、壁には鋤が立てかけてあった。思わず叫び声を上げ、テーブルの上の小箱を開けようとする。しかし取り落としてしまい、床に落ちて砕けたくだけた箱の中から…

「なんか歯科医の道具が、がらがらと音を立てて、転がり出た。それにまじって、三十二の小さな、白い、象牙のようなものが、床のあちこちにちらばった。 (大岡昇平:訳)」。

  • ネット上に転がってる解釈の一つ。「エグスは、歯に魅力を感じたから抜き去ったのではない。恐怖から逃れる為に、つまりベレニスを理解可能な対象としてコントロール下に置く事でしか自分を保てなくなった為に行動を起こしたのである。それはエグスにとって残虐行為への嫌悪感を抑えても生き延びる為に不可能な所為だった様である」。

  • こういう解釈もある。「ベレニス(Berenice)はラテン語で"勝利をもたらすもの"を意味するが、彼女にとって勝利とは復讐に他ならなかった。思索こそが生活の全てであったエグスにとって、ベレニスは欠かす事の出来ない重要な風景の一部でありながら個人として認識されていなかった。まさにその事自体がエグスの罪であり、歯(「反抗」あるいは「破壊」のニュアンス)と爪("Teeth and nail"で「必死に」の意になる)の証拠によって犯人として対象化され破滅を余儀なくされた理由でもあったのだ。」

「モレラ (Morella、 1835年)」

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— “Morella” by Edgar Allan Poe

その手は冷たく、指先はあくまで青白く、憂いを秘めた意味ありげな目配せを交えつつ低い声で声楽の調べの様に言葉を操る。モイラはそんな女性で、語り手はその不思議な知識体系に幻惑され、これを愛と勘違いして結婚したがやがて彼女を疎んじる様になる。しかし、それでもモレラは献身的な妻であり続けた。

そんなモレラが臨終の間際に語り手を枕元に呼び寄せ語る。「私は貴方に疎まれたまま亡くなろうとしてますが、それでも生き続けるで事でしょう。私が亡くなると同時に新しい生命が生まれ出るからです」。そして予言通りモレラは亡くなると同時に女の子を出産する。

語り手はこの新しい生命に魅了され夢中となった。外界には一切触れさせず、ただ館の中で掌中の珠として育て続ける。しかし洗礼も受けさせず、名前もつけずに育てている事に事情を知っている人々は黙っていなかった。洗礼に当たって牧師から「名前は?」と聞かれ答えられず戸惑う。再び問われて語り手は思わぬ名前を呟いた。「モレラ…」

長じて、モレラはますます母親そっくりとなったが同様に病を得て亡くなってしまう。娘を母親の隣に葬ってやろうと墓所を発掘すると母親の遺体は消えうせていた。

  • ネット上に転がってる解釈の一つ。「1ケ月前に発表されたべレニスでは"玉の様だった黒髪が明るい黄色に見える"事で母親の霊魂の乗り移りが僅かに示唆された程度だったが、この作品ではより明瞭な形で母から娘への霊魂の継承が示唆される。また激しい情熱の対象だった美しい女性が次第にうとましい忌避すべき対象に変貌していくプロセスを両者は共有している。ただし後者には娘の誕生に伴う情熱の再燃という前作にはなかったプロセスが追加されている」

  • こういう別解釈もある。「女性が情熱の対称となるのは幼女のうちだけ。成長すると愛が冷めるばかりか恐怖の対象にさえなる。まさにロリコン。真性ロリコンとしか言い様がない」

1836年5月 仕事が軌道に乗ってきたのでクレム叔母やホワイト、トマス・クリーランド知事など9名を招いて公開結婚式を開催(ヴァージニア16歳)

1838年 理想のみを投影されたイメージ上の美女像と現実の女性像の衝突を盛り込んだ美女再生譚「ライジーア(Ligeia)」を発表。ゴシック譚の不自然さや大仰さへの皮肉が目立つ様になる(ヴァージニア18歳)。

「ライジーア(Ligeia:1938年)」

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La Bean Sidhe

物語は語り手による回想という形で進んでいく。語り手はライン河畔の古都でライジーアという女性と逢瀬を繰り返した。奇妙なことに馴れ初めも妻となった彼女の父方の姓も思い出せないという。大鴉のような漆黒の髪を持つ背の高い美女で、古典語だけでなく現代語にも通暁し学識も深く、語り手は彼女に対して幼児のように全幅の信頼を置き、結婚後は彼女に導かれるままに形而上学的な探究へと進んでいった。

しかし結婚から数年後病に倒れ、死の床で「人は天使にも死神にも屈することはない、ただ衰えた意志の弱さがそうさせるのでない限り」自作の妖しくも美しい詩を口ずさんでいる中、静かに息を引き取る。差愛の妻を失って絶望した語り手は、彼女が残した莫大な遺産を食い潰しながらあてどない放浪を続ける。やがてイングランドの辺鄙な場所にある僧院を買い取って、気の赴くままに豪華な装飾を施し、そして阿片に溺れ、夢の世界へと落ち込んでった。

やがて、その屋敷に語り手は再び花嫁を迎え入れる。名門出身で金髪碧眼のロウィーナ・トレヴェニォン姫。しかし彼女は語り手の狂暴な気難しさを恐れ、語り手側も彼女を愛するどころか憎しみさえも覚える始末だった。それで一層その思いはひたすら亡きリジイアへと向かう事になる。
 
結婚からわずか二ヶ月の後、ロウィーナ姫もまた病んでしまう。そして譫言の様に「あやしい気配や物音がする」と訴える様になる。彼女を落ち着かせる為に葡萄酒を飲ませようとした時、阿片による幻影か天使のようなものが視野をよぎり、どこからともなく盃に紅玉(ルビー)色の大粒の雫が落ちた。これを見なかったロウィーナ姫は、盃を飲み干して数日後に死んでしまう。
 
ロウィーナの遺骸をベッドに横たえてその晩を過ごしていた語り手は、あるときふとすすり泣きのような声が聞こえてくるように感じる。それがベッドの方からであったように思ったので、しばらくベッドの上の遺骸を根気よく見守った。すると、ロウィーナの頬に不意に赤みが差し、生気を取り戻しつつあるのが見えた。語り手は何とか彼女を甦らせようとするが、しかしすぐにまた生気を失いもとの死骸に戻ってしまう。そうして何度も生気を失い、また取り戻すのを繰り返しているうち、その体は突如としてすさまじい変貌を遂げる。そして死の床から起き上がって彼の眼前に立つと、それは紛れもなく漆黒の髪を持つライジーアとなっていた。

ロジャー・コーマン監督が60年代前半に手がけたエドガー・アラン・ポー原作の耽美系恐怖映画8作の最終作は、この作品を原作とする「黒猫の棲む館(The Tomb of Ligeia:1964年)」であった。ただし何故か黒猫の復讐譚に改変されている。

  • ネットに転がってる解釈の一つ「この作品をゴシック小説一般に対する風刺の一種と見る向きもある。実際本作品を発表した年のポーが発表した他の2つの散文もそんな調子であった。ライジーアの出身地は19世紀のゴシック小説の主な源泉であったドイツに設定されており、また彼女を描写する文章の、多くを暗示しているようでその実何も語っていないかのような語り口調もそのことを裏付けている。そしてライジーアの思想は彼女がトランセンデンタリストであることを示唆しているが、トランセンデンタリズムはポーがしばしば批判の的にしていた思想であった」。
    *「トランセンデンタリズム(Transcendentalism)」…「自然(1836年)」を出版したアメリカ人思想家R.W.エマソン彼の周囲に集まったユニテリアン派牧師達(ヘッジFrederic H.Hedge、T.パーカー,リプリーGeorge Ripley、W.E.チャニングら),随筆家H.D.ソロー,教育家A.B.オールコット,批評家S.M.フラー,詩人チャニングWilliam E.Channing,ベリーJones Veryらが展開した宗教家達のロマン主義運動。超越主義,超絶主義と訳す。有限な存在のうちに神的な内在を認め、神秘的汎神論のような立場をとったが、倫理的には理想主義・個人主義をとり、社会改良に努めた。米国ダーク・ロマンティズム文学にインスパイアを与えた側面も有する。

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    またこの物語の語り手は学識面で圧倒的に優れるライジーアを前に精神的に完全屈服してしまい「互いに刺激し合って成長する師弟」というより「闇の中で母親に手を引かれている幼児」という有り様となっていたが、その分だけ知識欲は旺盛となった。D.H.ロレンスはそういう状況について「知識というやつは吸血鬼の誘惑。生きた相手を知り尽くすという事は、究極的にはそれを殺す事に他ならない」と語る。その意味では語り手こそがライジーアの命を削り切ったともいえるのかもしれない。

  • こういう別解釈もある。「語り手がライジーアを失った寂しさを紛らわす為に選んだロウィーナは、語り手自身が彼女を自分の家に閉じ込め、結婚によりその個を自らの一部として取り込もうという戦略の重要な小道具、すなわちべレニスにおいてエグスが暴力を用いてまで手に入れた彼女の歯と同様の存在なのだが、その作為が自分自身の計画故に見え見えなので彼女に悪魔に向ける様な憎悪を投影せずにはいられないのである」

1839年 アメリカン・ゴシック文学の金字塔「アッシャー家の崩壊(The Fall of the House of Usher)」を発表。ただ旧作からのイメージの使い回しも多く「金儲けの為に執筆された心のこもってない作品」と酷評される事もある(ヴァージニア19歳)。

「アッシャー家の崩壊」(The Fall of the House of Usher:1839年)

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Behind the Brush: Leilani Joy's Inspiration Blog, UP AUCTION NOW at...

旧友アッシャーが妹と二人で住む屋敷に招かれた語り手が、そこに滞在するうちに体験する様々な怪奇な出来事を描くゴシック風幻想小説。ポーの代表的な短編として知られ、美女の死と再生(あるいは生きながらの埋葬)、得体の知れない病や書物の世界への耽溺といったポー作品を特徴づけるモチーフが一通り揃っている。

①語り手は少年時代の旧友ロデリック・アッシャーから突然の招待を受け、荒涼とした景色の中にたつアッシャー家の屋敷にたどり着く。ロデリックは神経を病んでおり、病状を軽減するために唯一の友人である語り手に来訪を頼んだのであった。数年ぶりに合った旧友は、かつての面影を残しながらもすっかり様子が変わっており、中でも死人のような肌と瞳の輝きが語り手を驚かせる。ロデリック自身の説明するところでは、この神経疾患はアッシャー家特有のもので治療のしようがなく、一度かかると奇妙な感覚に囚われたり、五感が異常に研ぎ澄まされて苦痛を感じさせたりするのだという。そして病の原因となっていたものは、最愛の妹(後に双子とわかる)のマデラインがいましも死に瀕しているということであった。

②語り手はアッシャー家に滞在し、その間ともに書物を読んだり、ロデリックの弾くギターを聴いたりして時を過ごす。やがてある晩、ロデリックは妹マデラインがついに息を引き取ったことを告げ、二人はその亡骸を棺に納め地下室に安置する。この妹の死によって、ロデリックの錯乱は悪化していく。

③それから7,8日経った晩、二人は屋敷の窓から、この屋敷全体がぼんやりと光る雲に覆われているのを見る。この奇怪な光景がロデリックの病状に障ることを恐れた語り手は、ランスロット・キャニングの『狂気の遭遇』(架空の文学作品)を朗読しロデリックの注意を引こうとする。しかし物語を読み進めるうち、語り手は屋敷のどこかから不気味な音が響いてきていることに気付く。その音はだんだん近づいてき、やがてはっきりと聞こえるようになると、ロデリックはその音が妹が棺をこじ開け、地下室を這い登ってくる音であって、自分は妹を生きていると知りながら棺の中に閉じ込めてしまっていたのだと告白する。

④やがて重い扉が開き、死装束を血で汚したマデラインが現れると、彼女は兄にのしかかり彼を殺してしまう。恐怖に駆られた語り手は屋敷を飛び出して逃げて行くと、その背後でアッシャーの屋敷はその亀裂から月の赤い光を放ちながら轟音を立てて崩れ落ち、よどんだ沼の中に飲み込まれていった。

  • 確かにこれまでのゴシック系怪奇作品の集大成感が強い。「ベレニス (Berenice、 1835年)」の洗練された完成版という印象。

1841年 ゴシック趣味から完全に脱却した幻想的美女譚「エレオノーラ (Eleonora)」を発表。この時期のポーは「次第に体調を崩していくヴァージニアが心配で、所謂ゴシック的偏執症に身を任せられなくなってきた」という指摘も(ヴァージニア21歳)。

「エレオノーラ (Eleonora、 1841年)」

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Como vivo con mi trastorno bipolar: Cuento Eleonora por Poe

語り手は誰も立居らぬ谷の中で育ったが、その谷に住んでいたのはエレオノーラ(従妹)と叔母と語り手の3人だけであり、静かな生活が続いていた。その間にエレオノーラは美しい娘に成長し語り手と愛し合う様になる。

しかしエレオノーラは若くして死病に侵され、死の床でこう述べる。「私だけを愛して。時にはあなたの前に現れますので。そよ風とか、微かな音によって、あなたの心を慰めます」。そして息を引き取る。

その後も語り手はしばらく谷で過ごしていたが、次第に町や宮廷の喧騒の方に惹かれていく。宮廷での生活は次第にエレオノーラへの想いを断ち切っていったが、止めを刺したのがアーメンガードという女性の登場である。語り手はエレオノーラとは異なる激しい情熱でアーメンガードを愛する様になる。

谷を出てからもエレオノーラはずっと微かな気配として語り手に纏わりついてきたが、生前の約束にこだわる事はなく語り手を解放してくれる。その理由については天国で明らかにされるだろうと、エレオノーラは預言する。

  • ネットに転がってる解釈の一つ「この作品における最大の特徴は語り手とエレオノーラの恋愛が始終"We"の物語で、互いに戯れ合い、抱き合い、語り合い、誓い合い相互に愛の同一を試みているという点にある。どちらか一方が他方に傾斜するという形をとってない。また舞台となるのも五色の草の谷間で、全てが陰鬱な屋敷の中で展開する前作までのゴシック調を脱しており、その結果生じた明るい開放感が最期の許しを可能としたのである」。

  • 本作品を執筆した当時、ポーの妻ヴァージニア(19歳)は日に日に衰弱していく状況だった(1842年に喀血して以降はさらに急速に様態悪化)。そのせいか、この時代に執筆された作品の多くには「愛する者への救済」が見て取れる。

楕円型の肖像 (The Oval Portrait, 1842年)」

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sun on her shoulders, wind in her hair

「すでに自らの芸術の中に花嫁を持っていた」男とある女が結婚する。

女は自分の肖像画に嫉妬を呼び起こす(「すべてを愛し、いとおしみ、ただ彼女の恋敵である芸術のみを憎み」)。

制作に夢中になった夫は次第に狂気へと突入。肖像画の女に命が吹き込まれる都度モデルの妻は衰弱していき、絵の完成とともに息絶える(「”これはまるで生き身そのままだ!”と大声で叫び、ふとかたわらの愛する妻をふりむいた。ああ、だが女は、すでにこときれていたのだ!」)。

  • 古城を訪れた主人公が女の肖像画を見つけ、その肖像画の由来を書いた書物を読むという枠構造。円熟感漂う愛と死のゴシック掌編。

1842年1月 妻ヴァージニアが自宅でピアノを弾いていた最中に喀血、結核の最初の兆候であり、以後ヴァージニアの病状にも気を取られ、また酒の量も増えた。仕事も休みがちになり、4月には編集長の地位を奪われ、5月まで同誌に勤めた後で職を辞す(ヴァージニア22歳)。

1845年 恋人レノーアを失った語り手が静かに発狂していく過程を淡々と描いた物語詩「大鴉(The Raven)」を発表。多くの有識者から絶賛され、次々と色々な雑誌に掲載されポーの文名を大いに高めたが、ポーに支払われた報酬はわずか9ドルであった(ヴァージニア25歳)。

エドガー・ポーの詩「大鴉(The Raven、1845年)

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♥pretty pink heroes♥ — The raven ft. older!Vincent 🎃 🎃 it’s...

 あるわびしい夜更け時 わたしはひそかに瞑想していた
 忘却の彼方へと去っていった くさぐさのことどもを
 かくてうつらうつらと眠りかけるや 突然音が聞こえてきた
 なにかを叩いているような音 我が部屋のドアを叩く音
 いったい何者なのだろう 我が部屋のドアを叩くのは
 それだけで 後はなにも起こらなかった

 はっきりとわたしは思い出す 12月の肌寒い夜のことを
 消えかかった残り火が 床にあやしい影を描いた
 夜が明けるのを願いつつ 書物のページをくくっては
 わたしは悲しみを忘れようと努めた レノアを失った悲しみを
 類まれな美しさの少女 天使がレノアと名づけた少女
 彼女は永遠に失われたのだ

 紫色のカーテンの かすかな絹のさやめきが
 それがわたしを脅かし 感じたことのない恐れで包んだ
 震える心を静めるため わたしは立ったままつぶやき続けた
 誰かが部屋の扉をたたき 中へ入ろうとしている
 深夜に部屋の扉をたたき 中へ入ろうとしている
 そうだ それ以上ではない

 やがて気持を持ち直し ためらうことなくわたしはいった
 紳士にせよ淑女にせよ 是非あなたのお許しを請いたいと
 だが実は夢見心地で あなたの近づくのを感じていた
 あなたは軽い足音をたて わたしの部屋の扉を叩く
 あまりにかすかで聞き取れぬ音に わたしは扉を開け放った
 扉の外は闇で 他にはなにも見えなかった

 深い闇の中を覗き込みながら わたしはいぶかり立ち尽くした
 誰もあえて見ることを 望まない夢のような気がして
 沈黙は破られず 闇には何の兆候も見えない
 ただひとつ言葉が発せられた レノアとささやく言葉が
 わたしが発したその言葉は 闇の中をこだまする
 これだけで 後は何も起こらなかった

 心を熱くたぎらせながら 部屋の中に戻っていくと
 再びこつこつという音が聞こえた 今までよりも大きな音が
 たしかにこれは だれかが窓格子を叩く音だ
 いったい何事が起きているのか その様子を確かめてみよう
 心をしばし落ち着かせて その様子を確かめてみよう
 だがそれは風の音 それ以上ではなかった

 わたしが格子を押し開けるや バタバタと羽をひらめかせて
 大きな烏が飛び込んできた 往昔の聖なる大鴉
 傲岸不遜に身を構え ひとときもおとなしくせず
 紳士淑女然として 扉の上にとまったのだ
 わたしの部屋の扉の上の パラスの胸像の上に
 とまって座って それだけだった

 この漆黒の鳥を見て わたしの悲しみは和らいだ
 気品に溢れた表情が おごそかでいかめしくもあったゆえに
 お前の頭は禿げてはいるが 見苦しくはないとわたしはいった
 夜の浜辺からさまよい出た いかめしい古の大鴉
 冥界の浜辺に書かれているという お前の名はなんと言うのか
 大鴉は応えた ネバーモア

 この無様な鳥が明確にものをいうのに わたしは大変驚いた
 たとえその言葉には意味がなく 何を言っているかわからぬとしても
 だがこんな鳥が自分の部屋の 扉の上にいるのは素敵だ
 扉の上の胸像の上に 不思議な名前の鳥がいるのは
 ネバーモアという名の鳥が

 大鴉がいったのはただそのひとこと 塑像の上に孤立しながら
 その言葉にまるで 己の魂をこめたように
 それ以上大鴉はものいわず 羽を動かすこともなかった
 そこでわたしはつぶやいたのだ 以前にも同じようなことがあった
 それは夜明けとともに去ってしまった 希望が去っていったように
 すると大鴉はいったのだ ネバーモア

 かくも時を得た答えに 沈黙が破られたのに驚き
 わたしはいった 疑いもなく これがこの鳥のただひとつの言葉
 それは不運な飼い主から教わった言葉 そうだその男は
 過酷な運命によって これでもかこれでもかと打ちのめされ
 もはや口に上る言葉といえば ただひとこと
 ネバー ネバーモアのみ

 それでも大鴉がこの哀れな心を 慰めてくれようとするのを見て
 わたしは大鴉の目の前に 安楽椅子を引いていっては
 深々とクッションにうずまりながら あれこれと想像を回らした
 この大昔の不吉な鳥は 陰鬱で 無様で いやらしい
 この不吉な鳥はわめきながら いったい何を言いたいのかと
 ネバーモアということばで

 あれこれと思い測りつつ 一言も発することのないうちに
 大鴉の目の炎が わたしの心の中にまで燃え広がる
 それでもわたしは考え続ける 頭を椅子の背に凭せかけながら
 その椅子の背にはランプの光が ビロードの生地を照らし
 そのランプの光に照らされた 椅子の背には彼女が
 もう身をゆだねることはないのだ

 すると空気が密度を濃くし どこからともなく匂いがただよい
 香炉を振り回す天使たちの 足音が床に響く
 やれやれこの天使たちは 神がわたしに差し向けたのか
 この匂いはレノアへの思いを 和らげるための妙薬の匂いか
 この妙薬を飲み干せば 辛い思いが忘れられるのか
 大鴉が答えた ネバーモア

 邪悪な預言者よ 鳥であれ悪魔であれ
 誘惑者であれ 難破した漂流者であれ
 孤高で不屈なものよ どうか言ってくれ
 この呪われた砂漠のような地に 幽霊たちの住処のような家に
 果たしてギレアドの香木が 存在するかどうか言ってくれ
 大鴉は答えた ネバーモア

 邪悪な預言者よ 鳥であれ悪魔であれ
 あの聖なる天蓋にかけて 父なる神の名にかけて
 この悲しみに打ち沈んだ魂にいってくれ はるかなエデンの園のうちで
 天使がレノアと呼んだ娘を 果たして見ることがあろうかと
 かの類いまれな美しき少女 天使がレノアと呼んだ娘を
 大鴉は答えた ネバーモア

 もうたくさんだ わが仇敵よ わたしは飛び上がって叫んだ
 去れ 嵐の中へ または暗黒の冥界の海辺へ
 形を残さずに消えろ お前の言葉の余韻も残さず
 わたしを孤独の中に放っておけ その場から消えていなくなれ
 わたしのこころを静かなままにして その場から消えていなくなれ
 大鴉は答えた ネバーモア

 すると大鴉は飛び回ることなく じっと動かずにうずくまったまま
 扉の上の塑像の上に 乗ったままの姿勢を保ち
 目はうっとりと閉じられて 夢を見る悪魔のよう
 ランプの光に照らされて 身は床の上に影を落とし
 わたしはその影の中から 抜け出そうとするが
 もはや抜け出すこともままならないのだ

1847年1月 貧苦の最中にヴァージニアが息を引き取る(享年27歳)。

1849年 仕事の為に戻ったリッチモンドで青年時代の恋人で未亡人となっていたエルマイラ・ロイスターと再会。再三の求婚の後に婚約したが同年10月に怪死。死後、自分とヴァージニアを子供に見立てたと思われる物語詩「アナベル・リー(Annabel Lee)」が発見される。

アナベル・リー (Annabel Lee、 1849年)」

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Annabel Lee — Annabel Lee

 それはそれは昔のこと

 海際の王国に
 ひとりの乙女が住んでいた
 その名はアナベル・リー
 彼女はただひたすらに生きていた
 わたしを愛し愛されるために

 わたしも彼女も子どもだった
 海際の王国で
 でもわたしたちは愛し合っていた
 わたしとアナベル・リー
 それは天上の天使たちも
 うらやむような愛だった

 それが不幸のみなもとだった
 海際の王国に
 風が吹きすさんで殺してしまった
 美しいアナベル・リーを
 そこで天上から使者が来て
 彼女をわたしから取り上げて
 墓の中に閉じ込めてしまった
 海際の王国の墓に

 あまり幸せではなかった天使たちが
 彼女とわたしの愛をうらやんで
 誰でもが知っているとおり
 この海際の王国に
 夜毎冷たい風を吹かせて
 彼女を殺してしまったのだ

 わたしたちの愛は誰よりも深かった
 わたしたちより年上の人より
 わたしたちより賢い人より
 それ故天上の天使たちも
 海底の悪魔たちも
 わたしの心をひきさけなかった
 美しいアナベル・リーから

 月の満ち欠けとともにわたしは夢見る
 美しいアナベル・リーを
 星の輝きとともにわたしは思い出す
 美しいアナベル・リーを
 夜が更けるまでわたしは横たわる
 わたしのいとしい人のそばに
 海際の墓地に眠る
 渚の墓の中のアナベル・リー

  • 若くして死んだ妻ヴァージニアを悼んだものだといわれる。ポーの従妹で、わずか13歳でポーと結婚し、24歳で死んだ。生涯病弱で、精神的な発達も遅れていたといわれるが、ポーはこの妻を心から愛していたようだ。その証拠にヴァージニアが死んだ後、ポーは深い痛手を負い、4年も経ないうちに自分も死んでしまう。
    アナベル・リー Annabel Lee:エドガー・ポーを読む

ボードレールのエドガー・アラン・ポー崇拝

今日ポーが世界文学史に確固たる地位を占めているのは、ボードレールに負うところが多い。ボードレールは魅せられたようにポーの世界を追い求め、それらをフランス語に翻訳したばかりか、自身の作品にもポーの精神をふんだんに盛り込んだ。その結果、ポーはフランスで熱狂的に受け入れられた後、出身地たるアメリカはもとより、世界中に伝播していったのである。
*そしてボードレールマルキ・ド・サドの文学の再発見者でもあり「悪を明らかにしようと思ったら常にサドを、ということはつまり自然人にたちもどらなければならない」とも述べている。「悪の華」に収録された詩は、双方の影響を受ける形で成立。

  • ボードレールが始めてエドガー・ポーの著作の断片に接したのは1846年の事であり、その中には「大鴉」のフランス語訳も含まれていた。たちまちポーの魅力のとりことなったボードレールは、パリでアメリカ人と出会うたびに、ポーについて質問攻めし、この奇妙な作家のことを何もかも知りたいと思うようになった。だがポーを知るものはほとんどおらず、たまに知っているものがあるかといえば、ポーについて芳しからぬ噂話ばかり返してくるのだった。

  • ポーは世界中で始めて文学者として生計を立てようとした人物だが、詩では金にならなかった。そこで雑誌の編集や小説で身を立てようとし、今日に残る彼の多くの短編小説は、生計費を稼ぐために、詩を書くことを犠牲にして生み出されたものである。同時に批評方面では今日で言うところの「炎上マーケティング」を仕掛け、多数の敵をこしらえた。彼の作品の第一の特徴は音楽性で「作品はそこに盛られた内容よりも形式、すなわちリズム感と旋律感の織り成す調和によって評価されるべき」という信念の産物である(ここから後にユイマンスの「さかしま」や江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」が派生)。二つ目の特徴は「美しい女性の死」というテーマへの執着で、ポーほど女性にこだわり、しかもその女性が死んでいく運命を嘆き悲しんだ詩人はいない。というのもポーは幼い頃から、母親を失ったり、養母を失ったり、愛するものを失ったり、女性の失うことの喪失感にさいなまれてきたからだ。「大鴉」も結核が進行して余命幾許もない幼妻ヴァージニアを念頭に置いて執筆されたとされている。第三の特徴はアラベスクなものに対する愛好で、これは怪奇小説や探偵小説の分野でも遺憾なく発揮される事になった。
    *「パノラマ島奇譚」…その企図は後に講談社の要請する大衆小説のフォーマットに転用される事で「蜘蛛男」となった。これが「恐怖王」を経て「幼虫」「人間豹」といった「怪人物」に発展していく過程は、当時ハリウッドで進行していたユニバーサル・モンスターズの形成過程に酷似する。

  • ポーが1849年に死ぬと、その意思に従って、グリズウォルドが全集を出版した。ボードレールは比較的早くこの全集を手に入れたものらしい。というのもボードレールは1852年の「文学評論」に「エドガー・ポー、その生涯と作品(平井啓之訳)」を掲載するのだが、それはこの全集を編纂したグリズウォルドによるポーの伝記を下敷きにしているからだ。

  • グリズウォルドのポー伝は悪意に満ち、ポーの生涯を正確に描き出していないとの評価が今日ではもっぱらである。第一ポーの生まれた日付からしてでたらめであるし、ポーの文学史上の意義などというものをまったく考慮に入れていない。だから今日グリズウォルドに敬意を表する研究者は世界中ひとりもいない有様である。だがボードレールにとっては、グリズウォルドからの情報が唯一の手がかりであった。したがってボードレールによるポーの生涯の紹介は誤謬だらけといってよい。

  • それでもポーの文学史上の偉大さを見抜くことについては、ボードレールは間違ってはいなかった。それのみかボードレールはポーのうちに神の似姿と社会的孤独、すなわちあまりにも自分と似ているものを発見している。ポーを語るボードレールの文章は、あたかも自分自身を語っているように聞こえる。

    「エドガー・ポーに関して世間が等しく認める二三の点がある。たとえばもって生まれた高い品位、雄弁、美貌であり、人のいうところによれば、これらの点では彼もいささか自慢だったらしい。彼の態度は、高飛車な調子と品のいいやさしさとが奇妙に入り混じっており、確信に満ちていた。顔立ち、身のこなし、仕草、頭のもたげ方、こういったものがすべて、とりわけ好調の時代には、彼が選ばれた存在であることを示していた」

    「(それでも社会との関係は)このように事実孤独であり、ひどく不幸であり、社会の全組織をパラドックスとぺてんと見てしばしばそれと真っ向から対決しえた男、情け容赦のない運命によってさいなまれて、社会とは惨めな奴らの群れつどう市にすぎないと語った男」

    「エドガー・ポーの生涯はなんと痛ましい悲劇であることか!私が読みえたすべての文献から、私には、合衆国が畢竟大きな牢屋に過ぎなかったのであり、彼はそれを、もっと香しい世界に生きるようつくられた生き物の熱に浮かされたような焦燥をもって、はせめぐったのである、という確信が生まれた。」

ボードレール自身も、フランスが自分にとっては牢屋のようなものだと感じていた。フランスに限らず、彼が生きていた世界全体が、いとわしい仮の世のように映っていたのである。しかし1852年以降のボードレールには、ふたつの目標が出来た。ひとつは「悪の華」に結晶する詩の数々を書き上げることであり、もうひとつはポーの作品をフランス語に翻訳して紹介することだった。彼はこの課題を忠実に守り続け、ポーの翻訳については、1856年の「異常な物語集」を手始めに次々と発表していく。
*ここにトクヴィル(Alexis-Charles-Henri Clérel de Tocqueville、1805年〜1859年)同様「フランスは(アメリカに比べて)遅れている」という意識を見てとる向きもある。

ところで「7月革命(1930年)」というか「エルナニ事件(La bataille d'Hernani)」の落とし子たる青年フランス派(小ロマン派)の詩人や文学者達。その多くが「2月/3月革命(1948年)」による王政終了後、それまで政治的熱狂を捧げてきた「王権と神に対する反逆者」なるセルフイメージを見失って次々と破綻し自滅していきます。

欧米文学史では、ある意味ここまでが「前近代」。そして当時のノリについていけず悩んでいたヴォードレールが「フランス近代詩の父」となり、フローベールが「フランス近代小説の父」となって初めてフランスに「近代化」の波が到来します。とはいえ、欧州文学史が本格的に「近代=資本主義」の波にさらされるのは1890年代に入って、消費の主体が王侯貴族や教会からブルジョワや庶民に推移して以降。そしてこのギャップがフランス文学に「近代性」と「反近代性」の対峙なる葛藤状態をもたらすのです。

近代化」の波

とにかく1859年は特筆すべき年である。

  • ジョン・スチュアート・ミルが「自由論(On Liberty、1859年)」において「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。ただし他人に実害を与える場合は除く」とする古典的自由主義の原理原則を打ち出した。
    *ある意味、発表当時は英国が否定し、フランスにおいてすら一旦は完全に忘れ去られた「フランス人権宣言(1979年)」第1条(自由・権利の平等)における「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない」の発展版。この狭間においてルネサンス期イタリアや革命期フランスは「自由あるところに秩序なし」や「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」といった思考様式のもたらず惨禍に直面。

  • ダーウィンが「種の起源(On the Origin of Species、1859年)」で系統進化の概念を公表した年。
    *これ以降、進化論の概念の科学や文化の分野への躍進が始まる。

  • マルクスが(パトロンたるラッサールの出資で出版した)「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」において「我々が自由意思や個性と信じているものは、社会の同調圧力によって型抜きされた既製品にすぎない」なる社会学を基礎付ける考え方を発表。
    *なお歴史のこの時点においては、まだ(後に福祉国家論の始祖となる)ラッサールと「ドイツ・イデオロギー(Die deutsche Ideologie、1845年〜1846年)」において「下部構造(経済)のみが上部構造(法律や政治)を規定する」なる誤謬の流行に必死で反駁して回ったエンゲレスの間に思想的対立は存在しない。
    社会学発足の直接の契機となったのは、進化論にインスパイアされたロンブローゾの遺伝犯罪学に反駁する形でタルド模倣犯罪学を発足させ、さらに双方に反駁する形でデュルケイムが方法論的集団主義を導入した1890年代とされている。

    *ちなみにデュルケイムが提唱した方法論的集団主義の影響は「革命(共産主義)か改良(社会民主主義)か」問題で揺れていた当時のマルクス主義にまで波及したとされている。そして色々あって結局「近代の超克には上部構造(イデオロギー)が下部構造(経済や技術の発展及び市民社会)の統制が不可欠」なる思考様式が最終的勝利を飾り(マルクス当人の志向した)反ヘーゲル路線から「人間の幸福は全体意志(イデオロギー)と完全合一を果たし自らの役割を得る事である」とするヘーゲル哲学路線への歴史的回帰が果たされ「全体意志(イデオロギー)なんて正体不明の抽象概念に意味はない。改良の積み重ねこそが社会主義」としたベルンシュタインらの社会民主主義的漸進主義路線に「修正主義=社会的ファシズム」の烙印が押される展開となったのだった。

同時進行で1850年代にはマルキ・ド・サドエドガー・アラン・ポーを研究した「近代詩の父」ヴォードレールが「人間を感動させるのは言葉とその体系が想起させるイメージ」とする象徴主義の基礎を築いたのも同時期。以降、統計学や電磁波研究や細菌学や(人間の無意識を扱う)精神分析学などが発展し19世紀末までに「人間の認識対象とされる不可視領域」が急拡大を遂げ続ける。こうした展開がオカルト分野への関心増大を生み出した時期でもあり「実証主義科学の限界を嘲笑する」近代的オカルティズム誕生の契機となる。

近代=資本主義」の波

フランス第二帝政(1852年〜1870年)。「馬上のサン=シモン」こと皇帝ナポレオン三世と彼の招いたサン=シモン主義者達が「上からの産業革命導入」に世界で初めて成功。ドイツ帝国、アメリカ、大日本帝国などがこぞって模倣する。
*逆を言えば英国やスイスやベルギーの自然発生的産業革命は模倣が困難だったのである。普仏戦争(1970年〜1971年)にプロイセン王国が勝利してドイツ帝国が建国されると、模倣対象はドイツ帝国に推移。

ところが産業革命拡散は商品生産規模の急拡大を引き起こし、伝統的経済における需要と供給のバランスを完全に崩壊させてしまう。これに東禍(ロシア帝国や東欧諸国の飢餓輸出)や米禍(産業革命進展に伴う南北アメリカからの安価で高品質な農畜産物の大量流入)の猛威が加わって欧州に大不況時代(1873年-1896年)が到来。
*同時期アメリカだけが金鍍金時代(Gilded Age、1865年〜1893年)の繁栄を謳歌しつつ「敗戦国」からの移民大流入でぶくぶくと肥え太った。

この大不況時代を乗り越える為に(商品生産力拡大に見合う商品消費力を準備する為に)欧州では「消費の主体が王侯貴族や教会からブルジョワ階層や庶民に推移する」大転換が進行。まさに「下部構造(経済の実態)が上部構造(関税障壁撤廃などによる経済国際化の受容)を規定する」展開そのものだったが、かえって西欧と東欧の生活格差を押し広げ「マルクス主義ヘーゲル哲学への回帰」を引き起こしたという側面もあった(貧民の国外逃亡や救世主待望運動が拡大)。そしてこの展開がベル・エポック(Belle Époque、19世紀末〜1914年)の繁栄を支えると同時に第一次世界大戦(1914年〜1918年)勃発の遠因の一つとなる。

*「上部構造を動かした下部構造=経済の実態の大転換…英国労働者がフィッシュ&チップス(Fish&Chips)を最初はおそるおそる御馳走として、やがて常食としてガツガツと食べる様になったのもこの時期。そもそも彼らはこうした時代の到来以前から国内の沼地で採れるナマズなどをフライにして食べていたが、輸入品の鱈は食べれば食べるほど(需要規模拡大に応じる為に漁業技術や輸送技術の近代化が進行して)安くなったのである。フランスのカフェでクロック・ムッシュ(Croque-Monsieur)やクロック・マダム(Croque-Madame)が食べられる様になり、屋台でオニオン・グラタン・スープ(Soupe à l’oignon gratiné)やジェラート(Gelato)が供される様になったのもこの時期とも。

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もちろんブルジョワ階層や庶民が求めたのは胃袋を満たす事だけではなかった。彼らは雑誌や単行本の世界にも「生産規模と消費規模の飛躍的拡大」をもたらし、作家達の上に「王侯貴族や教会に代わる新たなパトロン」として君臨する事になったのだった。

*その前夜「緋文字(The Scarlet Letter、1850年)」で世に出たナサニエル・ホーソーンNathaniel Hawthorne 1804年〜1864年)が出版社に対しして「私より才能のない低俗な女流作家達が、私の何倍も稼いでいるのが許せない」と抗議し「我々は才能でなく売上に見合う形で対価を払っているのです」という返事をもらったという逸話がある。当時の「英米女流作家達」は、その才能不足ゆえに作品が後世に伝えられる事はなかったが、少なくとも読書に目覚めた同時代の同性読者を大量に満足させていたのだった。

*ちなみに尾崎紅葉が「金色夜叉(1897年〜1902年)」の種本として用いた「女より弱き者(Weaker than a Woman)」の著者バーサ・M. クレー(Bertha M. Clay)も当時を代表する「低俗だが荒稼ぎしていた女流作家」の一人。

この二つの流れ、その発祥の地たる英国ではあくまで「同じ現象の別側面」としか認識されなかったのですが、それを後付けで導入したフランス以降の国々では両者の対立が激しい葛藤を呼び覚まします。あたかも「雷光と雷鳴は不倶戴天の敵同士」なる俗説の如し?

  • フローベールは「感情教育(L'Éducation sentimentale、1869年)」において19世紀パリの変遷について克明に描きながら、皇帝ナポレオン三世および彼の業績について一言も触れずに済ませた。カール・マルクスと同じで「彼は本当に無能な皇帝で、何一つフランスにもたらさなかった」という立場を貫いたのである。
    *考えてみれば21世紀に入ってから国際的に顕著となる「左翼と右翼が一緒くたになって現状懐疑派を形成して安定的発展を求める中道派と対峙する現象」って、歴史のこの段階で既に観測されていたのだった。この波にうまく乗ったのが皇帝ナポレオン三世だったという次第。

  • エミール・ゾラダーウィンの進化論やクロード・ベルナール「実験医学研究序説(初版1865年)」の影響を受け、科学実証主義の方法論を文学の世界にもたらした「ルーゴン=マッカール叢書(Les Rougon-Macquart、1870年〜1893年)」を発表。そこにおいては後の労働文学の起源となる「資本主義的発展が労働者や貧民にもたらず悲惨」と、近代的百貨店建設などに象徴される「消費文化発展がもたらす祝祭的華やぎ」を並列的に描かれた。
    707夜『居酒屋』エミール・ゾラ|松岡正剛の千夜千冊
    エミール・ゾラ『ナナ』|文学どうでしょう

  • ロラン・バルトエッフェル塔」の冒頭は有名である。「モーパッサンはしばしば塔のレストランで昼食をとった。とはいえ彼は塔を好きではなかった。「パリで塔が見えないのはこの場所だけだ」と彼は言ったものだった」。実際、モーパッサンはパリの知識人を糾合した「エッフェル塔建設反対運動」の盟主だったりする。そして現代のパリの知識人達は「ユーロ・ディズニー撤去運動」を団結の象徴にしていたりする。

  • バレエ芸術中興の祖はロシア宮廷であり、そしてパリに本拠地を置いたバレエ・リュス(Ballets Russes、1909年〜1929年)だった。ソ連から追放された反体制知識人達もパリに根付き、ソ連崩壊後も故郷に戻る事なく今日なお精力的にロシア批判を続けている。
    『「英雄」たちのロシア』
    反体制知識人
    「反ソヴェト」知識人の大量追放『作戦』
    ディプロ2004-3 - En Russie, nostalgie sovietique et nouveau patriotisme d'Etat

  • その一方で現代フランス知識人の心を捉えてるいるのは、産業革命本格導入以前のアメリカで観測された伝統的共同体意識を理想視したトクヴィルに端を発する「アソシアシオン」運動だという。

    *実際の「産業革命導入以前のアメリカ」の歴史って、ヤバ過ぎて当のアメリカでも黒歴史化してるんだけど? そもそも「ジェファーソン流民主主義」そのものの実態も「家父長制や奴隷制を守り抜く為に中央政府の介入に断固反対する」といった南北戦争(American Civil War, 1861年〜1865年)の原因となる内容だったんだけど?
    南北戦争

    産業革命導入以前に栄えた19世紀アメリカン・ルネサンスについては、その明るい面担当として、エマーソン(Ralph Waldo Emerson、1803年〜1882年)の「自然論(Nature、1836年)」、ソロー(Henry David Thoreau、1817年〜1862年)の「ウォールデン‐森の生活(Walden; or, Life in the Woods、1854年)」、詩人ホイットマン(Walter Whitman, 1819年〜1892年)の「草の葉(Leaves of Grass、1855年〜1891年)」があり、暗い面担当としてはメルヴィル(Herman Melville、1819年〜1891年)の「白鯨(Moby-Dick; or, The Whale、1851年)」、推理小説というジャンルを発明したエドガ・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年〜1849年)の「モルグ街の殺人(The Murders in the Rue Morgue、1841年)」、そしてホーソーンNathaniel Hawthorne 1804年〜1864年)がよく挙げられる。
    *一周してまたエドガ・アラン・ポーの名前が登場したが、まるで別人…

こうした時代を経て、気付くとエドガー・アラン・ポー作品は新たなアイデンティティを獲得していたのです。

なんとなく翻訳小説ばかり流行した「ミステリー冬の時代(1960年代)」を経た後の日本で推理小説読者が懐かしく思い出したのが江戸川乱歩横溝正史夢野久作だけだったので以降彼らが「昭和を代表する推理作家」認定を受けたのと似ています。「歴史は後世の人間が「昔は良かった」とつぶやき続ける事で紡がれていく」とはまさにこういう展開をいうのでしょう。

ちなみにボードレールが「近代詩の父」と呼ばれているのは、彼の「詩が読者を感動させるのは言葉とその体系」なるスタンスが「象徴派(Symbolistes)」に継承され、フロイトの発見した「夢の象徴体系」を含む「無意識」の概念との合流を果たしたから。
*「詩が読者を感動させるのは言葉とその体系」…詩人としてのエドガー・アラン・ポー当人が作にあたって最も重視したのはその音楽性で、これは「作品はそこに盛られた内容よりも形式、すなわちリズム感と旋律感の織り成す調和によって評価されるべき」なる信念に基づくものだったが、フランス語訳された「大鴉」から入ったボードレールにそれは伝わらず、代わりにこういう新たな解釈が生まれた訳である。

J.P.ホーガン「仮想空間計画(Realtime Interrupt、1995年3月、邦訳1999年)」

「これはDSAでつい最近発見したものなんだ。すごく面白いよ――きみにはりわけ面白いと思うけどね、ジョー。ぼくらはこれを結合神経共鳴と呼んでるんだ」
コリガンは眉を上げた。
「というと……」
「脳の内部に複雑な映像を生みだすショートカットさ。ほんのわずか、正確に選んだニューロンのグループに刺激を与えるだけで、一連の連結した映像全体が起動できること を発見したんだよ」
ワイルダーペンフィールドの実験ね、1940年代の」
イーヴリンが口をはさんだ。
「そうだ」
ハンスは認めた。
「ただし、ぼくらの場合はそれを外部からできるんだ」
コリガン に 視線 を もどす。
明晰夢がどれほど驚くべきものになるか、知ってるだろ。イメージ がすごく細かい ところまではっきりしてるんで、自分が眠ってるのかどうかわからなくなることも良く あるくらいだ」
「目が覚めてから五分もしてからようやく自分がまだ目が覚めてないことに気がつくこともあるな」
とコリガン。
「そう、それだよ」
ハンスはうなずいて続け た。
「明らかにその情報は外部から来てるもんじゃない。前からそこに、心の中にあったものだ。偶然に発動したものが互いに関連のあるひとつながりの情報としてはじかれることもある。ぼくらはそれを夢として体験するわけだ―― あるいはそうした発動は不安 や強烈な感情状態といったものによって最近繰り返した行動が素因になっている場合も ある」
「鐘から音が出るのと同じね」
イーヴリンが言った。
「音の複雑さは、鐘の叩き方には関係がないし、鐘を叩く道具にも関係ない。音は元からそこに、鐘の構造の中に備わっている」
「言語もそうだよ」
ハンス が 引き取る。
「言葉は単にコード体系でしかなくて、聞き手の神経組織の中に生活体験を通じてすでにできあがっている結合の引金を引くだけだ。情報は聞き手の中にあるんだ、語り手ではなく。これはどうやら神経システムの一般的な特徴らしいんだな。」
*この言語に対する考え方、まさにマルキ・ド・サドエドガー・アラン・ポーの研究を通じて「近代詩の父」ボードレールが発見したとされるキダイ文学の出発点でもある。

 実際の科学的実証はまだまだ全然間に合ってなくて「 イメージが喚起する脳の特定部位の活性化は体系化されている」とも「しかもその体系は個人固有のものではなく社会的に共有されている」とも証明されてない段階。ただ、とりあえず単純なオカルティズムからの脱却は何とか果たせた印象くらいはあります。
*さらに「絵画の世界における象徴主義の展開」や「箱庭療法のセラピー効果」をどう考えるかという問題もある。そしてこの話がまたエドガー・アラン・ポーの「アルンハイムの地所 (The Domain of Arnheim、 1846年)」や「ランダーの別荘 (Landor's Cottage、 1849年)」、ユイスマンスの「さかしま(À rebours;1884年)」や、谷崎潤一郎「黄金の死(1914年)」や、江戸川乱歩の「パノラマ島奇談(新青年連載1926年~1927年)」といった所謂「人口庭園系」作品とかぶってくる。

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こうした展開におけるエドガー・アラン・ポーには「(当時においてすら時代遅れになりつつあった)前時代的ダーク・ロマンティズムを集大成したゴシック系怪奇小説家」という側面と「(フロイト精神分析経由で脳神経生理学の分野に継承される)象徴主義文学の始祖となったボードレールにサド侯爵と並んで影響を与えた詩人」という側面がある為、E.T.A.ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann、1776年〜1822年)同様に扱いが難しくなってしまうのです。

そもそもホフマンは自分の本領を音楽家、エドガー・アラン・ポーは自分の本領を詩人と考えていて、どちらも小説は生計を立てる為に書き飛ばしただけでした。もしかしたら、このギャップって「理系脳VS文系脳」みたいな話に発展していくの?