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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ロマン主義運動】【ジョジョ立ち】【バレエ・リュス】【ニジンスキー】【Yuri!!! on Ice】前近代から近代に向けての華麗なる超克?

パリに本拠地を置いたバレエ・リュス(Ballets Russes、1905年〜1929年)が後世の舞踊・音楽・美術の世界に与えた影響は絶大です。

Books and Art: George Barbier, plate depicting Tamara Karsavina...

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その意味では荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険Jojo's Bizarre Adventure、1987年〜)」の大源流に当たる作品なのは間違いありません。ということは、いわゆる「ジョジョ立ち」の起源は天才舞踏家ニジンスキーで、スタンドの概念の起源は「薔薇の精」という可能性だって、決っして皆無じゃない?

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というか「同性愛者の天才舞踏家ヴァーツラフ・ニジンスキー(Vaslav Nijinsky、1890年〜1950年)」って「Yuri on Ice」に登場する世界トップフィギュア選手ヴィクトル・ニキフォロフ(Viktor Nikiforov)の大源流でもあったりする?

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 「薔薇の精(Le Spectre de la Rose)」

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バレエ・リュスが1911年4月19日、モンテ・カルロ歌劇場にてしたバレエ。

  • テオフィル・ゴーティエの詩句『わたしは薔薇の精、昨晩の舞踏会にあなたが連れていってくれた』を題材にとった1幕ものの作品。

  • 内容も至ってシンプル。「初めての舞踏会から帰ってきた少女が見た夢。それは彼女が胸に飾っていた薔薇が窓から現れ、彼女を誘って踊る夢だった。やがて薔薇は再び窓から出てゆき、目覚めた彼女はそれが夢の中の出来事だったと悟る」というもの。

  • 振付はミハイル・フォーキン、音楽はカール・マリア・フォン・ウェーバーの『舞踏への勧誘』(エクトール・ベルリオーズによる管弦楽編曲)、美術はレオン・バクストによる。

ヴァーツラフ・ニジンスキーが薔薇の精を、タマーラ・カルサヴィナが少女を踊り、バレエ・リュスの人気演目の一つとなった。現在でも世界中のバレエ団のレパートリーとなっている。

 ①とはいえ、原作が執筆されたのは1828年E.T.A.ホフマン作品が仏語訳されてフランス・ロマン主義運動が始まったばかりの時期。 どう考えても、こんな屈託のない明るい作品だった筈がないのです。

②フランス・ロマン主義運動の源流となった時点におけるドイツ・ロマン主義運動。ビーダーマイヤー期(Biedermeier、1815年〜1848年)独特の既存価値観崩壊を背景とする軽薄さと「タナトス(Thanatos、死への誘惑)」の深まり。なにしろ当時を代表するドイツ・ロマン主義作品といえば(音楽家としてのE.T.A.ホフマンも関与した)フーケ「ウンディーネ(Undine、1811年)」のオペラ化プロジェクトに(曲によっては在野の歌謡酒場でも盛んに歌われたという)シューベルトの「野ばら(Heidenröslein、1815年)」「魔王(Erlkönig、1815年頃)」「死と乙女(Der Tod und das Mädchen、1817年)」「ます(Die Forelle、1816年〜1821年)」ときてますから、否定の余地もありません。
678夜『ビーダーマイヤー時代』マックス・フォン・ベーン|松岡正剛の千夜千冊

*要するに当時のドイツ人はドイツ語で書かれた文学が海外に通用する可能性など皆無に等しいと考えており、目端の利く人材は概ね音楽方面での国際的成功を夢見ていた。この壁を崩したのが、ラフカディオ・ハーンをして「本当は最初から気の狂ったおじさんに過ぎなかったが、それ故に時代的制約と無縁だった」と言わしめた「フランスを代表する狂詩人」ネルヴァル。何せビーダーマイヤー期ドイツでは完全に侮蔑され黙殺され尽くしたゲーテファウスト(Faust、第一部1808年、第二部1833年)」を仏語訳してフランスに大ブームを引き起こしただけで、もう十分歴史にその名を残す功績を挙げてしまったのである。


*というかこの「ベースの走り方」ジャズの大源流じゃね? 被支配者の鬱屈が振り絞らせる独特のRAVE状態みたいなものを感じる。

*とにかくインスパイア元がこんなにも悲壮な作品ばかりで明るい作品が執筆される筈などない。実際、この時期のティオフル・ゴーチェの代表作といったら「死霊の恋(La Morte amoureuse、1836年)」に「三大バレエ・ブラン」の一つに数え挙げられるロマンティック・バレエのマスターピースの一つ「ジゼル(Giselle、1841年)」とされている。
ゴーチェ Theophile Gautier 岡本綺堂訳 世界怪談名作集 クラリモンド

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2D Traditional Animation — Animator: James Baxter Character: Giselle and...

③そもそも7月革命(1830年)以降のゴーチェの心は、それが単なる王統交代に終わった事への失望から激しく荒んでました。おそらく政治活動から完全に足を洗うしかない心情に陥るまでに。

詩人はなぜガラスを割ったのか? 「悪いガラス売り」考

ティオフル・ゴーチェは、7月革命(1830年)が単なる王統交代に終わって失望。小説「若きフランス派(Les jeunes France、1933年)」の中で「革命とは何か? 路上で発砲する人々だ。実に沢山のガラスが割れる。確実に儲かるのはガラス屋だけだ」と毒を吐いている。 

④それでは、こうした環境下で生み出された実際の「ばらの精(Le Spectre de la Rose、1938年)」とはどういう作品だったのでしょうか?

テオフィル・ゴーティエ詩集「死の喜劇(La Comédie de la Mort、1938年)」から「ばらの精(Le Spectre de la Rose)」訳:支倉寿子

 少女らしい夢をみている
 あなたのまぶたをあけて下さい,
 僕はばらの精です
 ゆうべの夜会にあなたがつけたバラ。

 如露が流した銀の涙を
 真珠のようにちりばめた僕を摘んだあなた
 星空の下をいつまでも
 僕をつれて歩いて下さいましたね。

 あなたこそは僕の生命を奪った女
 どんなに追い払おうとなさってもだめです
 くる夜もくる夜もあなたの枕辺を
 訪れ踊る僕はばらの精。

同様のコンセプトが、同時代におけるこの作品にも見受けられます。そういえばこの作品も「エジプトの夜(Cleopatre、ロシア皇室直営のマリインスキー劇場にて1908年初演)」としてバレエ・リュスのレパートリーに加えられているんですね(バレエ・リュスとしてはパリで旗揚げした1909年初演)。

「或る夜のクレオパトラ」ゴーティエ著、田邊貞之助 訳|サーシャのひとり言

テオフィル・ゴーティエ「或る夜のクレオパトラ(Une nuit de Cleopatre 1838年)」

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女王クレオパトラは飽きていた。絢爛豪華ながら毎日規則正しく繰り返されるばかりの宮廷生活に。侍女シャルミオンにかしづかれながら「何か思わぬ事件でも起こらないかしら」と呟く。そこに命懸けで青年メイヤムーンが忍び込んでくる。

彼は何の地位もない。しかし「乙女にもまごうほど上品な魅力を備え、かつその柔らかな外観の下には鋼鉄の神経とヘラクレスの力を隠した」魅力的な青年であった。遠目から眺めただけで厳かに美しく輝くクレオパトラの魅力に屈服。このままでは死んでも死にきれないと覚悟を決めての決死行だった。女王を愛する事は星を愛する事。一方通行の恋なのは最初から分かっていた。

「お慕い申し上げます」と書いたパピルスを矢に巻き付け、クレオパトラの部屋に射る。退屈を破る予想外の出来事に歓喜するクレオパトラ。そしてメイヤムーンは、女王が湯浴みする池に通じる暗渠を見つけ、大胆にも彼女の前に姿を現す。

当然すぐ取り押さえられて切り捨てられそうになる。しかし、その時クレオパトラが「一晩だけ処刑を待ってあげよう」と告げる。

豪奢な衣服を与えられ、女王の饗宴に招かれるメイヤムーン。クレオパトラはこの自発的生贄を恍惚の境に誘い、目も眩む快楽の渦の中で何も分からないまま死を迎えさせようと考えた。

彼女の美しい踊りを見、彼女の肩に頭を持たせかけ忘我の境地に陥るメイヤムーン。しかしやがて暁の光が忍び込んでくる。約束の猛毒の盃が差し出される。彼は何の躊躇もなくそれを手に取る。思わず「私を愛するためにもう少し生きなさい」と口にしそうになるクレオパトラ。だがその時、マルクス・アントニウスの到着を告げるラッパの音が響き渡る。

今や死体と化したメイヤムーン。その前で生まれて初めて涙を流すクレオパトラ。しかしアントニウスが到着するとあえて女王然とした冷酷な微笑みを口元に浮かべる。そして「アウグスツスからとりこにされたら使おうと思いまして毒を試しておりましたの」と告げるのだった。

*1908年、マリインスキー劇場で「エジプトの夜」同時上演されたレガート兄弟の振付による「人形の精(фея кукол、1903年初演)」は「人形店の人形達が深夜になると踊り出す」という内容。主人公の人形の精に加えて「スペイン人形の精」や「日本人形の精」が登場したという。耽美主義(aestheticism)を特徴付けるジャポニズム運動の影響が見て取れるのは気のせい? というより日本の平安王朝が諸外国の「珍物」を並べて喜んでいた段階にロシア皇室も到達した時期というのが正しいのかもしれない。

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*H.P.ラブクラフトは、ラフカディオ・ハーンの手になる「或る夜のクレオパトラ」の英語訳に多くの米国人幻想小説作家が強い影響を受けた事実を認めている。もしかしたら彼の提唱した宇宙的恐怖(Cosmic Horror)概念の中核に鎮座する「名状しがたき瀆神的存在」も、「シャンブロウ(Shambleau、1933年)」を嚆矢とするC・L・ムーアのノースウェスト・スミス(Northwest Smith)シリーズ(1933年〜1940年)の中核に鎮座する「人を屈服させるおぞましき退廃美」も、こうした欧州耽美派の芸術絶対主義に対する彼らなりの反応だったのかもしれない。

*そのラフカディオ・ハーンが、次に米国人幻想小説作家を揺さぶったのが「怪談(Kwaidan、1904年)」収録の「雪女(Yuki-Onna)」だったという。とはいえ何しろ「イケメンだからお前だけは殺さぬ」「嫁に来た!!」「約束を破ったな。だがイケメンだから殺さぬ」なる壮絶な三連コンボ。完膚なきまでに「彼岸と此岸の交流は必ず悲劇に終わる」なる伝統的価値観の拘束を逸脱しており、当時の彼らは影響を受けるどころか、ただ傍観する事しか出来なかったとも見て取れる展開となった。「日本人は未来を生きてる」の嚆矢とも。

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Japan Lover Me - Gather around, JapanLovers, because here comes our...

⑤とはいえ「薔薇の精」が初演されたのは既に20世紀。かくしてロシア皇室の「欧州耽美趣味への傾倒」やら「日本平安王朝的)尽くし趣味」やらも引き摺りつつ、パリで旗揚げしたバレエ・リュスは「消費の主体が王侯貴族や聖職者からブルジョワ階層や一般庶民に推移した」当時の欧州のトレンドへの対応を余儀なくされる事に。

  • 概ね悲劇的結末に終わる芸術家の陰惨な内的世界(バッドエンドの世界)から、観劇を拍手喝采で締め括りたがる観客心理に譲歩した客観的世界(ハッピーエンドの世界)への転身。

  • その即物的発想から「超絶技法の賞賛者」になりたがるブルジョワ階層の女性ファンへのサービス精神の発揮。この波に乗る形でハンガリー出身の天才ピアニスト」フランツ・リストFranz Liszt、1811年〜1886年)も、ロシア出身の「天才舞踏家」ヴァーツラフ・ニジンスキーも世俗的成功を手中に収める事に成功したのだった。音楽的理論や物語文法に基づく整合性よりも、とにかく肉体の躍動がもたらす個人的奇跡。それがまさに当時のトレンドだったのである。

    リストの部屋

⑥こうした展開は概ね(当時の熱狂が忘れ去られた)後世には不気味としか感じられない作品を残すものです。例えば江戸時代中期の歌舞伎興行を支えた「娘道成寺」や「累物」。そこで活躍する「(女形が演じる)悲劇のヒロイン」は、当時のファッション・リーダーとしても注目を集めました。まさしく「(資本主義的発展が生んだブルジョワ階層の有閑マダムが主導した)江戸時代日本のリスト・マニア」こそがその人気を支えていたのです。

歌舞伎への誘い | 『京鹿子娘道成寺』

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1時間近くを1人の女方が踊りぬく女方舞踊の大曲で、『娘道成寺』または単に『道成寺』と略されます。白拍子(しらびょうし)の花子が道成寺の鐘供養に訪れ、舞を次々に披露するうちに鐘に飛び込み、蛇体となって現れるという設定ですが、内容はいくつかの部分に分けられ、恋にまつわるさまざまな女性の姿を踊り分けることが主眼となっています。

歌舞伎には「道成寺物(どうじょうじもの)」とよばれる作品群があります。これらの作品は、能の『道成寺』から、鐘供養に訪れた女性が舞を披露し、恨みの表情で鐘に飛び込む、という枠組みを取り入れています。「道成寺物」は、元禄年間[1688年~1704年]から上演されるようになりますが、それらの作品を集大成したのが、1753年[宝暦3年]に初代中村富十郎(なかむらとみじゅうろう)が初演した『京鹿子娘道成寺』です。

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歌舞伎,人形浄瑠璃の一系統。承応~寛文期(1652年〜1673年)、下総国羽生(はにゆう)村(現,茨城県水海道市)で,嫉妬に狂った醜婦の累が鬼怒川で夫与右衛門に殺され,怨念は一族にたたるが,廻国中の祐天上人の祈念で解脱するという法蔵寺因縁譚が,法蔵寺の開帳や《死霊解脱物語》の出版で都会に流布。これが《大角力藤戸源氏(おおずもうふじとげんじ、1731年)》で初めて歌舞伎化される。《伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき、1778年)》以後は,たいてい伊達騒動を脚色した時代物の世界に繰り込まれるとともに,そのヒロインが鏡を見て自分を醜婦と知り,主人歌形姫に対する夫の忠義に嫉妬し殺される段取りが,累物の系脈を作っていく。

歌舞伎のおはなし 第134話 累

「累伝説」がもとになって様々な歌舞伎狂言が生まれました。そして数ある「累物」の中で最も有名で、且つ、上演頻度の多いのが清元の舞踊劇「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」、通称「累」なのです。

歌舞伎で主人公の女性がブスではどうしようもありません。それで歌舞伎の「累」では、"累"は美しい女性として描かれ、二枚目の"与右衛門"(歌舞伎ではこちらが悪人です、色悪という役どころです)と仲睦まじい色模様を見せます。ところが、与右衛門が累の父親"助(すけ)"を鎌で殺し、累の母親"菊"と密通したという悪因縁が累に祟ります。累は顔面がお化けのように醜く腫れ上がり、その上、足がびっこになってしまうのです。運命のいたずらか、親を殺した大悪人と契ったばっかりに醜女になり、その挙げ句、与右衛門に殺されてしまうのです。そして今度は与右衛門に祟るというのが歌舞伎の「累」の粗筋です。

前半部分がしっとりとした二人の色模様ですが、累の容貌が一変したところからオドロオドロしい怪談になるという変化の多い、それだけに見所の多い舞踊劇です。

なお、三遊亭円朝(1839-1900)の作である落語「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」も同系統の作品となります。

⑦それにしても、どうして江戸時代中期にはこうした陰惨な物語が次々と明るいミュージカル仕立てで上演されたのでしょうか。それは「可愛いものと同じくらい猟奇が好き」な(大商店の女将を含む)町娘達が熱狂したからでした。

同様の展開が20世紀初頭の欧州でもあったという次第。「薔薇の精」の立場についての大胆なまでの再解釈。「初めて公式の舞踏会に参列する名誉に浴して舞い上がる小娘に理不尽に手折られ、まさにその命を失わんとしつつある悲劇的立場からの主観的抵抗」から「初めて公式の舞踏会に参列した興奮の象徴として(おそらくは緊張のあまり上手く踊れなかったであろう)彼女を夢の中でリードする存在」への華麗なる転身。あくまで「かまとと」と言われてしまえばそれまでなのですが、商業的成功はこうした心理的断片を丁寧に拾い続ける事によって達成されるものなのです。そういえばバレエ「薔薇の精」には、日本の歌舞伎における「八百屋お七物」を彷彿とさせる「人形振り」的演出も垣間見られます。両者を結ぶキーワードは「夢遊病」とも?

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*ちなみに間違えて「ロシア的父権主義」や「スターリン主義」と結びつくと大変な事に。

ああこれ、完全に三浦建太郎ベルセルク(Berserk、1989年)」における幼少時回想場面だわと思って国際SNS上の関心空間で検索を掛けたら、究極の消失点(Vanishing point)状態。この状況にかえって衝撃を受けました。

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*キツイといえばキツイ展開だけど、日本人の方がまだ普通に回覧してる感があるのです。

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*内容がDeep過ぎる「夜の秘密」場面に至っては海外の投稿が本当に皆無。もしかしたら、この事は竹宮恵子いうところの「私が少女達に与えてしまった仮面」の広まりと表裏一体の関係にあるのか。

*まぁ、こういう状況を冷静に客観して自らの主観性を確立した「少年」アカウントなんて、発見されると漏れなく「電気あんまの刑」に処されるのが国際SNS上の関心空間独特の雰囲気な訳でもあるんですが。

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それはそれとして、ただひたすら当時確実に注目に値する展開にのみ傾注するなら、浮かび上がってくるのは(超絶技巧に渇望するブルジョワ階層の志向とも重なる)天才舞踏家ニジンスキーの「少しでも高く飛び、少しでも早く回転したい」なる肉体的欲求のみ。そして観客達もまた、まさにその成功の場に立ち会いたくて劇場まで足を運んだだけだったのでした。まさしく「天才奇術師引田天功の大脱出マジック」状態?

これぞ現代エンターテイメント業界の原風景?