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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【年表】【人工知能以前の問題】計算癖の全人格化は人を自由にする?

へぇ、国会図書館のあの言葉にはそんな由来があったんだ。

http://mic7.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_3b9/mic7/E79C9FE79086E381AFE3828FE3828CE38289E38292E887AAE794B1E381ABE38199E3828B.jpg?c=a7

真理がわれらを自由にする|国立国会図書館―National Diet Library

この言葉は、国立国会図書館法の前文「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」の一部です。国立国会図書館の設立理念ともいうべきもので、東京本館の目録ホールに、日本国憲法制定時の憲法担当国務大臣でもあった初代館長金森徳次郎の筆跡で刻まれています。

この言葉は、法案の起草に参画した羽仁議員がドイツ留学中に見た大学の銘文に由来し、その銘文は、新約聖書の「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース ヨハネによる福音書8:32)に由来するといわれています。

 「真理がわれらを自由にする」なら「数理」は人をどうしてしまうのでしょうか?
今回のテーマはこれとなります。

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コンドルセ侯爵マリー・ジャン・アントワーヌ・ニコラ・ド・カリタ(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet, 1743年〜1794年)

18世紀フランスの数学者、哲学者、政治家。社会学の創設者の一人と目されている。現在のエーヌ県リブモン生まれ、パリ近郊のブール=ラ=レーヌ没。ドーフィネのコンドルセ侯爵領の領主であることから、日本では「コンドルセ」あるいは「ニコラ・ド・コンドルセ」と略称されている。

  • 1758年、パリのコレージュ・ド・ナヴァールに入学、数学の才能を認められ、パリのコレージュ・マザランで数学を学んだ。

  • 1765年に「積分論」を刊行し、1769年にフランス王立科学アカデミーの会員に推挙される。啓蒙思想家たちと親交を深め、百科全書に独占的買占などの経済学の論稿を掲載した。

  • 1770年代には解析を中心とする数学の理論研究の傍ら、1774年から1776年にかけて財務総監ジャック・テュルゴーの片腕として政治改革に関わる。テュルゴーの改革は挫折に終わったが、政治と科学双方を射程に入れたコンドルセの思想はその後深化を遂げる。

  • 1780年代に「道徳政治科学の数学化」もしくは「社会数学」という学問プロジェクトに着手。道徳政治科学とは、当時まだ明確な学問的輪郭を与えられていなかった経済学の源流の一つであり、啓蒙の知識人達に共有されていた問題関心であるばかりか数学者達の関心をも集めていた。そこでコンドルセは、当時数学者ピエール=シモン・ラプラスらによって理論的な整備の進みつつあった確率論を社会現象に適用し、合理的な意思決定の指針を与えるような社会科学を目指したのである。

  • 1785年に出版された「多数決の確率に対する解析の応用試論」はその一環であった。この著作で彼はルソーの直接民主制を否定し、唯一の社会的義務とは、一般の「意志」に従うことではなく一般の「理性」に従うことだと論じて間接選挙制を支持している。その結論を導くにあたっての理論的準備として確率に関する哲学的な議論も行い、信念の根拠としての確率という今日でいえば確率の主観説に近い立場を提示した。また、後に社会選択理論で「コンドルセのパラドクス」もしくは投票の逆理と呼ばれるものを一般化して提示。しかし、フランス革命の混乱による中断等で社会数学の試みは未完成に終わる。
    *後にこの「多数決の確率に対する解析の応用試論」が複雑な解析計算を展開する割にはごく一般的な結論しか導けていないことが数学者達から批判の的とされ、20世紀初頭にカール・ピアソンにより再評価されるまで忘れ去られる事になってしまう。

  • 1788年、人類愛と資本寡占への批判をも含む人道的汎人文主義者として「黒人友の会」出稿。

  • 1789年のフランス革命ではパリ・コミューン役員となり、1790年にはアベ・シェイエスらと1789年協会を設立、ヴァレンヌ事件以降、共和主義者の論客となり、1781年9月立法議会にパリから選出され、公共教育委員会議長となる。

  • 1792年9月国民公会議員となり、議長を経て、憲法委員会に入り1793年2月ジロンド憲法草案を議会に上程。しかし同年のパリコミューンの事件でジロンド派は没落。6月14日山岳派憲法が可決。恐怖政治に反対したため7月8日逮捕令状が発せられる。

  • ヴェルネ夫人宅の9月間の隠遁生活中のとき「人間精神進歩の歴史」を執筆。該著作は、オーギュスト・コント社会学の基礎となる小論で、人間の精神は、天文学と、占星学、純粋数学、神学といった人間の精神と社会活動から離れている学的領域から、やがて、文学、経済学、論理学、社会科学といった人間の行動と生活を論理的に究明する人文科学へ発展してきており、進化の過程において、心理学と社会科学がようやく生まれてきたその精神史と社会科学の重要性を論じている。

  • その後、令状通りに逮捕され獄中で自殺。51歳だった。今日定着しているコンドルセのイメージは革命期以降の社会的・政治活動に由来するものが多い。

  • 社会学」の創始者としてのオーギュスト・コントコンドルセを「精神的父」と呼び、彼に倣って「人類の精神の進歩」を最も大切な学的領域として捉え、彼の政治思想や歴史観を再解釈して自らの理論の礎とした。しかしその一方で社会現象の記述に数学を適用することを全く認めない事で肝心の部分の継承を拒絶する展開となったのだった。

妻はアダム・スミスやトマス・ペインの主要著書を最初に本格的にフランス語翻訳したことで知られるソフィー・ド・グルシー。聡明な彼女の存在は女性参政権などコンドルセフェミニズム思想に少なからぬ影響を与えたと言われている。

陪審定理(jury theorum)

多数決による決定の信頼性に関し、コンドルセによって示された定理である。

  • 社会契約論に於いてルソーは、国家の主権の根拠となる一般意志の概念を提唱した が、多数決によって得られる意志を「全体意志」として一般意志と区別し、国家にとって絶対の真理となる一般意志を決定する手続きについては明確にしなかった。そこでコンドルセは、政治思想とは無関係の理論体系である確率論を用いる事で、多数決の信頼性を定量的に見積もろうとしたのである。

  • この定理を記したコンドルセの「多数決論」が発表された当時は、フランス革命など近代民主主義の黎明期であった。政治の素人である一般民衆による多数決の優位性を説いたこの定理に、政治のプロである貴族だけで決定を行うそれまでの政治システムを変える役割をコンドルセは期待した。

  • しかし革命の間、この定理はほとんど顧みられることが無かった。複雑な社会に対して、単純なモデルしか扱えない数理的手法を適用する事が、認められなかったからである。 その数理社会学は現在、アローの不可能性定理によって「望ましい政治システムなんて不可能」「どの政治システムにも一長一短があるから、比較しない」と考え、現実の政治システムの評価を放棄している。

陪審定理の最大の問題点は啓蒙活動により個々の投票者が正しい結論を選択する能力が付与できるという前提にあり、未来の予測を含む不可知な条件下での意思形成には必ずしも適用できないことが挙げられる。例えば死刑制度の存廃については啓蒙活動の継続により「より正しい結論」が得られる可能性があり陪審定理の提示する強力な作用が成立する可能性があるが、「ある犯罪者」が不十分な証拠の元に有罪であるか無罪であるかを結論するさいに、いかなる啓蒙活動によってもその啓蒙活動そのものによって陪審定理が真実の「判決」を導くかどうかは数学的に証明することはできない。有限の条件下で提示された証拠により結論を判示したとしても、不可知の未来に未知の新証拠が提示される可能性は否定できないのである。

陪審定理で多数決を正当化できるための条件をまとめておこう。

(1)多数決で決める対象に、皆に共通の目標がある。
(2)有権者の判断が正しい確率 p は、0.5より高い。
(3)有権者は各自で判断する。ボスに従ったり、空気に流されたり、「勝ち馬」に乗ろうとしない。

これらすべての条件が満たされるとき陪審定理は成立する。多数派の判断が正しい確率は、1人の判断や少数派の判断が正しい確率より高く、有権者の数が増えるにつれ上昇する。このとき多数派の判断を集団として選択するのが、すべての人々にとって賢明な選択だ。

多数決により三つ以上の選択肢から一つを選ぶ場合に生じる矛盾。18世紀フランスの数学者・思想家・政治家コンドルセが発見。「コンドルセの逆理」「投票のパラドックス」とも呼ばれる。

  • たとえば候補者A、B、Cの中から三人の投票者により多数決で選出する場合、投票者の選好順序がそれぞれ、A>B>C、B>C>A、C>A>Bのように異なると、選好順序に循環が生じ同票数になって決着がつかない。

  • 恣意的に候補者を二人に絞って投票を行い、その勝者と残る一人を競わせることで決着はつくが、投票の手続きによって勝者が異なってしまう。

この考え方を数学的に証明しようとした経済学者ケネス・アローの「社会的選択と個人的評価(Social choice and individual values、1951年)」において、いわゆる「アローの不可能性定理(Arrow's impossibility theorem)が発見される事になる。

「公教育の原理」を著したコンドルセは「公教育の父」とされる。

  • その中でコンドルセはまず「公教育は国民に対する社会の義務である」と主張する。「人間はすべて同じ権利を有すると宣言し、また法律が永遠の正義のこの第一原理を尊重して作られたとしていても、もし精神的能力の不平等のために、大多数の人がこの権利を十分に享受できないとしたら、有名無実にすぎなかろう」。つまり彼にとって公教育とは、権利の平等を実質化するのが本質と認識されていたのだった。

  • フランス革命を経て、市民は法律によって「自由」と「平等」を手に入れた。しかしコンドルセは言う。この「自由」と「平等」は、教育によって初めて十全なものになるのだと。「権利の平等の実質化」、そして、そのためにすべての子どもに「知識および品性とその獲得の手段を保証する」こと。これがコンドルセの提示した公教育の原理である。

  • その一方でコンドルセはこうも主張する。「公教育は知育のみを対象とすべきである」「公権力は思想を真理として教授せしめる権利を有しない」。専制政治からの解放によって、市民は思想の自由を手に入れた。それゆえこの思想の自由を保障するために、公教育は思想教育を排し「知育」に限定するべきであると考えた訳である。

  • また彼は男女共学の思想の先駆者でもある。「男子に与えられる教育に、女子も参加することが必要である」。市民の権利は皆平等だ。だからそこには男女の区別はない。コンドルセはそう主張した。ルソーですら「エミール」の中で男女の教育は別々が当然だと書いているにも関わらず。その意味で、コンドルセのこの思想はきわめて先駆的なものだったといっていい。

最後に、本書から印象的な文章をいくつか引用しておきたい。

「法律さえ立派につくられていれば、無知な人間も、これを能力ある人間となすことができ、偏見の奴隷である人間も、これを自由ならしめることができると想像してはならない。」

「天才は自由であることを欲するものであって、いっさいの束縛は天才を委靡させるものである。」

「法律を愛するとともに、法律を批判することができなければならない。」

そういえば「自由論(On Liberty、1859年)」において「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。権力が諸個人の自由を妨げるのが許されるのは、他人に実害を与える場合だけに限定される」と提言したジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill、1806年〜1873年)にも、「論理学体系(A System of Logic, Ratiocinative and Inductive、1843年)」を著わし、因果関係と真理性の問題を解明する「ミルの方法」を提言してバートランド・ラッセルら後続の分析哲学正規分布発見に強い影響を与えた論理学者/科学哲学者という側面がありました。

ミルの方法(Mill's Methods)

哲学者ジョン・スチュアート・ミルが1843年の著書『論理学体系』で述べた帰納の五つの方法。これらの方法は、因果関係の問題を解明することを意図している。

  • これらの方法のうち一致法(method of agreement)、差異法(method of difference)、そして共変法(method of concomitant variations)の三つは、イブン・スィーナー著「医学典範(アラビア語: القانون في الطب Al-Qanun fi al-Tibb ; ペルシア語: قانون Qanun、1025年)」が初出である。

  • 残りの二つ、一致差異併用法(joint method of agreement and difference)と剰余法(method of residues)は、ミルがはじめて述べた。

ミルは、実証主義的な社会科学方法論の確立をめざし「帰納法によって発見された経験法則を再度現象の予測に適用して法則の真理性を確認する」オーギュスト・コントの歴史的方法を基にした逆演繹法を確立したともいわれている。

 そしてイブン・スィーナーを批判的に継承したアンダルシアのイブン・ルシュド(1126年〜1198年)にもまた「全能者のパラドクス」を幾何学に適用して非ユークリッド幾何学の存在を予言した科学哲学者という側面があったのです。

全能の逆説 - Wikipedia

全能である存在(以下全能者)に論理を適用する際にうまれる哲学上の逆説の一つ。

  • 基本的な問題は「全能者は自ら全能であることを制限し、全能でない存在になることができるかである(訳注: 自分を全能でなくすことが不可能なら、その全能者には不可能なことがあることになるので、全能とはいえない。一方自分を全能でなくすことが可能ならそれを行った時点で全能者は全能ではなくなってしまう)。

  • しばしば、この逆説はアブラハムの宗教に於ける神(英語でいう大文字のGod)の語をもって記述されるが、全能者をそれと限る必要はない。中世以降、哲学者らは様々な方法でこの逆説を書いてきた。古典的な例として「全能者は<重すぎて何者にも持ち上げられない石>を作ることができるか」という表現も知られている(訳注: そのような石を作れないなら全能ではない、作れるならその石を持ち上げられないのでやはり全能ではないことになる)。

全能者は、論理的に存在できないが、ほぼ完全全能者なら存在できるため、ほぼ完全全能者に矛盾の概念を消される場合には、全能の逆説も無神論者の武器とはならない。
*この問題に関しては数多くの議論が登場するが、何故か提唱者のイブン・スィーナーが実例に挙げたのは幾何学問題であり、そして実際幾何学の世界では「二点間の最短距離が直線とならない」非ユークリッド幾何学が発見されてしまった事については、あえて触れない様にしている傾向が強く見られる。

 問題を整理してみましょう。

①人間の心理には、数理そのものに対する根本的懐疑心が存在する。

ヘルムート・プレスナーによれば、20世紀前半のドイツを代表する社会学車たるウェーバーゾンバルトも、ダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe、1719年〜1720年)」の主人公が何でも複式簿記で管理したり、日記に記録しておこうとする態度「Rechenhaftigkeit」と呼んでいる。英語のCalculating Spiritのドイツ語訳で「計算癖」を意味し、これが部分的判断からあらゆる判断を全人格的に代表する基本原理へと昇華される事を「資本主義化」としたのである。

無論「計算癖の全人格化」によって誤謬の一切から解放されるという事はありません。常に(決っして地上から消滅してはくれない)視野外のファクターや(おそらく完璧な形で完成する事はない)アルゴリズム自体の間違いに配慮し続けるなければならないのですから。ただここには別の問題が潜んでいる様です。フランスの歴史人口学者・家族人類学者であるエマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)がしばしば揶揄する様に、欧州大陸の有識者がこういう表現を用いる時には得てして計算癖が全人格化した」英米に対する侮蔑感情が込められているというのですね。

間違いなく軍事力や原子力発電や人工知能に対する盲目的恐怖の背景にあるのもこれ。海外では、しばしば「旧型サイボーグが新型サイボーグの登場を盲目的に恐れる感情」と表現されています。 
*そもそもサイボーグ(cyborg)の語源となったサイバネティックス(cybernetics)とは通信工学と制御工学を融合し、生理学、機械工学、システム工学を統一的に扱う事を志向した新世代社会学だったのである(語源は、ギリシャ語で「(船の)舵を取る者」を意味するキベルネテス(ギリシア語: Κυβερνήτης))。ある意味それは最初から「サイボーグ宣言(A Cyborg Manifesto、1985年)」で有名なダナ・ハラウェイが指摘した「伴侶種(馬や犬や鳩といった通信手段の補助に用いられてきた畜獣に加え、蛇や猫や小鳥といった農本主義において害獣を狩る存在として有用視されてきた益獣やペットを加えた動物集団)」概念と不可分だったのと同時にインターネットの前身たるARPANET(Advanced Research Projects Agency Network)構築に不可欠な思考様式だった。かくして1960年代以降(唯物論の証明を最優先課題とする)科学的マルクス主義の「相対的停滞」が始まる。そもそも共産圏においてはサイバネティック工学を基礎付けるフィードバック理論そのものが「科学的マルクス主義の無謬性を傷つけようとする似非科学の無謀な冒険主義」と規定されていたというのだから、救い様がない。

*コンピューター技術の発展とは、まさに「計算癖の全人格化」の延長線上に現れた「厳選された数理群に全てを委ねる試み」の一種だったのである。これに対抗する形で欧州大陸計知識人達は(当時のサイバネティック工学が立脚したフィードバック理論の線形数学への依存率の高さに付け込む形で)1980年代を中心に「非線形数学こそ真理」「脳神経生理学や認知心理学と二人三脚の関係にある「人間の知性の模倣を通じて人間を超克しようとする」人工知能研究こそ真理」とする論陣を展開。しかしながら人間の知性の模倣を通じて人間を超克しようとする人工知能研究の挫折や、ソーカル事件(1994年)があり、この次元の「階級闘争」においても「(完璧なる知性の体現者たる)人間の模倣」を放棄し「厳選された数理群に全てを委ねる試み」を選択した「(当時チェスの世界チャンピオンだった、ガルリ・カスパロフを1997年に打ち負かしたDeep Blueプロジェクト(1989年〜2009年)を契機とする)専用AI」が勝利を飾る事になったのだった。

*ただしこうした展開はそれまであくまで「BtoB」中心に展開してきた。「BtoC」分野からの反撃が始まるのはパソコンの市販が始まった1970年代末以降。反逆者達の中核を為したのは科学的マルクス主義に加え、TVやTVゲームの普及が生んだ消費者体験(User Experience)に立脚したヒッピー世代だったが、1990年代に入ると自らが中年危機に見舞われて脱落。その絶望感を1990年代後半に「五感で感じられたり金銭に換算可能なものしか信じられない」「デス・ゲームでしか生きてる実感を回復出来ない」状態まで一旦は追い込まれた日本の若者達が継承する。

ダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言(Cyborg Manufesto, 1985年)」じゃないですが、そもそも人間社会はほぼ文明最初期の段階から「計算」抜きには運営不可能であり、その意味では「最初から全員サイボーグ」だったのです。
*欧米では分裂したポスト・サイバーパンク諸派の中から「伴侶種」だけでなく「食肉種」や植物栽培の世界にまで視野を広げた「バイオ・パンク(Bio Pank)」が頭一つ抜けて台頭してくる。日本でこの流れを継承したのは五十嵐大介「魔女(2003年〜2005年)」「海獣の子供(2006年〜2011年)」「ディザインズ(2015年〜)」の系譜とも。

*その一方で「伴侶種」概念は「人類のパートナーとしての妖精種」なる伝統的概念とも深く結びついてくる。「ハリー・ポッター・シリーズHarry Potter Series、原作1997年〜2007年、映画化2001年〜2011年)」においてハーマイオニーが解放を目指す「屋敷しもべ妖精」もこれに含まれる。

我々が(インダス文明がそうだったとされている様に)無計画に森林を伐採して滅びずに済んでいるのは、より「新型」で、より高度な「計算」を用いているからに過ぎません。まずは、この前提から出発しなければいけないのですね。
*そもそも「計算癖が全人格化して人間性が失われてしまった」と揶揄される地域においては、概ね古くから毛織物産業が栄えてきた。

*一方、そう揶揄する地域においては、19世紀に入ってもなお領主が経済運営を宮廷ユダヤ人やユダヤ系管財人に丸投げする農本主義的体制が残存していたケースが少なくない。何か問題が発生したらユダヤ人をスケープゴートとして大量処刑して「領主の尊厳」を守り抜くのである。概ねナチス・ドイツ支配下においてユダヤ人迫害が酷かった地域と重なるとも。日本でいうと「御上の威信」を磐石とする為に穢多・非人階層が設定され、汚れ役と憎まれ役を押し付けられた徳川幕藩体制の復活を今日なお望み続けている人々が存在しているのに等しい。

*古くから産業と交易で栄えてきた地域では「牛乳チーズの大量生産産業」も栄えてきた。そして近世に突入した欧州や日本では17世紀から18世紀にかけて時報に従って生活する慣習が定着。19世紀に入ると厳密な時刻表に従って運行される鉄道や航路に適応する為に多くの人間が懐中時計や腕時計を携帯する様になる。さらに自由に移動したい層は(辻馬車の延長線上に現れた)タクシーや自家用車に依存する様になる。これを「サイボーグ化」と呼ばずして何と呼ぼうか?

*おぞましき奴隷制農業に支えられた「大西洋三角貿易」は18世紀を中心に砂糖が「世界商品化」した現実抜きに語れない。その状況は大航海時代に入って(すでにスッカル(sukkar)が補助貨幣化していたイスラム圏から伝わった)砂糖黍(きび)栽培技術が新大陸へともたらされた16世紀に端を発し、それまでの砂糖消費地において甜菜(sugar beet、砂糖大根)などの現地栽培が始まってカリブ海における奴隷制砂糖農園維持の意味がほぼ消失した19世紀まで続く。ある意味、欧州農本主義体制の最終到達点だったとも。日本においてもオランダが出島経由でもたらす「唐三盆」が和菓子発展に不可欠だったが、「バタヴィアの狂暴(1740年)」によってオランダの砂糖生産設備が壊滅すると西国諸大名が代わって「和三盆」の主要供給地となる。これがオスマン帝国や欧州の宮廷における景徳鎮人気に便乗した伊万里焼や柿右衛門輸出などと相まって明治維新の原動力となっていくのである。このプロセスもまた欧米では「人類のサイボーグ化」の一環と認識されている。国際交易への関与は、否応もなく参加者全員を「計算癖の全人格化」へと誘うのである。

*その点、綿織物産業は農本主義から資本主義への過渡期に栄えた側面が強い。何故なら(コンピューター史において重要な意味を持つ「パンチカード・システム」導入を含めた)機械式工場制浸透を主導する一方で(砂糖黍(きび)栽培や阿片栽培同様に奴隷制単純労働と縁深い)綿花栽培地を必要としたからだった。

  • 19世紀に至るまで米国南部はこの意味で「英国植民地」化されてきたが、南北戦争(1861年〜1865年)を通じて「解放」に成功。

  • 1968年よりインドで革新的綿花ビジネスに着手してきたタタ財閥は、イギリスのP&O汽船に対抗するべく日本郵船と提携して1893年ボンベイ航路を開設。これによって(価格競争で勝負にならない)日本国内における綿花栽培産業は壊滅したが、そうした動きは生糸生産/絹織物産業へのシフトを加速して大日本帝国をこの分野における世界一にのし上げる一方で欧州における生糸生産/絹織物産業を壊滅に追い込んだのだった。

しかしまぁ、羊も綿も蚕も、どちらが主人か分からない程人間を酷使する。アメリカではこれに加えて都市部近郊の養鶏産業が重要な意味を為すらしく「世界初のサイバーパンク小説」と銘打たれたK.W.ジーター「ドクター・アダー(執筆1974年、刊行1984年)」の物語的出発点もそれだったたし、荒川弘銀の匙 Silver Spoon(2011年〜)」に対する反応もこの部分が主軸となったものである。要するにこういう流れもまた「人類のサイボーグ化」の重要な一環なのである。

*そう、蒸気機関車や蒸気船、さらには冷蔵設備の普及は「(「フランダースの犬」のネロ少年を失業に追い込んだ)新鮮な牛乳と卵の供給範囲拡大」さらには「安価で高品質な南北アメリカの農畜産物の世界商品化」なる新展開を生んだのだった(日本でも今や「メキシコ産チキン」や「チリ産サーモン」はありふれた食材)。かくして産業革命の進行は伝統的な需要と供給のバランスを完全に崩壊させて欧州を大不況時代(1873年〜1896年)へと追い込む。これを突破する過程で消費の主体が王侯貴族や聖職者からブルジョワ階層へと推移。こうした流れもまた「人類のサイボーグ化」の重要な一環としてカウントされている。こうした展開は日本でも海苔や牡蠣や鰻の養殖、生卵や納豆の常食範囲拡大に貢献している。

こういう側面においては欧米の方が過激思想の持ち主が多いので、フランスにおいてマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督作品「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge、2016年)」が封切られると、ネットを「我々が人間らしさを取り戻す為には火さえ捨てねばならない」なんて投稿が流れた訳ですが、そもそも作中の登場人物も火そのものを捨ててなんていなかったし、キーボード叩いてその投稿をしてる時点でどうなのよって話だし…

  • 以前も書いた様に、国際SNS上の関心空間と直接乗り入れがある訳ではないので伝聞情報として伝わってきたのみ。それもおそらく間違いなく対立サイドが揶揄目的で流したデマ。でもきっとその筋の人達って、普段からそういうデマを流されても迂闊に否定出来ない様な言動を繰り返してるんだと思う。

  • 日本でも実際にTVドラマ「北の国から(本編1981年〜1982年、特番1983年〜2002年)」を鑑賞して「TVを捨てた」と自慢するエコな人達がたくさん現れたし、そういう感じ?

それでは逆に「とりあえず計算癖の全人格化を肯定する立場」から出発したらどうなるのでしょうか。まぁ、その一例が今回例に挙げた「コンドルセが始め、ジョン・スチュアート・ミルが広めた思考様式」という事になる訳です。

*やはりここでもダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe、1719年〜1720年)」が鍵となる。フランスの有識者達は「レッドタートル ある島の物語 」を「これこそ本来あるべきロビンソン・クルーソーの物語だった」と褒めちぎったが、若者層はこれに「人類は人間性を回復する為に火すら捨て去らねばならないのか?」、女性層は「女は人間になる為に男に一旦殴り殺されねばならないというのか?」と食いついたのだった。マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督自身はロンドンを活動拠点とするオランダ人で、こういう展開を全く想定だにしていなかったというのも興味深い。

*ここでも改めて「計算癖の全人格化を弾劾してきたのは誰か?」が改めて問われる事になる。実は彼らこそ絶対王政黄金期だった17世紀から18世紀にかけての価値観に執着するあまり、ソ連崩壊の原因をレーニンのフォーディズム(fordism)/テーラー主義(Taylorism)導入やスターリン計画経済導入に求め「領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義への回帰だけが唯一の正解」と考える様になった守旧派そのものだったのではあるまいか?

フォーディズム

コンドルセが始め、ジョン・スチュアート・ミルが広めた思考様式」とは何か?

ある意味1859年は「社会学元年」とでも呼ぶべき年だったといえる。

  • ジョン・スチュアート・ミルが「自由論(On Liberty、1859年)」によって「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。権力が諸個人の自由を妨げるのが許されるのは、他人に実害を与える場合だけに限定される」なる考え方を発表。

  • ダーウィンが「種の起源(On the Origin of Species、初版1859年)」によって系統進化などの概念を発表。

  • マルクスが(パトロンたるラッサールの全面協力を受けて)「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」によって「我々が自由意思や個性と信じているものは、社会の同調圧力によって型抜きされた既製品にすぎない」なる考え方を発表。

こうした新概念の組み合わせによって社会学の形成が始まったからである。

過去投稿では「途中に挟まるオーギュスト・コントの影響範囲」について悩んできましたが、この次元においては(途中経過はどうあれ)概ね以下の様に考えられそうです。 

  • コンドルセの「(条件さえ満たせば判断者が多いほど正しい判断が下されるとする)陪審定理」と「(判断者の判断力の底上げは必須とする)公教育の原理」は同一概念の別側面である。

  • 「視野外要素」と「判断手続きに誤謬があった場合」に問題が生じるが、これは数値化の欠陥そのもの。

  • そしてそれは、比較的そのままジョン・スチュアート・ミルに伝わった。

とどのつまり、ここでいう「コンドルセが始め、ジョン・スチュアート・ミルが広めた思考様式」とは、コンドルセ陪審定理」と「公教育の原理」を合わせたものという事になりそうです。

  • 古典的自由主義者の数理」と一言要約して「それでは少数者の判断が黙殺されるから全面没!!」と頭ごなしに全面否定してしまう人が現れそうですが、この概念では「判断者が集団化して互いに利害を争う様になったらその時点で適用外」なので問題なしとします。

  • すると今度は「その状況設定が非現実的なのでやっぱり全面没!!」と頭ごなしに全面否定してしまう人が現れそうですが、それはそれで別次元の議論となるので、とりあえず保留。

まぁ上掲の引用文を見ても、議論がこの辺りのトピックで堂々巡りしている模様。ならこの概念はすでに過去の遺物なのでしょうか?
*欧米大陸部において実際の産業革命導入を推進したのは「サイボーグ化=数理に全てを委ねる展開を拒絶したオーギュスト・コントの実証哲学(Positivism)」ではなく、「上からの産業革命導入」を肯定したサン=シモン派であり、それが最終的にもたらしたのが「権力に到達したブルジョワジー(bougeoisie au pouvoir)」あるいは「二百家」と呼ばれる人々によるだった点は注目に値する。ドイツ帝国と米国と大日本帝国は当時その再現を試みた。


③「コンドルセが始め、ジョン・スチュアート・ミルが広めた思考様式」の根本的欠陥(視野外要素の影響とアルゴリズムそのものの誤謬)への処方箋は?

実のところ処方箋は1種類しかない。

  • エドマンド・バークは「フランス革命省察(Reflections on the Revolution in France、1790年)」の中で「(ある世代が自分たちの知力において改変することが容易には許されない)時効の憲法(prescriptive Constitution)」について言及している。

  • ベルンシュタインは「社会主義のための諸前提と社会民主主義の任務(Die Voraussetzungen des Sozialismus und die Aufgaben der Sozialdemokratie、1899年)」の中で世界は閉じた系というよりむしろ「開かれた社会」ないしは「未完のプロジェクト」としてイメージされるべきであるとし「私には道程こそが全てであって、目標などないに等しい」と述べている。

  • ハンガリー出身の経済人類学者カール・ポランニーは「大転換 (The Great Transformation1944年)」の中で英国の囲い込み運動を詳細に分析し「後世から見れば議論や衝突があったおかげで運動が過熱し過ぎる事も慎重過ぎる事もなく適正な速度で進行した事だけが重要なのであり、これが英国流なのだ 」と指摘している。

一言で言うと「適正スピードで改良を続ける事」となろうか。

考えてみたらマックス・ウェーバーの「鋼鉄の檻(Gehäuse)理論」も原型はこれですね。日本に伝来すると何故か「成長に合わせて脱皮を繰り返すのが正しい社会のあり方」とか「外殻は拘束具でもある。本当の人間らしさを取り戻すには脱ぎ捨てるしかない」とか魔改造されてしまいましたが、原文における言及を見る限りマルクスの「我々が自由意思や個性と信じているものは、社会の同調圧力によって型抜きされた既製品にすぎない」概念とエドマンド・バークの「(ある世代が自分たちの知力において改変することが容易には許されない)時効の憲法(prescriptive Constitution)」概念を融合させたものというのが正しい様です。それ自体が「改良主義」の産物とも?

ただこの処方箋にも「だれがその改良速度が適正と判断するのか?」という問題があります。確実に「現状維持派」と「現状懐疑派」の対立構造が内在するので「陪審定理」が適用出来ないんですね。

この問題について当ブログは英国映画「アメージング・グレース(Amazing Grace、2006年)」や、スティーブン・スピルバーグ監督作品「リンカーン(Lincoln、2012年)」で掲示される泥臭い議会制民主主義の世界を最終解答としてきました。当分その状況は変わらないと思います。


④それなら「コンドルセが始め、ジョン・スチュアート・ミルが広めた思考様式」のもう一系統の根本的欠陥(判断者が集団化して互いに利害を争う様になったらその時点で適用外で、その状況設定が非現実的)への処方箋はあるのか?

「第三次フェミニズム」とは何か?

以前のフェミニズムでは、「女性であること」を重視するあまり女性の間の多様性を軽視してきました。

「女性は等しくジェンダーによって抑圧されている」と主張する以上、「女性」という集団は性染色体以上の共通項を持っていると仮定されなければならず、Audre Lordeやbell hooksらの多様性との共存を要求する声は、結局「女性の多様性を容認する」以上の物にはならなかったと考えます。

第3次フェミニズムでは、ただ単に多様性を容認するのではなく積極的に多様性を肯定する戦略を取ります。「すべての女性」という概念が取り払われ、「自分はこう思う」という観点が重視されるようになるのですが、これによって複雑な問題を単純な問題に矮小する事を避ける事ができ、また他の集団との課題別連帯も可能となったのです。

第3次フェミニズムでは「自分らしさ」を疑う姿勢は滅多に見られません。これは、「マインドコントロールによって女性は自分自身の考えを持っていない」というFaludiやWolfの前提だけでなく「異性間恋愛において、女性はセクシャリティの主体とはなりえない」とする急進的ラディカルフェミニストとも正面から対立します。

「本当の自分らしさ」を、「女性はこうあるべきだ」「フェミニストはこうあるべきだ」といった外部の規律より常に優先する点は、ほとんど全ての第3次フェミニストに共通しています。 そして、それは決してエゴイズムによる物ではなくて、ただひたすら「自分自身に正直になりたい」事から起きるのです。

 これって「陪審定理が適用不可能となる条件」をクリアしてるとは思いませんか? ましてや相互模倣によって「公教育の原理」の条件も満たすとしたら? 思考実験というより、それらしい実物を長年経験してきた立場からの提言なんですが。

要するに陪審定理が適用可能な条件」は、以下の様な状況下でなら達成される様なのです。

  • 「判断者がAIの場合」機械学習の学習機はそうプログラムしない限り他の学習機の影響なんて受けないのである。これを利用したブースティング(Boosting)という技法も存在する。まぁ、根幹が数理なので右から左に流用可能という次第。

  • 「判断者が(親族や知人に知られたくない趣味を満たしに来た)匿名アカウントの場合」…要するに、これまで幾度となく言及してきた「(静止画像や音声データや動画といったリッチ・コンテンツの回覧が中心で会話要素が極端に少なく、かつインフルエンサーが存在しない)国際SNS上における関心空間」の事。そもそも、これの中枢に組み込まれる表なSNSは、システム的に「アカウントが集団化して互いに利害を争う状況」やインフルエンサーが生まれ難い仕掛けが施されている事が多い。

国際SNS上の関心空間はアメリカ中心に「どちらかというとタイプ的には第3次フェミニストに分類される女子アカウント」の梁山泊ともなってるので威力倍増とも。

ただ国際SNS上の関心空間には、その成り立ち上「よほどの大事件でも起こらないと社会に貢献する様な共通目的が設定されない」という問題もあって、その成功自体が「陪審定理のジレンマ」の一般的解決につながるか実に微妙。逆に「変なプロパガンダに扇動されにくい安定感をネット社会にもたらしている」側面まで生まれてきたりして、ますます「有効活用」から程遠くなってきた感すらあります。
広告業界から見ればとんでもないブラックホールとも。

http://www.standbyformindcontrol.com/wp-content/uploads/2015/05/the-black-hole.jpg

さて、材料は一通り出揃いました。

  • それでは数理は人を自由にするのか?
  • 計算癖の全人格化は人を自由にするのか?

そもそも全ては「自由」の定義次第というのが今回の結論?