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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【黒澤明】【家父長制】「椿三十郎(1962年)」から「天国と地獄(1963年)」を経て「赤ひげ(1965年)」に至る過程で一体何があったのか?

ジョージ・ルーカス黒澤明の大ファンで、スターウォーズ・シリーズがそのオマージュに満ちているのは有名な話。

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どんぐりこ - 海外の反応 海外「初めて知った」スターウォーズに見る黒澤明の影響に海外が感動

ところで、そのジョージ・ルーカスがその黒澤明作品から継承したのか実に微妙な要素があったりします。

黒澤は三十郎に、それまでの黒澤作品でも常に見え隠れする、未熟な若者を指導し、育てる、家父長のイメージをも与えているはずなのである(この関係がそのまま、次々作「赤ひげ」の三船-加山の関係に繋がって行く)。三十郎は、若侍たちにとって、父親的な存在でもあるのである。それ故、あの脚本をそのまま採用するなら、織田のキャスティングは間違っていると言わざるを得ない。

そもそも「椿三十郎」は、三船敏郎演じる椿三十郎が家父長として若者達を導く物語だったのでしょうか? むしろ父親役は(将来加山雄三演じる若衆頭の義理の父親になりそうな)国家老で、その真価を見失って迷走している若者達の目を開かせると同時に自分が父親役に相応わしくない人間である事を証明して去っていく役回りだったのではなかったでしょうか?

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黒澤明作品においてこの問題は最初から「親子関係」だけでなく「競争社会における勝者と敗者の関係」にも投影されてきました。そして「天国と地獄(1963年)」においてそれはさらに「戦勝国」アメリカと「敗戦国」日本に重ねられる事になります。

Banal Echo, Gee!!!

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黒澤明監督作品「天国と地獄(1963年)」

 竹内銀次郎(山崎力、誘拐事件の加害者側「私はね。親切な気持ちで嘘を言われるより、残酷な気持ちで本当の事を言ってもらった方がいいな。」

michael pitt

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権藤金吾「(三船敏郎、誘拐事件の被害者側)(嬉々として身代金受け渡しの鞄を加工しながら)見習い工の頃を思い出すよ。これからが本当の俺なんだ。(裏切り者で元秘書だった河西に向かって) お前はまだまだガキだ。お前という人間になっておらん。」

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竹内銀次郎「私が死刑になって嬉しいでしょう? 嬉しくないんですか?」

権藤金吾「君は何故そんな事を言うんだ。どうして私と君が憎しみ合う両極端だと考えるんだ?」

竹内銀次郎「何故だかわかりませんね。私には自己分析の趣味なんてありませんからね。ただ、私の部屋は冬は寒くて寝られない。夏は暑くて寝られない。その三畳の部屋から見上げると、あなたの家は天国みたいに見えましたよ。毎日毎日見上げてるうちにあなたがだんだん憎くなってきた。しまいにはその憎悪が生き甲斐みたいになってきたんですよ。それにね、幸福な人間を不幸にするっていうのはね、不幸な人間にとってなかなか面白い事なんですよ。」

権藤金吾「君はそんなに不幸だったのかね」

竹内銀次郎「身の上話をしろっていうんですか。まっぴらですね。私は自分がどれだけ不幸だったかなんて話して、今更同情なんてしてもらいたくありませんよ。幸い、おふくろも去年死んで、めそめそした幕切れにならなくて済んで本当に良かったと思ってるんですよ。」

権藤金吾「それで一体君は何のために私を呼んだんだ?」

竹内銀次郎「私が泣きわめいたりびくびくしたりみじめったらしく死んだなんて、あなたに想像されるのはたまりませんからね。(両手を震わせながら)この手が震えているのは怯えてるからだと思うでしょう。ところが全然関係ないんだな。長い間独房に入れられてるとこうなるんです。単なる生理現象ですよ。独房から出されただけで震えてくるんです。本当ですよ。私は死刑なんか怖くもなんともない。地獄へ行くのも平気だ。生まれたときから私は地獄みたいな生活には慣れてるんです。(笑い出して)天国に行けだなんて言われたら、それこそ本当に震え上がるかもしれませんがね。(突然笑い止めて暴れ出し)くそーっ!!(面会室から連れ出される。シャッターを閉じる音が無機質に響き渡る)」

30 Day Film Challenge, Day 23 - The Most Powerful... - Sol Phiedbacher

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Ma Petite Valise Noire — Tengoku to Jigoku / High and Low (1963) Akira...

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竹内銀次郎の「不幸」はその貧困に満ちた下宿場面と、彼がインターンとして勤める病院のとあるシーンによってのみ示されています。大名行列の様な院長の回診場面。竹内銀次郎はその最後尾に遅れてうなだれてついていくのみ…
*実生活における「梲(うだつ)の上がらない感じ」と、サングラスをかけて悪事を遂行する際の別人の様なふてぶてしさ。「死刑囚」となって二つの人格が合流し、サングラスなしでもふてぶてしい感じ(ただし二重人格者)となる。もしかしたらこれこそがダース・ベイダー(Darth Vader)の辿った「ダークサイド堕ち」のプロセスであり、カイロ・レン(Kylo Ren)も辿った道?

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Ma Petite Valise Noire — Tengoku to Jigoku / High and Low (1963) Akira...

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そもそも「椿三十郎(1962年)」の原作たる山本周五郎「日日平安(1954年)」の主人公菅田平野からして家父長的威厳には縁遠い人物だったりします。むしろ家父長的なのは国家老で、菅田平野はその統制に容易くは屈しようとしない「反抗的な放蕩息子」といった役回り。しかも結局、彼は最終的に「家父長的権限の象徴」たる国家老に屈する道を選ぶのです。
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山本周五郎「日日平安(1954年)」

事件解決後、逃げ出した菅田平野の独白

「…おれの中でなにかが起こった、なにかが、……ちょっと口には云えないが、ともかく逃げだすのは今だ、たったいまここから逃げだせ、という気持だった」

彼の腹の中で妙な音がした、その音がなにを意味するかは知る者ぞ知るであろう、彼は なさけないような顔をして、ぐっと生唾をのんだ。

「いや虚栄心じゃない、これは虚栄や偽善じゃあない、良心の問題だかもしれない」と 菅 田 平野 は 続け た、「――おれは恥ずかしいような、照れくさいような気持になっ た、そこがふしぎなんだが、いや、おれにはふしぎでもなんでもない、このへぼ頭から 絞りだした策戦が、あんなにみごとに成功したということは恥ずかしい、策戦をたて、 自分が行動しているあいだはよかった、心身とも爽快に緊張していたが、策戦が完全に 成功し、一つの齟齬もなくすべてが完了したとき、そうだ、おれは索寞と恥ずかしくなり、いたたまれなくなった…… どうしてそこにいられるか、事が完了し た以上おれは 余計な人間じゃないか、あとは、そうだ、はっきり云おう、あとはおれの功績が計算さ れる番だ、おれはそれを願っていなかったろうか、おれは初めからそれを願っていた、 おれは初めにこの蔓は放さないぞと思った、おれはその蔓をものにして仕官するつもり だった、万事が完了したとき、それがはっきりと浮きあがってきたんだ、…… となれ ば、おれの良心としてそこにいられる道理がない、これは侍の良心の問題だ」

疲れきって、空腹で、死ぬほど眠いにも拘らず、菅田平野は高邁な感情に包まれてい た。 精神もすがすがしく、爽やかであった。もっとも腹の中のことはべつである。腹の中では(もうずっとまえから)まったく違う声が彼を非難していた。

「くうくうくうこの虚栄心の強い偽善者め」とその声は云うのであった。「きさま空腹 のあまり切腹のまねまでしたじゃないか、なにが侍の良心だ、きさまは充分に役立った し、仕官は確実に眼の前にあった、くうっ、くうっ、さあ戻れ、すぐ十郎太のところへ 戻れ、仕官するのが照れくさいのなら約束の金だけでも借りろ、あの男の紙 入の中には おまえに約束した金があるんだ、さあ戻ってゆけ」

「頼むから戻ってくれ、お願いだ から」と腹の中の声は続けるのであった、「こんなに 空腹で無一物でどうするんだ、おれはいやだぞ、こんなに腹ぺこでなにが高邁だ、おれ はいやだ、いやだいやだいやだ、やいこの……なにか食わせろ、やいなにか食わせろ」

しかし結局、国家老の方が上手で菅田平野はその懐柔を受容する。

「どうか戻って下さい、菅田さん」

乗りつけた馬からとびおりると、井坂十郎太は懇願するように云った。

「いやわかっています」と十郎太は息をはずませながら云った、「貴方がどうして立去られたか、私にはよくわかっています、しかしそれはいけません、貴方のお気持はあっぱれだが、それでは私どもが困るのです」

「―― 貴方がたがお困りになる」

「伯父にどなられたのです」と十郎太が云った、「こんどの事で、貴方に藩の内紛を知られてしまった、藩の内紛を知られたからには、このまま菅田さんをよそへやるわけにはいかない、ぜひ戻って任官されるか、客分として留まってもらわなければならない、 すぐ手分けをして追いつけと云われたのです」

 菅田平野は心の中でわれ知らず叫んだ。

――有難い、これで堂々と帰れるぞ。

だが、彼はできるだけ渋い顔をして頷いた。

「なるほど、それは仰しゃるとおりかもしれませんな」

「戻ってくれますか」

「やむを得 ませ ん」と菅田平野は云った、「―― 御藩の平安のためですから戻りましょう」

そしてつい知らずおじぎをし、十郎太を見て、もうがまんしきれずに笑いながら云っ た。「どうも有難う」

何たる家父長的予定調和感に満ちた展開。舞台を(まさにフロイトがそれについて口にした)19世紀のハプスブルグ帝国に移しても通用しそうです。

*そして同時に「(ダシール・ハメットを断筆に追い込んだ末に米国共産党に入れこませ、フランク・キャプラ監督を「社会派」に追い込み、レイモンド・チャンドラーが晩年に本気で取り組んだ)モーリス・ルブランのジレンマ」をも満たしてもいる。

モーリス・ルブランのジレンマ(The Dilemma of Maurice Leblanc)

中年まで売れない純文学的作家として過ごしてきたモーリス・ルブラン。それまで蓄えてきた怨念をぶつける形で泥棒紳士ルパンなる「金持ちからしか盗まない庶民の味方」を創造して大儲けしたが、自らも素封家名士の仲間入りを果たすと、毎夜「ルパンが盗みにやってくる悪夢」に魘(うな)される様になったという。

ベトナム戦争が泥沼化した1960年代後半から、米軍のベトナム撤退が完了する1970年代前半にかけて「1950年代的価値観」に準拠する親世代に対して反乱を起こしたヒッピー世代。そのアメリカ的家父長制に対する怨念が凝縮された時代証言の一つがK.W. ジーター「ドクター・アダー(執筆完了1972年、刊行1984年)」なのだが、そこでは父親達は聖書における「放蕩息子の帰還」のエピソードを「人肉パーティの食材供給源」に読み替えて実践している。考えてみれば山本周五郎「日日平安(1954年)」の主人公も平時においては「無用の長物」な上、御家内紛の実情を知る生かしておいては危険な存在。ほとぼりが冷めた頃に抹殺されたとして不思議がない展開なのだった。しかし、そのヒッピー世代も1990年代に入ると「中年危機」を迎える事になる。

映画版(黒澤明版)すなわち「椿三十郎(1962年)」は原作におけるこの部分をそのまま踏襲した訳ではありません。

  • 中間シナリオにおいて主人公とされた「杉田平野」は、映画版同様に森の中の社殿において若侍達の「クーデター」を盗み聞きする。そして「一番悪い奴は一番善人面をしている、危ない危ない、ですよ」と、井坂が伝えた国家老の言葉を引用しながら「私もね、二年程前、みなさんと同じように好物粛清ってやつをやったんです。ところが一番信用していた老職の一人が黒幕でね、逆にこっちの方がうまく料理されて、このざまです……だから、皆さんの話が他人事とは思えなくてね。思えず、よけいなおせっかいに飛び出したわけですが」と経験を語る事で軍師に迎えられる。映画文法的には「語り過ぎ」の部類であり、このシナリオのままの形で日の目を見る事はなかった。途中に「俺は、この夢を絶対にはなさない……この機会をものにして、なんとか職にありつく手だ……仮に仕官が出来なくても相当の礼金はくれるはずだ」というナレーションが入り、結末は原作と同じという中途半端さも「映画的カタルシスに欠ける」と判断された一因だった。

  • この「杉田平野」が「用心棒(1961年)」において巨悪を倒しながら、その後は無用の長物として去る凄腕浪人「桑畑三十郎(仮名、三船敏郎)」と差し替えられます。そして彼が若侍達に「お前らのやる事は危なっかしくて見ちゃいられねぇ。だから少しだけ手伝ってやる」と言い渡す事で物語が動き出し、ただし彼の遂行した計画は「国家老が本来計画していた穏便な計画」よりは遥かに沢山の犠牲者を出した為に事件解決後の退去を余儀なくされる。ラストシーンは、黒幕の用心棒・室戸半兵衛(仲代達也)を斬った後で「椿三十郎(仮名、三船敏郎)」が吐く捨台詞「こいつも俺も鞘に入ってねぇ刀さ…でもな…あの奥方が言ったとおり、本当にいい刀は鞘に入っている…おい…てめえ達もおとなしく鞘に入ってろよ」で締まる。そういう形にまとまって初めて黒澤明監督のGOが出たのだった。

まさにこれぞ「日本人の情緒に合った人情物小説」から「国際的に通用するハードボイルド映画シナリオ」への転換過程。かくして主人公は「(最後は親元に戻る)放蕩息子」から「(決して親元には戻らない)放蕩息子」へと華麗なる進化を遂げる事に。

Mifune Toshirou 三船 敏郎 on the set of Yojimbou 用心棒 -... - Nippon-Graph

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小説「日日平安」からシナリオ「日々平安」へ

登場人物同士の関係は、映画におけるストーリーにおいては、スクリーン上の各場面のカットに映し出される行動の積み重ねが創出する時間の流れの中で変化していくさまを、観客が観るという行為によってのみ成立する。

「日日平安」から「椿三十郎」に継承された基本的ゲーム性

原作小説からシナリオにそのまま継承された根幹、それは、①井坂の行動が原因となって、悪事が露見したことを知った好物が城代家老拉致監禁する。②たまたま遭遇した浪人者が井坂たちに協力するようになる。③井坂たちが決起しつつあるという偽情報を浪人が、好物側に密告する作戦を実行する。④敵は偽情報に騙され、城代の居場所の確証が得られる。⑤城代を奪還する、という展開である。このゲームの本質は、城代家老を奪還さえすれば若侍側の勝利が確定するという点にある。こうした一種の単純明快さと、早く奪還しなければ城代の命が危ない、つまり早くミッションを完遂しなければ負けるという条件によって生み出されるサスペンスが、映画化するに適した、すなわちスクリーン上に展開する娯楽作品に適した作品として選択された大きな理由のひとつではないかと推測することもできるだろう。同様に、非常にわかりやすい勧善懲悪の構図や、ウェルメイドな喜劇としての結構をもつことも加えてよいかもしれない。何よりその喜劇としての結構が、その根底に現実と格闘しながら生きることの本質に関わる深い批評性を併せ持つのである。ただしその問題についてさらに追求するには中間シナリオ版を経由して映画版にそのまま継承される馬草小屋における城代夫人とその娘の会話の場面、および映画版で初めて追加される城代夫人が三十郎に、そして三十郎が井坂たちに語る〈良い刀は鞘に収まっていなければならない〉という台詞が含意する思想を合わせて考察しなければならない。

*そういえば「用心棒(1961年)」において主人公が「桑畑三十郎」を名乗るのは、窓の外に広がる桑畑を目にしたから。なぜ桑畑が広がっているかというと、この土地が元来は養蚕と絹織物で栄えてきた地域だから。その繁栄を邪魔する巨悪を除いて自らを「無用の長物」と化す「桑畑三十郎」のダンディズムは、そのまま「またしても負け戦さだった…最後に勝ったのは百姓だ」と勘兵衛(志村喬)に嘯(うそぶ)かせた「七人の侍(1954年)」のダンディズムとの連続性を感じさせる。

My Very Own Garden • Hayao Miyazaki talks Akira Kurosawa

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日本の小説家にも、こうした「映画的世界観」に足を踏み入れた人物がいました。そう「鬼平犯科帳(1967年〜1989年)」「剣客商売(1972年〜1988年)」「仕掛人・藤枝梅安(1972年〜1990年)」の池波正太郎(1923年〜1990年)です。

池波正太郎の文は、子母沢寛大佛次郎吉川英治山本周五郎柴田錬三郎、そして司馬遼太郎など日本にあまたいる時代小説作家のそれと比べると、とにかく切れ味がいい。余計な修飾語がなく、それはまさに作品の主人公が使う剣の切れ味のようにシャープだ。隆慶一郎ほど荒々しくなく、吉川英治山岡荘八ほど重くない。山本周五郎のようにウェッティでもない。だから長い作品でもスッと読めてしまう所がいい。

 まさしく19世紀中盤にドイツやオランダを席巻した「写実主義(realisme)」の世界。しかし黒澤明映画の世界はさらに同時代フランスを席巻した「自然主義(Naturalisme)」の世界にまで足を踏み入れていくのです。
自然主義

オノレ・ド・バルザックゴリオ爺さん(Le Père Goriot、1835年)」

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(トマス・ピケティいうところの「ラスティニャックのジレンマ(The Dilemma of Rastignac)」の語源たる)ウージェーヌ・ド・ラスティニャックの初登場場面

ウージェーヌ・ド・ラスティニャックはいかにも南方人らしい顔立ちで、色白く、髪黒く、眼も青かった。彼の物腰なり挙措なり、その不断の態度なりには、名家の子弟の一員たることがうかがえ、伝統的な品のよい趣味ばかりを、幼時からの薫陶に受けてきたことが察せられた。着惜しみをして彼は、ふだんは昨年の服を、すり切れるまで着通し ていたが、それでもたまには高雅な青年のように着飾って、外出することなどもあっ た。いつもは古いフロックコートに汚いチョッキ、色あせたお粗末な黒ネクタイ、それ も学生式に結びのだらけた代物、ズボンもそれにふさわしいような安物、長靴も底革を 張り替え た捨物をはいていた。

エドガー・アラン・ポーの「素人探偵C・オーギュスト・デュパン」、エミール・ガボリオの「探偵・ルコック」、アーサー・コナン・ドイルの「名探偵シャーロック・ホームズ」「犯罪組織の黒幕モリアーティ教授」、モーリス・ルブランの「泥棒紳士ルパン」、ヴィクトル・ユーゴーレ・ミゼラブル(Les Misérables、1862年)」における「主人公ジャン・ヴァルジャン」と「ジャヴェール警部」のモデルとなったウジェーヌ・フランソワ・ヴィドック(Eugène François Vidocq、1775年〜1857年)が最も原型に近い形で表現された「自称義賊」ヴォートラン(Vautrin)の初登場場面

この二人の若い男女とほかの連中との間の、ちょうどその過渡期といったのが、頬ひげ を黒く染めた四十男のヴォートランであった。彼は「あいつはがっしりした男だ!」と、そう世間から言われるような種類の人間だった。肩幅広く、上体はがっしりとし、 筋肉も盛り上って、手は肉厚く角張り、指関節まで赤褐色の毛が、もじゃもじゃ密生し ているのが、特に目立った。年の割には多くのしわがはや刻ま れていたその顔には、 迎合的でもの柔らかなその物腰にも似 ない、厳刻さのしるしが現われていた。低音の 彼の声音は、がさつな陽気さと調和していて、あまり不愉快な感じを人に与えなかっ た。なかなかに親切気もあって、笑い上戸だった。錠前の具合が悪かったりすると、さっそくにそれを取りはずして応急の修理をし、油をさし、鑪(やすり)をかけてのち、 ふたたび取り付けてから、「こんなのお手のものでさあ」と言っていた。

そればかりか船のこと、海のこと、フランス国内のこと、外国でのこと、商売のこと、 人間のこと、世間での出来事、法律、官界、牢獄のことなど、 彼はあらゆることに通暁 していた。もし誰かが常になく愚痴をこぼしなぞすると、さっそくに彼 は救助の手を さしのべ てやるのだった。ヴォーケル夫人や同宿人のだれかれに、お金を融通してやっ たことさえも何度となくある。けれど彼から借金をした連中は、それが返せないようなくらいなら、いっそ死をも選んだことであろう。

人の好さそうなふうには見えたが、決断に富んだ奥深い彼の眼差しといっ たら、それほどの恐怖感を相手に与えていた。 彼の唾の吐き方さえからしても、平然たる沈着沈着 ぶりがうかがわ れたし、険呑な立場から脱するためなら、罪を犯すこともあえていとわ ぬといったその心意気のほどまでしのばれた。彼の眼は峻厳な裁判官のそれのように、 あらゆる問題、良心、感情の奥底までをも、見透しがつきそうだった。日課のように朝食後に出かけて、夕食時に戻り、食後また外出しては真夜中に帰ってきた。ヴォーケル 夫人から授かった合鍵を用いてであるが、彼 一人がこうした恩恵にあずかっていた。 それというのが、お女将とはうまが合っていたためで、ママアと呼びながらその胴を抱きかかえてやったりしてい た。もっともこれは十分にありがた味を知られたお追従とは 申せなかろう。というのはお女将にすれば、やすやすと誰にもできる仕草とばかりこれ を心得ていたごとくだ からで、その実はヴォートラン一人だけが、どえらい貫目のこの 胴まわりをかかえこめるだけの長い腕を、持っていたのである。食後に飲むブランデー 入りの黒コーヒーのため、気前よく月に十五フランずつも払っていたのも、彼の気性の 一つの現われであった。パリ生活の渦に巻きこまれたこの若い連中や、自分たちと直接 関係のないことには、しごく無関心でいるこれらの年寄り仲間ほどに、うわっつらで放心家でない人たちだったら、ヴォートランから受けるちと胡散臭い印象を、よもやそのままにはしておかなかったであろう。

なにしろ彼のほうでは、周囲にいる連中のしていることをちゃんとわきまえ、見抜いてもいたのに反し、連中一人として彼の腹中なり仕事なりを、見極めることはできなかっ たのである。うわべのお人よさや、いつにかわらぬ如才なさ、陽気さなどを、自分と他人との間をへだてる防塞として、築いている彼ではあったが、ときとしてその性格の怖 ろしいまでの底深さを、ふとのぞかせるようなこともあった。時おり彼はユウェナリウスにも劣らぬような警抜な諷刺をもって法律を愚弄したり、上流社会を鞭打って、その 自家撞着を責めたりして、痛快がっているように見えることさえあり、社会組織に対して彼が怨恨を抱いていることや、その生活の奥底には用心深く隠されているなんらかの 秘密がひそんでいることを、人に思わせるような場合もあったからである。 
*初登場時の紹介文が主人公のラスティニャックより圧倒的に長い。

(著者バルザックの人生をなぞる形での)「ラスティニャックのジレンマ(The Dilemma of Rastignac)」の始まり。

ウージェーヌ・ド・ラスティニャックは休暇を終えてパリに戻ってきたとき、俊秀な若人や、逆境のせいで瞬間的に英材のきらめきを見せる青年 が、経験したに違いない心的 状態にと陥っていた。パリに留学し た第一年のあいだは、法科大学でとる最初の単位 が、そう勉強を必要ともしなかったので、物質的パリの目の法楽を味わうことが、彼には存分にできた。しかし一介の学生が各劇場の演し物に通暁しようとしたり、パリの迷宮の出口を研究しよ うとしたり、その慣習を知り、言葉になじみ、首都の特殊な歓楽 に親しもうとしたり、目ぬきの場所や悪い岡場所を探ろうとしたり、面白い講義を聴こ うとしたり、各博物館の宝物目録を作ろうとしたりなどすれば、それこそいくら時間が あっても足りるものではない。そんなときその学生にはほんのくだらないことでも、じつにすばらしいもののように目に映って、すっかりそれに熱中してしまうものである。ある。仰慕してやまぬ人物として、コレージュ・ド・フランスの一教授、聴講学生の頭の水準に身をとどめて、俸給をもらっているような教授などを、彼は崇拝したりする。オペラ・コミック座の二階桟敷にいる婦人を見て、彼はネクタイのかっこうを直したり、ポーズを気取ったりする。こうして漸次にこの道の奥義を極めて行くうち、彼のういういしい感情も硬化し、人生の視野も拡がって、やがては社会を構成している人間層の重なり合いを、理解するのにいたるのである。うるわしい陽光を浴び、シャン・ゼリゼに長蛇の列をつくる馬車に、はじめは驚嘆の眼をみはったのが、間もなくそれを羨望するにいたるのである。

ウージェーヌは文科と法科の大学入学資格を得て、休暇になって帰省したとき、その知らぬうちに如上の修練を身につけてしまっていた。子供時代の空想や田舎での考えも、はや彼のうちから消え失せていた。変革されたその理解力、高揚されたその野望により、彼は父祖伝来の邸内、家族の者に取り囲まれたさなかにおいて、正しいものの見方ができるようになった。彼の両親、二人の弟、二人の妹、それに恩給を唯一の財産とする一人の伯母とが、ラスティニャックの小さな領地には住んでいた。領地といっても約三千フランの年収しかなく、それとても葡萄という純産業的収穫物を牛耳るところの、あの不安定さに従わされていた。にもかかわらず、そのなかからから毎年彼のために千二百フランを拈出せねばならないのであった。けなげにも彼に隠されてあったこの絶え間ない窮乏のさまを、ウージェーヌは目にせずにはいられなかった。少年時代には美しいと思って見た妹たちと、かねて幻にえがいた美人の典型を、現実化しているようなパリの女たちとの間に、否が応でも彼は比較をうちたてねばならなくなった。自分を頼りとしている多数の家族たちの不安定な前途を思い、どんな微々たる生産物も、大切に蔵っておくといったしみったれた心遣いを目にし、葡萄圧搾器の搾り粕で、自家用飲料を造っているさまなどをなどを眺めて、つまるところ、ここに並べ立てるのも無益な数々の事情からして、出世への彼の欲望はますますつのって、栄達へのその渇望は、いよいよ倍加するにいたった。

偉大な精神によく見られるように、彼もおのれの才能のみを恃みとした。しかし彼の精神はいちじるしく南方人的なため、いざ実行に臨むとなると、その決断力もためらいを覚えるのであった。それはちょうど大洋のまんなかに乗り出した青年たちが、どの方向にその漕力を向けたらいいか、またどんな角度に帆をはらませたらよいか、それがわからぬため感ずるあのためらいと、同じような質のものだった。勉強のなかに盲滅法に身を打ちこもうと、初めのうちこそそう考えたが、やがては人との交際をつくっておく必要があることに、心そそられる身とはなった。社会生活における女性の影響力の大きさに気づいた彼は、女性の後楯を得んがために、社交界に飛び込もうと、にわかに思い立つにいたった。高雅な挙措と、たやすく女心をとらえうる凛々しい男振りによって、その才知なり情熱なりを引き立たせられている、利発で熱烈な青年が、どうして女性の後楯に不足するなどというということがあろうか? こうした考えが彼を襲ったのは、田舎道を散歩中にであった。昔は妹たちと一緒に楽しく散歩をしたものだったが、その妹たちもいまでは彼のことを、まるで別人のようになってしまったと思っていた。

伯母のマルシヤック夫人は昔宮廷に伺候していた関係で、社交界の錚々たるところをあまた識っていた。伯母が昔寝物語によくしてくれた思い出話のなかに、社会征服の手づるがいくたひそんでいることに、この野望家の青年は気づいた。して社会征服こそは、彼が法律の学校で狙っていた栄冠に、すくなくも劣らぬくらい重要なものものだったのだ。姻戚のつながりがあるもののなかで、今でも交際を復活できるものがあるかどうかを、彼は伯母にたずねてみた。すると老女は樹式系図の枝を揺ってみたあとで、裕福な親類の利己的な連中ばかりのあいだで、この甥につくしてくれそうな人たちのなかから、いちばんに御しやすく思われるボーセアン子爵夫人に白羽の矢を立ててくれた。

ゴリオ爺さんの興亡」の真相①

「今日びの社会に、ドラマチックなものは何もないではないかという声も聞きますわ。私どもの結婚悲劇なんかは、およそ馬鹿げたものになってしまったのですから、論外としましても、この種の婿のドラマなどといったら、おそろしい限りじゃありあせんか。あの老製麺業者の身に起こったことどもも、私にはよく納得がまいるのですわ。たしか私の覚えているところでは、あのフォリオは……」

「ゴリオでございますよ、奥様」

「そうそう、そのモリオとかいうのは、革命中、彼の地区の区長をしておりましたそうですの。ところがあの有名な食料品欠乏時代の楽屋裏に立ちまわって、当時の公定価の十倍にも、麦粉を高く売りつけたのが、あの人の財産のできはじめなんだそうですわ。なにしろあの人は、欲しいだけの麦粉を、入手することができましたものね。それというのは、私の祖母の家令が、闇で彼に売りつけていたからですのよ。ああいった連中の常で、このノリオもきっと公安委員会あたりと、結託しておったのに違いありませんわ。だってその家令が、私の祖母に向って、『大船に乗った気でこのグランヴィリエにおられますよ、あなた様の麦が、何よりもたしかな公民証でございございますから』と言っていたのを、私憶えておりますもの。ところでそのロリオ、人類屠殺人どもに闇麦を売っていたその男には、たった一つのパッションしかなかったのですの。人の話ですけど、娘さんたちに対し、大変な子煩悩だったのですって。それで上の娘を、玉の輿でレストー家にかたづけ、下の娘は王党派になった大金持の銀行家、ニュシンゲン男爵に縁づけましたの。帝政時代には、二人の婿たちも、『九十三年老人』をわが家に迎えることを、そう気に掛けもしなかったことは、おわかりになりますでしょう。ブオナパルテの頃なら、まだそれでもそれでもよかったのですわ。ところが、ブルボン王朝が復活したとなると、老人はレストー伯や、それよりことにニュシンゲン男爵の邪魔者になってしまったのです。でも娘たちのほうはたぶんずっと父親を愛していたようで、山羊とキャベツ〔山羊とキャベツと狼という、三巴の仲悪同士を一緒に運ぶ農夫の困惑を語った寓話から来ている。互いに傷つけずにすますには、どうすればよいかというのである〕つまり父親と良人のどちらの顔もたてて、巧くそのあいだをとりなそうとしていたようですの。誰もいないときに限って、このトリオを引き入れておりましましたもの。そして、『お父様、いらっしゃってよ。このほうがかえって気楽じゃありませんか。水入らずになれて!』などと、いかにも愛情のありそうな口実文句を、でっち上げていましたのよ。けれど、ねえ、本当の感情は、ちゃんと見る目も知力も備えているものだと思いますわ。ですからこの気の毒な『九十三年老人』も、心の中ではさだめし血の涙を流していたことでしょう。娘たちが、自分のことで気恥ずかしい思いをし、それぞれに亭主を愛しているとすれば、婿たちの邪魔に自分がなっていることを、ご当人としても見てとらずにはいられませませんわ。そうなれば、自分を犠牲にするほかに、ないじゃありませんか。それで自分を犠牲にしたのですの。なぜなら、自分は父親だったからですわ。あの人は自分から出て行ってしまいました。娘たちがそれに満足しているのを見て、好いことをしたと悟りました。そしてこのささやかな犯罪に、父娘とも共謀していたわけですの。しかし、こうしたことはどこにでもございますわね。あのドリオ爺さんは、娘たちのサロンのなかでは、汚い油しみのようなものだったのではないでしょうか。それに自分でもサロンなどに出ると、窮屈な思いがし、さだめし当惑気味だったことでしょう。あの爺さんに起こったことは、世にも美しい女性とその最愛の男との仲にも、起こり得ることなのですわ。もしも女の愛情が男の鼻についてくれば、男は離れてしまうでしょう。女から逃げるためには、どんな卑劣な真似をも、いとわないでしょう。すべて感情というものは、そういうものですもの。私たちの心は宝の庫、それを一挙に傾けつくしたら、それこそ身の破滅となってしまいますわ。すっかりさらけ出された感情に対しては、一文なしの人を相手にするときと同じで、私たちは何の情けも容赦もかけませんもの。それはそうとあのお爺さんは、すべてを与えつくしたのですわ。二十年もの間、娘たちに愛と情けとを与え、そのうえ、一時に全財産までもやってしまいましたの。ところが搾りつくされたレモンのように、そのかすを娘たちは街の隅っこにとすててしまったのですわ」

「世間ってなんてひどいんでしょう」と子爵夫人はショールの糸をほぐしながら、うつ向いたまま言った。ランジェ夫人が話のなかで、彼女にあてつけて言った言葉が、ひどく身にこたえたからである。

「ひどいですって! いいえ、違いますわ」と公爵夫人は応酬した。「世間ってそんなふうに動いているものなのですのよ、ただそれだけのことですわ。私だってじつはあなたと同じように考えてますのよ」そう言いながら子爵夫人の手を握りしめた。「世間ってほんとに泥沼ですわ。けれどお互いに高みにとどまっているように、努めようじゃありませんこと」
*国内外問わず、女性層の「ゴリオ爺さんを見捨てた娘達の冷酷さ」への批判は厳しい。だがそれを「フランス革命(Révolution française)期(1787年〜1799年)→ナポレオン執権期(1799年〜1814年→王政復古(Restauration)期(1814年〜1830年」における社会構造の激動と結びつけて語ろうとする声は少ない。

ゴリオ爺さんの興亡」の真相② 

ニュシンゲン家に乗り込みを試みる前に、十分に自分の盤局を見極めておきたいと思って、ラスティニャックはゴリオ爺さんの前身を洗っておこうと考え、確かな情報を集めまわったが、それらを要約すると、だいたい次のようなものになった。

ジャン・ジョアシャン・ゴリオは大革命前には、腕のよい一介のそうめん作りの職人だった。倹約家で、かなりと企業心にも富んでいた彼は、たまたま一七八九年の最初の騒乱の犠牲になった主人の店や株を買いとり、小麦市場に近いラ・ジュシエンヌ街に居を構え、その地区の区長を引き受けるという抜け目なさまでも示した。なんにせよ、物騒なご時世だったので、幅利きの有力者を後楯に、自分の商売をうまく守ろうという、これは俗識からだった。このさかしい遣り口が、彼の身代を肥らせるもとになった。

ちょうどその頃、本当に食料欠乏なのか、それとも人為的なそれだったのか、とにかくその結果として、パリでは穀類がどえらい高値を呈したところから、彼の懐ろはにわかに暖かくなりだした。人民たちはパン屋の店先に殺到したが、特殊な人たちだけは取り合いもせずに、食料品店に麺類を闇買に行っていた。この一年で公民(シトワイヤン)ゴリオの蓄めこんだ金が、ずっと後になって彼の営業資金に役立ち、巨額な金がその所有者に授けるあらゆる優越性を、彼に賦与することになった。絶対的でない当面の才能をしか持ち合せぬ人に起こるようなことばかりが、彼の身にも起こった。すなわち彼は凡庸なるがゆえに助かり、無事息災でおれたのであった。それに彼に財産があることが、世間に知れ渡ったのは、金持でいてももうなんの危険もなくなったときで、従って人の羨望をさまでそそることもなかった。

穀類商売に彼は全知能を傾けつくしているの観があった。小麦や麦粉や穀粉に関し、その品質や産地の見分け、保存の注意、相場の予想、豊作か不作かの予言、安価の仕入れ、シシリアやウクライナからの買付けなどの問題において、このゴリオにかなう者は一人もなかった。商売への彼の指図ぶりや、穀類輸出入の法規を解釈して、その精神を究め、法の欠陥をつかむの機敏さなどを見たら、誰しも彼のことを、国務大臣でもつとまる仁と考えたであろう。勤勉で、辛抱づよくて精力的、堅実無比で仕事が速くて炯眼だった彼は、すべてに先手をうち、すべてを予見し、すべてを呑み込み、すべてを隠し、画策においては外交官、邁進においては兵卒さながらであった。

それがいったん商売から離れて、地味な薄暗い店の閾先に出て、肩をドアの堅木にもたせ、暇な何時間もそこにじっとしているようなときには、彼はまた愚鈍で粗野な職人に逆戻りをし、理屈ひとつわからぬ、精神的快楽にはいっさい無感覚な、芝居を見に行っても居睡りするていの、パリのドリバン〔シュダール・デフォルジュの喜劇『つんぼ』の主人公。めがね違いで大変な婿を愛娘におしつけて失敗した父親〕の一人、愚直だけが唯一の取柄といった男になってしまうのであった。

こういった性格の男には、そのほとんど全部に似たりよったりなところがある。すなわち大概のそれら男の心のなかには、崇高な感情が見出せることである。ところで、この製麺業者の場合には、二つの偏狭な感情が彼の心をいっぱいにしていて、その潤いをすっかり吸いつくしてしまっていたのは、さながら穀物商売が彼の脳味噌を、ありったけ搾り取ってしまったのと同じであった。

彼の妻はラ・ブリの豪農の一人娘で、彼にとっては宗教的な讃美の的、無限の愛の対象となっていた。妻の性質のうちには折れそうでいて芯は強いところがあり、感情鋭いながらも愛くるしい趣もあって、自分とは激しい対照をなしていたのを、ゴリオはひどく嘆じ入っていた。人間の心に持って生まれた感情がもしあるとすれば、それそれは弱いものの肩を持って、何かにつけ庇護することに覚える誇りの感情ではないだろうか。この感情に情感を、すなわち豪儀なあらゆる魂が、その快楽の本体に対して抱く温かい感謝の念を、つけ加えてみるならば、人間の心の不可思議な謎の多くを、解することができるであろう。

いささかの暗雲もない幸福な七年の歳月を終った後で、ゴリオは不幸にも彼の妻を喪った。ちょうど感情の世界の外でも、妻が彼に権威を揮いかけ始めたところだった。もしも天が彼女に寿命をかしたならば、必ずや良人の鈍い性質を練磨して、社会や人生の問題についてのその知性的知性的分野を、啓発していたことだろう。こうした境遇のためゴリオのうちに父性愛的感情は、常軌を逸するまでに伸展して行った。死によって欺かれた愛情のはけ口を、二人の娘の上に彼は求め、最初は娘たちも彼の全感情を存分に満足させてくれていた。商人や百姓たちは、ゴリオの後妻に自分の娘をすすめようと競い合い、すばらしい縁談話をさかんに持ち込んだが、ゴリオはやもめで通す肚を変えなかった。ゴリオとはただ一人気の合っていた彼の舅は、ゴリオが妻に対して、よしんば妻が亡くなったからといって、不実な真似は決してしないと誓ったのを、確かに知っていると言い張った。この崇高な狂的狂的さを理解のできない穀物市場の連中は、冗談半分にきわめてグロテスクな渾名をゴリオに進呈した。彼らのうちの一人が、取引のかため酒を飲みながら、はじめてこの渾名を口にしたところ、いきなり肩口に製麺業者の拳骨をくらって、オブラン通りの車除けの杭の上に、頭から先に叩きつけられてしまったことがあった。

ゴリオがその娘たちに寄せた無反省な献身ぶり、怖じやすい小心翼々たるその愛情は、誰知らぬものとてはないほどで、ある日のこと彼の商売敵の一人がゴリオを取引所から追い出し、相場を自分で牛耳ろうと考えて、デルフィーヌがいましがた馬車に轢き倒されたと彼に虚報を伝えた。ゴリオは蒼白になってすぐと市場を飛び出した。この嘘の警報で受けた驚愕と安堵との、こもごも相反する感情の反動の結果、数日のあいだ彼は寝ついてしまったほどだった。この男の肩口に凶暴な平手打ちなど、ゴリオは加えはしなかったが、その代りにあるときの経済恐慌にさいして、この男を破産の余儀なき目に立ちいたらせて、市場から放逐してしまった。六万フラン以上もの年金の入る裕福な身でいて、ゴリオは自分のために千二百フランも使わずに、ただただ、娘たちの我儘勝手をかなえさせてやるのを、無上の喜びとしていた。よい教育を受けた看板となる数々の技芸を、娘たちにも授けるため、錚々たる教師たちを惜し気もなく彼は招いた。娘たちに付添婦人までも傭った。娘たちはしごく幸いなことに、才はじけた趣味の高い女性を、これに選ぶことができた。娘たちは馬に乗り、馬車を抱え、金のある老領主の愛妾のような栄華な暮しを送っていた。どんなに金のかかる望みでも、口に出しさえすれば父親が、いそいそとそれをかなえてやるのだった。

父はその喜捨のお返しとして、一遍の愛撫を求めるのにすぎなかった。ゴリオは娘たちを天使の列にまつり上げ、必然的に自分より高い上のものにした。かわいそうな男! 彼は娘たちからあたえられる苦しみすらをも、愛していたのである。

娘たちが結婚する年ごろになったとき、彼女たちはその好みにあった良人をとりどり選ぶことができた。それぞれに持参金として、父の身代の半分をもらうことになっていたからだった。美貌を見込まれてレストー伯爵から求婚されたアナスタジーは、貴族かぶれしていたので、上流社会に打って出るため、父の家を後にする気になった。デルフィーヌはお金を尊敬していた。それで神聖ローマ帝国の男爵となったドイツ生れの銀行家、ニュシンゲンにと嫁した。ゴリオは引き続いて製麺業を営んでいた。 かく商売が彼の全生命だったにもかかわらず、すぐと娘たちや婿たちは、父が商売をあくまで続けているのに気色を害しだした。五年間、彼らからさんざん切願された末に、店や権利を売り払った金と、ここ数年間に儲けた純益とをかかえて、引退することを彼は承諾した。ヴォーケル夫人のところへ彼が身を落ち着けたとき、八千から一万フランの年収とお女将が見積ったのは、この隠居金であった。二人娘たちが良人に強いられて、父を家に引き取るどころか、大ぴらに出入りすることさえも拒んだのを見て、絶望にかられたあげくに、こんな下宿に彼はころがり込んできたのであった。

以上の情報は、ゴリオの店や株を買いとったミュラというという男が、ゴリオ爺さんについて知っていたことの全部である。ラスティニャックがランジェ公爵夫人から聞かされていた推測も、かくして確認されたわけだった。
*こうした生々しい実録感溢れるエピソードには、おそらく相応の元話があったと考えられている。山本周五郎赤ひげ診療譚(1958年)」でいうと元成功した蒔絵師だった六助のエピソードを想起させる。その一方で佐八のエピソードはトーマス・ハーディ「ダーバヴィル家のテス(Tess of the d'Urbervilles、1891年)」を想起させるが、国内外を問わず貧困や愛憎の執着が生み出す類型には一定のパターンがあり、相互影響の証明は極めて困難とも。

ゴリオ爺さん興亡の真相」を踏まえた上でのポーセアン夫人の発言

ゴリオ爺さんて、まったく崇高な人ですね!」真夜中に銀食器を捩っていた老人の姿を思い起こしながら、ウージェーヌは言った。

ボーセアン夫人は聴いてはいなかった。物思いに打ちしずんでいたからで。しばらくのあいだ沈黙が続いた。かわいそうに学生は気恥ずかしいやらあきれかえるやらで、立ち去ることも、居坐ることも、話しかけることもできなかった。

「世間ってなんてひどい意地悪者なんでしょう」と、やっとのことで子爵夫人は呟いた。「なにか災難が起こるとすぐ、待ってましたとばかりに、それをご注進にくる友達が、きまっているんですからね。そして短刀の柄の立派さを見せびらかしながら、その短刀でこちらの心臓に探りを入れるのですもの。もうさっそく諷刺と嘲弄! ああ! こっちでも本当に身を守らなくちゃ……

事実そのとおりだったが、偉大なる貴婦人のごとくに、夫人はすっくと頭をもたげた。誇り高いその両眼からは、稲妻のような閃きが走った。

「あら! あなたまだいらっしゃったの!」夫人はウージェーヌを見て叫んだ。「はあ、まだおりました」しょんぼりとして彼は答えた。

「ねえ、ラスティニャックさん。世間なんてその分相応に相手をしておけばいいのよ。あなた出世なさりたいんでしたわね。あたしお力添えしてあげますわ。女性の堕落がどんなに底深いか、男性の惨めな虚栄心がどんなに幅広いか、あなたはそれを測ることになるでしょう。あたしも世間という本を、ずいぶん読んだつもりでしたが、まだまだあたしの知らなかったページが、たくさんにあったのですの。が、やっと今ではすっかりわかりました。冷酷に打算すればするほど、あなたは先へ先へと進んで行けるのですわ。情け容赦もなく撲りなさい。そうすれば人から畏敬されますわ。中継の駅ごとに、乗り潰して捨ててゆく駅馬なみに、男でも女でも扱いなさい。そうすればあなたの望む絶頂へと、達することができますわ。

いいですか。あなたに関心を寄せるような女性がいなかったら、社交界ではてんで物の数にもされませんのよ。それも若い金のある優雅な女性が要りますわ。けれどもしもあなたが真心なんて持っていらっしゃるのだったら、それは宝物のように隠しておきなさいよ。決してそれを気取られていけませんわ。でないと取返しのつかぬことになってしまいますからね。あなたは死刑執行人になれずに、犠牲者になってしまいますわ。ですから、もしも恋をなさるようなことがあっても、心の秘密だけは大事に蔵っておきなさいよ! あなたの心を打ち明ける相手の正体を、よく掴まぬうちは、決してその秘密を漏らさないようになさいね。まだ現にはないこれからの恋愛を、あらかじめ守護しておくためには、世間の人の誰にも、決して気を許さぬ修業を、まずは積んでおくことですわ。わかって、ミゲル……(彼女はそれと気づかずに、うっかりダジュダの名を口にしていた)あの娘たちが二人とも父親を見棄てて、その死ぬのを願っていることよりもっともっとおそろしいことが、この世の中にはあるんですのよ。それはあの姉妹同士の敵対心ですの。レストーは名門なので、その奥さんも上流社会に迎えられ、宮廷にも伺候しておりますが、妹のほうの金もあり美しいデルフィーヌ・ド・ニュシンゲン夫人は、は、実業家の妻のため、姉への嫉妬にさいなまれて、死ぬ苦しみをしていますのよ。姉との間に百里もの懸隔があるため、姉がもう姉ではなくなり、父を二人が否認したように、お互い同士否認しあっていますのよ。ですからニュシンゲン夫人は、あたしのサロンに入るためなら、サン・ラザール通りからグルネル通りまでの間の、泥んこ全部をだって、なんなら舐めるのを辞さないでしょう。

ド・マルセイにすがれば自分の目的を適えさせてもらえるだろうと、あの人はド・マルセイの奴隷になり、うるさくつきまとってはいますけど、マルセイのほうではてんで問題にもしていないようですのよ。ですからあなたがあの人を、あたしにお引き合せになれば、あなたはあの人から末っ子かわいがりされ、さだめしあの人はあなたを拝跪いたすことでしょう。できたらその後であの人を愛することになさいな。さもなければあの人をうまく利用なさることだわ。盛大な夜会で客の大勢たてこんだ折なら、あたし一度か二度ならあの人に逢ってあげますわ。でも午前中の面会は絶対にお断りよ。あたしあの人にお辞儀してあげるわ。それだけでもう十分でしょう。あなたという人はゴリオ爺さんの名前を口になさったばかりに、伯爵夫人の門から自分で自分をお締め出しになったのよ。」

「きっとあなたはご成功なさるわ。パリでは成功がすべてよ。これが権力への鍵なんですもの。もしも女たちがあなたの機知なり才能なりをなりを認めれば、男たちもそれを信ずるにいたるでしょう。ただし、あなたが彼らの誤りを悟らせないかぎりはね。さてそうなれば、あなたはなんでも望むことができ、どこへでも足掛りがつきますわ。そのときになって世間とはどんなものかお解りになりますわ。つまり瞞す人間と瞞される人間との寄り集りだということがね。けれどそのどちらの組にも入ってはいけませんことよ。この迷宮にわけ入るための道しるべの糸として、あたしの名前を貸してあげますわ。でもそれに泥を塗ってはいけませんよ」そう言って彼女は首を彎曲させ、女王のような眼差しを学生に投げながら、「真白なままであたしにお返しになってくださいよ。では、どうぞお帰りになって。あたしたち女にも、やはりしなければならない戦いがありますから」

「あなたのためなら欣んで坑道を爆破にでも赴くような男が、もしも将来ご入用でしたら」とウージェーヌは夫人の言葉をさえぎって言った。「そうしたら?」と彼女は訊ねた。 ウージェーヌは胸をポンと叩いた。そして夫人の微笑にほほえみ返して出て行った。

*まさにこの価値観混乱期を乗り切って覇者となったのが皇帝ナポレオン三世夫妻だったのである。彼はその一方でフランスへの産業革命導入に成功したが、当人は失脚を余儀なくされ、その覇権を「権力に到達したブルジョワジー(bougeoisie au pouvoir)」あるいは「二百家」と呼ばれる政治的エリート集団に引き渡す羽目に陥る。まぁ、この状況こそがマルセル・プルースト失われた時を求めて(À la recherche du temps perdu、 1913年〜1927年)を通じて世界中にシック(Chic)の概念を広めていくのだった。

*大変興味深いのは「ラスティニャックのジレンマ(The Dilemma of Rastignac)」において自助努力より金持ちとの結婚が有効な局面においては、こうした思考様式がジェーン・オスティン的性淘汰の世界観と互換性を有するという事である。

黒澤明監督作品「天国と地獄(1963年)」は、遂にこの領域まで足を踏み込む事になった。権藤金吾が会社乗っ取りを企むに至るまで財力を蓄えたのは叩き上げとしての自助努力の報酬ばかりのせいではない。妻の持参金が利用できたせいでもあったのである。

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これを受けての ラスティニャックの決意表明

ラスティニャックは成功に達するために、平行した二つの壕を掘って行こうと決心をした。すなわち学問と恋愛とに恃んで、法学の大家になり、かたわら当世の流行児になろうというのが、その肚のうちだった。まだまだ彼は坊やであった! この二つのラインは、決して相会うことのない漸近線なのだから。

「いやに浮かぬ顔をしていますな、侯爵閣下」とヴォートランは彼に言い、鋭い視線を向けた。どんなに心の奥深く奥深く隠された秘密をでも、見透すといったのがこの男の眼つきだった。「侯爵閣下なんて人のことを呼んだりする冗談口を、聞きずてにするような気持には今なっておりませんよ」と彼は答えた。「パリで本当の侯爵になるには、年に十万フランの利子が入るご身分でなけりゃ駄目です。メゾン・ヴォーケルに厄介になっているようでは、福の神の寵児でないことだけは、確かですからねえ」
ヴォートランはなかば父親的、なかば軽蔑的にラスティニャックを眺めた。それはあたかも(この小僧め、貴様なんか一口で食ってしまえるんだぞ)とでも言いたげな口調だった。

ややあって彼は答えた。「いやにご機嫌斜めですなあ。さてはお美しいレストー夫人のところで、まんまとしくじりめさったな」
「あの人の父親と、一つ釜の飯を食ってると、うっかりしゃべったばかりに、僕はお出入り差止めをくらったんですよ」とラスティニャックは叫んだ。

会食者一同は顔を見合せた。ゴリオ爺さんは両眼を伏せた。そして体の向きを変えるや眼を拭った。「あんた、煙草の紛がわしの眼に入りましたぞい」とゴリオはその隣席の男に言った。

ゴリオ爺さんをいじめるやつは、これからはこの僕が相手ですぞ」と元製麺業者の隣にいたその男を睨みつけながら、ウージェーヌは言った。「この人は僕たちみんなが集ったってかなわないくらいの立派な人なんだ。もっともご婦人方は別ですがね」とタイユフェル嬢のほうを向いて彼は言い添えた。

この言葉で一段落がついた。ウージェーヌの言葉調子は、会食者一同が押し黙らざるを得ぬような、いやに高飛車なものだった。ヴォートラン一人だけは冷やかすように彼に言った。「君がゴリオ爺さんを一手に引き受けて、その責任編集人になるというからには、剣をとることも、ピストルを撃つことも、立派にできんけりゃいかんね」「そのつもりでいますよ」とウージェーヌは言った。「じゃきょうから戦端開始というわけだね?」「たぶんね。だけど僕は自分のやることを、誰にだって報告する義務はありませんよ。なにしろこっちだって人が夜中にやっていることを、見抜こうなんてつもりは持ってはいないんだから」

ヴォートランは横目でラスティニャックを睨んだ。

「おい、坊や。操り人形に騙されまいと思ったらね、楽屋にすっかり入って、裏から見なくては駄目だぜ。垂れ幕の穴から覗いて、好い気になっているようじゃいかん。けれど、話はもう止めよう」彼はウージェーヌが向っ腹を立てそうなのを見て言い添えた。「そのうち君のいいときにいっぺん話そうじゃないか」

食事は陰気で冷たくなった。学生の言葉ですっかり深い苦悩に陥らされてしまったゴリオ爺さんは、みんなの自分に対する気持が一変したことも、みんなの迫害を沈黙させるほどの力量のある青年が、自分の擁護に立つことになったのにも、いっこうに気づいてはいなかった。

ラスティニャックが思わず立てた「死亡フラグ

翌日、ラスティニャックは手紙をポストに入れに行った。最後の瞬間まで彼はためらっていたが、ついに「おれはきっと成功してみせる!」と言いながら、なかに手紙を抛り込んだ。賭博師もこう言うし、大将軍もこう言うが、人を救うのより亡ぼすことのほうが多い、これは不吉な言葉である。

ラスティニャックの社交界デビュー準備

(ラスティニャックはパリの社交界デビューのために実家に大金を捻出させる)

社交界は彼のものだった! すでに裁縫師も呼び寄せられ、いろいろとその胸中を探った上で、すっかりこっちのものにしてしまった。トライユ氏を見てラスティニャックは、裁縫師が青年の生活の上に及ぼしている影響影響を承知していた。裁縫師は仕立てがすっきり合うかどうかによって、不倶戴天の敵となるか、それとも無二の親友となるかいずれかであって、悲しいかな、この両極端の間の中途な関係はあり得ない。ウージェーヌが出会った裁縫師というのは、自分の稼業の父親的役割を知っていて、青年の現在と未来との間の連結線のように、自分を心得ている男だった。それでラスティニャックも大いに感謝して、ずっと後のことであるが、彼がついに秀でるところとなった警句で、次のようなことを言って、この裁縫師に商売繁昌をもたらしてやった。「あの男の仕立てた二着のズボンが、年収二万フランという持参金つきつきの結婚を、二つもまとめたのを、この私は知っていますよ」 千五百フランと、思いのまま掛けで作れるはずの衣裳! このとき、貧しいこの南方人は、なに一つ気遣う必要がなかった。なにがしかの大金を握った青年に見うけられるあの名状しがたい様子をして、彼は朝飯にと降りて行った。いったい学生のポケットにお金が滑り込むや否や、その心中には彼の支えとなる幻想的な柱が打ち樹てられる。前より足取りまでもしっかりとし、おのれの挺子のための支点を自覚し、はちきれそうな眼差しも一直線となり、身ごなしまでもきびきびとしてくる。前日前日までは卑屈で内気で、甘んじて人から打擲を受けもしたのが、あくる日には総理大臣でさえぶん殴りかねぬ勢いとなる。彼のうちに前代未聞の奇蹟が生じたのである。彼にはあらゆることが望め、あらゆることができる。欲望をやたらに逞しくし、陽気で、太っ腹で、感情をもう抑えきれない。要するに今まで翼をもがれていた鳥が、その翼をまた見つけ出したのである。金のない学生は快楽の端きれをも咥え取ろうとする。それはちょうど犬が万難の危険を冒して骨を一つかっぱらい、それを噛みくだいて髄までしゃぶってから、また走って行くのと同じである。何枚かの逃げ足の速い金貨を、ズボンのポケットポケットにチャラチャラさせている青年は、その快楽の味をさきみながら、つぶさになれ親しみ楽しんで、天国を天翔けり、貧乏という言葉の意味などすっかり忘れてしまっている。パリはそのことごとくが彼のものである。すべてのものが光り、輝き、閃々たる年ごろ! 男も女も若者以外には誰一人として利用のできぬ喜ばしい力にあふれた年ごろ、借金と、烈しい不安によって、あらゆる快楽が十層倍にされる年ごろ!

セーヌの左岸、サン・ジャック街からサン・ペール街の間を、通暁したものでなくては、人生の味は、とうてい解らないだろう!

(ああ、パリの女たちが知ってさえくれたらなあ!)ヴォーケル夫人の供した、一個一リヤールの焼梨を、がつがつ食べながら、ラスティニャックは独語した。(俺から愛されたいと思って、やつらみんなここへ押し掛けてくるだろうに)

と、このとき、王立輸送会社の配達人が、格子戸の呼鈴を鳴らしてから、食堂へと姿を現わした。ウージェーヌ・ド・ラスティニャックさんはと呼んで、渡すべき二個の包みと、署名のための帳簿とをその配達人は差出した。彼に投げたヴォートランの底深い眼差しに、ラスティニャックはそのとき、革帯でなぐられるような感じを受けた。「剣術の稽古代や射撃場の費用には、どうやら事欠かずに済みますかな」とこの男はウージェーヌに言った。

「宝船が着きましたね」とヴォーケル夫人も包みを見ながら彼に言った。

ミショノー嬢は、お金のほうに目をやるのを怖がった。欲しそうな目付きを、人に見られるのを恐れてである。

「いいお母さんをお持ちなのね」とクーチュール夫人は言った。

言った。「君にはいいお母さんがありますな」とポワレは繰り返した。「そうさ、お袋は血の出るような思いをしたんさ」とヴォートランは言った。「さて君もこれからはわるさの仕放題だぜ。社交界へ行って持参金釣りをし、髪に桃の花をかざした伯爵夫人と踊ったりができるぜ。だがねえ、若いの、悪いことはいわない、射撃の練習だけは怠ってはいかんよ」 ヴォートランは相手に銃の狙いをつける男のような身振りをした。ラスティニャックは配達人にチップをやろうとしたが、ポケットには一文もなかった。ヴォートランは自分のポケットを探って、二十スー配達人に投げ与えた。「君なら信用貸しできるよ」と彼は学生を見ながら言った。

確かに思想というものは、それが形づくられる力に正比例した勢いで発射される。そして臼砲から射ち出される砲弾を導く数学的法則にも比すべき法則に従って、脳髄が送り出す方向へとぶつかって行く。だがその効果たるやまちまちである。相手の思想を射ち込まれて荒廃してしまう柔らかい性格もある一方には、堅固な防備を施した性格、金城鉄壁の備えを有した頭蓋骨もある。こんなのにぶつかったら他人の意志など、城壁にさえぎられた弾丸のように、ぺしゃんこになって落っこちてしまう。それからまた綿のようにふわふわした性格のもあって、角面堡の軟土に勢いを殺がれる砲丸のように、相手の思想も弱められてしまう。ところがラスティニャックの性格といえば、火薬がいっぱいつまった頭のそれで、ちょっとした衝撃にも爆発しやすかった。

他人からの思想の投射なり、感情の伝播なりは、われわれわれわれの知らぬまにさまざまの不可思議な現象をきたして、我々をひどく驚かすものであるが、ラスティニャックには、なにしろはち切れそうな若さが漲っていたため、これら投射なり伝播なりに、動かされずにはいられなかった。彼の心眼は、山猫のように鋭いその目に劣らぬ明敏な力を有していた。こうした彼の二重感覚のことごとくは、神秘的な度合いを持っていて、その進退往来にも柔軟性があり、それはまた卓越せる人たち、どんな鎧であろうともその隙間を探すのに巧みな決闘者などの場合にも見出され、我々を驚嘆させずにはおかぬところのものである。

それにこの一ヵ月来、ウージェーヌのうちにあっては、長所ものびたが短所ものびていた。その短所とは社交界と、彼のいやます欲望が成就されかかっていることから、もたらされたものだった。彼の長所のなかには、難局を解決のためまっしぐらに邁進する、南国人特有の気性の烈しさがあった。ロワール川以南の人たちは、こうした気性があるため、なんらかの不決断のうちに留まっていることができぬのであるが、しかしこの長所をば北国人は短所だとしている。すなわち彼らの考えでは、この気性がミュラ〔南仏出身、ナポレオンの義弟。一八〇八年ナポリ王となるが、最後には銃殺された〕の栄誉の起因であり、また同時に彼が命をおとした原因であるともする。さてそうなると南国人がそのロワール川以南の大胆果敢に、北国人の狡知を併せ得たなら、長短おぎなうを得てスウェーデンの王〔ベルナドット。初めフランス元帥、一八一三年連合軍に内応、一八一八年から四四年までシャルル十四世としてスウェーデン王となる〕としてとどまれるという結論をでも、引き出さなければならないだろう。

そんなわけでラスティニャックは、敵か味方かもわからぬヴォートランの砲火を、このうえながく浴びているわけにはいかなかった。この奇怪な人物は、ラスティニャックの熱情を見抜き、その心のなかまで読み取っているような気が、ときおり彼にはした。それに反し、相手の正体は、ことごとく秘密のうちに閉ざされ、すべてを知り、すべてを見ながら、黙して語らぬスフィンクスさながらの奥深さをたたえている感じであった。懐中が暖かくなったことを自覚するにつれ、ウージェーヌは反抗心を起こし出した。
*幾度となく繰り返される軍事技術的比喩の背景にあるのは万事実力主義だったナポレオン戦争時代への憧憬心への残滓があるとも。縁故主義が絶対的な形で君臨した王政復古期フランスにおいてすら、その感情はそういう形態を纏(まと)って生き延びたのだった。

遂にヴォートランが正体を明かす①。

ラスティニャックはテーブルの上に金をおき、腰をおろした。いましがた殺すと言いかけておきながら、急に保護者気取りに納まったこの男の、うって変っての態度の豹変ぶりに、彼のうちなる好奇心は、いやがうえにも高まらざるを得なかった。

「わしが何者か、何をして来た男か、現にいま何をしてるのか、知りたくて君はうずうずしているのだろう」とヴォートランは続けた。「そいつは君、ちと好奇心が過ぎるぜ。まあ、あせるなよ。他にもたくさん、君に聞いてもらいたいことがあるんだから。なにしろ、わしは災難続きだったんでね。まずこっちの話を聞いて、そのうえで、君の返事を聞かしてもらおうじゃないか。わしの前身は、次の数言に尽きるんだ。わしは何者か? ヴォートランだ。何をしているのか? 気の向いたことをさ。が、まあ話題を転じよう。君はわしの性格を知りたいのか? わしはこっちによくしてくれる人間、あるいはわしと心意気の合う連中に対しては、じつに優しい男なんだ。そういう相手なら、何をされても許せるんだ。向う脛を蹴とばされたって、わしは《やい、気をつけろ》なんて叫びもせんぜ。だがね、わしをうるさがらせたり、こっちに虫が好かない野郎だったりすると、畜生とばかり、わしは悪魔みたいに質悪くなるんだ。それに君も知っといたらいい、わしはね、人間一匹殺すのなんか、唾をこう吐くぐらいにしか、思っとらんのだよ」そう言って、彼はペッと唾をはいてみせた

「ただね、どうしてもやっつける必要があるときには、手ぎわよく片づけることに精を出すね。わしは君たちの言う芸術家なんだ。わしはベンヴェヌート・チェリーニの回想録を読んだよ。ほんとうだよ、しかもイタリア語の原本でさ!この豪儀な傑物からわしが学んだのは、でたらめに人の命を奪う天の摂理にならうこと、それからまた到るところに美を見出して、それを愛すことなどだった。それにしても、たった一人で万人を敵にまわして、しかも旗色がいいなんて、天晴れな勝負ぶりじゃないか。わしはね、君たちの今の社会的無秩序の組立てっていうものを、とっくりと考えてみたよ。ねえ君、決闘なんてものは子供のいたずらで愚の骨頂さ。生きてる二人の人間のうち、どちらかを消滅させねばならぬといった場合、それを偶然に委ねるなんて、じつに愚かしいかぎりじゃないか。決闘って何か? 銭投げの表か裏さ、ただそれだけの話だよ。わしはスペードの一に続けて五発、それも一発ごとに前の弾丸の上に射ち込んでみせるぜ、しかも三十五歩の距離からね!

こんなちょっとした腕前があれば、相手を斃せることは確実だと思い込んでもいいだろう。ところがだね、おれは二十歩の距離からからある男を狙って、射ち損じたことがあるんだ。しかも相手の野郎は、ピストルなんて、生まれて初めて手にしたというやっこさんさ。ちょっと見てくれ」そう言って、世の常ならぬこの男は、チョッキの前をはだけて、灰褐色の毛が熊の背中のようにもじゃもじゃ生えている、胸元をさらけだした。ウージェーヌは恐怖の交った一種の嫌悪を催した。

「その青二才がね、わしの胸毛を焼き焦したってわけさ」そう言い添えながら、ラスティニャックの指を、胸に残っている傷痕に押し当てさせた。「けどその頃はこのわしも子供でね、君と同じ年ごろの二十一、まだ何かを信じ信じられたね、女の愛だとか、君がいま血道をあげかけているたくさんのくだらない真似とかをさ。ところでわしたちは決闘しかけたっけね、そうじゃないか?

君はこのわしを斃せたかもしれん。かりにわしが地下に眠ったとして、いったい君はどうなるね?

この場をずらかってスイスにでも逃れ、さなきだにかぼそい親父の脛でも、噛らんければならんだろう。ところで一つこのわしが、君の今いる立場を、はっきりと解らせてやろうじゃないか。が、そいつもこの世のことどもを究めつくしたあげく、盲従か反逆か、とるべき途はそのいずれかしかないことを、見極めきった人間の、超然たる立場から申し上げるんだぜ。わしはなにものにも服従はせん。こいつははっきりしたね?

ところで君がいま乗りかかろうとしている船で、なにが必要かを君はご存じかい? 百万フランだ、それも早急にだろう。それがなかったら、お手前の逸ったご気性では、最高至上なる上帝がござらっしゃるものかどうかを見に、セーヌ川に身を投げ、サン・クルーの土左衛門網のところまで、ぶらつきにまいられることになってしまう。さて問題の百万フラン、そいつを一つわしが君に進呈しようじゃないか」そう言ってヴォートランは話を切って、ウージェーヌの顔を眺めた。――「ははあ! なんとこのヴォートラン親父に、君はいともげんきんな顔付きをして見せるものだね。百万フランの言葉を聞いて、まるで男に今夜、逢いましょうといわれて、ミルクをなめる猫みたいに唇をなめまわしながら、いそいそ身づくろいをしている若い小娘に、君はそっくりになったぜ、まあ結構、結構。さて、それはそうとして、わしらの問題に移ろうじゃないか。

ねえ、君、君の身上報告を申し上げようか。君の故郷にいるのは、親父、阿母、大伯母、妹二人(十八と十七)弟二人(十五と十)以上がその乗船者名簿だろう。伯母さんが妹たちの躾を見ている。神父さんは弟たちにラテン語を教えに来る。家庭では白パンよりも栗の実の入ったすいとんのほうを食べることが多く、おやじさんはズボンをなるべく傷まぬようにはき、おっかさんは夏ものも冬ものも一着ずつですませ、妹たちもせいぜいできるだけのことしかしておらん。わしはなんでも知ってるぜ。南にいたことがあるんでね。君に年々千二百フランの仕送りをし、猫の額の土地の上りは三千フランしかないとなりゃ、お宅の暮し向きはだいたいそんなところだろう。炊事女と下男が一人ずつ。パパは男爵だから、体裁も飾らなくちゃならんわけだ。さて其許のことだが、尊公には野心がある。ボーセアン家を姻戚に持ってはいるが、テク車で歩きまわり、出世はしたいが金はなし、ヴォーケル内儀さんのごたいそうなシチュー料理を食わされているくせに、フォーブール・サン・ジェルマンのおいしいご馳走が、もうやみつきになっている。粗末な寝台に起臥しながら、豪勢な大邸宅を望んでおられる。が、なにもそうした君の欲望を、わしは咎めているんじゃないぜ。野心を抱くってことは、誰にでもできるこっちゃないからな。どんな男性を求めるかって、ご婦人にきいてみたまえ、野心家って言うにきまってるから。野心家っていうやつは、ほかの人間に較べて、腰っ骨もずっと強いし、鉄分のより豊かな血液、はるかに熱高い心にも、恵まれているからなのさ。それに女というやつは気強く感じたときには、ひどく心楽しく、また美しくなるものだから、人なみすぐれた力を持った男には心を惹かれ、たとえその男のため自分が打ちくだかれる危険を冒そうとも意に介さぬ。わしがこう君の欲望を棚卸ししてみたのも、一つ問題を提出してみたいからなんだ。その問題とはこうだ。お手前は狼のようにがつがつし、乳歯までもが門歯のように鋭くとがっている。しかし、きみは竈の煙を絶やさぬ用心を、どうやりこなすおつもりかな。貴殿はまず法律を噛らねばなるまい。こいつ、いっこうに面白くもないし、なんの足しにもならんが、しかしそんなことは言ってはおられん。まあいい。やがて貴公は法官になって、ゆくゆくは重罪裁判所長の椅子に坐り、お手前よりもましな連中に対し、かわいそうにも肩にT・F(徒刑囚)の烙印をおしつけて懲役送りをする。それもひとえに枕を高く眠れることを、金持どもに保証してやらんがためにさ。だがどうもこいつはあまり愉快なことじゃないし、おまけに手間ひまがかかる。さしずめまず二年間はパリでじりじり待たされ、咽喉から手が出そうなご馳走を、指くわえたまま横目で睨んでいなければならん。いつまでたっても満されない欲望をかかえてるなんて、たまったものじゃないぜ。君がもし血の気が薄く、軟体動物みたいな性質の男だったら、なにもこっちは心配はせんよ。だが獅子の熱血と、日に何度となく馬鹿げた真似をやりかねない欲望とを持った君のことだ。この責苦にきっと君は負けてしまうぜ。お優しい神様のあの地獄のなかにだって、見当らぬようなこのうえもなく烈しい責苦だものね。かりに君がおとなしい人間で、酒を嫌ってミルクばかり呑み、辛い運命の哀歌をうたっているような性分だとしよう、なにしろ殊勝な君のことだ、犬でさえ発狂しかねぬ倦怠と窮乏とを数多く忍んで、あげくはどこかの馬の骨のお代理役、副検事ぐらいには納まって、町の穴っこのようなところでお勤めあそばし、屠殺業者の犬に投げ与える残飯さながらに、お上から年俸千フランをお情け頂戴だ。泥棒のあとを吠えつき、金のある人間の肩を持ち、心ある人をギロチンにかける。それが仕事さ、ありがたいこった。だが後楯がなかったら、君は田舎の裁判所で老い朽ちてしまうんだぜ。三十になって、まだ君が法服を脱ぎすてていなかったら、年俸千二百フランの判事ってわけだ。四十にして君は製粉業者あたりの娘を、娶ることができよう。年収六千フランぐらいの持参金つきをね。おありがたいことさ。だが後楯がもし君にあるとするね。三十にして年俸三千フランの初審裁判所検事だ。そして町長の娘をお嫁にもらえる。またもしも君が何かの政治的陋劣を、たとえば投要用紙のマニュエルをヴィレールと読みかえたりするようなことを、(もっとも韻は合うから、良心の苛責はないだろうが)やらかしさえすれば、四十にして君は検事長、そして末は代議士ぐらいにはなれるだろう。 いいかい、君。良心にやましい思いをし、二十年も人知れぬ苦労と倦怠を重ね、妹たちには嫁入りの口もなく、二十五の年を越させねばならないんだぜ。そのうえだよ、ご注意までに申し上げるが、フランスはぜんぶで二十人の検事長しかないのに、その官職をねらっているのが、なんと二万人もいて、なかには一階級昇進するためなら、家族まで売ろうっていう不心得者までもあるんだ。そんな職業は願い下げだというんなら、ちとべつの方面を見てみようかね。

ラスティニャック男爵には弁護士になるお望みはおありかな? こいつはいい。十年の間、ひどい目にあわされ、月々千フランも持出しで、図書室や事務室まで設けねばならんし、社交界に出入りして、事件をまわしてもらうためには、代訴人の法服には接吻し、舌で裁判所を舐め清めるまでのことをしなくちゃならん。こんな商売ででもうまく成功するんなら、べつに文句は言わんさ。けれど五十になって年々五万フラン以上稼げる弁護士が、パリに五人でもいたら、一つ教えてもらいたいね。冗談じゃない、そんなことで魂をすり減らすくらいなら、いっそ海賊にでもなったほうが気がきいてるよ。

じゃ他のところで金を稼ぐか?

けれどどいつもこいつも決して愉快なものじゃないね。女房の持参金をあてにという金づるも、あることはある。どうだい、結婚する気はないかね? だがそいつは首に大石をぶらさげるのも同じだぜ。もし君が金のために結婚するとすれば、尊公の廉恥心や高潔な精神は、いったいどうなっちまうんだい。そんなことなら世間の因襲に抗する君の反逆を、きょうからでも始めるがよいわさ。女房の前で蛇のように這いまわり、姑の足までも舐め、牝豚でさえぞっとする汚らわしいことをするなんど、あえて意に介さぬとでもおっしゃるのかい。いやだ、いやだ!

まあそれでもせめて幸福でも掴めるっていうんならね。ところがそんな具合に結婚した女と、ともに暮したって、君は下水の石のようにじめじめした不仕合せに陥るのが関の山なんだぜ。女房相手に闘うのより、男どもを向うにまわして争ったほうが、まだしもだろう。

さて人生の分れ途といったら、先に述べたとおりだ、お若いの、さあ、とくと選ぶことだな。いや、君はもう選んでいたのだっけな。君は従姉のボーセアンのところに行き、栄耀栄華の匂いを嗅いできた。君はゴリオ爺さんの娘のレストー夫人のところへ行って、パリ女の匂いも嗅いできた。あの日、帰ってきた君の顔に、『出世するんだ!』という文字が、記されてあったのが、わしにははっきりと読み取れたぜ。なんとしても出世しようとな。偉いぞ!

そうわしは思ったね。好漢、俺の気に入ったぞって。それにしても先立つものはお金さ。どうやってこしらえるんだろう?

そう思っていたところが、君は妹たちの生血を搾った。男の兄弟というものは、みんな多少なりと女の姉妹からくすねとるもんさ。君のふんだくった千五百フランの金にしたって、なにしろ五フランの銀貨より栗の実のほうが多いっていう田舎のことだ、どんな具合にして調達されたか、神のみぞ知りたもうだが、そのお金だって掠奪にきた兵隊のように、またたくうちに消えてなくなるぜ。さてその後はどうするね? 働くかい?

しかし働くったって、君が今考えているような働きじゃ、ポワレごときの才能の若造だったら、その老後になってメゾン・ヴォーケルでの一組の部屋に納まるくらいが、まあせいぜいだろうね。手っ取り早い出世、これはいま君と同じような立場にいる五万の青年たちが、解決しようと躍起になっている当面の問題で、君だってそうした数のなかの一単位さ。これからしなければならぬ努力と、その血闘の凄烈さとを考えてもみたまえ。壺のなかの蜘蛛みたいに、君たちは友喰いをせんけりゃならん。いい地位が五万なんてありっこはないんだからね。いったいどうやってパリでは、自分の道を切り拓いて出世して行けると思うね?

それには才分を輝かせるか、あるいは器用に堕落するかしかないさ。人間のかたまっているこの密集のなかを、大砲の弾丸のように突破するか、またペスト菌のように忍び込んで行くのほかはないんだ。誠実だなんて、なんの役にも立つものか。天才の力の下に凡人は屈しているが、天才を憎んで、蔭では躍起になってあげつらっている。天才は分配しないで独占してしまうためさ。しかし天才が頑張っているかぎり、凡人は屈服している。簡単に言えば天才を泥中に葬り去ることができないうちは、膝まずいて崇めたてまつるってわけなんだ。堕落は隆盛だが才能はまれだ。うようよしているぼんくらどもの武器は堕落なんだ。到るところに堕落の先端を、君は感ずることができるだろう。

だから見たまえ、ご亭主のほうは後にも先にも六千フランの年収しかないのに、その女房はお化粧代に一万フラン以上も使っているのがあるかと思えば、俸給千二百フランの小役人でいて、地所を買込むのもあるし、ロンシャンの中央車道を駆ける資格のある貴族院議員の息子の馬車に同乗したいばかりに、身を落とすのもいとわぬという女たちもある。君も知ってるだろう、あのゴリオ爺の馬鹿は、娘の裏書きした為替手形を、止むを得ず支払ってやったが、当の亭主ときたら、五万フランの年収があるんだぜ。ちょっとパリを一足出歩いても、なんらかの極悪な陰謀に陥らずにはすまぬことは、君と賭けをしてもいいくらいなんだ。

気に入った出会いがしらの女に、ただし金があり若く美しい女に限るが、それにはまって君は苦しい羽目に陥るに違いないんだ。嘘だったらこのサラダ菜の頭とわしの首とをすげ替えてもいい。女という女は抜け目なく掟をくぐり、よろずにつけ良人と戦いを交えている。女がその情人のため、衣裳のため、子供のため、家庭のため、あるいは虚栄のため、どんなだいそれた駆け引きを弄しているか、そいつを説明するとなったらきりがなくなってしまうよ。だがね、美徳のためになにかをやるなんてことは、女にはめったにはないんだ。そいつだけは請け合っておくぜ。

そんなわけで律義者は万人から敵視されている。ところで律義者ってなんだね? パリでは律義者といえば、口出しもせず、分前にあずかることも拒む人間のことさ。どこで働いたってその労働の酬いられたためしのない憐れ憐れな国家奴隷のことを、なにもわしは話しているんじゃないぜ。あんな連中は、神様にも見はなされた間抜け職人衆さあ。確かに彼らのところには美徳が、その愚鈍の花をいっぱいに咲きひろげている。が、そこにはまた貧乏神も住みついているんだ。もしも神様が最後の審判にご欠席あそばすような悪ふざけをなされたら、これら実直な連中がどんなに渋い顔をするか、今からまるで目に見えるようだぜ。

だからもし君が一足跳びに出世したいと望むんなら、すでに金があるか、でなくば、あるように見せかけなくちゃならん。金持になるためには、大芝居をうつことが先決だ。それができなければ、ちびちび賭けして、はては元も子もすってしまってそれきりだ! 君にたずさわれる百もの職業のうちに、一躍のしあがった十人の成功者が出たにしろ、世間ではそれを泥棒呼ばわりするだろうて。さあて、君も結論を出したがいい。わしの述べたのがありのままの人生ていうもんだ。決して調理場以上にきれいなところじゃない。やはり、同じように臭気芬々としている。うまい汁を吸いたけりゃ、手を汚すのを覚悟せにゃならん。だがその手をよく洗っておくことだけは忘れちゃいかんぜ。そのことがすなわち現代のモラルそのものなんだからな。こんなふうに社会のことを君に語るのも、わしにはその権利が社会から与えられてるからなんだよ。わしは社会をよく知っとる。社会をわしが非難してると思うかね? とんでもないよ。社会はいつの世だって、こんなものなんだ。道学者が改良しようったって、決してできるもんじゃない。人間というやつは不完全極まるものなんだ。時として多少は偽善者になる。すると阿呆が道徳観念がいいとか悪いとかいって、騒ぎだす。わしは民衆の肩を持って、金持を責めるつもりなどはない。人間なんて上流でも下流でも中流でも、みんな同じだからね。

ところが、この高等家畜の百万ごとに、十人の傑物が現われて、すべてのものの上に立ち、法律さえをも超越するんだ。何を隠そう、わしもじつはその仲間の一人なんだ。君がすぐれた人間なら、頭をあげて、まっしぐらに突進するがいい。ただしそれには羨望や讒謗や衆愚と闘い、全社会を相手にまわす決意を要するぜ。ナポレオンもオーブリという陸軍大臣に出会って、すんでのことに植民地へまわされかけたこともある。自分の身をよく顧みて見たまえ。毎朝、前日にも増した決断力を抱いて、寝床を蹴って起きあがれるかどうか。それがもしできるようだったら、誰でもいやとは言いそうもない提案を、一つ君に出してやろう。

よく聴きたまえよ、ねえ、わしには一つの考えがあるんだ。その考えとは、たとえば合衆国の南部かなにかで、十万アルパンの大領地の真中において、酋長みたいな生活を送ろうっていうのさ。わしは開拓者となって行って、奴隷を使役し、牛や煙草や材木を買って、ざっと数百万ためこんで、君主のような暮しをし、思うがままに振舞って、漆喰の巣穴のなかにうずくまってるようなことでは、とうてい想像もおよばない生活を一つ送ってみたいんだ。わしは大詩人なんだ。わしの詩は書くんじゃない、行動と感情のなかに成り立っているんだ。わしはいま五万フラン持っているが、これではせいぜい四十人の黒人奴隷しか買えやしない。わしの酋長生活の趣味を満たすためには、二百人の奴隷が要り、二十万フランの金がほしいのだ。黒人奴隷っていうのはいいかい、成人した子供みたいなもので、好きなようにこきつかったって、ほじくり屋の検事から何の報告を求められる心配もないんだぜ。この黒い資本で、十年もたてば三四百万はもうかる。成功してしまえば、『お前は誰だ?』なんて訊ねるやつもないからね。こっちは合衆国市民四百万旦那だものな。その頃はわしも五十になるだろうが、まだ老い朽ちる年ではなし、わしなりにどうやら娯しむこともできようて。

てっとり早く言おう、君に百万フランの持参金つきの嫁御を世話するから、わしに二十万フランばかりくれないか? 二割のコミッションだ、どうだね、高すぎるかい? 君はそのかわいい娘っ子から惚れられるように仕向けるのだ。そして結婚しちまったら、落ち着かない、なんだか後悔しているような顔して、二週間ばかりしょげこんで見せるんだ。そしてある晩、さまざまな作り顔をしたあとで、接吻と接吻の間に、二十万フランの借財があることを、『かわいいお前!』なんて言いながら、打ち明けるのだ。こんな茶番は毎日、上流階級の若者たちが演じていることさ。若妻は心奪われている相手に、財布を渡さないなんてことはないよ。君はそれで損をしっきりだと思うかね? どうして、どうして。事業をやれば二十万フランぐらいはすぐと回収がつくぜ。君の金力と才気とをもってすれば、いくらでもほしいだけの大身代が築けるよ。かるがゆえにだね、六ヵ月のうちに、君は自分と、かわいい女房と、それにこのヴォートランおやじの幸福とを作り上げられるんだぜ。薪がなくて、冬は指に息を吹っかけている君の一家の幸福はいわずもがなさ。わしの提案だって、要求だって、なにも驚くにはあたらんさ。パリであげられる六十組の美々しい結婚のうち、その四十七組はこれと似たりよったりな取引の上に成り立っているんだからね。公証人会が無理にでも…」
 *随分と冗長だが、バルザック当人が法律家苦学生の身に絶望して小説家に転向した口なので、当時なりのリアリティが込められている。突破口が「アメリカ南部で奴隷制綿花農場の領主になる事」というのもまた興味深い。

遂にヴォートランが正体を明かす②。

「いいかい、君、パリは新大陸の森林さながらで、イリノイ原地人だとかヒューロン部族といった、二十種もの野蛮種族が闊歩していて、いろんな社会的狩猟であげる獲物によって、暮しをたてているんさ。君は数百万フランの狩人だ。大金を仕止めるのには係蹄とか黐竿とか囮などを使う。なにしろ狩りにもさまざまな方法があるからな。持参金を追うやつもあるし、遺産を漁るものもある。人の良心を釣ろうとするのもあれば、身内の手足を縛りあげて売り渡すのもいる。しかし獲物袋をいっぱいにして戻ってくりゃ、上流社会からは喝采され、祝福され、歓迎を受ける。こう親切にもてなしてくれるこの土地柄のよいところも、こう親切にもてなしてくれるこの土地柄のよいところも、一つ認めておいてやろうじゃないか。世界でも一番に愛想のいい都と、君はかかり合いがあるんだぜ。たとえヨーロッパの全首都の傲慢な貴族社会から、お仲間入りをこばまれた破廉恥な百万長者であろうと、このパリばかりは手をさしのべ、彼の祝宴に馳せ参じ、晩餐のご馳走にあずかって、彼の破廉恥な行いに乾杯を取り交してくれるんだから」
*またもや新大陸に擬(なぞら)えた比喩。

「事情通」ヴォートランの政治論

フランスに対してつくすことのもっともすくなかった人間が、盲信の的になっているのは、いつも極端な共和主義を、やっこさん一枚看板にしていたからなんだ。だがそんな男はラ・ファイエットとでも名札をつけて、機械類と一緒くたに工芸博物館にでも祭り込んでおくのが、せいぜいといったところさね。それに反して人間どもを蔑視し、せがまれるがままに数々の宣誓を、人間連中の顔に唾はいた公爵は、ウィーン会議でフランスの分割問題を阻止したのに、みんなから石を投げつけられている。栄冠をこそこのタレイラン公爵には捧ぐべきなのに、人々は公爵に泥をひっかけている。ああ、君、俺は事情通なんだよ、このわしはね。多くの人の秘密をわしは掴んでるんさ。もうたくさん、たくさん。一つの原理の適用について、三人の意見が一致するなんて場面にでも出会ったら、そのときはこのわしも確固不動たる定見を持つことにしてやろう、どうせ先の長い話だろうからね。裁判所でも、法律の条文一つについてだって、判事三人の意見が一致することは、金輪際ないんだからね。
*「ゴリオ爺さん」が執筆された時期は7月革命が単なる王統交代に終わって政治への失望感が広がっていった時期に該当する。

遂にヴォートランが正体を明かす③。

ヴォートランは言った。「おい、学生君、徳操っていうものは細分はできないんだぜ。徳操があるかないかのどちらかだけなんだ。罪の償いをするなんてことをよく人は言うね。悔悛の行為でもって、犯した罪が帳消しになるなんて、こいつまた、いやはや結構な社会のシステムさ。社会階梯のしかじかの段までのしあがるために、人妻を誘惑したり、家庭の子女たちの間に不和の種を蒔いたり、つまり個々人の快楽ないしは利害を目的に、暗々裡にまたは公然と行われている、かような破廉恥行為が、そもそも信仰と希望と博愛とからの行為であるなんて、君はいったい思っているのかい。子供からその財産の半分を、一夜にして奪うような真似をした伊達男は、二ヵ月の禁錮ですみ、それよりはるかにせっぱつまった情況から、千フランの紙幣を盗んだ哀れな男には苦役の刑が課せられることは、いったい、どうした訳なんだい? それが君たちの法律なんだ。どんな法律の条文だって、とどのはては、不条理に達せざるものなしさ。手套をはめ、猫なで声をした紳士が、人殺しをする。血は流さぬ代りに欺きたぶらかしてだ。ところが人殺しのほうは、錠前破りでドアをこじ開ける。いずれも夜の暗い犯罪たることにはかわりはないじゃないか。わしの君への提案と、君がいずれやることとは、ただ血を流すか流さぬかの違いがあるっきりなんだぜ。君は、この世に何か一定不変の標準でもあると思ってるのかい。そんなことより、人間どもを軽蔑し、法網をうまくくぐる隙間でも見つけたほうがいいぜ。はっきりした根拠もなくできあがった大身代の蔭には、手際よく行われたばかりに、世間からは忘却されている犯罪が、みんな潜んでいるんだからね」

ヴォートランのゴリオ爺さん

「…感情てのは、思考と化した世界そのものじゃないのかな?ゴリオ爺さんを見ろ。彼にとっては、ふたりの娘が宇宙のすべてであって、彼女たちこそ、被創造物の世界をすすんでゆく爺さんの導きの糸だ。…」
*崇高なまでに娘への無償奉仕に生きるゴリオ爺さんにラスティニャックは理想の父親像を見て取っている。「悪党」ヴォートランですら自分の手が届かない何かを感じ取っている。こうした部分もまた山本周五郎赤ひげ診療譚(1958年)」の六助のエピソードに通じるものがある。

遂にヴォートランが正体を明かす③。

「ごらんなさいよ、ミショノーさん、胸から腹にかけてもじゃもじゃ毛、こういう人は百までも生きるでしょうね。それにしてもこのかつらはびくともしていないのね。なあんだ、ぴったり貼りつけてある。赤毛だもんで、この人はつけ毛してるんだわ。赤毛の人はまるっきりの善人か悪人のどっちかだっていうけど、じゃこの人はいい人ってわけなのかしら」

「吊りさがるにいいほうだよ」とポワレは言った。

「別嬪さんの首っ玉にって、いうつもりだったんでしょう」とミショノー嬢は急いでそれを言い繕った。
*ヴォートランが赤毛だった事、「赤毛の人はまるっきりの善人か悪人のどっちか」という定見は、山本周五郎赤ひげ診療譚(1958年)」の主人公、「おれは盗みも知っている、売女に溺れたこともあるし、師 を裏切り、友を売ったこともある、おれは泥にまみれ、傷だらけの人間 だ、だから泥棒や売女や卑怯者の気持がよくわかる」と嘯く「赤ひげ」新出去定に繋がっていくのではあるまいか?

 ヴォートランの逮捕

そのとき、通りの舗道から数人の男の足音と、兵隊の銃のガチャガチャという物音とが響いてきた。コランは窓や壁を見まわして、機械的に逃げ場をさがし出そうとした瞬間、四人の男が、サロンのドアのところに現われた。先頭は保安警察部長で、続く三人は保安警察官たちだった。「法律と国王の名において!」と警官の一人が言ったが、その声は座の驚愕の呟きで掻き消されてしまった。 たちまち食堂のなかには沈黙がみなぎった。二列に分れた下宿人たちは、脇ポケットに手を突っ込み、装填したピストルを堅く握りしめた三人の警官に、途をひらいた。警官について来た二憲兵がサロンの戸口を守り、階段のほうに通ずるドアにも、二人の憲兵が姿を現わした。正面建物に沿った砂利道の上に、幾人もの兵隊の足音や、銃を引きずる物音が聞えた。脱走の希望もことごとくに断たれた不死身の上に、一同の眼差しは否応なしに注がれた。部長は彼に向ってまっしぐらに進むや、まず頭に烈しい平手打ちを一発くらわせ、そのかつらを吹っとばしたので、醜悪のかぎりであるコランの地頭が、そこにむき出しになった。赤煉瓦色の短い頭髪は、精悍と奸知のまざった恐ろしい特性を一同に示し、その頭と顔は上半身とぴったり調和して、地獄の劫火にでも照らされているように、輝きわたっていた。ヴォートランの全貌が、そのとき初めてみんなにわかった。彼の過去も現在も未来も、容赦のないその教義も、我欲への信奉も、彼の思想や行動の冷笑主義から与えられている威風も、どんなことにも堪えられるその体質の強さも、なにもかもが一同には、にわかに理解ができたのであった。

彼の顔には血がのぼり、両眼は野良猫のそれのように輝いた。彼は凶暴な精力をみなぎらせた動作でいきなり躍り上り、物凄い吼え声を出したので、下宿人たちことごとくは恐怖の金切り声をあげた。獅子のようなこの動作動作に、警官たちは満座の叫喚に支えられて、ピストルをとり出した。いっせいにピストルが撃鉄を光らせているのを見て、自分の身の危険を悟ったコランは、突然に人間に及ぶかぎりの最高の能力のしるしをあらわした。恐ろしくもまた厳かなそれは光景であった。彼の顔つきが見せた急激な変化は、山でも持ち上げかねぬ蒸気力にみちみちた汽鑵が、冷水の一滴によってたちまちに気が抜けてしまうあの現象にでも較べるよりほかには、たとえようのないところのものであった。彼の激怒をかく冷却した水滴は、稲妻のように閃めいた一つの反省であった。彼はにやりと笑って、かつらを眺めやった。

「礼儀作法ってことを、きょうは忘れちゃったのかい」

と彼は保安警察部長に言った。

そして頭を振って憲兵をさしまねきながら、両手をさし出した。

憲兵君、手錠でも指鎖でも、なんでも俺にかけてくれ。俺が抵抗しなかったってことは、ここにいる連中みんなが証人だぜ」

この人間火山のなかから、熔岩と火花とが出たかと思うとすぐまた引っ込んだその神速自在さに、驚嘆する呟きが部屋うちにざわめいた。

「どうだい、あてがはずれたろう、大袈裟に騒ぎ立てやがって」徒刑囚は司法警察の名だたる部長を睨みすえながら言った。

「さっさと服を脱ぎやがれ!」とサント・アンヌ小路の男は、軽蔑にみちた面持で言い返した。

「なぜだい?」コランは言った。「ご婦人方の前だぜ。わしはなにも否認はしないよ。神妙に控えてるんだぜ」 彼はちょっと黙った。そして意表外のことを言い出そうとする弁士のように、座を一渡り見まわしてのち、「書いてくんな、ラシャペルのとっつあん」逮捕にさいしての調書をしたためるべく、紙挾みから書類を取り出して、テーブルの端にどっかと坐った白髪の小柄な老人に向って、コランは言った。「書いてくんな、ラシャペルのとっつあん」逮捕にさいしての調書をしたためるべく、紙挾みから書類を取り出して、テーブルの端にどっかと坐った白髪の小柄な老人に向って、コランは言った。「俺は二十年の懲役を宣せられたジャック・コラン、通称『不死身』に相違ないことを認めるぜ。そのあだ名を毫もはずかしめなかったことは、ついさっき実証して見せたとおりだ。いいかね、俺がちょっとでも手を振り上げようものなら、(そう下宿人たちに言い聞かせた)この三人のいぬどもはヴォーケル・ママの床の上に、俺の血をのこらず流しやがっただろう。術中に俺を陥れようとこいつらたくらんで来やがったのだから!」

ヴォーケル夫人はこの言葉を聞いて、気持が悪くなった。

「まあ、ぞっとすること。あたしはきのうあの男と、ゲーテ座に行ったんだからね!」とお女将はシルヴィに言った。

「冷静になんなよ、ママ」とコランは続けた。「きのうゲーテ座へ俺と一緒に行ったことが、災難だとでもいうんかね?」と彼は叫んだ。「お前さんたちは俺よりちょっとはましな人間だとでもおっしゃるのかい? 俺たちが肩にしょっている汚名にくらべれば、おめえたちの心の中のほうが、よっぽど汚ねえじゃねえか。堕落社会のぐにゃぐにゃした片割れどもめ、手前たちのなかで一番ましな人間だって、俺の持ちかけた話に抵抗ができなかったじゃねえか」眼をラスティニャックの上にとめて、優しい微笑を彼は送ったが、それは彼の顔の険しい表情とは、およそ奇妙な対照を見せた。――「俺たちの協定はいつまでも有効だぜ、ただ君が承知してさえくれりゃだ、わかったね」そして彼は歌い出した。

わたしのファンシェット、かわいい娘うぶで素直で……

「当惑するにはあたらんよ」と彼は続けた。「貸した金を取立てるすべは、ちゃんと俺は心得てるんだ。みんなばかに俺をこわがってるから、ごまかそうなんて気は起きねえさ、この俺様に対しちゃね!」 徒刑場というものが、その習俗と言語、ユーモラスから身の毛の総毛立つまでの急激なその移りかわり、畏怖すべきその巨大さ、その狎々しさ、卑賤さといったものを伴って、突然にこうした態度のなかに表現せられた。
彼はもうたんなる一介の男ではなく、堕落した異狄全般のタイプ、野蛮ではあるが一応の理屈をもち、凶暴ながら順応性にも富んだ一種族の典型となっていた。一瞬にしてコランは、ただ一つ悔悛の情をのぞけば、その他のあらゆる人間的感情を描きつくす奈落の詩人となっていた。彼の眼差しは常に闘争を望んでやまぬ大魔王のそれであった。ラスティニャックは自分の邪念の贖罪でもするかのように、この男との罪のつながりを、いさぎよく認めて自分の眼を伏せた。

彼は下宿人たちを眺めながらしばらく黙っていた。

「手前ら、何をポカンとしてるんだ! 徒刑囚を今までに見たことがねえっていうのかい? ここにおいであそばすコラン様のようなたちの徒刑囚はな、ほかのやつらほど弱腰な男じゃねえんだ。師事しているのを俺が誇りとするジャン・ジャックが言ったようにな、社会契約の根強い欺瞞に、これで反抗してる男なんだぜ。つまり俺はたった一人で、裁判所や憲兵どもや予算をしこたま握ってる政府に立ち向い、やつらを翻弄してるんだ」

憲兵や兵士や刑事たちが、すっかり下宿から引き払って行ったとき、女主人のこめかみを酢で揉んでいたシルヴィは、茫然としている下宿人たちを眺めてこう言った。「ともかくなんていったって、豪儀な男だったわねえ」 このような光景に湧き立ったおびただしい雑多な感情に制せられ、一同が陥っていた呪縛状態は、シルヴィのこの一言によって破られた。
*モデルとされたウジェーヌ・フランソワ・ヴィドック(Eugène François Vidocq、1775年〜1857年)はこれ以降、密偵として国家奉仕する様になり最後は警察署長にまで成り上がる。まさしく池波正太郎鬼平犯科帳(1967年〜1989年)」の世界を一人で体現した様な人物なのだった。その一方で「鬼平犯科帳」も人物再登場要素が大きな比重を占める。
人物再登場がおもしろいバルザック
浮かれ女盛衰記

ラスティニャックの逡巡

彼はいたって悲しい、世にも気落ちした省察に耽りながら着替えに赴いた。世間というものを、一度足を踏み入れたが最後、首まで沈み込んでしまう泥の大海のように思った。――(世間じゃただけち臭い罪悪しか行われていない。考えてみればヴォートランのほうがずっと偉いや)と彼は思った。彼は社会の三つの大きな表われを見てきた。「服従」「闘争」そして「反抗」、換言すれば「家族」「世間」「ヴォートラン」。そのいずれを選んだらよいか、彼にはためらわれた。「服従」は退屈だし、「反抗」はできっこないし、「闘争」は不安定に思われた。自分の家庭のなかに彼の心は引き戻された。あの穏やかな生活の純粋な感動が思い起こされた。自分を愛してくれる人たちのなかで過ごした日々のことが、懐しくしのばれた。家庭の自然な掟に従って、これらいとしい人たちは、なんの苦悩もない充実した、不断の幸福をそこに見出しているのだ。
*しかし彼は結局、ゴリオ爺さんのあまりにも惨めな最後を見届けた後「さあ、 これから は パリ と 俺 の 一騎打ち だ ぞ」と自分に向かって発破を掛ける道を選んだのだった。

「医は仁術」じゃない。

「すまんなあ、ビアンション君」とウージェーヌが言った。
「なあに、医学上の研究材料だからさ」と新人信徒の熱心さで医学生は答えた。
「なあんだ、じゃこの哀れな老人を、情けをもって介抱してるのは、僕一人っていうわけか」とウージェーヌは言った。
「俺のけさの介抱ぶりを見ていたら、君にしてもそんな口はきけないと思うが」とビアンションは言った。ラスティニャックの言葉に、そう腹を立てたふうにも見えなかった。「経験に富んだ医者は病気をしか見ない。僕なんかはまだ病人が目につくんだよ、君」

臨終の席に姿を現さない娘達を呪うゴリオ爺さんの嘆き

わしは抗議を申し立てる! 父親が足もとに踏みにじられるようになったら、その一国は滅亡するじゃろう。それはわかりきった話じゃないか。社会も世間も父性の上に基礎をおいてるんだ。子供が父親を愛さないのなら、何もかもが崩壊してしまおう。

 さて、ここまで長々と引用を重ねてきたのは、山本周五郎赤ひげ診療譚(1957年)」ひいては黒澤明監督作品「赤ひげ(1965年)」への連続性を確かめる為だったりします。

CineMagaziNet! no.18 藤原 征生 日本映画における立体音響の導入――東宝の業績を中心にみた技術史的試論

サリカ法典(Lex Salica、フランク人サリー支族が建てたフランク王国の法典でラテン語によって記述されている)に由来する欧州父権制度は次第に「(国王や教会の権威に裏付けられて)領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的伝統」に立脚する様になっていった。 

ドイツにユダヤ人として生まれ、フランスに亡命してカソリックとして死んだ詩人ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, 1797年~1856年)がフランス人向けにフランス語で執筆した「ドイツ古典哲学の本質 -ドイツの宗教と哲学との歴史のために- (Zur Geschichte der neueren schönen Literatur in Deutschland、1833年)」

ヘブライ人は、超越神を、やかましくどなりつける暴君だと思っていた。キリスト教徒はやさしい父親だと思っている。そしてルソーの弟子のジュネーブ学派のものは残らず、この超越神を、自分らの父が時計をつくるようにこの世界をつくりあげたかしこい技師だと思っている。」

②これに正面切って反旗を翻したのが「フランスのロマン主義」運動。その一方で「反ロマン主義の系譜」と呼ばれる事もあるバルザック写実主義(Realisme)やエミール・ゾラ自然主義(naturalisme)は客観的視点から淡々と家父長制の存続が不可能となっていくプロセスを描いた。
山本周五郎赤ひげ診療譚(1957年)」にはバルザックゴリオ爺さん」だけでなくトーマス・ハーディ「ダーバヴィル家のテス(Tess of the d'Urbervilles、1891年)」の影響が色濃く感じられる。その展開は女房おなかの複雑怪奇な振る舞いに振り回される佐八の生涯についてだけでなく、主人公の青年医師保本登を巡る天野ちぐさと天野まさをの物語にも投影されている様で、その相似が物語全体に深みを与えていたりする。「ダーバヴィル家のテス」も自然主義文学を代表する一作であり、貧困や身分制や宗教観に押し潰されて「人間」として生きる事が不可能となってしまった人々を描く。原作からして実録めいたディティールを備えており赤ひげ診療譚」の世界観に過不足ない形で綺麗に接ぎ穂されている。

③この方面における日本の歴史は複雑で、江戸時代日本を訪れた外国人は「この国は法専制国家である(政体こそ諸藩に分かれているが、相互模倣によって法や文書行政の均質性が保たれている。その一方で天皇や将軍や諸大名の振る舞いに専制君主的要素が見られない)」「行政単位の末端たる家では家父長制と家母長制が混在している(概ね武家は家父長制、商家は家母長制を採用しているが、結構複雑に入り混じっている」と表現した。1970年代から1980年代にかけて日本にフェミニズム思想を広めた少女漫画家達も「家父長制も家母長制も既得権益を守り伝える為の権威主義体制には変わりない」という立場をとり「家父長制を打倒し家母長制を樹立するのが国際正義」なるモットーを掲げたラディカル・フェミニストの立場に基本的になびく事はなかったのである。それどころか「第三次フェミニズムバイブル」として海外に広まった感すらある。

④その一方で、忍者物のフォーマットを固めた立川文庫(1911年〜1924年)や、剣禅一如を目指す求道者達を描いた吉川英治宮本武蔵(1935年〜1939年)」、戦前戦後を通じて活躍した山本周五郎作品といった「武家(や忍者)の家父長制」を主題とする作品群が伝統的に存在してきたものの、どうやら(そもそも守り伝えるべき既得権益から無縁だった)庶民の実生活空間とはあまり縁がなかったとも見て取れる。
*その一方で当時広く読まれた源氏鶏太のサラリーマン小説(1948年〜1970年)は家父長制的雰囲気が強く、そうした雰囲気は黒澤明監督作品「天国と地獄(1963年)」にも見て取れたりする。
源氏鶏太 - Wikipedia

これが突如として「日本文化の根幹は家父長制だった」事になり「高度成長過程でその存続が脅かされている。迅速な再建が必要」といった問題意識が提起される様になったのが、1960年代も中半に入ってから。

*そういえば梶原一騎原作の「巨人の星(1966年〜1971年)」「タイガーマスク(1968年〜1971年)」「あしたのジョー(1968年〜1973年)」も、池波正太郎の「鬼平犯科帳(1967年〜1989年)」「剣客商売(1972年〜1988年)」「仕掛人・藤枝梅安(1972年〜1990年)」もこの時期の登場。そして角川春樹が角川商法で売り続けた作品もまた「(自らの境遇を投影した)親子の葛藤」を主題とする作品が多かった。とどめとなったのが村上龍「愛と幻想のファシズム(連載1984年〜1986年、単行本1987年)」や庵野秀明監督作品「新世紀エヴァンゲリオン(TV版1995年、旧劇場版1996年〜1997年)」あたり。

こうした時代展開に先駆ける形で黒澤明監督は「椿三十郎(1962年)」「天国と地獄(1963年)」において「家父長的存在と放蕩息子の対峙」を描いてきたともいえそうな訳ですが「赤ひげ(1965年)」においては遂に山本周五郎の原作通り(最初は反抗的だった)青年医師保本登が最終的に「赤ひげ」に屈服する家父長主義的ファンタジーをそのまま描いてしまいます。そしてこれが黒澤明監督にとって「三船敏郎出演の白黒東宝映画」最終作に。
*国際SNS上の関心空間における回覧状況を見ても(犯人を演じた山崎力の怪演もあって)チャンバラ映画でなくとも「天国と地獄(High and Low 1963年)」までは、そこそこ人気。しかし「赤ひげ(Akahige、Red Beard)」は…という展開となる。
三船 敏郎

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日本映画の黄金時代

映画のピークは昭和33年(1958)年(「隠し砦の三悪人」「張り込み」「炎上」公開の年)だという。年間で一人毎月一本づつ映画を見に行った勘定に、昭和40年(1965年)になるとそれが年3回に減ってくるという。

  • 黒澤明は翌年の昭和38年に「天国と地獄(1963年)」を撮り、昭和40年に「赤ひげ(1965年)」、その後5年のブランクをおく(「どですかでん(1970年)」)。

  • 木下恵介はどうか。2年後の昭和39年の「香華(1964年)」を最後に松竹を去る。 次に撮るのが3年をおいた昭和42年の「なつかしき笛や太鼓(1967年)」。それから映画は9年ものブランクがある。

  • 秋刀魚の味(1962年)」が小津安二郎の遺作となる。昭和38年12月逝去。

  • 成瀬巳喜男と高峰秀子は昭和44年の「ひき逃げ(1966年、シナリオ松山善三)」が最後になる。3年後の昭和44年(1969年)に成瀬逝去。

黒澤の「赤ひげ」は明らかにこうした日本映画の危機をひしひしと受けとめたなかでの製作だった、完成まで足かけ三年を費やしたという。

  • スタッフの力をぎりぎりまで絞りだして、重厚壮大な画面を描きだし(描きつくしたのではないか)〈黒澤はこのあと何を作るのか〉とドナルド・リチーが懸念すら抱いたほど。 リチーは「自分のスタイルをその終局まで押しすすめ映画人として生涯持ち続けたテーマを完成させてしまったように感じた」と書いている(『黒澤明の映画』キネマ旬報社)。

  • 『クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々』(土屋嘉男 新潮文庫ドストエフスキーの肖像」参照)にもリチーの想いを裏書きするような記述がある。引用してみよう。「作り終わった時は、黒澤さんはフラフラになり、入院した。『三船と俺は、やることは全部やりつくした』と黒澤さんは言った。以後、三船さんは、黒澤映画から去っていった。『映画「赤ひげ」は、集大成である』と黒澤さんは自ら言い、これが大きな節目となり、次なる黒澤の世界に挑むのである。」

皮肉なことに映画の陰りの時代はテレビの黄金時代とダブっている。 「シャボン玉ホリデー」 「若い季節」 「夢で逢いましょう」 「てなもんや三度笠」 「番頭はんと丁稚どん」 。これらの輝くばかりの番組は昭和36年(1961年)から37年(1962年)にスタートしている、「スーダラ節」が昭和36年に発売され「ニッポン無責任時代」は昭和37年に封切。「ハイそれまでよ」も同年の37年。植木等渥美清藤田まこと青島幸男、みんなテレビの出身者だと『テレビの黄金時代』(キネマ旬報社)は指摘している。

高度経済成長のバンドワゴン(お囃子(はやし)連中)的なテレビ番組に対抗する意図が濃厚だが、家父長的な権威主義など、やや古い価値観も顔をのぞかせる。1966年の中央教育審議会答申「期待される人間像」の例として推奨される一方、保守回帰と反発されて評価が割れた。

赤ひげ:黒沢明の世界

この映画は、一部から「どろくさいヒューマニズムだ」と言われて評判が良くなかった。

ひとつは時代背景とのミスマッチといったこともあったのだろう。この映画が公開された1965年の正月は、前年に東京オリンピックを成功させたばかりだったし、日本は高度成長に向かって驀進しつつあった。世の中は景気が良く、人々の心は明るかったのである。そんな中で、徳川時代の庶民の悲惨さについて訴えかけられて、実感できるものでもなく、また、ヒューマニズムについて御託宣を聞かされるよりも、明日の生活が少しでも良くなるという見込みの方が意味があった。実際当時の人々の多くが、明日に希望が持てた時代だったのである。

赤ひげ伝説が根強く残る日本文化の影響で、多くの病気において、一人の医師にすがってしまう傾向があります。そして、赤ひげのようにスーパードクターとして振る舞いたい医師が多くて、一人の医者が抱え込む状況が生まれているのではないかと私は分析します。

セカンドオピニオンは、このあしき習慣を崩す良いシステムなのですが、実際はそんなに頻繁に行われてはいません。これもこの赤ひげ文化からきていると思います。もっと効率よく、合理的に事が進まねばならないのです。

この問題に関しては「トルストイドストエフスキーを愛読していた」という側面からも迫る必要があるかもしれません。

父親の絶対的家父長制の強い家庭に育ったせいか、黒沢は自分の本当に好きなものをみつけると、その大切なもののために粉骨砕身、絶対に妥協を許さない人でした。撮影以外では子供のように純真で優しい人が、撮影に入ると震え上がるほど厳しい仕事の鬼でした。精魂の限りを尽くして作品を生み、終わった後には、魂の抜け殻のように疲弊しきった体を病院で休めることがしばしばだったといいます。

ロシアの文豪、トルストイドストエフスキーが愛読書だった彼は、醜悪な現実の中にあっても常に理想の火を燃やし続けている男たちに、誠実な生き方と勇気ある戦い、そして愛を、自らの分身として、託し続けているのです。 

  • ドストエフスキー父親は横暴な小領主で農奴に謀殺されたらしい。立件すると集落ごとシベリア送りにされるので起訴を見送ったとも(農奴側もそうなる事を見越して事に及んだとされる)。また「カラマーゾフの兄弟(Братья Карамазовы、1979年発表、1980年単行本化)」に描かれる「父親殺し」には、さらに若い頃に理想主義的社会主義に傾倒して逮捕され、一旦は死刑宣告を受けながら皇帝の恩赦でシベリア流刑ね減刑された経験も投影されているという(全ては皇恩を植え付ける為の芝居)。そうしたコンプレックスがその作風に(国王や教会に宣戦布告した)フランスのロマン主義文学的側面を添え、かつまたデビュー前の貧困体験や多種多様な徒刑囚と暮らしたシベリア時代の経験が自然文学的要素を加える事になったとも。有名な「罪と罰(Преступление и наказание, 1866年)」も新聞の事件欄に掲載された記事が発想の元になっている。

  • 黒澤明監督に与えた影響としては「(「7人の侍(1954年)」や「赤ひげ(1965年)」に見られる)なまじ無力ゆえに強かな庶民観」、および「虐げられた人びと(Униженные и оскорбленные、1861年)」における少女ネリー、「罪と罰(1966年)」におけるラスコーリニコフや「カラマーゾフの兄弟(1879年)」におけるスメルジャコフの特徴的人格描写あたりが指摘される事が多い。

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  • 実は以外とドイツ・ロマン主義やヒッピー文化ほど「システムとしての家父長制的ファンタジーを巡る葛藤」には巻き込まれていない気もする。これは19世紀後半のフランス同様、資本主義的発展の裏で暗躍する「虐げられた人びと(1861年)」の大領主ワルコフスキー公爵、「罪と罰(1866年)」の家主スヴィドリガイロフ、「悪霊(1871年〜1872年)」の無神論者スタヴローギンの様な人々にスポットライトを当てたせいとも。
    *「赤ひげ(1965年)」におけるおとよのモデルとなった「虐げられた人びと(1861年)」の少女ネリーにも、「天国と地獄(1963年)」における竹内銀次郎のモデルとなったと目される罪と罰(1866年)」のラスコーリニコフにも、ロマン主義英雄と似た「神(世界)と自分の関係しか考えないエゴイスト」という側面があり、だから考え方も煮詰まってしまっていた。こういうタイプの人物を描写するのに家父長制など持ち出す必要はないという事。

 こうなると、そもそも黒澤明監督作品「赤ひげ(1965年)」は本当に「泥臭いヒューマニズム」を主題に「放蕩息子の帰還」を描く家父長制的ファンタジーだったのかについて検証してみる必要がありそうなのです。