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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【生きる(1952年)】【ゴジラ(1954年)】【生きものの記録(1955年)】「志村喬のあの独特の眼差し」について

 昭和20年代(1945年〜1955年代)の黒澤明監督映画に欠かせない名優、志村喬。一般には「酔いどれ天使(1948年)」「野良犬(1949年)」「醜聞 -スキャンダル-(1950年)」「7人の侍(1954年)」における三船敏郎との共演が有名ですが、この人物の演技にはもう一つの系列が存在するのです。

  • 黒澤監督映画「生きる(1952年)」における「残り僅かとなった与命をを賭して汚水溜まりの埋め立てと公園建設を完遂し、楽しそうにブランコを漕いで歌いながら死んでいく市民課の課長」。
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  • 特撮怪獣映画「ゴジラ第一作(1954年)」「ゴジラの逆襲(1955年)」における「古生物学者としてゴジラ殺処分に反対し、むしろその脅威の生命力を研究対象にすべきだと主張する山根恭平博士」。
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  • 黒澤監督映画「生きものの記録(1955年)」における「家庭裁判所の調停員として原水爆への神経症的恐怖から悲惨な末路を遂げる家父長(三船敏郎)の目撃者となる歯科医」。
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ここで連続性を生み出しているのは「あの独特の目の演技」。それはある意味、興行成績的にはパッとしなかった「白痴(1951年)」におけるムイシッュキン=亀田欽司(森雅之)の怨霊と呼ぶべき存在だったのかもしれません。
ムイシュキンの謎 『謎とき白痴』(江川卓 新潮社 1994)を読んで

 黒澤明監督映画「白痴(1951年)」冒頭言

ドストエフスキーはこの作品の執筆にあたって、真に善良な人が書きたいのだ、といっている。そしてその主人公に白痴の青年を選んだ。皮肉な話だが、この世の中で真に善良である事は白痴に等しい。

この物語は一つの単純で正常な魂が、世の不信、懐疑の中で無残に滅びていく痛ましい記録である。 

  • 「白痴(1951年)」においては、独占欲のあまり「魔性の女那須妙子(ナスターシャ原節子)を殺してしまったロゴージン=赤間伝吉(三船敏郎)と、それを止められなかった「善意の象徴」亀田欽司(ムイシッュキン=森雅之)は二人とも一緒に静かに発狂していき、揃って精神病院で余生を送る羽目に陥る。
    *ここに登場する赤間伝吉(ロゴージン=三船敏郎)に「俺はこれまで悪念に悩まされると、その悪念に命ぜられるままにしてきた男だ。それが一番苦しまない方法だと信じてきた。しかし今日は駄目だ。お前を手に入れたが、俺はますますお前が欲しくなるばかりだ。頼む、俺の妻になってくれ。さもなくば殺すしかない」と豪語した「羅生門(1950年)」における多襄丸(三船敏郎)との連続性を見て取るのは容易い。

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  • 狂った果実(1956年)」においては、「まだまだ人生に意味を求める潔癖性から抜け切ってない」純真無垢な弟・ 春次(ムイシッュキン=津川雅彦)が、それ故に無軌道な暴走状態に陥って「大人達に失望し、本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとした」「世慣れた」兄・夏久(ロゴージン=石原裕次郎)」と「魔性の女」恵梨(ナスターシャ北原三枝)を二人とも殺して破滅していく。
    *思いもかけずこの作品が国際的評価を勝ち取ったのは、若者の心の中に「人生に意味を求める純真無垢さ」と「本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとする暴力性」が同居し、それが互いに鬩(せめ)ぎ合う有様を見事にスケッチしてるから。それはむしろ「白痴」におけるムイシッュキンのジレンマというより「罪と罰(1866年)」におけるラスコーリニコフのジレンマ。黒澤明監督映画では「天国と地獄(1963年)」における「誘拐犯」竹内銀次郎(山崎努)が体現する事になるが、ラスコーリニコフ同様、彼には「世慣れた」要素が欠落していた。

    ドストエフスキー「罪と罰(1866年)」 - Wikipedia

    頭脳明晰ではあるが貧しい元大学生ラスコーリニコフは「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」なる独自の犯罪理論をもとに、金貸しの強欲狡猾な老婆を殺害し、奪った金で世の中のために善行をしようと企てる。しかし殺害の現場に偶然居合わせたその妹まで殺害してしまい。この事から罪の意識が増長し、苦悩する。そして自分より惨憺たる生活を送る娼婦ソーニャの、家族のためにつくす徹底された自己犠牲の生き方に心をうたれて、最後は自首する。
    黒澤明監督映画「天国と地獄(1963年)」の竹内銀次郎(山崎努)には、ここでいう「聖なる娼婦」ソーニャの要素が欠落。

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    *同じ黒澤明監督映画「野良犬(1949年)」における遊佐(木村功)についても、彼の想い人だった並木ハルミ(淡路惠子)は「聖なる娼婦ソーニャ」役を果たし得ず。

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    石原慎太郎原作映画「狂った果実(1956年)」においては、若者特有の「人生に意味を求める純真無垢さ」と「本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとする暴力性」が兄弟に分割され、しかも兄が世慣れていた為に犯罪化を免れていたが、「魔性の女」恵梨(北原三枝)の登場が両者のバランスを崩し、悲劇を誘発する。むしろ「純粋無垢」を象徴する弟が殺人犯になるのが国際的に斬新だった。

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    *そういえばこの構図、吉田秋生吉祥天女(1983年〜1984年)」において「新興成金」遠野家の暁(「本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとする暴力性」担当)と涼(「人生に意味を求める純真無垢さ」担当だが挫折の連続で「世慣れていく」)の兄弟間の危ういバランスを「旧名家」叶家の「魔性の女」小夜子が遠野家を破滅させる為にあえて崩すのに重なる。小夜子は「家名存続の為には手段を選ばない家母長」を象徴する存在でもあり、自分の手が決っして届かない涼に憧憬の念を感じるが、その「人生に意味を求める純真無垢さ」ゆえに涼は自滅を余儀なくされ、結局手に入らない。

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  • 「悪い奴ほどよく眠る(1960年)」において、冒頭の結婚式で(色々後ろ暗い側面もある)日本未利用土地開発公団副総裁の岩淵(森雅之)の純真無垢な娘岩淵佳子(香川京子)と夫婦になる西幸一(三船敏郎)。実は岩淵を付け狙う復讐鬼だったが「世慣れた」岩淵が勝利して謀殺に追い込まれる。しかしながら、謀殺の一端を担がされた佳子は発狂。「大人達に失望し、本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとした」「世慣れてない」兄・岩淵辰夫(三橋達也)は家を出ていく。
    *この世界観においては、人間なら誰しもが「人生に意味を求める純真無垢さ」と「本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとする暴力性」が同居しているものと考え「世慣れている=色々後ろ暗い側面も背負っている」側面との対決を様々な形で強要されるとする。まさしくクリストファー・ノーラン監督作品「ダークナイト(The Dark Knight、2008年)」における「英雄として死ぬか、悪に染まって生き延びるかさ(You either die for hero, or live long enough to see yourself become the villain.)」の台詞そのものの世界観。

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    *「悪い奴ほどよく眠る」には岩淵(森雅之)が鏡を見て自分がすっかり世慣れて、純真無垢だった時代とは遠ざかってしまった事を自覚して驚愕する場面がある。そして息子の辰夫(三橋達也)は「大人達に失望し、本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとする暴力性」、娘の佳子(香川京子)は「まだまだ人生に意味を求める潔癖性から抜け切ってない純真無垢」の象徴。この物語は世代間の考え方の違いをも取り込んだ家族劇なのである。そして、その危なげなバランスが「世慣れてない」西幸一(三船敏郎)の闖入によって崩壊する。

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    フランシス・コッポラ監督映画「ゴッドファーザー(The Godfather、原作1969年、映画化1972年)」では、冒頭の結婚式でコルレオーネ家の娘コニー(タリア・シャイア)と結婚したカルロ(ジャンニ・ルッソ)が実はただのチンプラでDV男。「ゴッド・ファーザー」ビトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)後継者と目されていた「本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとする暴力性の象徴」長兄ソニージェームズ・カーン)謀殺に手を貸し、実際の後継者となった「第二次世界大戦の英雄」三男マイケル(アル・パチーノ)の手によってラスト間際に謀殺される。夫を殺されたコニーは半狂乱となるが「人生に意味を求める純真無垢さの象徴」次男フレド(ジョン・カザール)やマイケルの妻ケイ(ダイアン・キートン)はただ黙って見守る事しか出来ない。そして続編(1974年)では、フレドがカルロの役回りを果たす事になる。
    *「悪い奴ほどよく眠る」との相似部分は、映画版での追加演出。そもそも原作にもあった要素を体系的に強調した演出だった訳だが、それによって作品構造が整理され、シャープな凄味を帯びる事になった。ちなみに「ゴッドファーザー」原作者のマリオ・プーゾ(Mario Puzo)は「沈黙 -Silence-(2016年)」の監督マーティン・スコセッシ同様にナポリ移民の家系。原作における着眼点も重なっていて「犯罪の世界に身を置きながら高潔さを貫こうとする人々がいる。彼らは一体どんな精神生活を送っているのだろうか?」というものだった。この立場ゆえに必然的にスポットライトが当たるのは「人生に意味を求める純真無垢さ」と「本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとする暴力性」の同居に苦しむ「世慣れた」ビトー(マーロン・ブランド)やマイケル(アル・パチーノ)となる。逆を言えば「世慣れてない」フレド(ジョン・カザール)、ケイ(ダイアン・キートン)、コニー(タリア・シャイア)、カルロ(ジャンニ・ルッソ)はただ傍観者として存在するに過ぎなくなってしまう。「悪い奴ほどよく眠る」の西幸一(三船敏郎)がある種のスーパーマン(岩淵家にとっての悪夢)と映るのは、この構造を乗り越えて活躍するからだが、そうした存在はこの世界観においては決っして登場を赦されない。従って「カルロの悲劇」も容赦なく切り捨てられてしまい、むしろ「白痴(1951年)」においてムイシッュキン役を演じながら「悪い奴ほどよく眠る(1960年)」において「目に見える巨悪の頂点」岩淵を演じた森雅之とは如何なる存在だったのかが問われる事になる。最早それは単一のキャラクターで受け止められる様な課題ではなく、かくして「旧世代」ビトー(マーロン・ブランド)と「新世代」マイケル(アル・パチーノ)の分業が成立する事になるのだった。これはマーティン・スコセッシ監督映画「沈黙 -Silence-(2016年)」における(既に棄教した)クリストヴァン・フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)と(今まさに棄教を迫られている)セバスチャン・ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)の対峙に該当する展開。

    カルロ・リッツィ(ジャンニ・ルッソ)Wikipedia

    http://vignette2.wikia.nocookie.net/godfather/images/e/ee/Vlcsnap-2010-12-30-22h02m13s151.png/revision/latest?cb=20110119200502
    コニーの夫。立派な体格で男前だが放蕩的な性格から信頼されず、ファミリーの仕事に関わることは許されておらず、コニーの夫であることから捨て扶持だけはあてがわれている。そのため苛立ちと孤立感を深め、次第にコニーに暴力を振るうようになる。バルジーニの手引きによりソニーを罠にはめて殺害させるが後に真相が露見し、マイケルの意を受けたファミリー古参の幹部クレメンザに絞殺されてしまう。

    フレド・コルレオーネ(ジョン・カザール)

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    ヴィトー・コルレオーネの次男。心優しいが気が弱く、おおよそマフィアには向いておらず、使い走りのような仕事ばかり任されている。有能である弟のマイケルに対して劣等感と嫉妬心を抱いており、妻であるディアナとの仲もうまくいっていない。マイケルへの復讐の機会を狙うロスの部下であるジョニー・オーラの差し金で弟を裏切り、ファミリーを窮地に陥れる。母の死後は弟と和解したかに見えたが、最後はマイケルの放った刺客アル・ネリにタホ湖で粛清される。

以前よりどうしてハリウッドにおける南イタリア勢の台頭がニューシネマ(New Hollywood)の時代を終わらせたのか疑問でしたが、どうやらこの辺りにヒントがありそうです。

  • 「世慣れる」事を拒絶したニューシネマが「破滅的結末」しか描けなかったのに対し、南イタリア勢は「存続」を最優先課題と考えるが故に「世慣れる」結末を甘受した。そして若者達はそろそろただ単に「ナルシスティックな破滅願望」への惜しみない同情の拍手を強要され続ける状況に飽き始めていたのだった。

  • この構造、おそらく欧州大陸における政治的浪漫主義がどうして自滅を余儀なくされたかにも合致する。

  • 遠藤周作「沈黙(1966年)」およびマーティン・スコセッシ監督映画「沈黙 -Silence-(2016年)」においては、この部分が世慣れる=転ぶ」状況に集約。実は仏教界の教学もカソリック界のスコラ学も五感で認識し得る世界を「色即是空、空即是色=縁起の世界」と割り切って俯瞰する点においては何ら変わりはない。そして「世俗諦に対する第一義諦」「機械的宇宙論における第一原動力」といった人為的設定は(犯罪社会やキリシタン弾圧下といった)極限状況においては、各個人の内面的問題としてのみ存続を許される、とする。この状況下において「白痴」のムイシュキン的存在は(その存続不可能性故に)完全に居場所を失ってしまう。「生き延びられなければ記憶にも残らない」という単純極まわりない理由によって。

それでは「志村喬のあの独特の目の演技」は、今や完全に時代遅れとなって滅んでしまったのでしょうか? 突破口の一つは「究極的な意味では「完全に世慣れた人間」など実在し得ない」という点にあるのかもしれません。

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もう一つ、検討に値するのが「白痴(1951年)」における那須妙子(原節子)や「狂った果実(1956年)」における恵梨(北原三枝)の如き「魔性の女=ナスターシャ」の在り方の変遷史。不思議とそれは次第に「(目力だけで異性を動かす)家母長の眼の持ち主」というべき何かにその姿を変貌させていくのです。

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  • 坂口安吾「白痴(1947年)」…出発点はまさしく地獄。1970年代以降は「日本全体が発狂に向かう最中、日本人唯一の良心たる左翼だけが正気を保ち、必死の抵抗を試み続けていた(松竹映画「戦争と人間三部作(1970年〜1973年)」ナレーションより)」なんて退屈極まる歴史観一色に塗りつぶされてしまう戦時下イメージの実際の情景。そして実際に当時を生きた坂口安吾は以下の様な精神的記録を残している。
    パゾリーニ監督が遺作となった「ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma、1975年)」において「究極の意味での自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」なるジレンマを掲示する前風景。大江健三郎が「貴方の様な存在のせいで、どれだけの人間が発言を封じらるかちゃんと分かってますか?」という読者投稿に対して「だが私だけが真の意味での無政府主義者なのだ(だから現実を直視して諦めよ)」と胸を張って答える前風景でもある。カール・マルクスは「人間の幸福とは時代精神Zeitgeist)ないしは民族精神(Volksgeist)と完全合一を果たし、自らの役割を得る事である」とするヘーゲル哲学への反抗心から「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」と叫んだが、その後の共産主義はむしろマルクスの純真無垢なる叫びに背を向け、世界調和を最優先課題とするヘーゲル哲学に傾倒する事によって自滅を余儀なくされていく。

    坂口安吾「白痴(1947年)」

    戦時下において暴露される「知性の無力」

    新聞記者だの文化映画の演出家などは賤業中の賤業であった。彼等の心得ているのは時代の流行ということだけで、動く時間に乗遅れまいとすることだけが生活であり、自我の追求、個性や独創というものはこの世界には存在しない。彼等の日常の会話の中には会社員だの官吏だの学校の教師に比べて自我だの人間だの個性だの独創だのという言葉が氾濫すぎているのであったが、それは言葉の上だけの存在であり、有金をはたいて女を口説いて宿酔(ふつかよい)の苦痛が人間の悩みだというような馬鹿馬鹿しいものなのだった。ああ日の丸の感激だの、兵隊さんよ有難う、思わず目頭が熱くなったり、ズドズドズドは爆撃の音、無我夢中で地上に伏し、パンパンパンは機銃の音、およそ精神の高さもなければ一行の実感すらもない架空の文章に憂身をやつし、映画をつくり、戦争の表現とはそういうものだと思いこんでいる。またある者は軍部の検閲で書きようがないと言うけれども、他に真実の文章の心当りがあるわけでなく、文章自体の真実や実感は検閲などには関係のない存在だ。要するにいかなる時代にもこの連中には内容がなく空虚な自我があるだけだ。流行次第で右から左へどうにでもなり、通俗小説の表現などからお手本を学んで時代の表現だと思いこんでいる。事実時代というものは、ただそれだけの浅薄愚劣なものでもあり、日本二千年の歴史を覆がえすこの戦争と敗北が果して人間の真実に何の関係があったであろうか。最も内省の稀薄な意志と衆愚の妄動だけによって一国の運命が動いている。部長だの社長の前で個性だの独創だのと言い出すと顔をそむけて馬鹿な奴だという言外の表示を見せて、兵隊さんよ有難う、ああ日の丸の感激、思わず目頭が熱くなり、OK、新聞記者とはそれだけで、事実、時代そのものがそれだけだ。

    師団長閣下の訓辞を三分間もかかって長々と写す必要がありますか、職工達の毎朝のノリトのような変テコな唄を一から十まで写す必要があるのですか、と訊いてみると、部長はプイと顔をそむけて舌打ちしてやにわに振向くと貴重品の煙草をグシャリ灰皿へ押しつぶして睨みつけて、おい、怒濤どとうの時代に美が何物だい、芸術は無力だ! ニュースだけが真実なんだ! と呶鳴どなるのであった。

    演出家どもは演出家どもで、企画部員は企画部員で、徒党を組み、徳川時代の長脇差と同じような情誼(じょうぎ)の世界をつくりだし義理人情で才能を処理して、会社員よりも会社員的な順番制度をつくっている。それによって各自の凡庸さを擁護し、芸術の個性と天才による争覇を罪悪視し組合違反と心得て、相互扶助の精神による才能の貧困の救済組織を完備していた。内にあっては才能の貧困の救済組織であるけれども外に出でてはアルコールの獲得組織で、この徒党は国民酒場を占領し三四本ずつビールを飲み酔っ払って芸術を論じている。彼等の帽子や長髪やネクタイや上着ブルースは芸術家であったが、彼等の魂や根性は会社員よりも会社員的であった。

    伊沢は芸術の独創を信じ、個性の独自性を諦あきらめることができないので、義理人情の制度の中で安息することができないばかりか、その凡庸さと低俗卑劣な魂を憎まずにいられなかった。彼は徒党の除け者となり、挨拶しても返事もされず、中には睨む者もある。思いきって社長室へ乗込んで、戦争と芸術性の貧困とに理論上の必然性がありますか。それとも軍部の意思ですか、ただ現実を写すだけならカメラと指が二三本あるだけで沢山ですよ。如何なるアングルによって之これを裁断し芸術に構成するかという特別な使命のために我々芸術家の存在が――社長は途中に顔をそむけて苦りきって煙草をふかし、お前はなぜ会社をやめないのか、徴用が怖いからか、という顔附で苦笑をはじめ、会社の企画通り世間なみの仕事に精をだすだけで、それで月給が貰えるならよけいなことを考えるな、生意気すぎるという顔附になり、一言も返事せずに、帰れという身振りを示すのであった。賤業中の賤業でなくて何物であろうか。ひと思いに兵隊にとられ、考える苦しさから救われるなら、弾丸も飢餓もむしろ太平楽のようにすら思われる時があるほどだった。

    伊沢の会社では「ラバウルを陥おとすな」とか「飛行機をラバウルへ!」とか企画をたてコンテを作っているうちに米軍はもうラバウルを通りこしてサイパンに上陸していた。「サイパン決戦!」企画会議も終らぬうちにサイパン玉砕、そのサイパンから米機が頭上にとびはじめている。「焼夷弾の消し方」「空の体当り」「ジャガ芋の作り方」「一機も生きて返すまじ」「節電と飛行機」不思議な情熱であった。底知れぬ退屈を植えつける奇妙な映画が次々と作られ、生フィルムは欠乏し、動くカメラは少なくなり、芸術家達の情熱は白熱的に狂躁し「神風特攻隊」「本土決戦」「ああ桜は散りぬ」何ものかに憑つかれた如く彼等の詩情は興奮している。そして蒼(あお)ざめた紙の如く退屈無限の映画がつくられ、明日の東京は廃墟になろうとしていた。
    黒澤明監督映画「虎の尾を踏む男達(制作1944年〜1945年、放映1952年)」はまさにこうした状況下において制作された作品なのだった。

    四月十五日(東京で二度目の夜間大空襲があってから二日後)の「生々しい」実風景

    雑木林の中にはとうとう二人の人間だけが残された。二人の人間だけが――けれども女は矢張りただ一つの肉塊にすぎないではないか。女はぐっすりねむっていた。
    *「ただの肉塊に過ぎない女」…諸般の事情で伊沢の部屋に居ついた白痴女。東京大空襲で一緒に焼け出される。

    すべての人々が今焼跡の煙の中を歩いている。全ての人々が家を失い、そしてみんな歩いている。眠りのことを考えてすらいないであろう。今眠ることができるのは、死んだ人間とこの女だけだ。死んだ人間は再び目覚めることがないが、この女はやがて目覚め、そして目覚めることによって眠りこけた肉塊に何物を附け加えることも有り得ないのだ。女は微かであるが今まで聞き覚えのない鼾(いびき)声をたてていた。それは豚の鳴声に似ていた。

    まったくこの女自体が豚そのものだと伊沢は思った。そして彼は子供の頃の小さな記憶の断片をふと思いだしていた。一人の餓鬼大将の命令で十何人かの子供たちが仔豚を追いまわしていた。追いつめて、餓鬼大将はジャックナイフでいくらかの豚の尻肉を切りとった。豚は痛そうな顔もせず、特別の鳴声もたてなかった。尻の肉を切りとられたことも知らないように、ただ逃げまわっているだけだった。伊沢は米軍が上陸して重砲弾が八方に唸りコンクリートのビルが吹きとび、頭上に米機が急降下して機銃掃射を加える下で、土煙りと崩れたビルと穴の間を転げまわって逃げ歩いている自分と女のことを考えていた。崩れたコンクリートの蔭で、女が一人の男に押えつけられ、男は女をねじ倒して、肉体の行為に耽(ふけ)りながら、男は女の尻の肉をむしりとって食べている。女の尻の肉はだんだん少くなるが、女は肉慾のことを考えているだけだった。

    明方に近づくと冷えはじめて、伊沢は冬の外套もきていたし厚いジャケツもきているのだが、寒気が堪えがたかった。下の麦畑のふちの諸方には、なお燃えつづけている一面の火の原があった。そこまで行って煖(だん)をとりたいと思ったが、女が目を覚すと困るので、伊沢は身動きができなかった。女の目を覚すのがなぜか堪えられぬ思いがしていた。

    女の眠りこけているうちに女を置いて立去りたいとも思ったが、それすらも面倒くさくなっていた。人が物を捨てるには、たとえば紙屑を捨てるにも、捨てるだけの張合いと潔癖ぐらいはあるだろう。この女を捨てる張合いも潔癖も失われているだけだ。微塵の愛情もなかったし、未練もなかったが、捨てるだけの張合いもなかった。生きるための、明日の希望がないからだった。明日の日に、たとえば女の姿を捨ててみても、どこかの場所に何か希望があるのだろうか。何をたよりに生きるのだろう。どこに住む家があるのだか、眠る穴ぼこがあるのだか、それすらも分りはしなかった。米軍が上陸し、天地にあらゆる破壊が起り、その戦争の破壊の巨大な愛情が、すべてを裁いてくれるだろう。考えることもなくなっていた。

    夜が白んできたら、女を起して焼跡の方には見向きもせず、ともかくねぐらを探して、なるべく遠い停車場をめざして歩きだすことにしようと伊沢は考えていた。電車や汽車は動くだろうか。停車場の周囲の枕木の垣根にもたれて休んでいるとき、今朝は果して空が晴れて、俺と俺の隣に並んだ豚の背中に太陽の光がそそぐだろうかと伊沢は考えていた。あまり今朝が寒すぎるからであった。
    安部公房砂の女(1962年)」において明示的に語られる「(戦時下の様な)極限状況においてむしろ高揚するエロティズム」は「白痴の如き反知性主義」と表裏一体の関係にある。男性が女性を貶める事によってイニチアシブを握ろうとする最後の抵抗。それすら底意地の悪さから逆手に取る形で「龍樹の二諦説における第一義諦 (paramārtha satya) 」「スコラ学における第一原動力」に該当する「人間に認識可能な外側に広がる真理の世界」としての「家母長制なるもの」は台頭してくる。

    534夜『砂の女』安部公房|松岡正剛の千夜千冊

    *「白痴の如き反知性主義」…想定外にも、まさにこうした情景そのものがこうの史代原作・片渕須直監督映画「この世界の片隅に(原作2007年〜2009年、映画化2016年)」における「常にぼぉっとしているすずさん」と重なってくる。存外彼女が「常にぼぉっとしている」のは夫たる北條周作に対してだけであり、その彼に対してすら「忘れえぬ初恋の人」水原哲に対して周作が余計な氣を回すと激怒し、空襲下においては体こそ重ね合わせつつ、反抗心を暴発させる(この状況が「極限状況においてむしろ高揚するエロティズム」と重なってくる辺りが複雑怪奇。こうの史代ファンなら、むしろ「長い道」のヒロイン「道」からの援用を感じずにはいられない)。その一方では夫たる北條周作から家を託されたと意識すると(もし不発弾でなければ自分が消し炭に変貌していたのに)屋内に着地した焼夷弾に飛びつき、ラジオ経由での敗戦の報に接すると「この国から正義が飛び去っていく。暴力で従えとったという事か。じゃけぇ暴力に屈するいう事かね。それがこの国の正体かね」と泣き叫ぶ。

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    こうの史代『長い道』

    こうの史代『長い道』

    まるで死んだカエルの足が電気に反応してピクピクと動くように、萌え要素を注入されて萌えの感情が惹起される「キャラ萌え」ではなく、道がみせる意外さや多面性に、すっかり魅せられてしまうのである。ぼくはいま、実在している道という女性に恋しているのだ!(あぶねー、とかいうな)。「荘介どの それをみてごらん」といって、心の底からにこやかに預金通帳をさしだす道は、いとおしくはないだろうか。募金に寄付をする荘介に大げさに驚く道は、かわいくないだろうか。ブラコンの園子(荘介の妹)の毒気を笑って吸収してしまう道は、健気ではないだろうか。雨のなかで本当に思う人のことを突如決然と告白する道の表情に、はっとしないだろうか。酒に酔った勢いでセックスして後朝に荘介と驚きあってしまう道の姿は、生々しくないだろうか。
    *概ね女性は「男性のイニチアシブ」に執着するボードレール坂口安吾に反感を感じる一方で、「妻が幼女のうちはロリコンだったが、彼女が成熟するにつれてその女性観を変化させていくエドガー・アラン・ポーには好意的。要するにそれは、その鋭敏過ぎる人間観察眼ゆえに自分もそういう形で厳しく評価されたいという意識が為せる業なのかもしれない。

  • 坂口安吾「夜長姫と耳男(1952年)」…いわゆる「飛騨女(ひだにょ)物」の原点。戦時下において「知性の限界」を実感した坂口安吾は、その突破口として飛騨匠の「職人芸の世界」に傾倒する。その世界観においては物語構造上「人生に意味を求める」飛騨匠の純真無垢さと、仏陀の解脱をあくまで阻止しようと試みるマーラ (Māra、魔羅)の底意地の悪さ、すなわち「本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとする」家母長制的暴力性が対比的に描かれるが、両者の実際の関係はそう簡単に単純化して抽出し得るほど明瞭なものではなかった。

    坂口安吾「飛騨の顔(1951年)」

    大昔からヒダ(飛騨)の大工をヒダのタクミ(匠)という。大工でもあるし、仏師、仏像を造る人でもあるし、欄間などの精巧な作者でもある。玉虫の厨子のようなものも彼らの手になるものが多かったように思われる。日本の木造文化や木造芸術の源流は彼らに発し、彼らによって完成され、それを今日に伝承していると見られるのである。

    ヒダのタクミとはヒダの大工ということで、一人の名前ではない。大昔から、大和飛鳥のミヤコや、奈良のミヤコ、京のミヤコも彼らなくては出来なかったものだ。後世に至って、左甚五郎があるが、これはヒダの甚五郎のナマリであろう。彼の製作年代が伝説的に長い時期にわたっているのを見ると、これも特定の個人の名ではなくて、単にヒダのタクミという場合と同じような、バクゼンとヒダの名匠をさしているもののようである。名匠は概ねあらゆる時代に居たようだが、いずれも単にヒダのタクミで、特定の名を残している者は一人もない。伝説的に最古の仏師と目せられる鞍作止利(くらつくりのとり)が個人の名を残しているだけで、他に一名もわが名を残そうとして仏像や建築に署名した者も居らぬ。ヒダではタクミが当り前の職業だから、よその土地の百姓が米やナスや大根作りの名人の名を残そうなどゝ考えたことがないように、作者の名ということが考えられなかったのだろう。

    作者の名が考えられないということは、芸術を生む母胎としてはこの上もない清浄な母胎でしょう。彼らは自分の仕事に不満か満足のいずれかを味いつつ作り捨てていった。その出来栄えに自ら満足することが生きがいであった。こういう境地から名工が生れ育った場合、その作品は「一ツのチリすらもとどめない」ものになるでしょう。ヒダには現にそういう作品があるのです。そして作者に名がない如く、その作品の存在すらも殆ど知られておりません。作者の名が必要でない如く、その作品が世に知られて、国宝になる、というような考えを起す気風がヒダにはなかった。名匠たちはわが村や町の必要に応じて寺を作ったり仏像を作ったり細工物を彫ったりして必要をみたしてきた。必要に応じて作られたものが、今も昔ながらにその必要の役を果しているだけのことで、それがその必要以上の世間的な折紙をもとめるような考えが、作者同様に土地の人の気風にもなかったのである。

    坂口安吾「夜長姫と耳男(1952年)」

    「耳男よ。ごらん! あすこに、ほら! キリキリ舞いをしはじめた人がいてよ。ほら、キリキリと舞っていてよ。お日さまがまぶしいように。お日さまに酔ったよう」

    オレはランカンに駈けよって、ヒメの示す方を見た。長者の邸のすぐ下の畑に、一人の農夫が両手をひろげて、空の下を泳ぐようにユラユラとよろめいていた。カガシに足が生えて、左右にくの字をふみながらユラユラと小さな円を踏み廻っているようだ。バッタリ倒れて、這いはじめた。オレは目をとじて、退いた。顔も、胸も、背中も、汗でいっぱいだった。

    「ヒメが村の人間をみな殺しにしてしまう」

    オレはそれをハッキリ信じた。オレが高楼の天井いっぱいに蛇の死体を吊し終えた時、この村の最後の一人が息をひきとるに相違ない。

    オレが天井を見上げると、風の吹き渡る高楼だから、何十本もの蛇の死体が調子をそろえてゆるやかにゆれ、隙間からキレイな青空が見えた。閉めきったオレの小屋では、こんなことは見かけることができなかったが、ぶらさがった蛇の死体までがこんなに美しいということは、なんということだろうとオレは思った。こんなことは人間世界のことではないとオレは思った。

    オレが逆吊りにした蛇の死体をオレの手が斬り落すか、ここからオレが逃げ去るか、どっちか一ツを選ぶより仕方がないとオレは思った。オレはノミを握りしめた。そして、いずれを選ぶべきかに尚も迷った。そのとき、ヒメの声がきこえた。

    「とうとう動かなくなったわ。なんて可愛いのでしょうね。お日さまが、うらやましい。日本中の野でも里でも町でも、こんな風に死ぬ人をみんな見ていらッしゃるのね」

    それをきいているうちにオレの心が変った。このヒメを殺さなければ、チャチな人間世界はもたないのだとオレは思った。

    ヒメは無心に野良を見つめていた。新しいキリキリ舞いを探しているのかも知れなかった。なんて可憐なヒメだろうとオレは思った。そして、心がきまると、オレはフシギにためらわなかった。むしろ強い力がオレを押すように思われた。

    オレはヒメに歩み寄ると、オレの左手をヒメの左の肩にかけ、だきすくめて、右手のキリを胸にうちこんだ。オレの肩はハアハアと大きな波をうっていたが、ヒメは目をあけてニッコリ笑った。

    「サヨナラの挨拶をして、それから殺して下さるものよ。私もサヨナラの挨拶をして、胸を突き刺していただいたのに」

    ヒメのツブラな瞳はオレに絶えず、笑みかけていた。

    オレはヒメの言う通りだと思った。オレも挨拶がしたかったし、せめてお詫びの一言も叫んでからヒメを刺すつもりであったが、やっぱりのぼせて、何も言うことができないうちにヒメを刺してしまったのだ。今さら何を言えよう。オレの目に不覚の涙があふれた。

    するとヒメはオレの手をとり、ニッコリとささやいた。

    「好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして……」

    ヒメの目が笑って、とじた。

    オレはヒメを抱いたまま気を失って倒れてしまった。

    602夜『クラクラ日記』坂口三千代|松岡正剛の千夜千冊

    飛騨の匠の弟子に耳がピンと大きい耳男というのがいて、親方の代わりに夜長長者に呼ばれる。娘の夜長姫の守り神として弥勒菩薩を彫ってくれないかという依頼だが、他の二人の名人との競作で、それに勝てば小さいほうの姫のエナコをくれるという約束だ。ところが、そこに移り住んでいるうちに、耳男はエナコに耳をちぎられる。夜長姫の戯れからそんなことになったのだが、それでも耳男は3年にわたって仏像を彫るのに賭けた。

    けれども、弥勒菩薩ができかけても事態というのか、嬌態というのか、そういう姫君たちに嬲られているような日々は何も変わらない。かえってエナコが耳を切った懐剣で自分の喉を突くというようなこと、そんな山奥にまで疱瘡がはやるというようなこと、そういう血腥いことが次々におこる。おまけに、丹精こめて彫った仏像がやっとできあがると、これがバケモノのような代物だった。

    それでもバケモノなんだからきっと疱瘡神と対決できるだろうとおもわれて、これが門前に掛けられているうちに、なんとその村の疱瘡は収まった。

    これで物語は万事めでたしで終わるかというと、ここからが坂口安吾が「堕ちるときは徹底して堕ちる」と考えていたところで、また違った疫病がやってきた。そこで、村人たちがバケモノ弥勒の霊験に託してこれを祠に置いて退散を仕掛けてみたのだが、今度はその祠の前で祈りながらキリキリ舞いさせられて死んでいく者のほうが多い。さて、そこでどうなったかというのは伏せておく。

    ともかくも、この作品は絶品である。

    ぼくはいろいろなところで宣伝してきたのだが、どうも耳男が坂口安吾に見えてしかたがない。そんなことを書くと、三千代夫人が夜長姫になりかねないが、そういうことではない。この夫人は夜長姫にあこがれる耳男をすら包んでしまった人なのである。

    野田秀樹「贋作・桜の森の満開の下(1989年)」

    坂口安吾「桜の森の満開の下(1947年)」

    平成元年に野田秀樹が『贋作・桜の森の満開の下』という舞台を発表したことがあった。

    さっそく観にいって驚いた。『桜の森の満開の下』とともに『夜長姫と耳男』が巧みに交じっていた。溝口健二モーパッサンまで入れて『雨月物語』を映画にしたというほどではないにしても、さすが野田秀樹なのである。

    その野田の舞台について、坂口安吾・三千代夫妻の長男の坂口綱男さんが、あの舞台はひやひやしてほとんど内容を見ている気分になれなかったと書いていた。三千代夫人はそれまで夫の作品を原作に忠実に読まれ、原作に忠実に映画化されることだけを希望していたので、原作の“乱取り”をしたような舞台を母がどう思うか、そうとうに心配したというのだ。

    ところが、三千代夫人はこの舞台をおおいに楽しんだらしい。話はそれだけである。そばかす少女クラクラはとっくに安吾文学の本質を見切っていて、それを自由に舞台にした野田秀樹をふんわり包めたということなのである。

  • しかしながら1970年代前半の旧左翼陣営は、スターリン主義の両性具有的解釈(すなわち偉大なるスターリン同志のみが女性的「人生に意味を求める純真無垢さ」と男性的「本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとする暴力性」の和解を実現したとする思考様式)から、こうした考え方の一切を許容し得なかった。それは実際には「愚民はインテリに善導されてこそ幸福に到達し得る」「インテリは外敵に盲従してでも党争における勝利を目指すべきである」とした講座派社会主義の再来、男尊女卑を必然視する家父長制を肯定する立場であり、竹宮恵子萩尾望都ら「大泉サロン」あるいは「24年組」の離反を招く。そして彼女達の「家父長制も家母長制も権威主義的体制という点では同質」とする思考様式こそが国際的にも多様性を追求する1980年代以降の「第三世代フェニミズム」の中核的イデオロギーを為していく展開となる。
    *この動きによって「家父長制を打倒して家母長制を復活させる事こそが国際正義」と主張する「第二世代フェミニズム」は事実上壊滅。そしてイデオロギー面での勝利を諦めた左翼陣営は科学的マルクス主義を自ら放棄して「反戦左翼」「反原発左翼」「環境左翼」などに分裂し、万年野党化に自らの存続を賭す立場へと転落していく。

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  • 家父長的権威主義を象徴する「新興成金」遠野家と家母長的権威主義を象徴する「旧名家」叶家の対決を描いた吉田秋生吉祥天女(1983年〜1984年)」においては魔性の女」小夜子が「家名存続の為には手段を選ばない家母長」代表格として活躍する。「毎月血を流す女にとっては、攻撃(オフェンス)の意味も防御(デフェンス)の意味も男と異なっていて当然じゃない?」。この物語の主人公たる浅井由似子の兄鷹志(芸大学生)は小夜子の魔性に気付き「天女を妻にした男は幸福だったろうか。それとも不幸だったろうか」という問いを発するが、あくまで小夜子のに側に立つ小川雪政は「幸福でしたよ、私にとってはね」と答える。「第三世代フェニミズム」が主張する「自分にとって何が幸福かは自分で決める」というスタンスは、こういう部分まで含まれるから侮れない。

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  • 国際SNS上の関心空間では、アニメ版「氷菓(2012年)」放映時において、独特の目力で人を思いのままに動かす千反田江留に感銘するあまり「あれが家母長の目なんだ。刳り抜いて自分のものにしたい!!」などと物騒な事を呟く女子アカウントが続出。だが実は、原作とされた米澤穂信「〈古典部〉シリーズ(2001年〜)」において「家名存続の為には手段を選ばない家母長千反田江留が、「飛騨匠の末裔たる究極の意味での自由人」を象徴する折木奉太郎に「最早これまで」と覚悟を決めさせ完全に咥え込むまでの展開はある意味物語全体の序盤。そこから「千反田家の一員」となった以上、意に沿わなくてもその家名を傷付ける全てと戦わざるを得なくなっていくジレンマとの直面、それでもなお自由人としての立場を貫けるかというレイモンド・チャンドラー的苦悩が始まるのであるが、むしろそうした「後日談」をスッパリと切り捨てたからこそ国際的に通用するラブ・ストーリーに仕上がったという皮肉。
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  • こうして「トリミング問題」が急速に浮上してくる。新海誠監督映画「君の名は(Your Name.、2016年)」もまた飛騨を舞台とし、世界観的には家母長制を主要主題とするが、それはあくまで「ヒロインの母二葉の物語」であって、映画中においてそのエピソード自体はあくまで断片的にしか語られない。どうやら2010年代的にはそれくらいのバランス感覚で丁度良いらしいのである。

 ところで、ここでいう「(異性を目力だけで思う様に操る)家母長制」の対立概念は元来、あくまで1970年代以降主流となるスターリン主義の両性具有的解釈(すなわち偉大なるスターリン同志のみが女性的「人生に意味を求める純真無垢さ」と男性的「本能のおもむくまま振る舞う事に活路を見出そうとする暴力性」の和解を実現したとする思考様式)では有り得ません。あくまで(異性を目力だけで思う様に操る)家父長制」でなければならない筈で、おそらく「志村喬のあの独特の眼差し」はこれに関連してくるのです。

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もしかしたらそれは日本においては既に黒澤明監督映画「生きものの記録(1955年)」が封切られた時点においてすら既に過去の遺物と化していたかもしれません(主役が志村喬から三船敏郎に変更になった理由も、その辺りにありそう)。そして、むしろアメリカにおいて「モーガン・フリーマンだけが浮かべる事を許される独特の表情」といった形で再現される展開に。何より驚きなのは、若いうちは暴れん坊だったマーロン・ブランド演じるビトー・コルレオーネだからこそ浮かべられた「慈愛に満ちた表情」。これすらも単なる過去へのノスタルジーに過ぎなくなっていく過程にこそ我々は注目しなければならないかもしれないのです。

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経済人類学者カール・ポランニーいわく「市場経済は突如としていきなり人類の最優先課題として躍り出た訳ではない。それまでは伝統的身分制社会の一部を成す下部構成要素の一つとして埋め込まれていたのである」。
*内政的には伝統的身分制から一歩も抜け出す事のなかったダホメ王国も、欧米列強や他のアフリカ諸国との交易をきっちり成立させていた。その詳細を研究した上での発言。

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  • 家父長制や家母長制も同様で、近世までの農本主義的体制下、あるいはそれ以前の伝統的身分制社会の権威主義体制下においては完全に「埋め込まれた存在」として振る舞う事に成功してきたのだった。
    *王権や教会権といった階級的憎悪を煽る別主体が存在したせいもあって、直接憎悪の対象となる事を免れてきただけに過ぎなかったとも。なにしろ地域によってその弊害の大きさが異なり、国際的団結の機運が醸成されるには、まだまだ時間が必要だったのである。

  • ところが第二次世界大戦(1938年〜1945年)後、国際的にこうした伝統的体制の水面下における瓦解が静かに進行。若者人口が急増した1960年代後半、一気に表面化して「対決の時代」が1970年代まで連綿と続く。
    *ハリウッド業界においては1960年代前半までを「スペクタクル史劇黄金期」と見做し、これと同時進行で日本のカラー特撮映画(概ね東宝の「空の大怪獣ラドン(1956年)」から「メカゴジラの逆襲(1975年)」までを指す)、英国ハマー・フィルム・プロダクションズ(Hammer Film Productions)が手掛けた「カラー怪奇映画シリーズ(1957年〜1974年)」、ロジャー・コーマン監督の「エドガー・アラン・ポーのカラー怪奇映画シリーズ(1960年〜1964年)」が国際的進出に成功したと考える。そしてニューシネマ(New Hollywood)全盛期(1960年代後半〜1970年代前半)、南イタリア勢や大規模パニック映画の全盛期(1970年代)を経て1970年代後半にスティーブン・スピルバーグジョージ・ルーカスといった新世代大作を担う巨匠が台頭。この間に米国経済の中心地が東海岸から西海岸に推移したいう見方も存在する。

    春日太一「仁義なき日本沈没―東宝vs.東映の戦後サバイバル―」

    東宝映画の藤本真澄社長は当時こう語っていたという。

    「苦しくなったからといって裸にしたり、残酷にしたり、ヤクザを出したり……そうまでして映画を当てようとは思わない。俺の目の黒いうちは、東宝の撮影所でエロや暴力は撮らせない」

    だが、東映が1960年代の後半に一気に興行成績を上昇させていったのに対し、東宝は会社創立最高成績を1967年に挙げるものの、翌年から急降下していくことになる。

    藤本が見誤っていたのは、映画館を訪れる客層の変化だった。これまでは映画館には幅広い層が来ていたが、1960年代後半から1970年代初頭にかけてにかけては二十歳前後の若者が主体になっていった。当時の若者の多くは、学生運動が盛んになる中で、従来にはない激しさと新しさを映画に求めた。その結果、イタリア発のマカロニウエスタン、アメリカ発のニューシネマ、日本でもピンク映画と、従来の価値観に「NO」を叩き付けるような反抗的な「不健全さ」が受けるようになる。

  • こうした展開は1990年代までに国際的に一段落ついて新しい時代が始まる。
    *日本においては角川春樹が逮捕されて「角川商法」が破綻し、観客がマイケル・クライトン原作・スティーブン・スピルバーグ監督映画「ジェラシック・パーク(Jurassic Park)」の超絶性に直接触れる事になった1993年を一つの契機として見る向きもある。

 案外興味深いのはジェームズ・ディーン映画「エデンの東(East of Eden、1955年)」「理由なき反抗 (Rebel Without a Cause、1955年)」「ジャイアンツ (Giant、1956年)」や、石原慎太郎原作「太陽族映画(1955年〜1956年)」が流行してから日本において「60年安保」「70年安保」、米国においてヒッピー運動や黒人公民権運動が燃え盛るまでのタイムラグ。「志村喬のあの独特の眼差し」が消えただけでは、別に決定的動きは起こらなかったという現実。

黒澤明監督が「七人の侍(1954年)」に次ぐヒットを生み出し得ず、「用心棒(1961年)」椿三十郎(1962年)」「天国と地獄(1963年)」によって「巨匠」復帰を果たすまで苦しんだ時期には、また相応のパラダイム・シフトがあったと考えねばならない様なのです。