Thorn Palace | Drawing for Valentine Event~ Flowers
以前にも紹介した事がありますが「バレンタイン・デイ(Valentine's Day)にチョコレートを贈る習慣」は欧米に現存しない様です。原則としてはあくまで「カードを交換して、普段お世話になってる人に花を贈る日」なんですね。
この件でここ数年、毎年の様に国際SNS上の関心空間で文化闘争が繰り広げられてきたのですが、今年は「チョコ組」が大敗北(投稿数も回覧数も激減)という結果に。それで相対的に「(Valentine Cardデザイン頒布にかこつけた)ネット大喜利」要素が強まる展開に。
Star Wars Valentine’s Day Card || Darth Vader - Twitter Packs from Neverland
http://lonelymiles.tumblr.com/post/76184482388
大まかに俯瞰して「こんなValentine Card、誰が誰に渡すのか想像もつかない」度を競う内容みたいですね。でも1番驚いたのはこの記事。
【2月14日 AFP】パキスタンの首都イスラマバード( )では関連イベントが禁じられ、インドネシアでも反対の抗議デモが行われている──アジアの一部地域でこのような「冷遇」に遭っているのは、2月14日の「愛」を祝うバレンタインデーだ。
この日をめぐっては今年、一部の国で関連イベントの反対が叫ばれた他、オーストラリアやマレーシア、シンガポールで、インターネットで横行している恋愛詐欺に注意するよう恋人募集中の人に対して注意が呼び掛けられ、また日本でも街中でイチャつくことをやめるよう訴えるデモが行われた。
パキスタン・イスラマバードの裁判所では13日、首都での関連イベントを法的に禁じる判断が下された。保守的なイスラム教国であるパキスタンでは、バレンタインデーを欧米から伝わった下品でわいせつなイベントとみなす向きがあり、この裁判所の判断は、これを制限するための当局による新たな試みとなった。
*実は欧米にも「チョコレート=媚薬」という連想から「日本のバレンタインデーは下品でわいせつなイベント」という偏見はあって、これがバレンタインデー文化闘争の引き金を引いた側面が。実は起源は19世紀英国で、それを日本に最初に持ち込んだの白系ロシア人なのに理不尽…ただ近年、パキスタンの若者たちの間では、年に1度のイベントが次第にポピュラーになりつつある。恋愛を謳歌する絶好のチャンスとばかりにカードやチョコレート、プレゼントなどを恋人に贈る若者たちも多い。
*これ、電話が発明されると「身分差すら無視して(仲介者の紹介抜きで)初対面の人間同士が交わす挨拶」が必要不可欠となり、国際的にエジソンが提唱した「Hello」が共通語として選択された歴史を思い出す。「日本式バレンタインデーの普及」にも同種の背景があったとも。ちなみに同時期グラハム・ベルは(同種の要請が生んだ)船乗りの国際的共通挨拶「Ahoy(アホイ)」を提唱したが敗北。一方、イスラム教徒が大多数を占めるインドネシアでは、スラバヤ( )の13~15歳の学生グループが、カジュアルセックスを助長する欧米のイベントだと批判する抗議デモを行い、「バレンタインデーにノーと言おう」とシュプレヒコールを上げた。参加者の中には、ヘッドスカーフを被った女子生徒の姿もみられた。同様にイスラム教徒が多数を占めるマレーシアでも、イスラム教団体「全国ムスリム青年協会( )」が、バレンタインデーを前に女性たちに対し、顔文字や必要以上の香水を使わないよう呼び掛けた。
*1930年代アメリカにおけるHays Code制定、現代でこそ守旧派の伝統主義の象徴として散々の言われ様だけど「(禁酒法制定や世界恐慌が生んだ)ギャングやその情婦の不健全な生き方でなく、一般人の健全な恋愛や結婚生活を推奨しよう」という姿勢を(基本的に保守的なカソリック勢が)思い切って打ち出したという点で当時の最先端だった事を忘れてはいけない。イスラム世界がこれから経験するだろう未来?東京・渋谷でも先日、異性に人気のない人たちの連帯を呼び掛ける団体「革命的非モテ同盟(革非同、 )」のメンバーらが、「バレンタインデー粉砕!」の横断幕を掲げ、「街中でイチャつくのはテロ行為」などのシュプレヒコールを上げながら抗議デモを行った。恋愛資本主義の粉砕を掲げる革非同の秋元貴之( )氏は、恋愛に価値を見いださない人が社会に押しつぶされそうになっており、モテない人々を見下す悪い風潮があると批判している。
*こんなところで国際的にネットで話題となってる「極左と極右を同一視するスタンス」がこんな所まで及ぶとは。宗教右派と左翼的統制主義は禁欲主義を共有する。1930年代(アメリカにおけるフランク・キャプラ監督のスクリュー・コメディの大流行にあやかろうとした)日本映画界の「小市民映画」を、軍国主義者と社会主義者が声を揃えて「この御時世に、不謹慎である」と弾劾した景色の再来なのかもしれない。他方で、マレーシアやオーストラリア、シンガポールでは、インターネット上で横行する恋愛詐欺に対して当局から注意が呼び掛けられている。豪競争・消費者委員会( 、公正取引委員会に相当)は、オーストラリアの恋愛詐欺による被害は、他の詐欺被害よりも規模が大きく、45歳を超えた人々が特に騙されやすいとしている。
*要するにこれが言いたかったんだね。なんという強引な展開!!
「伝言ゲーム的に内容が原型を失っていく文化伝播プロセスの壮絶さ」「それを無理y理適当な視点から一つの記事にまとめるメディアの強引さ」…ツッコミどころが満載過ぎる。これには聖ウァレンティヌスも苦笑い?
ウァレンティヌス(Valentinus, ?〜269年頃)あるいはヴァレンタイン (Valentine)
3世紀頃のキリスト教の聖職者。正教会・カトリック教会・聖公会・一部ルーテル教会で聖人とされている。西方教会においてはこの聖人への崇敬が基になってバレンタインデーの習慣が定着したが、東方教会には恋人とウァレンティヌスを結びつける習慣は生まれなかった。記念日・記憶日なども教派により異なっている。
①カトリック教会においては、「聖バレンチノ(ヴァレンタイン)司祭殉教者」と表記される。バレンチノはイタリア・ローマの司祭である。当時は皇帝クラディウスのキリスト教迫害下であったが、人々を助け導き、熱心に宣教活動を行っていた。キリスト教の信仰を捨てなかったために絞首刑に処せられたとされる。バレンチノに関する伝説は複数あり、ローマ殉教録によると、この日に同名の司教が殉教している。複数の伝説や奇跡などが重なり、細部が異なって伝えられているとされる。
カトリック百科事典によれば①ローマの司祭、②インテラムナ(現在イタリアのテルニ)の司教(主教)、③ローマ帝国領アフリカの殉教者(致命者)の3人の像が重なっていると見られている。③の詳細は不明だが、①②はいずれも3世紀後半の殉教者。キリスト教の信仰を捨てなかった為に269年2月14日、絞首刑に処せられた殉死者については以下のエピソードが伝わる。
- ローマ皇帝クラウディウス2世は戦士の士気の低下をおそれて兵士たちの結婚を禁止したが、彼はこの禁令に背いて恋人たちの結婚式を執り行ったために捕らえられ処刑された。
- また彼は、結婚したばかりのカップルに自分の庭から摘んできたばかりの花を贈った。
- 監獄に居たとき、看守の召使の娘は目が見えなかったが、監獄の彼を訪れては説教を聞いていた。あるとき娘の目が見えるようになった。この奇跡を信じた彼女の家族がキリスト教に転向したため、皇帝は怒って彼を処刑した。処刑の前日に彼がこの娘に宛てた手紙は「あなたのヴァレンタインより」と署名されていた。
ウァレンティヌスは、恋人たちの守護聖人として崇敬され、その殉教日2月14日がバレンタインデーと呼ばれる様になった。
- ウァレンティヌスの日が祝われたのは496年からとも言われているが、そのエピソードが語られ始めたのは中世以降。起源はよく分からないが、14世紀から15世紀のフランス語、英語で書かれた詩や文学に聖ヴァレンタインの日と恋人たちが関係付けられて登場する。
- カトリック教会では、第2バチカン公会議の典礼改革の時、史実の上で実在が明らかでない聖人たちを典礼暦から整理した。その際、2月14日のヴァレンティヌスの記念日が取り除かれ、現在では公式には祝日として祝われていない。
正教会では、3世紀に致命(殉教)した2名の聖職者であった聖ワレンティン(ウァレンティヌス)が記憶されているが、記憶日は2月14日ではなく、7月ないし8月である。
- 司祭致命者聖ワレンティン - 記憶日は7月6日(ユリウス暦を使う正教会ではグレゴリオ暦の7月19日に相当)
- 神品致命者主教ワレンティン - 記憶日は7月30日(ユリウス暦を使う正教会では8月12日に相当)
- また、3世紀に致命した聖ワレンティンがもう1名いるが、聖職者ではなく現代のブルガリアにおける兵士であった。記憶日は4月24日(ユリウス暦を使う正教会では5月7日に相当)
いずれの聖ワレンティンについても、西欧に起源を持つ、恋人と関連付ける習慣は、正教会では特に行われない。
大元まで遡ると逆に「恋人達にの守護聖人」という側面が再浮上。また、この日を「ネット大喜利の日」と化してしまったのはカソリックに対抗意識を燃やすプロテスタントだったとも。考え出すと案外奥が深い…
*「カソリックに対抗意識を燃やすプロテスタント」…要するに「(昨年、トランプ候補に投票した中道右派の母体と考えられている)絶え間なく冗談を言い続ける事で自分を常にHighに保とうとしてるけど、その実何も信じてないニヒルな若者層」。