「未来を花束にして(Suffragettes、2015年)」が日本でも封切られ、テロをも辞さなかった女性参政権運動サフラジェット(Suffragettes)が話題となってますが、この運動自体は、欧米目線では「現代日本人の観点から見た幕末尊王攘夷志士」みたいな存在なんですね。
①あくまで「男女同権の精神」の起源はこれ。
近代社会は、生まれではなく功績によってその人の評価が決まるという原則に基づいている。この原則を実質化するためには、法律によって外的に規制するだけでなく、家庭で子供に男女の同権感覚を育ませる必要がある。これは彼が大人になったのち、他者を一個の人格として承認するために必要な素養だ。
だから、実際に男女で真の権利的平等が実現するには相当の時間がかかるが、そうしたプロセスによってこそ、近代社会の正当性である「自由」は空文化せず、実質的なものとなるのだ。
公教育の原理」を著したコンドルセは「公教育の父」とされる。
- 法律さえ立派につくられていれば、無知な人間も、これを能力ある人間となすことができ、偏見の奴隷である人間も、これを自由ならしめることができると想像してはならない。
- 天才は自由であることを欲するものであって、いっさいの束縛は天才を委靡させるものである。
- 法律を愛するとともに、法律を批判することができなければならない。
コンドルセはまず「公教育は国民に対する社会の義務である」と主張する。
- 「人間はすべて同じ権利を有すると宣言し、また法律が永遠の正義のこの第一原理を尊重して作られたとしていても、もし精神的能力の不平等のために、大多数の人がこの権利を十分に享受できないとしたら、有名無実にすぎなかろう」。つまり彼にとって公教育とは、権利の平等を実質化するのが本質と認識されていたのだった。
- フランス革命を経て、市民は法律によって「自由」と「平等」を手に入れた。しかしコンドルセは言う。この「自由」と「平等」は、教育によって初めて十全なものになるのだと。「権利の平等の実質化」、そして、そのためにすべての子どもに「知識および品性とその獲得の手段を保証する」こと。これがコンドルセの提示した公教育の原理である。
- その一方でコンドルセはこうも主張する。「公教育は知育のみを対象とすべきである」「公権力は思想を真理として教授せしめる権利を有しない」。専制政治からの解放によって、市民は思想の自由を手に入れた。それゆえこの思想の自由を保障するために、公教育は思想教育を排し「知育」に限定するべきであると考えた訳である。
また彼は男女共学の思想の先駆者でもある。「男子に与えられる教育に、女子も参加することが必要である」。市民の権利は皆平等だ。だからそこには男女の区別はない。コンドルセはそう主張した。ルソーですら「エミール」の中で男女の教育は別々が当然だと書いているにも関わらず。その意味で、コンドルセのこの思想はきわめて先駆的なものだったといっていい。
②そしてジョン・スチュアート・ミルの遺志を継承して地道なロビー活動を続け、最終的にロイド・ジョージ連立政権から「1918年国民代表法(Representation of the People Act 1918)」を直接勝ち取ったのは、あくまでミリセント・ギャレット・フォーセット(Millicent Garrett Fawcett、1847年〜1929年)率いる穏健派の女性参政権協会全国連盟(National Union of Women's Suffrage Societies、NUWSS)だったという事。
③でも日本でも「明治維新は慶喜将軍率いる徳川幕府と薩長土肥ら倒幕側の政治的駆け引きの産物」と断言したら、必ず「本当に尊王攘夷志士達は歴史上何の役割も果たさなかったのか?」と言い出す人が現れます。同様に「例えばこうも考えられるよね」と提案的に提出された作品が「未来を花束にして(Suffragettes、2015年)」だったという次第。
現代日本に「尊王攘夷志士達こそ最終勝利を飾り、新政権を築くべきだった」と考える人間がほとんどいない様に、欧米にも「最終的勝者はサフラジェット(Suffragettes)たるべきだった」なんて考える人間自体はほとんどいません。だが。それはそれとして「こうした人々の生きた世界とは、一体どういうものだったのか?」についての関心は尽きず、まさにその要求に対して一切の虚飾なく緻密でシャープな切り口で応えたのがこの作品だったという事になります。
*一番興味深いのは、別に「国内外のラディカル・フェミニストあたりが絶賛」とか、そういう動きも別に見られないという事。彼女らにとって「(運動継続に支障が出るので)できれば表沙汰にして欲しくなかった側面」みたいなものも相応に映像化されてるらしいという事。
それでは同時代日本の女権運動はどうなっていたのでしょうか? その気になれば誰でも与謝野晶子(1878年〜1942年)の同時代証言に目を通せますね。
*多分「未来を花束にして(Suffragettes、2015年)」を鑑賞して「同じ問題に対する同時代の別アプローチ」を知った後の方がスラスラ頭に入ってくる。
現代の婦人が「女もまた男子と同じく人である」という自覚を得ました事は、思想の自由を善用して世界の智識の一端に触れる事の出来た賜(たまもの)ですが、人でなしに扱われていた因襲の革嚢から生地の人間になって躍り出したのは結構な事であるとして、さて裸体のままでは文明の婦人とはいわれない、それは禽獣と雑居していた蒙昧もうまいな太古に復かえるものですから、お互にどうしてもその裸体を修飾して文明人の間に交際の出来るだけの用意が必要です。
それには何よりも現代の根本精神を知るのが第一で、私は一般の婦人方に五カ条の御誓文と憲法とを御読みになる事を御奨おすすめ致したいと思います。これらの根本精神が解らないで現代の新婦人だなどと自負するのは滑稽こっけいな事でしょう。教育勅語だけを拝読したのでは、道徳的方面をのみ御示しになっておりますから、万事にわたる根本精神は領解しがたいかと存じます。かような事をお奨め致すと男子側から反対が出て、女子に権利自由の思想を鼓吹するのは女子を生意気にするものだと批難せられるでしょうが、そういう批難をする男子があるのは、男子側にすら一般には憲法などに現れた新代の根本精神がまだ領解されていない証拠なのです。女子を自分と対等な位地に置くことを肯がえんぜないのは、男子がそれだけ無学であるからだと私は考えて男子のために恥じております。
近頃女子の職能を制限して結婚する事と子を生みかつ養育する事とのみにあると力説する人がありますけれど、現代の根本精神の一つである「自由討究」を重んずる私どもの心には「何故なにゆえに」と叫ばざるを得ません。論ずる人の考では欧米の婦人の一部に種種の事情から結婚を厭う風のあるのを見て日本婦人を戒めるつもりでしょうが、それは白昼に幽霊の出るのを恐れるのと一般全く無用な心配です。何故なぜなれば日本婦人は皆結婚を希望しております。結婚を嫌う風は少しも発生していないのです。そのくせ婚期に達した婦人の三分の二までも未婚婦人であるというのは、男子側が無財産であるために妻を迎えがたいからではありませんか。結婚数の減少は毫も女子の罪ではなく、その責任は男子側にあって、これを婦人問題として議する前に宜しく男子問題として男子側の意気地いくじなさを咎むべき事でしょう。
わたしは一般の婦人に思想という事を奨めたい。我ら婦人は久しく考えるという能力を放棄していた。頭脳のない手足ばかり口ばかりの女であった。手足の労働においては都会の婦人の一部を除く外、今日もなお男子を凌いで重い苦しい負担を果している。山へ行っても、海岸へ行っても、市街の各工場を覗いても、最も低額な報酬を受けつつ最も苦痛の多い労役に服しているのは婦人である。それにかかわらず男子より軽侮せられ従属者をもって冷遇されているのは、唯手足のみを器械的に働かして頭脳を働かさないからである。そういう下層の労役に服している婦人はしばらくおくとするも、明治の教育を受けたという中流婦人の多数がやはり首なし女である。何らの思想をも持たないのである。
身体の装飾、煮物の加減、裁縫手芸、良人の選択、これらは山出しの女中もまた思う事であり、またよくする所である。良人の機嫌を取るという事も、現在の程度では狭斜の女の嬌態を学ぼうとして及ばざる位のものである。男子が教育ある婦人を目もくして心私ひそかに高等下女の観をなすのは甚しく不当の評価でない。一般男子の思想に比すれば婦人は何事をも考えていない、何らの立派な感想をも持っていないといってよいのである。
近年婦人解放という問題が出ている。しかしそれは婦人自身が言い出したのでなく、物好きな一部の男子側、議論ばかりで実際にその妻女を解放しそうにない男子側から出た問題である。婦人にも少しは人並の量見を持たせてやってもよいという、特に男子側から御慈悲を掛けて御世辞半分に言い出された問題である。そうしてこの問題は格別婦人側の注意を惹ひかなかった。
近頃はまたこの問題の反動として、多数の男子側から女子実用問題が唱えられて来た。即ち女子に高等教育は不必要だ、手芸教育が必要だ、女子は柔順に教育しなければならぬというのである。女子に高等教育を授ける弊害としては、折から英国に勢力を得て来た女子参政権運動を例に引いている。女子は永久に男子に隷属すべきものだ、解放などはもっての外ほかだという権幕である。
例の保守的思想が時を笑顔に跋扈するのであるからかような議論は毫も驚くに足らないわけであるが、そういう男子が自分らだけは昔から自由を享得していたような態度であるから滑稽である。日本の男子は維新の御誓文と憲法発布とによって初めて人並に解放せられたのではないか。自分らの解放せられた喜びを忘れて婦人の解放を押え、あまつさえ昔の五障三従や七去説の縄目よりも更に苛酷な百種のなかれ主義を以て取締ろうというのは笑うべき事である。しかしかような目前の問題に対しても我国の中流婦人は何事をも知らないのである。
与謝野晶子 姑と嫁について(1915年)
與謝野晶子 姑と嫁に就て(再び、1915年)
数年前に私は老人教育の必要であることを述べた。日本の教育という意味が青年教育ばかりに偏しているので、青年の思想はどしどし前へ進んで行くのに、老人は一度若い時に教育されたきりであるからその思想は過去のままに乾干ひからびている。社会の要部が老人と青年とで成立つものである以上、老人と青年との意志が疏通しなければ社会は順調に進歩しない訳である。年齢の差などがあって少しは疏通しにくい部分があるのは免れないにしても、青年と共に現代の思想に浸ることを怠りさえしなければ、すべての老人が青年の思想を大部分理解することが出来て、同じ基調の上に呼応し協力して人生の音楽が合奏されるに到るであろう。
しかるに日本の老人の多数は私のこの理想と全く背馳している。殊に老婦人の階級はその若い時に教育らしい教育も受けていない人が多く、男子側の老人でさえ内外の新書に親したしむことは稀なのであるから、それらの老婦人たちが現代について精神的に何物も教えられていないのは言うまでもない。それで過去の思想に停滞している老婦人は万事を過去の標準で是非し、若い嫁のする事が凡て気に入らない所から、一一それに世話を焼きたくなる。世話や忠告の程度に留っていればよいが、親切が過ぎては干渉となり、おまけに在来の姑と嫁とは殆ど専制時代の君臣の関係であることが正しいとせられているから、干渉が一転すれば強制となり威圧とならずには置かない。
それに老婦人の中には早く良人に別れたり、また良人があっても愛情が亡くなっていたりして心寂しい生活を送っている人がある。そういう婦人は子供の愛だけがせめての慰安であり生活の力であったのに、子供に嫁が出来れば嫁は子供に対する愛の競争者である。そして結婚以後の子供の心理が母に対して幾分疎縁になるのも、またそれについて母が孤独の寂しさと嫁に対する一種の嫉妬とを感じるのも自然の人情であろうと想われる。
娼婦がまだ発生しなかった蒙昧時代の男は、腕力で多数の女を脅迫して、その強烈な性欲と性欲の好新欲とを満足させていた。それは現に動物界で見るような状態であった。一夫多妻も、一婦多夫も、その様式こそ違え、共に女の性欲的欲求からでなくて、男の性欲的欲求から脅迫的にしからしめた現象であった。この時代の女は性交の一事においてのみ男の暴力に身を任さねばならなかったが、経済的には確かに一個の人として独立していた。女もまた自己の労働に由って自己を生かせて行く人間であった。男と対等に生産的職業を持っていた。男から経済的に扶養せられることがなかった。かえって男との間に生れた子供を男の保護を借らずに養育して行くだけの実力を、女自身の労作に由って備えていた。丁度現に動物の雌が雄の扶養を求めずに自活しているのと同じ状態であった。おのずから一家の戸主は女(母)であった。男は性欲遂行の後に女を見捨てて去り、もしくは女と関係を続けているにしても一人の女の所に留らずに多くの情婦の家を寄食して廻った。
次の時代に入ると男は暴力を以て女の経済的独立の位地をも奪っていた。もう概して男(父)が家長であった。女は奴隷として男の性欲遂行に奉仕するばかりでなく、奴隷として男のために耕作、紡織、家事、育児等に役立たねばならなかった。女の労働から得る財貨は当然男の所有に帰するのであった。
そこで良心と肉体とを男に対して売ることを余儀なくせられる二種の女が生じた。第一種は長期の生活の保障を得るために一生を男に託する女、即ちその当時の妻たり妾たる者がそれである。第二種は短期の生活の保障を得るために一夜を男に託して遊楽の器械となる女、即ち娼婦のともがらである。この第二種の女には労働を避けて物質的の奢侈しゃしを得ようとする遊惰性と虚栄心に富んだ女が多く当った。
その二種の女が後世になって、一は妻及び妾たるその位地を倫理的に――仏教、儒教、神道、武士道が妾を是認した如く――正しいものとして認められ、一は醜業婦として倫理的に排斥せられるに至ったのは、男に便利な妻妾の制度を男が維持する必要からの便宜手段であって、男の倫理的観念が妻及び妾に対等の人権を認めるまでに進歩したからではなかった。男はその独占欲から妻妾の貞操を厳しく監視するにかかわらず、男自身の貞操を尊重しようとはしなかった。妻妾の貞操は偏務的のものであった。そうして男は妻妾以外に娼婦との触接に由よってその性欲の好新欲を満足させるのであった。
妻の意義は近代に至って大に変化している。しかし現代の妻たる婦人の中にも、愛情と権利との平等を夫婦の間に必要としないで、なお昔の第一種の売淫婦型に甘んじている者が尠すくなくない。それらの婦人が自己の醜を忘れて、第二種の売淫婦ばかりを良心の麻痺した堕落婦人であるように侮蔑するのは笑うべきことである。私はそれらの婦人が醜業婦を憎むのを見るたびに、彼らは無意識に商売仇を憎んでいるのであるという感を禁じ得ない。
婦人自身を改造する問題である以上、これに対する婦人の言論が盛になり、その言論の裏書として婦人の実際生活が改造されねばならないはずですが、今の婦人界の表面には極めて少数の自由思想家があるばかりで、それに味方し、もしくは反対する優勢な婦人思想家の続出する様子がありません。その少数の自由思想家という人たちもいわゆる「新しい女」の名に由って喧伝せられ、その言論は比較的世人の注意を引いているようですけれど、思想としては最も太切な個人的自発の力に乏しく、さればといって社会的及び科学的知識の体系を備えて男子側の思想家と論理的に太刀打の出来る程度に達しているものでもないのです。それらの言論が多少でも世人の注意を惹くのは、とにかくその人たちの半透明な自覚と、大胆な発言とが因となり、男子側の識者が欧米から得た新知識に由って婦人運動に厚意を持つのと、一般の若い男女が旧思想に対する反動として無自覚に新しいものを歓迎する心理とが縁となっているからだと思います。またその人たちの言論に現れた思想がどれだけその人たちの実際生活を改造しているかというと、かえってその思想に背馳した経過を取っているように見受けられるのが遺憾です。
私はまた自由思想に目の開あきかけた新しい婦人が中流階級の諸所に黙って分布されていることを知っています。世に「新しい女」を以て目されている婦人たちよりも教育あり、見識あり、徳操あり、社会的経験ある人たちをその中に発見します。それらの婦人たちが団体的勢力を作って先頭に立たれたならその結果はいわゆる「新しい女」たちの運動に幾倍するであろうと思うのですが、そういう人たちは既に家庭の人になっていて社会的に活動する勇気を持っていません。
衣食の生活に憂いがないのですから活動の余裕はあるのですが、良人や親戚に対する気兼から引込思案になってしまうのです。それなら肝腎の家庭だけにはその人たちの理想が実現されているかというと、それはどうも曖昧です。やはり在来の習慣に妥協し、また世間普通の主婦がするように時時の流行に従ったりして無反省に日を送って行くという風です。
例えばその人たちが子供を育てるにしても、食物や服装などに注意が届くだけで、精神的の教育については自分の意見を基礎にした方針というようなものが決っていません。殊に女の子を育てるには一己の見識がありそうなものですけれど、他の家庭で琴が流行はやれば琴を習わせ、舞が流行はやれば舞を習わせるという有様です。学校教育の外に幼い時から遊芸を学ばせるという事が好いか悪いか、遊芸というものの将来の価値は如何いかん、そういう余技に精力を消費させるということが昔から女子を知識から遠ざからしめた一因になってはいないか、こういう点について深い反省が払われていないのを見ると在来の無知な類型的婦人と異らないことになります。
また真剣に子女の教育を思う家庭の婦人なら今の小学初め他の中等程度の学校教育に対して幾多の不満がなければなりませんが、その人たちは学校の為なすがままに放任しています。例えば小学で作文を教えるのを見ると、大抵の教師が或題の下に予めこういう風に作れといって旧套的な概念を授けて書かせます。それでどの生徒の作った文章もその内容は同じ物で、ただ文字の末節が少し異るばかり、生徒自身が頭脳を働かせて個性の新味を示した物は殆ど現われておりません。そういう教育法は人間の個性を殺すものですから母たる者は学校に向って抗議するのが当然ですけれど、ひそかに聡明を以て任じているそれらの新主婦たちは全くこういう事実を等閑に附しております。
私は突飛な、また過激な言動が必ずしも改革者の言動であるとは思いませんが、こういう平穏な、悪くいえば煮え切らない婦人界の進歩的傾向を歯痒く感じます。
私は人間がその生きて行く状態を一人一人に異にしているのを知った。その差別は男性女性という風な大掴おおづかみな分け方を以て表示され得るものでなくて、正確を期するなら一一の状態に一一の名を附けて行かねばならず、そうして幾千万の名を附けて行っても、差別は更に新しい差別を生んで表示し尽すことの出来ないものである。なぜなら人間性の実現せられる状態は個個の人に由って異っている。それが個性といわれるものである。健すこやかな個性は静かに停まっていない、断えず流転し、進化し、成長する。私は其処に何が男性の生活の中心要素であり、女性の生活の中心要素であると決定せられているのを見ない。同じ人でも賦性と、年齢と、境遇と、教育とに由って刻刻に生活の状態が変化する。もっと厳正に言えば同じ人でも一日の中にさえ幾度となく生活状態が変化してその中心が移動する。これは実証に困難な問題でなくて、各自にちょっと自己と周囲の人人とを省みれば解ることである。周囲の人人を見ただけでも性格を同じくした人間は一人も見当らない。まして無数の人類が個個にその性格を異にしているのは言うまでもない。
一日の中の自己についてもそうである。食膳に向った時は食べることを自分の生活の中心としている。或小説を読む時は芸術を自分の生活の中心としている。一事を行う度に自分の全人格はその現前の一時に焦点を集めている。この事は誰も自身の上に実験する心理的事実である。
このように、絶対の中心要素というものが固定していないのが人間生活の真相である。それでは人間生活に統一がないように思われるけれども、それは外面の差別であって、内面には人間の根本欲求である「人類の幸福の増加」に由って意識的または無意識的に統一されている。食べることも、読むことも、働くことも、子を産むことも、すべてより好く生きようとする人間性の実現に外ならない。
私たちは市区町村会議員の選挙権及び被選挙権すら持っておりません。私たちは自分の労力の結果を割さいて公共生活のために納めている直接間接の租税がどのようにして全日本人の生活の幸福を増進するために運用されているかを知ることさえ出来ないのですから、ましてそれを如何に運用すべきかについて男と共に討議する公の機関に参与することの出来ないのはいうまでもありません。甚だしきは未成年の男子と同じく、政治に関する演説及び集会を催すことすら禁じられております。世界の女権論がわざわざ新奇な要求を提出するのでなくて、全く失われた婦人の権利の回復を意味するものとして唱えられる所以はここにあります。
しかし女子自身さえまだ普通選挙制を建て得ないような我国の現状では、婦人が欧米の女権論者の主張のように早くも参政の権利を要求することは穏健な行動でなかろうと思います。それに我国の婦人はまだ政治以外の問題についてさえ団体運動に慣れておりません。女権回復の運動は団体運動であることを必要とします。私は日本婦人の現在の知識及び勇気の程度に考えてまだしばらく団体運動の成立つ時機ではなかろうと思っております。
人間は久しい間の歴史的進化を続けて、科学、哲学、芸術、宗教、道徳という類の高級な精神生活を営んではおりますが、一面には動物の一種として、動物に共通する食欲、性欲の如き本能生活を保存しているのですから、生きて行くのに欠くことの出来ない食糧その他の第一必要品の供給が不足し困難になって、一旦、饑餓凍寒の状態が目前に切迫した危急の場合に臨めば、今もなお、食物が全く決定的に専ら生活の因素となっていた元始時代の人間の持っていたのと同じような猛烈な本能的衝動に駆られて、死に抵抗する力を以て、如何なる非常手段を取っても、その危急のために自衛するに足る物質的必要を満たそうとせずに置きません。
窮すれば濫し、飢えては道徳の外に立ちます。知識の修養と倫理的意識の訓練とがある者とない者とでは、自制の力を放棄するのに遅速はあるでしょうが、どうしても尋常一様のことでは饑餓の危険を避けることが出来ないとすれば、何人も生きようとする意志の不可抗力的妄動のままに、倫理の埒を越えて、もとより重々の遺憾を感じながら、野性を暴露した最後の非常手段を取ろうとします。みすみす一つの活路があるのに、それを知らぬふりして伯夷叔斉を学ぶ者は殆ど今の時代になかろうと思います。
富山県の片田舎に住む漁民の妻女たちが数百人大挙して米一揆を起したのが、偶然とはいえ、この度の騒動の口火となったということは、このたびの騒動の主因を最も好く説明しております。彼らは最も米穀の供給の少ない土地に住み、そうして高価な米を買うことの最も困難な境遇にいて、この一両年間、絶えず日々の食糧に苦心を払い、殊に最近三カ月以来は米価の加速度的な暴騰につれて減食の苦痛を続け、最後に一升五十銭を越すという絶体絶命の窮境に追い詰められ、饑餓と死の間に挟まるに及んで、恥も道徳も忘れた(忘れざるを得なかった)最後の非常手段を取るに到りました。私たち無産階級の婦人はいずれも家庭にあって厨(くりや)を司どっているだけ、食糧の欠乏については人一倍その苦痛を迅速にかつ切実に感じます。彼ら漁民の妻女たちが、たとい自分たちは飢えても、両親、良人、子供たちには出来るだけ食べさせたいと思う心から、その苦痛の絶頂に達した時、何人よりも先に忍耐を破ったのに対して、私は十二分の同情を寄せずにいられません。のみならず、私たち無産階級の婦人の連帯責任として、私はこれを我事の如くに思い、その弁護すべきを弁護すると共に、事の後に反省して、その手段の常軌を逸していたことの恥ずべきを併せてあくまでも恥じたいと考えます。
与謝野晶子 平塚さんと私の論争(1918年)
与謝野晶子 平塚・山川・山田三女史に答う(1918年)
母性保護論争(1918年〜1919年)
母性保護論争-晶子とらいてう
今は世界の女子が前後して自覚時代に入りました。今日にいう所の改造は全人類の改造を意味し、これに女子の改造の含まれていることは言うまでもありません。唯だ問題は如何に改造すれば好いかという点から始まります。
この点について、私は初めに「自我発展主義」を以て改造の基礎条件の第一とする者です。人間の個性を予め決定的に一方へ抑圧することなく、それを欲するまま、伸びるまま、堪えるがままに、四方八方へ円満自由に発展させることが自我発展主義です。人間の個性に内具する能力は無限です。一代や二代の研究でその遺伝質が決定されるものでなく、その人の自覚及び努力と、境遇の変化とで、どんなに新しい意外な能力が突発し成長するかも知れません。ラジウムと飛行機との発明を見ただけでも、過去において予測しなかった創造能力を現代人が発揮したことに驚かれます。殊に女子はいまだ開かれざる宝庫です。過去において、その自我発展を沮止そしされていただけに、男子本位の文化生活に見ることの出来なかった特異な貢献を齎もたらすかも知れません。
今日のように非戦論が勢力を持つ時代となっては、男子の腕力に代って、女子の心臓の力が大に役立つことになって行くでしょう。それはいずれにもせよ、私は実にこの新理想的見地から、旧式な良妻賢母主義にも、新しい良妻賢母主義――即ち母性中心主義――にも賛成しない者です。
近頃の流行語である「民主主義」というものも、原語のデモクラシイが十八世紀や十九世紀で持っていた意味とは違って非常に進化し、要するに今日の解釈ではここにいう平等の権利を主張する思想に外ならないということを、私たちは学者に依って教えられます。
「民主主義」が専ら政治上の標語であったのは過去のことで、今はあらゆる生活の体系にこの語を用います。即ち産業組織の民主主義化、文学美術の民主主義化、家庭の民主主義化という類です。例えば、家庭の民主主義化というのは、夫婦の愛情の平等、夫婦の経済的労働の平等、夫婦の財産権の平等、父権と母権の平等、親と子との権利の平等、兄弟姉妹の権利の平等の如きをいい、政治上や学問上に民主主義を唱える人でも、家庭において特に父権や、良人の権利や、兄の権利を偏重し、自己以外の家族の持っている正当な個人的の権利を圧制蹂躙じゅうりんするような言動があれば、その人は決して民主主義の徹底した実行者とはいわれないのです。良人を凌圧したり、妻を虐待したり、我子を打擲したりする男女は、如何に民主主義を口にしても、その実質は各人に固有する「平等の権利」を解しない専制主義者、官僚主義者、軍国主義者を以て蔑視すべき男女であるのです。
さて、普通選挙を要求するというのは、実にこの民主主義的の権利を――平等の権利を――日本人全体が政治の上に得て、国民として政治に参与する機会の均等を持とうとするがために外ならないのです。我々は日本国民たることにおいて平等です。国家を愛し、あらゆる職業と労作を通じて、精神的及び物質的に国家に貢献していること、即ち国民としての義務を行っていることにおいて平等です。この愛国心と、この国民的義務の負担とにおいて平等である我々が、どうして国家の政治に参与する権利においては不平等な待遇を受けねばならないでしょうか。
国家は国民全体の勤務に依って支持されて行くものです。国家は国民全体の協力の中に生存し発達して行くものです。一旦緩急あれば義勇を以て公(即ち国家)に奉ずるのみならず、個人が日々の勤労は直接または間接に国家のために計っているのです。民主主義の家庭は、その家長の専制に依って家政を決することなく、必ず家庭の協同員たる独立の人格を持った年頃の家族と共に公平に合議して決せねばならぬ如く、国家の政治もまた国民全体の意志に依って決することが、合理的な民主主義の政治である限り、或年頃に達して独立の人格を持った国民――例えば満二十五歳以上に達して、白痴でなく、六カ月以上一定の地に住し、現に刑罰に処せられていない者――こういう意味の国民全体が衆議院議員の選挙権と被選挙権とを持って、間接または直接に国家の政治に参与することは、立憲国民に固より備った正当な権利であるのです。かくてこそ初めて国民全体が平等に参与する政治、即ち民主主義の政治と称することが許されると思います。
巴里のグラン・ブルヴァルのオペラ前、もしくはエトワアルの広場の午後の雑沓初めて突きだされた田舎者は、その群衆、馬車、自動車、荷馬車の錯綜し激動する光景に対して、足の入れ場のないのに驚き、一歩の後に馬車か自動車に轢ひき殺されることの危険を思って、身も心もすくむのを感じるでしょう。
しかしこれに慣れた巴里人は老若男女とも悠揚として慌てず、騒がず、その雑沓の中を縫って衝突する所もなく、自分の志す方角に向って歩いて行くのです。
雑沓に統一があるのかと見ると、そうでなく、雑沓を分けていく個人個人に尖鋭な感覚と沈着な意志とがあって、その雑沓の危険と否とに一々注意しながら、自主自律的に自分の方向を自由に転換して進んで行くのです。その雑沓を個人の力で巧たくみに制御しているのです。
私はかつてその光景を見て自由思想的な歩き方だと思いました。そうして、私もその中へ足を入れて、一、二度は右往左往する見苦しい姿を巴里人に見せましたが、その後は、危険でないと自分で見極めた方角へ思い切って大胆に足を運ぶと、かえって雑沓の方が自分を避けるようにして、自分の道の開けて行くものであるという事を確めました。この事は戦後の思想界と実際生活との混乱激動に処する私たちの覚悟に適切な暗示を与えてくれる気がします。
私はここに少しばかり、我国の婦人界における指導者側の婦人たちに対して不満に思う所を述べようと思います。最近において私たちを指導されるそれらの婦人たちが特に増加したのは、その婦人たちもまた時代思想の激変に驚いて覚醒されたためでしょうから、私たちはそれらの婦人たちの勇気と熱心とを尊敬すると共に、喜んでいろいろの指導を受けたいと期待しています。殊に私のようにすべてに教養の足りない者から見ると、それらの婦人に多くの企て及びがたい長所を発見します。健康において、科学的知識において、文章と弁論において、活動的能力において、宣伝の実力において、細心な実際的施設において、一々私を驚嘆させます。私がいうまでもなく、新聞雑誌の読者は、それらの婦人を、教育界、宗教界、評論界等の各方面に発見されるでしょう。
しかるに、それほど尊敬し、驚嘆している指導者たちのいずれに対しても、私がひそかに、最も大切な根本的な或物が欠けているという不満を感ぜねばならないのは、まことに遺憾千万なことだと思います。
それらの婦人たちは、従来の引込思案な指導者たちとちがい、いろいろ啓蒙運動や社会運動に積極的の活動を示されています。家庭内職の実演展覧会を開かれる人たちがあれば、混食や代用食の実演会を開かれる人たちがあり、家庭改良の展覧会を開かれる人たちがあれば、婦人労働奨励の演説会を開かれる人たちがあり、婦人職業紹介の団体、廃物利用会、托児所、虚礼廃止同盟の会合等を作られる人たちもあります。
私が不満に感じるのは、それら婦人たちの運動が唯だそれらの活動だけに終始して、その活動の中にそれ以上の最も大切な或物を示されないからです。また、その活動の外に、それ以上の最も大切な或物を直接の目的とした活動を全く示されないからです。
私の言う「最も大切な或物」とは何でしょうか。一言にして言えば生活の理想です。言い換れば、それらの活動は唯だ目前の物質生活の利害のみを眼中に置いています。最も大切な文化生活の理想に照して、その価値を批判することが閑却されています。活動とはいえ、その実際は妄動に等しいものです。行き着く港を定めずに、激変しつつある時勢の荒浪の中に、無方針の航海を続けているのです。それらの指導者側の婦人たちは、私たちに対して自覚を叫ばれ、内省を奨すすめられるのですが、私たちから見れば、自覚といい内省ということが何よりも「我々の生活の理想はいかん」という第一義的なことに向けられねばならないことを、かえってそれらの婦人たちは失念しておられるように思われます。
その人たち(保守主義者の中にもあれば、似非進歩主義者の中にもある)の言う所をかいつまんで述べますと、女子が男子と同じ程度の高い教育を受けたり、男子と同じ範囲の広い職業に就いたりすると、女子特有の美くしい性情である「女らしさ」というものを失って、女とも附かず、男とも附かない中間性の変態的な人間が出来上るから宜しくないというのです。
私は第一に問いたい。その人たちのいわれるような結論は何を前提にして生じるのですか。一般の女子に中学程度の学校教育をすら授けないでいる日本において、また市町村会議員となる資格さえ女子に許していない日本において、どうして、男子と同等の教育とか職業とかいうことが軽々しく口にされるのですか。女子に対してまだ何事も男子と同等の自由を与えないで置いて、早くもその結果を否定するのは臆断も甚だしいではありませんか。
それよりも、論者に対して、もっと肉迫して私の問いたいことは、女子が果して論者のいうような最上の価値を持った「女らしさ」というものを特有しているでしょうか。私にはそれが疑問です。
論者は、「女らしさ」というものを、女子の性情の第一位に置き、その下にすべての性情を隷属させようとしています。女子に、どのような優れた多くの他の性情があっても、唯だ一つの「女らしさ」を欠けば、それがために人間的価値は零ゼロとなり、女子は独立した人格者でなくなるというのが論者の意見らしいのです。
私は疑います、「女らしさ」というものが果してそんなに最高最善の標準として女子の人格を支配するものでしょうか。
- まさしく真逆の判断。「参政権さえ勝ち取れば、精神的自立や経済的自立は後から付いてくる」と考えたサフラジェット(Suffragettes)に対して「まず精神的自立や経済的自立を勝ち取る方が先」と考えた与謝野晶子。
- あくまで、どちらかが正解で、どちらかが間違ってるという次元の話ではありません。この時代には、こうした真逆の正義も成立する余地があったという認識から出発する事が重要なのです。
- そして、上掲の様な「与謝野晶子的観点」から眺めると、全く別の作品としても鑑賞可能なのが「未来を花束にして(Suffragettes、2015年)」の本当の凄味。
もしかしたら「国内外のラディカル・フェミニストあたりが(運動継続に支障が出るので)できれば表沙汰にして欲しくなかったと思ってる側面(らしきもの)」を、ここまで徹底して冷徹に暴き出す作品って他にないかもしれません。
あえて近い作風の作品を挙げるなら山本直樹「レッド(2006年〜)」あたり?
さて、私たちはいったいどちらに向けて漂流しているのでしょうか…