「家父長制」や「家母長制」の概念は、当初「世界そのもの」に埋め込まれていた筈です。そもそも「社会」の概念すら「世界そのもの」に埋め込まれていたのですから、他の選択肢などなかった筈でした。
①まず出発点はこれ。
ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ下(2017年1月11日)プラープダー・ユン「新しい目の旅立ち」第一回
自然に関する活動をしている芸術家にインタビューをすると、ほとんどの場合に、彼や彼女は「神聖なるもの」へのなんらかの信仰を持っていた。それは霊魂や森の精、あるいは呪文そのものへの信仰ではなかった。「自然」とは、霊的な目標とは無関係な物質や宇宙の営みを超えたものであるという信仰の次元に、彼らはいた。自然に接触し、あるいは近づくことで、人間はなにかの中に入り込んでいくことができる、「超越した」あるいは「踏み越えた」あるいは「偉大」ななにかに──宗教の信仰者が、修行の達成、涅槃、天上の宮殿、あの世とこの世、そして「神」に近づくことを信じているように。
芸術家や少数民族の子孫が、霊魂と自然を結びつけて考えるのは不思議なことではない。それは太古の時代、実体のない神聖なものに捧げるべく人の命を生贄としていた時代から「自然」という言葉とともにあった慣習だからだ。もちろん21世紀において、人を捕えて命を奪う生贄の儀式を行えば、社会の大部分から、野蛮であるという非難を浴びるのは言うまでもない。けれども古代の人間にそれらの儀式を執り行わせた信仰の由来となったものが、消え去ったわけではない。それは以前よりもさらに静謐に姿を潜めているのかもしれない。けれども地震が起きるたびに、人間が道徳的に衰退したせいで、神聖なるものが罰を与えたのだという意見を示す人がいる。あるいは天国の扉へと近づき、神と交歓するために、大量の罪なき人々を残虐に殺害する狂信者の集団がいる。こういったものが現れると、社会が生贄という行為を捨て切ってはいないことが分かる。
人間の社会にはどこを向いても物質的繁栄しかなく、人々は生活のあらゆる歩みを科学とテクノロジーの発展と結びつけており、そしてその社会は「近代」の原理によって統治し推進されているように見える。けれども実際は、社会の構成員の大部分が、日々の生活の環境からほとんどかけ離れたところにある文化、習慣、儀礼、信仰によって動かされている。その状況は不思議なことではない。道祖神の祠を拝むことと、スマートフォンが動く原理とのあいだに相対的相対的な論理を見つけるのは難しいことだろう。けれども多くの人々が、その両側を同じだけ大事に思っている。
*日本では古墳時代、純粋な自然崇拝が古墳築造と在地首長の居館建設を経て神社の元イメージに推移していく。
とはいえ「敬われる」と「畏れられる」は実に紙一重の感情。
A Tourist In The Fourth Dimension
- 民族入れ替わりとかあると「先住民の聖地」が避けられる展開も。
- 構造主義の先駆的仕事として知られる「昔話の形態学(Morphology of the Folktale、1928年、英訳1958年)」で有名なソビエト連邦の昔話研究家ウラジーミル・プロップ(Vladimir IAkovlevich Propp, 1895年〜1970年)は多くの「人を食う怪物の退治譚」の源流に「前時代の人身供儀の痕跡」を見て取っている。
②そして「文明の利器」導入によって失われてしまう狩猟採取社会の信仰形態。
*日本みたいに「土器の使用開始自体は世界最古級なのに、炻器(土器と陶器の中間形態)の採用は紀元後」みたいな国も存在する。どうやら人間というもの、森の恵みが豊かなうちは、なかなか狩猟採取社会生活を捨てて農耕生活に移行しない様なのである。
野田サトル「ゴールデンカムイ(2014年〜)」108話「カムイノミ(神送り)」
人間も含めすべてのものはカムイと呼ぶ事が出来る。しかしいつもカムイと呼ぶものは限られている。人間ができない事、役立つもの、災厄をもたらすものなどがカムイと呼ばれる。例えば刃物は手では切れないものを綺麗に切ったりしてくれるからカムイが宿っている。火は私達の生活に欠かせない。木も山に座しているカムイ。天候や疫病などは人間の力が及ばないからカムイだ。でも決して人間よりものすごく偉い存在ではなくて、私達と対等と考えている。
狩猟というのは人間が獲るんじゃなくて、カムイの方から弓矢に当たりに来る考えられてきた。人間に招待されて肉や獣を与える代わりに、カムイは人間しか作れない酒や煙草やイナウ(木幣)が欲しい。私達はカムイを丁寧に送り返し、人間の世界はいいところだと他のカムイにも伝えて貰わなきゃならない。ひどい扱いをすれば、そのカムイは下りてこなくなる。
カムイノミについて - チャランケ祭・公式サイト*それにしても「カムイをウコチャヌプコロ する人」、その顔マズくない?
アーネスト・トンプソン・シートン(Ernest Thompson Seton、1860年〜1946年)…イギリス出身の博物学者、作家、画家。日本では『シートン動物記』で有名である。また挿絵も画家であるシートン自身が描いており100点をこえる挿絵は、物語をいっそう魅力的にしている。ボーイスカウト運動の創生に大きな影響を与えた人物でもある。
- 「昔話の形態学」のウラジーミル・プロップは「獲物を確実に一瞬にして仕留められる武器が登場する以前は(魔眼といった)狩人の備えるカリスマ的属性が獲物を捕らえるとイメージされていた」「そうした武器が登場すると信仰対象が武器に推移した」と述べている。
*ソ連時代の学者らしく「歴史段階発展説」にまとめているが、実際の変遷過程はもっと複雑多岐な形をとったであろう。アイヌ人の宗教観はその貴重な一例。
- 日本史でいうと「いつから天皇の践祚に三種の神器が不可欠と考えられる様になったか」が重要とも。壱岐市の原の辻遺跡から最古の鏡、玉、剣の組み合わせが出土している様に、それは古墳時代には既に支配権の象徴の一つだったと目されているが、何かと謎が多い。
三種の神器 - Wikipedia - 過去の文献に当たると、江戸時代に入ってなお「家長の条件」として、ある種の神秘性が要求されていた事実に直面する事になる。例えば年貢の制定一つとっても、先進的地域では毎年領民と領主の間で激しい駆け引きが繰り広げられたものだが、たまたま領主がそれなりの絵師で魔除けの札を描くのが得意だったり、雨乞いの綺麗に通じてたりすると途端に交渉が有利になったりするのである。おそらく古代社会まで遡る伝統なのであろう。
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欧州中世においても「シャルルマーニュは癒しの手を備えていた」とする伝承があり、そうした象徴体系が中世末期まで重要な意味を備え続けた。まさしくホイジンガ「中世の秋(1919年)」の世界。
③そして在地有力者の間で語り継がれる「氏族起源譚」の世界とその発展形。
前近代まで適者生存(survival of the fittest)理論は氏族間闘争(Clan wars)と関連付けて論じられてきた感がある。
- 「春秋左氏伝(紀元前700年頃〜約250年間の歴史を扱う。成立期不明)」は「支配者は天から選ばれる事でその地位を獲得し、天から見放される事によって滅んでいく」とした。メソポタミアの宗教観と重なる部分が多いが、こちらではアッカド人のシュメール制圧に際して芽生えた判官贔屓感情を背景とする「あえて(アッカドの地母神)イシュタルから選ばれる事を拒絶したシュメールの英雄王ギルガメッシュ」についての叙事詩(紀元前三千年紀成立)も伝わる。
『春秋左氏傳』解題
本居宣長の精読した『春秋左氏伝』
- 日本における「古事記(712年)」「風土記(編纂令713年、未完)」「日本書紀(720年)」「新撰姓氏録(815年)」。全国各地の在地有力者の氏族起源譚を編纂する形で「中央神話」を創造。各氏族間の格式を「氏族起源台帳」によって管理しようとしたが、朝廷では天皇の権威とこれを奉じる藤原摂関家の力が強くなり過ぎてしまい、システムとして崩壊。一旦は完全に忘れ去られてしまう。
『新撰姓氏録』氏族一覧
- 「どうして藤原氏は栄華を極めたのか」を主題とする「大鏡(11世紀成立)」。藤原氏の没落までは扱わないが、むしろその予兆に怯えた事が執筆の動機になったとも。一方「源氏物語(11世紀成立)」は主人公光源氏の末裔達がその輝きを失っていく様を残酷に描く。
- 「どうして一時期あんなにも栄えた平氏は滅んだのか?」が関心の的となった「平家物語(13世紀以前の成立)」。これにあやかる形で編纂された「太平記(14世紀中旬〜1370年頃)」においてそのテーマは「朱子学の実践とは何か?」といった新要素を加え複雑な発展を見せる事になる。
- リュジニャン一族が十字軍運動(11世紀末~13世紀末)に連動する形で栄え、そして衰退していく有様を始祖とされる人魚メリュジーヌ(Mélusine)の伝承と結びつけた「メリュジーヌ物語、あるいはリュジニャン一族の物語(Le roman de Mélusine ou histoire de Lusignan、散文版1397年、韻文版1401年以降)」。当時リュジニャン一族はまだ欧州においてそれなりの影響力を留めていたのでその滅亡までは描かれなかった。
メリュジーヌ - Wikipedia
リュジニャン家 - Wikipedia- 中世的分権状態から絶対王政の臣民(Subject)の世界へと世界観が変遷していく過渡期に執筆されたシェークスピアの「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet、 1595年前後)」。
歴史的背景は案外複雑。キャピュレット家とモンタギュー家の対立は神聖ローマ帝国とイタリアの中世を騒がせた教皇派(Guelphs)と皇帝派(Ghibellines)の対立に由来する。「オトラント城奇譚(The Castle of Otranto、1764年)」同様フリードリヒ2世が背後で暗躍。もし当時の英国王エドワード1世が勧められるままナポリとシチリアの国王となっていたら、イングランドはイタリア半島の南半分を獲得する代償として(「狂犬」アンジュー公シャルル・ダンジューに率いられた)フランス王国と全面戦争状態に突入していた。こういう重厚な歴史が英国人に様々な想いを馳せさせるのであろう。だが同時にこうした設定のマクガフィン化にも成功しており「臣民(Subject)の世界から市民(Citizen)の世界へ」といった価値観の展開にも対応。その過程で「バルコニー(balcony)理論」が派生。
*「マクガフィン(MacGuffin, McGuffin)」…ヒッチコック監督の作劇理論における「登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる小道具」。そのジャンルでは陳腐なものが選ばれる事が多く、作品構造上いくらでも交換が効く。
*「バルコニー(balcony)」…ハリウッド映画の脚本世界では少なくとも1930年代から「バルコニー理論」なるものがシナリオのチェックに使われてきたが、そこでいう「主役カップルが結末まで結びつかない様に引き離しておく阻害要因」。名前の通り「ロミオとジュリエット」が発想の起源だが、その存在をバラしたジェームズ・M・ケイン自身は、そこに組み込まれたロジックを逆手に取って「郵便配達は二度ベルを鳴らす(The Postman Always Rings Twice、1934年)」を執筆。むしろ「ルールを従順に厳守してる限り三文芝居しか書けない」とも見て取れる。遅くとも1990年代までにはコンピュータ化されていた。実物の一つを触った事もあるが、少なくともそのバージョンでは「恋を邪魔する存在」と「恋を進めてくれる存在」の兼任が不可能だった(どちらかというと対立して代理戦争をやらかす前提になってたっぽい)。確かにこれでは三文芝居の量産しか出来ない。
歴史的背景がよりマクガフィン化された「ハムレット(Hamlet、1600年〜1602年)」「マクベス(Macbeth、1606年頃)」「リア王リア王(King Lear、1604年〜1606年頃)」といった作品に至っては氏族物に分類することすら不可能となる。
*そしてこの次元から「家父長制」とか「エディプス・コンプレックス」とか新たな次元の価値観が切り離される展開に。
- 18世紀前半に「ウォルポールの平和(1721年〜1741年)」を実現したホイッグ党穏便派の末裔ながら、既に政治的影響力をほとんど喪失していたホレス・ウォルポールが同様に一時期国際政治の頂点に立ちながらあっけなく滅んでいった神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン朝(Hohenstaufen, 1138年〜1208年、1215年〜1254年)に取材した「オトラント城奇譚(The Castle of Otranto、1764年)」。
ホーエンシュタウフェン朝 - Wikipedia
- 「どうしてフランスにおいてはブルボン家からオルレアン家への王統交代が起こったのか?」について取材したアレクサンドル・デュマ「ダルタニャン物語(D'Artagnan、1844年〜1851年)」の世界。テューダー朝(1485年〜1603年)史観そのものともいえるシェークスピア史劇を参考にしたが、執筆途中で2月/3月革命(1849年〜1849年)が起こり、この部分はあえなくマクガフィン化。
しかし19世紀に入ると「血統こそ全て」をモットーとする貴族制そのものの崩壊が始まる。そして上掲の様な概念の向先が次第に「国家」や「人種」といった新たな有効単位に推移していく。「領主が領土と領民を代表する農本主義的伝統」そのものが過去のものとなる。
全体像を改めて俯瞰してみると…
- 最も古くまで辿れる「物語」はおそらく在地有力者一族の統治を正統化する起源譚で、最初期の王朝史はこれを原則として束ねて編纂する形で作成された。
- その延長線上で「氏族戦争(Clan War)を扱った物語」が広まり、その過程で脱氏族戦争戦争化が進行するケースも存在した。また(神代の時代まで遡る)貴種流浪譚や宗教説話物との再融合、軍記物といった新分野の誕生などもあった。
*すると「源氏物語(11世紀成立)」とは一体何だったのか。案外説明が難しい。
*治承・寿永の乱(1180年〜1185年)、いわゆる源平合戦が多くの貴種流浪譚の起源となる。以降も騒乱や御家騒動がある都度伝承や創作の元ネタが生まれていった。
- その過程でさらに「家父長制 / 家母長制」「エディプス・コンプレックス /エレクトラ・コンプレックス」「名誉死(仇討ち、切腹、心中)」「身代わり生贄」といった物語要素が抽出され、創作作品の主題に採用される様になっていく。
*時代が下るにつれ虚構が許される範囲は拡大していくが(大衆文化発達によって読者や観客の庶民化が進んだのが大きい)身分制が現存している時代には中々こうした要素に紐付けられる心情の発展は見られなかった。
*そんな中でも世界観のスケールの大きさで一つの到達点と目されているのが曲亭馬琴(滝沢馬琴)の「椿説弓張月(1807年〜1811年)」や「南総里見八犬伝(1814年〜1842年)」とされている。そして明治維新後、近代文学者達は、まずこうした「仁義の化け物」との対決を余儀なくされる事になったのだった。
椿説弓張月 - Wikipedia
南総里見八犬伝 - Wikipedia
- 黒澤明監督がしばしば用いた「伝説の人々(Ledgends)と庶民の一瞬の邂逅」といったフォーマットも、おそらくこの時代にまで遡る。
*ただし一応は「領主が領土と領民を代表する農本主義的伝統」は既に過去のものとなった前提で描かれている部分が新しいと言えば新しく、しかも相応の国際性獲得に成功している。
*「(英国人の臣民性に対応する)日本人の臣民性とは何か?」については、もっとちゃんと考え抜いた上で国際性を付与すべきなのかも。
④こうした歴史展開を経て、現在流布している「家長のイメージ」はむしろ「剥き出しの原像」に回帰してる感を見せている様にも見える。
I Lost Trying To Win I Died Trying To Live — The Godfather
- 途方もない目標を達成する為にただひたすら自力で突き進む猪突猛進タイプの家長…黒澤監督映画「生きものの記録(1955年)」における(原水爆に対する神経症的にとりつかれる前の)鋳物工場経営者中島喜一(三船敏郎)、「天国と地獄(1953年)」におけるナショナル・シューズ社常務権藤金吾(三船敏郎)、「赤ひげ(1965年)」の赤ひげ先生(三船敏郎)。肉体的活力も突出してる事が多い。黒澤明監督をこよなく尊敬するフランシス・コッポラ監督「ゴッドファーザー(The Godfarther、原作1969年、映画化1972年、1974年、1990年)」におけるビトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド、ロバート・デニーロ)も割とこのタイプ。
*欧州でいう「ロマン主義的英雄(Romantic Hero)」タイプ。多くのロマン主義者は極度のエゴイストでもあって次第に孤立していき、最後は非業の最期を遂げるが、その途中過程で「放っておけない」と寄り添う仲間や後継者を得る事がある。まぁそんなイメージ。
女性でいうと(海外の日本史ファンに言わせれば)「尼将軍」北条政子(1157年〜1225年)などが例に挙がる模様。1950年代黒澤監督映画では「隠し砦の三悪人(1958年)」における雪姫(上原美佐)あたりが国際的に著名だが、類型的には少し外れる。むしろ彼女をモデルとする「スターウォーズ」シリーズのレイア姫(キャリー・フイッシャー)の方が「完成度」は高いとも。
- 同様に途方もない理想を抱えつつ、自力での達成は不可能で、目力で人を動かしたり、ただ静かに憂いを込めた眼差しで状況を傍観するしかないタイプの家長…黒澤監督映画「生きる(1952年)」における市役所市民課長渡辺勘治(志村喬)、「生き物の記録(1955年)」における歯科医原田(志村喬)、「ゴジラ第1作(1954年)」における古生物学者山根恭平博士(志村喬)。独特の眼差しが共通項。
女性でいうと米澤穂信「氷菓シリーズ(2000年〜、アニメ化)」における千反田江留、新海誠作品「君の名は(2016年)」における宮水二葉(ヒロインの母)辺りで、どちらも(母権制の伝統を感じさせる)飛騨女(ひだにょ)という設定。
作中で入須冬実先輩が千反田江留に伝授する「女帝の手管」
「大事なのは相手が自分から動いてくれる様に仕向ける事だ。その為には相手に精神的満足感を与えなければならない。色々あるんだが、お前にも使えそうな手は期待だろ。相手に自分は期待されてると思わせるんだ。それが出来れば後は実に簡単に尽くしてくれる。ただし問題はあまり大きく見せない事だ。自分には些細な事だが相手にはそこそこ大事な事だくらいがいい。それともう一つ。出来れば人目につかないところで異性に頼むんだ。」
第6話「大罪を犯す」
千反田江留「傲慢なところがまったくない人というのは、自信がない人のことじゃありませんか。誰からも強欲と言われない人は、きっと家族を養うことも難しいでしょう。世界中の人が誰にも嫉妬しなければ、新しい技術が生まれるとは思えません」
「クドリャフカの順番」編(12話〜17話)
福部里志「自分に自信がある時は期待なんて言葉を出しちゃいけない。期待って言葉は諦めから出る言葉なんだよ。そうせざるを得ないどうしようもなさがないと空々しく聞こえてしまう」
- どちらともつかないタイプの家長…吉田秋生「吉祥天女(1983年〜1984年)」における叶小夜子。絶世の美少女だが、滅びに瀕した旧名家たる叶家を守る為には殺人すら厭わない。
浅井由比子「その点小夜子なんて偉いと思うわ。あの人絶対負けてないもの。あたしたちならしょーがないやってあきらめちゃうこと、あの人絶対許さないもの。あんなにきれいで、女らしくて、ふだんはすっごくやさしいのに、いざって時になると相手が男でも絶対に尻込みしないもの。あの人みたいに毅然とした態度とれたらどんなにいいだろって思っちゃう」
遠野凉「そうか…御前達の目にはそう映るのか…」小川雪政「(彼女が7人もの人間を死に追いやったという推理を)誰かに話しましたか? 私以外に。例えば警察とか。」
浅井鷹志「いいえ。立証できませんからね」
小川雪政「そのほうがいい。貴方は賢明だ」
浅井鷹志「それは警告ですか?」
小川雪政「警告? とんでもない。あなたが警察に話したければご自由に。ただ、誰が信じますか? ごらんなさい彼女を。まだ子供なのですよ。あなたの妹さんと同じ制服を着たまだ17歳の少女なんですよ。その少女が男を誘惑し平然と人を殺す。そんなことを一体誰が信じるんですか? 探偵ごっこもほどほどにしておかないとね…」浅井由比子「あの人ねぇ、あたしの理想だったんだ。きれいで、やさしくて、女らしくて、なのに賢くて強くて、男の人にも負けなくて。あんなふうになれたらなぁって思ってた。」
浅井鷹志「そうか。なるほどなぁ…」
浅井由比子「? なによお兄ちゃん1人でナットクして」
浅井鷹志「いや…」叶小夜子「(浅井鷹志の描き上げた絵を見せられて)すてきだわ」
浅井鷹志「以前、この家に伝わる天女の話をしてくれましたね。それと古い吉祥天の話をヒントにしたんです(「日本異霊記」に画像の吉祥天女に僧侶が懸想する話が出てくる)」
叶小夜子「吉祥天…」
浅井鷹志「人々に至福を与えるという愛の女神です…あなたはあの時(絵のモデルにさせて欲しいと依頼した時)、ぼくにいいましたよね。”天女を妻にした男は幸福だったろうか。それとも不幸だったろうか”って。ぼくはきっと幸福だったんだろう思いますよ。きっと後悔はしなかったんだろうと」浅井鷹志「(独白)あんな奇蹟みたいな女がいるのか…」
浅井鷹志「あなたには幸福なんでしょうね、小川さん。」
小川雪政「そう、わたしにはね。」
浅井鷹志「ちょっぴり羨ましい気もしますよ。お元気で。」
もちろんこれらのタイプ間には「加齢による肉体能力の衰え」などによる推移もあります。とにかく共通するのは「あくまで家父長制や家母長制といった権威主義的制度や伝統の力に頼らず、あくまで個人的資質のみに頼って人を従えていく」その生き様。それと、ある種の人間の理解を超えた神秘性。
日本において「社会の営みの一部として埋め込まれ、必要に応じて自然に現れたり消えたりしてきた家父長 / 家母長的存在」の原イメージは、こういう具合だったのかもしれません。
*「君の名は」には制度化とその弊害というさらに深く立ち入った話も出てくるが「家母長としての二葉の活躍」同様にまとめて映画から要素として排除されている。恋愛映画として完成させる為にトリミングしたのは当然の措置とも。
とりあえずこれで「システムとしての家父長 / 家母長制」と「実在が許されてきた家父長 / 家母長の在り方」の切り離しはOK?
ウコチャヌプコロがトレンド入りしててワロタwwwwwちなみにアイヌ語で交尾という意味でセクロスとは別でそっちはウコオモイヌだそうで 静かに確かめ合うって意味なんだってさ なんかいいね
— わらび (@warabiforattac) 2017年3月2日
手持ちの辞書にはウコチャヌプコロは載ってなかったけど、ロシキワウコピリカプコロ(立ちバック)ケロリムセウウェンテマッ(交合中にしきりに腰を上下して荒馬にでも乗ったようにぽんぽん跳ね上げる女)チテリテリ(交合後の淫水で陰茎がぬらぬらする)などの言葉を知ることができました
— Dally (@Dally_Shiga) 2017年3月2日
ガチャピンとムックがウコチャヌプコロ… pic.twitter.com/UCuD6susF4
— ㍿ニッカ (@gogo_nikka) 2017年3月3日
もう、現段階でのTwitter上でのトレンドは終了。次盛り上がるのは単行本発売日?
さて、私達は一体どちらに向けて漂流してるのでしょうか…