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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「臣民」の歴史① フランス絶対王政下における「シャルル・ペローの教訓」【長靴をはいた猫】【シンデレラ】【青ひげ】

シャルル・ペローが散文童話集「寓意のある昔話、またはコント集〜がちょうおばさんの話(Histoires ou contes du temps passé. Avec de moralités : Contes de ma mère l'Oye.、1697年)」を発表したのはこんな時代。

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  • ルイ14世(在位1643年〜1715年)とリシュリューの後釜となったイタリア人宰相マザランが「フロンドの乱(La Fronde 1648年~1653年)」を制して絶対王制樹立に成功した時代。

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  • フロンドの乱」で敗者となったのは(中世より伝統的に所領を継承してきた)帯剣貴族と(経済界とパリ高等法院を牛耳る)法服貴族。以降は既得権の安堵や拡大の為に王宮参りが欠かせなくなる。

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ナポリ語説話を集めたジャンバティスタ・バジーレ「物語の物語、または小さき者たちのための楽しみ/ペンタメローネ(五日物語)(Lo cunto de li cunti overo lo trattenemiento de peccerille、1634年〜1636年)」から採択された物語が多いのですが、それはイタリアの方が貴族制度解体の先進国で、成金(Nouveau Riche=ヌーヴォー・リッシュ)を容認する空気も強かったからとされています。

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そして物語はユグノー亡命を通じてドイツにも伝わり、ヘッセンでグリム兄弟に伝承として採択される展開に。

大英帝国は「政党政治の発祥国」でもあり「ジェントリー階層の形成史」がそのまま臣民意識の形成史となり、その延長線上において選挙権拡大運動が保守主義派主導で進んでいきます。

一方(中世的貴族意識が強く残存する)フランスにおいては、「新旧論争」の仕掛け人でもあったシャルル・ペローがまず動いたのです。「ペローの散文童話集」は、そういう観点からも読めるという話。

 「猫の親方あるいは長靴をはいた猫(Le Chat botté)」

イタリアからペロー散文童話を覚えていたユグノー経由でドイツのヘッセン地方などにもに伝わった。

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  • シチリア島にはほぼ同じ内容で、猫ではなく狐が登場する「ジョヴァンヌッツァ狐(La volpe Giovannuzza)」という物語が伝わる。

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  • 「ペンタメローネ」に、ほぼ同じ元話が収録されている。

  • グリム童話」初稿にも「靴はき猫(Der gestiefelte Kater)」というタイトルで収録されている。 

物語の大筋は以下。

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  • ある粉挽き職人が死に、3人の息子にはそれぞれ粉挽き小屋、ロバ、猫が遺産として分けられた。三男が「猫を食べてしまったら、後は何もなくなってしまう」と嘆いていると、猫が「心配要りませんよ。まず、私に長靴と袋を下さい。そうすれば、あなたがもらったものが、そんなに悪いもんでもないことが近いうちに分かります」と応えた。

  • 長靴と袋を調達してもらった猫はまずウサギを捕まえ、王様に「我が主人・カラバ侯爵が狩りをしまして。獲物の一部を献上せよとの言いつけによりお持ちしました」と言ってウサギを献上し、王様から「侯によろしく伝えよ。“心遣い、大変嬉しく思う”」と言葉を貰う。

  • これを繰り返して王様と猫が親しくなった頃、猫は三男にある場所で水浴びをさせる。そこに王様と姫が通りがかり、猫はその前に出て「大変です、カラバ侯爵が水浴びをしている最中に泥棒に持ち物を取られてしまいました」と嘘をつく。そうして、三男と王様を引き合わせ「カラバ侯爵の居城」に王様を招待することになる。

  • 猫が馬車を先導することになり、道で百姓に会うたびに「ここは誰の土地かと聞かれたら、『カラバ侯爵様の土地です』と言え。でないと、細切れにされてしまうぞ」と言う。本当は、ogre(オーガ)の土地だったが、百姓は王様に訪ねられると「カラバ侯爵様の土地です」と答える。そして、王様は「カラバ侯爵」の領地の広さに感心する。そして、ある豪奢な城に着く。これは、オーガの城だったが、猫はオーガをだまして鼠に姿を変えさせ、捕まえて食べてしまう。そうして城を奪い、王様が着くと「カラバ侯爵の城にようこそ!」と迎える。王様は「カラバ侯爵」に感心。

  • 三男は元々育ちの悪い男性ではなかったので、姫は三男を好きになり、しきりに気にかけるようになる。王様はこれに気づき、娘婿になってくれないか、と言う。三男こと「カラバ侯爵」は、その申し出を受けてその日のうちに姫と結婚する。猫も貴族の身となって、鼠捕りは趣味でやるだけになった。 

この物語に付加された「ペローの教訓」は以下。

  • 父から子へと受け継がれる、豊かな遺産をあてにすることも大きな利益にちがいないが、一般に若い人たちにとっては、知恵があったり世渡り上手であったりする方が、もらった財産よりずっと値打ちのあるものです。

  • 粉ひきの息子がこんなに早くお姫さまの心をつかんでしまって、ほれぼれとした目で見られるようになったのは服装や、顔立ちや、それに若さが愛情を目覚めさせたからであって、こういったものも、なかなか馬鹿にはならないものなのです。

要するに井原西鶴いうところの「才覚」、および「(宮廷で人目を惹くた為の)美貌やファッション・センスやマナー遵守」が強調されている。

「サンドリヨン(Cendrillon)」

英語のシンデレラ(Cinderella)。意味は「灰かぶり姫」あるいは「灰かぶり」。
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世界中に類話が残るが、現在知られている中でもっとも古い記録の一つはギリシャの歴史家ストラボンが紀元前1世紀に記録したロードピス(Rhodopis)の話である。

4月のお話 ロードピス

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  • エジプトのお屋敷に、美しい女奴隷ロードピスが住んでいる。主人は優しい人だったが多くの召使いに十分目が届かず、肌が白く外国人のロードピスはまわりの女召使いからよくいじめられている。

  • あるとき、ロードピスが上手に踊るのを見た主人はロードピスに美しいバラの飾りのついたサンダルをプレゼントする。すると他の女召使いたちは、ロードピスに嫉妬していっそう彼女につらく当たる。

  • その後、エジプトの王様が民衆を首都に招き、大きなお祭りを催す。女召使い達はそのお祭りに出かけていったが、ロードピスにはそのお祭りに行けないようにたくさんの仕事を言いつける。仕方なく言いつけどおりオルモク川で服を洗っていると、バラのサンダルを誤って濡らしてしまう。そこでそれを岩の上で乾かしているとハヤブサが持っていってしまい、それをメンフィスにいるファラオの足元に落とす。そのハヤブサがホルス神の使いだと考えた王様は、国中からそのサンダルに合う足の娘を探し、見つかったら結婚すると宣言する。

  • 王様の船がロードピスの住むお屋敷にやってくると、ロードピスははじめ身を隠してしまうが、サンダルを履かせるとぴったり合う。またロードピスが残していたサンダルのかたわれも見つかり、王は宣言どおり、ロードピスと結婚する。

直接の原型と目されているのが「ペンタメローネ」に採録された「チェネレントラ (Cenerentola、灰かぶり猫、1日目第6話)」 である。

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  • 主人公のゼゾッラ(シンデレラにあたる)と継母(当初は裁縫の先生)は実は同志で、ゼゾッラと不仲であった最初の継母を殺害し、継母と父の大公を再婚させる。しかし後に継母が6人の実娘を設けると、ゼゾッラを裏切って冷遇する。
    *ゼゾッラ(シンデレラ)による最初の継母の殺害…衣装箱に挟んで首を折ってしまう。グリム童話の1つである「ねずの木」と共通する展開。

  • その後、父の大公が旅行中に継母の娘には豪華なお土産の約束をするが、ゼゾッラはただ妖精の鳩がくれる物が欲しいとだけ答える。その後、大公が妖精から授かったナツメの木の苗を土産として与えられたゼゾッラはその木を大切に育てる。

  • ナツメの木は実は魔法の木で、彼女は木の魔法によってきれいに着飾ってお祭りに参加して国王に注目される。

  • 国王の従者に追いかけられたゼゾッラは履いていたピァネッレ(17世紀のイタリアで履かれていた木靴)を落としてしまう。

  • 斎日に国王が国中すべての娘を召し出して靴を履かせた結果、ゼゾッラだけが靴に合致して王妃に迎えられる。継母の6人の娘たちがそのときの屈辱を母親に伝えたところで物語の幕を閉じる。

グリム童話に収録された「アシェンプテル (Aschenputtel, KHM21) 」はペローのものより原話に近いとされる。ただ各要素が初版から第七版にかけて追加されたり削除されており、内容が一定してない。

http://www.maerchenapfel.de/tl_files/images/aschenputtel.jpg

  • 魔法使いが登場しない…当然カボチャの馬車も登場せず、代わりに白鳩が主人公を助ける。美しいドレスと靴を持ってくるのも母親の墓のそばに生えたハシバミの木にくる白い小鳥。

  • 靴はガラス製ではない…舞踏会に履いていくのは1晩目は銀、2晩目は金の靴である。

  • シンデレラが靴を階段に残した理由…偶然脱げたのではなく、王子があらかじめピッチ(ヤニ)を塗って靴が絡め取られたから。

  • 連れ子の姉達の小細工…王子が靴を手がかりにシンデレラを捜す際、靴に合わせるためにナイフで足(長女が爪先、次女は踵)を切り落とす。しかしストッキングに血が滲んで見抜かれる。

  • 物語の結末…シンデレラの結婚式で姉2人はへつらって両脇に座るが、シンデレラの両肩に止まった白鳩に両目ともくり貫かれ失明する。

ペロー版の原題は「Cendrillon ou La Petite pantoufle de verre (サンドリヨン、または小さなガラスの靴)」である。

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  • 魔法使いが登場してガラスの靴を履かせ、カボチャの馬車に乗せる。

  • 一般によく知られるストーリーと異なり(そしてグリム童話版と同じく)舞踏会は2晩続けて開かれ、サンドリヨン(シンデレラ)も2晩続けて行っている。

  • ガラス(verre)の靴は仏語で同じ発音のリスの毛皮(vair)の靴をペローが誤認したという説が長年流布していたが(バルザックなども言及している)、近年のポール・ドラリュの研究によるとペロー以前に仏語圏外でもガラスの靴が登場するバージョンが確認されており、ペローは説話を正確に記録したとされている。もっとも、これに対する反論も出されており、いまだに結論は出されていない。

最後に付加された教訓は以下の様な内容。

  • 美しさは女性にとって稀な財産。みんな見とれて飽きることはない。しかし善意と呼ばれるものは値の付けようもなく、はるかに尊い

  • ただし才能や叡智を持っていても、それを生かす親やその代わりになるものがいなければ無駄なこと、何の役にも立たない。

つまり「人間の人生は(血筋というより)しっかりした後見人を得られるかどうかで決まる。それを勝ち取るには(美貌より)善意が重要」というメッセージ。
*現代日本では後見人問題は老後問題とセットで語られる様に。

  • この物語に取材したロッシーニ作曲のイタリア語オペラ「チェネレントラ(La Cenerentola、1817年)」には魔法は登場せず、代わりに王子の指南役の哲学者が変装してお忍びで貴族宅を巡回する過程でヒロインを見出し、引き立てる。
    *当時のオペラ・ブッファは「変装」ブームだったのである。ちなみにガラスの靴が腕輪に、継母が継父に置き換えられている。

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  • シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア(Jane Eyre、1847年)」では孤児院出身のヒロインが家庭教師として住み込んだ家の主人に恋をする。他にも様々な障害が登場して克服されていくが、とりあえず「身分の違い」は、それまで音信不通だった遠相続によって解消される運びとなる。
    *この問題解決方法は財産と身分がセットになってる英国独特の貴族制(ジェントリー)独特のもの。ちなみにしばしば「当時の英国女性に財産権はなかった」といわれるが、より正確には「(未成年者同様)管財権がなかった」が正しい。独身女性が遺産を相続すると管財者が立てられ、結婚すると管財権が配偶者に移行するのである。

  • 米国小説家フランシス・ホジソン・バーネット「小公女(A Little Princess、1888年)」のヒロインであるセーラ・クルーはネイボッブで、父の死と事業破綻を契機に運命が暗転し、父の共同事業者の成功と遺産相続によって元の境遇に復帰する。

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  • 米国女性作家ジーン・ウェブスターの「あしながおじさん(Daddy-Long-Legs)」は、孤児院で育った少女ジュディが一人の資産家の目にとまり、毎月手紙を書くことを条件に大学進学のための奨学金を受ける物語である。最後はその後見人と結婚という結末。

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こうしてみるとこの教訓、割と後世まで有効だったといえよう。

「青ひげ( La Barbe Bleue)」

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①ある金持ちの男は、青い髭を生やしたその風貌から「青髭」と呼ばれ、恐れられていた。また、青髭は、これまで何度も結婚しながら、その妻たちは、ことごとく行方不明になっていた。青髭は、4兄妹のうちの美人の姉妹に求婚し、紆余曲折の末、妹と結婚することになった。
*ペロー版では富裕層の生活についてかなり詳しく書かれているが、グリム童話版では単に金持ちとしか説明されていない。

②結婚してしばらく経ったあるとき、青髭は、しばらくの間、外出することになったため、新妻に鍵束を渡し、「どこにでも入っていいが、この鍵束の中の小さな鍵の小部屋にだけは絶対に入ってはいけない」と言いつけて外出していった。

③しかし、新妻は好奇心の誘惑に負け、「小さな鍵の小部屋」を開けてしまい、小部屋の中に青髭の先妻の死体を見つける。驚きで小さな鍵を血だまりに落としてしまい、すぐに拾い上げたものの、魔法のかかった鍵に付いた血は、拭いても洗っても落とすことができなかった。
グリム童話版では洗っても血が落ちない理由が明確に説明されない。

④新妻が鍵を落としたその日の晩、外出から戻った青髭は新妻から預けた鍵束を受け取るが、立入禁止とした小部屋の小さな鍵が無かったことから、これを咎め、持ってこさせたものの、血の付いた小さな鍵を見て青髭は新妻が何をしたかを悟る。

青髭に「小さな鍵の小部屋」を開けたことを咎められて殺害されそうになった新妻は、訪問の約束をしていた兄をあてにし、最後の祈りの時間と称して引き延ばしを図ったものの最期の瞬間が訪れようとしていた。

⑥しかし、まさに新妻が殺害されようとした瞬間、間一髪で駆けつけた竜騎兵と近衛騎兵の新妻の兄2人によって青髭は倒された。
グリム童話版では兄の人数は3人。職業は明確に示されていない。塔の上からの新妻の叫びを聞きつけて現れる。また(終盤でいつの間にか青髭の城にいる)新妻の姉も登場しない。

青髭には一人の跡継ぎもいなかったことから、新妻は青髭の遺産を全部手に入れて金持ちになり、その財産の一部を兄2人と姉のために使った。
グリム童話版には新妻が手に入れた青髭の遺産の使い道に関する後日談が書かれてない。

  • フランスにおけるユグノー迫害とドイツへの移住を経てドイツへも伝わりグリム童話(1892年初版)にも伝わった。。グリム童話の初版にも収録されていたが、2版以降では削除された。なおグリム童話初版にはほぼ同じ内容の「人ごろし城」という話も収録されており、これも同時に削除されたが、後半部分が若干違う「まっしろ白鳥」は第七版にも残っている。

  • 主人公のモデルはジャンヌ・ダルクの戦友であるジル・ド・レともヘンリー8世ともされる。

この物語に付加された教訓は以下。

  • 女の好奇心は身を滅ぼす…同じフランスの格言に言い換えると「贈り物の馬の口を覗くな(馬の年齢は歯でで分かり、大抵贈答対象となるのは老い先短い老朽馬)」。それにも関わらず、物語中ではヒロインがその定言に従わなかったからこそ命が助かり、莫大な財産の継承者となる。この矛盾がこの作品に単なる子供の読み物に終わらない多義的解釈を与えてきた。

  • 今どきこんな亭主はいない。主婦は夫を牛耳るほどになるものである…牛耳るどころか兄弟に殺させてしまう。この矛盾もまたこの作品に単なる子供の読み物に終わらない多義的解釈を与えてきた。

割とシャルル・ペローが、この教訓にどんな意味を込めたのか今日では分からなくなってしまっているのである。

この時代には同時に逆算によって「中世」が切り捨てられていきます。

ジャック・ル・ゴフ/川崎万里訳『子どもたちに語るヨーロッパ史/子どもたちに語る中世』2009 ちくま学芸文庫 p.197

なぜ中世社会を<封建制>とよぶのでしょうか。<封建制>という語は、この社会が<領主>によって支配され、領主は部下である<臣下>をもち、臣下に収入をもたらす土地<封土>を分封(<貸与>といってもよいでしょう)するところからきています。この語の示す社会システムについて、18世紀の哲学者やフランス革命時の人々は、権力者や裕福な者たちが民衆、農民、<庶民>を抑圧するものだといって、嫌悪し、否定しました。このイメージが<中世>にへばりついています。
*そもそも「封建制(heudalism)」の概念自体に(建前上、全ての国民が直接国王の臣民となった)絶対王政期や(全ての国民が市民となった)フランス革命期から振り返っての「後進的」というレッテル貼に由来する側面があるという事。まぁ、ここで貶められているのは連邦諸侯化した神聖ローマ帝国、再版農奴制によって農民が貴族の私有財産扱いされているロシア帝国や東欧諸国などであった。

そういう状況下において静かに浸透していった「シャルル・ペローの教訓」。その特徴は概ね以下の様な感じだったのです。

  • 今や(帯剣貴族的血統主義ではなく)個人の才覚、美貌、ファッション・センス、宮廷マナー、教養の習得がものをいう時代となった。
    *いわゆるサロン文化の大源流。

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  • 善意の振る舞いによって、しっかりした後見人さえ得られれば没落貴族でも立身出世が可能。
    *こうした考え方の延長線上に「芸術家や発明家に対するパトロネージュ」といった概念も位置付けられる。絶対王政期に生まれ、ナポレオン執権期に栄え、第二帝政期には皇帝ナポレオン三世の敵に回ったフランス・アカデミーなんてややこしい存在もある。

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  • 国王の慈悲は全ての既存秩序に優先する。
    *絶対君主は原則として「武力や恐怖政治を背景に君臨する独裁者」ではない。ファッション・リーダーも含めた伝統的体制の行き詰まりを解消する「便利な」Ruler(秩序再編者)なのである。日本では藤原道長(966年〜1028年)が樹立し、藤原摂関家治天の君院政室町幕府公武合体体制)→江戸幕藩体制(諸藩も幕府政令を模倣する「法専制体制」)へと継承されたと考えられているが(欧州史が国王とローマ教会の対立に振り回された様に)日本でも朝廷(公家)と幕府(武家)の二元状態が続いている。一方日本の権力者は欧州君主と異なり「庶民の前に姿を見せない」事を権威付けの材料に用いたので、ファッションリーダーの座は(歌舞伎役者といった)在野の芸人や(男伊達といった)遊び人などの手に渡る事になる。

しかしルイ14世の時代は同時に侵略戦争の時代でもあり、決して財政的に恵まれた状態が続いた訳ではありませんでした。それで実際には以下の様な暗黒面も抱えていたのです。

澁澤龍彦「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校(1785年)後書き(1976年)」より

「ルイ十四世の統治下で続ける事を余儀なくされた数々の大戦争は、国家の財政と国民の資力を著しく疲弊せしめはしたものの、同時に浮世の災害に乗じて一儲けを企む蛭の様な人々の私服を肥やしめもしたのだった。こうした連中は有事を鎮めようとするどころか逆にこれを煽り立て、そこから多大の利益を貪るのである。おかげでこの偉大なる治世の後半になると、おそらくフランス王政の各時代を通じて密かに最も金持ちが富み栄え、裏側でこっそりと奢侈放埒を楽しんだ時代となった。そして治世の末期に入ると摂政が司法庁と呼ばれるあの有名な裁判所が大勢の収税請負人から不正所得を吐き出させる様になる。平民階級のみがこの汚れ仕事に当たっていたと考えるのは大間違いで、その先頭には多数の訴訟を抱えた大貴族達の姿も見受けられたのだった(マルキド・サド「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校(1785年)」冒頭)」

この奇怪なるサド侯爵の処女長編はルイ14世治世下末期、殺人と汚職で莫大な財産を築き上げた四人のリベルタンシュヴァルツヴァルト(黒い森)の人里離れた城館シリング城において彼らの絶対権力に隷属した42人の男女とともに11月1日から2月28日まで120日間ぶっ通しの大饗宴を催すという構成になっている。

  • ブランジ公爵…貴族の身ながら収税権を購入して荒稼ぎしてきた大悪党。精力絶倫で巨根。
    ブランジ公爵語録
  • 公爵の兄弟である司教…懺悔を通じて信徒のプライバシーに触れられる特権を悪用して荒稼ぎしてきた悪党。善良無垢な人間を破滅に追い込むのを無上の喜びとする。
  • キュルヴァルの法院長…判決を下す立場を悪用し、賄賂で蓄財。とてつもなく不潔で、人を自分と同じ状態に陥れるのを好む。
  • 財務官デュルセ…不正所得獲得一筋に生きてきた収税請負人。男色行為の女役で公爵の巨根好き。

第一部から展開する物語の筋は「語り手」と呼ばれる経験豊かな四人の女衒達が120日間、次々とおのおの150合計600の情事に関する経験談を語り、その合間に話を聞いて昂奮した城館の主人達が物語を実行によって再現するという仕組みになっている。乱痴気騒ぎは終了予定日の2月28日を過ぎてもさらに20日間延長して続けられ、嬲りものにされた43人のうち30人までもが惨たらしい拷問によって絶命する。そして物語の大団円には奇妙な計算表が掲げられる。

 3月1日以前に虐殺された者…10人
 3月1日以後に虐殺された者…20人
 生きながらえて帰還した者……16人
 合計………………………………46人

この全体像は明らかにボッカチオの「デカメロン(十日物語1348~1353年)」あるいはナヴァル女王マルグリットの「エプタメロン(七日物語1542年~1549年)」からきている。作品は大部の序章(翻訳にして180枚)と日付を明記した日録形式の四部に別れ、11月が「単純な性欲」、12月が「複雑な性欲」、1月が「罪の情欲」、2月が「危険な情欲」と銘打たれている。物語が肉付けされ展開するのは序章と第一部のみで、他の三部は細分され番号を付された草案、ある種のプラン策定だけで終わっている。時間の不足あるいは紙の不足が原因であろうか。しかしその為にかえってこの作品は「クラフト・エイビングおよびフロイトの登場以前に系統的に観察され分類された性倒錯現象の集大成」「科学者の目でとらえた性病理学試論」という側面を帯びる事になったのである。

また当時は同時に「赤(軍服)と黒(聖職者の制服)の時代」でもありました。継ぐべき所領のない貴族の次男坊以下は常備軍の将校になって従軍したり、聖職者となってガリカニスム(Gallicanisme、フランス独立主義)を否定するイエズス会などの教皇至上主義克服に貢献する形でしか立身出世が目指せなくなっていきます。
ガリカニスム

その一方では「政略結婚に使われず、若い身空で修道院に押し込められた大貴族の独身女性と、若い将校や聖職者がイタリアに駆け落ちするファンタジー」が大流行。また同時代には「ガランの千夜一夜物語翻訳(1704年〜1717年)」などもあってエキゾチック趣味が流行。これらが一括して「フランス近世文学」を構成する展開に。
*まぁ割とアベ・プレヴォー「マノン・レスコー(Manon Lescaut、1731年刊)」、すなわち自伝的小説集「ある貴族の回想と冒険7巻(Mémoires et Aventures d'un homme de qualité qui s'est retiré du monde )」の第7巻「騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語(Histoire du chevalier Des Grieux et de Manon Lescaut )」最強。

ところが18世紀に入ると「帯剣貴族から所領管理を丸投げされて蓄財する管財人」とか「農場や商業や工業の実務を掌握した経営者」といった新興ブルジョワ階層が台頭。

英国の場合、こうした層は土地購入によってジェントリー階層の仲間入りを果たせたのですが、フランス宮廷は逆に次第に「国王のお気に入り」 しか出入りを許されない閉鎖空間へと変貌していきました。こうして階級的矛盾が噴出してフランス革命が不可避のものとなったのです。
*皮肉にも、なまじ「外交革命(独Umkehrung der Allianzen, 英Diplomatic Revolution、1756年)」やフランス国王と教会の妥協が成立したせいで「赤と黒のシステム」が機能麻痺を起こした事も体制瓦解の要因の一つに数えられる事がある。

その結果として荒れ狂った徹底的破壊から「(王侯貴族や高級聖職者といったランティエ(rentier=不労所得階層)を否定し)生産従事者のみを肯定する」サン=シモン主義が生まれます。歴史のこの時点ではまだまだ「臣民意識」が強く残っていますが、国王はもはや絶対君主として振る舞う事は許されません。「公平な裁定者」として振る舞うのに失敗すると、たちまち放逐されてしまう不安定さを抱えていたのでした。
*徹底的破壊…フランスにおける産業革命開始を半世紀は遅らせたという。

フランス近代文学」には(それが没落貴族階層同様、しばしば自らの出自階層でありながら)こうして台頭した「王権や皇帝権力と癒着しながらフランスに産業革命を根付かせたサン=シモン主義」や「その結果としてて現れた新興ブルジョワジー、すなわち「権力に到達したブルジョワジー(bougeoisie au pouvoir)」あるいは「二百家」と呼ばれる人々」と対立する姿勢を打ち出す事で成立した側面があります。公平な裁定者」としてすら、国王や皇帝を拒絶する立場。

両者をつないだのがバルザックの「人間喜劇(La Comédie humaine、1942年〜1950年)」だったとも。「ラスティニャックのジレンマ」の裏側で暗躍する「大悪党」ヴォートラン、そして「大悪党の親玉」たるルイ・ナポレオン(皇帝ナポレオン三世)の台頭…まぁ(当時フランスで流行していた)ロシア文学では確実に悪役視されるタイプ。

それでも第二帝政時代(1852年〜1870年)のフランスが曲がりなりにも安定を見たのはジャコバン派の恐怖政治を支持してフランス革命期を暴走に追い込んだサン=キュロット(日雇い小作層)が、次のナポレオン戦争時代にかけて兵士主要供給階層となり、恩寵などを受けて自作農化し、世界初の男子普通選挙(1848年)でルイ・ナポレオン候補を強力に支持したから。要するに新たな臣民階層が育っていたのですね。ただし当時はまだまだ王党派も強く、その干渉を振り切る為に帝政への移行を余儀なくされます。

フランス人が完全に「臣民意識」から脱却し共和主義が不可逆的な形で根付いたのはベル・エポック期(Belle Époque=良き時代、1890年代〜第一次世界大戦が始まった1914年)とされています。普仏戦争(1870年〜1871年)からその期間にかけては「ビスマルク包囲網による政治的孤立を背景に)政府が植民地拡大によって威信を保とうとした」時代に該当。こうしたややこしい謀略合戦もまた第一次世界大戦勃発の遠因の一つとなっていきます。

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余談ながら当時のフランスは「赤(軍服)と黒(聖職者の制服)の時代」が「赤(軍部や国際資本家を母体とする植民地拡大主義)とアカ(急進派共和主義者の後継枠としての社会主義)の時代」にスライドしたとはいえ、両者とも対独報復感情を共有していてクレマンソーの様に急進派社会主義保守主義の間を往復した人物もいます。両者は思うより人脈的に分裂してる訳でもないのですね。ただ単に「政治力学としての党派性」あるのみ。
*「ただ単に政治力学としての党派性あるのみ」…こうした考え方はおそらくカール・シュミットの政治哲学につながっていく。
ジョルジュ・クレマンソー - Wikipedia

  • 日本でも戦前を反省するにあたって実際の経験者は、決っして「ファシズム化や軍国主義化さえ食い止められていたなら以降の戦争もなかった」なんて甘えた言い方はせず「時局上ファシズム化や軍国主義化は不可避だったが、功利主義も利己主義も命あっての物種。どうして、その限度を超えた?」みたいな言い方をする。クレマンソーなどの当時のフランスの政治家の言動を見ても大差ない。
  • 一方「新ロマン主義文学」の創設者として名高いフランス文学ロマン・ロラン(Romain Rolland, 1866年〜1944年)。今日の日本においては「平和主義者」として知られているものの、第一次世界大戦当時はスイスに逃げて安全圏から独仏停戦を呼び掛け「戦争忌避者」と罵られ、戦間期にはナチズムやファシズムとの徹底抗戦を呼び掛けて「血に飢えた好戦主義者」のレッテルを貼られ、フランス本国での評判は今日なおあまり高くない。

    *ちなみに共産主義ソ連に対する態度は「独ソ不可侵条約(1939年8月23日)締結まで熱狂的支持(以後没交渉)」というもの。アメリカ共産党の態度と重なる。

この間に「臣民意識」から「国民意識」への転換があった筈なのですが、どうもそのプロセスが不明瞭。おそらくフランス人自身もよく分かっておらず、それでユーロ・ディズニーが進出してくるとインテリ層が訳のわからない切れ方をしたり「本物のフランス文化の実力を見せつけてやる」と断言して国策的に「泥棒紳士ルパン」や「美女と野獣」のリニューアルに乗り出すも海外から黙殺されたりしています。

各国の国民性から見たディズニーランド

ヨーロッパとディズニーの間には密接な関係がある。ディズニー社が作ったアニメーション映画にはヨーロッパ人の作家が原作を書いたものが多い。白雪姫・シンデレラ・ピーターパン・ピノキオ・3匹の子ぶた・眠れる森の美女・バンビ・不思議の国のアリスなどがそうである。そのヨーロッパの国であるフランスでもディズニー映画が公開され、テレビで放映されている。そのため、フランスの子供たちはとてもディズニー映画に親しんでいる。上記の童話の原作者をウォルト・ディズニーだと思っている子供がいるくらいである。

フランスという国は自国の文化・言語に絶対の自信を持っており、他国の文化をなかなか受け入れない。それはディズニー作品に対しても同じであった。フランスの知識人達はディズニー作品を酷評した。しかし、大衆はすばやくディズニー作品に馴染んだ。とあるフランス大統領も公務上の立場ではディズニーを酷評したが、アメリカを訪問した際にディズニーランドをとても気に入り、個人的には大のディズニーファンであった。このようにフランスという国は表面上はディズニー嫌いであるが、個人をみるとそうではないことがわかる

映画「ルパン」ツッコミ鑑賞記
ルパン

アルセーヌ・ルパンの映像化に納得のいかない人が出てくるのは仕方がない。なにしろ第一次世界大戦をまたいで「金持ちから盗む義賊というだけで大衆読者から拍手喝采を浴びた戦前期」「読者を喜ばせる為、国際謀略に絡む愛国的冒険者に変貌した戦中期」「むしろ謎解きメインの名探偵に変貌した戦後期」と変遷している。この映画は戦前期を統合の中心に選び「ベルエポックの栄衰」とルパンの生涯を重ねる構成とした為に観客を選ぶ内容になってしまったとも。ベル・エポック物としては別にマルセル・プルースト失われた時を求めて(À la recherche du temps perdu、1913年〜1927年)」なんて傑作もある辺りもつらい。

特集「ダンディズム」 アラン・ドロン スワンの恋 (1983年 文芸映画) | 女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

*何しろディズニー版の完成度が高過ぎて…(以下略)

 そもそも18世紀においては「臣民意識」を欧州じゅうに広げた震源地となった訳ですが、放棄も先陣を切り、むしろ本国には何も残らなかったとも…

さて、私達はどちらに向けて漂流してるのでしょうか…