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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【フランス大統領選】【ベネディクト・アンダーソン】「伝統的共同体の再建欲求」と「国家」と「文化」

私のフランス史の理解の仕方は随分とヒネくれてるかもしれません。

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  • 中世まで地域ごとに文化的にバラバラの状態だった領主と領民達を「臣民」として一元管理下に置く為、フランスにおいては「建前上」強烈な中央集権体制として見える絶対王政が成立した。
    *「オスマン帝国起源説」「中華王朝起源説」「アケメネス朝ペルシャの統治理念がヘレニズム文学を通じて流入した説」など様々だが、要するに「公地公民」。ここでいう「民」は平等に権利を認められている訳ではなく「王命のみによって」それぞれの範囲で自由を甘受しているという考え方。

  • 建前上」というのは、概ねその実態は「直接対話が不可能な諸勢力間のバランスが王の仲裁によってかろうじて保たれている状態」を指すからである。建前通り本当に王の一人勝ち状態」が現出したら、不満をぶつける相手が国王しかいなくなってしまい、あっけなく滅ぶ。かくしてフランス革命は起こるべくして起こったのであった。
    オスマン帝国も中華王朝もアケメネス朝ペルシャも力関係が恐ろしいまでに入り組んだ多民族国家だったから「本当に全領民の臣民化に成功する」ケースなんて想定だにする必要はなかった。ハプスブルグ君主国や帝政ロシアも事情は同じ。それでは「臣民化に成功したフランス人」はあっけなく王軒の支配下から脱したかというとそうでもない。「皇帝ナポレオン執権期」「ブルボン朝復興期」「ブルボン朝からオルレアン朝への王統交代」「皇帝ナポレオン三世執権期」を経て19世紀後半になってやっと「共和制でもいいや」という諦観に辿り着いたのである。

  • しかもそれは「市民平等社会」どころか「権力に到達したブルジョワジー(bougeoisie au pouvoir)」あるいは「二百家」と呼ばれる政治的経済的エリート階層による寡占支配体制に過ぎなかったのであった。
    *とどのつまりフランスにおいて「市民意識」なるもの終始「臣民意識と表裏一体の関係にあるfreedom(奉仕の代償として勝ち取られた放置権)」としてしか存在してこなかったというべきかもしれない。ただ、それでもとにかく「王権」なんて「(「フランス人」概念が成立した以上)現れた途端にヘイトを集めて倒されてしまうだけの存在となった憎まれ役」とは縁を切ったのである。フランス人としては偉大なる一歩前進だった事に違いはないのである。

そもそも「右翼(王党派・教皇至上主義者)」と「左翼(共和派)」の概念の起源はフランス。そのフランスにおいては最近「極右(民族主義者)」と「極左(急進左派)」の境界線が曖昧となり、「現状維持派(穏健中道派=修正主義者連合)」と「現状懐疑派(思想の左右を問わず現政体打倒を叫ぶ革命主義者連合)」の対峙構造こそが現状を表す最適な表現と目されてる模様。もしかして今でも「左翼VS右翼」みたいな図式に執着し続けてる日本の政治観は「周回遅れ」になりつつある?
*そもそも最近話題になってるフランス大統領選挙についても国際的には「中道右派たるルペン(娘)候補は、それなりに頑張っちゃいるが、このままでは中道左派たるフィヨン候補やマクロン候補に及ばない?」みたいな認識。「ルペン候補が勝つ様なら世界の人道主義が滅ぶ!!」みたいな感じで激昂してるのって、もしかしたら日本のマスコミくらい? まぁルペン(娘)が「ただの極右だった」ルペン(父)のネガティブな面影を引き摺って戦ってるのもそれはそれで事実なのだが。

 ところで、これまでの投稿でぽんぽん「ナショナリズム」という言葉を用いてきましたが、そろそろ定義を厳密化する必要がありそうです。

ナショナリズム(National) - Wikipedia

その一義的な定義は困難であるが、アーネスト・ゲルナーは「政治的な単位と文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動」と定義した。この定義は完全ではないが議論の出発点としてある程度のコンセンサスを得ている。

  • スタンフォード哲学百科事典は「ナショナリズムとの用語は通常は2つの事象を記述するために使用されている。(1)ネイションの構成員が、彼らのナショナル・アイデンティティを気にかけている際の様子 (2)ネイションの構成員が、自己決定の達成または持続を求めている行動」と定義した。

  • 丸山眞男は「ナショナリズムとは、ネーションの統一、独立、発展を志向し、推し進めるイデオロギーおよび運動」と定義した。

  • なお「民族主義」や「国家主義」等、対応する日本語訳については、その性質上、海外研究者の研究において言及されることはまずない。

その起源をめぐっては、大きく二つの見解が挙げられる。ひとつは、ナショナリズムは近代に生じた現象であり、その「起源」を近代以前にさかのぼって求めることはできないとする考え方(近代主義)。もうひとつは、近代のナショナリズムを成立させるための「起源」が古代より継承されているとする考え方(原初主義)。

  • ゲルナー、アンダーソンらは前者の代表的な学者として知られる。前者は前近代においては階級・職業・言語・地理的要因などにより「国民」は分断されており、包括的な共属感情は存在していなかったことを指摘している。

  • それに対して後者はガイウス・ユリウス・カエサルに対し団結し抵抗したガリア人など、ナショナリズムに類似した現象が存在したと主張した。

  • 両者の主張を統合し、新たな包括的な視座を提示したのがスミスである。スミスはエスニックな共同体である「エトニ」という概念を導入し、近代のネイションと近代以前でも存在したエトニを区別するとともにその連続性を説いた。この連続性にかんするスミスの主張は、一面において「ネイションは完全に近代の発明である」というゲルナー、アンダーソン、ホブズボームらの見解に反している。しかし同時にスミスは、過去に存在したエトニが現在まで間断なく存在し続けたとは限らず、またエトニとネイションの水平的な広がりも一致しないとして原初主義をも否定している。

しばしばナショナリズムパトリオティズム愛国心、郷土愛)と混同されるが、社会共同体としての「郷土(パトリア)」への愛情であるパトリオティズムという言葉を、近代になって登場したナショナリズムと峻別する意見もある。

  • 「郷土」という言葉を「生まれ育った土地の自然風土」と捉える意味において、「郷土の自然風土」に限定して向けられる愛着は通常、パトリオティズム愛国心)とは呼ばれない。

  • 現在ではネイション(政府の下で共通の文化・言語などを有する国民から成る国家)がパトリオティズムの対象となる場合が多いが、これはむしろゲルナー、スミス、アンダーソンらが指摘するように、ゲマインシャフト(地縁・血縁社会)的共同体がゲゼルシャフト(利益社会)であるネイションへと再編成されていったのと軌を一にして、各地域ごとに無数に存在した帰属対象としてのパトリアを、ナショナリズムが文化的同化作用によって、ネイションへと帰属対象を集約していった結果として理解される。

  • こういったネイションの近代性は、国家主義の立場からしばしば忘れられたり無視されたりしがちであるが、ネイションとナショナリズムの近代性と作為性については、均質なネイションは近代における社会と産業の必要性から生まれたという点で、学問的にはほぼ決着を見ているのである。

  • またゲルナーとスミスの近代性についての師弟対決は、ネイションが全くの無から発明されたのか、それとも前近代から何らかの遺産を相続しているのか、という点をめぐって行われたのであり、古代・中世においてネイションが存在したのかについての論争ではない。

  • 結局のところ「身分の差が歴然としており越境が困難な社会において、あらゆる社会階層を横断する共属感情を形成することは、不可能ではなくともきわめて困難であり、たとえそのような感情が一部で形成されたとしても、それを後世引かれる国境線の内側すべてを覆うほどの広がりを持たせる手段を近代以前の社会は欠いていた」という線引きに戻ってくる。

ただしその事は、必ずしもゲルナーやボブズボームの言うように、ネイションとナショナリズムが近代に無から生み出されたことを意味するわけではない。

  • スミスは、近代以前に存在した歴史や神話を核にしてネイションは生まれたのだとする。

  • そして近代以前の身分を横断しなかったり、地理的広がりを持たず、ネイションのような政治単位となりえなかった共同体を「エトニ」と呼び、あるエトニが周辺のエトニを糾合し、自らを基準に同化していった結果成立したのが「ネイション」であるとした。

このスミスの理解は、いかに小規模なゲマインシャフト的集団が広範で雑多なゲゼルシャフトに変じたかという点でアンダーソンと相互に補完しあっており、現在のナショナリズム論の基本的な考えとなっている。

この中では丸山眞男の「ナショナリズムとは、ネーションの統一、独立、発展を志向し、推し進めるイデオロギーおよび運動」なる定義が私の用例に一番近そうです。特にそれが必ずしも「政治的な内容」である必要はないと認めている点において。
*国際SNS上で、とあるメキシコ系アカウントが「(メキシコ人の民族的統合の象徴たる)グアダルーペの聖母(スペイン語Nuestra Señora de Guadalupe、英語Our Lady of Guadalupe)は、事あるごとに様々な形で政治利用され続けきたけど、初音ミクが二次創作でどんなに汚されてもその本質が清浄であり続けてる様に、そんな程度じゃメキシコ人の基本的価値観は揺らがない」みたいな演説をしてた。「そういう考え方もあるのか」と感心した。そもそも英語での投稿だったし「メキシコ系にとってNationって何?」という話でもある。

https://sergioquinones.files.wordpress.com/2015/11/hidalgo.jpg?w=640

アンダーソンの『想像の共同体』

1983年に発表されたベネディクト=アンダーソンの『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(日本語訳は87年に刊。ソ連崩壊後に新たな論考を加えて増補版が刊行され、さらに2009年に『定本想像の共同体』日本語版が刊行されている)は、現代のナショナリズム論に大きな影響を与えた。その論旨は、「序文」でわかりやすく著者自身が解説しているので論旨をたどってみよう。

アンダーソンは「国民」(nation)の概念を明らかにする際にナショナリズム論者をいらだたせる三つのパラソックスをあげている。

  • 第一には平均的な歴史家から見れば、国民の存在というものは近代国家が生み出した当然の現象の帰結と見えるのに、ナショナリストの目には国民がひどく古いものと見えるらしいこと

  • 第二には社会文化的概念としてのナショナリティ(国民的帰属)が形式的普遍性を持つのに対し、どの国民も自分たちは他の国民とは異なる国民性(民族性)や文化性をもつというふうに確信すること。

  • 第三にそれほどの国民にとっては当然ナショナリズムは大きな意味をもっていそうなのに、ナショナリズムをめぐる理論や研究はどの国でも、ひどく貧困で支離滅裂であるということ(ナショナリズムは、他のイズムとは違って、いかなる大思想も生み出していない)こと。

このような問題が起きるのは、我々が無意識のうちに大文字のNで始まるナショナリズムの存在を実体化して、それをイデオロギーのひとつとして分類しようとするからである。

しかし、「国民(ネーション)と国民主義ナショナリズム)は「自由主義」や「ファシズム」と同類に扱うより、「親族」や「宗教」の同類の人類学的精神によって停止した方がよい。

そのような観点からは「国民とはイメージとして心に描かれた“想像の政治共同体(imagined political communities)”である――そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なものとして想像される」と定義される。

「国民は想像されたもの(イメージとして心に描かれたもの)である」とはどのようなことか、という説明には、ルナンの「国民の本質とは、すべての個々の国民が多くのことを共有しており、そしてまた、多くのことをおたがいすっかり忘れてしまっているということにある」という文を引用している。また「国民」は、限定的なもの、主権的なものとして想像されるが、最後に「一つの共同体」として想像される。

(引用)なぜなら、国民のなかにたとえ現実には不平等と搾取があるにせよ、国民は、常に、水平的な深い同志愛として心に思い描かれるからである。そして結局のところ、この同胞愛の故に、過去二世紀にわたり、数千、数百万の人びとが、かくも限られた想像力の産物のために、殺し合い、あるいはむしろみずからすすんで死んでいったのである。<ベネディクト=アンダーソン/白石隆・さや訳『定本想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』2006 書籍工房早山 p.26>

このようにアンダーソンの問題意識は、なぜ「近年の萎びた想像力」に過ぎないナショナリズムが、このような途方もない犠牲を生み出すのか、という点であり、手がかりとしてナショナリズムの文化的根源を究明しようとしたのがこの論考である。

821夜『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソン|松岡正剛の千夜千冊

アンダーソンは別の書物の『言葉と権力』のなかで、自分のことを、「中国で生まれ、3つの国(中国・イギリス・アメリカ)で育てられ、時代遅れの発音で英語を話し、アイルランドのパスポートをもち、アメリカに住み、東南アジアを研究する」と自己紹介している。

そこには、1965年におこった9月30日事件のときにスハルトを批判して、自身の研究フィールドであるインドネシアを追放された自分の姿が戯画化されている。「想像の共同体」仮説を取り扱うにはこのようなアンダーソンの履歴も多少考慮に入れたほうがいい。

もうひとつ考慮しておくべきは、アンダーソンはナショナリズムだけではなく、すべての共同体の本質は「想像の共同体」の性質をもっているとも見たということである。

たとえば古代ならば、ユダヤ教のハッシーディズム、原始仏教教団、クムラン共同体、ウンマイスラムイスラム共同体)など、もっと大きなところではブルボン王朝やハプスブルグ家やワイマール共和国など、わかりやすくいえば宗教共同体や政治共同体のほとんどの例が、同じく「想像の共同体」から出発したのではないかと言うのだ。

こうした「想像の共同体」の特質は、過去と現在と未来をひとつの均質な時間で貫こうとしていることにある。この、仏教用語でいうなら“三世実有”ともいうべき一貫時間については、かつてウォルター・ベンヤミンが「メシア的時間」とか「均質で空虚な時間」という説明を試みたものだった。

アンダーソンもこの見方に依拠して、近代国家の確立を迎えても人々がなお「メシア的な時間」を国家や国民のなかにほしがったものが、まわりまわってナショナリズムとよばれるものになったのではないかと考えたのである。

ナショナリズムの文化的根源

アンダーソンは「国民」が想像される以前の人びとの精神を支配していた基本的文化概念として以下を挙げる。

普遍史 - Wikipedia

  • 第一に特定の手写本語だけが存在論的真理に近づく特権的な手段を提供している、キリスト教世界やイスラム共同体などの大陸横断的信徒団体の存在。

  • 第二に社会が、宇宙論的摂理によって支配する王を中心に自然に組織されているという信仰。

  • 第三に宇宙論と歴史を不可分で本質的に同一であるという時間観念。

これらの相互に連結した確実性は、経済的変化、「諸発見」、コミュニケーションの発展の衝撃の下、ゆっくりと減衰していった。

そして同胞愛、権力、時間を新しく意味あるかたちでつなげようとする新たな模索を促進し、実りあるものにしたのが「出版資本主義」(プリント・キャピタリズム)であった。
*確かに16世紀におけるイタリア・ルネサンス晩期の出版業界を牛耳ったヴェネツィアの派遣をオランダ経由で継承したのはパリやリヨンだった。ただその事とフランス絶対王政台頭の因果関係を証明するのは難しい。

アンダーソンはこの「商品としての出版物の発展が、まったく新しい同時性の観念を生み出す鍵」であったと見る。<同書 p.62-63,76>

(引用)人間の言語的多様性の宿命性、ここに資本主義と印刷技術が収斂することにより、新しい形の想像の共同体の可能性が創出された。これが、その基本的形態において、近代国民登場の舞台を準備した。<ベネディクト=アンダーソン 前掲書 p.86>

821夜『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソン|松岡正剛の千夜千冊

(興味深いのは)近代国家のなかでナショナリズムが形をもってくるにあたっては、たいていプリント・キャピタリズム(出版資本主義)が関与していたのではないかという指摘である。

このプリント・キャピタリズムは、そのほとんどがやがて国語化し、国民語化していく世俗語を重視し、その誰にもわかる言語の流出のなかに「国家の宿命」や「国民の将来」を説くことによって、その国のナショナリズムを喚起していったというのだ。

これは、日本において内閣が生まれ国会が開設され、大日本帝国憲法が欽定された明治20年代以降、徳富蘇峰の『国民之友』、三宅雪嶺志賀重昂の『日本人』、陸羯南の『日本』などが次々に登場したのを見ても、なるほど、アンダーソンのいうプリント・キャピタリズムがナショナリスティックな符牒をもっていたことと重なるだろうことが確認できる。なかなかおもしろい指摘だった。

けれども、これらをすべてプリント・キャピタリズムとの同期性として十把ひとからげにするのはどうか。ちょっと無理がある。それらの動向には、とうてい資本主義や資本主義市場に結びつけないほどの貧しさや無政府性や発禁性が伴っていたからだ。

トンチャイ・ウィニッチャクン『地図がつくったタイ:国民国家誕生の歴史』石井米雄訳、明石書店、p.43、2003年。

「言語は、国民なるものを想像するための主たる技術として、さまざまな仕方でひとつの国 民を紬出(ちゅうしゅつ)する。話し言葉、書き言葉、印刷出版、宮廷言語、教育などといった国家機構、あるいは植民地支配下における統一言語などがそれに あたる。手短にいえば、言語はある一群のひとびとが、自身の属する共同体をそれ以前にはなかったような時間的・空間的枠組みで規定することを可能にする。 国民という観念(nationhood)は、どのような所与のアイデンティティも本質もないようなところの、想像の領域の存在、ひとつの文化的構成物なの である」

ラテンアメリカ諸国の独立

今日ほとんどすべての近代的国民国家は「国民的出版語」を有しているとはいえ、しかしその言語はラテンアメリカ諸国やアングロサクソン語諸国のように言語を共有している場合と、アフリカ諸国のような旧植民地国家は国民のごく一部だけが国民語を使用している場合とがある。

以下、各論に入っていくが、まずアンダーソンはヨーロッパの本国と言語を共有しているにもかかわらず、「1776年から1838年にかけて西半球に起こった一群の新しい政治的実体、(ブラジルを例外として)みずからを国民として、自覚的に共和国と定義した諸国に注目する。

公定ナショナリズム

19世紀後半以降、ヨーロッパでは資本主義の産物として、共通の言語を使用する集団による国民主義運動が昂揚し、君主に対して文化的な、そしてそれ故に政治的な難問をつきつけるようになった。

それに対して君主たちは、民衆的国民運動の後に、それへの応戦として「公定ナショナリズム」(シートンワトソンが用いた概念)――国民と王朝帝国の意図的合同――を、貸衣裳によって国民的装いをした帝国を魅力的に見せるための手品を工夫する必要があった。その典型例がロシア帝国であり、非ヨーロッパ世界では日本とシャムの土着の支配集団によって採用され、模倣された。

(引用)つまり、「公定ナショナリズム」は、共同体が国民的に想像されるようになるにしたがって、その周辺においやられか、そこから排除されるかの脅威に直面した支配集団が、予防措置として採用する戦略なのだ。<ベネディクト=アンダーソン 前掲書 p.165>

最後の波

主としてアジア、アフリカの植民地に押し寄せたナショナリズムの「最後の波」は、産業資本主義の偉業によってはじめて可能になった新しい型の地球的帝国主義への反応として発生したものであった。

資本主義はまた、印刷出版の普及その他によって、ヨーロッパにおいては俗語にもとづく民衆的ナショナリズムの創造を助け、そしてこうした民衆的ナショナリズムは、その程度はさまざまであれ、伝来の王朝原理を掘り崩し、可能なかぎり王朝を国民へと帰化するように駆りたててもいった。

ついで公定ナショナリズム――新しい国民的原理と古い王朝原理の溶接――は、便宜上「ロシア化」とも呼びうるものを、ヨーロッパ外の植民地にもたらした。

しかも国家は、資本主義と縦列になって、本国と植民地の両方において、その機能を増殖させていった。

これらの諸力が一緒になって、国家と法人の官僚機構が要請する下級幹部の要請を一つの目的として「ロシア化」学校制度が生み出された。中央集権化され標準化されたこれらの学校制度はまったく新しい巡礼の旅を創出し、この巡礼のローマとなったのは、典型的には、各植民地の首都であった。

アンダーソン『想像の共同体』(ナショナリズムの発生と歴史的展開の要約): トビウオ読書日記

アンダーソンはナショナリズム歴史的変化を四段階(「四つの波」)に分けて記述します。

①その「第一の波(クレオールナショナリズム)」は南北アメリカ大陸を舞台として発生します。南北アメリカ大陸の諸国家の独立の要因としては、自由主義啓蒙主義の到来や経済的利害などが一般的には挙げられますが、アンダーソンはそれらを否定します。彼が挙げる要因は二つ。

  • 一つ目は、クレオール役人による世俗的「巡礼の旅」です。「巡礼」の重要な点は「このせまくかぎられた巡礼の旅において、彼は旅の同伴者と巡り合い、かれらはその共同性が、その巡礼の旅の特定の広がりにもとづくばかりではなく、大西洋のこちら側で生まれてしまったという共通の運命にもとづくものであることを悟るようになった」(アンダーソン1997:102-103)という点です。彼らはこの旅の中で「相互連結の意識」を育みます。

  • 二つ目は、地方のクレオール印刷業者を中心とした出版資本主義の到来です。一六九一年から一八二〇年にかけて、二一二〇もの新聞が発行されました。この新聞の発達により、国民の想像の共同体にとって重要な「時間軸に沿った着実で揺るぎない同時性の観念」が想像されるようになっていきます。

②「第二の波(俗語ナショナリズム)」の舞台は欧州です。このナショナリズムは、①人文主義者の[古典]発掘と、②ヨーロッパの全地球的拡大にその淵源があります。この二つの要因により、「均質で空虚な時間」と“「私有財産的言語」と結合した国民”という観念が生まれました。また、こうした観念はブルジョワジーと知識人をその苗床として広まっていきました。第二の波の特徴として挙げられるのは、①「国民的出版語」が政治的に中心的な役割を持ったこと、②フランス革命以後、意識的に達成すべき「モデル」が形成されたこと、の二点です。こうして後のナショナリストたちが「海賊版」を作成するための「モデル」が形成されたのでした。

③第三の舞台は欧州とアジアです。アンダーソンはこれを「公定ナショナリズム」と呼びます。フランス革命以降にヨーロッパ各地で興隆した民衆ナショナリズムは、(さまざまな民族や言語が、支配層・被支配層共々に入り乱れている)王朝帝国と(「民族と言語の同一性」を理念とする)国民の矛盾を必然的に引き起こしました。こうした運動の後に、それへの応戦として発展した運動、それが公定ナショナリズムです。公定ナショナリズムは、「共同体が国民的に想像されるにしたがって、その周辺においやられるか、そこから排除されるかの脅威に直面した支配集団が、予防措置として採用する戦略」(アンダーソン1997:165)として展開されました。具体的な政策としては、国家統制化の初等義務教育、国家の組織する宣伝活動、国史の編纂などですが、それらを通じて「王朝と国民が一体であること」が際限なく肯定されました。要するに強制的な「国民化」政策が行われたのです。公定ナショナリズムの事例としてアンダーソンが挙げるのは、ロシア、イギリス、日本、シャムとハンガリーなどです。これらの諸国家において、「本国への世俗的巡礼からの被支配地域出身役人の排除」が行われました。

ナショナリズムの「最後の波」は、産業資本主義によって可能となった新しい型の地球的帝国主義への反応として発生し、第二次大戦後の時代にはっきりと姿を現しました。アンダーソンはこれを「反植民地ナショナリズム」と呼びます。この時代に現れた新興国家の「国民建設」に大きな役割を果たしたのは、各地の二重言語のインテリゲンチアでした。彼らは、ヨーロッパの言語ナショナリズムからは強烈な人民主義を、公定ナショナリズムからは「ロシア化」政策志向を継承しました。こうして、いまでは「モジュール」となったナショナリズムの歴史的経験と、物理的・知的コミュニケーション技術の発達は、文盲の大衆から異なる言語を読む識字者大衆にいたるまでの「想像の共同体」を宣布することを可能にしたのです。

821夜『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソン|松岡正剛の千夜千冊

もうひとつ注目したのはアンダーソンが「クレオールナショナリズム」という動向に言及していたことである。

アンダーソンは本書のなかで南北アメリカの近代に関心を寄せている。その理由は、南北アメリカクレオール共同体では、英語ないしはスペイン語という共通言語がありながら、ヨーロッパのどの地域よりも早くに「国民」という観念を成り立たせていたからだった。

このクレオールナショナリズムは、その後に多くの地域に独立や革命をもたらす原動力ともなったもので、近代ヨーロッパや明治日本が世俗語や国語による「宿命と将来」の説明によって“アーリア主義”や“日本主義”というナショナリズムを標榜していったのに対して、あくまでクレオール共同体がつくりあげた特殊な言語によってナショナリズムを形成したという意味で、特筆に値するのである。

もっというのなら、こうしたクレオールナショナリズムこそはイギリスがインドで、フランスがインドシナで、日本が朝鮮半島でめざした植民地における「公定ナショナリズム」の強要に対して、これを肯んじえないで突破してしまう力をもった数少ないカウンター・ナショナリズムとも考えられるのであった。

しかしながら、クレオール言語クレオール文化がそれほど培養されなかった地域では、クレオールナショナリズムに代わる何かがあったのだろうか。それについてはアンダーソンは言及していない。われわれ自身が考えるべきことなのである。

 日本のネット上では「フランス革命起源の本物のナショナリズム帝政ロシア起源の偽ナショナリズム」みたいな図式化が多い様です。

フランス革命をルーツとする「ナショナリズム」は国内においては平等を求めるから、本来、天皇制などとは相容れない。が、それでは明治政府には都合が悪いので、日本やタイでは「公定ナショナリズム」というまがい物を捏造する。
*まぁ、まず女性が「人間」から排除された上での「平等」だった訳だけど。「男女平等理念の祖」コンドルセとか処刑しちゃってる訳だけど。貴族は人間じゃないから仕方ない?

もちろんここでいう「本物」って「最高存在の祭典(1974年)」の事で、まさかドラクロアが「民衆を導く自由の女神」に描いた7月革命(1830年)の事じゃないですよね? 吃驚するほど混同してる人が多いんですけど…

http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2010/02/france.jpghttps://www.be-en.co.jp/upload/save_image/M81-855.jpg

冒頭で掲げた立場上「それってどうかなぁ」とか思ってしまいます。ベネディクト=アンダーソン自身はフランス革命に対してすら厳しい見方をしてるので、突っ込みようがないんですが、その部分も知らず迂闊に「フランス革命は本物、大日本帝国は偽物」とか口にしてると大変な事に…

絶対王政と官僚制

「行政組織がどのようにして意味を創造するのか」。

かつての宗教は中心への巡礼によって外縁を決定したのだった。まったく関係のないマレー人とベルベル人は、ムスリムという共通点のともにメッカに集合するのである。

――創造の宗教共同体の現実性は、なににもまして、無数の、やむことのない旅に深く依存していた。

絶対主義王政下(中央集権国家)では、役人(新貴族)の同朋意識はこの政治形態によってつくられる。新貴族にとって、昇進人生は、その国内でのひとつの巡礼である。さらに絶対主義は独自の口語を採用することで、役人の流出を防いだ。

*まさしく中華王朝とオスマン帝国でやってた事。ただしそうした前近代官僚は近代化の波に対応出来なかった。

出版資本主義(print capitalism)の観点から見た「フランス革命

フランス革命には指導者らしい指導者がいなかった。だが、出版物が堆積していくことで、「つかまえどころのない事件の連鎖は、ひとつの「こと」になり、フランス革命というそれ自体の名称を得た……印刷ページの上でひとつの「概念」へと整形され、そしてやがてはひとつのモデルとなった」。

フランス革命の目標や原因を論じる者は多いが、なぜフランス革命フランス革命であるのかについては、誰も問わなかった。印刷によって整形された想像の現実が姿を現した。

 イギリスの公定ナショナリズム

英領生まれの、黄色イギリス人は、クレオールと同じ運命をたどった。マコーレー(イングランド史の)は現地人のイギリス化を推進したが、これは日本のモデルとなった。

辞書編纂と出版資本主義によって生まれた想像の共同体は、常にみずからを古いものとみなした。歴史が、大事件と大指導者による数珠つなぎの真珠ととらえられた時代。ウィリアム征服王ジョージⅠは英語を話せなかったにもかかわらず歴代の王のあいだに陳列されている。

それでは、冒頭に掲げた立場からこうした視野を含めて全体像を統括すると一体どうなってしまうんでしょうか?

http://portraittimeline.com/1700s_History_Paintings/c1792_September_3_Death-of-the-Princess-De-Lamballe_Marie_Louise_of_Savoy_during_September__Massacres_painted_in_1908_by_Leon-Maxime-Faivre.jpg

①(とりあえず建前上) 権力の頂点に国王のみを頂く体裁を取る様になった絶対王政段階を「臣民」誕生の起源と考える。「領主が領土や領民を全人格的に代表する農本主義的(権威主義的)体制」の入れ子構造によって分封状態にあった「中世」と異なり、絶対王政下の「臣民」には「ある種の共有概念」が生じる可能性が生じる。それを見定めるには、まず下記の様な個別的下位カテゴリーのフィルタリングが不可欠。
*この時には(存続を最優先課題とする)貴族の功利主義同様、先例主義に従おうという姿勢、可能な限り「自分もまた伝統主義に導かれているだけに過ぎない」と見せかけようとする欺瞞工作が見受けられるのが普通なので、その事へも留意が必要。

http://st.depositphotos.com/1733706/1330/i/950/depositphotos_13301695-stock-photo-louis-xv-birth.jpg

  • 個人単位では「臣民意識(Liberty=奉仕の代表に特権開放を求める心)」と「市民意識(Freedom=放置を求める心)」が表裏一体を為す構成となっている。
    *例えばビーダーマイヤー期(Biedermeier、1815年〜1848年)期のドイツ庶民の心には「軍人や官僚の指図には盲従する臣民意識」と「可能な限り個人的享楽を追求しようとする市民意識」が共存していた。ゲッベルスは両者が意識の奥で「個人的享楽の追求を目溢ししてもらえるのが奉仕の対価」といった関係を形成してるのを的確に見抜いていた。

  • そのうち「臣民意識」の欲求は(フランス人アイデンティティがイタリアやイギリスやドイツのそれとの対比に由来する様に)相対化から出発する事が多く、しかもそれ自体はとりわけ個性的でない事が多い。また権利には義務も付帯するので「ノブレス・オブリージュnoblesse oblige)」的な規範も生じる。
    *例えば「胡椒は貴族の香辛料l、生姜や辛子は庶民の香辛料」「レモンティは貴族の飲み物、ミルクティは庶民の飲み物」「ざる蕎麦は目上の食べ物、盛り蕎麦は目下の食べ物」みたいな垂直系の峻別(この感情からマイカーやマイホームを渇望してる人も結構いる?)。それから「関東風対関西風 」みたいな水平系の峻別。

  • 一方「市民意識」はその純粋性を保つ為に「例外」を排除しようとするが、行き過ぎると「究極の自由は先生の徹底によってのみ達成される」ジレンマに陥る。
    *そこで追求されているのはもはや「足る事を知るFreedom欲求」ではなく「限度を失ったLiberty」なのである。「欲望の追求の放置」自体は自由の証だが、「欲望充足そのものの目的化」は「欲望の奴隷」に他ならず、自ら自由を放棄するに等しい。

    *実際「純化」を追求するあまり「フランス絶対王政下の臣民意識」はユグノー教徒を、「ジャコバン独裁体制下の市民意識」はヴァンデやリヨンやトゥーロンといった王党派本拠地を「異物」として完全排斥せずにはいられなかった。こういう局面では判断に冗長性を持たせる工夫が不可欠。

    「計算癖(独Rechenhaftigkeit、英Calculating Spiritの)が全人格化した世界」だけが唯一の選択肢として残った世界においては人類全体が「採用したアルゴリズムが間違ってるリスク」と「重要なパラメーターを見逃してるリスク」を背負う。そしてリスク分散の為、あえて多様性を許容。こういう世界で暮らしていくには、おそらく以下の様な(多様性容認を補助してくれる)哲学のどれかの習得が必須となってくる。

    遠回りな様だが、こうして「欧米の個人主義」は樹立されてきたのである。 

ふとこの話を思い出しました。

七つの大罪(ラテン語: Septem peccata mortalia、英: Seven deadly sins) - Wikipedia

4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコス(Evagrius Ponticus)の著作に八つの「枢要罪」として現れたのが起源である。キリスト教の正典の聖書の中で七つの大罪について直接に言及されてはいない。八つの枢要罪は厳しさの順序によると以下である。

  • 「暴食」
  • 「色欲」
  • 「強欲」
  • 「憂鬱」
  • 「憤怒」
  • 「怠惰」
  • 「虚飾」
  • 「傲慢」

6世紀後半には、グレゴリウス1世により、八つから七つに改正され、順序も現在の順序に仕上げられる。その後「虚飾」は「傲慢」へ、「憂鬱」は「怠惰」へとそれぞれ一つの大罪となり、「嫉妬」が追加された。そして七つの大罪は以下となった。

  • 「暴食」
  • 「色欲」
  • 「強欲」
  • 「憤怒」
  • 「怠惰」
  • 「傲慢」
  • 「嫉妬」

13世紀のトマス・アクィナスも、その著作の中で、キリスト教徒の七つの枢要徳と対比する形で七つの「枢要罪」をあげている。

カトリック教会の七つの罪源

現代の『カトリック教会のカテキズム』では、「七つの罪源」について、ヨハネス・カッシアヌス(Johannes Cassianus)やグレゴリウス1世以来伝統的に罪の源とみなされてきたものとして言及されている。それは以下の七つである。

  • 「高慢(superbia/pride)」
  • 「物欲/貪欲(avaritia/avarice)」
  • 「ねたみ/嫉妬(invidia/envy)」
  • 「憤怒(ira/wrath)」
  • 「色欲/肉欲(luxuria/lust)」
  • 「貪食(gula/gluttony)」
  • 「怠惰(pigritia/acedia sloth/acedia)」

七つの掲載順は、『カトリック教会のカテキズム』のラテン語規範版と日本語版(2002年)で一部異なるが、ここではラテン語規範版および『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』日本語版(2010年)に書かれている順番による。また『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』日本語版(2010年)では訳語が異なるものがある。

大雑把に言って「強欲/物欲/貪欲」「色欲/肉欲」「暴食/貪食」「憤怒」が(「欲望の奴隷化」みたいな切り口から)freedom関連、「虚飾/高慢/傲慢」と「嫉妬」が(「分不相応の高望み」みたいな切り口から)Liberty関連ですかね。「憂鬱/怠惰」の分類は難しいですが、概ね以下のどちらかじゃないでしょうか。

  • 義を見てせざるは勇なきなり」という判断からすればfreedom関連。「憤怒」と表裏一体を為して「中庸の勧め」を形成する?
  • わかりやすい奉仕の対価を求め過ぎる(見返りがなさそうだと、平気で見て見ぬ振りをする)」みたいな観点からすればliberty関連。

米澤穂信原作アニメ「氷菓(2012年)」第6話「大罪を犯す」

千反田江留「傲慢なところがまったくない人というのは、自信がない人のことじゃありませんか。誰からも強欲と言われない人は、きっと家族を養うことも難しいでしょう。世界中の人が誰にも嫉妬しなければ、新しい技術が生まれるとは思えません」

http://24.media.tumblr.com/tumblr_m4qspxcF7g1rtr9j6o1_400.gif

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*言及されたのが「(Liberty系の)虚飾/高慢/傲慢」と「(「色欲/肉欲」「暴食/貪食」も兼ねたfreedom系の)強欲/物欲/貪欲」 と「(Liberty系の)嫉妬」で、物語中で重要な意味合いを持ってくるのが「憂鬱/怠惰」と「憤怒」の表裏一体の関係。海外では「大罪(Deeply sin)」を「死に到る罪(Deadly sin)」と呼び換えてる人もいました。なるほど「(家の存続を最優先課題と弁える本物の功利主義者(王侯貴族・高位聖職者)が避けるべき)致命傷になりかねない悪評の元」とも考えられる?

こうして洗練させていくと、そのまま(ジェントリー階層流ストア学の発展形としての)ジョンスチュワート・ミルの古典的自由主義につながっていきます。考えてみたら「大英帝国臣民の説いた個人の自由を最も尊重した市民論」。随分とややこしい設定の論説なんですね。

②それでは何が残るのか? ここでいう「ある種の共有概念」とは、上掲の様な個別的展開より上位レベルで(政治的実態がどれだけ伴ってるかと無関係に)言語(文学)や料理などの「統一運動」が盛り上がり、維持される事を指している。

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  • イタリア発祥の「俗語(現地語)文学運動」は各国に広がったし、フランス絶対王政は辞書編纂を通じて「共通語としてのフランス語」を生み出そうとした。さらにイタリアやフランスでは、テキスト・ベースで「郷土の食材と料理に関するノウハウの共有」が図られた。
    *日本も明治維新後真っ先に着手したのが「標準語の開発」だったし、「歴史資料に残された記述の積み上げ」によって伝統料理の歴史を明らかにしようとする志向性が強い。

  • ある時代やある地域での特別な感動の残滓」も、その歴史的特異性とセットで文化的同化対象に選ばれればナショナリズムとして成立し得るかもしれない。
    *たとえば「新大陸からの作物流入」とか「産業革命当時の流通革命蒸気機関車や汽船や冷蔵設備の導入による生鮮食品の全国的普及)」そのものは普遍的技術革新(イノベーション)に過ぎないが、それが各地にどんな料理を誕生させたかは千差万別。日本の場合さらに関東大震災がおでん普及につながり、敗戦からの復興がお好み焼きやクリームシチューを生み出してきた(同時期ドイツではカリーヴルスト、イタリアではカルボナーラが誕生している)。それから祇園祭リオのカーニバルの様な国民的祝祭も含む。こうカテゴライズしとかないと、メキシコの「グアダルーペの聖母」の受け皿が…

要するにここで試みようとしているのは「郷土(パトリア)」の概念の「土地縛り」からの開放。「文化(Culture)」はひとつのシステム体系ですが、 文化的同化の対象に選ばれて、それを支える原イメージの一つになってる様な何か。

文化(ラテン語: cultura)

いくつかの定義が存在するが、総じていうと「人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体」を指す。

  • 社会組織(年齢別グループ、地域社会、血縁組織などを含む)ごとに固有の文化があるとされ、組織の成員になるということは、その文化を身につける(身体化)ということでもある。

  • 人は同時に複数の組織に所属することが可能であり、異なる組織に共通する文化が存在することもある。
ラテン語 colere(耕す)から派生したドイツ語の Kultur や英語の culture は、本来「耕す」、「培養する」、「洗練したものにする」、「教化する」といった意味合いを持つ。
  • 18世紀後半、マシュー・アーノルドは「産業化を示す技術革新、生産性の向上、社会の官僚化といった人間の外部に相当するものとしての文明と対比される、人間の精神面での向上を示す言葉」と位置づけ議論を展開した。この定義では文化は教養と言い換えることもできるが、英語やフランス語は、日本語・中国語・ドイツ語とは異なり、「文化」と区別される「教養」という語を持っていないので、その間の区分が明示的でない。

  • イギリスの人類学者エドワード・タイラー (1871) は「広く民族学で使われる文化、あるいは文明の定義とは、知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣行、その他、人が社会の成員として獲得した能力や習慣を含むところの複合された総体のことである」と述べている。

  • レヴィ=ストロースによれば、言語は文化の条件であるという。つまり文化は、それが非言語的なものであっても言語的な性質を備えている象徴的な事象と定義するもので、構造主義文化人類学者によく使われる。

  • パーソンズは「ひとつの社会システムは、二つかそれ以上の諸社会の社会構造や成員や文化、あるいはそうした諸社会の構造、成員、文化のそのいずれかとかかわりあうことができる」として、一つの社会における多文化的な状況を記述可能にするために、社会システムと並立して正統性を担保するものとしての文化システムを定義づけた。

  • シンボリック相互作用論者、なかでもタモツ・シブタニは、ある特定の集団ないしは社会的世界において、人々に共有されているパースペクティブ(認識枠組)を指すものとして文化を扱い、同じく、一つの社会における多文化的な状況(文化の多元的共在)の説明に有用な概念として捉えている。

  • ハーバーマスは文化 (Kultur) を「文化とは知のストックのことであり、コミュニケーションの参加者達は世界におけるあるものについての了解しあうさいに、この知のストックから解釈を手に入れる」としている。このように行為、あるいはコミュニケーションに利用されるストックというアイデアは、ルーマンのゼマンティーク (Semantik)、フーコーのアーシーブ(Archive) などとも関連性が深い。

日本語の「文化」という語は坪内逍遥によるものとされている。

 なにしろ「絶対王政にとっては建前と実態の一致こそが死亡フラグ」。逆をいえば絶対王政は(その一歩手前まできていたとはいえ)あくまで近代国家にまで到達していた訳ではなく「王権神授説」とか「フランス語共用化運動」とか「フランス宮廷料理統一運動」といった公定ナショナリズムめいた様子は文化(装飾)としてしか存在してなかっっとも言えそうなのです。とはいえ「公定ナショナリズムは、共同体が国民的に想像されるようになるにしたがって、その周辺においやられるか、そこから排除されるかの脅威に直面した支配集団が、予防措置として採用する戦略なのだ」。例えば「帝政ロシア流(あるいはスターリン主義的)家父長制」辺りには、その枠を超えて近代国家に根付こうとする「発想の飛躍」が見られたとする指摘もあります。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/0e/6fdaba7db6eb4d7f0dd8ad6d1e1f4317.jpg

こうした主張に耳を傾けてる限りは「(既に実態としては失われてしまった)伝統的共同体の(文化として残ってる部分からの)再建欲求」みたいなものにネガティブな感情しか抱いてない様に見えるのですが、その一方でこんな事も口にしてるのがベネディクト・アンダーソンの不思議なところ。

ナショナリズム愛国主義には二つの側面がある。法律や規則を守り、自分たちの仲間を助けよう、社会に良いことをしよう、責任を持って行動しようという良い面と、主に右派の政治家があおる排外主義だ。もし日本にナショナリズムがなければ、今回の震災でも人々はもっと利己的に行動し悪事も働いたと思う」

「かつては宗教が楽園に行くという期待を人々に与えたのだが、今はナショナリズムが似たような意味で将来への『希望』になっている。一例が税金だ。なぜまじめに人々は払うのか。それはこの国に生きる子どもや孫の世代を幸せにしようという思いであり、希望が持てる将来を自国につくろうという意思の表明だ。かつては人類は祖先をあがめたが、ナショナリズムは子ども、つまり将来を大事にする」

 まぁ古い文献ほど「公定ナショナリズム」に対する舌鋒が鋭くなるのはスハルト大統領の「30万人〜50万人虐殺」を非難して国外追放されたせいで、次第に「その件自体はもう時効」と考える様になっていったのかもしれません。

スカルノ - Wikipedia
スハルト - Wikipedia
インドネシア九・三〇事件の本質 PKIの解体と中国路線の全面的破産(1965年)

インドネシアスターリン主義体制の血まみれの瓦解ほどお粗末なものはない。彼らは官僚主義の性癖で目が見えなくなって、ほかでもない王宮の陰謀と革命による政権奪取を待つばかりだったのだ。彼らは大規模な大衆運動を手中に収めていたというのに、戦わせることなく全滅させてしまった(いま現在30万人の処刑という数字が提出されている)。何事にも動じないスカルノは、さまざまな二流の忠臣たちを見下ろして、なおも超然としているが、アルジェでの開催がすでに不可能となった「第2バンドン会議」*はその最高の立役者たちを失ってしまった。

*どうもベネディクト・アンダーソンは「ナサコム(NASAKOM)=ナショナリズム(Nasionalisme)、宗教(Agama)、共産主義(Komunisme)」のスローガンを掲げて国民統合を推進しようとしたインドネシア共産党PKI)のスカルノだけでなく(自分を国外追放した)スハルト大統領も「スターリン主義者」として一緒くたにしてるっぽい。まぁ「30万人〜50万人虐殺」首謀者だし仕方ない?

インドネシア9月30日事件

1965年9月30日、前年の核実験でアジア初の核保有国となった中華人民共和国毛沢東スカルノ政権に核開発の支援を申し出るまでに中華人民共和国インドネシアの蜜月は絶頂期にあった。

その数時間後、インドネシア全土で「急進左派軍人勢力による国軍首脳部暗殺」というクーデター、それに迅速に対応したスハルトを中心とする右派軍人勢力を中心とした反クーデターの成功という「9月30日事件」が勃発し、その後の国内で右派軍人勢力による「共産党員狩り」が行われた。
*事件の詳細な経緯はいまなお明らかにはなっていないが(スハルトは事前にこのクーデター計画を察知していたという説やスハルトによる陰謀説もある)、スハルトは、スカルノから事態の収拾に当たるための権限を与えられ、速やかにこれを鎮圧。同年10月16日、陸軍大臣兼陸軍参謀総長に就任したスハルトは、事件にかかわった共産党の指導者・一般党員・共産党との関係を疑われた一般住民を大虐殺し、党組織を物理的に解体した。20世紀最大の虐殺の一つとも言われ、50万人前後かとも言われるその総数はいまなお不明。

共産党員狩り」によって冷戦下の東南アジアで最大規模を誇ったインドネシア共産党が壊滅し、国内で共産党が一掃されたことにより、右派軍人勢力共産党、左派軍人勢力の間のバランサーとしてのスカルノの求心力は失われた。この様な状況は「ドミノ理論」を唱えるアメリカなど西側諸国にも歓迎されることになった。

共産党への接近を進めるなど従来の親共路線の責任を問われたスカルノは、1966年2月21日に新内閣を発表して、なおも政権を維持しようとしたが、陸軍、イスラーム教系諸団体、学生団体などによるスカルノ糾弾の街頭行動が活発となり、辞任要求の圧力を抑えることができなかった。同年3月11日、スカルノは秩序回復のための一切の権限をスハルトに与える「3月11日命令書」にサインし、その実権をスハルトに譲った。スハルトは1967年3月に大統領代行に就任した。

インドネシアはその後、スカルノから実権を奪って1968年3月27日に正式に第2代大統領に就任したスハルトの「新秩序」体制のもとで、冷戦下の東南アジアにおける反共国家として中華人民共和国ソ連との関係を断絶し、同時にアメリカやイギリスなどの西側諸国との関係改善、国際社会への復帰を果たしていく。

一方のスカルノは「国父」としての地位は保ったものの、全ての役職をはく奪され事実上の軟禁状態におかれ、さらに夫人たちと多くの家族が亡命、離散するという失意の状況におかれたまま、1970年6月21日にジャカルタで死去した。

スハルト時代の終焉

1997年以降、東南アジア地域の通貨危機アジア通貨危機)が発生し、インドネシアも通貨ルピアの大幅切り下げやIMF特別融資などの影響は、住民の生活に大打撃を与えた。

事態を打開できないスハルト政権に対する不満が急速に高まり、約30年にわたって続いてきた長期政権下での潜在的不満も各地で噴出するようになった。そうした不満は、前大統領スカルノの長女メガワティが率いる闘争民主党の支持へと形を整えていった。
そうした国民の不満をよそに、1998年3月11日、スハルトは大統領に7選されたが、ここにいたって国民の不満は頂点に達した。首都ジャカルタでは大学生の反政府デモが一般市民をも巻き込んで街頭を埋め尽くし、その一部は暴徒化した。デモは地方都市にまで波及し、政府内部にもスハルトへの辞任要求の声が高まった。これらの圧力に屈する形で、5月21日、スハルトは大統領辞任を宣言、副大統領(当時)のハビビに職を譲った。

その後、「スハルト政治の清算」が進み、スハルトの三男トミーや政商ボブ・ハッサンは汚職で逮捕され実刑判決を受けた。スハルト自身も訴追されたが、2006年5月高齢と病気を理由に裁判は停止された。ただし2007年7月に最高検が起こした総額14億ドル(約1500億円)の不正蓄財の返還と損害賠償を求める民事訴訟スハルトが死去した現在も係争中である。

1999年7月脳梗塞で倒れて以来、入退院を繰り返すようになり、2008年1月4日に体調を崩して再入院。全身性浮腫や心機能低下と診断され、約3週間後の1月27日、多臓器不全によりジャカルタ市内の病院にて死去した。86歳没。

そして我が国日本…これはこれで辿れば辿るほどややこしい話になってきそうです。