諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

ナショナリズムの歴史⑦ 「ポテトは何で食べる?」を巡る国際紛争

日本でいう「駄菓子ノリ」、国際的には「大航海時代がもたらした新世界作物(ジャガイモ、トウモロコシ、エンドウマメ、トマト、etc)の旧世界への伝来」や「食品産業の工業化」と切っても切れない関係にある様です。

食文化の面白さは、こういう流れがグローバル・スタンダードに還元されるとは限らない辺り。むしろ、どんなに国際的に広まってもあくまで泥臭い地域的個別性(ナショナリズムの素)から脱しない方がメインストリームというべきかもしれません。
*その典型例の一つが各国の「焼肉文化」とも。

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日本における「目玉焼きには何を掛けて食べるか」論争の背景にあるのも以下。
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*意外と「オーロラソース派」は少ない? 欧米で卵料理へのこだわりといったら「ゆで卵(半熟あるいはハードボイルド)、サニーサイドアップ、ターンオーバー、オムレツ、あるいはスクランブル・エッグ」といった次元なのと対照的展開といえる。

  • 「生鮮食品ナショナリズム」あるいは「朝食ナショナリズム流通革命(輸送手段の機械化と冷蔵技術の発展)によって新鮮な卵や納豆が誰にでも食べられる様になって国民食化。各国においてナショナリズム(民族的自尊心)の一貫を担う展開となる。
    *「ナショナリズム(民族的自尊心)の一貫を担う」…むしろ平準化より多様化を望むという点で、その正反対の感情とする意見も存在する。まぁあくまで「ナショナリズムの素材」に過ぎず「ナショナリズムそのもの」ではない。

  • 調味料の「(工業製品化による供給安定を背景とする)味の平準化」と「(商業主義的展開がもたらす)選択肢の多様性」…そもそも近代以前には「醬油味味噌味」「ソース味」なんて固定概念そのものが存在しなかった。

    朝鮮半島でも「キムチの味が平準化」が始まったのは白飯食が普及して「おかず」としての地位が確定した1930年代以降とされる。それまではインドのマサラ(混合香辛料)文化同様に「その味は家庭ごとに異なり、コンセンサスなど一切存在しない」状態が延々と続いてきたのだった。

欧米でこれに該当するのが「ポテトは何で食べる?」論争となりますが、こちらもこちらで同じくらい根深い歴史があったりするのです。

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 じゃがいもの普及史

16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは当初はその見た目の悪さ(現在のものより小さく、黒かった)からなかなか受け入れられずにいた。さらに民衆は、ジャガイモは聖書に載っておらず、種芋で増えるという理由で「悪魔の作物」として嫌った。

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  • しかし、ヨーロッパで栽培される主要な作物よりも寒冷な気候に耐えること、痩せている土地でも育つこと、作付面積当たりの収量も大きい事から次第に冷涼で農業に不適とされたアイルランドや北ドイツから東欧、北欧において食文化を変えるほどの勢いで普及していく。これには地中で育つジャガイモが麦などと違い戦争で畑が踏み荒らされても収穫できる事、農民が家畜同様にジャガイモを食べる様になれば領主が麦を最期の一粒まで徴集出来るからであった。アメリカ独立戦争(1775年~1783年)でも貴重な食料源として重宝されていたという。
    国民国家においては「人口=国力」なので、18世紀にはフランス絶対王政プロイセン公国が自ら率先して普及活動に邁進。ただし人口が増えるほど不作に弱くなり、これがフランス革命勃発の遠因の一つになったとも。

    *こうした歴史的展開が産んだ馬鈴薯(じゃがいも)料理がフランスにおけるポトフ(pot-au-feu)やドイツにおけるアイントプフ (Eintopf) だったとも。元来あった「ごった煮文化」の食材の一つ地して馬鈴薯(じゃがいも)が加わった形。
    ポトフ(pot-au-feu) - Wikipedia

    牛肉やソーセージなどの肉と、大きく荒く切ったニンジン、タマネギ、カブ、セロリなどの野菜類を、じっくり煮込んだ料理である。

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    スープは食塩、香辛料(黒コショウ、ハーブ、クローブ等)などで風味を調え、肉や野菜は食べやすい大きさに切ってからマスタードを添え、それぞれ別皿に盛って供する。

    アイントプフ (Eintopf) - Wikipedia

    ドイツのごく庶民的な家庭のスープ料理。名前は、「鍋の中に投げ込んだ」の意。「農夫のスープ」という呼び名もある。

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    ドイツソーセージ (Wurst) にジャガイモ、にんじん、タマネギ、レンズ豆などを入れて煮込んだもの。スープのベースは、トマト・コンソメなどなんでも良い。日本でいえば味噌汁のように、庶民的でかつ各家庭ごとに味の異なるものである。

    自然公園の中にあるレストハウスで提供される安くて簡単な料理といえば、これが定番になる。学校・企業などの構内食堂やファーストフード店、精肉店の軽食コーナーでも供されており、さまざまなアイントプフの缶詰も市販されている。さらに軍隊でも、炊事場で調理される給食として活用されてきた。反面で一般のレストランや、特に高級ドイツ料理店ではまずお目にかかれない。

    ナチス政権時代のドイツでは「アイントプフの日曜日」 (Eintopfsonntag) というキャンペーンが行われていた。日曜日の御馳走の代わりにアイントプフを食べ、節約したお金を募金するというもので、冬季の助け合い運動と民族共同体意識を高めるためのプロパガンダとを兼ねていた。

  • アメリカのレストランではいつしか、ハンバーガーやサンドイッチのつけあわせとしてフライドポテトが供される様になった(おそらくベルギーのフリッツ(Frietjes)が起源とされる)。これはハンバーガーを主な商品とするファストフード店にも継承され、バーガー類とドリンク、フライドポテトを組み合わせたセットメニューが多く見られる。ヨーロッパでファストフードと認識されているトルコ料理ドネルケバブの屋台でも、つけ合わせとしてフライドポテトが用いられる。こうした店のフライドポテトの材料となるジャガイモは、専用の大型品種が用いられる。
    *普及の発端はベルギーにおいてポテト・フライヤーが発明され、大量生産が可能になった事とも。
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ところで英国英語ではチップス(chips)フランスなどではポム・(ド・テール・)フリット(pommes [de terre] frites)あるいは単にフリット (仏frites)と呼ぶフライドポテトについて米国英語ではフレンチフライズ(米French fries)あるいは、フレンチフライドポテイトウズ(米French-fried potatoes)というのである。それでイラク戦争の折、アメリカ合衆国の好戦的な姿勢に批判的なフランスへの抗議と皮肉の意を込めて、アメリカ合衆国議会の食堂では、フレンチフライをフリーダムフライ(自由のフライ)と一時的に呼び変えていた。

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【じゃがいも伝来以前からの伝統的調味料】サワークリーム (sour cream)

生クリームを乳酸菌で発酵させることで作る脂肪分に富む乳製品。発酵バターの原料ともされるが名前の「サワー」は乳酸菌による発酵生成に由来する。人工的、または自然な発酵により爽やかな酸味とコクを追加する得る。主としてヨーロッパおよび北アメリカ料理において調味料として使用される。東欧ではお菓子にも利用される。

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伝統的に焼いたジャガイモのトッピングであり、これには刻んだチャイブが添えられる。

チャイブ(Allium schoenoprasum、英: Chives、仏: Ciboulette 、伊: Cipollina)

アサツキの親近種に当たるネギ属の葉菜または根菜。北半球の温帯~寒帯に分布するネギの仲間。たくさんの株が地際でくっついてワサワサ茂るので、英語では複数形でチャイブスとも呼ぶ。セイヨウアサツキ、エゾネギとも。種小名のスコエノプラスム(schoenoprasum)は「イグサのようなネギ」と言う意味で、葉姿に由来する。葉を料理の風味付けやアクセントに利用するハーブで、感覚としては薬味に近い。

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「栽培の起源は中国で、そこからアジアやヨーロッパに広がっていった」という説もあるが、地中海沿岸では既に2000年前から栽培されていた。現在、商業的にはドイツやデンマーク、イギリスなど北ヨーロッパとアメリカで多く生産されている。

硫化アリルを多く含む為に玉ねぎやネギと同じような風味を持ち、ネギのように薬味として幅広く利用可能。乾燥させたり、熱を通しすぎたり、刻んだまま放置しておくと風味が飛んでしまうので生葉を直前に調理するのが最適。薬味として取ると食欲増進効果がある。タマゴやジャガイモとの相性がよく、オムレツやポトとサラダに合う。ヴィシソワーズやトマトサラダに散らすと風味とともに色合いもよくなる。刻んだ葉をバターに練り込んだチャイブバターも代表的な使い方。 ベークドポテト、ポテトサラダ、スープの浮身、オムレツの具などによくあう。豊富に含まれるカロテンは油で炒めてから使うと体内での吸収がよい。

同じ薬味として馴染み深いアサツキ(A. schoenoprasum var. foliosum)は、日本原産でチャイブの変種。アサツキは球根(鱗茎)が出来て夏は休眠し、全体的にやや小型。チャイブは球根ができず、冬に葉が枯れるが休眠はしない。アサツキと混植すると交雑しやすく、容易に雑種が出来てしまう。繁殖はタネを用いなくても株分けでも行える。

クリーミーなサラダドレッシングのベースとしても使用され、また、ケーキ、クッキー、米国のビスケット、ドーナツやスコーンの粉に加えての焼き調理でも使用できる。

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  • ウクライナ料理 (Ukrainian cuisine) およびロシア料理では、サワークリームはボルシチや他のスープに添えられ、ピエロギの調味料であり、ビーフストロガノフなどの料理に用いられる。

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  • 中央アメリカでは、サワークリームと類似したクレマ (Creme fraiche) が、朝食での主要な材料となる。そしてテクス・メクス料理では、ナチョス、ブリート、ワカモレでクレマの代替品として使用される。

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  • ハンガリー料理では、ソースの材料やハム入りクレープのレシピに使用される。

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 また、フレンチフライやクラッカー用の「オニオンディップ」のような様々なディップのベースとしても使用される。  

【アメリカの母の味】ケチャップ(ketchup)の歴史

元来その言葉は魚介類やキノコ、野菜などを材料とする発酵調味料を指した。
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  • 実際,1699年に出版された英国最古の俗語辞書 "BE's Dictionary of the Canting Crew of 1699" に収録された「catchup」という言葉は『東インド奥地のソース a high East-India Sauce』を指すとされていた。おそらく真の語源は『東インド奥地』つまり東南アジアの、魚介類の塩漬けを発酵させた液体(魚醤)の呼び名であろう。ビン南語や台湾語では、小魚やエビの塩辛を kechiap、koechiap 鮭汁 と呼び、これがマレー半島に伝わって kichap、kecap と呼ばれるようになった。それがヨーロッパに伝わってキノコ、トマト、クルミなどを原料とするcatchup、catsupとなる。
    *例えば英米文化圏には歴史的調味料として「キュウリのケチャップ(Cucumber Ketchup)」が伝わる。伝統的生活の維持を信条とするアーミッシュ料理などにもその痕跡を止める。

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  • その後、カキ、アンチョビ、ロブスターといった魚介類や、クルミ、インゲンマメ、キュウリ、ブルーベリー、クランベリー、レモンそしてブドウなど植物素材を材料とするソースが考案され、さまざまなスパイスが加えられるなどして変化しながらバリエーションを増やしていった。
    *リーペリン・ウスターソース(Lea & Perrins Worcester sauce)はこうした伝統の延長線上に誕生したのである。

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  • またカナダのケベックではリンゴ・モモ・パイナップルを原料としたフルーツケチャップをミートパイにかけて食べている。

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これが英国経由でアメリカに伝わり、当時ようやく食用とされ始めたトマトを使ったケチャップ考案に至る。
トマト の歴史- Wikipedia

  • 最古のレシピは1795年の "Receipt Book of Sally Bella Dunlop" とされるが、切ったトマトに塩を振り、2・3日置いてからしみ出した果汁を香辛料と煮詰めたもので、酢も砂糖も加えていない(現在とは違い、調理中に隠し味として使ったと考えられている)。

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  • その後ハインツ社が1876年に瓶詰めトマトケチャップを販売。これが広く普及してケチャップを代表する存在となった。これを使って調合したバーベキュー用ソースは、醤油を使ったテリヤキソースや韓国風ソースを引き離して今なお絶大な人気を誇り続けており、アメリカを代表する味との声すらある。

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日本のトマトケチャップは、明治期にアメリカから伝わったものが最初とされる。

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日本における最初のケチャップは、明治期に輸入されました。輸入食品販売を手掛ける明治屋が明治41年(1908年)に発行したPR誌の中には「マシルームケチョップ40銭、トマトケチョップ35銭」(表記は原文どおり)という商品目録が残されており、トマトケチャップとともにマッシュルームケチャップが輸入されていたことがわかります。

明治18年(1885年)に出版された「手軽西洋料理」という本に登場するチキンライスには、まだケチャップは使われていません。大正時代の洋食屋チェーン「須田町食堂」ではチキンライスが定番になっていますが、これがケチャップ味だったかどうかは残念ながら資料がありません。しかし、昭和10年(1935年)にはチキンライスをケチャップで味付けすることは一般的になっていたようです。この頃は既にオムライスも洋食の仲間入りをしており、これもケチャップ味だったと思われます。そして、第二次世界大戦後にアメリカ軍が持ち込んだトマト味のスパゲティーにヒントを得て、ナポリタンが誕生したと言われています。こうして日本風にアレンジした「洋食文化」におけるケチャップの使用方法が確立します。

他方で、1970年代の高度成長期にはアメリカからファストフードやファミリーレストランが上陸し、当時の日本人に驚きを与えました。それとともにハンバーガー、ホットドック、フライドポテトにケチャップをかけて食べる食文化が根づきました。 
*世界でNo1のケチャップのシェアをもつハインツ社が日本に上陸したのは、ようやく昭和36年(1961年)になってから。翌年からケチャップの販売を開始。

  • 国産製品に関しては1896年(明治29年)に横浜で清水與助が創業した清水屋が1903年(明治36年)に製造販売を開始したという記録が横浜開港資料館所蔵の資料に残っている。この清水屋ケチャップは,1913年に南区で開かれた勧業共進会で銅賞を受賞し、宮内庁御用達にもなっている。

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  • 一方1908年(明治41年)からは現在のカゴメがトマトケチャップの発売を開始。発売開始当初はトマトケチャップを用いるオムライスなどの料理を家庭で作ることは少なかった上に色も輸入品より悪かった為、同時期に発売したウスターソースの方が好評であったが、トマトケチャップを使った料理の普及、殺菌方法を変え仕上がりを改善したこと、積極的な宣伝などで急速に売り上げを伸ばしていった。
    *これがメイド・カフェでの「おいしくな〜れ〜」呪術(籠目紋)ネタの起源?

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  • 容器の変遷も消費拡大に大きな役割を果たしている。発売当初はビール瓶に詰められていたため取り出しにくかったが,1957年に(他社に追随し)広口瓶を採用し、スプーンで必要なだけ取り出せるようになったことで4年後には売り上げが2倍近くに増えたという。さらにその後ポリエチレンをブロー成形したチューブ入りのものが発売され、使い勝手の良さから日本において主流となった。

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こうしてトマト・ケチャップは世界を席巻していったのである。

【高級品からの転落】マヨネーズ(Mayonnaise)の歴史

フランス語"Mayonnaise"の語源には諸説ある。地名由来とするものだけでも、メノルカ島のマオン、マヨルカ島など様々。『世界ウルルン滞在記』(毎日放送)ではマヨルカ島がマヨネーズの語源として紹介されていた。当初はオリーブ油が使われたが、ヨーロッパ全体に広まるにつれ様々な油が利用される様ようになった。

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  • マオン説では、18世紀半ばに小説三銃士でも知られるフランス宰相リシュリューの甥の息子ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ(Louis Francois Armand de Vignerot du Plessis、 duc de Richelieu:1696年~1788年:ブルボン朝のフランス王ルイ14世ルイ15世ルイ16世の3代に仕える)が七年戦争(1756年~1763年)期間中に行われた英国からのメノルカ島奪還作戦(1756年)の最中に名付けたとされる(現地で指揮をとっていたリシュリュー公爵が港町マオンの料理屋で肉に添えられたソースが気に入り、後にパリで「マオンのソース」として紹介したのが広まった最初という)。

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  • 製造過程で卵黄・酢・油を完全に混ぜ合わせて乳化させるのに大変な手間がかかる事から元来は高価なソースであった。しかし電動ミキサーが発明され、完全に乳化させたマヨネーズが容易に製造できるようになると、各家庭でも作られていたサワークリームより安価となり一気に普及した。

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米国では、オバマ前大統領がフライドポテトにマヨネーズをつけて食べてる動画が流れ、一部保守層が大騒ぎする事態があった。「愛国主義者のアメリカ人ならポテトにはケチャップをつけろ」だそうである。
*同時期、菜食主義活動家(Vegan Activists)も「米国大統領は(卵を使った)マヨネーズをフライドポテトに掛けた事で我々の尊厳を蹂躙した!!」と大騒ぎしている。

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なるほど…工業化によってサワークリームよりマヨネーズの方が安価となり、とんでもない規模のパラダイム・シフトが起こってしまった様ですね。

ポテトサラダ(Potato salad)の歴史 - Wikipedia

モスクワのホテル・レストラン「エルミタージュ(Hermitage)」でシェフを務めたベルギー人リュシアン・オリヴィエによって考案された「オリヴィエ・サラダ(Olivier salad)」の登場が一つの画期になったとも考えられている。

「オリヴィエ・サラダ(Olivier salad)」あるいはサラート・オリヴィエ(Сала́т Оливье́)」

ロシア料理のサラダの一つ。サラート・ストリーチヌィ(ロシア語: Сала́т Столичный、「首都サラダ」)の名称でも知られる。

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  • オリヴィエ・サラダが出されたエルミタージュは、1864年にモスクワの商人ペゴフの出資によって開店した。豪遊するために地方から上京した地主たちはエルミタージュのフランス料理を好み、出された料理の中でもオリヴィエ・サラダの評価は特に高かった。その製法、特にオリヴィエのマヨネーズのレシピは明らかにされず、味を正確に再現できた者はいなかった。

  • オリヴィエが亡くなると本来のレシピは分からなくなり、エルミタージュは1917年にロシア革命のあおりを受けて閉店した。その後エルミタージュは営業を再開するが、この時代に出されたオリヴィエ・サラダはオリジナルと大きく異なっていた。

  • ソ連時代、レストラン「モスクワ」の料理人でオリヴィエの副料理長を自称するイワン・イワノフが「本物のオリヴィエ・サラダと同じ」とされる首都サラダを作った。

現在のロシアではレストランや食料品店では「オリヴィエ・サラダ」や「首都サラダ」の名前を冠したサラダが提供され、一般家庭では新年にオリヴィエ・サラダが作られることもある。ザクースキ(ロシアの前菜料理)の一品ともされる。

  • ジャガイモ、鶏の胸肉、固ゆで卵、キュウリ、ニンジン、キュウリのピクルスなどの野菜を材料として使用する。オリヴィエはライチョウ(エゾライチョウなど)の肉を使用していたと言われ、季節によってザリガニ、子牛の舌、鴨肉の燻製、セイヨウショウロなどが加わることもあった。

  • 鶏肉は蒸すか茹でるかして加熱し、賽の目切りにするか、もしくはほぐす。他の野菜とゆで卵は賽の目切りにし、ニンジンは塩茹でして火を通す。小さく切った肉と野菜、卵を塩とコショウで味付けし、最後にマヨネーズで和え、仕上げにハーブやプチトマト、黒オリーブなどを飾り付けて完成となる。口当たりをまろやかにするために、サワークリーム(スメタナ)や砂糖を加える場合もある。

  • また、ロシアで市販されているオリヴィエ・サラダの中には、ニシンやカニを具材に使用したものも存在する。ハムやソーセージが入ることもある。

オリヴィエ・サラダはスペイン、トルコ、東ヨーロッパ、中央アメリカでは「ロシア風サラダ」として知られている。茹でたジャガイモなどをマヨネーズで和える点は同じだが、肉類が入らないことがあり、トルコやコスタリカではテーブルビートが入る。スペインでは人気のあるタパスである。イタリアやイランでも人気がある。

上海サラダ(上海沙拉、拼音: Shànghǎi shālā シャンハイシャーラー)

中国で一般的な料理。

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もとは、上海のロシア料理店で、生の野菜を食べなれていない中国人向けに考案して出されたもの。ゆでて角切りにしたジャガイモ、ソーセージ、グリーンピース、ニンジンなどと、リンゴの角切りに塩、胡椒、マヨネーズを加えて和えて作る。

  • 火を通したジャガイモをマヨネーズで和えることが多い(この場合、少量の植物油を混ぜると水っぽさが抜け、風味が増す)が、マヨネーズの代わりに酢と植物油で作ったドレッシングを用いたものもある。ジャガイモをマッシュポテト状に潰す調理法もある。

  • アメリカ合衆国では、マスタードを加えることもある。また、様々な副材を入れることで個性を持たせることができる。たとえば、野菜ではニンジン、キュウリ、トウモロコシ、スライスオニオンなどが副材の代表格であり、他にも、肉類ではハムやツナ、酢漬けの鮭やゆで卵、その他、一部ではリンゴ、ミカンなどの果物を入れる人もいる。

  • 作り方が簡単なうえ、短時間でかつ安価で出来ることから、世界各地に様々なポテトサラダが存在しており、コールスローなどと並ぶサラダの代名詞的存在となっている。家庭料理としてはもとより、惣菜店や弁当屋の定番メニュー、給食の献立としても出される料理である。

日本ではサンドイッチの具にされることもある。

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 コールスロー(英: coleslaw)

細かく切ったキャベツを使ったサラダの一種である。ニンジンが入っていることも多い。ほかにも赤キャベツを使ったものや、パイナップルやリンゴなど果物が入っているものなどがある。

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そのドレッシングにはかつてはサラダ油と酢あるいはヴィネグレットが使われたが、現在では、地域によって差はあるものの、ほとんどの場合マヨネーズ(あるいはその代替品)が使われている。マスタードやセロリの種などさまざまな香辛料が使われることもある。食べる数時間前にキャベツをドレッシングと和え、味をなじませることが多い。キャベツはみじん切りにすることが多いが、千切りにする場合もある。

ヴィネグレットソース(sauce vinaigrette、vinaigrette)

冷たいソースの一種でサラダに使われることが多い。

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  • フランス料理における最も基本的なサラダドレッシングなので、フレンチドレッシングとも呼ばれることもある。酢と油を1:3の割合でよく混ぜ、塩・胡椒で調味したもの。酢の代わりにレモン汁を用いても美味である。酢を使うソースなので作る際は金属製のボウルは使わないようにする。

  • 乳化ソースの一種だが、マヨネーズなどよりも流動性が高く、とろみや安定性はあまり重視されない。表面積の広い葉物野菜に和える調理法に向いている。野菜を洗った時に残った水気がソースを分離させる原因となるので、しっかり水気を切ってから和えると美味しく仕上る。

アメリカ合衆国で生まれた「フレンチドレッシング(French dressing)」はヴィネグレットに砂糖またはケチャップを混ぜたものであり、フランスでは見られない。

  • コールスローの歴史は長く、おそらくは古代ローマの時代から食べられてきたと考えられているが、近代的なコールスローの人気が高まったのは18世紀になり瓶詰めのマヨネーズが発明されてからであった。

  • 英語の「コールスロー (coleslaw)」という名前は18世紀ごろにオランダ語の "koolsalade"(キャベツサラダ)を短縮した「コールスラ (koolsla)」から生まれたものだが、1860年ごろまでのアメリカ合衆国とイギリスでは誤って "cold slaw"(冷たいスロー)と呼ばれており、ホットスローという温サラダが作られることもあった。

  • 英語の "cole" には本来ラテン語から派生したキャベツの意味があり、これはまたオランダ語 kool の語源ともなっている。その後 "cole" の意味が復活して英語でも coleslaw と呼ばれるようになった。今ではこの "slaw" の部分が独立してひとつの単語のように扱われることも多く、キャベツ以外の野菜を用いた「コール」スローでない別のスロー(ブロッコリースローなど)も知られている。

  • 通常バーベキューやフィッシュ・アンド・チップス、フライドチキンなどの付け合せとして食べられる。米国南部ではよくナマズのフライとともに供される。この地方ではまたコールスローがサンドイッチの具材になることが多く、南部風バーベキューのサンドイッチやハンバーガー、ホットドッグにも使われている。またコールスローはルーベンサンドのバリエーションのレイチェル・サンドイッチにも使われることがある。スウェーデンでは、ピザの付け合わせにはほとんど必ずコールスローが出される。

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日本ではサンドイッチの具にされることもある。

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129 :公共放送名無しさん:2015/09/24(木) 00:44:22.27 id:GuLowYne.net
味噌の万能さは、一体何なのか?
海外で味噌並の調味料は無いだろうな


163 :公共放送名無しさん:2015/09/24(木) 00:45:34.41 id:zLZYNKty.net
>>129
フランス料理だとフォンとかかな
アメリカだとケチャップ、とにかく何でもケチャップ
ロシアならマヨネーズ、何にでもマヨネーズかけて食う味覚障害レベル


200 :公共放送名無しさん:2015/09/24(木) 00:46:52.32 id:GuLowYne.net
>>163
ロシアのマヨネーズは初耳だな


269 :公共放送名無しさん:2015/09/24(木) 00:49:01.38 id:zLZYNKty.net
>>200
ロシア人のマヨネーズ好きは異常だぞ
なんにでもかけてくう


295 :公共放送名無しさん:2015/09/24(木) 00:49:37.04 id:bR7nnI0Y.net
>>269
サワークリームじゃなくて?


331 :公共放送名無しさん:2015/09/24(木) 00:51:15.49 id:zLZYNKty.net
>>295
これ、5kg入りのマヨネーズバケツ
1家庭で1ヶ月保たないらしい

http://blog-imgs-81-origin.fc2.com/c/h/e/cherio199/00xw20_.jpg


358 :公共放送名無しさん:2015/09/24(木) 00:52:02.35 id:GuLowYne.net
>>331
日本でも1キロが業務用なのに…
*日本人が「ソース味」に陥落した様に「マヨネーズ味」に陥落したロシア人…だが、日本人は割と「マヨネーズ味」にも陥落したとも見て取れなくなない。なにしろ「お好み焼きにも冷やし中華にもマヨネーズ」の世界…

そして日本においては「トマトケチャップ系」の系譜と「マヨネーズ系」の系譜が有りえないランデブーを果たすのです。

オーロラソース(sauce aurore)

フランス語で「オーロラ」aurore は曙、明け方の意。トマトのもたらすオレンジがかったピンク色の曙色にちなみオーロラソースと呼ばれる。

http://obento12.info/wp-content/uploads/2015/12/151207_04.jpg

元来はベシャメルソースに裏漉ししたトマト(もしくはトマトピューレ)とバターを加えたソースである。フランス料理で卵料理や子牛肉、蒸した肉料理などに使われる。

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日本ではマヨネーズとトマトケチャップを1:1の割合で混ぜたソースもこの名で呼ばれることがある。エビやカキなどの魚介類に使われる。

そして函館では「じゃがバターに塩辛」という組み合わせまで発案される展開に。

ちょっとばかり展開が複雑になってきたので状況をまとめてみましょう。

ジャガイモの文化史

  • 主権国家」においては「人口=国力」だったので、絶対王政フランスやプロイセン王国では「馬鈴薯(じゃがいも)食」が推奨された。これもある意味「公定ナショナリズム」の一種と言える。
    主権国家」…国民主権」が成立して「国民国家」が誕生する直前の「領土意識と主権意識は既に成立しているが、国王が国民と国土を全人格的に代表している近世的段階。

  • そうした動きに対する庶民の反応は「金に綺麗汚いはない」ならぬ「食い物には美味い不味いしかない」なるニヒリズムに満ちたものだった。しかも彼らの要求水準は比較的低かったので食品産業の工業化を目指す勢力が一時的有利となり、例えば「キャンベル・スープ缶シリーズ」が世界を席巻。世界は一見「国民国家」というより「市民社会」の勝利に傾いたかの様に見えたが「産業報国運動」というのは、そう簡単に要約可能な内容でもなかったのである。

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    *英国人労働者達は誰からも強制される事なく自らシェパーズパイやコテージパイやジャックポテトを食べ始めた。それは奴隷根性と蔑むべき展開なのだろうか?

    シェパーズパイ(英shepherd's pie)またはコテージパイ(英cottage pie)

    マッシュポテトで作るパイ皮と牛肉(または羊肉)で作るイギリスのミートパイ。コテージパイという言葉は1791年、貧困層が入手できる穀物としてジャガイモが普及した頃より使用され始めた
    *「シェパーズ」は「羊飼いの」、「コテージ」は「農業従事者の質素な住居」を意味する英語。要するに羊肉を使用すると前者、牛肉を使用すると後者になる。

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    • 初期の料理本では、この料理はローストした各種肉の残りものを使用する手段であり、このパイ料理はマッシュポテトのパイ皮のように、マッシュポテトに添えて作られた。

    • 「シェパーズパイ」という言葉は1870年代まで使われず、それまでは具が牛肉、羊肉のいずれかにかかわらず、「コテージパイ」と同義であった。現在は一般的に「シェパーズパイ」では羊肉(マトン、ラム)を使う。これは羊飼い(シェパード)は羊の番をし、牛ではないことからと推測されるが、これは通俗語源の一例である。

    日本語では、「シェファーズパイ」とする表記も用いられる。

    • オーストラリアにはコテージパイの一種であるミートパイがある。マッシュポテトの層が、通常のパイ皮である。

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    • ニュージーランドでは、この上にジャガイモを添え、ポテトパイと呼ぶ。
      <小栗郷> ニュージーランドのホットパイのお店誕生☆

      http://ogurigo.jp/wp-content/uploads/2016/12/DSC_0788-1.jpg

    • アメリカ合衆国では、類似する料理をカウボーイパイと呼ぶ。ニューイングランドでは、牛挽き肉、クリームコーン缶、マッシュポテトを使うシェパーズパイのレシピが一般的である。

    • ケベック州では、類似する料理がパテシノワ (Pâté chinois) (中国のパイ)と呼ばれる。

      http://www.arcticgardens.ca/media/cache/19/09/19094a48f2d81689c574b121045b8502.jpg

    • フランスでは、類似する料理がアッシ・パルマンティエ (Hachis Parmentier) と呼ばれる。

      http://imworld.aufeminin.com/story/20151210/le-hachis-parmentier-un-plat-aussi-bon-a-rechauffer-826739_origin.jpg

    • ベジタリアンは、代用肉として大豆を使う。

      https://voguevegetarian.files.wordpress.com/2011/12/shepherds-pie1.jpg

    • ヨルダン、シリア、レバノン、およびパレスチナでは、類似する料理がキッベ・バタタと呼ばれる。
      *伝統的には「ブルグル(burghul, bulghur, boulghour, boulgour, boulgoul, boulghoul, bulghul, bulgul, bourghoul、アラビア語: بُرْغُل、ヘブライ語: בורגול, בֻרְעֻ'ל, רִיפוֹת, クルド語: savar, ساڤار, ソラニー: ساوار, ペルシア語: بلغور, アルメニア語: Բլղուր, トルコ語: bulgur, ヒンディー語: दलिया, フランス語: boulghour、主にデュラム小麦等の複数の種のコムギの挽き割り)を衣としてきたが、これがポテトに置き換わった形。https://encrypted-tbn1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRu0mVxP9IB27aAfAjJqRx_F6lxAgy67jrL402czUHOPDQhzMx3
    • ロシアでは、類似する料理がカルトーフェリナヤ・ザペカンカ(Картофельная запеканка)と呼ばれる。

      https://static.1000.menu/cookme/images/recipe/kartofelnaya-zapekanka-s-farshem-_1290526747_0.jpg

    細部は割とどうでも良い。要するに当初の主題はあくまで「主権国家間の人口拡大合戦」だったのであるが、次第に各国の国民も「ほくほくの馬鈴薯(じゃがいも)の美味さ」に目覚めていったのである。美味しさは正義だ?

  • 今やこうした嵐を乗り越えた上での価値観再構成の時代となる。そういう展開となる事は既にベル・エポック期(Belle Époque=「良き時代」、19世紀末〜第一次世界大戦が勃発した1914年)に予告されていた。

    ギュスタヴ・ルボン「群集心理(La psychologie des foules。1895年)」

    現在は人間の思考そのものが変容しつつある危険な時代の一つをなしている。この変容の基盤には。二つの本質的要素が存在している。

    我々の文明のあらゆる要素の深淵となっている宗教的・政治的・社会的信念の崩壊、これが第一の要素である。

    第二の要素とは、現代の科学と工業の発展によって生み出された、まったく新しい思考や存在の創出である。

    過去の思想は、揺るがされつつあるとはいえ依然として強大であり、それに取って代わるべき新しい思想はいまだ形成途上である。現代は過渡期であり、無秩序が支配する時代なのだ。

市民社会」による国際統合が相応に成功している状況下において「国民国家」はある意味「(有事に備えての)例外処理(Exeption Handling)」として存在しているだけです。だがそれは勝者と敗者を厳しく峻別する厳しい競争社会でもあり、敗者が団結して「この社会はブルジョワ独裁社会に都合よく成立された虚構を前提に成立している。その虚構を破壊しない限り我々は幸福になれない」と連呼し始めると両者の関係は逆転してしまいます。
*最近話題になってる「リベラリズムの死」とはまさにこれ。「今こそ革命が必要だ!!」と連呼する彼らは、その一方で「国民国家復権」を待ち望んでいるのは、むしろ敵対勢力の方だと本気で信じ込んでいる。自分達こそ「市民社会復権」と連呼しながら、その一方で「ブルジョワ独裁体制を完膚なきまでに破壊し尽くす事こそ国際正義」と本気で信じ込んでいる。大衆から黙殺され続けてきた鬱憤から「彼らも共犯者だ。最後の一人まで粛清し尽くす事こそ国際正義本気で信じ込んでいる。こうした価値観の最後に待ち構えているのは人類全てが死に絶えた廃墟のみ。そしてそれが「楽園」と信じ切れない人間全てを滅ぼし尽くすのが国際正義だと本気で信じ込んでいる。まだ「科学的マルクス主義が人類全体を救済する可能性」が本気で信じられていた時代の方が救いがあったかもしれない。今や彼らは一切に信条を放棄し、それでもなおなお(いやむしろそれゆえに)「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに喉元までずっぽりとはまり込んでいる。一人でも多く生きてる人間を食い殺したい本能に完全に屈服しつつ「だが少なくとも私は自らの良心に従って行動している正義の味方の一人である」と自分に言い聞かせ続けている(あるいはロマン主義的理念に従って、何も考えず本能のままに振舞う事こそ正義という「現実」を盲目的に受容した)。実はこれこそがまさにヒッピー運動も黒人公民権運動も暴走状態に突入しつつあった時期、ジョージ・ロメロ監督が「ナイト・オブ・ザ・リビングデッドNight of the Living Dead、1968年)」で揶揄した「ゾンビの群れ」の寓意だったとも。K・W・ジーター「ドクター・アダー(Dr. Adder、執筆1974年、刊行1984年、邦訳1990年)」にも同種の存在なら幾らでも登場する。

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まさかの「食文化論における事象の地平線上では、政治論的ゾンビが徘徊している」なる恐るべき結論への到達。その一歩手前では「距離のパトス(Pathos der Distanz)」や「エスニズム(ethnism)とエスノセントリズム(Ethnocentrism)の狭間」に突破口を見出そうとしている人々が今日なお様々な試行錯誤を繰り返しています。

さて、私達は一体どちらに向けて漂流しているんでしょうか?