諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

ナショナリズムの歴史外伝③ 日本で「コロッケ」「メンチカツ」と呼ばれるコスモポリタン料理

御存知でしたか? 高尾じんぐの漫画「くーねるまるた(2012年)」の第一回に登場した「干鱈(Bacalhau、バカリャウ)のコロッケ」には重要な秘密が隠されていたのです。一言で言うとそれは「コロッケであってコロッケではない」存在だったのです…

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「駄菓子ノリ」の興味深い点、それはどれだけ国際的に展開してもその泥臭い個別性(ナショナリズムの素)から決して離れず、グローバルスタンダードを形成しない点にあります。そして同様の傾向が世界中の「コロッケ文化」に見て取れるのです。

そもそも日本の「コロッケ文化」の根底にあるのはこれ。

Q:なぜ肉屋で、コロッケを売るのですか? 肉と、コロッケは、何の関係が有るのですか? 日本で最初に、コロッケを、売り始めた肉屋は、何処の肉屋ですか? ルーツを、教えてください。

A1:銀座のチョウシ屋が 最初に 肉入りコロッケを 作ったと聞いてます。昭和2年(1927年)の事だそうです。なお 大正9年(1920年)には「今日もコロッケ 明日もコロッケ…」という歌が流行。それ以前から コロッケは 家庭料理として 定着していたようです。

A2:安い物を店頭に置けば、例えばその日は肉を買ってくれなくてもコロッケを買いにお客さんは来る 昔はコロッケに肉を入れるのはあまりやらなくて、屑肉でもていねいに処理して挽き肉やコロッケより高いメンチカツにしてました。コロッケの中の黒いのはジャガ芋の皮とかだったりね、ただ肉屋は売れない脂が出るので、それを揚げ油にすると肉の香りがつくので肉屋のコロッケはウマイのです。

A3:肉屋では、毎日大量の肉を捌きます。そうすると、絶対に売り物にならない屑肉が出ます。この屑肉はミンチになりますが、ミンチは他の肉に比べて鮮度の劣化が早く、また、衛生上問題なくても変色すると商品価値はなくなります。これを無駄にしないよう、やはり安価なジャガイモと一緒にコロッケにし、また揚げ油も豚肉を加工する際にできるラードを使うことで、商品として成立させることができます。寿司屋で魚のアラを煮物や味噌汁にするようなものですね。

 さらには問題を複雑化させるのが、この状況。

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そう、主要材料は小麦粉、豆類、馬鈴薯辺りなのですが、それが「具」に投入されるか「皮」に投入されるかなどが地域によって変わってくるからややこしいのです。

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まず出発点は「地中海交易網最初の統一者」フェニキア商人とも。

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  • 「1200年のカタストロフ」によってメソポタミアからエジプトにかけての地域より安定した大国が消滅したのを契機に紀元前10世紀頃より紀元前1世紀にかけて地中海沿岸一帯に巨大交易網を構築。
    *おそらく在地有力者との政略結婚を足掛かりに神官達を送り込み、在野信仰を洗練させて儀礼に必要な紫衣や銀製品やワインを威信財として商品化していたと考えられている。

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  • 紀元前8世紀以降、次第に東地中海沿岸部をギリシャ商人に奪われていく。こうした動くに対抗すべくアケメネス朝ペルシャ(紀元前550年〜紀元前330年)と組んだ。
    ギリシャ古典期(紀元前6世紀〜紀元前5世紀)におけるアテナイの繁栄は黒海沿岸地帯からの、古代ローマの繁栄はシチリア島やエジプトからの穀物輸入に支えられてきた。シリアも相応の穀倉地帯であり、これらの地域の争奪線が歴史を動かしてきた側面も見受けられる。
  • ポエニ戦争(Bella Punica、紀元前264年〜紀元前146年)によってローマに滅ぼされる。
    *ローマとの戦いの戦端を開いたのもやはりシチリア島の様な穀倉地帯の奪い合いであった。

中東で最も小さな国の1つで、面積は日本の岐阜県弱くらいです。

アラブといえばイスラム教徒が主体となる地域ですが、地中海東岸レバノンは海洋民族フェニキア人がおり、ローマとのつながりから昔からキリスト教徒も多い土地でした。

第二次世界大戦の頃、イスラム教徒主体のアラブの土地の中でキリスト教徒が多い地域として、欧州が恣意的に独立へ導いた国です。そうしてできたイスラム教徒とキリスト教徒の混成は、内戦を起こし、歴史を変え、特徴ある食文化を形成してきました。

中東のアラブ世界には、アラブ=ナショナリズム、汎アラブ主義といった、アラブ諸国を統合した国家を構築しようとする動きがあります。こうした主張の背景の一つには、現在のアラブ世界の国家の枠組みや国境線が、20世紀になって西欧列強によって人為的に形成されたことがあります。

「アラブ人」の定義(の一つ)は「アラビア語母語とする人々」です。レバノンの北と東に隣接するシリアも、レバノンの南のイスラエルイスラエルが領土を主張するパレスチナの地)も、ヨルダンもイラクサウジアラビアも、主にはアラブ人が住んできた土地であり、文化や生活様式を同じくしてきました。

すなわち、レバノン料理の基礎はこれらの近隣国と共通したアラブ料理です。ホブス(薄いパン)が主食で、ホブスをちぎって、美味しいペースト類をすくって食べます。ホムス(ヒヨコマメとゴマのペースト)やババガヌーシュ(焼きナスのディップ、別名ムタバル、シリア方言ではムタバルと呼ばれる傾向が強い)は、普遍的な2大ペーストだと思います。

なお、日常的なアラビア語では「母音を省略して子音で文字を綴る」ため、上の「ホムス」も綴りは「حمص」すなわち「s m h」です。右から読むのですが、地域や人によって「ホムス」「ハモス」「ホモス」「フムス」・・・発音は様々で、カタカナ表記がいっぱいできてしまいます。正当アラビア語での読み方は「ヒミス」だそうですが私はこう発音する人に会ったことがありません。

アラブやトルコって作り置きの料理が多い。いっぱい作るから美味しい。だから小皿料理が多くなる…もともとイラクやシリアなどの中東アラブ地域は国境線で分けられていませんでしたし、「肥沃な三日月地帯」として作物が豊かに実りました。食材が豊富で豊かだから、料理の数が多くなる。それが今のレバノン料理の代名詞として語られる「メゼ」(数々の小皿料理)なのだと思うのです。「メゼ」は日本語で前菜と訳されることが多いようですが、洋風料理のオードブル的な前菜とは感覚が違う。ホカホカが出てくる中国の点心とも違う、メゼとパンで充分食事になるので必ずしも「前菜」ではない、みんなでちぎったパンを持つ手を伸ばして同じ皿のおかずをつっつきあうこの文化は…ということで私は、メゼはメゼということにしています。

その他メジャーなレバノン料理(アラブ料理)としては、キッベ(ひき割り小麦のコロッケ)、ファラフェル(豆コロッケ)、タブレ(クスクスや引き割り小麦で作るパセリたっぷりサラダ)、ファスーリャ(煮豆)、バミヤ(オクラ、トマト煮が多い)などがあります。全体的に食材の数は多く、オリーブやオリーブオイル、レモンやゴマをたっぷり使った、香辛料やハーブを豊かに使う料理の数々という印象です。あとは豆!!豆を甘く炊く日本とは大違い、香辛料やトマトと一緒に豆が素晴らしく美味しい料理になって登場するのが中東アラブ料理です。豆嫌いの日本人も中東に行くときっと豆好きになります。中東の豆料理はベジタリアンの多い欧米でも人気が高まっています。

オスマン帝国が東欧から北アフリカまで広大な版図を広げていた頃、オスマン帝国の中でも文化的・経済的に花開いていたのは、ダマスカス(今のシリアの首都)やベイルート(今のレバノンの首都)でした。第一次世界大戦オスマン帝国敗戦後、領土は欧州列強により分割、その後、キリスト教徒の多いレバノン部分が更にシリアから分離され、1943年、レバノンは第二次大戦中にフランスから独立を果たしました。ベイルートは中東のパリとも呼ばれる花の都。もともとキリスト教徒が多い地域の独立だったため、ヨーロッパ(特にフランス)との関係の深さを背景に、未曾有の繁栄をみせたそうです。

しかし、アラブ人にはイスラム教徒が多いわけで、そんな中でのキリスト教徒優遇は宗教的緊張であり、レバノン内戦が勃発。シリアはイスラム勢力を支援し、イスラエルキリスト教勢力を支援し、1990年代まで約20年間の激しい内戦が続きました。更にレバノンにはイスラエル建国(1948年)以降、おびただしい数のパレスチナ難民が流入しており、レバノン内戦中にイスラエル軍がそのパレスチナ難民大虐殺など・・・、とにかく周辺国にも翻弄されたレバノン国内では戦火が絶えず、血みどろの連続でした。

戦争ばかりしている国では、食文化の発展は遅れるものです。なのに、レバノン料理には世界5大料理や10大料理とも言われる「輝かしい」ステータスさえあります。それはなぜなのでしょうか。私は、それは、近隣のアラブ諸国にはないキリスト教徒の多さにあるのではないかと思っています。分かりやすく言うと「欧米のご贔屓」といいますか。

現在レバノン国民は95%以上がアラブ人です。キリスト教徒は40%、イスラム教徒は55%です。そういう国なのに大統領にはキリスト教徒が就くという決まりがあるそうで・・・。そんなこと決めてるから火種が尽きないのでは?って突っ込みたくなりますが・・・。

ともあれ政治上位にキリスト教徒が立てば、イスラム教ではタブーとされる酒が流通します(だからレバノンにはワイナリーがたくさんあります)。そして欧州との関係が深くなります。だからフランスひいては欧米にとって「ご贔屓」となるレバノン料理は人気ある外国料理となり、世界的地位を確立していったと考えられます。もう1つの理由は、レバノンの人口増加やレバノン内戦により世界中に流出していった無数のレバノン人(レバノン難民含む)です。彼らが世界中でレバノン料理を有名にしたということも、大きな要素ではないでしょうか。

キッビ、キッベ、キベまたはクッバ(アラビア語 كبة)

ブルグル (Bulgur、欧州や中東やインドの料理に用いられるデュラム小麦などの穀物の挽き割り) と挽き肉で作るレバノン/アッシリア人料理。

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レバノンにはブルグルとラム挽き肉を用いた様々な料理があり、これらを総称してキッビと呼ぶ。
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アラビア語のクッバ(都市部のシリア方言でキッビ)は「球」を意味そ、これが語源とされるが各国の翻字は様々であり、英語ではkibbeまたはkibbeh、ラテンアメリカではquibe、kibeまたはquipe(ドミニカ共和国)である。トルコでは、イチュリ・キョフテ(içli köfte)、アルメニアではイシュリ・キュフタ(իշլի քյուֆթա)と呼ばれる。7から10センチメートルのラグビーボール型のブルグルの皮に香辛料で味付けしたラム挽き肉を詰めて、きつね色になるまで揚げたものが最も知られており、第二次世界大戦中、中近東のイギリス兵はキッビを「シリアの魚雷」と呼んでいた。f:id:ochimusha01:20170423191304j:plain

②シリア北部の都市アレッポ(ハラブ)は、ヌルデ(kәbbe sәmmāʔiyye)、ヨーグルト(kәbbe labaniyye)、マルメロ(kәbbe safarjaliyye)、レモン果汁(kәbbe ḥāmḍa)、ザクロソース、サクランボソース、といったキッビ料理(kәbbe bәṣfīḥa)として知られる様々なキッビで有名である。

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③クッバ・ハラブ(Kubbat Halab)は米の皮で作るイラクのキッビで、アレッポの名をつけられた。同じくイラクのクッバ・モースル(Kubbat Mosul)は、円盤のように薄く丸い。クッバ・ショルバ(Kubbat Shorba)は、イラクアッシリア人がシチューとして作り、通常トマトソースと香辛料で味付けする。またゴマペーストのタヒナ(英: Tehina)を添えて供される場合もある。

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④キッビ・ナッイェ(生キッビ)は、生の肉とブルグルを混ぜて供されるタルタルステーキに似た料理で、シリア、レバノンパレスチナ、およびイラクで一般的。この料理はアラックあるいはアラク(アラビア語: عرق、ヘブライ語: ערק、中近東、特にイラク、シリアを中心にエジプトやスーダンの様な北アフリカ地方でも伝統的につくられてきた蒸留酒で、イスラエルパレスチナにおいても入手可)と様々なサラダが添えてに供されることが多い。

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トルコ語ではイチュリ・キョフテ(İçli Köfte)と呼ばれる。

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⑥揚げたラグビーボール型のキッビは、ドミニカ共和国南アフリカで、レバノンおよびパレスチナ移民により伝わって普及し、キッペ(quipe)と呼ばれている。

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⑦Kubbeh matfuniyaおよびKubbeh hamoustaは、イスラエルでのイラクユダヤ人の主食である。

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⑧キッビ・ナッイェ(كبة نية またはكبة نيئة、ブルグール、生の子羊挽き肉、香辛料を混ぜ合わせた料理)はレバノンのメゼ(食前酒と一緒に楽しむ軽食あるいは前菜の一種)の一部としてミント、オリーブオイルを添えて、ピーマン、ワケギ、ピタと共に供される。

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⑨キッビはまた挽き肉(ラムまたは牛肉)、ブルグル、タマネギ、ミントと香辛料を混ぜたものを平らなフライパンに押し固め、次にナイフで1から2インチの菱形に切れめを入れて松の実または砕いたアーモンドとバターを乗せ、オーブンで焼いたものも指す。その表面をマッシュポテトで覆ったキッベ・バタタ(じゃがいものキッピ)は、欧米で言うところの「シェーパーズ・パイ」「コテージ・パイ」「カーボーイ・パイ」そのもの。

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また東欧のピロシキとの類似性を指摘される事も。

ピロシキ(ロシア語:c)またはプィリジキ(ウクライナ語:пиріжки)

東欧料理の惣菜パンである。ウクライナベラルーシ、ロシアなどで好まれている。小麦粉を練った生地に色々な具材を包み、オーブンで焼くか油で揚げて作る。東欧伝統的な家庭料理であると同時に、ロシア皇帝ピョートル1世の時代から街中で売られている一般的な食べ物であり、現在ではファーストフード店でも売られている。

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ウクライナベラルーシ・ロシアの三国での大きさは幅6cmから13cmくらい。生地は鶏卵とバターを使ったパン生地、折りパイ生地、練りパイ生地など色々である。当国では、焼くピロシキの方が揚げるピロシキよりも一般的。具も多種多様で、畜肉(挽肉、レバー、脳など)、魚肉(サケ、チョウザメ、コクチマスなど)、ゆで卵、フレッシュチーズ、米、カーシャ、ジャガイモ、茸、キャベツなどが用いられる。お茶のお菓子として、ジャムや果物を詰めた甘いピロシキも作られる。間食として食べる他、コンソメやボルシチなど汁物に添えたり、朝と夜のお茶の時間に食べるのが一般的。東欧には他に片面だけを焼いたブリンチキで具を包み、パン粉をまぶしてバターで焼いた「ブリンチキのピロシキ」や、折りパイで作った円形の容器に具を詰めたフランスのヴォロヴァンによく似たピロシキがある。どちらも肉、レバー、脳などで作った具を詰めることが多い。

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近隣のラトビアポーランド、イラン、アルメニアにも伝わり、現在では世界的に有名な料理となった。ラトビアでは「ピーラーギ」(pīrāgi)、カレリアおよびフィンランドでは「ピーラッカ」(piirakka)として知られている。

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よく混同されるポーランドのピエロギ(ピェロギ、ペロギ、ペローギ、ピロギ、ピローギ、ピロゲン、プローギなど多くの別名があるが、いずれも「ロ」にアクセントがある)はおかずパンというよりも餃子状のダンプリングの一種である。

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日本のピロシキは揚げたものが主流で、具は挽肉、ゆで卵、春雨、タマネギ等を炒めたものを入れたり日本のカツレツ風にパン粉を塗して揚げたものもある。 具に春雨を入れるピロシキは1951年創業の渋谷ロゴスキー初代料理長・長屋美代が考案し、同店で提供するほか、料理レシピ本(柴田書店・「ロシア料理」「標準ロシア料理」など)やロシア料理講習会を行うことによって全国に広まった。 1960年代、1970年代に関西で人気を博したパルナス製菓のピロシキ(商品名パルピロ)は、ゆで卵、タマネギ、牛ミンチ肉を、塩、胡椒味で仕上げた具を用い、揚げて作っていた。日本でピロシキとして販売されているパンには日本人の味覚に合わせて大幅にアレンジされたものや、製造者が抱くイメージに基づいて作られているものも多い。さらには、実質的には揚げ中華まんとでも言うべき具材構成・味付けのものも決して珍しくはない。また、揚げパンの一種であるカレーパンは、ピロシキに着想を得て作られたといわれている。北海道札幌市内に幾つか存在するロシア料理店では、ロシア同様、焼いて作るタイプが主流である。

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イランのピロシキ(پیراشکی ピーローシュキー)は、小麦粉に水、卵、植物油、イースト、砂糖少々を入れて練ったパン生地で挽肉、トマト、タマネギ、刻んだゆで卵、パセリのみじん切り、ゼレシュク(zereshk)というメギの実などを混ぜた具を包んで揚げたものである。形はアラブ人の「サンブーサク」とよく似ている。

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ウズベキスタンピロシキには、パン生地にタマネギとマッシュポテトを具として入れ、揚げた物がある。

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ある意味「唐揚げにレモン」や「カレーパン」の先祖筋とも。

から揚げにレモンをかけるという風習が日本に広まったのは1980年代とされています。

 この頃はイタリア料理やスペイン料理などのお店が本国のものに近い味のものを提供するようになったのですが、その際に揚げ物にレモンを添えるということをしておりました。

これが転じて、から揚げにもレモンが添えられるようになったのですね。

そのため、家庭で出されるから揚げにはレモンを添えるということはほとんどなかったはずです。

カレーパン - Wikipedia

起源については、東京都江東区にある「名花堂」(現:カトレア)2代目の中田豊治が1927年に実用新案登録した洋食パンが元祖と言われることが多い。

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  • 同新案は「具の入ったパンをカツレツのように揚げる」という主旨であり、カレーの言葉は全く含まれていないが、この開発時にはちょうど関東大震災が起こり、店の建て直しを急いだ2代目が「洋食の2トップ」であるカレーとカツレツを取り入れたパンを思いつき開発したのだ、と5代目主人は語っている。

  • 一方、練馬区の「デンマークブロート」(1934年創業)では、創業者がカレーパンを発明したとしている。こちらはまずカレーサンドを発売し、後に揚げる事を思い付いている。このあたりは洋食が普及しつつあり、あらゆる業者が同時並行的に日本的洋食メニューを工夫していた時代背景とともに解するべきである。

  • また大正5年(1916年)に新宿中村屋の迎えたインド独立運動ラス・ビハリ・ボースが純インドカレーを伝え、これにヒントを得た相馬愛蔵によって発明されたという説も存在する。

いずれの店も現在まで存在し、その味を伝え続けている。

 レバノン移民がブラジルに広めたキッペ(Quibe)は現地でとても愛されている軽食で、伝統的なレシピにおいては沢山のスパイスを利用する。一般的に「肉団子のフライ」という認識でオーブンで焼いたり、また生でそのまま食べたりする。

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サンブーサク(アラビア語 Sambūsak)

サンブーセク、サンブーシクとも発音するアラブ人の料理。ペルシャ湾岸地方ではサンブーサ。

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  • 挽き肉や白いチーズを詰めて焼くか、あるいは油で揚げた半月形の小型のパイのような食べ物である。詰め物を生地で包んでから縁を指でひねって飾りをつけることが多い。アーモンドを粉にして砂糖と混ぜ、オレンジ・フラワーウォーターかカルダモンで香りをつけたものや、シナモンやクローブで香りをつけたナツメヤシの実のペーストを詰めた甘いサンブーサクも存在する。

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  • サーサーン朝ペルシア(226年〜651年)起源とされている。アッバース朝ではサンブーサジ (Sambūsaj) と呼ばれた。現存する最古の記録は、10世紀にアラブ人の博物学者・歴史家マスウーディーが著した『黄金の牧場と宝石の鉱山(ムルージュ・アッ=ザハブ・ワ・マアーディン・アル=ジャワーヒル Murūj al-Dhahab wa Ma'ādin al-Jawāhir)』の中にある、モースル出身でアッバース朝時代を代表する詩人イスハーク・イブン・イブラーヒーム・アル=マウスィリー (Isḥāq Ibn Ibrāhīm al-Mawṣilī) がバグダードのカリフムスタクフィーの御前で詠んだサンブーサジの製法についての詩である。

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  • アフガニスタンとイランのサンボーサ (Sambōsa)、中央アジアのサムサ (Samsa)、インドのサモーサー (Samosa) と関係がある。スペインとラテンアメリカのエンパナーダ(ポルトガル語ではエンパーダ、エンパディーニャ)の祖先とも考えられている。

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  • サンブーサジは中世ペルシア語からの借用語で「三角形」を意味する。元来は三角形をしていたのであろう。イランとアフガニスタンのサンボーサやインドのサモーサーは今でも三角形である。

そもそも世界中に似た食べ物が多い。

  • 今では「イタリアにパスタ料理を伝えたのは中国」と信じている欧米人はあまりいない。むしろそれ以前の段階でアフリカやアナトリア半島や中東より伝わったと考える方が自然だからである。イタリアとシュヴァーベン地方に伝わる「詰め物パスタ」もこの系譜に分類される事が多い。

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  • また「モンゴル世界帝国やティムール帝国を建国したテュルク諸族が東アジア起源の饅頭文化を世界中に広めた」という考え方にも疑問が持たれている。無論その都度影響は受けたのだろうが、中央アジアアナトリア半島やオリエント世界には既に相応の小麦文化が根付いていた事も明白となってきたからである。

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考えてみればアフリカに新世界の作持があっという間に広まっていったのも、相応の練り物文化が存在したからであった。いわゆる「つぶつぶパスタ」も随分と広範囲に広がっている。

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この様に地中海沿岸を中心とする小麦食文化はアフリカや中央アジアペルシャやインドや東欧・ロシアにかけて連続的に分布しているのです。そして、これと重なる様に豆食文化も分布しています。 

ファラフェルもしくはファラーフェル(アラビア語: فلافل (ArFalafel) 、ヘブライ語: פלאפל、英語: Falafel)

アラビア語での正式名称は「ام الفلافل(Umm al-Falāfel、辛きもの全ての母)」。「ファラーフェル」は複数形で、単数形は「フェルフラ(فلفلة、Felflah)」となる。ヒヨコマメまたはソラマメから作ったコロッケのような中東の食べ物。水にもどしてから磨り潰したひよこ豆かそら豆、またはその二つを混ぜたものにパセリやコリアンダーと様々な香辛料を混ぜ丸めて揚げたも。アレクサンドリアを除くエジプトでは、そら豆で作るものを「タアメイヤ(アラビア語: طعمية ta`amiyya)」と呼ぶ。

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欧米ではマシュリク式のひよこ豆のファラフェルが最もよく知られており、エジプトから東地中海沿岸、アラビア半島南部、イランまで広い地域で愛されている食べ物である。
マシュリク(مشرق Mashriq)

アラビア語で「日が昇るところ」を原義とし「東方」を意味する語。マグリブ(西方)に対して東方を指し、普通には概ねエジプト以東のアラブ諸国(東アラブ)のことであるが、その地理範囲は一定ではない。

今日ではシリア地方やイラクを指す言葉として用いられることが多いが、マグリブの地理概念に比べるとマシュリクのそれは曖昧であり、地域内の経済的・政治的繋がりもマグリブ諸国ほど緊密であるとはいえない。

マグリブ(Maghreb、مغرب)

アラビア語で「日が没すること、没するところ」を原義とする語。マグレブとも言う。「西方」の意味を持ち、地域名としても用いられる。また、ムスリムイスラム教徒)の義務である一日五回の礼拝(サラート)のうちの一つである日没時の礼拝を指す言葉でもある。

現地での代表的な食べ物にクスクスとタジン鍋がある。主にクミン、ターメリックサフラン、シナモンなどの香辛料を用い、味付けは香り高くマイルドだが、チュニジアではハリッサという唐辛子のペーストもよく使われる。イスラム教の教義に従って豚肉を食べることはまずない。イスラム教では酒を飲むことが禁止されているが、宗主国であったフランスの影響で、ロゼワインを多く産出する。ノンアルコール飲料の中では、ミントと砂糖を入れた緑茶はとても人気がある。モロッコ料理は特に美食で名高い。

 エジプトではそら豆のみ、シリア、レバノンイラクではそら豆とひよこ豆半分ずつ、パレスティナ地方やイェメンではひよこ豆のみで作ることが多い。そら豆を入れた方がファラフェルがしっとりするという。火を通してつぶしたじゃがいも、ブルグール (bulgur、挽き割りにした雑穀)、溶き卵を加えることもあり、イーストを加えてふっくらと揚げることもある。

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イスラエル建国当時、国外からの移民が集中した時、イスラエル国内では深刻な肉不足が起こり、安価で蛋白質が豊富なファラフェルは国民の貴重な蛋白源となった。しかしイラククルディスタンからの移民の中には先天的にグルコース-6-リン酸デヒドロゲナーゼ欠陥を持つ者が多く、そら豆の入ったファラフェルを食べてソラマメ中毒を起こし、死にいたることもあったため、イスラエルではそら豆のファラフェルは作られなくなった。
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ファラフェル(タアメイヤ)はエジプトの国民食でもあり、朝昼夜を通していつでも食される。コプト正教の祝日(特に四旬節)にコプト教徒はファラフェルを大量に作って友人や近隣の住民に配る習慣がある。

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パレスチナイスラエルではピタパンにトマト・キュウリ・フムスを挟み、タヒーニ (英: Tahini、胡麻ペースト)ソースやフムスをかけてラップ状サンドイッチにして食べることがある。ファラフェルについてはユダヤ人もアラブ人(パレスチナ人)も食べ方に違いはない。そして、イスラエルパレスチナにおいては、ファラフェルを販売している簡素な飲食店において、ファラフェルとともにプリガットなどのジュースやコカ・コーラやマカビービールやゴールドスターなどと一緒に飲食することが多い。また、左記の飲食店においては、ファラフェルだけではなくシュワルマやシュニッツェルなどの肉料理もメニューとされていることが多い。

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シュワルマ(ピタパンに挟んで食べるレバノンの羊焼やドネルケバブ

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シュニッツェル(トンカツの先祖)

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シリア、レバノンなどの地域では、ホブズ・マルクーク(خبز مرقوق)またはホブズ・アル=ジャバル(خبز الجبل)と呼ばれる直径30センチほどの薄いナン状のパンにトマト、イタリアンパセリ、赤カブやキュウリの漬物などを細かく切って散らし、これもまたざっと砕いたファラフェルを散らしてソースをかけ、くるくると巻いて食べる。

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ちなみに音が似ている東欧系ユダヤ人(アシュケナジム)の焼き皿料理ファルフェル(farfel:卵と大麦を練ったパスタ料理)やイタリアのパスタの一種ファルファーレ (Farfalle)は無関係である。
ファルフェル(イディッシュ語: פֿאַרפֿל、farfelまたはfarfl) - Wikipedia
マッツァー(ヘブライ語(セファルディム式) matztzāh(複数形 matztzōth), ヘブライ文字: מצה, ドイツ語 die Matze, Mazze ; マッツァとも)) - Wikipedia

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「イタリアのパスタ料理」ファルファーレ

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北米やヨーロッパ各国の中東料理店でもピタパンに野菜やソースとともに挟み込む形で供されている。日本でも東京都や京都市奈良市にこの様に供する店がある。

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もしかしたら「コロッケパン」の先祖筋とも? 

コロッケパン - Wikipedia

一般的にはウスターソースをつけたポテトコロッケを使用し、添え物にキャベツの千切りが入っていることが多い。ウスターソースに加えマヨネーズが使用されることもある。稀にクリームコロッケを挟む例もあるが、冷めても旨いかという点ではポテトに劣るとされる。

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焼きそばパンと同じように、炭水化物と炭水化物の組み合わせであるため、腹持ちが良く、安価で満腹感が得られるので、老若男女問わず愛されている食品である。

東銀座の「チョウシ(銚子)屋」が「肉屋としては日本初のコロッケ」を売り出したとされ、昭和2年(1927年)からコロッケとコロッケパンを売っている。

 「炭水化物+炭水化物」の組み合わせの菓子パンは案外、日本発祥ではないのかもしれない。まぁそれ以前から日本には「力うどん」の様な組み合わせも存在していた。

確実に言えるのは「(コロッケの語源とされる)西洋のクロケットは元来全く別物の料理だった」という事です。むしろその原型は「メンチカツ」に近いものでした。そもそも(コロッケの語源とされる)クロケットcroquette)と(カツレツの語源とされる)コートレット(仏cotelette)やカットレット(英cutlet)」の境界線自体が曖昧だったのです。そしてここに「新世界から渡ってきた新食材」馬鈴薯をどう料理したかという歴史的課題が重なってくるのです。

クロケット(croquette、クロケット、コケットゥ)

マッシュポテト、挽き肉(子牛肉、牛肉、鶏肉、またはシチメンチョウ)、魚介類、野菜、および白パン、鶏卵、タマネギ、香辛料とハーブ、ワイン、牛乳などを主材料とする小さな丸い揚げ物料理で具入りの場合もあり、パン粉で包むことが多い。通常円筒形または円盤型であり、揚げて作る。クロケット(フランス語で「バリバリ音を立てて咬む」ことを意味する動詞クロケ「croquer」より)はフランス発祥であり、料理とファストフードの両方として世界的に普及している。

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  • 中東中心に古代から普及してきた「キッビ」「キッベ」「キベ」または「クッパ」との類似性を指摘する向きもあるが、詳細は不明。

  • フランスの大事典ではクロケットの初出文献は1740年(元文5年)との記載があるが、イギリスの英語文献にクロケットが登場するのは1706年(宝永3年)。この両者の年代には34年の間があり、クロケットの起源説には謎がある(参考「おいしいコロッケ大百科」)

  • 欧米では「馬鈴薯を入れないクロケット(日本でいう「メンチカツ」や「クリームコロッケ」の仲間)」の方が一般的で、こちらが原型とされる。

ロシアのカトリェータ(ロシア語: котлета 、フランス語のコトレット(cotelette)より)…古い時代のフランス料理のレピシを継承。挽き肉(牛肉、豚肉、または合い挽き)、パン、鶏卵、白タマネギを塩と香辛料で調味し、小判型に整え、鍋で揚げて作る。パンは最大で肉の25%まで加えられ、出来上がりに柔らかさを与え、より安くする。

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その一方でロシア宮廷料理のカトリェータ(Катлета)は、イスラム圏でメゼ(前菜料理)として供されていたキョフテ(köfte、ミートボール)や、出自不明の欧州料理「タルタルステーキ」に衣を付けて揚げたものという側面も有する。材料は魚である事も。れにせよ近代化過程でオスマン宮廷料理の詳細が失われ、スペインやオーストリアが記録をほとんど残さず、その一方でロシアがナショナリズムの高まりから「ロシア宮廷料理の起源は全て現地郷土料理」と言い出した時点で実際の歴史は闇の奥に消失。

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イスラム圏でメゼ(前菜料理)として供されていたキョフテ(köfte、ミートボール) - Wikipedia

中東や南アジアに広まっているミートボールやミートローフ等の肉料理。
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ペルシャ語での呼び名「クーフテ」は、「たたく」「かき混ぜる」「挽く」などを意味する動詞「クーフタン」(ペルシア語: کوفتن, ラテン文字転写: kūftan)の過去分詞であり、「挽かれたもの(名詞)」を意味する。ペルシア語と同じ語派に属するヒンドゥースタン語における呼び名「コフタ」も同様である。トルコ語アゼルバイジャン語などにおける呼び名「キョフテ」はペルシア語からの借用語である。以下、各国での呼び名。

通常、牛肉やラムの挽肉にスパイスやタマネギを加え団子状に丸めたり平たく形を作って調理される。肉には滑らかなペーストを形作るために米やブルグァ(火にあぶって乾燥して砕いた小麦)、野菜、卵などが混ぜ込まれる。調理法もグリルやフライ、蒸し物、ポーチ(湯で加熱)、焼き、マリネなど様々でスパイシーなソースが添えられ、北アフリカや地中海、バルカン、南アジアなど広い範囲に多様なバリエーションがある。

  • パキスタンのコフタは牛肉や鶏肉から作られている。ナルギシコフタには卵が使われ、パキスタンではとても一般的である。

  • 2005年のある食品会社の調査によれば、トルコには291種類ものキョフテがあるとされる。

  • アラブ圏の国々のキョフテは通常、葉巻型のシリンダーにより成形されている。アラビア語の最古の料理本等の初期のレシピでは通常、味付けしたラム肉をオレンジ大に丸め卵の黄身で光沢を付けサフランを加えることもあった。この調理法は西洋にもたらされ「gilding」「endoring」などと呼ばれた(ともに「金メッキする」の意味)。

  • 様々な地域に存在するキョフテだがその中でもイランのタブリーズ名物のクーフテ・タブリーズィーは直径20cmと大きなサイズである。

  • 南アジア料理のコフテにはスパイシーなカレーが使われるのが一般的で、固ゆで卵が使われることもありインドやパキスタンのレストランや南アジアの家庭料理として広く食されている。固ゆで卵がスパイシーなコフテの肉の層に入れられたものはナルギシコフタと呼ばれ、イギリスのスコッチエッグ(Scotch egg)はムガル料理であったこの料理にインスパイアされたとも考えられている。

    スコッチエッグ - Wikipedia

    殻をむいた固ゆでのゆで卵を塩コショウやナツメグなどで調味した豚肉や牛肉の挽肉で包み、小麦粉、溶き卵、パン粉を衣としてつけてから揚げたものである。

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    ロンドンのデパート「Fortnum & Mason」で1738年に発明されたとされる。ただ中東や南アジアの挽肉料理であるキョフテ(コフタ)のうち、インドのナルギシコフタ(nargisi kofta)とそっくりであり、イギリスがこれを導入したとの説もある。

    イギリスでは伝統的なピクニック料理の一つとして認められており、どちらかと言うと冷めた状態で食べるのが基本である。ウズラの卵で作った小さなものもスーパーマーケットでよく売られている。

    横二つに切ってトマトソースをかけて食べる他に、冷やしたものを輪切りにしてサラダと一緒に食べたり、ピクルスと一緒に食べたりする。

    オードブルとして大量に作られるときには、ゆで卵を使わずに、あらかじめほぐした卵を長いソーセージのように加工して茹で上げ、それを挽肉などで覆ってから長方形の型に入れて揚げることがある。この場合、切り口は四角で、一度に大量に作ることができるという利点がある。

    卵が丸のまま入っているので、切らずにそのまま電子レンジで加熱すると破裂する事がある(爆発卵を参照)。

  • インド北東部ベンガル地方ではテナガエビや魚、バナナ、キャベツ、ヤギの肉などから作られる。レバノン料理のカフタは牛の挽肉とタマネギ、パセリ、オールスパイス、黒胡椒、塩を混ぜて下ごしらえされる。

  • モロッコではクフタはタジン鍋を使って調理される。

インドでは赤身の肉よりも魚や野菜などから作られる場合もある。ベジタリアン用のラウキコフタ(lauki kofta)やシャヒアルーコフタ(shahi aloo kofta)がインドではポピュラーである。

出自不明の欧州料理「タルタルステーキ(tartar steak、Steak tartare)」

生の牛肉または馬肉を、粗いみじん切りにし、オリーブオイル、食塩、コショウで味付けし、タマネギ、ニンニク、ケッパー、ピクルスのみじん切りなどの薬味と卵黄を添えたステーキ料理のひとつ。全体を均一になるように混ぜて食べる。日本では、マグロなどの赤身の魚で作られることもある。

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  • タルタルステーキの名前は、「タルタル人」に由来している。タルタル人とは、東ヨーロッパの人々がモンゴル帝国遊牧民たちを指して言ったタタールが、西ヨーロッパでギリシア語のタルタロスの影響を受けて訛ったものである。14世紀にモンゴル帝国が解体した後も、長らくモンゴル帝国の遺民であるユーラシア内陸部、中央アジア北アジアのモンゴル系、テュルク系、ツングース系の諸民族を漠然と指す民族名として、20世紀まで使われ続けていた。

  • 一般的に知られる説によると、タルタルステーキの調理法も、タルタル人から伝わったものである。モンゴル帝国当時の遊牧民たちは、遠征に際し、1人につき何頭も馬を連れていき、これらを乗用としてだけではなく、軍中の食料としても利用していた。しかし、乗用の馬は、食用に飼育された馬肉とは異なり、筋が多く、硬く食べにくかった。そこで、鞍の下に刀で細かく切った肉を入れた袋を置いて馬に乗り、自分の体重と馬の運動で潰してから味付けをして食べる食習慣があったとされる。ヨーロッパ料理のタルタルステーキは、このタルタル人たちの馬肉料理が起源と言われている。

  • しかし、ヨーロッパにこの料理が伝わると、農耕社会では馬は役畜であり、乗り潰す程に酷使することもなかったので、むしろ牛など別の家畜の肉が用いられるようになったという。また、生肉の生臭さを消すために、胡椒や香草を多用したのも、ヨーロッパにおける創案とされる。

  • 別の説では、タルタルステーキは、純粋にヨーロッパで生まれた料理とされる。この説は、生の挽肉を食べるということから蛮族風ステーキという意味で、当時蛮族の代名詞であったタルタル人の名をつけたとする。

  • 挽肉の焼肉料理であるハンバーグは、タルタルステーキを焼いて食べ易くしたものが起源とされ、その名前は発明された地名であるドイツのハンブルクに由来する。ただしドイツではこれをハンバーグステーキとは呼ばず、フリカデレと呼んでいる。
    *そして「ハンブルグ・ステーキ」はドイツ移民経由でアメリカに伝わる。

  • また、この種の遊牧民の生肉料理は朝鮮に伝来しユッケの元になっている。

日本では食品衛生法の規定により、加熱用肉を生で提供する事は禁止されている。

  • 日本では2011年(平成23年)4月25日、厚生労働省の薬事・食品衛生審議会で、牛肉・馬肉には寄生虫として旋毛虫、馬刺しの住肉胞子虫(Sarcocystis fayeri)がついている可能性が高いと報告がある。

  • また牛肉について旧厚生省は「生食用食肉の衛生基準(1998年(平成10年)9月11日生活衛生局長通達)による生食用食肉の出荷実績はなく2008年(平成20年)、2009年(平成21年))、ユッケなど生の牛肉を食べて腸管出血性大腸菌 O157O111カンピロバクターに感染した事例がある。

  • 2011年(平成23年)4月には、焼肉チェーン店で発生した腸管出血性大腸菌による集団食中毒事件で死亡者も発生した事から規制が行われるようになり、日本国内において規制に適合した生食用牛肉を出荷している実績が0であり流通していない。

なお、家庭で作るのであれば分厚いブロック肉を用意して作る方法がある。 この肉の表面をまんべんなく焼いて、細菌を死滅させて氷水につける。そして表面を削ぎ、内部の生の肉を叩いて作れば、細菌による食中毒は防ぐことができる。

フランスのクロケット・ド・ボライユ(cotelettes de volaille 「家禽のクロケット」の意)に似た「キエフ風カトリェータ」、カトリェータ・パ=キーイフスキ(котлета по-киевски 、いわゆるチキン・キエフ…骨を抜いた鶏むね肉を叩きのばし、冷たい無塩バターを巻いてパン粉をまぶし揚げて作る。

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ポルトガルのクロケーテ(ポルトガル語: croquete)…円筒形で、パン粉をまぶして揚げて作る。通常ホワイトソースと牛肉で作り、小量の豚肉で作る場合もあり、チョリソ、コショウ、バカラオ、ピリピリを残り物に加えて作られることが多い。ポルトガルでは魚介類や野菜(ジャガイモ)のクロケットも食べられるが、まれである。

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スペインのクロケータ(スペイン語: croqueta)…基本的にじゃがいもの代わりにベシャメルを詰める。特にハモン(jamón、塩漬けハム)または鶏肉を具とするものは、一般的なタパス料理となる。ベシャメルを詰めないクロケータもまたスペインの一部で食べられる。

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クロケタス デ バカラオ ( Croqueta Brandada de Bacalao、干しタラのコロッケ)…スペインのバル(バー)で提供される小皿料理「タパス」の定番の一つ。干しタラをもどして作るクリームコロッケの一種で馬鈴薯は入っていない。 お好みでレモンを添えたりアリオリソースというにんにくとレモンを加えたマヨネーズの様な ソースを掛ける。
バカラオ(西: Bacalao、葡: Bacalhau バカリャウ、伊: Baccalà バッカラ)

タラ(鱈)の塩漬けの干物、またはそれを用いた料理を指す。南ヨーロッパ諸国、スペインやポルトガルの植民地であった中南米諸国、そしてタラの捕獲地である北欧諸国を中心に食べられている。

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  • スペイン語圏において、単にバカラオというとタラを指すが、むしろ塩漬け干ダラのバカラオ・エン・サラソン(Bacalao en salazón)を意味することが多い。

  • 塩漬けにして乾燥した場所で数ヶ月保存する。1匹丸ごと保存加工されたタラの塊はバカラーダ(bacalada)と呼ばれ、ほぼ三角形の形をしている。主な生産地は北欧諸国と北アメリカの北東部である。保存性の高いバカラオは航海中の食料に向き、三角貿易で盛んに取引されたため、タラの産地から遠いブラジルや西インド諸島、西アフリカでもよく食べられている。かつては庶民的な食材であったが、1990年代にタイセイヨウダラの資源量が激減して以来、価格が上昇した。

同じく塩蔵されるタラ科スケトウダラ属の魚ポラック(Pollock)とよく混同されるが、バカラオはタラ科マダラ属の魚(英語:Cod 、コッド)を用いる。 また北欧諸国のルーテフィスク(Lutefisk)は乾燥させた鱈を灰汁で柔らかくゼリー状にしたもので、塩蔵はしていないため、バカラオとは異なる。

  • 塩ダラの干物…この方法で保存すると、ココチャス(kokotxas、喉肉)などの肉、卵、骨、肝臓、浮き袋など料理に使える多くの部分を取り除くことになる。塩漬けで数ヶ月乾燥させると三角形の平らな形となり、持ち運びが楽になるとともに、少ない量であれば重ねて積むこともできる。

  • 塩抜き(下ごしらえ)…塩蔵された魚は大量に塩が用いられているため、そのままで食べることはできない。調理の約24時間前から冷水で塩抜きする。塩抜きの途中で1度か2度水を変えるが、その頻度はタラの大きさによって異なる。塩抜きが完了したらすぐに調理を始めるべきである。塩抜きの段階で薄くはがれた細切れの肉片は「バカラオの切れ端」(migas de bacalao 、ミガス・デ・バカラオ)として別売りされることがある。

  • バカラオは、スペイン・ポルトガル・イタリア・フランスおよび中南米諸国と係わりが深い。これらのカトリック文化圏では、謝肉祭の最終日(マルディグラ 、太った火曜日の意)の翌日である灰の水曜日から復活祭の前日までの40日間を四旬節といい、かつてはこの期間中に小斎として鳥獣の肉を絶つことになっていたため魚を食べた。20世紀後半以降は四旬節のうち、灰の水曜日とキリストが十字架にかかった聖金曜日のみ、あるいは受難と同じ曜日である毎週金曜日に鳥獣の肉を食べない習慣となっている。南欧や中南米では聖金曜日を含む四旬節の最後の1週間に当たるセマナ・サンタ(聖なる1週間、Semana Santa)用の伝統食が確立されており、タラとくに塩漬けのバカラオはセマナ・サンタの象徴的な食べ物となっている。

  • スペインにおいてタラはセマナ・サンタに食べる伝統的な魚であり、スープ、フライ、コロッケ、トルティージャなど様々な料理に用いられる。アルゼンチンでも肉食を避ける日はマグロを詰めたエンパナーダとともにバカラオのシチューが代表的な食事となっている。バカラオが手に入らない場合はサメの肉(カソン、cazón)で代用する[1]。エクアドルとコロンビアではファネスカ(FanescaまたはJuanesca)というバカラオのスープを食べる習慣がある[2]。また、この時期 ブラジルでも、スカンジナビア諸国から大量のタラを輸入しており、その量は世界最大となっている。近海の魚でなく敢えて遠方の寒流に棲むタラを食べるのは、宗教的な伝統食であること、三角貿易旧宗主国であるポルトガルの食生活の名残であることとされる。

  • メキシコは例外で、セマナ・サンタの時期ではなくクリスマス・イブに食べる。カトリック教徒はクリスマス前の待降節期間中も四旬節同様肉食を避けるためである。

ポルトガルの植民地であったマカオでもバカリャウ料理は一般的である。広東語にも借用語として入り、「馬介休(マーガーイヤウ ma5gaai3yau1)」と呼ばれている。

オランダのクロケットオランダ語: kroket)…以前は様々な肉や野菜を具とするフランス料理のごちそうだったが、1800年代にシチュー肉の残り物を用いるようになった。第二次世界大戦後、多くの業者が牛肉を具とするクロケットの製造販売を開始。クロケットは次第に、肉のラグーにパン粉をまぶし揚げたファストフードとして、より一般的になった。ファストフードとしての成功は、品質が疑わしい安い料理との評判も集め、くず肉や精肉の残りが材料と伝聞されるオランダの都市伝説さえある。クロケットマクドナルドでも販売されるほど一般的である。通常のラグーの具のほかにファストフード店で供される一般的な具は、ゆで卵、麺類、小エビ、および米である。小さなクロケットのビッテルバル(bitterbal 、「ビターズの供の肉団子」の意)は、バーおよびレセプションの軽食としてマスタードを添えて供される。

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ブラジルのクロケーテ(ポルトガル語: croquete)…基本的に牛肉で作られ、ドイツ料理の一部として供される。具はコンビーフの様な味わいとの事。

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ポーランドのクロキエット(ポーランド語: krokiet)…基本的にキノコ、肉、キャベツ、ザワークラウト、またはこれらの組合わせの材料を詰めた薄いパンケーキで作る。パン粉をまぶし鍋で揚げて通常ボルシチのような透明なスープと共に供される。

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キューバ/プエルトリコ/ペルーのクロケータ(スペイン語: croqueta)…ハム、牛肉、鶏肉、または魚で作られる。通常ジャガイモではなく穀粉を材料とする。こららの地方では「馬鈴薯入りクロケット」は別分類の料理となる。

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アメリカ東海岸で食べられている「ボードウォーク」の魚肉団子(フィッシュ・ケイク(fish cake))と蟹肉団子(クラブ・ケイク(crab cake))…それぞれ魚のすり身、蟹肉をバターを加えた生地に混ぜてパン粉をまぶし揚げる。

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フロリダ州タンパのデヴィルド・クラブ(deviled crab)またはクロケータ・デ・ハイバ(croqueta de jaiba)…調味した蟹肉で作るクロケットの一種。伝統的にキューバパン(Cuban bread 、フランスパンやイタリアパンに似るが、生地に少量のラードか植物性ショートニングを配合するのが主な特徴)のパン粉をまぶす。地元でこの料理はデヴィルド・クラブ(deviled crab 、「香辛料を効かせた蟹肉」の意)、あるいはスペイン語でクロケータ・デ・ハイバ(croqueta de jaiba 、ハイバはカニの仲間、特にワタリガニ科のアオガニのこと)と呼ばれる。

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アメリカ南部で一般的なサケのクロケット…現地ではこの料理をサーモン・クロケットとは呼ばず、サーモン・パティと呼ぶ。魚のパティで最もパリっとしたものは砕いた塩ふりクラッカーを用いる。缶詰のサケ、サバ、ツナを手ですりつぶし、骨を砕いて、つなぎと調味料を加える前に滑らかにする。さらに、鶏卵、コショウ、刻んだ(場合により炒めた)タマネギ、つなぎのうち1つまたは複数を加える。つなぎは、穀粉、トウモロコシ粉、マッツァー粉、挽いたクラッカー、白米、またはオートミール等のデンプンであるが、オートミールアメリカ合衆国北部でのみ用いる。生地を丸いパティの形に整え、オリーブオイル、バター、菜種油、ベニバナ油、落花生油のような油でフライパンで揚げて作る。このパティの「魚の風味」の秘密は、パセリとパルミジャーノ・レッジャーノをつなぎに加えることである。華氏400度で「オーブンフライ」に焼くこともある。

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馬鈴薯クロケット」なる新機軸

一方、コロッケにジャガイモを使うのは中東の定番料理「ファラフェル(ひよこ豆や空豆を使ったコロッケの一種)」の影響ともいわれる。また北欧から東欧やスイスにかけて人気のポテトパンケーキ文化との関連も指摘されている。
「北欧から東欧やスイスにかけて人気の」ポテトパンケーキ(Potato Pancake)

すりおろしたジャガイモの生地を、フライパンや鉄板で焼いた料理。北欧や東欧で広く食べられる。ジャガイモはすりおろす以外にみじん切りにされる場合やせん切りにされる場合もあり、せん切りで作る場合はハッシュドポテトに似たものになる。冷めたマッシュポテトで作っても美味しく、この場合は焼いたコロッケに似ていなくもない。

ドイツのポテトパンケーキ

富国強兵を支える人口増加の為に馬鈴薯色が奨励され、その結果多くの伝統的郷土料理との融合が図られた。

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カルトッフェルクーヘン Kartoffelkuchen…皿に盛ったポテトの層の上にピザの様な具材の層を敷く。逆に皿に具材を敷いた上にマッシュポテトの層を敷く英国のコテージパイ(18世紀には既に食べられていた)や東欧のカルトーフェリナヤ・ザペカンカ(ベラルーシ起源でロシアやウクライナにも広がる)やまた20世紀以降ギリシャバルカン半島に広まった「馬鈴薯のムサカ(具材で幾重にも層を形成し、ペシャメルソース、カスタードクリーム、マッシュポテトやライスなどで閉じる)」を連想させる。いずれも小麦粉を用いた郷土料理を発展させたものであろう。

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カルトッフェルプッファー Kartoffelpuffer

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ライバーダッシ Reiberdatschi

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ライベクーヘン Reibekuchen

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スイスのレシュティ(Rösti

穀物が育たない山岳地帯が多く、馬鈴薯料理が豊富。

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ポーランド北西部のポテトパンケーキ

ドイツ北東部と併せ歴史的に「ポメラニア、ポモージェ、ポンメルン(ポーランド語: Pomorze, ドイツ語: Pommern, ポメラニア語(カシューブ語): Pòmòrze, Pòmòrskô, ラテン語、英語: Pomerania, Pomorania)と呼ばれてきた地域。北をバルト海、東西をオーデル川とヴィスワ川にはさまれた地域でイヌの品種ポメラニアンの原産地。また世界の琥珀の90パーセントがポーランド領ポモージェ地方の海岸で産出される。海岸の砂地より奥はマツ・ブナ・ナラ・カバなどの原生林や沼沢地が多くを占め、農業に適しておらず様々な味付けをされたポテトパンケーキが食べられている。例えば、ポーランド語で言うハンガリーのポテトパンケーキ(プラツキ・ヴェンギェルスキェ Placki węgierskie)は、スパイスを効かせたグヤーシュ(ポ語:Gulasz<グラーシュ>。牛肉の煮物)を添えたものである。ポテトパンケーキが添えられる「ウィーン風グヤーシュ」に似てる?

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東欧ユダヤ民族(アシュケナジム)のラトケス(Latkes, Lotkes)

東欧の馬鈴薯食文化の系譜に位置する。

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スウェーデンのポテトパンケーキ

ドイツ同様に富国強兵を支える人口増加の為に馬鈴薯色が奨励され、その結果多くの伝統的郷土料理との融合が図られた形跡が見受けられる。

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ラッグムンク(Raggmunk)

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ポタティスカーカ(Potatiskaka)

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ポタティスブッラー(Potatisbullar)

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ポタティスプレッター(Potatisplättar)

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ロラカー(Rårakor)

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ポタティスヴォッフラー(Potatisvåfflor)

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レヴヴォッフラー(Revvåfflor)

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北米その他の地域におけるポテトパンケーキ

北米ではヨーロッパ系移民の伝統的なポテトパンケーキがもとになっている。むしろ付け合わせのソースに独特の主張が感じられ、「フレンチフライに何を掛けるべきか」論争もこの辺りの混乱に端を発する。

ハッシュドポテト(ハッシュブラウン)Hash Brown

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テイタートッツ Tater Tots

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またベラルーシではカルトーフェリナヤ・ドラチョーナ・ス・ミャーサム(肉入りドラニキ、ドラニキ=揚げ焼きポテト/ポテトパンケーキ)が食べられているし、ラトビアフィンランドなどにも様々なポテトパンケーキが存在する。

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ところでフランスやイタリアではポテトパンケーキというより(敷き詰めた馬鈴薯をペシャメルソースで閉じる)ポテト・グラタン(およびホウレンソウやブロッコリーやズッキーニを使った野菜グラタン)が好んで食べられている。そしてペシャメルソースで閉じてないグラタンは、最早アラブの温サラダたるムサカと区別がつかない。

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ムサカ (ギリシア語:μουσακάς; トルコ語:musakka; アラビア語:مسقعة musaqqaʿa )

ギリシャバルカン半島マシュリク、エジプトなど東地中海沿岸の伝統的な野菜料理。これらの地域以外ではギリシア料理のムサカが最もよく知られている。起源はアラビア語で「冷やしたもの」を意味する「ムサッカア」で、「サッカア」(سقع / saqqaʿa、「冷たくする」の意)という動詞に由来する。このことから、マシュリクのムサッカアは冷菜として扱われていたことがうかがえる。

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アラブ人のムサカは主にトマトとナスやズッキーニを使った温サラダのことで、イタリアのカポナータやフランスのラタトゥイユに似ており、メゼの一品としても供される。別名をムナッザラ(منزلة)またはムナッザリともいい、ヒヨコマメを入れたり、鶏卵でとじることもある。

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*ここまでくると中東起源と目されている以下の料理との境界線も曖昧になってくる。

そもそも茄子はアラブ人が地中海沿岸のイベリア半島、南仏、南イタリアに伝えた野菜。南フランス発祥の「ラタトゥイユ(ratatouille)」やイタリア南部のシチリア島が発祥の「カポナータ(caponata)」やスペインの「エスカリバダ(Escalivada)」、トルコ料理「シャクシュカ(Şakşuka)」も併せて伝えられたと考えられている。

http://www.seriouseats.com/recipes/assets_c/2013/08/081413-262367-cook-the-book-ratatouille-tian-thumb-625xauto-345156.jpghttp://www.buonissimo.org/archive/borg/G9HcrmfCxlA%252FpyJbobuSpTGa%252FwG6jFVUwOERnoGHhMy3a6Skr7o9Xw%253D%253D

http://st.depositphotos.com/1354142/1901/i/950/depositphotos_19019585-stock-photo-escalivada-spanish-cuisine.jpg

*そしてトルコ料理「シャクシュカ(Şakşuka)」は揚げ野菜(ダイス状に切ったじゃがいも、茄子、ズッキーニなど)のトマトソース掛け。おそらく本料理が存在し、素材の一部が新世界の作物に置き換えられた。オスマン帝国の宮廷料理起源とも?

http://luxurykalkanrentals.com/wp-content/gallery/private-chef/6.-Aubergine-pepper-potato-and-tomato-salad.jpg

 トルコのムサカは材料を層にしない。ソテーや素揚げにしたナス、ピーマン、トマト、タマネギ、挽肉を使い、ジャージク(Cacık)やピラフと一緒に食べる。ズッキーニ、カリフラワー、ニンジン、ジャガイモを使ったものもある。ベシャメルソースを加えず、素材をじっくりと煮込んで旨味を引き出すせいで胃にするりとおさまる。トルコの食堂ロカンタで大人気。

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ギリシャで最も一般的なムサカは、耐熱容器にオリーブ・オイルでソテー、または揚げたナスのスライス、マッシュポテトまたは火を通したジャガイモと一緒に調理したラムの挽肉、ベシャメルソース(ホワイトソース)を順に重ねてオーブンで焼いた、グラタンに似た料理である。このレシピは1920年代にギリシャ料理にフランス料理の要素を取り入れ、東洋的な要素を取り除いてギリシャ料理の「脱亜入欧」を計った料理人ニコラオス・ツェレメンテス(Nikolaos Tselementes)によって紹介されたものだといわれる。ベシャメルソースにはバターを使わないことがあり、使ってもほんの少しか、オリーブ・オイルを用いたり、クリームで代用することもある。チーズやパン粉が上にかかることも多い。基本的なレシピにはいくつものバリエーションがある。ソースを使わない場合もあるし、他の野菜が入る場合もある。ギリシャで一般的なのは、バリエーションとしてナスに加えズッキーニ、ジャガイモ、マッシュルームを使うものである。ツェレメンテスによるギリシャの料理本には、ギリシャ正教会で肉食を禁じられる斎の日用のムサカさえある。これは肉も肉汁のソースも使わず、挽肉の代わりに細かく切ったナスなど野菜を用い、トマトソース、パン粉だけで作るものである。乳製品を禁じられていない期間中なら、フェタチーズを使ってもよい。欧州のポテトパンケーキの影響が色濃いとも。

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ブルガリアセルビアボスニアルーマニアで出されるムサカはナスやズッキーニのかわりにジャガイモが使われることが多い。バルカン半島の他の国では一番上の層にはカスタードが使われることが多く、カスタードには牛乳の代わりにヨーグルトを入れることもある。ルーマニアには、キャベツや卵つなぎ麺のムサカもある。セルビアには米を使ったムサカも存在する。ギリシャ同様、欧州のポテトパンケーキ文化の影響が感じられる。

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スペインでは卵料理「トルティージャ」の主要材料に馬鈴薯が加えられた。その一方ではアストゥリアス地方の様に同じ新世界作物でも馬鈴薯でなくインゲンマメ隠元豆、Phaseolus vulgaris)を選んだ地域もある。

トルティージャ(tortilla、tortilla españolaまたはtortilla de patatas、トルティリャ、トルティーヤ)

スペインのオムレツのような卵料理。スペイン語の"lla"の発音は地域や話者により異なり、スペインでは「ジャ」に近い発音を、メキシコでは「ヤ」に近い発音をする人が多い。平らに丸く焼いたオムレツでイタリアのフリッタータや中東、西アジアの伝統的なオムレツと似ている(イベリア半島を征服した後ウマイヤ朝のアラブ人がスペインに伝えたのかも知れない)。日本とイギリスでは「スペイン風オムレツ」(スパニッシュオムレツ)と呼ばれる事も多い。

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*ハビエル・ロペス・リナヘは、トルティージャの発明者はバダホス県のビジャヌエバデラセレナという村の出身であったJoseph de Tena Godoyで、1798年2月に初めて作られたとする。「(産業革命による生鮮食品流通範囲が拡大した)流通革命以前は田舎料理」という良くあるパターンだったのかもしれない。

  • 中南米ではスペイン風トルティージャ(tortilla española)や、トルタ (torta)と呼んでいる(なお、トルタは厚焼きのもの全般を指す事があり、ケーキなどもトルタと呼ぶことがある。メキシコでは、ややフランスパンに似ていなくもないずんぐりしたパンを横半分に切って肉、アボカドの薄切り、フリホレスのペーストなどをはさんだサンドイッチをトルタと呼んでいる)。しかし、スペインからの独立が遅かったキューバや、独立後にスペインからの移民を大量に受け入れたアルゼンチンなどでは、単にトルティージャというとこの卵料理を指す。

  • ジャガイモ、タマネギ、ホウレンソウ、ベーコンなどの具材をいため、塩で味付けをした卵に混ぜ、フライパンで焼く。一般のオムレツのように袋型にまとめる事をせず、フライパンの丸い形のまま焼き上げる。厚手に焼くときには、大皿などを使って裏返し、両面をよく焼く。弱火で蒸し焼きにするようにし、フライパンをよく揺すってふちを丸めるときれいに仕上がる。具材をたっぷり入れて2cmくらいの厚さに焼いたものを、ケーキのようにくさび形に切り分けて盛りつけるのが一般的である。具材は好みに応じて、生ハム、エビなどが使われる事もある。日本のお好み焼きのように、作る人によって様々な具材が使われるが、ジャガイモだけは欠かせない。

  • 焼くときに使う油にオリーブ油を使うと本場の雰囲気が出る。さらに、ニンニクを浸したオリーブ油を使うと風味が増す。

因みに地元では半熟ではなく固焼きが好まれる。 また日本でいう「プレーン・オムレツ」(単なる卵だけのもの)は、「フランス風トルティージャトルティージャ・フランセサ tortilla francesa)」と呼ばれ、逆にフランス語ではトルティージャのことを「スペイン風オムレツ(omelette espagnole)」と呼ぶ。

*なんとなく同じ卵料理の一種であるキッシュ(仏: Quiche)を連想させるものがある。

キッシュ - Wikipedia

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卵とクリームを使って作るフランス、アルザス=ロレーヌ地方の郷土料理。パイ生地・タルト生地で作った器の中に、卵、生クリーム、ひき肉やアスパラガスなど野菜を加えて熟成したグリュイエールチーズなどをたっぷりのせオーブンで焼き上げる。

ロレーヌ風キッシュ(キッシュ・ロレーヌ)では、クリームとベーコンを加える。ナッツ類を加える場合もある。生地ごと三角形に切って皿に出す。語源はドイツ語のKuchen(クーヘン)である。

地中海沿岸の地域でも一般的な料理である。
この料理もまた「(産業革命による生鮮食品流通範囲が拡大した)流通革命以前は田舎料理」という良くあるパターンだったのかもしれない。

ここにも地中海沿岸特有の「イスラム文化圏との連続性」が見出せるとも。

要するにこうした料理は、まず「これからは馬鈴薯を食べねばならない」という普遍的命題が存在し、全国各地において様々な試行錯誤が行われてきた結果なのである。
*そういえば日本でマカロニグラタンやマカロニサラダが広まった背景には、ナポリタン・スパゲティ同様に敗戦後の食糧何を背景にアメリカから大量輸入された「ふにゃふにゃの薄力粉製パスタ」を少しでも美味しく食べる為の工夫があったという。

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*その一方で明治維新を迎え「身体改善」の必要に迫られた日本人は「馬鈴薯の常食化」を目指して「肉じゃが」や「カレーライス」の様な料理も開発してきた。

肉じゃが - Wikipedia

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1870年(明治3年)から1878年(明治11年)までイギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、日本へ帰国後、艦上食として作らせようとした。しかし、ワインもドミグラスソースも無く、そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりという話がある。

しかし、当時の日本では既にビーフシチューやその変形であるハヤシライスが洋食屋での一般的メニューであったこと、また、牛肉を醤油と砂糖で煮るのは牛鍋や牛肉の大和煮と同様の手法であることなどから、代用したという説は、単なる都市伝説に過ぎないとする意見もある。

発祥地論争

京都府舞鶴市が1995年(平成7年)10月に「肉じゃが発祥の地」を宣言。1998年(平成10年)3月に広島県呉市も「肉じゃが発祥の地?」(最初に宣言した舞鶴市に配慮して「?」をつけた)として名乗りを上げた。それぞれ以下を根拠にあげている。

そこで両市とも大岡裁き的に「舞鶴・呉の双方が発祥地」としている。

ご当地グルメとしての肉じゃが

近年は、発祥地に関する「論争」を逆手に利用し、それぞれがライバル関係をアピールしながら連携して肉じゃがと海軍ゆかりの街をアピールする活動が多い。また、それぞれの街ではご当地グルメの肉じゃがが考案され、地域おこしに利用されている。

まいづる肉じゃが京都府舞鶴市で提供されているご当地グルメである。肉じゃがで街を活性化する目的で、市民有志によって「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」が結成され、市内の飲食店で販売されるようになった。材料には男爵いもを用いている。

くれ肉じゃが広島県呉市で提供されているご当地グルメである。肉じゃが発祥の地として当市をアピールするために地元の市民団体を中心に「くれ肉じゃがの会」が結成され、会員店舗で販売されるようになった。材料にはメークインを用いている。

日本軍における調理法

陸海軍それぞれ、公的な教本などにレシピが記載されており、肉じゃがの調理法は両軍問わず日本軍に広まっていた。

海軍厨業管理教科書「旨煮」
海軍経理学校で1938年(昭和13年)に刊行された「海軍厨業管理教科書(舞鶴海上自衛隊第四術科学校保管) 」には「旨煮」のレシピが次のように紹介されている。

  • 材料は生牛肉、蒟蒻、馬鈴薯、玉葱、胡麻油、砂糖、醤油
  • 油入れ送気 ※蒸気釜の熱源である蒸気を送って、加熱することを指す
  • 3分後生牛肉入れ
  • 7分後砂糖入れ
  • 10分後醤油入れ
  • 14分後こんにゃく、馬鈴薯入れ 
  • 31分後玉葱入れ
  • 34分後終了

日本陸軍でも、1928年(昭和3年)に刊行されたレシピ集である「軍隊調理法」の中に、「牛肉煮込」という名称の料理が記述されている。

  • 鍋に「ラード」を入れ、牛肉、生姜、山椒の実及少量の葱を加へて空煎りし火の通りたるとき少量の湯を加へ、肉の軟くなる迄煮熟す。

  • 肉の軟くなりたるとき人参、馬鈴薯の順序に投入して煮立て、砂糖、醤油にて調味し、最後に葱を入れて煮上ぐ。

この料理は現在の肉じゃがに似ているが、しかし高森直史「海軍 肉じゃが物語 ルーツ発掘者が語る海軍食文化史(2006年)は、肉の軟くなる迄煮熟するのであれば「すき焼きにじゃがいもを放り込んだ料理」だとして、肉じゃがとは認めていない。

カレーライス - Wikipedia

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インド料理を元にイギリスで生まれ、日本で独自に変化した料理である。 イギリスでは「イギリス英語: curry and rice(カリーアンドライス)」の他「イギリス英語: Curried rice(カリードライス)」とも呼ばれる。日本語では省略して「カレー」と呼ばれることが多く、ラーメンと並んで『日本人の国民食』と呼ばれるほど人気がある料理である。 小中学校の給食メニューの人気アンケートでもつねに上位に挙げられている。

  • インドのカレーよりとろみが強くなっているのは、イギリス海軍のメニューに採用されたとき、船の揺れに対応するためだったという説がある。

  • また、ソースを重視するフランス料理の手法を取り入れたからという説もあり、イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル社により生産されたカレー粉がフランスに渡り、フランス料理のカリー・オ・リ(フランス語: curry au riz、すなわちカレーライス)の名の西洋料理になったともいわれている。

  • カレーライスが家庭料理として普及しはじめた大正時代は、小麦粉とカレー粉をバター等で炒めてカレールウを作り、これを鰹だしなどで伸ばしてカレーソースを作っていたが、現在は湯で溶かすだけでカレーソースが作れるインスタント・カレールウ製品が普及している。

日本で初めて「カレー」という料理の名を紹介したとされる書物福沢諭吉の「増訂華英通語」(1860年、万延元年)で、「Curry コルリ」という表記がある。

カレーライスの調理法を初めて記載したのは、1872年(明治5年)出版の『西洋料理指南』(敬学堂主人)である。食材として「ネギ・ショウガ・ニンニク・バター・エビ・タイ・カキ・鶏・アカガエル・小麦粉・カレー粉」を挙げている。同書はインドのチャツネも掲載しているが、カレーとは結び付けられていない。また、同じ年に出た『西洋料理通』(仮名垣魯文)は、「牛肉・鶏肉・ネギ・リンゴ・小麦粉・ユズ・カレー粉」を挙げている。

小菅桂子は、材料に蛙肉が入っているところから、フランス料理の要素が取り入れられた可能性を指摘している。しかし蛙肉を使ったレシピはあまり普及せず、ネギ(長ネギ)も大正時代にはほぼタマネギに置き替わった。現在、カレーの具として普及しているジャガイモ・ニンジン・タマネギは、明治のはじめにはまだ珍しい「西洋野菜」であったが、開拓地の北海道を中心に徐々に生産が広がった。国産の安価なカレー粉が登場したこともあいまって、大正時代の頃に現在の日本のカレーライスの原型が完成したと考えられる。

1905年(明治38年)、大阪道修町の薬種問屋の主人2代目今村弥兵衛が国産初のカレー「蜂カレー」を発売。

1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」から、初めての即席カレーといわれる「カレーライスのたね」が発売された。その内容は不明だが、肉やカレー粉の固形化されたものであり熱湯を注げばカレーとなるものとされる。

1914年(大正3年)には、東京・日本橋の「岡本商店」から「ロンドン土産即席カレー」という即席商品が発売されている。

1926年(大正15年)に大阪ハウス食品が、カレー粉・小麦粉・油脂・旨味成分などを固形化した「インスタント・カレールウ」を「ホームカレー粉」の商品名で発売。

1945年(昭和20年)11月、オリエンタルが、カレーが家庭料理に普及しつつある事に着目し、当時、カレーと言えば、炒めた小麦粉にカレー粉を混ぜるなど大変手間が掛かる事から、「その手間を省き、調理を簡単に出来れば売れる」と考え、事前に炒めた小麦粉とカレー粉を混ぜた粉末状のインスタントカレーであるオリエンタル即席カレーを完成させた。

固形製品は、1954年(昭和29年)にエスビー食品が初めて発売した。昭和30年代からテレビによるCMを主とした各製造販売会社の販売合戦が起こり「即席カレー」の生産と消費が急増した。1960年(昭和35年江崎グリコが板チョコの生産技術を生かし、ブロックごとに割って量を加減できるワンタッチカレーを発売。現在の日本の家庭では、「インスタント・カレールウ」を使って調理する事が多い。

外食としてのカレーライス

明治時代初期においてカレーライスは、限られたレストランで食することが可能な高額のハイカラ料理だった。

1903年(明治36年)、道修町の薬種問屋「今村弥兵衛」(現・ハチ食品)から即席カレー粉が発売され、近隣の店に使用された。

明治時代後期頃までは西洋料理店がカレーライスの主な媒介的存在となっていたが、明治時代末期より食堂のメニューにライスカレーカレーうどん・カレーそばが出るようになってから次第に大衆化されていった。

1910年(明治43年)、大阪・難波新地に、西洋料理店・「自由軒」が開業した。1940年(昭和15年)、織田作之助が小説『夫婦善哉』でこの店の「混ぜカレー」(または「名物カレー」)を紹介して有名になった。当時の店主が「ご飯は冷めても、熱いカレーと混ぜることで、熱々のカレーになる」「どっちみちご飯とカレーを混ぜるのやったら、はじめから混ぜといて、熱々をたべていただくのがよろし‥」との考えから、カレーソースとライスをあらかじめ混ぜる提供方法にし、中心に生卵を載せて出される。ウスターソースをたっぷり掛けて食べることが勧められている。

大正時代後期(関東大震災後)には、東京庶民が気軽に利用してきた外食店の蕎麦屋が、カレー南蛮やカレー丼のような和洋折衷料理を出すようになり、また和・洋・中となんでも扱う大衆レストランでも、比較的安価な洋食として、人気メニューとなった。

1927年(昭和2年)、東京の「新宿中村屋」が喫茶部を開業し「純インド式カリ・ライス」を80銭(当時の大衆食堂のカレーライスの10倍の値段)で出した。日本で初めての本格的な「インドカレー」で、高値にもかかわらず1日300食を売り上げたという。

1929年(昭和4年)、大阪・梅田に開業した阪急百貨店大食堂のライスカレー(20銭)は、比較的低価格で本格的なカレーが味わえるということで人気を集めた。また、ライスカレーを食べる余裕のない客が白飯のみを注文し、卓上のソースをかけて洋風な気分だけを楽しむ「ソーライ」(ソースライスの略)という食べ方も流行した。

日本におけるインド人による初の本格的なインド料理店は、1949年(昭和24年)にA.M.ナイルが東京銀座で開店した「ナイルレストラン」である。続いて1954年(昭和29年)にジャヤ・ムールティが東京阿佐ヶ谷に「アジャンタ」を開店している。A.M.ナイルの息子G. M. ナイルはナイルレストランを引き継ぎ、そのキャラクターが買われて芸能人としてもメディアで活躍した。

一方、「欧風カレー」はカレー専門店「ボンディ」の創業者、村田紘一によって生み出されたものである。和風のもっちりとした米飯にフィットするルウを追及し、ブイヨンなどの欧風だしの研究を重ねた日本において、村田はドミグラスソースを中心においたカレーを完成させ、彼の名づけた「欧風カレー」は我が国の料理界を席捲した。

カレー関連年表

1860年(万延元年)福沢諭吉が「増訂華英通語」でカレー(コルリ)を紹介。

1863年(文久3年)、江戸幕府の横浜鎖港談判使節団随行員の三宅秀が、船中でインド人が食事する様子を見て「飯の上へ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す。至って汚き人物の物なり」と日誌に記している。

1872年(明治5年)、北海道開拓使東京事務所でホーレス・ケプロン用の食事にライスカレー(当時の表記はタイスカリイ)が提供された。また、同年にカレーライスのレシピを記した本『西洋料理指南』(敬学堂主人)、『西洋料理通』(仮名垣魯文)が出版された。

1873年(明治6年)、大日本帝国陸軍の幼年学校生徒隊食堂の昼食メニューに、ライスカレーが加えられる。

1876年(明治9年)、当時、札幌農学校の教頭として来日していたウィリアム・スミス・クラークが、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」という寮規則を定める。

1877年(明治10年)、東京の「米津凮月堂」が、初めて日本でライスカレーをメニューに載せる。

1889年(明治22年)、神戸居留地にあるオリエンタルホテルのカレーライスをラドヤード・キップリングが新聞「The Pioneer.」誌上で絶賛する。

1903年(明治36年)、大阪の「今村弥」(現ハチ食品)が、初めて日本でカレー粉を製造販売。

1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」が、初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」を発売。

1908年(明治41年)、大日本帝国海軍が配布した『海軍割烹術参考書』に、「カレイライス」のレシピが載る。海軍カレーの起こり。
1910年(明治43年)、大日本帝国陸軍が配布した『軍隊料理法』に、「カレー、ライス」のレシピが載る。

1924年(大正13年)、東京・神田の簡易食堂「須田町食堂」(現在の聚楽)が、初めて廉価(8銭)でカレーライスをメニューに載せる。当時の大卒初任給70円、日雇労働者日当1円63銭。

1926年(大正15年)、「浦上商店」(現:ハウス食品)が、カレールウ「即席ホームカレー」を発売。翌年、商品名を「即席ハウスカレー」に変更。

1927年(昭和2年)、東京の「新宿中村屋」「資生堂パーラー」が、高級カレーライス(80銭、50銭)をメニューに載せる。

1929年(昭和4年)、大阪・梅田の「阪急百貨店」の大食堂が、廉価(25銭)でライスカレーを販売。

1930年(昭和5年)、山崎峯次郎(エスビー食品の創業者)が、「ヒドリ印カレー粉」を発売。

1931年(昭和6年)、「C&Bカレー事件」発生。イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル (C&B) 社のカレー粉は、品質がよいとされていたが値段が高く、増量材を混ぜたり中身を国産品に詰め替えた安価な偽物が出回った。これは日英間の国際問題にまで発展し、偽造グループが逮捕された。

1932年(昭和7年)、東京・田端の山田商会が、即席カレールーを発売し製法特許を申請。

1935年(昭和10年)、雲仙観光ホテルが創業と同時にカレーライスをメニューに載せる。

1935年(昭和10年)、東京・大塚や足立など多数の店が「(南蛮)カレー粉」を発売。当時は、きそば屋の南蛮カレーが主流であったため。

1936年(昭和11年)、「東京都ソース・カレー製造業協会」を結成。

1941年(昭和16年) - 1945年(昭和20年)、第二次世界大戦(太平洋戦争)による食料統制のため、軍用以外のカレー粉製造・販売が禁止された。

1945年(昭和20年)11月、オリエンタル (食品メーカー)が、事前に炒めた小麦粉とカレー粉を混ぜた粉末状のインスタントカレーであるオリエンタル即席カレーを完成させた。

1946年(昭和21年)、終戦によりカレー粉の製造・販売が再開された。

1949年(昭和24年)、浦上商店がカレールウ「即席ハウスカレー」の製造を再開。

1951年(昭和26年)、熾烈なカレー販売競争に敗れて、「関西カレー工業協同組合」と「中部カレー工業協同組合」が解散

1954年(昭和29年)、エスビー食品が即席カレールウ分野に進出。

1955年(昭和30年)、カレーメーカーは宣伝カーを使用して主婦へカレーのレシピを教えたり、肉屋店頭における試食販売を行う事によって、一般家庭への普及に努める。

昭和35年、ラジオの民間放送に次いでテレビCM合戦が激化し、学校給食のメニューであったカレーが一般家庭で作られるようになる。その結果カレーの生産と消費が急激に増加する。

1960年(昭和35年)、ハウス食品工業株式会社(旧浦上商店)がカレールウ「ハウス印度カレー」を発売。以後、インスタントカレールウの主流は固形タイプになる。江崎グリコが板チョコの生産技術を生かし、ブロックごとに割って量を加減できるワンタッチカレーを発売。

1969年(昭和44年)、大塚食品、初のレトルトカレーボンカレー」を発売。

1978年(昭和52年)、「カレーハウスCoCo壱番屋」1号店オープン。

1982年(昭和57年)、全国学校栄養士協議会が1月22日を「カレーの日」と決め、全国の小中学校で一斉に「カレー給食」を出す。以後この日が、「カレーの日」とされている。

2013年(平成25年)、「カレーハウスCoCo壱番屋」が「世界で最も大きいカレーレストランのチェーン店」として、ギネス世界記録に認定される。

こういう独自の歴史を有するが故、日本人は欧州料理が以下の様な欧州史と密接に関連しながら発達してきた事に無頓着となり勝ちなのかもしれない。 

  • 鎧で踏ん張る衝突槍騎兵の密集突撃」戦術が現れれ十字軍/大開拓時代(11世紀〜13世紀)が始まるまで(いやその最中においてさえ)文明の主役はあくまでイスラム諸国で欧州諸国は単なる「田舎の後進国」に過ぎなかった。

  • そして大航海時代(15世紀中旬〜17世紀中旬)が十字軍/大開拓時代(11世紀〜13世紀)の延長線上において始まった。
    *この時代まで欧州文明を主導してきたのはイスラム文化圏との接点が多かったノルマン人、ヴェネツィア共和国を筆頭とするイタリア諸国、ポルトガルやスペインといったイベリア半島諸国だった。

  • その結果欧州経済の中心が地中海沿岸から大西洋沿岸に推移すると、繁栄から取り残されたイタリアや東欧の諸国、オスマン帝国などは「(人口急増によって食糧不足となった)大西洋沿岸諸国への穀物供給地域」へと変貌を遂げる。
    *「再版農奴制」や「太平洋三角貿易」に経済が支えられていた時代とも。産業革命前夜の欧州はあくまで農本主義的伝統に基づいて展開していたのである。

    *それは同時に繁栄の主体が「オランダ海上帝国」から絶対王政下フランスや大英帝国へといった主権国家へと推移していくプロセスでもあった。

  • しかし大西洋沿岸は馬鈴薯などの新世代作物導入により食料問題を独自解決。欧州経済の東西格差が次第に拡大し、これが第一次世界大戦(1914年〜1918年)勃発の遠因の一つとなる。
    *こうした状況にトドメを刺したのが流通革命(蒸気船、蒸気機関車、冷蔵設備の普及)に伴う南北アメリカからの安価な農畜産物の大量流入だったとも。

  • 結局欧州が第一次世界大戦以前の経済規模まで復興するのは1970年代に入ってからだった。国民国家間の競争が激化したこの時期を「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」と呼ぶ事もある。

    *フランス料理の世界では第二次世界大戦下における食料統制に起源を有し、1970年代を席巻したヌーベルキュイジーヌ(nouvelle cuisine)はある意味、総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)の落とし子だった。そして「国民国家間の競争」<「資本主義体制下での民間競争」となった1980年代には古典的料理が復興を果たす(キュイジーヌ・モデルヌ)。

    ヌーベルキュイジーヌ (仏: nouvelle cuisine)

    フランス語で「新しい料理」 を意味し、料理や見せ方などの方法・スタイルの一つである。キュイジーヌ・クラシックやオートキュイジーヌと呼ばれる正餐用の料理に比べて、軽く繊細で、印象的な盛りつけ方に特徴がある。

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    • この呼称は、1970年頃に料理評論家のアンリ・ゴー、アンドレ・ガイヨーとクリスティアン・ミヨで作られたレストランガイドであるゴー・ミヨで一般的になった。

    この特徴をもつ料理の流れのはじまりは1972年または1973年とされるが、「ヌーベルキュイジーヌ」という言葉自体は、それまでもフランス料理の歴史のなかで何度か使われてきている。

    • 1730年代と1740年代、数人のフランス人作家が伝統的な料理法に対して、彼らの料理法に「新しい」とか「モダンな」などと形容した。

      食の歴史その18~最初は下品だったフランス料理~028a1206181421.wordpress.com

    • ヴァンサン・ラ・シャペルは、1733年から1735年にかけて、『現代料理』という本を出版している。また、メノンの最初の料理本である『新料理論』は、1739年に出版されている。さらに1742年に同書の3巻目のタイトルとして「ヌーベルキュイジーヌ」という言葉を導入している。

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    • 1880年代から1890年代にかけては、オーギュスト・エスコフィエの料理法が、最近ではアンドレ・ガイヨーの料理が「ヌーベルキュイジーヌ」だと言われることもあった。

    • ゴーとミヨはオーギュスト・エスコフィエの「正統的」な料理に対する反動であるとするが、ミシェル・ゲラールが始めた温泉料理である「薄口料理(Cuisine minceur)」とは異なる。そもそもヌーベルキュイジーヌが作られるきっかけとなったのは、第二次世界大戦の勃発が原因であり、ナチス・ドイツの占領による食料統制下で肉などの供給が不足に陥り、自然発生的に発達した料理法とも。f:id:ochimusha01:20170425230508j:plainf:id:ochimusha01:20170425230535j:plain
    • アンリ・ゴー、クリスティアン・ミヨらが、フェルナン・ポワンの弟子たちの料理を表現するのにこの語を利用。すなわち、ポール・ボキューズ、アラン・シャペル、ピエールとジャンのトロワグロ兄弟、ミシェル・ゲラール、ロジェ・ヴェルジェ、レイモン・オリヴェールなどがそれに該当する。
      *ポール・ボキューズによれば、この言葉はアンリ・ゴーが、ポール・ボキューズの料理や超音速旅客機コンコルドの処女飛行(1969年3月1日)時の料理のために集まったトップシェフ達の料理を表現するのに使い始めたとされる。

      コンコルド - Wikipedia

    ゴーとミヨによれば、ヌーベルキュジーヌは次の10の形式に則っていることが多い。

    1. 過度な複雑化の排除
    2. 魚介類、狩猟鳥、子牛肉、野菜、パテの調理時間は自然の味を残すために短く。蒸し料理が多いのが特徴である
    3. なるべく新鮮な素材を使う
    4. 大げさなメニューはより簡素なメニューに変更
    5. 肉や鳥に使う味の濃いマリネの廃止
    6. 味付けのために、ハーブ、バター、レモン汁やお酢と共に、味の濃いソース(例えば、エスパニョールソースやベシャメルソース、小麦粉ベースのルー など)の使用の廃止
    7. 郷土料理の利用
    8. 新しい技術や器具の利用(ポキューズは電子レンジすらも利用した)。
    9. お客の食のニーズに敏感であること
    10. 独創的な組み合わせなどを作ること。

    一時期は主要なレストランがヌーベルキュイジーヌを取り込んでいたが、現在、ヌーベルキュイジーヌの発想は活況を呈しているとは言えない。1980年代の中頃になると、フランス料理の伝統技法を土台としながら、新しい技法を融合させていくという「キュイジーヌ・モデルヌ」というスタイルが新たに提唱され、再びバターや伝統的なソースの重要性が認識されるようになった。その代表的なシェフが、ジョエル・ロブション、アラン・デュカス、ピエール・ガニェールなどであり、古典回帰と新技法の調和によって、世界的名声を博するようになった。
    *日本人として決して忘れてはならない事。それはまさにこのヌーベルキュイジーヌ (nouvelle cuisine)運動のモデルに選ばれたからこそ、日本の寿司が国際的に広まったという事実。
    J-WAVE : ANA WORLD AIR CURRENT

馬鈴薯クロケット」の伝播過程には、こうした歴史プロセス抜きには語れない側面が存在する。

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ポルトガルのパステイシュ・デ・バカリャウ(ポルトガル語:Pastéis de Bacalhau、直訳すると「干し鱈のタルト」)…漫画「くうねるまるた」で一気に知名度の上がったポルトガル料理。干しダラ(塩ダラ)から3日ほどかけて塩気を抜いた後で茹で、骨を丁寧に取り去った後で茹でたジャガイモと混ぜ、塩胡椒を振ってパセリや卵、粉も加えて180度の油で揚げる。名前が暗示する通り「衣をつけず(タルトの様に)成形でまとめる焼き物の一種」である。

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*そう、原義においてこれは「コロッケ」ではない。日本の「スイートポテト」同様、タルトの一種なのである。しかしながら馬鈴薯食の慣習の広がりは既存価値観を容赦無く破壊していく。

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ドイツにおけるジャガイモのクロケッテ(ドイツ語: Krokette, Croquette)…レストランで添え料理として供され、スーパーマーケットの冷凍食品として販売される。
*西ヨーロッパ諸国において、それは何よりもまず「肉料理や魚料理の付け合わせ」だったとも。

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チェコのクロケタ(チェコ語: kroketa)…小さい球型で、ジャガイモ、鶏卵、穀粉、バター、および塩を材料として油で揚げて作る。この料理はほとんどのレストランで添え料理として供され、家庭の冷凍食品として調理される。「ファラフェル」っぽさ全開。

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ハンガリークロケットハンガリー語: krokett)…小さな円筒形で、チェコのクロケタと似ており、ジャガイモ、鶏卵、穀粉、バターをナツメグと塩で調味し、油で揚げて作る。この料理はほとんどのレストランで添え料理として供され、冷凍食品として販売される。東欧特産の凝乳チーズ(túró)を使ったものは、トゥーロークロケット(túrókrokett)という。

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メキシコのクロケータ(スペイン語: croqueta)…通常ツナまたは鶏肉およびジャガイモで作られる。

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キューバ/プエルトリコ/ペルーのパパ・レジェーナ(スペイン語: papa rellena)…「具を詰めたジャガイモ」の意。ピカティージョ(picadillo 、牛挽肉とトマトのそぼろ)をマッシュポテトで包んで揚げて作る。その特異な形状はトルコのドルマ(詰め物料理)や南イタリアのアランチーニ(拳骨大のライスコロッケ)を思わせる。

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トルコの詰め物料理「ドルマ(Dolm)」と「サルマ(Salma)」

中央アジアから北アフリカまで広く分布する料理である。用意に手間がかかるので、古くはご馳走料理の範疇に入った。前菜(トルコ語:メゼ Meze、アラビア語:マザ مزة 、ギリシャ語 メゼデス Mezedes)として、あるいは野菜のおかずとして扱われる。

  • 肉の入るものと入らないものがあり、肉の入るドルマは温菜となるが、肉の入らないドルマはオリーブ油で調理して冷菜として食べることもでき、菜食主義者向けの副菜ともなる。

  • アゼルバイジャンには、ポテトクロケに詰め物をしたドルマもある。

トルコの安食堂ロカンタにおける煮込み料理の定番カルヌヤルクは「お腹を裂く」が語源で、柔らかく揚げた茄子のお腹を裂いて、そこに挽肉をつめて煮む。一方、ビベルドルマ(ビベルはピーマン、ドルマは米や肉などの詰め物をピーマン、ナス、トマトの中に詰めたりキャベツや葡萄の葉で包んだ包んだ料理)はピーマンにサルチャ(トマトや唐辛子やピーマンの仲間を煮詰めて作ったペースト。松の実または砕いたアーモンドを入れた炊き込み御飯や牛挽肉が入る事もある)を詰めたもの。

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トマトのサルチャには塩味が追加されたものもされていないものもあるが、日本でいえば味噌の様に何かと多用される(残念ながらスーパーで「トマトペースト」といって売っているものはトルコのトマトサルチャの様に味が濃厚ではなく、ピューレを煮詰めても時間を浪費するばかりで同じ味にならない)。ちなみにイタリアではトマトを詰め物の器に選んだ料理をローマ風と呼ぶ。

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カヴン(kavun、メロン)の詰め物もある。

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トルコ風鶏の丸焼き(若鶏のドルマ

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北イタリアにも「ZUCCHINE RIPIENE AI PISTACCHI(ズッキーニの詰め物ピスタチオ風味)」といった詰め物料理が存在する。「イタリア料理の父」ペッレグリーノ・アルトゥージ(1820年〜1911年)のレピシではここで詰めるのは砕いたビスケットの一種「アマレッティ・セッキ(amaretti secchi)」。砕いたマッツァー(種無し、つまり酵母を入れない平たいパン)を様々な料理に使うユダヤ人(マグリブ(アフリカ北岸)のマリーン朝(1196年〜1465年)やチュニジアのハフス朝(1229年〜1574年)が地中海貿易で栄えた時代、ユダヤ商人はイタリア半島にも多数の交易拠点を構えていた)の影響が見て取れるとも。

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「ピザの前菜」アランチーニ(イタリア語:arancino(単)arancini(複)、ライス・コロッケ)

シチリアナポリ名物のライスコロッケ。形がオレンジに似ていることからアランチーニ(小さなオレンジ)と呼ばれる。ナポリのものはアランチーニ・ディ・リゾ(arancini di riso、「米の小さなオレンジ」)またはパッレ・ディ・リゾ(palle di riso、「米の団子」)とも称される。ローマでは、スプリ(suppli)と呼ばれる。

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シチリアのアランチーニ(arancini)

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大きさは直径3.8cm〜10cmほど。湯炊きしたジャポニカ種の米に溶き卵とおろしたチーズ(カチョカヴァッロ、もしくはパルミジャーノ・レッジャーノ・チーズ)、塩、胡椒を混ぜたものに詰め物をし、小麦粉をまぶしてから溶き卵にくぐらせ、パン粉をまぶしつけて揚げる。シチリア島南東部では、球状ではなく円錐形にして揚げる。シチリア島西部では、アランチーニをアランチーネ(arancine)と綴るのが正しいとされる。

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中身は色々で、例えばアランチーネ・アッラ・カルネ(arancine alla carne)には、トマトソースで煮た肉とグリーンピースの詰め物が入り、アランチーネ・アル・ブッロ(arancine al burro)にはモッツァレラチーズが入る。

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この他ほうれん草やパンチェッタを入れる事もあり、シチリア内でも、中の具が地方独特のものである事もある。中身によって形が変わっていく。パレルモでは、スプーマ(spuma)とワインを混ぜたものを飲めばげっぷを促進して消化を助けると考えられているため、「アランチーナ・ディ・パレルモ」を食べるときにこれを飲む習慣がある。

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ナポリのアランチーニ・ディ・リゾ(arancini di riso)またはパッレ・ディ・リゾ(palle di riso)

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握り拳サイズのシチリアのものよりも小さく、概ねピンポン玉大。中に何も詰めないことが多い。米を湯炊きして溶き卵、おろしたパルミジャーノまたはペコリーノチーズ、塩、胡椒、トマトピューレと混ぜたものを丸め、パン粉をまぶして揚げる。

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ローマのスプリ(suppli)

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ローマ生まれのライスコロッケ。フランス語のSurprise(驚き)のイタリア語訛りが語源で、中に思いがけないもの(モッツァレッラ)が入っていることからきていると言われる。また、「Suppli al telefono(電話)」ともいわれる。半分にしたときに中のモッツァレッラが糸を引いて伸びる様子が糸電話に似ているためである。

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その形はツェッペリンに似ていると言われ、基本的にはアランチーニと同じものだがライスにサフランもカチョカヴァッロも練り込まれず、具はモッツァレッラがデフォルトで大きさも小振りさらには握り拳サイズのが、アランチーニは具としてチーズは入っていなくカチョカヴァッロが練りこんである。更に、スプリに比べアランチーニは大きく、握り拳サイズのアランチーニより小ぶりで、ローマにおいては「アランチーニはシチリアでしか食べられない」と言われる。ローマでは、街のいたるところにあるピザ屋の定番商品でもあり、かつピッツァの前菜として食べるフライ物の一種として楽しまれている。

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その起源は案外、中東の定番料理「ファラフェル(ひよこ豆や空豆を使ったコロッケの一種)」、あるいはイスラム圏の影響色濃いスペインのタパス(前菜)料理の一品クロケータス・デ・パエージャ(Croquetas de Paella、パエリアのライスコロッケ)とも。

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バングラデシュのアル・チョプ(ベンガル語: আলু চপ 、alu chôp 、ジャガイモのクロケットの意)バングラデシュで一般的なクロケットであり、主にアペタイザーまたは軽食として供される。伝統的な具は牛挽き肉、エンドウ豆、または他の塩味の具である。ジャガイモをすりつぶして、挽いた唐辛子、揚げタマネギ、パン粉を混ぜて作る。次に、球型または卵型に整えにパン粉をまぶして揚げて出来上がる。チャツネまたはソースを添えて供されることが多い。

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*日本の「おやき」や「お好み焼き」に近い展開とも。

インドのアール・ティッキ(alu tikki)…ジャガイモを揚げたクロケット。インド北部で非常に有名で、通常シチューと共に供される。この料理は家庭の軽食として食べられ、路上販売も一般的である。西ベンガル州ではバングラデシュと同様にアル・チョップと呼ばれる。カットレット(cutlet)と呼ばれ、そのまま、またはハンバーガーの具として(ベジタリアン・バーガーのように)ファーストフードとして販売されることがある。

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インドネシアクロケットインドネシア語: kroket)…ジャガイモと鶏挽き肉で作るインドネシアで最も一般的な軽食の一つであり、オランダ植民地時にもたらされた。ナシゴレン(焼飯)が入る事も。

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フィリピンのクロケータ(フィリピン語: croqueta)…スペイン植民地時に伝えられたことに疑いないが、スペインのベシャメルを具としたクロケットと異なり、マッシュポテトと刻んだ肉または魚(通常は残り物)で作られる。フィリピンでのスペイン由来の料理の多くと同様に、クロケットは主に中流および上流階級家庭で供される。

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日本のコロッケ/メンチカツ…非常に一般的な揚げ物であり、スーパーマーケットおよび精肉店で広く販売され、コロッケ専門店もある。通常小判型であり、主な材料はジャガイモで、他は野菜(タマネギやニンジン)と5%以下の肉(豚肉または牛肉)である。とんかつソースを添えて供されることが多い。フランスのクロケットにより似ている円筒形のコロッケもあり、魚介類(エビやカニ肉)または鶏肉のホワイトソース(ラグー)を冷まし固め、パン粉をまぶして揚げて作る。熱々で供され、具は溶けている。この料理は「クリームコロッケ」と呼ばれ、ジャガイモで作るものと区別される。クリームコロッケはソースなし、またはトマトソースが添えられる。オランダ料理のクロケットとは異なり、日本では主に肉で作るクロケットはコロッケと呼ばれない。挽き肉(ミンチ)のカツレツを略した「メンチカツ」と呼ばれる。

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ニューイングランドおよびアメリカ合衆国北東部のクロケット…伝統的に調理に残り物のホリデーハムの残り物、通常メープルシロップ漬けの種類を用いる。調理済みのすりつぶしたジャガイモで巻いて、パン粉をまぶし、小さなフライパンで油でなくバターでソテーまたは炒めて作る。

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イギリスにおける「ジャガイモのクロケット(英語: potate croquette)」…冷凍食品または冷蔵で多くのスーパーマーケットで販売されている。

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中国のクロケット…甘いカボチャで作られ端午の料理として供される。

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これぞまさしく「コスモポリタン風味」の世界?

コスモポリタンスパゲティをつくってみる - まかない食べるよ! 雑記ブログ

コスモポリタン」の本来の意味ですが、世界的な考え方をもつ人、ということでいわゆる国際人という意味らしい。

なので、スパゲティのコスモポリタンというのは、作り方は特にこだわらなくて、多国籍風(無国籍風?)の料理ともいえそうです

日本の料理においてコスモポリタンといえば洋食系にあたり、たとえばグラタンやドリアの派生形が多いようです。

 全体として系統学的に(すなわち時代と伝播地域の関係で)掌握可能な展開。ただし以下の様なナショナリズム要素が客観的状況認識を困難にさせてきたとも。
*料理ナショナリズムの筆頭に上がるのはフランス。興味深いのはその姿勢が後に「自然法原理主義」へと発展して行く辺り。

  • イスラム文化圏から欧州文化圏へ」「地中海沿岸地域から大西洋沿岸地域へ」「大西洋沿岸地域から植民地へ」といった全体的流れについて御当地グルメ的観点の延長線上において「隠蔽」や「忘却」が計られてきた側面が見受けられる。
    *必ずしも意図的であったとは限らない。「領主の知らないところで領民が食べ始める」なんてプロセスを経て出自が忘れられたケースも多かったであろう。

  • ドイツ諸国や北欧諸国においては、新世界作物(特に馬鈴薯)の伝播が富国強兵政策が重要な関連を有した。逆に他の地域では「こっそりそれらを郷土料理の食材の一つに取り込んで食べ始めた」が故に歴史が辿りにくい。
    *「こっそり食べられてきた」…割と日本における納豆普及史と重なる?

    *日本へのウィスキー普及史同様に「軍隊食として広まった」側面も見逃せない。

  • 伝播した国ごとに料理としての役割(すなわち前菜か主菜か、主食か御菜か、はたまたデザートか)を異としてきたのも、全体的な伝播史を把握し難くした。
    *国際的基準からすれば「お好み焼き定食」の様な組み立ては別に珍しくない。それにも関わらずこれを「正しい」「正しくない」とする議論が起こるのは、ある種のナショナリズムといえる。

 ここでいう「料理ナショナリズム」はある意味「エキゾチシズム(Exoticism)とエスノセントリズム(Ethnocentrism)の葛藤」の産物。

こうした側面において日本やアメリカ(そして割と英国)は葛藤が少ない部類に入る様です。(大陸における)文化発信源との適度な距離感というのが案外重要なのかもしれませんね。

さて、私達はどちらに向けて漂流しているんでしょうか…