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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【金正恩養豚場視察】【Live and Let Die】大日本帝国末期より悲惨な食糧事情の暗喩?

このニュース、割とツッコミどころ満載なのにあまりそういう深い指摘が見られない様なのであえて投稿。

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平壌共同】朝鮮中央通信は23日、北朝鮮金正恩朝鮮労働党委員長が平安北道にある空軍所属の養豚場を視察したと報じた。日時は伝えていない。

養豚場は金氏が建設を指示し、昨年8月に完成したという。金氏は設備の国産化率が高いとして「われわれのやり方でいくらでも豊かに暮らせるという信念が生まれる」と評価。豚で埋め尽くされた冷凍庫を見て「パイロットに新鮮な豚肉を十分供給できる基盤ができた」と述べた。

黄炳瑞軍総政治局長や徐紅燦第1人民武力次官らが同行した。

そもそもこのニュース、大日本帝国末期を連想させる軍国主義体制下なのに兵士にすら肉が行き渡ってない悲惨な食糧事情を暗喩しています。

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  • 大日本帝国末期、帝国軍人(特に特攻隊員)は牛缶やウイスキーといった「贅沢品」の配給を優先的に受けられたという。総力戦を戦い抜くにはどうしても「聖戦を直接戦う軍人の方が間接的にそれを支援するだけの労働者より偉い」というイデオロギーが不可欠だったのである。
    北朝鮮の「先軍主義」もまた、この必然性に由来する。

  • 「聖戦の継続」を国家存続の大義として掲げ「肉食の特権」を空軍パイロットのみが保証される北朝鮮の現状はそうした状況の延長線上において把握さねばならない。北朝鮮の肉事情は壮絶で「北朝鮮に犬猫をペットと認識する概念は存在しない。見つけたらたちまち肉にされてしまうからである」なんてエピソードまで存在する。その上庶民は飢饉の都度「人肉食」まで強要されてきた。2014年頃のプロパガンダが「大日本帝国が徴用した慰安婦は最低でも2000万人で、その平均寿命は2週間未満。死体は全て証拠隠滅も兼ねて日本兵に食われた。彼らの様な先天的食人族を生かしている限り世界は人類平等の理念を回復出来ない」といった過激な内容になったのは間違いなくこうした現状と無関係ではない。
    北朝鮮人にとって人肉はあくまで非常食に過ぎないが、今日なお日本人の様な「人食い人種」にとっては常食であり続けており、そんな劣等民族の全財産を接収し、彼らを殺してその肉を喰らい尽くすまで人類平等の理念は回復しない。そういう考え方が、北朝鮮という国民国家の存続には必要不可欠となってしまった訳である。

  • ちなみに労働者を産業革命に動員するモチベーションとなったのは英国においては「白パンと砂糖入り紅茶にありつきたい」、日本においては「三度の白飯食にありつきたい」という感情だった。それに対し(金九自叙伝「白凡逸志(1947年)」などによれば)朝鮮半島北部において同様の感情を惹起したのは、あくまで「肉饂飩」だったという。

    白凡逸志 - Wikipedia

北朝鮮や韓国の従北左派のプロパガンダ」は、こういう状況も踏まえた上で読み解かないといけません。要するに極論すれば彼らは自分達が存続の危機に立たされている事を決して認められず「死ぬのは奴らだ(Live and Let Die)」と連呼しているだけなのです。

*「死ぬのは奴らだ(Live and Let Die)」…大元は007シリーズにおけるジェームズ・ボンドの台詞。「我も生き、彼も生きる(Live and Let Die)」なる諜報部の人道主義的モットー的建前を「でも、そういう貴方だってどちらかが死なねばならないとしたら、それは相手側たるべきと考え、そう振舞ってるじゃないですか?」と皮肉った言葉。冷戦時代(というより第一次世界対戦開戦時代まで遡る総力戦体期時代(1910年代後半〜1970年代)における)を支配した冷徹な合理主義精神を象徴する言葉として知られる。

要するにこれって意外と「総力戦体期時代(1910年代後半〜1970年代)における手段を選ばぬ生存競争の残滓をどう払拭するか」という普遍的かつ歴史的問題なんですね。ここで大きな皮肉が持ち上がってきます。

冷たい戦争/冷戦/東西冷戦

  • 左翼側」がしばしば口にする「(この世界は所詮は手段を選ばぬ生存競争なのだから)マイノリティ(少数派)側はマジョリティ側(多数派)に(生き延びる為に)何をしても許される」なる主張の起源は、1970年代における本田勝一や彼に影響を与えた朝鮮系極左理論家の任錫均が言い広めた「アメリカは黒人とインディアンが白人を皆殺しにするまで先天的ナチス国家であり続ける」「同様に日本も沖縄人とアイヌが大和人を皆殺しにするまで先天的ナチス国家であり続ける」といった苛烈な「裏返しの民族浄化願望」に由来する。両者の思わぬ接点、それは第二次世界大戦(1939年〜1945年)が「持てる側(連合国)に対する持たない側(枢軸国)の生存競争」だったという辺り。そしてかかる思考様式は(デモがしばしば近隣商店街の略奪に発展する)Black Lives Matter運動や(テロ行為すら否定しない)ラディカル・フェミニズム運動や環境運動に継承されていく。
    *そして実際イアン・フレミング原作映画「007 死ぬのは奴らだ(原作1954年、映画化1975年)」の基本的筋立ては、カリブ海に根を張った「英国人を皆殺しにするまで人類平等の理念は回復しない」をモットーとする黒人の狂信的ブードゥー教秘密結社に対する苛烈な殲滅戦だったりする。

  • その一方で「右翼側」がしばしば口にする「反日洗脳教育から解放されるまで中国人や韓国人や北朝鮮人を同じ人間として扱う必要はない」なる主張は、当時における偽善的な「人道主義的建前(Live and Let live)/生存主義的本音(Live and Let Die」に由来する。
    *このジレンマはしばしば欧米においてはルイス・キャロル鏡の国のアリス(Through the Looking-Glass, and What Alice Found There、1871年)」における「セイウチと大工 (Walrus and Carpenter)」と関連して語られる。

    *アメリカにおいてはさらにこれを(シナリオの原型自体は既に1930年代には存在していたともいわれている)ディズニー・アニメ「不思議の国のアリスAlice in Wonderland、1953年)」の作中における映像化の影響で(外観がセイウチそっくりだった)ウィリアム・タフト大統領(William Howard Taft、任期1909年〜1913年)の「ドル外交」を弾劾した「ティディ・ベア誕生の契機を産んだ」セオドア・ルーズベルト大統領(Theodore "Teddy" Roosevelt、任期1901年〜1909年)」の「棍棒外交」と重ねる観点が割と若年層まで浸透している。

人類はどうやら、自分達でそう考えている程には総力戦体制期/冷戦期における「手段を選ばない生存主義」からそれほど脱却出来てる訳ではなさそうだ?