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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

ナショナリズムの歴史外伝⑤ それなら「豚カツ」の起源はどうなってる?

たかがコロッケ、されどコロッケ…

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大元を辿れば辿るほど「メンチカツ」「餃子・焼売」「サモサ」「ラザニア・ラビオリ」「ピロシキ」「カレーパン」「ハンバーグ」「スコッチエッグ」などとの境界線が曖昧に。そこで改めて問われるのが「ならば豚カツの起源はどうなってるのか?」という話かと。

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 カツレツは一般にルネサンス期の北イタリアにおけるエスカロープ(叩いて伸ばした薄切り肉)料理から派生したと考えられています。

「叩いて伸ばした薄切り肉」エスカロープ(Escalope、エスカロプとも)

手早く調理できるよう、薄切り肉をミートハンマー、麺棒またはナイフの柄を用いてさらに薄くした骨なしの肉。仔牛肉、豚肉、鶏肉、七面鳥、フォアグラなどの白身の肉およびサーモンのような魚肉が用いられる。

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北イタリア料理では、サルティンボッカ(Saltimbocca)の様な同様の子牛肉の薄切りがスカロッピーネ(Scaloppine)として知られる。ローマ帝国発祥の地だし、中世にはロンバルティア商人がヨーロッパじゅうに商圏を張り巡らせていたし、イタリア・ルネサンス時代の料理もそういう土台を踏み台にする事で発展したのである。

「北イタリア料理」サルティンボッカ(saltimbocca または saltinbocca、イタリア語で「口に飛び込む」の意味で、短時間で簡単にできることから)

仔牛肉・鶏肉・豚肉などに、生ハム(プロシュット・ディ・パルマ)とセージを乗せたり並べた料理で、単品あるいはワイン・オイル・塩水のマリネと共に盛り付けられる。好みによってはケッパーをトッピングする。イタリアローマを代表する料理であるが、スイス南部、イタリア、スペイン、ギリシャでポピュラーな料理である。

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この料理の最も有名な調理法は、ローマ風サルティンボッカで、薄切りの仔牛肉に、プロシュット(または生ハム)セージの葉を巻き上げたものを、マサラ酒や白ワインとバターで仕上げたものである。一説によると、その名に反してブレシアが発祥とも言われている。

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「北イタリア料理」スカロピーネ(イタリア語: Scaloppine、小さな肉の薄切りを意味し英語圏ではスカロピーニ - scaloppiniもしくはscallopiniと呼ばれる)

薄くスライスした肉に小麦粉をまぶしてソテーしたイタリア料理。スカロッピーネとも表記される。

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肉は通常仔牛肉を使用することが多いが、鶏肉を使用することもある。これに小麦粉をまぶしてソテーし、温かい状態でトマトソースもしくはワインソースをかけて供されるが、ピカタのように調理し、ケッパーやレモンのソースで食することもある。

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イタリアの料理雑誌「サーレ&ペペ」2008年6月号掲載「ラ・クチーナ・イタリアーナ」のスカロッピーネの記事には「…ペッレグリーノ・アルトゥージ(1820年〜1911年)がマルサラ風味のスカロッピーネを紹介して以来、この料理はイタリア中の家庭やレストランの得意メニューに加わるようになった…」とある。

「北イタリア料理」ピカタ(piccata、ピッカータとも)

主に薄切りの仔牛肉をソテーしてソースとともに供する料理を指す。「小学館伊和中辞典」には「バター焼き子牛のレモン汁かけ」とあるが、イタリア語版ウィキペディアにpiccataというページは存在していない。
*アンコウ(Monkfish)のピカタ、ズッキーニとアンティーチョーク添え

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日本では薄切りの肉などに食塩、コショウなどで下味をつけてから小麦粉をつけ、パルメザンチーズを混ぜた溶き卵をたっぷりとからませてソテーしたものが知られる。 豚や子牛のヒレ肉やロース肉、鶏の胸肉などが用いられることが多いが、タラやカジキなどの白身魚や豆腐、ズッキーニなどのピカタもある。

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アメリカなどではバターやパセリ、ケッパーを使ったレモンソースにレモンスライスを乗せたチキンピカタがよく知られている

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これを用いた料理としては以下が有名。

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  • フランス料理における「クロケット・ド・ボライユ(cotelettes de volaille)」

    「家禽のクロケット」の意。「チキンカツの祖」とも「メンチカツの祖」とも。

    シェフが教える賄い料理 (クロケット)

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    これも16世紀(フランス後援下、市民代表者から封建領主トスカーナ大公へと変貌を遂げた)北イタリアを代表するフィレンツェ名家メディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスがフランス王家に輿入れした結果、フランスに伝わったイタリア宮廷料理の一品だったのかもしれない。

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    骨を抜いた鶏むね肉を叩きのばし、冷たい無塩バターを巻いてパン粉をまぶし揚げて作る。「キエフ風カトリェータ」、カトリェータ・パ=キーイフスキ(котлета по-киевски 、いわゆるチキン・キエフ)に影響を与えたとも。

  • 「ウクライナおよびロシアのカツ料理」チキンキエフ (Chicken Kiev、ウクライナ語: Котлета по-київськи、ロシア語: Котлета по-киевски)

    バターを骨なしの鶏胸肉で巻き、小麦粉、溶き卵、パン粉の衣をつけて焼くか、もしくは揚げたカツ料理。日本語では「キエフ風カツレツ」とも書かれる。ウクライナおよびロシアのカツ料理、コトレータの一種である。
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    伝統的には手羽元の骨をつけたままにした胸肉を用いる。胸肉を叩いて薄くのばしてから冷やしたバターを包み、中央が太く両端が尖がったサツマイモのような形に整えることが多い。温かいうちに切ると、調理中に熱せられて液状化したバターが染み出し、バターソースとなる。ハーブ(パセリ、チャイブ、イノンドなど)やレモン汁、ニンニクをねりこんだバターを用いることもある。定番の付け合わせは細切りのフライドポテトとバターをのせたグリーンピース である。胸肉の代わりに鶏の挽肉を使うこともある。

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    • 伝統的なウクライナ料理にその起源を持ち、料理名はウクライナの首都キエフから採られたとされるが、正確な発祥の地は不明確である。調理法はむしろフランス料理の鶏肉のカツレツに酷似し、北イタリアのエスカロープ料理(迅速に火が通る様に叩いて薄くのばした骨なし肉。あるいはそれを使った料理)やオーストリアなどのシュニッツエルとの関係を指摘する向きすらある(やはり火の通り具合が命なので、調整の為に薄切りにしたりミートハンマーで叩く)。

    • ロシアの料理研究家ヴィリヤム・ポフリョプキンは1912年にサンクトペテルブルクの会員制レストラン「商人クラブ」で発明されたものであると主張。創作された当時の「チキンキエフ」は「新ミハイロフスキー・カツレツ(コトレータ)」という名前であり、ロシア革命の混乱によってレストランの消滅と共に料理自体も忘れ去られた。1947年、ソビエト料理のレストランで「新ミハイロフスキー・カツレツ」がウクライナの外交官たちに供せられ、この時初めてチキンキエフ(ロシア語: котлета по-київськи, キエフ風コトレータ)に改名されたと述べている。しかし、ポフリョプキンは主張の裏付けを提示しておらず、「新ミハイロフスキー・カツレツ」がウクライナの外交官たちの食卓に出されるに至った経緯も説明していない。また、フランスの食品加工業者ニコラ・アペールをチキンキエフの考案者とする説、20世紀初頭のニューヨークのレストランで考案された説も存在する。

    • バターの代わりにチーズとハムを詰めたコルドン・ブルー(1940年代以降、シュニッツエルのバリエーションとして成立したスイス料理)にインスパイアを与えたとする説もある。

    • 1976年にイギリスに紹介され、イギリスの小売事業者マークス&スペンサーのTVディナーシリーズの最初の商品となった。

    1991年8月に当時のアメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュが、ソビエト連邦からの独立を求めるウクライナ人の政治姿勢を自滅的ナショナリズムと呼び、自制を求めるために行ったキエフでのスピーチに対する蔑称として、ニューヨーク・タイムズのコラム執筆者ウィリアム・サファイアがチキンキエフという名称を使用した。ブッシュ大統領のスピーチはウクライナ民族主義者とアメリカ合衆国の保守派を激怒させた。サファイアは大統領のこの対ウクライナ政策を重大な誤算と考え、これをチキンキエフ・スピーチと名付けて痛烈に批判した。ちなみに英語のチキンとは「臆病者」を意味するスラングでもある。

  • スイス生まれのコルドン・ブルー(Cordon bleu)

    フランス語で、「青いリボン」という意味。「家禽のクロケット」「キエフ・チキン」にインスパイアされたとされる事が多いスイス料理。なお、同名の料理学校ル・コルドン・ブルーも存在する。肉を薄く叩き、ハムまたはプロシュートとスイスチーズ等のチーズを包み、油で揚げるか焼いた肉のカツである。伝統的には子牛肉を用いるが、豚肉や鶏肉も使われる。

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    • その起源は、恐らく1940年頃にスイスで作られたチーズを詰めたシュニッツェルであり、1949年に初めて料理本に記述が現れる。「チキン・コルドン・ブルー」という言葉が最初に現れたのは、1967年のニューヨーク・タイムズであるが、子牛肉を用いた現在と似たようなレシピは、少なくとも1955年には見られる。

    • レシピには多くのアレンジがあるが、カツ、チーズ、塩漬けの豚肉から構成される点は共通している。チキン・コルドン・ブルーを作るには、鶏胸肉を切り開き、中に薄切りのハムまたはプロシュートと、柔らかく溶けやすい薄切りのチーズをはさむ。次に鶏胸肉をルラード状に巻き、パン粉をまぶして油で揚げる。揚げる代わりに焼くレシピ、パン粉をまぶさずに揚げるレシピ、鶏肉をハムで巻くレシピ、ハムの代わりにベーコンを使うレシピ等もある。

    多くのムスリム国では、ハラールの鶏肉を用いたコルドン・ブルーがよく食べられるが、ムスリムとしてハラールを遵守するため、中身には豚肉ではなく牛肉製品を用いる。 

これがオーストリアに伝わってシュニッツェルになったとも。

その起源自体はあくまで不明ですが、スペインの前菜料理「タパス」にもこれを利用した料理が少なくなく「(イスラム圏の影響が濃厚な)地中海沿岸料理」の気配を感じずにはいられません。

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  • ソロミージョ・ア・ラ・カステジャーナ(Solomillo a la castellana )…豚肉のエスカロープのフライのタマネギとカブラレスチーズ (Cabrales cheese) ・ソース添え。

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  • ソロミージョ・アル・ウイスキー(Solomillo al whisky)またはアル・グイスキ(al güisqui )…豚肉のエスカロープのフライを、ウイスキー、ブランデー、または白ワインとオリーブ・オイルでマリネした料理。しばしばフライドポテトと一緒に供される。

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「貴族の食事は肉料理中心」だった当時において(さっと調理可能な)薄切り肉には、明らかにファースト・フード的側面がありました。そういう意味では以下なども同じ系列に分類される事があります。

  • 「天然の金塊」が語源の英米のナゲット(nugget)

    英語「nugget(塊)」が語源。特に「天然の金魂」を意味し、揚げられた色や形が金魂のように見えるところから名付けられた。鶏肉・魚肉などを一口大に切って衣をつけ、油で揚げたもの。骨なしの鶏肉を使ったものを「チキンナゲット(chicken nuggets)」、魚肉を使ったものを「フイッシュナゲット(fish nuggets)」と呼び分ける。

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    マリファナの葉塊」を指す隠語にもなっている。「Sunday Dinnerの代わりにStone Sundayを楽しむ」「御前にとって本当に一番大事なnuggetは何だ?」みたいな表現と一緒に使われる。

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  • 日本の肉巻き

    アスパラガス、牛蒡、人参、茸豚などを芯に肉の薄切り肉や生ハムで撒く。料理の付け合わせ、酒の肴、弁当のおかずなどに使用。

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    似た様な料理は北イタリアやアルバニアの前菜として良く見掛ける。

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    • アルバニア式メゼ(前菜料理)のプロシュット(Prosciutto)…語源はイタリア語で「とても乾いたもの」。イタリアでは豚のもも肉のハムを表すが、日本などではイタリア産、またはイタリア式の燻製しない生ハムのことを指す。イタリアでは、非加熱のものはプロシュット・クルード(prosciutto crudo)、加熱したものはプロシュット・コット(prosciutto cotto)と呼んで区別する。パルマ産が有名。しばしばメロンに撒いて供される。

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    • ローマ風サルティンボッカ…薄切りの仔牛肉に、プロシュット(または生ハム)やセージの葉を巻き上げたものを、マサラ酒や白ワインとバターで仕上げる。
      *中東のドルマ料理の影響を見る向きも。
      ドルマ - Wikipedia

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    日本にはそれ以前から「海苔巻き」といった「巻物」文化が存在したので起源はそれかもしれない。 

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原義的には「エスカロープをさらに細切れにして煮込む」以下の料理も含まれます。

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  • スイスの名物料理「チューリッヒ風薄切り肉のクリーム煮(Zürcher Geschnetzeltes)ポテトパンケーキ添え」

    チューリッヒ風薄切り肉」の意。細切りの仔牛肉とマッシュルームをクリームソースで煮込んでレシュティを添えるチューリッヒの郷土料理。19世紀に考案された料理とも。

    子羊肉のバージョンもあるが、やはりレシュティを添える。
    おうちごはんで『せかい一周旅行』 チューリッヒ風 仔羊肉のクリーム煮 [スイス]
    スイスの郷土料理

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    【スイス人の主食】レシュティ(Rösti)

    主にジャガイモから作られるスイス料理でポテトパンケーキの一種。多くのスイス人は、国民食だと考えている。元来はドイツ語圏発祥でフランス語圏の境界に敷かれる仮想的境界を「レシュティ溝」と呼ぶが、フランス語圏でも食べられている。

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    元々ベルン州の農家の一般的な朝食だったが、今日ではスイス全土から欧米の多くのレストランでも食べられる。一般的にセルベラート(CervelatまたはCervelas、スイス国民全体に愛好されるドライソーセージの一種)やフライッシュケーゼ(肉類を挽いた物と香味野菜とスパイスを長方形の型に入れて蒸し焼きにした「ドイツ風ミートローフ」食品。ドイツ南部、オーストリア、スイスの一部でみられる)など他の料理の付け合せとされる事が多い。

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    *元スイス領主のハプスブルグ家が移り住んだウィーンで供されたフィアカーグーラシュ(Fiakergulasch。ウィーン風グヤーシュに小さめのフランクフルトソーセージと目玉焼き、ピクルスとSemmelknoedel(ドイツ風パン団子)を添えたもの)にスイスへの未練を見て取る向きもある。ちなみにグヤーシュはグヤーシュでハンガリー起源の煮込み料理だったりする。

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    粗くおろしたジャガイモの、生か茹でたものを用いる。通常塩胡椒と、揚げ方によってはバター等の油脂を加えることがある。あるいは料理油を使用する。つぎに、おろしたジャガイモを通常直径3-12cm、厚さ1-2cm間の円形かパテ状に形を整える。サイズはさまざまである。ただフライパンの形に合わせるだけのことも多い。それらを通常フライパンで揚げるか、オーブンで焼く。基本的にはジャガイモのみから成るが、ベーコン、タマネギ、チーズ、リンゴまたは新鮮なハーブなど多くの材料を追加することもあり、そこにしばしば地方色が現れる。

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    元来は朝食用であったが、これに替わり(それまで軽い夕食として食べることが多かった)ミューズリー(スイスドイツ語:Müesli、Birchermüesli、Birchermus、標準ドイツ語:Müsli、ロールドオーツ(燕麦押麦)などの未調理の加工穀物とドライフルーツ、ナッツ、種子類などを混ぜ合わせたシリアル食品の一種。主に牛乳やヨーグルトなどをかけてふやかして食べるが市販品だと最初から砂糖や蜂蜜で調味されている事も)が朝に食べられるようになり、スイスではバーヒャーミューズリー(Birchermüesli、地方によりBirchermiesli)と呼ばれている。オーガニック、自然食品の先駆者たる医師マクシミリアン・バーヒャー=ベンナー(1867年〜1939年)が発明した。またスイスでは一般にアルザス・ロレーヌ地方の郷土料理として知られるキッシュ(Quiche、卵とクリームを使って作る)やタルトも広く普及している。

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    どんなレシュティが最高であるかについては様々な見解がある。意見が最も大きく分かれるのは、主な材料として使うジャガイモが生か茹でたものかという点である。また、レシュティに最適のジャガイモの種類が何であるかについても広く議論がある。伝統的にはレシュティポテトという特別な種のジャガイモが使用されている。
    *卵がからんでくると「生鮮食品ナショナリズム」や「朝食ナショナリズム」とも無関係ではなくなってくる?

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  • シベリア開拓と縁深いロシア料理「ビーフストロガノフ(beef stroganoff、ロシア語ではбефстроганов(ベフストロガノフ)またはговядина по-строгановски)」

    ロシア料理を代表する逸品の一つ。「ベフ」は英語の「ビーフ」ではなくロシア語で「~流」であり、「ストロガノフ流」の意とする説もあるが、これを俗説とし「ビーフ」はフランス語のブフ(Bœuf・牛肉)に由来する、と主張する立場もある。ただし、本場ロシアでも鶏肉や豚肉を使用したアレンジ家庭料理は散見される。

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    • 16世紀初頭にウラル地方で成功した貴族ストロガノフ家の家伝の一品であったとされるが、考案者と生まれた時代については諸説存在する。

    • 有名なものとしては、アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ストロガノフ(1733年〜1811年)の時代に生まれた説が挙げられる。年老いたアレクサンドル・セルゲーエヴィチは歯の多くが抜け落ち、好物のビーフステーキが食べられなくなってしまった。彼のために食べやすい大きさに切った牛肉を柔らかく煮込み、かつ牛肉の風味を生かした料理が考案されたという。

    • 20世紀のロシアの料理研究家ヴィリヤム・ポフリョプキンはこの料理について、アレクサンドル・グリゴリエヴィチ・ストロガノフ(1795年〜1891年)の時代に生まれたと主張。ポフリョプキンは、アレクサンドル・グリゴリエヴィチがオデッサに住んでいた時代に開催していた『開かれた食事会』のために、コックが作ったものであると述べた。考案当初のこの料理に名前は無かったが、アレクサンドル・グリゴリエヴィチの没後、料理を気に入ったオデッサの人間は彼を偲んで料理に「ストロガノフ」の名を付けたという。今日ビーフストロガノフの起源について言及される際、この説が歴史的に正しいとされる事が多い。

    • 食事と料理が好きな当主が深夜、小腹が空いて起きたものの家人や使用人は全員眠っていたため有り合わせの材料で料理を作ってみたら旨かった事から出来た料理とする説もある。

    • ストロガノフ家のコックが、誤ってソースを焦がしたことがきっかけで誕生したとする説もある。

    • 考案された時代についても16世紀末にはすでにロシアで食べられており、コサックの首領イェルマークの食卓にものぼっていたという俗説が存在する。

    いずれにせよ20世紀初頭にはロシアの料理本にレシピが載せられ、ソ連時代に一般に普及。現在日本ではロシア料理店の定番メニューになっているほか、食品会社から手頃な値段で固形ルウが売られ、お馴染みの家庭料理になってもいる。

    牛肉の細切りとタマネギ、マッシュルームなどのキノコをバターで炒め、若干のスープで煮込む。仕上げとしてスメタナ(サワークリーム)をたっぷりいれる(その酸味により肉のしつこさが消え、食べやすくなる。煮込むと酸味が飛ぶのであくまで最後に使う)。バターライスや白飯、パスタ、揚げたジャガイモと共に食される場合が多い。

    • ストロガノフ家で提供されていたオリジナルのビーフストロガノフは、煮込みの前に肉をワインを加えた湯で蒸し、マッシュルームとケッパーを加えたものだったという。

    • ウクライナ風では色は白く、ビーフシチューというよりむしろクリームシチューに味も色も近い。

    • 日本においてはサフランライスを使ったり、トマトやドミグラスソースを使うこともある。また、日本ではサワークリームが食材として一般的ではないため、生クリームを使用する製法も見られる。

    日本ではハヤシライスやグヤーシュの一種で、これを小麦粉の皮に詰めればエンパナーダになると大雑把に認識されている側面もある。

    ハヤシライス - Wikipedia

    薄切り肉とタマネギをバターで炒め、赤ワインとドミグラスソースで煮たものを白飯の上にかけた料理。海外の料理をもとに日本で変化した洋食に分類される。日本では即席の固形ルーや液体のルーが市販されている。

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    • 肉は、牛肉か豚肉が使用される。豚肉を使用した場合は「ポークハヤシ」と呼称することもある。マッシュルームやしめじやエリンギ、あるいは薄くスライスしたシイタケやニンジンを入れることもある。ご飯の上に、プレーンオムレツを乗せた「オムハヤシ」などもある。

    • 一部の洋食屋では薄切りの牛肉とたまねぎを炒めてトマトピューレ(または庶民的にトマトケチャップ)で和え、ドミグラスソースで軽く煮込んで作ることがある。

    ハヤシライスの「ハヤシ」の語源は以下のように諸説あり、定かではない。

    • 「西洋料理としての源流」1881年アメリカ合衆国で発行された家事のガイドブックHousehold Cyclopediaには、"Hashed Beef, Plain"と命名された日本のハッシュドビーフに近い料理のレシピが掲載されている。1888年には、『軽便西洋料理法指南: 実地応用一名・西洋料理早学び』(マダム・ブラン述、洋食庖人〈松井鉉太郎〉著)に、「ハヤシビフ」という名の"Hashed Beef, Plain"に似たレシピの料理が掲載されている。その後、1909年発行の『女道大鑑』、1912年発行の『洋食のおけいこ』といった書籍に、「ハヤシビーフ」のレシピが掲載されている。

    • 「ハッシュド(Hashed)」説…ハッシュドビーフ・ウィズ・ライス(Hashed beef with Rice)が「ハッシ・ライス」あるいは「ハイシ・ライス」となり、それが訛って「ハヤシライス」となったとする説。 柳瀬尚紀著『広辞苑を読む』p123-128では、数種類の国語辞典に記載されたハヤシライスの英語名を比較し、どれもバラバラで一定していないことを指摘している。また、広辞苑初版ではhashed rice(細切れにされた米)という明らかな和製英語が掲げられており、これが後の版ではHashed meat and riceというこなれた英語に変更されていることから、英語名に特に典拠があったわけではなく、改訂を進めるうちにより正しい英語に修正してしまったのではないかと述べている。またストレートに「ハッシュド・アンド・ライス(Hashed and rice)の変化したもの」と見る説もある(平川陽一編『今さら誰にも聞けない500の常識』廣済堂文庫 p.256 2003年)。

    • 「はやす」説言語学者の楳垣実は自著の中で、古語(および古語の影響の残る方言)で「こまかく切る」という意味を持つ「はやす」という動詞を取り上げ、英語のハッシュド (Hashed) がハッシ・ハイシなどと訛った上で「はやす」との意味の類推から「はやし肉」などといった語が生まれたことによって、ハヤシライスになったのであろう、と述べている(楳垣実 『日本外来語の研究』 青年通信社出版部、1944年、p161)。「はやす」は古くは保元物語などに「切る」という意味での使用例がある。標準語や京都弁などには残っていない言葉だが、秋田弁や出雲弁などの方言にこの言葉が保存されている(方言周圏論)。

    • これを後押しする証拠として、1908年発行の『海軍割烹術参考書』にドライハヤシとしてハッシュドポテトの調理法が書かれており、当時Hashedがハヤシと書かれていたことがわかる。

    • 早矢仕有的」起源説丸善創業者の早矢仕有的(はやし ゆうてき)が作った牛肉と野菜のごった煮に由来するとする説で『丸善百年史』に掲載されている。医師だった早矢仕が作った滋養の強い入院食説、丸善で働く丁稚に対する夜食説、明治初期に早矢仕が友人に振る舞った料理という説がある(丸善広報担当:談)。ただし書中ではこれをあまりに話ができすぎていると指摘し、明治初年以来の洋食屋である神田佐久間町三河屋にてハッシュ・ビーフが流行った旨を言い「これとライスと合せて称したものが、ハヤシライスの語源に違いない。しかし三河屋も有的が贔屓にした料理屋であるから、間接に関係があるといえば、いえないこともあるまい」とも記載されている。1935年発行の『季刊明治文化研究 第五輯』(明治文化研究会)に掲載された『早矢仕有的傳』(蛯原八郎著)においても同様の説が唱えられており、有的の長男である早矢仕四郎の言葉として、「ハッシュ・ビーフ」が「ハヤシ・ビーフ」にいつの間にか転訛したのだ、と述べられている(「丸善百年史」と「早矢仕有的傳」)。いずれにせよ早矢仕有的が作った「野菜のごった煮」がいかなるレシピの料理であったかは説明されていない。また、三河屋で流行ったという「ハッシュ・ビーフ」についても、日本のハッシュドビーフに相当する料理であったのか、英語のHashに相当する料理(コーンビーフハッシュに近い料理)であったのかも説明がなく、不明である。これに対し早矢仕の子孫は、『早矢仕有的年譜』においては彼が幕末より西洋医術を学んで1868年に医院を開業し、そこで栄養失調患者に治療として食べさせたのが始まりと記述されている、と反駁している。また、この記述と関係なく、丸善は店内のレストランでハヤシライスを「早矢仕ライス」の名で提供し、ハヤシソースの保存食品を自社ブランドで製造販売している。

    • 「上野精養軒のハヤシライス」起源説…日本における発祥の店においては諸説あって現在数多くの店が元祖を名乗っており、定かではない。

    • 宮内庁」起源説…食文化研究家の小菅桂子は、元宮内庁大膳職主厨長だった秋山徳蔵が考案した宮内庁版ハヤシライスが元祖としている。これを聞いて、上野精養軒のコックをしていた「林」が、従業員の賄い飯として作ったところ、好評であったことからこれをメニューにした説がある。書籍『にっぽん洋食物語大全』では、元宮内庁大膳課の料理人である渡辺誠が、ハヤシライスのルーツは東欧料理のグヤーシュであると自説を述べるくだりがある。これはドイツでは「グラッシュ」と呼ばれる料理である。

    いずれにせよ日本人の口に合って1930年代のカフェ・ブームを契機に日本全国に広まり始めたと考えられている。

    大和煮 - Wikipedia

    たいへん味付けが濃く、素材の味を消してしまう獣肉の調理法。またその方法で調理された料理の名称。砂糖・醤油や生姜などの香辛料で濃く味付けをした煮物。クセの強い肉や質の悪い肉をそれなりに食べられる料理に仕上げる手法」としてポピュラー。明治になってから肉食の習慣を日本人の間に広める手段として工夫されてきた歴史も有する。

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    • 明治10年代に鶏肉(鴨肉との説もある)を使って作られたのが最初であると言い伝えられている。考案者は千葉県の缶詰業者であった前田道方。売り出すにあたって、朝野新聞編集長の沢田直温が「大和煮」と命名したものだが由来は不明。他に、1871年(明治4年)、大阪靭永代濱(現在の大阪市西区靭公園辺り)で海産問屋を営んでいた大和屋清七義道が、鰊や小魚などの甘露煮を製造するにあたりその甘露煮を大和煮と呼んだ事例があり、現在も同区江戸掘三丁目にて江戸三・大和屋の屋号で営業中である。

    • その後、鶏肉以外の肉も使われるようになり、1915年(大正4年)には明治屋が牛肉大和煮の缶詰を発売、1923年(大正12年)には日本橋三越で行われたバーゲンセールで目玉商品とされた、などという記録が残っている。

    • 牛肉大和煮は大日本帝国陸軍では牛缶と呼ばれ、携帯口糧として将兵らに人気のあるメニューであり、日清及び日露戦争時には戦時のために大和煮缶詰の材料にするため牛が足りなくなった事もある。現在の陸上自衛隊においても戦闘糧食 I型の内の「牛肉味付缶詰」(DSP N 5105)として採用されている。

    商業捕鯨が盛んであった時代には鯨肉も多く使われていた。また他に羊肉・馬肉・鹿肉なども使われており、珍しいものとしては熊・トドなどの獣肉も使われることがある。ただし、濃い味付けで肉のクセを隠すことができるとはいえ程度問題であり、特にクセの強い肉、例えばトド肉大和煮などは好みがわかれる。一般的には、あまり家庭で作られることはなく、もっぱら缶詰食品として流通している。ただし、例外的に宮城県牡鹿町(現石巻市)では、きわめてクセが強く食用にはなりにくいマッコウクジラの鯨肉をこの手法で調理したものが郷土料理とされていた時代がある。

    エンパナーダ(empanada)

    具入りのパンまたはペイストリー。その呼称はパンで覆うまたは包むという意味のスペイン語およびポルトガル語の動詞「empanar」から派生した。別名にエンパナダスがある。生地またはパン生地を折りたたんで具を包んで作る。

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    スペインでは、エンパナーダは通常大きく丸い形で、食べるとき小さく切り分けるが、ガリシアではそれに加えて一口大から、日本の菓子パン大までの大きさのものがあり、それらはエンパナディージャ(小さなエンパナーダ)と呼ばれる。また、ポルトガルおよび南アメリカのエンパナーダは通常小さく半円形である(この種類のエンパナーダは、スペインのカディス県でも一般的である)。各国で独自の名で知られている。

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    • ウマイヤ朝イベリア半島支配時代にスペインとポルトガルに普及した塩味のペイストリー「muaajanat」が起源との説がある。特にサーサーン朝ペルシア起源とされる半円形の「サンブーサク(sanbusak)」は、インドの揚げ料理サモサの原型でもある。

    • アラブ諸国では「muaajanat bi sabaniq maa lahm」(ホウレンソウと肉のペイストリーの意味)が普及している。

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    • スペインでは''empanada gallega(ガリシア風エンパナーダ)またはエンパナーダと呼ばれ、ポルトガルではエンパナーダとのみ呼ばれる。

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    • アメリカ合衆国のエンパナーダは、大きなパイと同様に切り分けて調理される、労働者向けの手軽で栄養のある食事であり、スペインのガリシア州ポルトガルが起源と推測される。ガリシア州およびポルトガルのエンパナーダのフィリングには通常、ツナ、イワシ、チョリソが含まれるが、替わりにタラや豚ロースを使うこともある。肉や魚は通常、トマト、ニンニク、タマネギのソースで味付けされてパンやペイストリーで包む。
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    • ラテンアメリカへの多数のガリシア人移民により、empanada gallegaはそれぞれの地域で人気となった。この料理は、入植者により南アメリカに伝わり、現在も定着し人気である。

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    かくして南アメリカのエンパナーダは多種多様な内容となった。

とりあえずここまでが「欧州薄肉料理」の歴史。

  • レモンを添える(イスラム圏の影響色濃い)地中海料理風 

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  • 牛乳やクリームで煮込む(半農半牧の)欧州大陸内陸部風

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  •  産業革命のあった19世紀以降広まった「ケチャップ・マスタードソース添え」

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    マスタードの歴史 | G.S. Dunn

    何世紀もの間、マスタードは世界で最も広範に栽培され、利用されてきた調味料のひとつでした。マスタード古代エジプトに起源を持つとされ、ギリシャ人には医薬品と調味料として利用されました。ローマ人はギリシャ人を真似て食料と医薬品の両方の目的で利用し、ヒステリーや蛇毒、腺ペストなど、様々な疾病の治療薬と考えていました。

    ローマ人によってフランス北部にもたらされ、そこで修道士に栽培されるようになりました。9世紀までには、修道院マスタードの販売により相当な収入を得るようになりました。マスタードという言葉の語源は、ブドウのマストを意味するMostoであると考えられています。マストとは若い未発酵のワインのことで、それにフランスの修道士がマスタード種子のすり潰したものを混ぜていました。

    我々が今日使っている加工マスタードは、フランスのディジョン市で13世紀に始まったもので、マスタード愛好家であったアヴィニヨンの教皇ヨハネ22世の支援を受け発展しました。教皇は、ディジョン市の近くに住んでいた職のない甥っ子のために、Grand Moutardier du Pape(教皇付きの大マスタード職人)という役職を作ったことで知られています。

    19世紀初め、イギリス人が世界で初めてマスタードの製粉を始めました。彼等はマスタードの種子の中心部を細挽きし、マスタードを産業用食材として確立しました。今日私達がよく知っている黄色いマスタードは、1904年にニューヨーク州ロチェスターで発案され、ホットドッグとの相性のよさから人気を博しました。

    この古来の種子は、今日では何千もの食品に不可欠な食材となり、その様々な特性のためますます利用されるようになっています。

大体上掲三種に分類される様です。これにウスターソースを掛ける慣習は三番目の系列に属し、ドイツ語圏が起源とも。

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シュニッツェル(ドイツ語: das Schnitzel, オーストリア方言:das Schnitzerl、ヘブライ語: שניצל)

ドイツ、オーストリアの肉料理。イスラエルでも盛んに食べられる。

 

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「ヴィーナー・シュニッツェル Wiener Schnitzel」(ウィーン風子牛のヒレ肉の意)は北イタリアを起源として、15世紀頃から16世紀頃にウィーンに伝わったとされる。他の説によると、1857年にヨーゼフ・ラデツキー元帥により伝えられたとされる。

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当初は祝い料理であり、17~18世紀には黄金色を増し豪華に見せるためパン粉に金粉を混ぜることがあった。今ではオーストリア人に最も人気のある料理となり、祝日に限らず、あらゆる場合に食べる。オーストリアにはシュニッツェルだけを出すファーストフード店すら存在する。多くのレストランで、豚肉で作ったより安価なシュニッツェルを出す。七面鳥で作った変わり種も最近では広まってきた。しかしオーストリアのレストランでは、子牛肉以外が使われているならばメニューに"vom Schwein"(豚肉の)、または"von der Pute"(七面鳥の)を明記するよう規制で定められている。

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一般には「子牛のカツレツ」と言われるが、実際には牛肉以外に、豚肉でも鶏肉でもよい。イスラエルでは鶏や七面鳥の胸肉で調理されるが、当地の多くを占めるユダヤ教イスラム教では豚肉を食べる事が禁じられているため、豚肉で調理されることはまずない。豚の方が向いているという意見もある。薄く切った肉をさらにミートハンマーで叩いて薄くし、小麦粉をたっぷりつけ、溶き卵に潜らせてパン粉をつける。パン粉を挽き立ての黒胡椒で味付けしておくこともある。これをやや多めのバターかラードで揚げ焼きしたもので、日本の豚カツのように多量の油を使用する揚げ物(ディープフライング)ではない。

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オーブンで焼いたジャガイモ、フライドポテト、あるいはポテトサラダとカットレモン、レモンスライスなどを添えて食べる。米を添えることもあるが、これは1980年代以降に流行したもので、純粋主義者から見ると邪道と考えられている。オーストリアでは酸味のあるコケモモ、ラズベリースグリなどのジャムを添えることも一般的である。オーストリアとは異なり、スウェーデンではグレイビーソースを添える。

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豚カツ(Pork Cutlet)

厚みのある豚のロースやヒレのスライス肉を、小麦粉・溶き卵・パン粉をまとわせて食用油で揚げた日本の料理。表記は、「とんかつ」・「とんカツ」・「トンカツ」・「豚カツ」など様々である。単に「カツ」と書かれることもある。カツはカツレツの略。

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家庭用のレシピとしては、以下が一般的である。

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  • 「トンカツ用」などとして売られているスライスされた豚肉を使う。筋切り、塩コショウする。

  • 小麦粉をまぶして軽くはたき落し、溶き卵にくぐらせ、パン粉をつける。

  • 天ぷら鍋にサラダ油を満たし、150〜160℃という比較的低温で10分ほど揚げる。衣をカリっとした食感とするために、最後の1分間だけ火を強くするとよい。

  • 数cm幅に切り分け、ソースやからしなどを添えて提供する。

  • 業務店では、効率化のため小麦粉と溶き玉子の代わりに業務用に販売されている「バッター粉」で代用している例も多い。

  • 「とんかつ専門店」では、茶碗飯・味噌汁をセットにした和食のスタイルで「とんかつ」を提供している事が多い。肉の部位はロースとヒレのどちらかを選択できる店が多い。生キャベツの千切りを添える例が多いことは、消化吸収を助け脂肪吸収を抑えるビタミンUを摂取でき有意義である。またしじみ汁を供する店が多いことは、脂肪分の分解を助けるメチオニンや、そこから合成できるタウリンといったアミノ酸が摂取できて理に適うといわれている。

語源は骨付き背肉を意味するフランス語のコートレット(cotelette)、あるいはそこから派生した英語のカットレット(cutlet)と言われている。塩・胡椒で味付けをした子牛や羊肉の骨付きの切り身に、小麦粉・卵黄・パン粉から成る衣をつけ、バターで焼いたものである。

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  • 遡れば森島中良の『紅毛雑話』(1787年)にはオランダ人の料理献立として、鶏肉の紙包み焼きコットレッツが紹介されている。1872年に仮名垣魯文の『西洋料理通』に豚のアバラを用いたホールコットレッツのレシピが記載されているが、豚ロースを用いたポークソテーであって、豚カツとは全く異なる料理である。このほかにも起源とされる料理には諸説ある。

  • コートレットが日本に伝わった際、まず牛肉が用いられカツレツとなった。これが豚肉に代わり、骨付きから骨なしに代わったことが大きな転換といえる。さらに、コートレットでは小麦粉をまぶすだけであったのが1872年にはすでにパン粉を用いるようになった事が確認できる。さらに西洋での油を使った調理法は揚げるというよりは油で炒めていたのに対し、日本ではてんぷらに代表されるように、大量の油を用いて揚げるのが一般的であった。この調理法の違いも影響して、薄い肉の炒め焼きから、厚い肉を大量の油で揚げる方法に変化していったといえる。 他の西洋料理が日本的な「洋食」へとアレンジを加えられるのと時を同じくして、コートレットも豚カツへと変化してきたのである。

  • 宮崎昭の『食卓を変えた肉食』では、「 カレーの牛肉を豚肉に替える食文化が出来た。 カツレツを豚肉で作ると特においしい事が知られた。牛肉は豚肉にとって替わられていった。」と説明している。吉田忠の『牛肉と日本人』(ISBN 978-4540911064)では、「幕末の江戸において、牛肉ではなく豚肉が最初に広まった。明治末から豚カツをはじめとする多様な豚肉料理が普及した。牛肉料理を比較的価格の安い豚肉に変えたらどうかと工夫を重ねた」と東京の影響について説明している。農林省畜産局の『本邦の養豚』では、全国豚畜産数について、1916年 337,891頭、1925年 672,583頭とわずか9年で倍増しており、上記の変化を裏付けしている。

  • 1899年(明治32年)、東京市・銀座の洋食店「煉瓦亭」が「豚肉のカツレツ」(「ポークカツレツ」)をメニューに載せた。それまでのカツレツと違い、牛肉でなく豚肉を使い、ソテー(炒め揚げ)ではなく天ぷらのように大量の油で揚げ(ディープ・フライ)、温野菜のかわりに生キャベツの千切りを添えて提供した[注釈 1]。西洋人だけではなく日本人の客に受け入れられることを目論んで作った料理で、人気となった。

  • 大量の油で揚げた理由は「日露戦争で見習いコックが徴兵されて、人手が足りなかったから」という関係者の談があり、何枚も同時に揚げて調理の効率化を計りたかったからともいう。またキャベツの千切りを添えたのは、1904年(明治37年)ごろであると考えられる。

  • 1911年(明治44年)永井荷風の随筆「銀座」では露店で供される「トンカツ」について触れられている。また高村光太郎の1912年(大正1年)の詩「夏の夜の食欲」にも「トンカツ」への言及を見ることができる。

  • 関連料理として、1918年(大正7年)に「カツカレー(河金丼)」と、1921年(大正10年)に「カツ丼」が誕生。同1921年に、新宿の「王ろじ」がぶ厚いロース肉を揚げ、食べやすく切り分けた「とんかつ」をはじめて売り出したというとんかつ発祥説のひとつがある。

  • 1923年(大正12年)の関東大震災後、洋食や中華料理の人気におされて人気が下降していた日本蕎麦屋が、起死回生策としてカツ丼やカレーライスを扱いはじめたところ、気安く食べられる「蕎麦屋の洋食」として大人気となった。

  • 1929年(昭和4年)、御徒町の洋食店「ポンチ軒」が「とんかつ」を発売。カツを包丁で切り分け、茶碗飯と漬け物と味噌汁で食べさせるという和定食のスタイルで客に出し、評判となった。2.5〜3センチという厚い豚肉に十分に火を通す加熱調理法を考案した同店のコック島田信二郎を「とんかつの発明者」と呼ぶ者も多いが、彼は自分の料理を「とんかつ」と呼ばれる事を嫌っていたともいう。ともあれこのスタイルの「とんかつ」は好評を博し、全国に広まった。

    肉厚のポークカツレツ、つまり「とんかつ」を、日本で初めて売り出したのは1929(昭和4)年、東京上野御徒町の「ポンチ軒」だといわれている。考案したのは、元宮内省の大膳職でコックを務めていた島田信二郎だ。島田は、今も上野で営業している「ぽん多本家」の創業者でもある。創業は1905(明治38)年なので、とんかつの調理法を編み出した昭和初期の頃は、一時雇われで「ポンチ軒」に勤めていた可能性が高い。ちなみに「ポンチ軒」のほうは、第2次世界大戦で東京大空襲に遭って廃業し、いまはない。島田は、箸でも食べられる柔らかいポークカツレツをつくろうと改良を重ねた。そして、3センチ近くある分厚い肉にじっくりと時間をかけて火を通す調理法を考案したのである。揚げ油の温度を調節しながら、中心までしっかり火を通す。てんぷらで培った熟練の技をポークカツレツに応用することで、とんかつは生まれた。『とんかつの誕生』(講談社、2000年)で、著者の岡田哲は、<とんかつのおいしさのなかに、世界の他の料理にはみられない、豚ヒレ肉の厚切りの利用がある>と述べている。牛肉の厚切りは、揚げたら固くなってしまう。豚ヒレ肉は柔らか過ぎて、一般に料理の素材として好まれず、ハムやソーセージの原料にしかならない。だが、この柔らかさに注目して、独自の加熱法で調理したものがとんかつだというのだ。

    1932年(昭和7年)には、上野や浅草に「楽天」・「喜田八」・「井泉」など「とんかつ専門」を標榜する店が次々と開店し、東京下町の繁華街でとんかつブームが起こった。また同じ頃、須田町食堂やデパートの大食堂など、和洋中のすべてをあつかう大衆飲食店が人気となり、豚カツの普及に貢献した。一方、昭和恐慌の時期とも重なっており、安サラリーマンの贅沢は給料日に肉屋の店頭で買う一枚五銭の豚カツとも言われた。

1958年には、とんかつチェーン和幸の第一号店が開店。カツの衣を湿らさない工夫として金網を利用したり、千切りキャベツや味噌汁をおかわり自由にするなど、新たなサービス攻勢により、とんかつ専門店の間でも競争が激化するきっかけとなった。 

(岡田哲の調べによる)家庭向け料理書における表記の変遷

1872年(明治5年) - 仮名垣魯文著『西洋料理通』に「ホールコットレット」として紹介されたものがルーツと考えられる。

1895年 (明治28年) - バターで炒め焼きするカツレツのレシピが載る。

1904年 (明治37年) - 豚の薄切り肉を使用した「豚の肉フライ」のレシピが載る。リンゴソースをかけて食べる。

1910年 (明治43年) - 「魚の切身位」の厚さの「豚肉のカツレツ」のレシピが載る。三杯酢をかけて食べる。

1915年 (大正4年) - 二分(約0.6cm)の厚さの「ポークカツレツ」のレシピが載る。橙をかけて食べる。

1922年 (大正11年) - 「牛肉のカツレツ」のレシピの中で、刻みキャベツと、ウスターソースの文字が初めて登場する。

1926年 (大正15年) - 「ポークカツレツ」のレシピの中で、キャベツの千切りを添えるとある。

1930年 (昭和5年) - 「豚肉カツレツ」のレシピが登場。

1942年 (昭和17年) - 「ポークカツレツ」(「とんかつ」と併記された)のレシピが登場。

1959年 (昭和34年) - 「豚(とん)カツ」の表記が登場。以後しばらくこの表記が主流となる。肉の厚さは1cm〜1.5cmとなり、少量の油で炒め揚げる手法は廃れる。
1974年 (昭和49年) - このころから「とんカツ」の表記が広まっている。

バリエーション

豚カツは、さらに調理されて別の料理となったり、他の料理と組み合わせられる事がある。

  • カツカレー - カレーライスと豚カツを組み合わせた料理。

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    カツカレー - Wikipedia

    1948年(昭和23年)に、東京都中央区銀座の洋食店「グリルスイス」で生まれたと言われている。常連客だったプロ野球読売ジャイアンツ千葉茂が「別々に食べるのは面倒だから」と注文したことがきっかけで、グリルスイスとその系列店では現在も「元祖カツカレー」と「千葉さんのカツカレー」というメニューを出している。

    また、それに先駆けて1918年(大正7年)に、東京市浅草区浅草(現・台東区浅草)の洋食屋台「河金」が豚カツを載せた丼飯にカレーを掛けて「河金丼」と称して提供したともいう。

  • カツ丼 - 豚カツとタマネギをタレで煮て鶏卵でとじたものを丼飯に載せた料理。卵とじにせず豚カツをソースにつけて丼飯の上に載せたものは一般にソースカツ丼と呼ぶ。

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  • カツサンド - 豚カツをウスターソース等で味付けし、サンドイッチの具としたもの。

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    カツサンド - Wikipedia

    昭和10年(1935年)に井泉の女将(当時)である石坂登喜が発案したとされ、正式には「かつサンド」と呼ぶものであった。当時の井泉は花柳界の芸者衆がよく利用していたため、口紅がとれずに食べられるよう小さなパンを特注して作っており、また箸で切ることのできる、肉を丁寧に叩いた柔らかいカツを売り物にしていた。

  • 一口カツ - 一口で食べられるような小さく切った素材を使ったもの。軽食として食べられるようにこれを串に刺す場合と、素材を串に刺してから提供する串カツもあり、これは豚カツ専門店以外に軽食店や露店でも供されている。

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  • 焼きカツ - 原型となったカツレツに近いもので、油で揚げずに、フライパンや鉄板、オーブンで焼いた豚カツ。ステーキなどのように、熱した鉄板に乗せて供される事もある。

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近年では脂肪の摂取を控えめにする事を目的として、油で揚げず、少量の油を用いて電子レンジで「焼いた」豚カツのレシピも登場している。地方料理も多く、かつめしエスカロップ味噌カツ、トンカツラーメン、トルコライスボルガライスなど、また地元のブランド豚を使用するなど町おこしの一環としても利用されている。

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  • 中国…「排骨」と呼ばれる調理法で作られたポークカツレツが普及していて、日本ラーメン店や中国料理店でも見かける。

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    排骨(中国語 páigǔ、パイクゥ、日本式発音:ぱいこー、ぱーこー)- Wikipedia

    中国語で豚などのスペアリブ、すなわち骨付きあばら肉の意味。転じて豚のあばら肉に卵と小麦粉の衣をつけて油で揚げた中華の肉料理を指す。欧米ではポークリブ(Pork ribs)と呼び、ソースを絡めてバーベキューなどに用いられることが一般的である。

  • 韓国…韓国語で「トンカス(돈가스)」と呼ばれている。日本統治時代にカツレツとして伝わっていたが、庶民的な料理になったのは1970年代中頃からで韓国の豚カツは豚肉を薄く延ばすなど、むしろ「ポークカツレツ」に近いものであったが、肉厚がありジューシーな食感を持つ日本の豚カツもやがて一般化し、大都市では主流となっている。

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    韓国でトンカス料理が生まれたのは日本統治時代の20世紀初頭。当時日本で庶民の洋食として流行していた「トンカツ」が朝鮮にもたらされます。ただ、当時の「トンカツ」は今我々が知っているものより、いわゆる「ポークカツレツ」に近いものだったようです。そのため韓国のトンカスは、古いカツレツの特徴を色濃く残しています。もっとも当時は洋食は富裕層の贅沢食だったため、庶民にとっては手の届かないご馳走だったようですが。

    トンカスが庶民の口に入るようになったのは漢江の奇跡と呼ばれる高度経済成長を経て
    市民にも外食を楽しむ余裕が生まれてきた1970年ごろ。トンカスはオムライスと並んで、庶民のための洋食として定着します。

    南山図書館のふもとの散策路にトンカス屋が軒を連ねるようになったのもだいたい70~80年代のころだと言われています。恋人と南山にデートに来て、ちょっとオシャレなものを...となったときに人気のメニューだったようです。

  • 台湾…普及の過程は韓国と同様である。2000年代頃からでは日系のコンビニ弁当の具材として使用され、カツ丼に似た「排骨飯」も普及している。

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日本食を好む外国人は多いが、その中でもこの豚カツを好む人が多数存在する。アメリカに出店したとんかつチェーン店「新宿さぼてん」は、「Tonkatsu」として提供されている。

トンカツの日

日本記念日協会は、10月1日を「トンカツの日」に認定している。冷凍食品メーカーの「味のちぬや」が提唱したもので、「スポーツの秋にトンカツを食べて元気になり、勝負に勝つ(カツ)」ことと、トンを10、カツを1(=1番)に見立てて決めたものである。
またこれとは別に、東京都食肉事業協同組合が10月10日を「とんかつの日」と決め、特別セールを行なっている。

日本のB級グルメの世界にも大きな影響を与えている。
「北海道根室市のご当地料理」エスカロップ

ケチャップライスまたはバターライスに豚カツを乗せてドミグラスソースを掛けた料理。北海道根室市のご当地料理で、略してエスカとも呼ばれる。
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元々は地元の漁師たちのために手早く満腹感を満たすことができるメニューとして考案されたという。「エスカロップ」の語源は諸説があるが、一般的にはフランス語の「エスカロープ」 escalope (肉の薄切り)とされる。語源の意味の通りエスカロップのトンカツには、ドイツなどのシュニッツェルに類似して、比較的薄切りの豚肉が用いられる。

  • 1963年(昭和38年)頃、根室市の洋食店「モンブラン」のシェフが考案し、短期間のうちに根室市内で普及した[1][2][4]。 当初は仔牛肉のソテーあるいはカツレツをナポリタンスパゲッティの上に載せたものであったといわれるが、やがてトンカツを用いるようになり、スパゲッティはケチャップライスに代わった。これが「赤エスカロップ」の原型である。その後赤エスカを基に白エスカが出現した。ライスには当初マッシュルームが混ぜ込まれていたが、当時の流通の関係により筍に変更された。

  • 根室市での知名度・普及度は非常に高く、同市の「郷土料理」として紹介される場合もある。市内では食事メニューとして供する喫茶店が多いほかコンビニエンスストアでも「エスカ弁当」が売られており、夕食メニューにエスカロップを出す宿泊施設もあるが、根室市および根室振興局管内の地域以外ではほとんど見られない。

北海道内でも、2005年にセブン-イレブンが期間限定商品としてエスカロップを販売したが、それほど売り上げは伸びなかった。

「西日本沿岸沿い中心に分布する」トルコライスまたはトルコ風ライス

日本の洋食屋等で供される、一皿に盛りつけられた洋風盛り合わせ料理の一種。主に長崎市を中心とした長崎県に多く、大阪市、神戸市にも「トルコライス」という名称の料理が存在し、それぞれ内容は異なる(なお、九州では長崎県以外ではほとんど見られない)。最も一般的なのはカレーピラフ(ドライカレー風も有)、ナポリタンスパゲティ、ドミグラスソースのかかった豚カツという組み合わせである。盛り付けとしてはピラフとスパゲティとサラダを皿に盛り、その上からカツカレーのごとく豚カツをのせる。

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「トルコ」の名を冠してはいるが、トルコに同名、同種、あるいは類似した料理は無い。豚カツ、ピラフ、スパゲティなどを一皿に盛った料理だが、トルコでは炭水化物が同じ皿に盛られる料理は通常考えられず、イスラム圏では豚を食べることはタブーである。

近年は長崎を紹介する旅番組で地域限定メニューとして紹介されたり、料理・グルメ漫画(「駅前の歩き方」や「クッキングパパ」など)で取り上げられるなどメディアでの紹介も増え、2003年頃からはセブン-イレブンなどのコンビニエンスストアで弁当として販売されるようになっている。最近は「大人のお子様ランチ」を標榜している模様。
「1930年まで遡る」お子様ランチの起源

お子様ランチは日本橋にある三越百貨店の食堂で生まれました。1930年(昭和5年)のことで、当時は世界恐慌の名残があり、不況の時代です。

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「不景気で暗い世の中、せめて子供達には明るい夢のあるものを」ということで、三越百貨店の食堂主任だった安藤太郎さん(通称アンタロー)がお子様ランチを開発したのです。

初めのころは御子様洋食(おこさまようしょく)という名前で、富士山の形を真似して山盛りにしたケチャップライス・スパゲティ・サンドイッチ・コロッケ・ハム・ボンボンといった内容でした。

そして、登山家は山の頂上にたどり着いたら旗を立てる事をヒントとし、ケチャップライスに小さな旗を立てることにしたのです。

お子様ランチの完成です♪♪♪

旗のデザインは、丸に「三越」の「越」の字を入れたものでした。
後に、旗のデザインが「丸に越」では夢がない!ということで、日の丸の国旗とか、それ以外の国旗を立てることにしたのです。

ちなみに・・・
料理長の中には、冬の季節になると、富士山に雪が積もっている様子を表現するために、ケチャップライスのてっぺんに白いご飯を多めにのせたりしていた人もいるそうです。

②当時の価格は30銭で、現在の値段でいうと1000円~1200円くらいです。現在、日本橋三越本店の食堂には3種類の子供向けメニューがありますが、それが1つ800円くらいなので、当時のお子様ランチは少し贅沢なものだったようです。

③お子様ランチは、いろんな種類の料理が少しずつ味わえるということで、大人にも人気があったそうです。

長崎で1950年代に出現したと見られるが、初めて考案したと主張する店が複数存在している。
トルコライスの謎 《 長崎ガイド 》

  • トルコ起源料理説…名称に「トルコ」とあるが、トルコにはそのままで類似した料理はない。豚肉を禁忌とするイスラム教信徒が多数を占めるトルコで、豚カツを含む料理が供されることは考えにくい。また、複数の炭水化物が同じ皿に乗ることもない。これらは2013年5月にトルコを親善訪問した全日本司厨士協会長崎県本部の訪問団が、現地の料理人・シェフ連盟から指摘されている。豚カツの代用として他の肉や魚介などでもいいと提案したものの、同様に難色を示されている。ただしピラフはそもそもピラウというトルコ料理であり、ピラフのことをトルコ風ライスと呼び、豚カツとスパゲティは単なる付け合わせであるという説がある。一方でトルコ料理ケバブでは皿に盛って供するものがあるが、ピラフと肉・サラダの組み合わせを1枚の皿に盛る点でトルコライスに似る。

    「トルコ起源説が有望視されている」ピラフ(トルコ語: pilav、フランス語: pilaf)

    炒めた米を様々な具とともに出汁で炊いた料理。トルコ料理が有名であるが、インドから中近東を経て、南欧ギリシャにまで幅広く見られる米料理である。世界的に粘り気の少ない長粒種の米が多く使用され、日本の炊き込みご飯より固めでパラッとした出来上がりになる。

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    語源となったピラウはトルコでは一般的な料理であり、主に付合せとして食べられる。米のみのものや、様々な具材を炊込んだものがあり、入れた具材の名前を冠して「○○ピラウ」と称される。トルコではジャポニカ米、インディカ米、蒸した小麦を乾燥させて砕いたブルグールの3つがピラフに使われている。

    • ピラウが記述される最古の文書の一つはアレクサンドロス大王の歴史で、バクトリアの歓待で記述される(バクトリアは東イラン地域であり、アレクサンドロスの妻ロクサネの出生地で、地理的に現在のウズベキスタンに位置する)。このことからプラーウはしばしば、ペルシャ人発祥の最古の米料理であるとされる。アレクサンドロスによるソグディアナの都市マラカンダ(現サマルカルド)占領においてこの料理が供されたことが知られている。アレクサンドロス軍がこの料理をマケドニア王国に持ち帰り、東ヨーロッパに広まった。

    • 正しい調理法の最初の記述は、10世紀の学者イブン・スィーナーによるものと考えられ、医療科学に関する著書において数種類のピラフを含む様々な食事について、調理に使われる個々の材料の利点と欠点が記述された。このため、イブン・スィーナーが現在のピラフの父と考えるタジク人もいる。

    インド料理ではプラーオ पुलाव 、イラン料理ではポロウ پُلَو 、アフガニスタン料理ではピラウ پِلَو と呼ばれる。ギリシャ料理でも一般的な付合わせで、トルコからフランスに入ってフランス料理のピラフとなった。同時進行で中央アジアにも伝わり、現地に居住するウイグル人キルギス人の間で「ポロ」(ウイグル語:polo、پولو、キルギス語:поло)の名で親しまれている。主に、羊肉、羊の脂、ニンジン、タマネギを具として用い、干しぶどうやヨーグルトをトッピングにする。

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    • ピラウは年月を経て、アラブ人、タジク人およびアルメニア人による様々な変化と改良を伴い、中東の定番料理となった。ブハラ・ユダヤ人、ペルシャユダヤ人によりイスラエルに伝えられた。

    • ムガル帝国は、米料理を含む多くのペルシャ料理を南アジアに伝えた。プラーオは南アジアの米料理であり、エンドウ、ジャガイモ、マトン、牛肉、または鶏肉で作る。この料理は特別な日や結婚式で供され、熱量(カロリー)が高く脂肪が多い。肉入りプラーオはインド北部特にイスラムの伝統である。ビリヤニは、ムガル帝国の時代に伝わったパキスタンとインドの料理であり、ピラフに非常に類似している。ビリヤニはバスマティまたは類似の香り米で作られる。ペルシャ料理およびパキスタン料理のYakhniは、プラーオにスープまたはストックをかけて供される。

    • 「ポロ」は中国語では「抓飯」(ジュワファン、zhuāfàn、手づかみ飯)と呼ばれる。キルギスに住むドンガン人も「ジュワファン」(ドンガン語:жуафан)と呼んで食用とする。「チャーハン(炒飯、chǎofàn)」と発音が似ているが、両者に関連性はない。

    • ソビエト連邦時代にロシア、ウクライナグルジアといった地域へも広まった。

    日本でも洋食として普及し、喫茶店やレストランの定番メニューであり、冷凍食品としても販売されている。本来は米を炒めて炊く料理で、炊いた白飯を炒める炒飯や焼き飯と異なるが、日本ではインディカ米が一般的ではないことや、日本人の好みに合わせてアレンジされ、炊いた白飯をピラフ風の味付けで炒めた焼き飯が「ピラフ」とされていることが非常に多い。中国においても「ポロ(抓飯)」が炒飯と混同される例が多い。

    • 本来の方法に近い調理法…具のエビや貝などの魚介類、鶏肉などの肉類、キノコやタマネギなどの野菜類は食べやすい大きさに切り、弱火で軽く火を通すくらいに炒める(生のまま炊き込む方法もある)。インディカ米を研ぎ、熱したフライパンにバターを適量溶かし、米を透き通るまで炒める。米は生のまま炒めたり、研いだあと30分ほどザルなどを使って水気を切っておく方法もある。米と調味した同量のスープを合わせ、具を載せて、通常と同じように炊き上げて完成。

    • 日本で多い調理法…フライパンに油やバターを引いて具を炒め、国産米の冷飯を炒め合わせ、塩呼称やカレー粉などのスパイスで調味する。

    またヴェネツィアも米所であり、米料理の欧州伝播に大きな役割を果たしたとされる。

    福澤諭吉が創刊した新聞「時事新報」に「何にしようね」という料理コーナーが連載されており、そこに「土耳古飯」のレシピが掲載されていたという。日付は明治26年(1893年)10月21日。

    土耳古飯「先づ鶏か牛肉にてソップを取り置き此ソップにあっさり鹽味(しほあぢ)を附け之を水に代用して飯を焚く可し、飯の焚ける前、別に鍋を掛け置きてバタをぢりぢりと底一面に煎り散らし、焚けると直ぐに飯を其中に入れて充分に掻廻はしバタのまんべんなく廻りたるを見て之を御鉢に移す可しバタ餘り多ければしつこき故其所らが手加減の肝要なる所なり少し鹽味を含む上に其味ひ云ふばかりなければ別におカヅが入らぬ程にて香の物か前號鳥めしに用ひしかけつゆ位にて事足るべし」

    土耳古飯」の記述は明治時代の小説「食道楽(村井弦斎)」にも登場。

    @nifty:デイリーポータルZ:福澤諭吉のトルコライス?

    そして横浜グランデホテルで「日本発祥の洋食」ドリア(Doria)が発案される。

    さらに戦後日本では町の洋食屋で「トルコライス」が出回る展開に。

  • トルコ架け橋説サフラン(ピラフ)がインドを、スパゲッティがイタリアを指し、そこに豚カツが加わって架け橋になるという解釈から両地域の中間に位置するトルコの名称を冠したというものである。また「炒飯が中国、スパゲティがイタリアを表す」という説もある。ただし、発祥の時期とされる1960年頃はサフランライスは一般的でなく、長崎発祥とするならサフランライスは否定される。

  • トリコロール説…カツ・ピラフ・ナポリタンの3種類を、3色のトリコロールカラーに重ね合わせたという説。トリコロールが転じて「トルコ」になったとする。

  • 「トルコ風呂」由来説…1958年(昭和33年)、長崎市で「レストラン元船」を経営していた松原三代治氏が、彩り良い着物の女性の後ろ姿を見ていて、新しい料理のアイデアや盛り付け方法を思い付いた。当時は(売春防止法制定で赤線が廃止され)トルコ風呂が人気を呼んでいた。それにあやかり「うんと精力をつけて頑張ってほしいから」という理由で、彼がトルコライスと命名したという。
    トルコ風呂 (性風俗) - Wikipedia

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  • 土耳古飯説」…明治時代に、すでに「土耳古飯(とるこめし)」という名の料理が知られていた。福澤諭吉が創刊した「時事新報」の料理コーナー「何にしようね」(明治26年10月21日号)によれば、鶏肉または牛肉のスープで炊いたご飯をバター炒めにしたものである。また、小説「食道楽」(村井弦斎)にも「土耳古飯」への言及がある。これに豚カツとスパゲッティが追加されて現在のトルコライスになった。

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長崎風トルコライス長崎県以外では県境が隣接する佐賀県の一部地域(とくに県境よりである西部地方)でまれにメニューに加える飲食店も見受けられるがそれ以外の地域ではほとんどないローカルメニューである。長崎の洋食屋で一般的に見られるが本来は(カレー)ピラフ(ドライカレー風も有)とナポリタンスパゲティの上にトンカツを乗せたもの。カレーをかけたものもある。長崎市ではエルトゥールル号遭難事件の起きた9月16日を2010年に「トルコライスの日」として制定したが駐日トルコ大使館の質問を受けて2013年に廃止した。

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大阪風トルコライス…ベースはチキンライスでこの上にオムライス同様の薄い卵焼きを敷き、さらにこの上に豚カツを載せてドミグラスソースをかけた料理。卵焼きをのぞくと、北海道根室市の地方料理である赤エスカロップ福井県越前市(旧武生市域)の御当地料理ボルガライスと近い。ネーミングの起源はこちらも不明。しばしば発祥店は大阪市旭区にあるイスタンブールとされる。

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神奈川県川崎市トルコライス…大阪風に近くチキンライスに刻んだ豚カツを混ぜてあったり、チキンライスの下にドミグラスソースのかかった豚カツが隠されていたりする。

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神戸風トルコライスケチャップを使わない味付けの炒め御飯の上にカレーをかけ、生卵をトッピングした料理。神戸の学生街の喫茶レストランで「学生達に栄養とボリュームのあるものを」ということで考案されたという説と、昭和30年代に神戸の米軍将校クラブにて出されていたメニューであったという説がある。ネーミングの起源はやはり不明。神戸風とはいうものの、現在は神戸市内でもほとんど目にすることはない。長崎のトルコライスの発祥に関わる説の一つとして、神戸起源説がある。長崎の喫茶レストラン「メーソン仔馬」(既に閉店)のオーナー・北原路子が神戸を訪れた際、米軍将校クラブで出されていたトルコライスを知り、長崎に戻ってから神戸風をアレンジしたのが長崎風のトルコライスであるというものである。

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 「福井県越前市の御当地料理」ボルガライス

福井県越前市(旧武生市域)で販売されている御当地料理。オムライスの上にカツをのせ、各店独自のソース(カレー不可)をかけた料理である。かけられるソースはドミグラスソースの店が多いが、中にはトマトソースや中華風あんかけを使うところもある。構成的には大阪風トルコライスを簡素化したものとも。

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1980年以前からあるが、名前の由来や発祥店などについてはっきりとした事はわかっていない。一説にはロシア西部のボルガ川流域の町でこの料理によく似た物を見たという情報から『ボルガライス』と名付けたといわれるが、さだかではない。イタリアのボルガ地方由来説、ボルガ川由来説、ボルガの漁師料理由来説、旧ソ連のクルマ「ボルガ」由来説、オムスク→ボルガ連想説、店名由来説 の諸説がある。発祥・起源についても、現提供店舗自主開発説、お客さん要望説、秘密会議説 などがある。発祥店がどこなのかは、謎に包まれたままである。

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越前市内にはボルガライスを提供する店が20店舗(2013年2月時点)あり、各店でソースやオムライスの作り方が微妙に違う。さらに、スーパーのお惣菜や中学校のスクールランチにも取り上げられるようになり、その知名度は徐々に高まっている。さらにサークルKサンクス、ローソン、ファミリーマートセブンイレブンなどの大手コンビニエンスストアでは、北陸限定で商品化されている。サークルKサンクスからは、2013年1月22日から同年2月4日までの期間限定で全国発売もされた。このほか、オレボなど地域コンビニや、地元スーパーマーケットでも提供されている。また、海外への進出も始まり、2014年2月14日からタイ王国の首都バンコクの日本料理店でも販売が開始されている。ボルガラーメン、ボルガサンド、たけふ棒ルガライス、ボルガボール、ボルガ風おにぎり、ボルガロール、ボルガ冷麺、ボルガ鍋、ボルガスープ、ボルガライスおかき「ボル菓」など、様々な変わり種の商品も誕生している。ボルガライスを取り上げて町作り活動するグループ『日本ボルガラー協会』が、これらの様々なボルガライスの情報を取りまとめている。

国民国家は、しばしばこういう(御当地グルメ感覚の延長戦上に現れる)ナショナリズムを国民統合の道具として利用しようとしますが(特にドイツ諸国や北欧諸国や大日本帝国における馬鈴薯普及史と縁深い)実際に調べてみると「総動員」に成功したケースなどない様です。

  • 結局「国民食」が何か決めてるのは、割と国民自身。

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  • 戦後日本では「御飯でなくパンを食べよう」運動などもあったが、その結果パン食が広まったのもまた日本国民自身の選択。

    食パン - Wikipedia

  • そもそも国民全体に白飯食が定着したの自体が20世紀に入ってからだから「和食の伝統に反する」とか、そういう次元の話でもない。

    白米 - Wikipedia

    古くは臼で搗いた米を舂米(しょうまい/つきしね/つきよね、「春」ではない)と呼んだ。古代には女性が臼と杵を使って作業を行い、大和朝廷屯倉には特に舂米部(しょうまいべ)を置いたと伝えられている。

    江戸時代、上流階級は精米した白米を常食していたが、当時の多くの歴史上の著名人(徳川家光徳川綱吉桜町天皇徳川家定徳川家茂和宮小松帯刀)が脚気を患っていた。明治以降、地方の庶民層にまで白米を常食する習慣が広まるが、当時未知の栄養素であるビタミンB1を補うことに配慮が十分に回らず、そのためにひと頃は脚気が国民病とまで言われたことがある。

    白米は庶民の憧れであったことを背景に、1904-5年の日露戦争時には陸軍が白米支給に固執し、陸軍脚気惨害を引き起こした。国外への動員兵数100万人のうち、戦死4万6千人、戦傷15万人で、25万人強の脚気患者が発生した。この入院脚気患者のうち、2万7千人が死亡したと見られている。

    日本では、精米して白米と米糠に分け、それぞれ販売され利用されてきた。消費者への小売りでは白米(無洗米を含む)であることが通常であるが、玄米も一定の需要があり、広く販売されている。 

さて、私達はどちらに向けて漂流しているんでしょうか…