諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

ナショナリズムの歴史外伝⑥ 「シチュー丼の是非」について。

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これまでの「食のナショナリズム」の分析から一つの景色が浮かび上がってきました。

  • マンハイムいうところの「(「個別的なるものへの執着心」の寄せ集めに過ぎない)伝統主義」は、その時点において既に良い意味でも悪い意味でも「ニーチェいうところの)距離のパトス(Pathos der Distanz)」問題を含んでいたりする。
    *要するにこうした主体性不在の状態にあっては威信財を兼ねた高級輸入食材のみが珍重され続け、「焼き餃子」「リブステーキ」といった「下賤な食べ物」に再評価の光が当たる事はない。

  • フランス(宮廷)料理は、あらゆる郷土料理の取り込みを通じて形成されてきた。フランス近代民法があらゆる地方慣習の取り込みを通じて形成された様に。主権国家の形成開始に不可欠な「全てを格付けする主体」は、こうしたプロセスを経て形成されるが、その行動によって解消されたり新たに設定される「距離のパトス」も当然存在する。
    *例えばフランス宮廷料理は「(直轄領の郷土料理たる)グラタン料理」や「牛乳や卵を使った田舎料理」などに再評価の光を当てた。多くの主権国家馬鈴薯やインゲン豆やトマトといった新世界作物の栽培と主食化を奨励。その一方でボルドーワインの格付けを開始したのは皇帝ナポレオン三世だった。

    *日本の朝廷は数多くの在地有力氏族の伝承を「古事記(712年)」や「風土記(713年の詔により着手されたが未完)」や「日本書紀(720年)」や「新撰姓氏録(815年)」に編纂する事で取り込もうとした。しかし当然「(「個別的なるものへの執着心」の寄せ集めに過ぎない)伝統主義」全てを公平に格付けするなど不可能であり、実際の試みとしては挫折の連続だったといえる。結局この問題は「中華王朝よりの律令制導入による古代氏族連合解体」という形で最終的解決を見る事になるのである。

  • ただしマンハイムによれば、かかる「全てを格付けする主体の登場」はそのまま中央集権的志向に直結するとは限らず、むしろその台頭を絶対否定する貴族連合主義に行き着く事もある。フランスでは(新興市民階層と結んだ)絶対君主がこれを抑え込む形で絶対王政が成立したし、19世紀ドイツにあっては「プロイセン国王主導による諸勢力」を正当化すべくヘーゲル哲学が成立した。かくして「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマが表面化してくる。

    *こう考える事で「天皇の絶対君主化」でなく「(全てを格付けする主体としての)藤原摂関家の台頭と(実際の権力闘争とは別次元での)かかる権威性の継承」という方向に向かった日本の前近代政治も視野内に収められる様になる。

何だか抽象的で難しげな話に見えますが、要するに「誰がどういう基準で正統な和食とB級グルメや駄菓子の世界を峻別しているのか」突き詰めて考えていくと、こういう次元の話になってくるという話です。そしてこうした思考様式の延長線上において「お好み焼き定食はアリか?」「シチュー丼はアリか?」といった設問が登場してくる次第。

『旬~味彩の匠~』の“白菜クリームシチュー丼”を再現! - 本がないならブログをお読み

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実はフランスにも一応「日本のクリームシチューに似たもの」は存在し、しかもさまざまなものに掛けて食べたりもします。あまり知られてないのは、それが田舎の家庭料理なので高尚なフランス料理の仲間入りをさせてもらえないせいとも。ただしここで「ソースなら当然だろ?」なら新たな次元の設問が浮上してくるのです。

ア・ラ・プーレット(a la poulette)とソース・プーレット(Sauce Poulette)

ア・ラ・プーレット(a la poulette)は卵黄とクリームにレモンジュースとパセリのみじん切りを加えた濃いソース。チキンのフリカッセ料理に添えたことから、この名前がついた。今では魚、ムール貝、臓物、エスカルゴ、マッシュルームなどの料理にも使われている。

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一方、フランス7大ソースの著名なバリエーションの一つ、ソース・プーレット(Sauce Poulette)は「ホワイトソースにマッシュルームを加え、家禽のこま切れとレモン果汁で仕上げたもの」も含む。ピラフに掛けてそのまま食べたりもする。
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フリカッセ(仏 fricassée)

「西洋風雑煮」とも呼ばれるフランスの家庭料理。白い煮込み。やはりライスを添える事も。

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古代ギリシアの喜劇作家アリストファネスの作品「女の議会」には「ありとあらゆる種類の食材を含んだ料理(鯔、脳髄、酢、蜂蜜、ピクルス、骨髄、アニス酒などの17種類からなる煮込み料理)」として登場。

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バター等の油でたまねぎをしんなりするまで炒め、鶏肉や魚介類を加えて絡めて炒め、ワインやブイヨン、ローリエを入れ、煮立ったら生クリームを加えて作る。このとき、色を白いままに保つ為に玉葱は焦げないように注意する。生クリームではなくケチャップやカレー粉を加える場合もある。

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こうなるともはやインド料理の「チキンやマトンや魚介類をピラフに埋めてダール(ひよこ豆)カレーとライタ(微塵切りの胡瓜などを練り込んだヨーグルト・サラダ)を添えて出すビリヤニ」との境界線が判りません。

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どうやら欧州料理の世界の主役はあくまで「それなりの大きさの肉塊」で、これを欠く汁物は「ソース」と解釈されてしまう様です。しかもそうした基準すら「中心部」を離れるにつれその輪郭が曖昧になっていきます。
*そもそもこうした基準に関わらず欧州宮廷料理が最後に到達したのがコンソメスープや「貴族のボルシチ」と呼ばれる「透明な具なしスープ」だった辺りもややこしい。
コンソメ(仏: consommé)

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  • 英国においてはサンデーディナー(イングランドのローストビーフとウェールズ地方のラムステーキ)で肉を大盤振るまいし、平日はその残りを使ったパイ料理やサンドイッチやシチューやカレー料理で過ごす伝統的食習慣が存在した。

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  • 「スイスの郷土料理」チューリッヒ風薄切り肉のクリーム煮(Zürcher Geschnetzeltes)

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  • 「ロシアの郷土料理」ビーフストロガノフ(beef stroganoff、ストロガノフ家風薄切り肉のデミグラスソース煮)

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  • オーストリア国民食」シュニッツェル(ドイツ語: das Schnitzel, オーストリア方言:das Schnitzerl、ヘブライ語: שניצל )

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国によってはポテトパンケーキ、パスタ、ライス(サフランライス、ピラフ)のどれを添えるのが正統派か決まっている地域もあります。要するにそれこそがまさにここでいう「食のナショナリズム」の世界。

  • 「フランス料理」や「和食」の様に歴史的に緻密な「食の体系」を構築してきた地域ほど、そういうルールにうるさい。
    *しばしば「医食同源」の様なイデオロギーを背景に擁する様になったりする。

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  • そうしたルールにうるさい地域でも「屋台食」や「田舎の家庭料理」の世界は結構適当だったりする。
    *概ね「食の体系」の基準から「過剰」や「不足」の横溢する「健康に悪い世界」と認識されている。

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  • さらに「(伝統主義的段階から脱却してないという意味で)後進的」な地域では食慣習が完全に伝統的生活に埋め込まれており、容易な改変を許さない。
    *ただ例えばアフリカ内陸部でも「粉食の原料」が次第に新世界作物に置き換えられていく様な変化は経験している。

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冒頭に掲げた難しい説明は、こういう形で重なってくるのですね。そして「日本のシチュー」はさらに思いもかけない方向に進化する形に。

シチュー(stew)

野菜や肉、魚介類を出汁やソースで煮込んだ煮込み料理の英語による総称。ちなみに英語では煮込むことを stewing と呼ぶ。 

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フランス料理では調理方法や鍋の種類で呼称が分かれ、料理の名称ではラグー(ragout)などが対応する語として挙げられる。料理としての確立は、16世紀後半から17世紀前半にかけてのフランスとも。

中華料理の火の使い方

よく「中華なべは1つで全ての料理に対応できる」といわれますが、元々竈に固定されていたため「この鍋以外は使えない」という事情があったためです。

1つで何にでも対応できる、ではなく、この1つ以外は使えない、というのが実情。

いまでも、中国の田舎などのガスが使えないところでは、竈に固定された中華鍋が使われているようです。

フランス料理の火の使い方

北ヨーロッパでは夏でも朝晩は冷え込むため、暖房は一年を通しての必需品です。そのため一日中暖房をつけていることも多く、自然と「そのうえで料理を作る」文化が発達しました。

 鉄で作られたストーブの中で薪を燃やし、その上に鍋を載せて料理を作ります。そのため、熱が伝わりやすいように、底が平たくて大きい鍋が発達しました。フライパンはその代表的なものです。

フランス料理では中華料理の反対で、鍋を持ち上げるのは弱火にする効果があります。早く火を通したい時は、鍋の中で食材を移動させます。食材が無かった部分は鍋底が熱くなっているためです。ここらへん、形は違えど中華料理の「火をくぐらせる」技法と同じ。

薪ストーブでは火力の調節は難しいのですが、ストーブの上でもさまざまな温度のところがあるため、鍋を移動することで火力調節が可能でした。ここら辺が中華料理との違いで、弱火で調理しないと臭みがでてしまう、牛乳を使ったソースなどが発達しています(ソースが発達したのは食材が悪かったから、という理由もあるが、それはまた別の話)。

また、ストーブには「オーブン」が付いていることが多く、その中に入れることで全体から熱を加えることも出来ます。オーブンの中は気温が高く、湿度が低いため、水蒸気を飛ばして表面をパリッと仕上げる効果もあります。 ストーブの熱で料理する場合は、どうしても直火の火力は出ません。そこで、煮込み料理やオーブン料理など、時間をかけて火を通す料理が発達しています。その一方、必要に応じて火力を変えられるため、繊細な料理方法が発達しました。

現代ではガスコンロが発達しているため、フランス料理のシェフでもガスコンロを使うことが多くなっています。しかし、それでも基本は「ストーブの上での料理」なのです。

日本人の感覚では「うまに(旨煮/甘煮、肉や野菜類を砂糖・酒・醤油・みりんなどで濃いめの味に煮あげたもの)」に該当する側面も。

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  • 日本へのシチューの伝来がいつかについて明確な記述はないが、すでに1871年(明治4年)、東京の洋食店「南海亭」のちらしに「シチウ(牛・鶏うまに)」との品書きが見出される。また1872年の仮名垣魯文『西洋料理通』においても、牛肉や豚肉、トマトなどを用いたシチューが紹介されている。明治中頃までにビーフシチューはレストランのメニューに普及、1904年(明治37年)には旧帝国海軍・軍艦の昼・夕食として「煮込み」の名でシチュー・カレーが供されているが、これはイギリス海軍との交流に由来するとされている。明治末期にはシチューのレシピが上流階級向けの婦人雑誌に掲載されるようになった。とはいえ本格的にシチューが全国に浸透するのは太平洋戦争終結以降となる。

  • スープの線引きは明白ではないが、基本的に素材が大きめに切られ、粉を使用しワインやブイヨンで溶いたルーでとろみをつけた濃厚な煮込み料理をシチューと呼び、メインディッシュとなり得る食べ物とされる。これに対し、さらりとした食感であくまで前菜と見なされる飲み物がスープとされるが、この定義に当てはまらない例も少なくなく、多くは日本へ初めて紹介された時の名称が、そのまま用いられている。

  • 日本におけるシチューは、おおむねけんちん汁やすいとんのような汁物の洋風版という位置付け。それ故に家庭料理としてはご飯にかける食べ方が少なからず見受けられるし、レストランや軽食店などのメニューにも「シチュー丼」や「シチュー雑炊」が散見される。特にクリームシチューは「米飯との調和を考えて日本で開発された料理」という側面が強い。

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こうした「汁かけ飯」文化は海外にも存在する。ガンボのようにとろみのあるシチューを白米にかける料理が存在するし、トルコではピラフ状の米飯、アメリカではバターライスといった調理された米飯が付け合わせとされる事が少なくない。アフリカでもシチューとともにお粥を食する光景がみられる。 

日本の洋食における「シチュー」の種類

日本で普通シチューと呼ぶ場合は、以下を指すことが多い。家庭においてはいずれも、小麦粉を炒めて作るルーが添加されたシチューの素を用いて調理される。

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ビーフシチュー(Beaf Stew)…赤ワインやトマトをベースに牛肉、ジャガイモ、人参、セロリ、タマネギなどを、香味野菜を加えて煮込む。明治初期から洋食レストランのメニューに取り入れられ、小麦粉とバターを炒めて作るブラウンルーを用いることが定番となっている。従って、ブラウンルーの対となるホワイトルーを用いて作るビーフシチューは、極めて稀な存在であるといえる。作り方としては牛肉とタマネギ、ニンジンなどの野菜をブイヨンで長時間煮込み、塩、胡椒、トマトピューレ、ドミグラスソースなどで調味する。用いられる肉の部位は脛やバラが多いが、タンを煮込んだものは特に「タンシチュー」と呼ばれ人気が高い。いずれも汁の量は少なめで、肉などの具材にボリュームがあり、スープのように汁を飲むことよりも具を食べることが主体となることが多い。

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なお、明治初期に英国留学した海軍軍人の東郷平八郎が、ヨーロッパで味わったビーフシチューを作るよう部下に命じて出来たものが肉じゃがであるという説があるが、単なる都市伝説であると否定する意見もある。

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クリームシチュー(Cream Stew)…ホワイトシチューとも呼ばれる。牛乳や生クリームをベースに肉(鶏肉が多い)、ジャガイモ、人参、タマネギなどを加えて煮込む。好みでマッシュルームやキャベツ、コーン、ブロッコリーグリーンピースなどを入れる。日本では1924年(大正13年)に、手塚かね子の『滋味に富める家庭向西洋料理』において牛乳とダンプリングを加えたシチューが紹介されるが、当時はまだほとんどの鶏肉のシチューに使われるのはベシャメルソースであり、牛乳そのものが使われることはなかった。その後、第二次世界大戦後の困窮した国情の中、1947年(昭和22年)に学童の栄養補給のため学校給食のシチューに脱脂粉乳が加わるようになり、政府はこれを「白シチュー」と呼んで広めていく。そして1966年(昭和41年)にハウス食品から発売された粉末ルウ「クリームシチューミクス」がヒット商品となってこの料理の名は「クリームシチュー」として定着するに至った。なお、開発者はこの商品を作るにあたってアイリッシュシチューを参考にしながらも、給食の延長線上にあるごはんによく合うシチューを目指したという。

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牛乳を使ったシチューのような料理は世界中で見られるが、日本のこれの様に小麦粉などでとろみをつけるケースは珍しく、また Cream Stew自体日本で作られた造語であることから海外においてクリームシチューは日本の料理として紹介されている。

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カレーシチュー(Curry stew)…カレー粉などを加えることでカレー風味を備えたクリームシチューの一種。学校給食で出され、ハウス食品などから「カレーシチューの素」も販売された。英国やインドでは呼称の合間に肉の種類が明記され「肉料理の一種」である事が強調される。英国のそれは「サンデーディナー(日曜日に肉を大盤振るまいし、平日はその残りを使ったパイ料理やサンドイッチやシチューやカレー料理で過ごす)」と密接な関係がある。

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また長崎県の郷土料理、ヒカドはシチューから変形したものという説もある。

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食の体系」の世界のみに限らず、元来ナショナリズムとはこうした評価次元の入り乱れた混沌の寄せ集め。これが総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)には「国民国家間の競争」に、それに次第に取って代わっていった産業至上主義の時代(1960年代〜1990年代?)には「マス・マーケティングの駆動力」として無理矢理動員してきた訳ですが、インターネット普及などもあってその後、新たな展開を迎える事に。 

でも別にそれは単なる「伝統主義の世界への回帰」という訳でもなさそうなのです。 

さて私達は一体どちらに向けて漂流しているのでしょうか…