諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

ナショナリズムの歴史外伝⑨【朱舜水】ラーメン(日式拉麵)と日本人

日本人にとってラーメンとは一体何であり続けてきたのでしょうか?

Homemade Ramen 🍜 - plus ultra! ✧˖°

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戦後の食料不足のもと、ラーメンは急速に日本人に好まれるようになります。

理由のひとつには、麺の原料となる小麦が米よりも入手しやすく、日本人の口に入りやすかった。戦時中、アメリカが国策で生産していた小麦が、終戦とともに余剰在庫になります。それを、言い方は悪いですが、食料不足の日本に全部押し付けた。これはその後の日本人のパン食にもつながっていきます。

もうひとつには、ラードを溶かしこんだスープが高カロリーで、日本人の栄養を補った。ビタミンやミネラルのことではなく、さしあたっての労働に必要なエネルギーですね。

1541夜『ラーメンと愛国』速水健朗|松岡正剛の千夜千冊

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小津安の映画にも「サザエさん」にも、初期テレビドラマの「事件記者」にも歌謡バラエティにも、屋台の支那そばがよく出ていた。シナチクと薄っぺらなナルトが浮いていた。

松本零士が自身の青春時代を素材にした出世作男おいどん』では、夜間高校生のおいどんは近所の紅楽園のラーメンライスが大好物だった。長大作『ガラスの仮面』の北島マヤは横浜中華街のラーメン屋の2階に住み込む母親と暮らしていた。これが発端だ。マヤも出前をしている。

3人の学生のコンプレックスの交錯を描いた山田太一脚本のヒットドラマ『ふぞろいの林檎たち』では、柳沢慎吾演じる西寺実の家がラーメン屋だった。橋田寿賀子渡る世間は鬼ばかり』の岡倉家の次女の五月(泉ピン子)は「ラーメンの幸楽」の小島家に嫁いでの話になっている。

これらのことはすべて本書で知ったことだが、ぼくも伊丹十三の『タンポポ』がラーメン店開業のドタバタと一徹を描いていたことくらいは、知っている。いずれもラーメン絡みだが、これらのラーメンは日本社会がいまだ「昭和」を謳歌していた時期の「何か」を象徴していたのだろう。

 そして「愛国」へ…どうやら「昭和ノスタルジー」と深い関係がありそうです。

ラーメン(ramen、Chinese noodles)

中華麺とスープを主とし、多くの場合、様々な具(チャーシュー・メンマ・味付け玉子・刻み葱・海苔など)を組み合わせた麺料理。出汁、タレ、香味油の3要素から成るスープ料理としての側面も大きい。漢字表記は拉麺、老麺または柳麺。別名は中華そばおよび支那そば・南京そばなどである。元は中国語で、別称がいくつもあり「ラーメン」の語源も複数ある。

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  • 中国西北部に位置する蘭州の麺の一種「拉麺(lā miàn ラーミェン)」(繁体字で「拉麵」、簡体字で「拉面」)が由来という説。中国語の「拉」とは「引っ張る」という意味で、拉麺は蕎麦やうどんのように刃物で切り分けて細長い形にするのではなく、手で引っ張り伸ばして細長い麺の形を形成する手打ちの技法で作られる。この拉麺は麺生地を延ばし何層か折りたたんで包丁で細い麺状に切る「桿麺」とともに日本のラーメンの原型となったが、日本では各地にラーメンが広まった時期と製麺機が登場・普及した時期が近かったため、麺の手打ち職人が育つ間もなく製麺機での製麺が一般的になった。

  • 老麺(ラオミェン)を由来とする説。一部の辞典はラーメンの項目で「拉麺」とともに「老麺」という漢字表記も採用している。

  • 1922年(大正11年)北海道札幌市に開店した「竹屋」という食堂(店主・大久昌治、後に支那料理竹家に改称)が由来という説で、竹屋食堂は後に中華料理も扱う店となるが、そこで店主の妻(大久たつ)が厨房の中国料理人の大声で「好了(ハオラー)」と告げるアクセントを気に入って印象に残り「ラーメン」にしたという。

  • 名称は「ラーメン」「らーめん」と表記されることが多いが、稀に「らうめん」や「らあめん」表記されることもある。「中華そば」とも表記されるが、呼び方が違うだけで料理は同じものである。時代とともに南京そば→支那そば→中華そば、と日本での呼び名は変わっていき、ラーメンという呼び方を広めたのは、1958年(昭和33年)に日清食品が発売した世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」であるともいわれている。ブラジルでは日清食品はMiojo(明星)の商標を獲得しているが、Miojoはインスタントラーメンの代名詞的な呼び名ともなっている。

日本には明から亡命してきた朱子学者の朱舜水から振る舞われる形で徳川光圀が初めて食べた(光圀は返礼に自ら打った饂飩を御馳走した)とした説もある。

日本で初めてラーメンを食べたのは誰? - 西山製麺株式会社

  • 江戸時代末に開港した横浜・神戸・長崎・函館などに明治時代になると誕生した中華街(当時は南京町と呼ばれた)で食べられていた中国の麺料理をルーツとするものである。

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  • 1910年(明治43年)、東京府東京市浅草区に初めて日本人経営者尾崎貫一が横浜中華街から招いた中国人料理人12名を雇って日本人向けの中華料理店「来々軒」を開店し、大人気となった。その主力メニューは、当時は南京そば・支那そばなどと呼ばれたラーメンだった。ラーメン評論家の大崎裕史はこの年を「ラーメン元年」と命名している。

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  • この店の成功を受けて日本に続々と庶民的な中華料理店が開店し、大正時代頃から餃子やシュウマイなどとともに各地に定番メニューとして広まっていった。

  • 戦後は中国からの引揚者によるラーメン屋台も多く出現した。

  • そして「とんこつラーメン」にはまた独自の起源譚が存在する。

  • 約100年の歴史の中で、さまざまなアレンジが加えられていき、中国やベトナムなどのアジアの麺料理とは異質な日本独特の麺料理に発展・変化している。現在ではカレーライスと並んで「日本人の国民食」と呼ばれるほど人気の食べ物となり、中華人民共和国中華民国では日式拉麺(日式拉麵/日式拉面)または日本拉麺(日本拉麵/日本拉面)と呼ばれている。英語表記は、オックスフォード英語辞典によると ramen、Chinese noodles。

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今日ではラーメン専門店、中華料理店、レストラン、屋台などの外食で提供されている。数は少ないが茹で麺を自動調理して提供する自動販売機があるほか、即席麺・カップ麺は海外に輸出している。

インスタントラーメン(Instant ramen、Instant noodles)

熱湯をかけたり、鍋で煮る等で、簡易に調理できる即席のラーメン。包装は袋入り・カップ入り、麺はフライ麺・乾麺等の種類がある。即席麺、即席ラーメンとも呼称される。

  • 日本で生まれた食品であるが、日本国外に多数輸出されて多く食べられている。日本国外における「ラーメン」は、この即席製品を調理した料理である事も少なくない。

  • 広義では「ラーメン」という範囲を超え、和風麺のうどん・蕎麦や焼そば等も含めた、多種多様存在する袋入り即席麺(袋麺)およびカップ入り即席麺(カップ麺)全体を指す場合に用いられる。狭義ではその中にてラーメンのみを指す場合や、更に袋入りラーメンに限定して指す場合に用いられる。

  • 公正競争規約上の正式名は「即席めん」である[2]。また、食器として使用できる容器(カップ状の耐熱耐水容器等)に入れてかやくを添付したタイプはカップラーメンと呼称され、公正競争規約上の正式名は「即席カップめん」である。

  • 社団法人日本即席食品工業協会の統計によれば、2006年度に全世界で消費された量は約916億食(カップ麺を含む)。うち日本の消費分は約53億食だった。現在では、世界各地で作られており、ほぼ製造国にて消費される。主な生産・消費地は東アジアおよびアメリカ合衆国である。

日清食品によれば、インスタントラーメンは1958年に同社創業者の台湾出身安藤百福(呉百福)が発明したとしている。また、海外でもそう認める報道が多い。安藤百福が発明した瞬間油熱乾燥法を含むインスタントラーメンの基本的な製法は1962年に「即席ラーメンの製造法」として特許登録されており、発明協会の戦後日本のイノベーション100選のトップ10にも選定されている。

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  • これについては「瞬間油熱乾燥法、またはフリーズドライによって製造された即席麺」を「インスタントラーメン」と定義するなら「チキンラーメン」が「世界初のインスタントラーメン」である。

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  • 開発者である安藤百福は妻がてんぷらを揚げているのを見た際、小麦粉の衣がてんぷら鍋の中で泡を立てながら水分をはじき出している様子を見てこの原理を応用すればよいとし、これが瞬間油熱乾燥法の基となった。

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  • ただし異論も存在する。チキンラーメン以前に村田製麺所(1953年)や松田産業(現・おやつカンパニー 1955年)も即席麺を開発していたためである。しかし、これらの商品はいずれも天日乾燥のような昔ながらの乾燥製法で製造されており、古くから存在する「乾麺」との差が曖昧である。それ故に「インスタントラーメン」と言えるか?言えないか?という異なる意見が存在している。

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1958年春に東明商行が「長寿麺」、大和通商が「鶏糸麺」といった湯を注ぐ即席麺を販売しているが日清食品は8月である。

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  • 東明商行のインスタントラーメンは後に南極探検に持ち込まれ大きな話題となりインスタントラーメンの普及に貢献した。日清食品は1961年に東明商行が出願していた「味付け乾麺の製法」特許の権利を有料で買い取っている。

    実話「南極物語」のインスタントラーメンのネタバレ

    *当時が「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」の一環としての「探検の時代」だった事を忘れてはならない。

  • インスタントラーメンの定義自体が一定しておらず「数分ゆでれば食べられる麺」とするなら、古くからある乾麺はすべて該当する。また、「油で揚げて保存性を高めた麺」とするならば、清代には「伊府麺」という油で揚げる製法で、ある程度の保存性があり、でん粉が糊化(α化)した麺がつくられており、香港や台湾では現在も一般的に食べられている。フライ麺という製法で作り置きができ、手早く食べられるという点ではこの伊府麺はインスタントラーメンと同じ発想の食品とみることができる。しかし、これらは麺以外にスープを別に用意する必要があり、即席にすぐ食べられるものではなかった。

    伊府麺(イーフーメン) - 中国の五大麺|世界の麺料理

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  • また「鍋ひとつで、数分でスープも含め料理できる即席麺」は、1958年以前にも複数の会社が製品化を試み、一部は販売されていた。ただし、それらは現在は姿を消している。

なお、安藤百福は1964年(昭和39年)に「日清食品が特許を独占して、野中の一本杉として発展はできるが、それでは森として大きな産業は育たない」として「日本ラーメン工業協会」を設立し、他のメーカー各社に瞬間油熱乾燥法など即席麺関連の製法特許を公開している。

年表

1953年 - 村田製麺所(現・都一株式会社)の村田良雄が、即席麺に欠かせない屈曲麺製法を発明し特許をとる。

1955年 - 松田産業(現・おやつカンパニー)が「味付中華麺」を即席麺製品として開発した。余り売れずに、細かく砕かれたものが「ベビーラーメン」として売られて人気となった。

1956年 - 第一次南極観測隊に東明商行の即席麺が持ち込まれる。

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1958年春 - 東明商行から即席ラーメンの長寿麺が発売される。麺を油で揚げ、スープに浸して味付けする製法であった。

1958年 - チキンラーメンに先だって、大和通商から鶏糸麺が発売される。湯をかけて食べることができた。

1958年8月25日 - 日清食品の創業者・安藤百福が瞬間油熱乾燥法を発明し、一般に「世界初のインスタントラーメン」と言われる「チキンラーメン」を開発した。即席麺を作る基本となる麺を糊化(アルファ化)する技術に関する特許申請やその商品化は松田産業日清食品以前にも存在したとする説もある。

1958年12月18日 - 東明商行の創業者の張国文が「味付乾麺の製法」を特許出願(特願昭33-36661号)。1960年11月16日に出願公告される(特公昭35-16974号)。この発明は、登録前に2,300万円で日清食品に買収されている。

1959年1月22日 - 安藤須磨が「即席ラーメンの製造法」を特許出願(特願昭34-1918号)。1960年11月16日に出願公告される(特公昭35-16975号)。

1961年 - 明星食品が初のカップ入り即席麺「明星叉焼麺」(未商品化)を由比ヶ浜の海の家で試験販売する。アイスクリーム容器に近いカップに、揚げ麺・乾燥具材・粉末スープが入っていて470mlのお湯を注いで食べるという、現在のカップ麺に近い商品だった。しかし容器の耐油性に問題があり、テスト販売のみで失敗に終わる。そのうえ、従来の即席麺を単に容器に入れただけと見なされ、特許や実用新案権を取得できなかった。

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1962年 - 明星食品がでん粉を使ってスープを粉末にするスープ別添技術を開発し、粉末スープを麺と別の袋に入れ添付した「支那筍入明星ラーメン」を発売。なお、本来は食品とは関連のない異業種である任天堂は、その子会社「三近食品」を設立させ、ポパイの版権を使って出した「ポパイラーメン」を販売するが、これも失敗に終わっている。

1963年7月2日 - 日清食品が即席麺では世界で初めての焼そば「日清焼そば」を発売。以後、同業他社でも即席麺タイプの焼そばが開発・発売されている。

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1966年 - サンヨー食品の「サッポロ一番」に乾燥ネギが付けられ、これ以降1970年代には、麺を油で揚げず冷凍乾燥させるフリーズドライ製法が普及し、乾燥ネギに代表されるかやくを封入する製品が一般化する。スープもフリーズドライ等によって乾燥粉末化され、塩味、味噌味、カレー味など、スープの味にもバラエティが広がった。

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1968年に発売された「出前一丁」にゴマラー油が付く。

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1971年 - 日清食品が「カップヌードル」を発売し、世界初のカップラーメンが登場。開発当初よりパッケージ商品として様々な点が考慮されており、容器も耐久性・耐油性に優れていた。発売当初の売上は今ひとつだったが、連合赤軍あさま山荘事件にて機動隊員が食べている姿がTVで流されたのをきっかけに大ヒットする。

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*要するにそのヒットは当時のテレビ文化と密接な関係にあった。

1975年 - 東洋水産が、世界初のカップうどんである「マルちゃんのカップうどんきつね」を発売する。

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1980年代からは、調味油、味噌、ゴマだれなどの複数の液体の調味料を付ける製品も多くなり、小エビや豚肉、鶏卵などの具材も乾燥して同梱するインスタントラーメンが普及した。もっとも、豊富な具材が製品単価を押し上げる要因にもなり、また生の食材には味が及ばないとして、一部のカップ麺を除き一旦は市場から消えた。しかし、1990年代にはレトルト化した調理済みの具材や麺を同梱した高級品も登場し、2000年代には人気ラーメン店とのコラボレーションへと進化、それらが付属しない通常の製品と二極化が進んでいる。

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一方、健康志向の高まりから、ノンフライ麺の採用が増えている。油で揚げる代わりに、蒸したり、熱風乾燥することで、煮る必要がない製品も多い。また、麺を小麦粉ではなくフォーやビーフンのようなコメを原料とするライスヌードルや、緑豆やデンプンを原料とする春雨も増えている。ライスヌードルや春雨は比較的低カロリーなので若年の女性層に支持されている。

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また、風味や見た目に特徴を持たせるために、麺に食材を練りこむケースも見られる。例として「麺許皆伝」(クロレラ)、「とんがらし麺」(唐辛子)などがある。

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袋麺の消費量はカップ麺に押されて減少していたが、2012年に東洋水産の「マルちゃん正麺」の大ヒットにより盛り返した。生麺をそのまま乾燥させる新しい製法で生麺に近い食感を実現した。日清食品の「日清ラ王 袋麺」、サンヨー食品の「サッポロ一番 麺の力」といった追随商品も登場した。

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日本国外進出

日本国外での生産は、明星食品が韓国の三養食品(삼양라면、Samyang)との合弁で1963年に製造を始めたのが最初とされる。

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アジアでは(主に東アジア、東南アジア)、1980年代以後に同種の即席食品が製造され、地域色の豊かな製品も増えている。

当初は日本メーカーのブランド名や商品名が使われる製品が発売された。多くは商標の使用権(ライセンス)を得た製品で、日本メーカーが製造に直接関与していない場合もある。これらの製品にはライセンス製造であると表記されている。

その後、もともと「汁麺」や「炒め麺」が食文化に定着していたアジアでは、消費者の嗜好にあわせて伝統食を取り入れた独自の製品が数多く販売された。台湾、香港、中国はもちろん、タイのトムヤムクン味や、インドネシアの即席ミーゴレン、フィリピンの即席パンシット、ベトナムの即席フォーなど多様に進化した。アジア各国で販売されているインスタントラーメンは数百種類に及び、日本にも輸入され、コンビニエンスストアで販売される商品もある。

欧米では、主にスナックフードとして利用された事もあり、調理の手間が少ないカップラーメンが先に受け入れられた。当初、袋麺は輸入食品店以外では見掛けられなかったが、近年北米では一般のスーパーマーケットでも販売されている。一方、マグカップ等に乾燥麺を入れて熱湯を注ぐ軽食向き製品も欧米で人気があり、1990年代には、日本でも同様の製品が登場している。これらの製品では、煮て調理する事が出来ないため、麺もカップラーメン同様に細く薄く平らで、具も小さな乾燥なると程度である。

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 このケースもまた江戸時代の三味線の様に「そのエスニックさが好まれて全国に広まり、数世代後には日本の伝統としての受容が完了した」典型例とも。