ゴビノー伯爵やニーチェが傾倒した「距離のパトス(Pathos der Distanz)」の維持を渇望する独特の貴族主義的世界観。
産業革命導入期(19世紀後半)や(「国民国家間の競争」が何より最優先されて来た)総力戦時代(1910年代後半〜1970年代後半)から(そうした形での国民動員形式の衣鉢を継ぐ)や、商業至上主義時代(1960年代〜1990年代)においてそれはこんな具合に機能して来たと目されています。
- 産業革命導入期、英国においては「食パンと砂糖入り紅茶」、日本においては「白飯食」に毎日ありつける贅沢が労働者からモチベーションを引き出した。ただしもちろんそうした生活が当たり前になってしまえば要求はさらに高度化する。かくして英国では「Fish & Chips」文化、日本では「鮭缶・蟹缶・牛缶」文化が広まる。
- 例えば「高級料理としての鰻の蒲焼への憧憬心」は「より安価な養殖鰻の登場」によって克服されたりもする。こういう事を繰り返していけば、やがていつかは「(労働者を労働に向かわせる)高級料理への憧憬心」は完全に消え失せてしまうかもしれない。ゴビノーやニーチェが貴族主義的世界観に基づく「距離のパトス(Pathos der Distanz)温存論」を主張する様になった背景には、そうした焦燥感が存在したりする。
それではこうした思考様式が一旦の終焉を迎えた20世紀末に一体何が起こったのでしょうか?