諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

量子コンピューターは何を実現すると考えられてきたか?

量子コンピューター技術が既に実用化の域に入ろうとしています。

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ところで、しばらく前のSF小説では「量子コンピュータ」といえば以下あたりが定番だったものです。

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  • パラレルワールドと通信出来る。

  • 未来や過去と通信したり実際に往来したり出来る様になる。

    タイムマシン・コンピューター

  • 量子テレポーテーション技術を使って超光速通信や転送が実現される。
    Quantum Teleportation

    テレポーテーションは、人や物を瞬間的に遠隔地に移動させる手法で、SFの世界では古くからあるアイデアである。テクノロジーによる方法もあれば超能力者の技として出てくることもあるが、いずれにしても想像の産物に過ぎなかった。スタートレックの転送技術も、たとえ遠い将来であっても到底実現するとは考えにくい。しかし1990年代に入ってから、非常に微かだが光明が見えてきた。スタートレックの転送技術のネックは量子レベルの不確かさであったが、この方法はそれを逆手に用いたものである。

    量子テレポーテーション - Wikipedia

    テレポーテーションという名前であるものの、粒子が空間の別の場所に瞬間移動するわけではない。量子もつれの関係にある2つの粒子のうち一方の状態を観測すると瞬時にもう一方の状態が確定することからこのような名前がついた。また、この際に粒子間で情報の伝達は起こっていない。これは、観測により任意の量子状態を実現することは不可能であることからもわかる。したがって、量子テレポーテーションを用いれば超光速通信が実現できるなどということはない。

  • 人間の脳も量子コンピューターの一種であり、人間そっくりの思考様式を備えた人工知能が誕生する。

    茂木健一郎「意識は不思議だ。量子力学も不思議だ。だから、両者は関係があるに違いない」

どうしてこんな展開に? まぁ実際「巡回セールスマン問題などが引き起こす組合せ爆発を抑え込んで人工知能技術の進化を加速させる」の自体は事実みたいなんですが。

そもそもこうした「SFマインドの発揮」自体にそれなりの歴史的背景がありそうです。

 量子コンピュータ (quantum computer)

量子力学的な重ね合わせを用いて並列性を実現するとされるコンピュータ。従来のコンピュータの論理ゲートに代えて、「量子ゲート」を用いて量子計算を行う原理のものについて研究がさかんであるが、他の方式についても研究・開発は行われている。

従来のコンピュータ(以下「古典コンピュータ」)の基本素子は、情報量が0か1の何れかの値しか持ち得ない1ビットを扱うものであるのに対して、量子コンピュータでは量子ビット (qubit; quantum bit、キュービット) により、1キュービットにつき0と1の値を任意の割合で重ね合わせて保持する。

 1980年代

量子コンピュータの歴史は、1980年に Paul Benioff が量子系においてエネルギーを消費せず計算が行えることを示したことに端を発し、1982年、ファインマンも量子計算が古典計算に対し指数関数的に有効ではないかと推測している。これらに続き、1985年、ドイッチュは、「量子計算模型」と言える量子チューリングマシンを定義し、1989年に量子回路を考案した。

1990年代

1992年に、ドイッチュとジョサは、量子コンピュータが古典コンピュータよりも速く解ける問題でドイッチュ・ジョサのアルゴリズムを考案した。 1993年に、ウメーシュ・ヴァジラーニ(英語版)と生徒のEthan Bernsteinは、万能量子チューリングマシンと量子フーリエ変換アルゴリズムを考案した。

1994年にピーター・ショアは、実用的なアルゴリズム『ショアのアルゴリズム』を考案し、量子コンピュータの研究に火をつけた。これは、ヴァジラーニらの量子フーリエ変換や、同年のSimonの研究を基礎に置いている。量子コンピュータ特有のアルゴリズムであるショアのアルゴリズムが、古典コンピュータでは現実的な時間で解くことができない素因数分解を、極めて短い時間で実行出来ることから、素因数分解の困難性を利用したRSA暗号の安全性は実用的な量子コンピュータが実現されれば崩れることを示した。

1995年に、アンドリュー・スティーンやピーター・ショアにより、量子誤り訂正のアルゴリズムが考案された。 1996年に、ロブ・グローバーにより、その後、様々なアルゴリズムに応用されるグローバーアルゴリズムが考案された。同年、セルジュ・アロシュは、実験的観測によって量子デコヒーレンスを証明し、量子デコヒーレンス量子コンピュータ実現への障害となることが実証された。

1997年に、Edward FarhiとSam Gutmannにより、量子ウォーク(Continuous-time quantum walk、略称: CTQW)が考案された。

1998年に、量子コンピュータ用のプログラミング言語である、QCL (Quantum Computation Language) の実装が公開された。

また、1990年代には量子焼きなまし法も考案されている。

2000年代

ハードウェア開発に大きな進展があり、2008年にイオントラップの専門家デービッド・ワインランドは、個々のイオンをレーザー冷却して捕捉することが出来ることを示し、個々の量子もつれ状態にあるイオンをマニピュレーションする、イオン・トラップ型量子コンピュータの研究が進展した。

ショアのアルゴリズムは、2001年に核磁気共鳴により、2007年に量子光学により、2009年に光集積回路により15の素因数分解 (=3*5) が実装された。

2010年代

2011年に突如として、カナダの企業D-Wave Systemsが量子コンピュータ「D-Wave」の建造に成功したと発表した。D-Waveはこの記事の多くの部分で説明している量子ゲートによるコンピュータではなく、量子焼きなまし法による最適化計算に特化した専用計算機である。発表当初のものは128量子ビットであった。D-Waveが本当に量子コンピューティングを実現したものか否か、当初は疑う向きも多かったものの、確かに量子コンピューティングによるものとする調査論文が英科学誌ネイチャーに発表されるなど、2014年10月現在、確実視される方向にある。

2012年、セルジュ・アロシュとデービッド・ワインランドがノーベル物理学賞を受賞した。受賞理由は「個別の量子系に対する計測および制御を可能にする画期的な実験的手法に関する業績」である。

エドワード・スノーデンの開示文書によると、NSAにおいて暗号解読のための実用化が研究されているとされる。

2014年9月米グーグル社はUCLAのJohn Martinisと連携し量子コンピュータの独自開発を開始すると発表した。

2016年5月、IBMは5量子ビット量子コンピュータをオンライン公開した。デイヴィビッド・コーリー ウォータールー大学教授がテストした結果、ほぼ同じ結果を得ることができた。

ただまぁ現時点におけるQubit数ではそれほど大した変革は起こせず、またこのまま実用化が進んだとしても(出来る事が限られ過ぎて)すでに実用化が進んでるデジタル・コンピューターのサブシステムとして組み込まれるビジョンしか想定出来ない様です。

 それでは実際のコンピューター発展史と重ね合わせてみましょう。

前史

ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムが「ソラリスの陽のもとに(Solaris,1961年、映画化1972年、2002年)」の中で(当時共産主義社会を技術的停滞に追い込みつつあった)「神人同形論(Anthropomorphism/アントロポモルフィズム)」を批判。その対極的存在、すなわち「人間の思惑が一切届かない神秘的存在」として惑星ソラリスを設定。この発想がストルガツキー兄弟の「丘の上のピクニック/願望機(1977年)」における「異星人の足跡が発生させた神域」という設定などに継承されていく。

マイケル・クライトンが「アンドロメダ病原体(The Andromeda Strain、原作1969年、映画化1971年)」を発表。現実的なコンピューティング技術に立脚したテクノロジー小説の嚆矢となる。

1980年代

第二世代人工知能研究の全盛期にして「人間の脳のエミュレーション」なるアプローチが行き詰まっていった時代。「人間の脳も量子コンピューターの一種かもしれない」という指摘は、まさしく福音といってよかった。

また(実際のコンピューター技術にあまり詳しくない)ニューウェーブSF世代やTV系サイバーパンク世代にとって「量子コンピューティング技術」は「人工知能技術」同様に「科学技術の進歩が人間の意識の在り方そのものを変貌させていく世界」に想像力を遊ばせる格好の「遊び場」となったのである。

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 1990年代

「人間の模倣」を指向した第二世代人工知能研究が行き詰まり「むしろ純粋な数理によって知識データベースを再構築する」第三世代人工知能研究へと推移していった時代。
*そして後者のアプローチについては当時から今日に至るまで「人間性に対する興味の放棄は許されない」「人間に似せない限り人工知能はやがて人類の敵に成長する」的な指摘が重ねられて来た。

老いニューウェーブSF世代やTV系サイバーパンク世代がテクノロジーの進化についていけなくなり、脱落を余儀なくされていった時代。

2000年代〜2010年代

インターネットが扱えるトラフイックが飛躍的に増大し、ビッグデータの概念が登場し、それに呼応する形で実際に「人類の意識変容」が始まってしまった時代。
*要するに「神人同形論(Anthropomorphism/アントロポモルフィズム)」の終焉が全く予想外の形で起こったという事。

そして最終的に「計算癖が全人格化した世界」だけが残る展開に。

フィクション/エンターテイメントの世界は「(世界観全体を統合する)認識の主体は誰で、その人物は如何に振る舞うか」に注目してきたという一点においては揺らいだ事がありません。ある種のロマン主義…というより「物語なるもの」そのものの起源が「Romance(俗ラテン語文学)」や「仮名交じり文(和歌や日記文学」なのですから、そこにはある種の必然性すら存在するとも。

マンハイムは「保守主義的思考(Das konservative Denken、1927年)」の中で以下の様に述べている。

  • 伝統主義それ自体は、この世界に関する当事者の認識の断片とそれぞれに対する執着心の寄せ集めに過ぎない。

  • ロマン主義の登場がそれらを主体的に格付けし、関連付けする事によって一つの世界観に統合する事を可能とした。
    *イメージ的には総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)にしばしば各国の国家的威信を掛けて量産された「スペクタクル史劇」の世界とも。

  • ただしここで新たな問題が浮上してくる。ここでいう「主体的統合」のベクトルは(全ての権力が国王や国家に集中していく)中央集権的方向に収束するとは限らず、その正反対に(大貴族連合による国王の傀儡化の様な)反中央集権的方向に分散する可能性も秘めているのである。そして「主体的統合」の過程で後者の可能性を枝刈りして排除する事に成功すればヘーゲル哲学の様な「保守主義的思考」が完成する。
    *皮肉にも王政復古期にあった19世紀ドイツはそれを実践する環境になく、むしろそれを本気で実践したのは軍国主義時代の大日本帝国だったとも。

この観点からすれば、議会制民主主義を是とする現代社会は「中央集権的方向性と反中央集権的方向性の量子論的重ね合わせ状態」に到達したともいえるかもしれない。要するに「(危機的状況の高まりによって)特定の政権が熱狂的に支持されたり、逆に熱狂的に全面否定されたりする状況」を非常事態と考え、普段はそれほど煮詰まらない(すなわち観測結果が出てない)状況で全てが曖昧なまま進行していくのを常態とする様になったのである。

最近しばしば話題となる 「2045年のシンギュラリティ(Technological Singularity、技術的特異点)問題」に関する議論においてもこの観点は重要となってきます。

要するに鍵を握るのは「全体を主観的に統合するのは如何なる存在か?」という設問であり、その答えも「計算癖が全人格化した世界を統合するのは(絶えず「外側」を取り込み続けるデバッグを続けながら進化していく)アルゴリズム(数理)」と予測されているのですから、今更ジタバタする様な話でもないと思われるのですが。その一方で「量子コンピューターすら手が届かないと明らかになった)外側」に関心を集中させていく動きは既に始まっていたりします。

ある意味「そんな世界に存在する各人はそれぞれ如何に自らの人格を統合していくべきなのか」のみを問おうとするその態度は、ニューウェーブSFやTV系サイバーパンクの全盛期と重なってくる側面も。そもそも「世界はどうあるべきか」なんて観点からの観測に答えが出た試しなんて歴史上一度もない訳ですから、それが王道といえば王道って事になるのかも。