諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

本当は恐ろしい国民国家形成過程③「アメリカ帝国主義」なる共同幻想 

 

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ディズニーと戦争 | anopara

 国際的には時代錯誤の自滅としか映らない「北朝鮮の徹底抗戦姿勢」ですが、朝鮮半島の歴史における古代三国時代(4世紀頃〜7世紀頃)に、魏晋南北朝時代(184年〜589年)時代の中華王朝が次々と自滅していった時代の記憶がある種の心の支えになっているのかもしれません。実際本国では「間も無く米帝傀儡に過ぎない韓国も日本も間も無く自滅する。そうしたら占領下に置いてその財産を好き放題略奪し、強姦も虐殺も思いのままに出来る天国の時代が訪れる」といった洗脳プロパガンダが積極的に行われているという話も。こうした向きにとっては「米国も日本ももう限界。間も無く滅ぶのは明白」と繰り返すマスコミの報道こそが力強い支えとなっている様なんです。

ところで「アメリカ帝国主義」なる存在、そう簡単に滅ぶほどヤワな代物なんでしょうかねぇ?

 アメリカ帝国 - Wikipedia 

1776年に独立したアメリカ合衆国は、18 世紀前半までマニフェスト・デスティニー的な地続きの領土拡張に終始。イギリスからの独立を掲げて果たした事もあり、植民地主義には反対し、独立に賛成する世論が強かった。

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①しかしながら1846年からの米墨戦争などで現在の合衆国本土域が確定し1890年に「フロンティア消滅宣言」が出されたのを契機に「リストラによる失業を恐る軍人」と「発行部数伸ばしたい新聞」の利害が一致。

②1898年の米西戦争とパリ条約により、スペイン帝国西インド諸島と太平洋におけるほとんどの植民地をアメリカへ割譲。アメリカ合衆国はフィリピン・グアム・プエルトリコを獲得し、キューバ保護領とした。戦争前にはスペインの劣悪な原住民支配を批判し、世論も戦争に賛成したが、獲得後は逆に各国の独立運動を弾圧。キューバは事実上、アメリカ合衆国の支配下におかれた。

③1898年から1900年までのアメリカ合衆国大統領選挙では、アメリカ合衆国は「進歩の時代」を掲げてフィリピンを領有してヨーロッパ列強と同様に植民地主義を進めるべきとの「帝国主義者」と、アメリカ合衆国憲法の謳う共和制の価値を重視して各国の独立を支持してアメリカは他国への干渉を控えるべきとの「反帝国主義」の間で、いわゆる「帝国主義論争」が発生した。「帝国主義者」の側が勝利して共和党ウィリアム・マッキンリーが大統領となり、併合を進めた。

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第一次世界大戦(1814年〜1818年)に参戦したウィルソン大統領統治下のアメリカ政府は「民族自決の原則」を貫く為、執拗なまでに「旧態依然の老大国」ハプスブルグ君主国(オーストリアハンガリー二重帝国)とオスマン帝国の解体を要求し続け、それを実現。

  • その一方でアジアに赴任した宣教師達は、ウイルソン主義に心酔するあまり1919年、朝鮮半島における「三・一万歳運動」や中国における「五・四運動」を主導している。
    *彼らの主目的はテキサスやハワイの如く「現地の混乱に乗じてアメリカ植民地を拡大する人道的措置」だったと目されている。

  • こうした動きは本国からの訓示でピタリを収まったが、実はそうした訓令は「国際連盟の提唱者ながら祖国議会にそれHWの加盟を拒絶される」といった悲劇の連続に直面したウィルソン大統領が心労から倒れ、妻のイーディスが代わって政務を見ていた2年の間に発令されたものだった。
  • アメリカは第二次世界大戦(1939年〜1945年)においても重要な役割を果たし、その単純明快な勧善懲悪観から終戦後ドイツと日本に対する徹底的懲罰を要求。しかしながら冷戦開始によって曖昧に終わった。そして「反知性主義勝利の象徴」といわれたアイゼンハワー大統領(1953年〜1961年)の時代が到来。その退任演説においては「軍産複合体」が激しく弾劾される展開となる。

    *1960年代後半から1970年代にかけて世界中を席巻した新左翼運動。そして同時期アメリカにおける黒人公民権運動やヒッピー運動の盛り上がり。こうした歴史的流れは「インテリ=富裕層=政治的エリート階層」と、それを絶対に信じ様としない「反知性主義的大衆」の対立図式を瓦解させた後に自らも滅んでいったが、むしろその過程で「軍産複合体を巡る陰謀論」が純粋な形で抽出され、後世に多大な影響を与える展開となったのである。

 ⑤冷戦がソ連崩壊で終結した後は、アメリカ合衆国が「唯一の超大国」となった。よって親米ならどんな圧制国でも“自由で民主的”と存在が容認され、反米ならその国の国民の自由意志により立てられた政権であっても“世界平和と民主主義の敵で討ち果たされるべき存在”というレッテルが貼られることになった。民衆により独裁体制が打ち倒された後の独裁者は、親米であればアメリカの庇護を受ける事が出来たが、イスラム原理主義共産主義など反米の場合はそのまま放逐され、また処刑される者もあった。
*そもそも現代日本人は「20世紀前半の進歩主義者」の末裔が今日のトランプ大統領支持層という現実をあまりにも軽く受け止め過ぎている気もする。「テネシー猿裁判の悪夢」は、アメリカの「田舎」においては今日なお現実であり続けているのである。

フィデル・カストロチェ・ゲバラは、キューバ革命当初は反米を掲げていなかったが、ピッグス湾事件以降は「アメリカ帝国主義との闘い」を主張した。また2000年代よりベネズエラウゴ・チャベスは、折に触れてアメリカの帝国主義的政策に対する批判を繰り返し、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体の結成を主導した。

⑦2016年度のアメリカ大統領選挙においてヒラリー陣営が敗北したのは「米国タカ派の応援演説」のせいとする見方も存在する。

皮肉にも世界を善悪に二分して「悪は滅びるしかない」と主張する勧善懲悪観こそ「アメリカ帝国主義」起源なのかもしれません。北朝鮮の不幸は、すっかりその術中にはまってしまった結果とも?