「地球上のあらゆる帝国主義がすべてそうであるように、アメリカ帝国主義も引き続き下り坂を歩んでおり、日を追って死滅しつつある」 金日成
— PussyBuster (@ScieHart) 2017年5月30日
⑦アッシリア、バビロニア、メデア、ペルシア、アレクサンドロスのギリシアといった諸帝国と同じように、ローマ帝国もいずれは消え去るであろうという予測は「その時機」という点を別にすれば、間違いなくあたったといえる。
— 山本七平bot (@yamamoto7hei) 2017年5月14日
同じことは、アメリカ帝国にもソビエト帝国にもいえるであろう。
国際的には時代錯誤の自滅としか映らない「北朝鮮の徹底抗戦姿勢」ですが、朝鮮半島の歴史における古代三国時代(4世紀頃〜7世紀頃)に、魏晋南北朝時代(184年〜589年)時代の中華王朝が次々と自滅していった時代の記憶がある種の心の支えになっているのかもしれません。実際本国では「間も無く米帝傀儡に過ぎない韓国も日本も間も無く自滅する。そうしたら占領下に置いてその財産を好き放題略奪し、強姦も虐殺も思いのままに出来る天国の時代が訪れる」といった洗脳プロパガンダが積極的に行われているという話も。こうした向きにとっては「米国も日本ももう限界。間も無く滅ぶのは明白」と繰り返すマスコミの報道こそが力強い支えとなっている様なんです。
ところで「アメリカ帝国主義」なる存在、そう簡単に滅ぶほどヤワな代物なんでしょうかねぇ?
1776年に独立したアメリカ合衆国は、18 世紀前半までマニフェスト・デスティニー的な地続きの領土拡張に終始。イギリスからの独立を掲げて果たした事もあり、植民地主義には反対し、独立に賛成する世論が強かった。
①しかしながら1846年からの米墨戦争などで現在の合衆国本土域が確定し1890年に「フロンティア消滅宣言」が出されたのを契機に「リストラによる失業を恐る軍人」と「発行部数伸ばしたい新聞」の利害が一致。
- ルイジアナ…戦費捻出を急務としたフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトより1803年に210万km2を超える領地を1500万ドル(現金1125万ドル + 当時の借入金375万ドルを帳消し)で買収
- アラスカ…1867年ロシア帝国から720万米ドルで購入、1959年にアラスカ州へ昇格。
- 西アフリカのリベリア…アメリカ合衆国からアフリカへの解放黒人奴隷の送還と植民による「リベリア植民地」が母体となり建国され、1847年の独立ではアメリカ合衆国憲法を基本とした憲法を制定したが、アメリカ合衆国から殖民した「アメリコ・ライベリアン」が原住民に圧制を敷いた。
②1898年の米西戦争とパリ条約により、スペイン帝国は西インド諸島と太平洋におけるほとんどの植民地をアメリカへ割譲。アメリカ合衆国はフィリピン・グアム・プエルトリコを獲得し、キューバを保護領とした。戦争前にはスペインの劣悪な原住民支配を批判し、世論も戦争に賛成したが、獲得後は逆に各国の独立運動を弾圧。キューバは事実上、アメリカ合衆国の支配下におかれた。
- グアム… 1898年パリ条約によりスペインから割譲、1941年日本軍占領、1944年アメリカ領復帰、1950年アメリカ自治的未編入地域(自治領)。
- フィリピン… 1898年パリ条約によりスペインから割譲、米比戦争により第一共和国を併合、植民地化。1934年自治領、1941年日本軍占領、1943年独立(第二共和国)、1945年アメリカ自治領復帰、1946年独立(第三共和国)。
- プエルトリコ…1898年パリ条約によりスペインから割譲、1917年自治的未編入地域、1952年自治領、1998年アメリカ合衆国の51番目の州昇格を巡る住民投票を否決。
- キューバ…1902年プラット修正条項によりグアンタナモとバイアオンダを租借(事実上の保護国化)、1934年プラット修正条項廃止、1940年新憲法施行、1952年フルヘンシオ・バティスタが独裁政権を立てるも1959年フィデル・カストロとチェ・ゲバラに追われキューバ革命(ただしグアンタナモ基地は依然アメリカ領)。
- ハワイ諸島…1893年アメリカ人農場主らがクーデター、1894年ハワイ共和国成立、1898年アメリカ自治的編入地域(準州)、1959年にハワイ州へ昇格。
- アメリカ領サモア …1899年ベルリン条約によりドイツより西サモアを割譲、1948年アメリカ非自治的未編入地域、1967年新憲法下で事実上の自治領。
- パナマ運河地帯…1903年パナマ運河条約により租借(千日戦争も参照)、1999年パナマ共和国に返還。
- ハイチ…1915年アメリカ軍が占領、1934年撤退。
- ドミニカ共和国…1916年アメリカ軍が占領、1922年撤退。
- アメリカ領ヴァージン諸島…1917年デンマークから2500万ドルで購入、1932年自治領。
- 太平洋の国連信託統治領… 1945年〜90年、現在はマーシャル諸島・ミクロネシア連邦・パラオの独立国、およびアメリカ自治領の北マリアナ諸島。
③1898年から1900年までのアメリカ合衆国大統領選挙では、アメリカ合衆国は「進歩の時代」を掲げてフィリピンを領有してヨーロッパ列強と同様に植民地主義を進めるべきとの「帝国主義者」と、アメリカ合衆国憲法の謳う共和制の価値を重視して各国の独立を支持してアメリカは他国への干渉を控えるべきとの「反帝国主義者」の間で、いわゆる「帝国主義論争」が発生した。「帝国主義者」の側が勝利して共和党のウィリアム・マッキンリーが大統領となり、併合を進めた。
- 続く米比戦争(1899年〜1902年)では、マーク・トウェインやアンドリュー・カーネギーに代表されるアメリカ反帝国主義連盟などが、植民地主義に反対し、各国の独立運動に賛成する立場から、フィリピンの併合に反対した。
④第一次世界大戦(1814年〜1818年)に参戦したウィルソン大統領統治下のアメリカ政府は「民族自決の原則」を貫く為、執拗なまでに「旧態依然の老大国」ハプスブルグ君主国(オーストリア=ハンガリー二重帝国)とオスマン帝国の解体を要求し続け、それを実現。
- その一方でアジアに赴任した宣教師達は、ウイルソン主義に心酔するあまり1919年、朝鮮半島における「三・一万歳運動」や中国における「五・四運動」を主導している。
*彼らの主目的はテキサスやハワイの如く「現地の混乱に乗じてアメリカ植民地を拡大する人道的措置」だったと目されている。
- こうした動きは本国からの訓示でピタリを収まったが、実はそうした訓令は「国際連盟の提唱者ながら祖国議会にそれHWの加盟を拒絶される」といった悲劇の連続に直面したウィルソン大統領が心労から倒れ、妻のイーディスが代わって政務を見ていた2年の間に発令されたものだった。
- アメリカは第二次世界大戦(1939年〜1945年)においても重要な役割を果たし、その単純明快な勧善懲悪観から終戦後ドイツと日本に対する徹底的懲罰を要求。しかしながら冷戦開始によって曖昧に終わった。そして「反知性主義勝利の象徴」といわれたアイゼンハワー大統領(1953年〜1961年)の時代が到来。その退任演説においては「軍産複合体」が激しく弾劾される展開となる。
*1960年代後半から1970年代にかけて世界中を席巻した新左翼運動。そして同時期アメリカにおける黒人公民権運動やヒッピー運動の盛り上がり。こうした歴史的流れは「インテリ=富裕層=政治的エリート階層」と、それを絶対に信じ様としない「反知性主義的大衆」の対立図式を瓦解させた後に自らも滅んでいったが、むしろその過程で「軍産複合体を巡る陰謀論」が純粋な形で抽出され、後世に多大な影響を与える展開となったのである。
⑤冷戦がソ連崩壊で終結した後は、アメリカ合衆国が「唯一の超大国」となった。よって親米ならどんな圧制国でも“自由で民主的”と存在が容認され、反米ならその国の国民の自由意志により立てられた政権であっても“世界平和と民主主義の敵で討ち果たされるべき存在”というレッテルが貼られることになった。民衆により独裁体制が打ち倒された後の独裁者は、親米であればアメリカの庇護を受ける事が出来たが、イスラム原理主義、共産主義など反米の場合はそのまま放逐され、また処刑される者もあった。
*そもそも現代日本人は「20世紀前半の進歩主義者」の末裔が今日のトランプ大統領支持層という現実をあまりにも軽く受け止め過ぎている気もする。「テネシー猿裁判の悪夢」は、アメリカの「田舎」においては今日なお現実であり続けているのである。
- 1950年 朝鮮戦争
- 1959年から1961年 キューバで「ブルータス作戦」(フィデル・カストロ暗殺計画、ピッグス湾事件)とキューバ計画(非軍事的干渉)
- 1960年 ベトナム戦争
- 1964年 トンキン湾事件(これを口実にベトナム戦争へと介入)
- 1965年 ドミニカ侵攻
- 1983年 グレナダ侵攻
- 1989年 パナマ侵攻
- 2001年 アフガニスタン紛争 (2001年〜)
- 2003年 イラク戦争
- 2011年 2011年リビア内戦…パレスチナ自治政府の加盟に反発し、国連教育科学文化機関への拠出金停止(2年経った2013年、やはり拠出金を止めていたイスラエルと共に、逆に投票権が停止された)。
- 2012年 イランの核開発問題に絡み、同国からの原油輸入拒否を各国に強要、従わない国への制裁を予告(シリア騒乱への介入)。
- 2013年 ケニアショッピングモール襲撃事件に絡み、襲撃犯組織だとするアル・シャバブのソマリアにある拠点、及びリビアにあるアル・カイーダの拠点を特殊部隊を使って攻撃(対テロ戦争)。
- 2014年 過激派組織ISIL攻撃(対テロ戦争)
⑥フィデル・カストロとチェ・ゲバラは、キューバ革命当初は反米を掲げていなかったが、ピッグス湾事件以降は「アメリカ帝国主義との闘い」を主張した。また2000年代よりベネズエラのウゴ・チャベスは、折に触れてアメリカの帝国主義的政策に対する批判を繰り返し、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体の結成を主導した。
⑦2016年度のアメリカ大統領選挙においてヒラリー陣営が敗北したのは「米国タカ派の応援演説」のせいとする見方も存在する。
皮肉にも世界を善悪に二分して「悪は滅びるしかない」と主張する勧善懲悪観こそ「アメリカ帝国主義」起源なのかもしれません。北朝鮮の不幸は、すっかりその術中にはまってしまった結果とも?