諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

グローバリズム・リージョナリズム・ナショナリズム③ 「ブリキの時計とやくざな紙靴」としての「想豫された市民革命」

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テクノロジー小説の祖マイケル・クライトンは「熱力学第二の法則(エントロピー増大の法則)」を「設計上は完璧だったシステム(エントロピー最小)が自己崩壊(エントロピー極大化)に向かうプロセス」として描きました。ある意味これが20世紀的発想の一つの到達点とも。

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しかしながら、21世紀に入るとむしろ「社会的矛盾に満ちた世界(低エントロピー状態)」が、それを克服して「グローバル化=平準化(高エントロピー状態)」を達成するにつれ次第に「熱的死(エントロピーMax状態)」へと近づいていくジレンマの方がが注目を集める展開となります。

計算癖が全人格化した世界」の最終的勝利が近づくほどゴビノー伯爵やニーチェレヴィ=ストロースが苦悩しながら固執し続けた「距離のパトス (Pathos der Distanz)」問題が再浮上してくる、その展開にはある種の必然とさえいえるとも。
*「養殖によって鰻の蒲焼が誰でも食べられる様になる」歴史的展開は、確実に「高級料理としての鰻の蒲焼に対する憧憬心」に水を差した。こうした平準化の果てには一体どんな景色が待っているのだろうか? 要するにその種の実存不安が台頭してきたのである。

こうした歴史的流れは「狡兎死して走狗烹らる」「豆を煮るに豆殻をもって炊く」実際の歴史上の冷酷な革命運動とも照応してきます。

  • アメリカ独立戦争(1775年〜1783年)」を実際に起こしたサミュエル・アダムズ(Samuel Adams、1722年~1803年)や、ジェイムズ・ボードイン(James Bowdoin II 1726年~1790年)といった「マサチューセッツ独立派」。
    *シェイズの反乱(Shays' Rebellion、1786年〜1787年)の武力鎮圧によって名誉を失い「米国建国の父」のリストから外される。

  • フランス革命を実際に起こしたバイイ(Jean-Sylvain Bailly、1736年~1793年)や小ミラボー(Honoré-Gabriel de Riquetti, Comte de Mirabeau, 1749年〜1791年)やラファイエット侯爵(Marie-Joseph Paul Yves Roch Gilbert du Motier, Marquis de La Fayette、1757年〜1834年)といった立憲君主制派の自由主義貴族、およびブルボン家に対する王統交代を狙った「オルレアン公」フイリップ・エガルテ(Philippe Égalité=平等公フィリップ、Louis Philippe II Joseph, duc de Chartres, puis duc d'Orléans, 1747年〜1793年)。
    *前者は「シャン・ド・マルスの虐殺(1791年)」、後者はフランス国王処刑に賛成した事で名誉を失い「フランス革命の主導者」リストから外される。ただし後者の息子は七月革命1830年)によってブルボン復古王政打倒の悲願を達成し「フランス革命運動の最終勝者」となった。

    実際にフランス革命戦争(1791年〜1802年)を起こしたブリッソー(Jacques Pierre Brissot, 1754年〜1793年)ら「ジロンド派」と、彼らを粛清して自らも最終的には粛清されたロベスピエール(Maximilien François Marie Isidore de Robespierre, 1758年〜1794年)ら「ジャコバン派」。
    *前者は革命戦争初期の連戦連敗、後者は(国民総動員への反対運動を大虐殺によって弾圧した実働部隊が粛清を恐れて蜂起した)テルミドールの反動によって名誉を失い「フランス革命の主導者」リストから外された。ただしスペインとの交易によって前者を経済的に支えてきた「ボルドー閥」はその後もしたたかに生き延びて経済的既得権益を守り抜いたし(ボルドー・ワインがフランスを代表するワインとなったのもその一環)、後者は後に「共産主義の祖」として再評価を受ける展開に。

  • 明治維新を準備した水戸藩長州藩尊王攘夷運動
    *前者は内ゲバで全滅。その一方で「薩長同盟」成立によって辛くも全滅を免れた長州閥は何とか元勲への列席を許されたばかりか、次第に明治政府建設を主導する立場を勝ち取っていく。しかし最後は…

要するに革命運動なるもの、所定の目的を達成した途端に革命政府を「新たな憎悪対象たる反動政権」へと変貌させてしまうものなのです。この展開を予防する為、実際の革命は概ね以下の三択を迫られるものです。

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こうして全体像を俯瞰してみると、ベネディクト・アンダーソンが「想像の共同体(Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism、1983年)」の中で述べた「(現実の歴史とは全く似ても似つかないし、そもそも似せる事に意味がない)想像上のアメリカ独立戦争フランス革命」とは、こうした「苦い良薬/毒薬」を国民に飲ませて強制的に動員する為の糖衣(方便)に過ぎなかったという見方も可能になってくる訳です。

出版資本主義(Print Capital)は、アメリカ独立戦争フランス革命が実際にどうであったかとは無関係に、それへの言及の積み重ねによって目指すべき新たな目標設定を実現したのだった。

まさしくそれは宮沢賢治オツベルと象(1926年)」においてオツベルが象を奴隷化するのに利用した「ブリキの時計とやくざな紙靴(見た目は格好良いが足枷や鎖が仕込まれており、装飾が剥がれ落ちるとそれだけが残る)」 そのもの。

宮沢賢治 オツベルと象

「おい、お前は時計は要いらないか。」丸太で建てたその象小屋の前に来て、オツベルは琥珀のパイプをくわえ、顔をしかめて斯う訊きいた。

「ぼくは時計は要らないよ。」象がわらって返事した。

「まあ持って見ろ、いいもんだ。」斯う言いながらオツベルは、ブリキでこさえた大きな時計を、象の首からぶらさげた。

「なかなかいいね。」象も云う。

「鎖もなくちゃだめだろう。」オツベルときたら、百キロもある鎖をさ、その前肢にくっつけた。

「うん、なかなか鎖はいいね。」三あし歩いて象がいう。

「靴くつをはいたらどうだろう。」

「ぼくは靴などはかないよ。」

「まあはいてみろ、いいもんだ。」オツベルは顔をしかめながら、赤い張子の大きな靴を、象のうしろのかかとにはめた。

「なかなかいいね。」象も云う。

「靴に飾(かざり)をつけなくちゃ。」オツベルはもう大急ぎで、四百キロある分銅を靴の上から、穿め込んだ。

「うん、なかなかいいね。」象は二あし歩いてみて、さもうれしそうにそう云った。

次の日、ブリキの大きな時計と、やくざな紙の靴とはやぶけ、象は鎖と分銅だけで、大よろこびであるいて居った。

*そもそもここでいう「やくざな」という表現自体、日本においては1960年代にその独特の安っぽい輝きの寿命が尽きた感がある。

そもそも、ここでいう「オツペル」は何者なのでしょうか? 共産主義黄金期にはずっと「プロレタリアート階層を騙して従わせてきた罪を、その命をもって償わされる絶対悪の象徴としてのブルジョワ階層」と目されてきましたが、21世紀に入るとむしろ以下の様な人物が該当すると考えられる様になっていきます。
*ちなみにドイツ語の「オツペル(opfer)」には「宗教的犠牲者」という意味があるらしい。また「オツベル(Otbert)」だと「財産をもって輝く」という意味になるという。

  • 「アメリカにおける反知性主義」の大源流…一般にボストン茶会事件(1773年)の黒幕とすら信じられている「革命扇動家」のサミュエル・アダムスやジェイムズ・ボーディンへの嫌悪感に端を発する。独立戦争(1775年〜1783年)勝利後は「共和国における反乱は専制政治の下でのものとは異なり、処刑をもって罰すべし」「政府の権威への侮辱を許しはならない」と立場を逆転させ「独立戦争における勝利が新たな政府の樹立に結びつくのを革命に対する侮辱と考える民兵」が起こしたシェイズの反乱(1786年〜1787年)」を容赦無く武力鎮圧し、反乱主導者を軒並み処刑。現代アメリカにおいて彼らが「建国の父」の一員として敬意を込めて回想される事は「原則として」まずない。
    *フランス七月革命1830年)における六月暴動(1832年)、明治維新基日本における「最終的に西南戦争(1877年)に至った不平士族反乱の鎮圧過程(1874年〜1877年)」と重なってくる。その後オルレアン公は二月/三月革命(1848年〜1849年)によって国外亡命を余儀なくされ、「朋友」西郷隆盛を討った大久保利通もほどなくテロに倒れ、その衣鉢を継いだ山県有朋もまた議会制民主主義への移行を背景に「葬式会場が閑散としている」寂しい最後を迎えるのだった。

    *「原則として」まずない…一時期「オルタナ右翼」に対抗して「オルタナ左翼」を名乗っていた米国無政府主義(サンダース支持層急進派)はその数少ない例外の一つといえる。また黒人公民権運動残党(デモに便乗して近隣商店街で略奪を働く「Black Lives Matter」運動急進派)からも熱狂的支持を受けている。日本における「しばき隊」「男組」は明らかに後者の影響を受けていたが、アメリカと異なり「日本のリベラル層」からあっけなく切り捨てられてしまった。

  • 共産主義における民主集中制」の大源流…1917年2月23日に勃発したロシア二月革命を途中から乗っ取ったレーニン率いるボルシェビキ。以降のソ連では「マルクスの人間解放論」も「革命を実際に起こした兵農評議会(ソヴィエト)の掲げた理想主義」も急速に「ブリキの時計とやくざな紙靴」化していき、最後にはスターリン独裁体制が完成する運びとなる。ソ連崩壊後のロシアでは「レーニンこそが共産主義の理想を蹂躙した最初の一人」と嫌悪される様になった。
    *米国資本家階層は「ポグロムユダヤ人虐殺)」を平然と遂行する帝政ロシア憎しの感情から日露戦争(1904年〜1905年)にあっては大日本帝国を、ロシア革命にあってはボルシェビキを支えてきた。ちなみに米国における共産主義への共感は独ソ不可侵条約(1939年)締結を契機に一旦途絶える。

  •  「米国帝国主義」の大源流…この見解においては「コカコーラ・ハンバーガー・ピザ・フライドチキン・ハリウッド映画・ディズニー・アニメといった米国文化の国際展開」が「ブリキの時計とやくざな紙靴」に当たるとされ「ナイキやアップルといった米国大企業の委託を受けて後進国奴隷制工場を営む」状況を準備する先兵として弾劾される。

それにつけても思う事。宮沢賢治「オツペルと象」の結末で「サンタマリア経由でその窮地を知った仲間から救出された」象は、どうして「解放」を喜ぶどころか「さびしく笑う」のでしょうか。彼を解放した仲間の象達にせよ革命勝利の興奮とは全く無縁なのは一体何故なのでしょうか。

宮沢賢治 オツベルと象

さあ、オツベルは射うちだした。六連発のピストルさ。ドーン、グララアガア、ドーン、グララアガア、ドーン、グララアガア、ところが弾丸は通らない。牙にあたればはねかえる。一匹なぞはこう言った。

「なかなかこいつはうるさいねえ。ぱちぱち顔へあたるんだ。」

オツベルはいつかどこかで、こんな文句をきいたようだと思いながら、ケースを帯からつめかえた。そのうち、象の片脚が、塀からこっちへはみ出した。それからも一つはみ出した。五匹の象が一ぺんに、塀からどっと落ちて来た。オツベルはケースを握ったまま、もうくしゃくしゃに潰れていた。早くも門があいていて、グララアガア、グララアガア、象がどしどしなだれ込む。

「牢はどこだ。」みんなは小屋に押し寄せる。丸太なんぞは、マッチのようにへし折られ、あの白象は大へん瘠やせて小屋を出た。

「まあ、よかったねやせたねえ。」みんなはしずかにそばにより、鎖と銅をはずしてやった。

「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。
*ここで描かれた「仲間の象達の行動主義」は、フローベール感情教育(L'Éducation sentimentale、1864年〜1869年)」に描かれる「政変がある都度、自動的に蜂起してきたパリ市民」の姿とも重なる。そこにはビーダーマイヤー(Biedermeier)期(1815年〜1848年)のドイツ臣民のスタンスに似た、ある種の政治的ニヒリズムが感じられるのである。

そういえば2015年6月26日にアメリカの連邦最高裁判所同性婚憲法上の権利として認めるとする判断を示し、この判決により全米で同性婚が事実上合法化された時、国際SNS上の関心空間において興味深いやり取りを見掛けました。

  • 「不謹慎だがあえていわせてもらう。これでまた少し世界が狭くなった。我々は一体何処に向かっているのだろう?(それにつけてもバイは淫乱)」

  • 「確かに気持ちは分からないでもない。同性婚が法的に認められたという事は、これからは同性愛者も一夫(婦)一妻(夫)制の貞操概念に敬意を払わねばならなくなった事を意味するのだから。(それにつけてもバイは淫乱)

  • 「これからの時代もストレート家族が子供世代に異性婚に基づく価値観を刷り込むのを弾劾し続けるなら、ゲイ家族も子供達に同性婚に基づく価値観を刷り込むのを弾劾されなきゃならなくなる。そうした時代はゲイ家族に生まれ育ち苦悩の末に「私、実は異性が好き」とカミングアウトする子供達だって登場してくるんだ。本当にたまらないものがあるよなぁ。もはや我々は一方的被害者ではないんだよ。(それにつけてもバイは淫乱)

まぁ一般日本人だと、そもそもこの「それにつけてもバイは淫乱」連呼についていけないかもしれません。むしろ同性愛者と異性愛者が同時にそれを唱和するのを楽しんでいる感すらあったのですが、これも明らかに一般日本人の想像の範疇を超えていますね。
*そのサド侯爵の如く精神性の一切を捨ててストレートに肉体的快楽を追求する態度、独得の美学追求によって全体像を統合しようという態度を特徴とする(コスプレーヤー流入を受容した)トランスジェンダー界隈ともまた異なり、LGBTQ界隈でもちょっと浮いていたりします。別に倫理的に弾劾される事はなく、むしろ「個性」として尊重されていたりするのですが、まぁ「同性婚の合法化」によって「乱交派」が切り捨てられた事実に変わりはなく、その時に異性愛者か同性愛者を問わず真っ先に「線引きの向こう側」として想起されたのが「(相手が一人では満足出来なさそうな)バイセクシャルの皆さん」だったという次第。まぁ、この辺りまで含んでの「距離のパトス」問題という事になってくる訳です。

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宮沢賢治オツペルと象」に登場する「解放された象が浮かべる寂しげな笑い」には、こうした「世界の残酷な秘密にまた一つ気付かされ、それへの幻滅を強要された人々を認識上見舞う独特のニヒリズム」が暗喩されているのかもしれません。まさにこれこそが「距離のパトス」温存を訴えたゴビノー伯爵やニーチェレヴィ=ストロースら「エントロピー状態維持派」と「計算癖の全人格化」を志向する立場から全人類の平準化を目論む「エントロピー追求派」が対峙する最前線。認識論上「また少し世界が狭くなる」と直感される独特の実存不安の世界。

それにしても、どうしてここまで「現代に通じる戦前日本の発言」は1920年代に集中しているのでしょう?
*ふと気づいた事。最近では国際的に「日本アニメのお約束」といわれている「登場人物が一斉にジャンプする場面」の直接の源流はおそらく1960年代後半〜1970年代におけるスポコンブームにあるのだけど、その大源流もやはり「1920年代アメリカ」らしいのである。しかも「フラッパー(禁酒法体制下の闇バーを着飾って闊歩した若い女性達)」とも縁深い。そもそも当時の保守的アメリカ人にとっては「女性が活発に活動する事」そのものが自然の摂理に反逆する犯罪行為だったので「スポーツに邁進する姿」も「酒をラッパ飲みしてパーティ会場ではっちゃける姿」も、当時公式気に「自然の摂理に反逆する犯罪行為」認定を受けていた飲酒行為同様、少なくとも表面上はいっしょくたに忌避されていたのだった。こうした国際的モラルハザードを背景としてしっかり直視しない限り、どうして「(生意気で自然の摂理に反する)レビューガールや女優が勤労女性や有閑マダムが次々と(因果応報の当然の結果として)次々と残虐に殺されていく」フランスのグラン・ギニョール恐怖劇場や江戸川乱歩の1930年代通俗小説に、それを熱狂的に喜ぶ固定ファン層(しかも結構な比率で中二病的ジレンマを抱えた女性が混ざっている)がついたか分からなくなってしまうのである。

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*「なぜ当時の女性も(同じ女性が連続して残虐に殺されていく)グランギニョール恐怖劇場や江戸川乱歩の通俗小説を楽しんだのか?」…世界中の女性側も真剣に悩んできた問題。海外ではしばしば(男性の妄想中心だったロマン主義文学に「フランケンシュタイン(Frankenstein、1818年)」発表によって一石を投じた)シェリー夫人、(「嵐が丘(Wuthering Heights、1847年)」の中で「天然児」ヒースクリフの壮絶な復讐とその挫折を描いた)エミリー・ブロンテ、(フロイトの家父長的精神分析理論を換骨奪胎した)メラニー・クラインなどが引き合いに出される。日本では1970年代に台頭した女性漫画家の多くが永井豪けっこう仮面(1874年〜1878年)」の読者で「最後に必ず薄幸のヒロインが救済される勧善懲悪のフォーマットがしっかりしてるので(横山光輝伊賀の影丸(1961年〜1966年)」で主人公の影丸が毎回受けるのと同様に)ヒロインが毎回拷問されるシーンとかも純粋に楽めたんです」と証言してるエピソードと結びつけて語られる事が多い。この問題、掘り下げるとかなり深い…

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  • あたかも第一次世界大戦終焉と同期したかの様に「藩閥政治」が終焉を迎えてから「資本論」を携帯する学生がファッションの最先端とされるに至った「マルクス・ボーイ&エンゲルス・ガールの時代」が訪れるまでの端境期。

  • 谷崎潤一郎「金色の死(1914年)」にインスパイアされる形で江戸川乱歩が「パノラマ島奇談(1926年〜1927年)」を執筆した時代。

  • 共産主義者軍国主義者が歩調を合わせて小津安二郎の「プチブル的生活保守主義」を弾圧する様になっていく前夜。

  • ソ連に危険視され逮捕拘束された「無政府主義界のプリンス」クロポトキン(1842年〜1921年)」が死去して国際的に壮麗な葬式が営まれてから(無政府主義に同情的で、生前より「それが滅ぶ時、私もこの世に別れを告げる」と宣言してきた)芥川龍之介(1892年〜1927年)が自殺に向かう時期。

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  • 料理史的には「西洋の食材を何でも甘くする明治時代的発想」から「西洋料理の本格的流入が始まる大正期」の端境期。

当時の日本人も「世界が少しずつ狭くなる」独特の実存不安に悩まされていたのかもしれません。

第一次世界大戦特需が終焉し「世界恐慌(1929年)を契機に)エロ・グロの後にテロやミリ(軍国主義)がやってくる」実存不安の時代の渦中にあってこそ「究極の自由主義への渇望」が、より純化された形で発せられたとも。

宮沢賢治「オツペルと象(1926年)」に見受けられる、あくまで冷徹に「エントロピー論的に)次第に狭くなくなっていく世界」を直視していこうとする姿勢。この作品、21世紀においてはまさに(宮崎駿監督もその独特のエロティズムを礼賛している)ロマンスキー監督映画「テス(Tess、1979年)」同様、この観点から再読される作品なのかもしれません。