諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【英国的発想】「蒸気機関全盛期」と「石油化学全盛期」の狭間

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大英帝国って「産業革命を始めた国」ながら(いや、むしろそれ故に)重工業化の過程で、弟子筋のアメリカ・ドイツ・日本に煽られ続けてきた不幸な国でもあるのですね。まぁ、実際の「後進国産業革命を包括的に導入するメソッド」はフランスが発明し、ドイツ帝国大日本帝国もアメリカもこぞってそれを導入したという話もあるにはあるのですが。

後発性の利益 - ウィキまとめ

孤独な先行者」だったが故に試行錯誤による迷走も散々経験してきました。

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  • インドの植民地化の過程で仕入れたロケット開発技術の米英戦争1812年〜1814年)への投入。
    ロケット・ミサイル技術の年表 - Wikipedia

    ロケットの歴史は古く、西暦1000年頃には中国で、今のロケット花火の形態が発明され武器として利用されていた。1232年、モンゴルとの戦いで使用されたという記録がある。その後、モンゴル人の手に渡り各地で実戦に投入された。14世紀半ばには中国の焦玉により多段式ロケットが作られた。

    1792年にはインドのマイソール王国の支配者ティプー・スルターンによって対英国、東インド会社とのマイソール戦争で鉄製のロケットが効果的に使用された。マイソール戦争終結後、このロケットに興味を持った英国は改良を加え、19世紀初頭までにコングリーヴ・ロケットを開発した。開発の中心人物はウィリアム・コングリーヴであった。

    1814年の米国におけるボルティモアの戦いでは英国艦エレバス(HMS Erebus)からフォートマクヘンリーにむけてロケットが発射され、観戦していた弁護士フランシス・スコット・キーによってアメリカの国歌星条旗に歌われるに至った。同様に1815年のワーテルローの戦いでも使用された。

    初期のロケットは回転せず、誘導装置や推力偏向を備えていなかったので、命中精度が低かった。初期のコングリーヴのロケットでは長い棒をつけた。(現代のロケット花火に似ている)大型のコングリーヴのロケットは重量14.5kg、棒の長さは4.5mだった。1844年にウィリアム・ヘール(英語版)(William Hale)によって改良されたロケットでは噴射孔に弾体を回転するための偏流翼が備えられ、回転するようになり安定棒が無くても命中精度は向上したものの、改良された大砲に射程距離、命中精度が劣ったので下火になった。

    徐々に改良が加えられたが、ライフリングや鋼鉄製砲身等の大砲の改良により射程距離、精度が高まってくると、誘導装置のないロケットの使用は信号弾等、限定的なものになっていった。

    コングリーヴ・ロケット - Wikipedia

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  • ボーア戦争(1899年〜1902年)への自転車化部隊投入

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そして、両者が(あってはならない形で)混じり合ったかの様なこれ。

 実際後世においても妙に愛されてる感があります。

要するに、これらは多くの国が通過せずに済んだ「蒸気機関全盛期」と「石油化学全盛期」の狭間の産物だったのですね。

欧米には「スチーム・パンク」と「サイバー・パンク」の狭間に「ディーゼル・パンク」なんでジャンルも存在しますが、さらにその狭間を細かく刻んできた感じ?

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考えてみればこれって、「エレファントマン」や悪名高き「赤旗法」の世界でもある…

*それにしても1980年代における「フリークスの自己主張」と「ヒューマン・ドラマ」の混在状況って一体何だったのだろう? その流れは以降の時代急速に別方面への進化を始めてしまうのである。





*今風にプロモーションし直すとどうしてもこうなっちゃう…

*それって英国人作家アラン・ムーア原作の「Vフォー・ヴェンデッタ(V for Vendetta、1982年〜1985年)」とか「ウォッチメン(c、1986年〜1987年)」の苦み走った世界?

The Sound of Silence (Original Version from 1964)

Hello darkness、 my old friend
お久し振り、私の昔からの心の闇よ。
I’ve come to talk with you again
また君に会ってしまったね。
Because a vision softly creeping
やっぱり忘れられなかったんだ。
Left its seeds while I was sleeping
眠ってる間にも視野外から君が忍び寄る。
And the vision that was planted in my brain
僕の脳内に焼き付いたそのイメージが
Still remains within the sound of silence
今でも「姿なき姿」として僕を動かし続けてる。

In restless dreams I walked alone
何所に辿り着くかも分からないまま歩み続ける。
Narrow streets of cobblestone
敷石の敷き詰められた狭い小路、
Neath the halo of a street lamp
街灯の光の輪の下で、
I turned my collar to the cold and damp
寒さと悪気に襟を立てる。
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
夜を引き裂くネオンライトの閃光が目が突き刺さる。
That split the night
一瞬だけ浮かび上がる夜の輝き。
And touched the sound of silence
その「姿なき姿」に僕はまた捕まってしまう。

And in the naked light I saw
裸電球の下で目にしてしまった。
Ten thousand people、 maybe more
数万人、いやおそらくそれ以上の、
People talking without speaking
言葉を発しないまま語らう人々
People hearing without listening
音声を遮断して耳を傾け続ける人々
People writing songs that voices never share
誰からも聴かれない声で歌われる歌を作詞し続ける人々
And no one dare Disturb the sound of silence.
その誰もが全て「姿なき姿、声なき声」に奉仕する存在に過ぎない。

“Fools” said I、 “You do not know Silence like a cancer grows”
「なんて馬鹿な事を」という言葉が思わず口を突いて出る。「まるで癌細胞じゃないか。その沈黙は際限なく増えていく闇だ」
Hear my words that I might teach you
そんな声は誰にも届かない。
Take my arms that I might reach you
僕の差し述べた手も誰にも届かない。
But my words like silent raindrops fell
僕の声はまるで雨音の静寂のよう。
And echoed In the wells of silence
その雨音の静寂だけが沈黙の井戸に木霊する。

And the people bowed and prayed
そう誰もが頭を下げ祈る。
To the neon god they made.
自らが生み出した幻影の神々に
And the sign flashed out its warning.
啓示そのものが警告してるのに。
In the words that it was forming
はっきりと書かれた言葉で
And the signs said.”The words of the prophets are written on the subway walls And tenement halls.
「預言者の言葉は地下鉄の壁とアパートのホールに書かれている」と告げてるのに。
“And whisper’d in The Sounds of Silence.
その声さえも「沈黙の音」の渦に飲み込まれてしまい消えていくだけなんだ。

だけどこの流れだけ抽出してしまうと「1980年代について最も忘れてはならない重要な要素」が抜け落ちてしまう気がするのです。

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一条カレン「うふふ、嫁(Waifu)は毎期ごとに一人に絞らないと、貴方の人生(Laifu)が破壊される恐れがあるんデスよ」
*そういえば「英国人と日本人のハーフ」という設定。果たして彼女は単なるWeabooなのか、それとも「日本愛国者」なのか? ちなみに「煙草の有害警告広告」のパロディでもあるらしい。

「御前、ネット上で昔の嫁(Waifu)画像を見かけた時、何を想う?」
「♪Hello darkness、 my old friend…」
*日本よ、グローバル化とはリージョナル・コンテンツがその制約から解放される事…いうなれば英国やアメリカの音楽が英国やアメリカだけのものではなくなっていく、日本のアニメが日本人だけのものではなくなっていく、そんなプロセスをいうのである。ならば「忘却」とは一体何を意味するのか?



*そして19世紀後半の英国の極め付けがこれ。

赤旗法(Red Flag Act、1861年〜1896年) - Wikipedia

19世紀後半に英国で施行された法律。正式にはLocomotive Act。英国の公道における自動車(当時は大多数が蒸気自動車で、ガソリン車はまだ実用化されていなかった)の運用方法について定めた法律であり、同国における自動車産業の発達を妨げ、ドイツやフランスに遅れをとることになる。

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  • The Locomotives on Highways Act (1861年)…車両の重量は12トンに制限する。10 mph(16 km/h)、市街地では5 mph (8 km/h)の速度制限を課す。

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  • The Locomotive Act (赤旗法、1865年)…郊外では4 mph(6 km/h)、市街地では2 mph(3 km/h)の速度制限を定める。自動車は、運転手、機関員、赤い旗を持って車両の60ヤード(55メートル)前方を歩く者の3名で運用することを規定する。赤い旗かランタンを持った人は、歩く速度を守り、騎手や馬に自動車の接近を予告する。

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  • Highways and Locomotives Act (改正法、1878年)…赤旗の必要性は除去。未だに必要とされた前方歩行要員の距離が20ヤード(18メートル)に短縮。馬に遭遇したら車両は停止しなければならない。車両が馬を驚かす煙や蒸気を出すことを禁ずる。

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1896年に廃止。

*こうした世界観も今風にアレンジし直してプロモーションするとこうなっちゃう。

*遂にはこんな展開に…それでいいのか、バッキンガム公?

元来は何かこう、もっともっと「Englishman in New York」みたいなダンディ展開だった筈なんですけどねぇ…

そして、さらなる未来に新たな交点が待ってた様だ?
*ここでまさかの「表意文字の国」中国や「フランス系(ただしカナダ出身)」の参入…



*そして「(英国やカナダやメキシコなどの)永遠のライバル」アメリカはアメリカで大変な事になってる。

マーベル・ユニバース」に対抗して「キング・ユニバース」が誕生するなんていわれてる。そういえば、さらに…

この流れ、一体どう説明すればいいのやら。